儒灯

【温故知新】儒学の普及に力を注いでおります真儒協会 会長、高根秀人年の個人ブログです。 『論語』、『易経』を中心に、経書の言葉を活学して紹介して参ります。 私個人の自由随筆、研究発表などのほか、真儒協会が毎月行っております定例講習についても掲載しております。

2011年03月

第38回 定例講習 (2011年2月27日) 

論語  ( 孔子の弟子たち ―― 子夏 〔4〕 )

盧・研究

≪「素以為絢」/「繪事後素」≫ ・・・ 続き

D.彩色のプロセス/修正・善に改める白 (盧 私見) 

最近(2014)スピーチで、「皆さんには、進路(将来・人生・職業)に対するいろいろな思いがあるでしょう。―― そこに色をつけなければなりません・・・」という表現を耳にしたことがあります。また、駅の宣伝大パネルで、某大学の宣伝広告に、巨大な“カメレオン” 補注1) が虹色に彩色されて描かれ「キミハナニイロ?」とキャッチコピーが書かれていました。

これらは、色と人生が重ねられて擬〔なぞら〕えられて語られている一例です。21世紀は“カラーの時代 〔Color Ages〕”ということを改めて感じました。そもそも色の世界を持つもの(色が見えるもの)は、ホ乳類だけです。犬の人生(犬生?)や猫の人生(猫生?)は、白と黒の“グレースケール”の中に表現され擬〔なぞら〕えられるわけです。

「繪事後素」 につきまして、私の美術家としての視点から私見を述べてみたいと思います。

まず、絵の素(白)地・生地=ベースとしての「白」については。和・洋紙にしろキャンバスにしろ、描くための素材・前提となることは自明です。「素〔もと〕」です。色や表面形状(“目”や凹凸など)、絵の具の“ノリ”具合・滲み具合などです。油絵などでは、特に各種技法としての下地処理・地塗りの技法が多くあります。

次に、彩色のプロセスの中でも「白」が重要な役割を果たす場合もある、ということを述べてみたいと思います。

まず一つ目。下地としてではなく、彩色する絵の具(有彩色)そのものに白を混ぜるということがあります。白を混ぜると、専用語で“(明)清色〔(めい)せいしょく〕”といいまして、明度が高くなり明るく澄んだ柔らかい色調になります。黒を混ぜると“(暗)清色〔(あん)せいしょく〕”といって暗く澄んだ色調に、灰を混ぜると“濁色〔だくしょく〕”といって濁った色調になります。平たく例を挙げれば、赤の色相に白を混ぜると“桃色〔ピンク〕”に、黒を混ぜると“茶色〔ブラウン〕”に変化していきます。 ―― 人生に擬えれば、白=素=徳 を含んだ善き人生行路を彩/章〔あやど〕るようなものです

二つ目。(透明)水彩画の専門的彩色技術について述べておきます。仕上げ・キメ手のハイライト=白部を描くとき、(ポスターカラーやガッシュなど)不透明水彩絵の具の白色を強引にのせる(カバーする)ばかりではありません。彩色する前に、予〔あらかじ〕め白く残したい部分を、マスキング専用の“ゴム液”を塗って(描いて)おきます。彩色が一通り終わってから、専用ラバーでカバーしていたゴムをとれば白く抜ける(紙地の白が顕れる)というテクニックです。そこから、さらに微調整するように仕上げの彩色をつづけ絵を完成させます。 ―― 人生に擬えれば、若いときに培われた蔵された徳が、恰も種子の“核〔さね〕”のように、時を得て芽吹き形を整えて、やがて華を咲かせるようなものですね

三つ目。油絵において“グレージング”技法という非常に優れたものがあります。私は、東洋的にいえば奥義・秘伝のようなものと言ってもよいとさえ想っています。これは平たく一言に要せば、下の油絵の具が乾いてから透明感のある薄い油絵の具を(透明水彩画のように)重ねて(何度も)塗るというものです。

つまり、下書きを終え彩色の段階で、明るい部分を白〔ホワイト〕(もしくは明度の高い色)で描きます。それがよく乾いてから、透明感のある薄く溶いた油絵の具で“グレージング”して“固有色”を与えると同時に明るさを押さえます。例えば、“緑のビン”を描く場合、まず明るめのグレーから白色を使ってビンを描きます。乾いてから、その上に緑(ビリジャンなど)で“グレージング”して“灰色のビン”であったものを“緑のビン”に変身(?)させるわけです。“茶色の編みかご”を描く場合も竹や籐〔とう〕の編み模様を一本一本を細かく白色で描きます。乾いてから、その上に茶(ブラウンなど)で“グレージング”すれば、その濃淡で茶色の竹や籐〔とう〕の編み模様が浮き出されます。犬や猫の(モノクロ)世界から、人間の固有色の世界に移り変わるわけですね。

そして、指や布で“グレージング”層を拭い凹部にのみ色を残したり、被〔かぶ〕り過ぎたところを整えます。仕上げにハイライト部を再度ホワイトで描き起こすこともします。これらのプロセスを何度もくり返すのです。

この“グレージング”技法を知ると知らないとでは、絵の出来に格段の深みの差があります。  ―― それは人生に擬えれば、自他の人生の試練・体験を重ね活かすうちに、熟成したワインのような深みと人徳に満ちた“よくできた”大人〔たいじん〕、が形成されるようなものでしょう。“よく出来た絵”は、“善くできた人”の象〔しょう〕です。

さらに、仕上げ(プロセス)=フィニッシュワークの「白」については。実際、私も各種描画(油絵・水彩・デザイン・パースetc.)において、「白/ホワイト」を最後のキメ手として重用しています。

加うるに私は、以上の白の用い方に加えて、“修正・善に改める白”について述べたいと思います。

絵画では“下書き”や“素描・デッサン”に鉛筆を用いますが、文字を書くには殆〔ほとん〕どがシャープペンシルを用いるようになりました。私は、社会人になるとシャープペンシルを使うことは稀〔まれ〕で、日常的にペン/ボールペン/水性ボールペンを使用しています。そうしますと、鉛筆・シャープペンシル書きの場合は消しゴムで消しますが、ペン・ボールペン他の場合は修正液(白)による消去・修正ということになります。現在、私にとりまして、水性ボールペン(黒と赤)と修正液(白)とはセットで持ち歩く必須筆記用具です。修正液の“ホワイト”で間違えたものを消去(リセット)・修正するわけです。

「白」は「清色」を創ると述べましたが、人間においても“善なるものは白”です。「白」の心理的象徴(カラーシンボル)は、清/潔白/善・善美/清潔/平和/明快/神聖/昼(太陽)/陽・離【☲】 ・・・ です。“白紙に戻す”と言う言葉も、人間本来の善き出発点に立ち返ると解することも可能です。言ってみれば、“人生のリセット”ですね! ―― “(善)美なるものは白”・“善なる人を創るものは素〔そ・しろ:白〕”に他なりません。補注2) 

以上に考察してまいりました「白/ホワイト」の扱い、意義・役割は、(変な連想・アナロジーかもしれませんが)、料理の味のキメ手が(白い)“塩”味であることと同じように、私は感じています。というのは、塩加減(の中庸)で料理の味の(その人にとっての)善し悪し=美味か否か、が決まります。それと同時に、塩の鹹〔から〕さはその塩自身に含まれるミネラルの種類によって千変万化の旨味・甘味〔うまみ・うまみ〕を現出いたします。(ラーメンなどの)スープの類〔たぐい〕は、“だし”と“塩”でさまざまなバリエーションを創りだします。また、高級な素材の肉料理(ステーキやカラアゲなど)では味付けや食べる時の“付け調味料”は素材を活かすために、素材の旨味〔うまみ〕を引き出すために、塩のみとしますね。料理の味付けの極致はこの塩の鹹〔から〕さの旨味・甘味〔うまみ〕を極めることにあるといえましょう。つまり、私は料理の味は“塩にはじまり塩に終わる”といえると想っています。

―― 畢竟〔ひっきょう〕するに、美術・絵画における色も“白にはじまり白に終わる”のであり、人間もまた“素〔そ〕にはじまり素に終わる”といえましょう。理想的人間は、「素」にして「直(=徳)」なる人、“素直〔すなお〕”な人です。

水墨画の白黒濃淡の世界で、“墨に五彩あり”といわれますね。これは、“白と黒に五彩あり” と言い換えることも出来ます。人間でいうなら、ほんとうの賁〔かざ〕り、賁られた人生は「白」と「黒」の中に、「素」と「玄」の中にあるのだと思います。

“美しい絵(の色)”に擬えて“善美の人間”についてまとめてみますと。

善き人間の本(=素〔もと〕)には、ベースとして「白」(=素〔もと〕)が大切であること。

善き人間形成のプロセス(人生行路)には、人生を彩〔あやど/章〕るものとして「白」(=素〔そ〕)が大切であること。

善き人間の完成には、仕上げ修正するものとして「白」(=素〔しろ・す〕)で賁〔かざ〕ることが大切であること。

cf.  素 + 直 (=徳) = 素直〔すなお〕

 

孔子の「繪事後素」を察するに、孔子は絵の専門家でもありませんし、ここに言っている「絵」も今から2500年ほど以上も前の古代中国のそれです。したがって孔子は、ベースとしての素〔もと・そ〕の意で用いたと考えられます。つづく子夏の言葉も、「礼」=“文化:【離☲】”というものは、そのベースの上に後で施すという意であると考えられます。

しかしながら、私は、この問答の文言を「温故而知新」・現代に活かす意味で、以上に述べたように味わい解したい、と強く思い想うのです

 

補注1) 易学・『易経』は、変化とその対応の学です。「易」の字義について、蜥易〔せきえき〕説というものがあります。それは、「蜴」(とかげ)に因〔ちな〕むとするもので、トカゲ〔蜥蜴・石竜子〕は変化するからというものです。私は、この「蜴」を、体表の色を周囲の環境に合わせて千変万化させる(保護色)“カメレオン”の一種ではないかと想像しています。

補注2) 自然界のホ乳類の色をみても、「白」と「黒」(およびその混合)が多く見受けられます。白犬と黒犬(およびブチ)、白猫と黒猫(およびブチ)、白馬と黒馬(およびシマウマ)、白熊と黒熊(および灰色、パンダ)、白兎と黒兎(および灰色) ・・・ などなど。また、自然は気まぐれに、色素がない白い動物を誕生させています。(これらは目立って天敵に襲われるためか、数は増えていませんが。) 白い蛇・白い虎・白いライオン・白いネズミ・(鳥類ですが)白いズズメ ・・・ などなど。
そして、人間が創りだした人工景観としての建築物をみても、圧倒的に白・(明)清色・白をベースとしたもの、が多いことに気付きます。
cf.善と美を求めた古代ギリシア: 古代ギリシア彫刻の白の世界(大英博物館)

 

 

キーワード 研究

 

◆ 【 素 = 白 white について】

「素」“そ”は、それを 「絵事」=色彩 として捉えれば、「素」“しろ”と発音されます。「黒:Black」に対する「白:White」です。

この色彩としてのの“白・黒”の概念については、次の3つの場合を考えることができると思います。

(1) “White:白色”の意 :

白い地〔じ〕や紙の上に文字や絵をかく〔書く・画く〕場合です。この色彩学上の「白:White」は、すべての色を反射したもの(反射率100%、吸収率 0%)です。すべての色は“三原色”から構成されます。「色光(加法混色)の三原色」(=黄みの赤【R:アール】・紫みの青【B:ビー】・緑【G:ジー】)を重ねますと白色光となります

逆にすべての色を吸収すると(反射率0%、吸収率 100%)、「黒:Black」になります。「絵の具・色料(減法混色)の三原色」(赤紫【M:マゼンタ】・紫みの青【C:シアン】・黄【Y:イエロ−】)をすべて合わせると(理論上は)黒色になります。宇宙空間に存在するという“ブラックホール”は、あらゆるものを吸収(光さえも吸収)している空間なので“暗黒”空間であるということのようです。

ちなみに、この色料(絵の具)の三原色 + 白・黒 の5色が、東洋(五行〔ごぎょう〕)思想にいう「五色〔ごしき〕」であり、西洋色彩学にいうヨハネス・イッテンのペンタード(五原色)です。 ⇒ 参考資料 1)

 

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(2) “何もない”の意 :

白を何もないの意で用いる場合があります。「素」を“す”と発音する場合はそれでしょう。“白紙に戻す”といえば、何もない「素〔もと=元〕」の状態に戻すことです。関西で「素〔す〕うどん」といいますのは、何もトッピングしていない“かけうどん”のことです。関東で“酢入りうどん”と勘違いしている人もいたとか(笑)。“うどん”は白色ですが、その意ではないと思います。“素〔す〕肌”や“す〔素?〕っぴん”も、白い肌ではなく、化粧していないありのまま(=天然・自然)の肌・顔のことでしょう。“素足〔すあし〕”も、履〔は〕き物を履いていない裸足〔はだし〕のことでしょう。

「素=す」について加えれば、例えば、スイカなどの野菜で、中に空洞ができている状態を“ス〔素?〕が入〔い〕っている”などと表現しています。“レンコン〔蓮根〕”は“蓮〔はす〕”の地下茎(ハスノネ)です。“蓮”は仏教でも尊ばれている植物で、“はちす”ともいいます(古称)。“レンコン〔蓮根〕”に8つほど穴(=ス)が空〔あ〕いているからではないでしょうか?

本来ある日本語の用法かどうかは定かではありませんが、“素〔す〕の自分”・“素〔す〕になれる”とか“人間、素〔す〕が大事”とか使うのを聞いたこともあります。この場合の「素〔す〕」は「素〔もと〕」・「本〔もと〕」に近く、偏見や先入観のない状態を指しているのでしょう。

また、白は易の八卦で示すと【離☲】と考えられます。が、同時に【離☲】が持つ空〔くう〕・虚・中身がないの意であるとも考えられましょう。“無”・“空〔くう〕”(ex.“空〔くう〕白”・“空〔から〕手”・“空〔から〕約束”)は、黄老の思想・仏教の思想に重なってまいります。

 

(3) “透明なものがある”の意 :

さらに特殊な場合が考えられます。何も無いといっても、宇宙空間のような真空ではなく、地球上には“空気”があります。例えば、遠くの山が青みがかかって見えるのは、空気の層があるからです。すなわち、空気の色は青色だからです。従って逆に言えば、青色を少しずつ山の本来の色に混ぜて、さらに輪郭をボカして描けば遠くの山々が表現できるというものです。(cf.レオナルド・ダ・ヴィンチ: 色彩遠近法・空気遠近法・スフマート〔ぼかし〕)

また、“透明人間”ではないですが、“透明なものがある”という場合があります。例えば、ガラスやビニールなどは、白色ではなく何も無いのでもなく、透明なものが存在するのです。バリアーのような物理的エネルギー層も、目に見えなくても存在しています。

自然科学で、宇宙や生命の誕生について“無から有を生じた”といっても、その “無”は“Nothing”〔何もない〕ということではなく、「素〔もと〕」はあってのことでしょう。形而上学(思想・哲学)で、黄老思想の“道=無”から有を生じるのも、仏教思想の“空〔くう〕”から有を生じるのも、“Nothing”からということではないのです。

cf.≪宇宙の誕生≫ 「暗黒空間(時代)」/水素・ヘリウム・暗黒物質/「ファーストスター」 (太陽の100万倍・青白〜白)/宇宙の膨張は加速度的・「暗黒エネルギー」の存在 (盧・『大難解老子講』 pp.46〜49 参照のこと)

 

さて、この色彩学の白・黒の概念を“人間学”に擬〔なぞら〕えれば、白=「素」・黒=「玄」と表現されます。例えば、“素人〔しろうと〕”・“玄人〔くろうと〕”という対応語がありますね。私が想いますに、それは結論的に要せば、「白:White」=儒学の「素〔そ〕」・「黒:Black」=黄老の「玄〔げん〕」ということです。そして、それを易学的に表象すれば、「白:White」=【離〔り〕☲】・「黒:Black」=【坎〔かん〕☵】です。

儒学の「素〔そ〕」は、「明〔めい〕」です。儒学は「明徳〔明という徳〕」を重視します。例えば、『大学』の書き出しは「大学の道は明徳を明らかにするに在り」(明明徳 とあります。一方、黄老(老荘)のほうは「玄徳」を重視します。明と玄(=暗)は、陽と陰と捉えることもできましょう。この両者は、二様・相対峙〔あいたいじ〕するようなものではなく、表裏一体です。(深層)心理学的に“氷山”で図示してみますと、次のようなものだと考えられます。 ⇒ 参考資料2)

 

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☆儒学の「素」〔そ/しろ=白〕/【離☲】 と 黄老の「玄」〔げん/くろ=黒〕/【坎☵】

─── “「白と黒」は色の本質であり、「素〔そ〕と玄」は人間の本質であり、
【離】と【坎】は万物の源 である” ───
 (by たかね)

 

◆ 【 白 賁 〔はくひ〕 】

儒学の源流思想(形而上学)は、『易経』になります。その重要性は“五経”〔ごきょう〕の筆頭に位置づけられていたことからもわかります。

『易経』(=儒学)の思想にいう、賁〔かざ〕りの極致〔きょくち: 最高で最上の境地〕が「白賁」〔はくひ・白く賁る〕です。「白」=「素」〔そ・しろ〕です

この「白」は  〆嚢發凌А崘髻廚任發△蝓´◆_燭碎未襪海箸ない「空〔くう〕・無」(=“徳”で賁る) ことでもあります。

孔子は、『易経』を愛読しその研究家でもあったので、この「白賁」の教養をもとに答えた可能性もなくはないでしょう。その意図するところは同じです。(尤〔もっと〕も、突然の『詩経』の文言についての質問であり、「易」ではなく「絵事は」とあるので、直接「白賁」を脳裏に描いてのげんであるかどうかは疑問ですが。)

 

≪参考資料:高根・「『易経』64卦奥義・要説版」 p.22 抜粋引用≫

§.易卦 【山火賁〔ひ〕】  「賁〔ひ〕」は、かざる・あや。

(高根流 超高齢社会の卦

“文化の原則”は、知識・教養で身をかざること、本当のかざりは躾〔しつけ〕、晩年・夕日・有終の美、衰退の美・
“モミジの紅葉” ・・・もみじ狩り(=愛でる)、“賁臨”、
やぶれる・失敗する

cf.「火」と「石のカケラ」から文化・文明はスタートした。(by.高根) 

・「天文を観て以て時変を察し、人文を観て以て天下を化成す。」(彖伝)

※ 文明(離)の宜〔よろ〕しきに止まる(艮)のが人文。人文を観察して天下の人々を教化育成すべき。

・上爻辞: 「白く賁る。」“白賁”・・・美(徳)の極致、あや・かざりの究極は「白」・“素”
(1)すべての光を反射する
(2)なにもない(染まっていない・白紙・素)

※ インテリアC、カラーC、福祉住環境C・・・の卦/超高齢社会の卦 (by.高根)


■上卦 艮山の下に下卦 離。

1)離の美を止めている象。→ ※文明(離)の宜〔よろ〕しきに止まる(艮)のが人文

2)山下に火ある象。山に沈む太陽(夕陽・夕映え・晩年のきらめき)。

 

◆ 【 『中庸』 と 『老子』 ―― 「素行自得」と「安分知足」・「無為自然」 】

○「君子は、其の位にして行い、その外〔ほか〕を願わず。 | 富貴にしては富貴に行い、貧賤にしては貧賤に行い、夷狄〔いてき〕にしては夷狄に行い、患難にしては患難に行う。 | 君子は入るとして自得せざる無し。」   (『中庸』・第14章)

【 君子其位而行、不願乎其外。 | 富貴行乎富貴、貧賤行乎貧賤、夷狄行乎夷狄、患難行乎患難。 | 君子無入而不自得焉。 】

《大意》

有徳の君子は、自分の置かれた立場・境遇を、自分の本来あるべきもの(然〔しか〕るべきもの)と心得て、それに適った行いをして、あえてそれ以外のことを願う心を持たないのです。

もし、(出世して)経済的に豊かで社会的地位が高い時は、驕〔おご〕り高ぶったり好き放題であったりせず、富貴な者の然るべき道を行うのです。もし、(逆境にあって)経済的に貧しく社会的地位が低い時には、卑屈になったり媚び諂〔へつら〕ったりすることなく、貧賤の者の努力すべき然るべき道を行うのです。夷狄(外国の野蛮国)に在〔あ〕っては、(じぶんの道を守り貫きながらも)その地の風俗習慣に従って然るべく行うのです。患難に臨んでは、いたずらに恐れ憂うことなく、節操を守り貫き、患難を然るべく克服するのです。

このように、君子というものは、それぞれの位置・境遇に“適中”する(素する=もとより然りとする)行為をするので、どのような位置・境遇に在っても(入〔い〕る)も、少しも不平や不満がなく自ずから意に適って悠游〔ゆうゆう〕と自適するものなのです

 

《解説》

「素(行)」・「自得」は儒学思想のキーワードです。その儒学思想・哲学の書『中庸』で最も有名な1章がこれです。「素(行)」は、「素」=「故」で、 “もとより然りとなす”の意です。「自得」は“少しも不平や不満がなく自ずから意に適って悠游〔ゆうゆう〕と自適する”の意です。儒学・『中庸』の「素行自得」は、『老子』の「安分知足」・「無為自然」にそのまま通ずるものです。そして、現代にそのまま通じ望まれるものと私は考えます。 ―― “トナリの芝生”は、時代を超えて人間が戒めねばならない“業〔ごう〕”なのかも知れません。

「人を指導する立場にある人、いやしくもエリートたる者は『その位に素して行ふ』、自分の立場に基づいて行う。自分の場から遊離しないで行うものである。現実から遊離するのが一番いけない。ところが、人間というものはとかく自分というものを忘れて人を羨〔うらや〕んでみたり、足下〔あしもと〕を見失って、他に心をうばわれる。

職業人にしてもそうだ。自分の職業に徹するということは、案外少ないものである。たいていは、自分の職業に不満や不平を持って他がよく見える。 ―― 中略 ―― 

とにかく、※いま日本で社会的に困ることは、多くの指導者がその場を遊離して騒ぐことだ。」
※昭和36年7月の講義講録

(安岡正篤・『人生は自ら創る』・PHP文庫pp.135-136/
旧・『東洋哲学講座』関西師友協会pp.113-114引用)

 

ちなみに。先述のように、『論語』・孔子「絵事後素」の「後素」から、大塩平八郎(中斎)が大塩後素と号したことを安岡正篤先生が紹介されております。この『中庸』の「素行」が、江戸前期の大儒学者山鹿素行〔やまがそこう〕 補注) の号の由来であろうと推察いたします。

 

補注) 「忠臣蔵」の“山鹿流の陣太鼓”でご存じの方も多いでしょう。山鹿素行(1622-1685)は、江戸前期の儒学者・兵学者で山鹿流軍学の開祖でもあります。名は高興・高祐、会津生まれ。朱子学を排斥し古代の道への復帰を説きました。
なお、“陶鋳力〔とうちゅうりょく〕”の語は、山鹿素行が用いたとされます。“陶鋳力”とは、“消化力・包容力を併せた創造的な力”のことです。わが日本(人)は、例えば儒学・仏教・漢語(ひらがな・カタカナの発案) ・・・ などの外来文化を、この優れた創造的受容吸収力をもって、自在に自分のものとして取り込んできたのです。

 

cf.・『易経』:【雷山小過】 “安分知足”(分に安んじ足るを知る)の意、
「小事には可なり、大事には可ならず。飛鳥これが音を遺〔のこ〕す。」(卦辞)
(上るには宜しからず、下るには宜し、安分知足、謙虚・控え目であれ)

・『老子』:33章・44章・46章 「知足」〔たるをしる〕/「知止」〔とどまるをしる〕
25章:「自然」 ☆ 無為 = 自然 。 無為を別の面から説明したものです。
「自然」は〔おのずからしかり〕で、“それ自身でそうであるもの”(他者によってそうなるのではなく、それ自身によってそうなること)の意。
A.ウェイリーの英訳 “the Self−so”と 注釈 “what−is−so−itself” は参考になります。ほか、“its spontaneity”〔その自発性・自然さ〕。
(盧・『大難解老子講』 p.26引用)

・「ここがロドスだ ここで跳べ!」 〔“Hic Rodhos,Hic Salta!”〕 (ヘーゲル)

 

☆ 素行・自得 ≒ 安分知足 ・ 無為自然

 

( つづく )

 

老子  【9】

・「象帝之先」 : ↓

コギト(我想う)

≪ “天の思想”と「帝」 ≫

古代中国の思想・信仰が“天の思想と呼ばれる独特のものです。

易学の本〔もと〕、源流思想の一つにもなっています。

すなわち、天地万物の創造者・造物主としての「天」への信仰があり、擬人化して「天帝」・「上帝」とも称します。

その天地も「帝」もその母胎は「道」であると考えて、「道」の始原的性格を明言したものが象帝之先です。

「天」(天帝・上帝)は、宗教でいえば(神道やキリスト教で)“神”に相当するものでしょう。

つまり、“”ではなく、そのオールマイティーの神が在る前に、“あるもの=「道」”があったと考えているわけです。

『荘子』にも次のように述べられています。

「道は自身に本をつくり自身に根をつくる、天地あらざる古より固〔もと〕より存在す。」

 

 参 考   ≪ 天の思想 と 天人合一観 ≫

(大宇宙マクロコスムと小宇宙ミクロコスム)

(by たかね・『易経ハンドブック』より)

◆ 中国思想・儒学思想の背景観念、 天=大=頂上   

・ 形而上の概念、モノを作り出すはたらき、「造化」の根源、“声なき声、形なき形” を知る者とそうでない者
」〔しん〕 ・・・・ 不可思議で説明できぬものの意

天 = 宇宙 = 根源 = 神

cf.「 0 」(ゼロ・レイ)の発見・認識、 「無物無尽蔵」(禅)

・ 敬天、上帝、天(天帝)の崇拝、ト〔ぼく〕占(亀ト)、天人一如〔てんじんいちにょ〕、
天と空〔そら〕

・ 崇祖(祖先の霊を崇拝)、“礼”の尊重

太陽信仰 ・・・・ アジアの語源 asu 〔アズ〕 =日の出づるところ
―― ユーロープの語源 ereb 〔エレブ〕 =日のない日ざしの薄いところ“おてんとう様”、“天晴〔あっぱれ〕”、天照大御神 

ex. 天命・天国・天罰・天誅・天道・天寿・北京の「天壇」 
「敬天愛人」(西郷隆盛)、「四知」(天知るー地知るー我知るーおまえ知る)
「天地玄黄」(千字文) ・・→ 地黄玄黒

○「天行は健なり、君子以て自強して息〔や〕まず」 (『易経』 乾為天・大象)
――― “龍(ドラゴン)天に舞う”

○「五十にして天命を知る」 孔子の “知命” (『論語』)

○「の我を亡ぼすにして戦いの罪にあらず・・・」 (『史記』・「四面楚歌」)

天賦人権論 〔てんぷじんけんろん〕
は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず・・・」
 (福沢諭吉・『学問のすすめ』)

易性革命 〔えきせいかくめい〕
天子の姓を易〔か〕え天命を革〔あらた〕める」
  ・・・
  天命は天の徳によって革る
  革命思想・孟子


 ※  研 究  ―― 松下幸之助氏が説く “天” (by 伊與田覺先生講義より)

・ 書物によってではなく、自らによって(天によって)学んだ人

・ 「真真庵」の “根源さん” の社〔やしろ〕 ― (中には何も入っていない、無、空

人生は“運”(たまたま)、自分を存在させてくれるものは何か?
“両親” ・・→ そのまた両親 ・・→ “人間始祖” ・・→ 人間はどこから?
―― “宇宙の根源” からその生み出すによって生み出された
―― 自然の理法(法則) = 宇宙万物のものを生成発展させる力

・ 天と交流し、宇宙根源の働き、天によって生かされていることを悟得した(覚った)

・ その感謝のきもちを “社” の形で表した

 

 「松下電器」・現「パナソニック」の創業者、松下幸之助氏は「経営の神様」と尊称される君子型経営者です。 晩年、日本の将来の政治(家)を憂い、「松下政経塾」を創設されました。安岡正篤先生も参与されていました。さる平成23年9月、「松下政経塾」1期生である野田佳彦氏が、首相の就任いたしました。 その所信表明演説で、“和と中庸の政治”を標榜〔ひょうぼう〕し、“正心誠意”(『大学』)の言葉についても語られました。

松下幸之助氏は、学校や書物からの学問はされませんでしたが、自らの思索によって(天によって)学ばれました。 そして、その至れるところは、儒学の“君子の教え”と同じでした。 私(盧)は、松下幸之助氏の思想・哲学は、(“根源さん”の社 の話などを知るにつけても)儒学とともに、黄老の教えとも同じである と私〔ひそか〕に想っているところです。 


 

( つづく )

 


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謹賀辛卯年 (その4)

※この記事は、謹賀辛卯年 (その3) の続きです。


《 「暑」 ─── “寒”そして“温” 》

 ところで、昨年 平成22年の世相をあらわす文字(漢字)は「」でした。
(一昨年は「新」、その前は「変」)

人間社会から自然環境に世相の関心の重点が移った感もあります。

 昨夏は、猛暑で、屋内においてすら“熱中症”で亡くなられた方が、
高齢者を中心に多数出ました。

地球温暖化を主要因とする異常気象現象は、改善するどころか、
ますますその程度を顕著なものとしてきています。

 むろん、「暑い」 のは自然界はかりではなく、
人間界も 「暑(苦し)い」 時世です。

思い想いますに、自然がおかしいから人間もおかしくなるのか? 
はたまた、人間がおかしいから自然もおかしくなるのか? 
それは、後者が真なのでしょう。

 この暑さとは対照的に、年末年始からは、猛烈な寒波に見まわれました。

私は、四国(愛媛)に帰省していたのですが、
吹雪〔ふぶき〕の大晦日・元旦となりました。

今冬は、“ジンジン”と四肢五体に沁み込むような寒さを
(脆弱な吾が身に)体感しています。

 そして、“寒い”のは、気候ばかりではなくて、世情・人情もまた然りです。

易卦に想いを馳せてみると、【水山蹇〔すいざんけん〕】卦が浮かびます。

「蹇」は、寒さで足が凍えて動けなくなっていること象〔かた〕どっている字です。
足止めストップ、3大難卦の一つです。

 さて、こうして寒い日々が続きますと、
温〔暖:あたた〕かい”のが何よりも有り難く感じます。

今の候、つくづくと私が実感いたしますのが、
背中に入れた“ホカホカカイロ”(“あったカイロ”)と“入浴”の“温かさ”です。

至福の想いです。

それは、親身の“温かさ”の故だからでしょう。

 思い想いますに、畢竟〔ひっきょう〕、人間として肝要なものは 
“情”・“思いやり”です。

儒学の専用語で “仁〔じん〕”、(キリスト教的には“愛”、仏教的には“慈悲”)です。

その“情”・“思いやり”を具体的に擬〔なぞら〕え象〔かた〕どると、
この“ホカホカカイロ”と“入浴”の“温かさ”になるのカナ、などと想っています。

 易の八卦八象〔はっかはっしょう〕。
「離」=「火」の、“中庸”=「程〔ほど〕」を得たあたたかさ「温(暖)」が大切です。

それは、自然界の「温(暖)」ばかりでなく人間界での心の「温」も大切です。

易卦の【離為火】に関して「人の心の火の用心」(真瀬中州)という
シャレた文句もあります。

また、『論語』に 「温故而知新」(学而第1)の文言があります。

この「温」は、1)「故〔ふる/古〕きをアタタめて」とも 
2)「故きをタズねて」とも読み解します。

1) の「温めて」は、原義はゆっくり肉を煮込んでスープを作ること。
また、私は、カレーやシチューを“ねかせて”さらに一工夫を加えて
あたため直し新しい味を引き出すことと解しています。

2) の「温ねて」は、なぜ “尋ねる” と読むのでしょうか?

「温」の字は、サンズイ(水) + 日=囚(元字) + 皿 からなります。

つまり、囚人に対して、水と 皿には食物を盛って(差し入れて)訪れ、
「お前は、如何〔どう〕してこんな所にいるんだい? ・・・・ 」 と
あたたかく尋ね諭〔さと〕すところから成っている
、と教わったことがあります。

深いお話です。

 ── ともかく、自然界も人間界も “中庸” が大切です、
過度の猛暑も厳寒も困ります。

自然界における、「天に唾〔つば〕する」 がごとき
環境破壊・地球温暖化による偏奇異常は、今早急に解決しせねばならない課題です。

が、人間界において、情の“温(暖)かさ”もまた、
今早急に取り戻さねばならない課題です。
 

《 今年の真儒協会は・・・ 》

 正月、「正」は「一〔いつ〕」に止まる/止する、と書きます。

現今〔いま〕、“「一」なるもの”、“変らぬもの”、“不易なるもの”の価値を
見直さなければなりません。

それは、“大常”、“受け継がれるもの”でもありましょう

 具体的に、人間界における“「一」なるもの”は、
忠恕(まごころと思いやり)の道、正しい道筋のことです。

孔子の「一貫〔いつもってつらぬく〕の道、孟子の「揆一〔きいつ〕」です。

 真儒協会は、この“「一」なるもの”・ “不易なるもの”で、
こころの蒙〔くら〕きを啓〔ひら〕く活動を充実させてまいります。

「辛・卯&七赤金性」(【沢風大過&離為火】)の深意・真意をふまえて、
昨年までの業績を継承更新し更に積み上げてまいります。

 ところで、インターネットは 小ドラゴン(=「震」)に擬〔なぞら〕え
象〔かたど〕ることができます。

ユビキタス社会”形成に向かって、電波という雲に乗って天翔けているところです。

真儒協会も一昨年春、H.P.《儒学に学ぶ》・ブログ《儒灯》 を立ち上げ
発信活動を開始しました。

昨年度は、ブログ《儒灯》の執筆に力を入れ、
各種講習内容レジュメ〔要約〕、「儒学からの言霊」・「儒学随想」などを充実させました。

ご覧いただいている人数も少しづつ増え、
それを契機に講習に参加される人も増えてまいりました。

尤〔もっと〕も、過年度の定例講習内容レジュメ〔要約〕のセットアップは滞っておりますので、
本年は、それやこれや逐次完了させ、
智的情報を整理・掲載してまいりたいと思っております。

皆様には、よろしくこの“ネット”(H.P.&ブログ)をご活用いただきますよう
お願いいたします。

H.P.《儒学に学ぶ》 http://jugaku.net/

ブログ《儒灯》 http://blog.livedoor.jp/jugaku_net/


 さて、本年は、真儒協会を開設して 5周年を迎えます。

先に【水沢節】卦について述べましたが、
その“竹の節〔ふし〕”・“節目〔ふしめ〕”の意です。

とりわけ、「5」 という数は、東洋においては“五行〔ごぎょう〕思想”の「五」、
易の生数”の「5」で神秘的にして重要な霊数です。

 この、開設5周年の節目に当たり、
(平成23)年度当初の《真儒の集い》は公開といたします。

例年《真儒の集い》は、定例講習受講者の内輪だけで開催してまいりましたが、
今回は《発足の会》と同様に、広くご参加の皆さまを募り 御来賓もお招きして、
“一陽来復”(【地雷復】)・陽の気を顕〔あきら〕かにしたいと思っております。

開設5周年・《真儒の集い》 は、1部:特別講演(講師 高根秀人年) / 
2部:式典(来賓祝辞、理事者あいさつ 他) の内容です。

私(事務局)の地元吹田市、“メイシアター(吹田市文化会館)”で開催いたします。 
 
加えて、開設5周年記念事業といたしまして、
今まで5年間の講義・講演内容のレジュメを中心に、
『真儒協会/開設5周年 記念誌 』 の編纂を行いたいと考えています。

ちなみに、私の年筮(中筮法)は、
【風山漸〔ふうざんぜん〕】の 2爻陽変にて 【巽為風〔そんいふう〕】に之〔ゆ〕く。」
です。

【漸】卦は、“小を積んで大となす”、継続の吉、
 “千里一歩の意”(新井白蛾)・“山に植林する象”です。

大象伝に、「君子以て賢徳に居りて俗を善くす。」 
《君子は、その賢明なる徳を内に止め 漸次進歩発展し、
善き風俗を形成するように〔民心に親しむように〕努め続けるのです。》 
とあります。 

【巽風】は、風のように従い従う、謙遜に順う、巽〔したが〕って吉、の意。
どこへでも柔順に入り込んでいく象です。

 今年度は、“節から(新たに)芽が出る”ような、
5周年の節目の年にするつもりです。

皆さまには、当協会活動へのご理解ご協力を賜りますようお願いいたしまして、
年頭所感の結びといたします。


《 PS.── 》
 4月(4月29日 金曜日)の 開設“5周年記念《真儒の集い》”では、
私が特別講演の講師を務めます。

テーマは、「 器量人・子貢 と 経済人・ロビンソン=クルーソー
 ── 経済立国日本を“中す〔Aufheben〕” 1つの試論 ── 」 です。

 子貢は、3000人ともいわれる孔子の弟子の中で随一の才人・器量人です。
『論語』にも(子路とともに)最も多く登場します。

そして特筆すべきは、リッチ・Rich!な存在です。
商才あり利財に優れ、社会的にも(実業家として)発展いたしました。

 一方、ロビンソン=クルーソー (D.デフォー、『ロビンソン漂流記』)は、
当時の“経済的人間”の代表像として捉えることができます。

つまり、世界帝国・イギリス資本主義の青年時代の担い手
=「中流の(身分の)〔“middling station of life”〕人々」の
理想的人間像と考えられるのです。

 洋の東西、時代も場所も全く異なるこの両者に、
グローバルな現代の視点から光をあて、“「合一」なるもの”を探ってみたいと思います。

わが経済立国・“日本”は、行方を見失い、窮し行き詰まっています。
滅びゆく“日の没する(たそがれの)国”になり下がろうとしています。

その打開・再生の方途〔みち〕は、“儒学ルネサンス”しかありません。

その実現のための一つの指針となれば、と想っての試論です。 

日本で初めてのこのテーマに、ささやかなチャレンジをいたします。

5周年の節目に相応しい、
故〔ふる〕きを温めて新しきを知る〔温故而知新〕」を実現するものにしたい、
と思っております。

皆さまには、宜しくお誘いあわせの上ご参加くださいますよう。
(ご来聴できない方は、後日のレジュメをお楽しみ下さい。)


真儒協会会長    高根 秀人年


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謹賀辛卯年 (その3)

※この記事は、謹賀辛卯年 (その2) の続きです。


《 歴史にみる辛・卯年 ・・・ 大津事件 》

干支、つまり十干と十二支の組み合わせで暦を作りましたから、
60年を経て同じ干支になります(10と12の最小公倍数/還暦)。

従って、60年ごとに日本史を遡〔さかのぼ〕れば、
「辛・卯年」の有り様がわかります。

直近の60年前の辛・卯年は、1951(S.26)年。
戦後の復興・混乱期です。

共産主義の跋扈〔ばっこ〕、レッド・パージ〔 Red purge 1950.6.〜〕、
サンフランシスコ講和会議(1951.9./対48カ国)、
日米安全保障条約(1951.9.) など。

さらに、60年遡ると、1891(M.24)年。
この年の有名な大事件「大津事件」について、お話ししたいと思います。

1891(M.24)年5月、シベリア鉄道起工式列席の途次に、
来日中のロシア皇太子ニコライ
(*後の日露戦争〔1904.2−1905.9〕時のロシア皇帝ニコライ2世)が、
滋賀県大津で護衛の巡査・津田三蔵に切り付けられました。

政府(首相・松方正義)は、「皇室に対する罪」を適用して
津田の死刑を主張しました。

強国ロシアとの戦争を恐れたからです。

これに対し、大審院長・児島惟謙〔こじまこれかね/いけん〕 は、
法の公正な適用を主張して無期刑としました。

児島は、これは行政権から司法権の独立を守ったものであると主張しました。
── 当時の日・露の力関係、緊張関係を推測するにつけても、
実に、胆識ある人物ではあります。

ところで、私は児島惟謙を幼少の砌〔みぎり〕から周知していて、
懐かしく思い起こしています。

と言いますのも、児島惟謙は、私の郷里愛媛県宇和島市が生んだ偉人だからです。

母校の小学校講堂に、大きな写真が飾ってあったのを記憶しています。

今でも、“城山”の昇り口に立派な銅像が建っていて、
この正月の帰省の折にも明治辛・卯年に想いを馳せつつ、眺めてきたところです。

なお、私は現在まで長く、大阪府吹田市に居住しておりますが、
児島惟謙は、ここ地元にあります“関西大学”の創立者でもあります。

そいうことで、不思議と縁深いものがあります。

さて、この大津事件裁判を想うにつけても。
 “明治”の時代は、政界にも法曹界にも、才徳と誇り〔プライド〕があり、
精神も人材も豊かな時代であった
、と改めて思います。

明治以来のわが国の“法治主義”も、日増しにその弊害が顕わになり、
その行き詰まり甚だしいものがあります。

米国占領下で(事実上米国によって)作られた、「日本国憲法」や「教育基本法」をはじめ
基本“法”そのものに問題があります。

一例を挙げてみますと。
「日本国憲法」では、“他力本願”の非現実的平和論、
中庸を欠く個人の人権偏重(義務不在、権利主張一辺倒)。

国家100年の大計たる「教育基本法」も、
何をどうしたらよいか全くわからない抽象的でお題目のような文言の羅列、
道徳(儒学の“仁”)・忠誠(赤き心)・孝(家族の情)といった
日本精神の“本〔もと: =根幹・根柢〕”を欠如したものです。

まことに、この偏り・歪み恥ずべきものです。

これらが、現代日本の、
個(人の都合・勝手)が闊歩〔かっぽ〕する現代大衆社会”の風潮を助長しているのです。

が、しかし、何より人間そのものが問題です。
才徳と誇りある、見識・胆識のある人材がいなくなりました

死刑冤罪、特捜(検事)不祥事、安易な陪審員制度の導入 ・・・ ひどいものです。 注3)

法(礼)は道徳(仁)のベースの上にあらねばなりません
トップ(長)は、“君子 = 徳の人”でなければなりません。

平和時の“国の教え”が、儒学です。

日本が、真に平和国家を続け、平和に成熟した社会を志向するのであれば、
忘れ去られようとしている“徳治主義”を取り戻さなければなりません

 
注3)
年頭所感として、時事的思い一言を加えて記しておきましょう。

大阪地検特捜部・元主任検事による証拠改ざんを隠した疑いで
前部長と元副部長を「犯人隠匿罪」で・・・云々(‘10.10)。

この時の、某新聞のコラム評に
「一人の愚か者が、池に投げ込んだ石を、多くの賢人でも見つける事は難しい」とあり、
信頼回復の困難さが述べられていました。

私が思いますに。このコメントは、不祥事を一人の愚か者によるものとし、
他は賢人と言っています。

しかし、賢人の中に愚か者が偶々〔たまたま〕混じっていたのではなく、
賢人と思っていたのが実は愚人であったのではないでしょうか。

あれこれ、氷山の一角にすぎず、
法曹界も 佞人〔ねいじん〕・小人〔しょうじん〕で満ちています。

 また、陪審員制度の導入も、裏を返せば、
シロウトを安易に巻き込むほどに現場の専門家がいい加減であるということでしょう。

責任を逃れる発想ではなく、まず、自身が “襟を正し” 
法曹界の専門家であるはずの人達の判断を “まとも” なものにするのが当然の事でしょう。

 かかる、精神も人材も振るわない、わが国の当世“法治主義”・法曹界の有り様を、
易卦に擬〔なぞら〕えてみますと。 
  

─── (以下、高根・前掲書 No.18 引用)
http://blog.livedoor.jp/jugaku_net/archives/50754546.html 

【山風蠱〔さんぷうこ〕】 すなわち。 【蠱】 は、事(事故)。
皿の上に虫が3匹(木皿の中の虫)、酸欠・カビ状態、無風状態、“身から出た錆”。

■ 下卦 巽風、上卦 艮山。
   1) 山の下の風。動くべき巽風が艮止〔ストップ〕されて、ふさがっている象。
      (風がストップするとモノは腐る)
   2) 巽の臭気あるモノが、艮の箱の中に止められている形。腐敗。
   3) 大女(巽:中年)が、若い青年を追っている象。
      年少の男性の心の内(下卦)に年上の女性が伏入(巽)し、
      艮男が惑って(巽)いる象。  
   4) 乱れが極限にまで達して、新しいものがおこる意。
 
○ 大象伝 ;
「山下に風あるは蠱なり。君子以て民を振〔すく〕い徳を育〔やしな〕う。」

(艮山の下に巽風があり、風は山に阻まれて流れない象。また、事ある時でもあることを示す象です。
君子は、この事ある時の象にのっとって、清新の気をもって万民の心を振るい起こし〔巽徳〕、
心気一転させ、自分自身の徳を養い育てる〔艮徳〕ように努めるのです。)

※ 「君子以振民育徳」 ⇒ “風〔ふう〕をおこすは吏と師”(by.高根)
 


《 「暑」 ─── “寒”そして“温” 》

 ところで、昨年 平成22年の世相をあらわす文字(漢字)は「」でした。
(一昨年は「新」、その前は「変」) 

人間社会から自然環境に世相の関心の重点が移った感もあります・・・



※ この続きは、次の記事(謹賀辛卯年 その4)をご覧下さい。。
   (・・・/「暑」・“寒”・“温” )


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謹賀辛卯年 (その2)

※この記事は、謹賀辛卯年 (その1) の続きです。


 一昨年8月、「坤」・陰の閉塞感を破って、歴史的政権交代が実現し、
民主党・鳩山内閣による政治がスタ−トしました。

高い支持率、世論の期待を担っての華々〔はなばな〕しいスタートでした。

昨年はその本格的展開(“正念場”?)で、政権の真価が問われる年でした。

私は昨年、「【无妄】卦の深意に学び慮〔おもんばか〕り、
天意(民意?)に逆らって天罰てきめんとならぬように」 と、
このメルマガで書きました(昨年“儒灯”・「謹賀庚寅年」参照のこと)。
http://blog.livedoor.jp/jugaku_net/archives/50941530.html

残念ながら、“幾〔き〕”をみて危惧〔きぐ〕したとうりに推移しました。

鳩山内閣(鳩山・小沢体制)は退陣し、菅内閣に交代しました。

その菅内閣も本年組閣し直してなお、
現今〔いま〕支持率は惨たる低位(20%をキル)を示しています。

本年、立春を経て政情を慮〔おもんばか〕りますに。
大過の卦が明らかに示しているように、
菅総理(内閣)にとって荷が重すぎます。責任が重すぎます。

その重みに耐えかねて、「棟撓み」軋〔きし〕みの悲鳴をあげています

(鳩山政権と)菅政権というより、与党・民主党そのものにとって
任〔にん〕重すぎて”、“道遠すぎる”ということです。

このことは自明として、かつての日本の与党・自民党の現状においても
似たようなものです。いわんや、他の野党においてをやです。

とうとう、“日本”の「棟木」となり「大黒柱」となる為政者が
見当たらなくなりました。

優れて善き指導者(リーダー)を持てぬ国民ほど、憐れなものはありません。

大衆民主社会のもと、その責は(主権の存する)国民自身にあります。

有徳君子の善き指導者を遠き慮〔おもんばかり〕して育成しなければなりません。

 また、卦といえば、新年早々の菅内閣の組閣人事での、
与謝野馨氏の経済政策担当大臣就任(‘11.1)に対して、
メディアが(その変節についても)大きく取り沙汰しています。

というのも、元々自民党で財務相を務めていましたが、
新党「たちあがれ日本」を立ち上げました。(‘10.4.10) 

そして今回の、民主党内閣での大臣就任です。注2)

与謝野氏は、明治期の文学者 与謝野晶子・鉄幹夫妻のお孫さんにあたります。
私は、今近々、“地域エリア”の授業で
大阪府堺市出身の与謝野晶子の文芸を教えていますので、
尚更に関心を持っている次第です。

【節】=節操・志節・節義・・・は、担がれるものにも問われますが、
担ぎあげた菅総理、そして民主党、そもそも為政者そのものに問われるべき現状です。

現今〔いま〕、「節」は「恥」と共に地に堕〔お〕ちて忘れられた感があります。

 さて、更に、今年の九性・「七赤金性」を易学の八卦〔はっか/はっけ =小成卦〕でいうと、
「兌〔だ〕」です。

64卦(=大成卦/重卦)では、【兌為沢〔だいたく〕】が相当します。

 「兌」の象意〔しょうい〕を考えながら、
具体的活学の一例を政界の動きと現状に求めてみましょう。


1) 兌は、社交・交流。
  
  まず、国内的に中央政府のいい加減さ、中央と地方の正常な交流が課題です。
  
  大阪都構想・中部都の構想など、“わけのわからぬもの”が
  “ひょいひょい”と出てきております。
  地方の反乱、独自勝手の動きがますます活発になってまいります。

  外交に関しても、中・露・朝・米に対する“宥和政策”の限度を超えた
  軟弱外交・懺悔外交のツケは目に余るものとなってまいりました
  日本の内外の社交・交流状況は、末期的状況です。

  そして、それと認識出来ない国民が実に多いことがその重篤さを示しています。
  ── 為政者(指導者/リーダー)に“時中”(時じく中す)が全く欠けている、
  そんな為政者を市民・国民が選ぶが故だと考えます。

2) 兌沢は、沢〔さわ〕・小川ですので、
  水のように潤し、水の流れのように軽やかに如才なく課題を処理したいもの。

  中央政界では、政界再編成への動きも活発化するでしょう。
  国会は“ねじれ”状態にあり、
  与党・民主党は野党との対立の調整は不可欠です。

  菅VS小沢の対立もあり、そもそも民主党内部の調整が出来ていません。

3) 兌は口=演説(弁舌)=講習。
  
  4月には統一地方選挙です。
  菅内閣、“有言実行”を唱え“支持率 1%になってもやる!”との言。
  (何を言い、何をやろうというのでしょうか?) 
  “口先だけ”の総理・内閣・政党 ・・・すぐに退陣やむなしでしょう。

  加えて、鳩山・元総理の 舌禍〔ぜっか〕”もいまだに相変わらず報じられています。
  今時の政治家は、大臣・総理でも 『孝経』一つ学修していないのではないでしょか?

  “有言実行”・“口先だけ”・“舌禍”の語で、久々に思い起こしました。

  『孝経』に、「択言択行」が説かれています。
 
  卿大夫章第4 : 「口に択言なく、身に択行無し
              言〔こと〕 天下に満ちて口過なく、
              行い 天下に満ちて怨悪無し。」

  《口から発する(公の)言葉は、(全部が善き言で)
  ピック・アップ〔拾い出す/よりわける〕すべきいい加減な悪言・雑言がなく、
  自身の行いも、ピック・アップするような不徳・不道なる
  自分勝手な行いをしないように。
  (そうすれば、人の長たる者や大臣が、)言葉をどれだけ世の中全体に広く使おうとも、
  口過=舌禍 :口舌による過失〕 事件が起きることもないし、
  何をどれだけ世の中全体に広く行おうとも、
  人々(市民・国民)から怨み憎まれることはないのです。》

  また、『易経』・「兌為沢」では、 

  大象伝 : 「麗沢〔りたく :麗は附くの意〕は兌なり。君子以て朋友講習す。」 

  《沢が2つ並んでいるのが兌の卦です。
  お互い和悦の心を持って、潤し益し合うのです。
  このように、君子は、朋友とお互いに講習し〔勉学にいそしみ〕
  潤沢し合って向上し合うように心がけねばなりません。》

4) 兌=金(貨幣)=経済、西方金運です。

  わが国経済界は、不況脱出に向けて変則的・変動的対応が必要です。
  国際的にもグローバル化(グローバリズム:米を中心とする世界の経済的交流)が
  進展してくるでしょう。

5) 兌=笑い・悦びの意味ですが、見通しは暗いようです。

  本来【兌為沢】は、“笑う少女”の象ですが、多くの男性は苦笑いのようです。


注2)
TV. 番組(‘11.1.23 「サンデーM))で、この与謝野氏“変節”をめぐって、
明治維新期の、福沢諭吉による勝海舟の批判を取り上げていました。

(明治期の与謝野晶子・鉄幹夫妻のお孫さんにあたるとはいえ)
与謝野馨氏と勝海舟を単純に重ねダブらせるのは、
その安易いかがなものかとは思います。
が、ちょうどよい機会ですので、一言記しておきます。

幕臣・勝海舟は、“西郷 VS 勝 会談” で
江戸無血開城を実現したことで知られるように、
滅びゆく徳川幕府の終〔しま〕いを善くするように活躍した偉人です。

更に、明治政府樹立後も、海軍卿・外務大丞〔だいじょう〕・枢密顧問官などの
新政府要職を歴任します。

そして、旧幕臣たちの身が立つように尽力するのです。
(ex.静岡への8万人移住、茶の栽培)

この勝の転身を、当時の思想・言論界のホープ福沢諭吉が厳しく批判します。

己が立身出世をはかり節義がない、
よろしく(やせ我慢して)身を引くのが日本人(武士)の美徳ではないのか?と。

福沢は、『瘠我慢〔やせがまん〕の説』を著し、
それを公表する前に、書簡にて勝にその旨を質〔ただ〕します。

それに対する勝の返事は、次のようなものでした。

「行蔵〔こうぞう〕は我に存す。 
毀誉〔きよ〕は他人の主張 我に与〔あず〕からず我に関せず 
と存候〔ぞんじそうろう〕。」

《出所進退は、(信念にもとづいて)自分で決めます。
(それへの)評価は、他人が勝手にすればよいので、おいらの知ったことじゃナイ 
と考えております。》

さて、確かに幕臣では、勝海舟ばかりが陽の目を見て、
日本史の表舞台に立っています。

幕臣の功労者として、“幕末の三舟〔さんしゅう〕”
すなわち 勝海舟〔かいしゅう〕・山岡鉄舟〔てっしゅう〕・高橋泥舟〔でいしゅう〕
が挙げられます。

高橋泥舟(鉄舟の義兄)は、出所進退明白で、
武士として美しく生き慶喜公と共に“蔵〔かく〕れ”引退します。

その功績もリーダーとしての器量も大なるものがあったにもかかわらず、
他の2人ほどの歴史的評価を受けていません。

故・安岡正篤先生は、その著『日本精神の研究』(「国士の風〔三〕」)の中で、
この高橋泥舟を、歴史に隠れた真のリーダー・“美徳の人”として、
高く評価され深く敬慕されています。

西郷隆盛が“徳のかった君子タイプ”と評されるの対して、
勝海舟は“才のかった小人〔しょうじん〕タイプ”と評されます。

私は、才たけて世渡り上手の勝には、ある種の“ずるさ”を感じます。

思い想いますに、出所進退(行蔵:行くか、蔵〔かく〕れるか)は
人間の価値〔ねうち〕を決める要〔かなめ:モメント〕です

安岡先生は、
「我々は行蔵に対して人格の命ずる決定的要求を節義という。
故に節義は士に取って至上命令である。
日本精神を論ずる時、この方面はどうしても閑却することが出来ない。
まして今物質文明の爛熟、人心の頽廃と共に
人間の行蔵の甚だしく紊乱〔びんらん〕している時、
節義のいずくにも奮うべきもののない時、
これを論ずることは切実なる内訟〔=自責〕を
人間に與〔あた〕うるものではあるまいか
。」(前掲書)
と述べられています。

時移り平成の現在、
各界指導者(リーダー)の道徳観はまったく地に堕ち、
出所進退の紊乱〔びんらん〕・節義のなさ、
さらに甚だしいものがあります。

なお、先のメディアが触れていなかった(抜かしていた)ことを
2点補っておきます。

1) 福沢は、榎本武揚〔えのもとたけあき〕にも同様の書簡を送ります。
  海軍奉行・榎本は、最後まで箱館“五稜郭〔ごりょうかく〕”
  新政府軍と戦います。 が、転身。
  駐露公使として樺太・千島交換条約(1875)を締結し、
  以後明治政府の海軍卿、逓信〔ていしん〕・文部・外務大臣などを歴任します。
  それに対する榎本の返事は、「公務多忙につき、今は返事が書けません」 でした。

2) 福沢は、勝からの返事を受け取って
  『瘠我慢の説』の出版を見送っています。
  勝の死後に、自分の死の直前の明治34年になって、
  『丁丑〔ていちゅう〕公論』(西郷擁護論)と共に発刊するのです。
  これは、勝に敬意を表してのことなのでしょう。
  才人、才人のこころを知る、でしょう。

─── 以上にざっと述べましたことは、今の学校教育では、
(おそらく)聞いたことがなかった“物語”ではなかったでしょうか。


※ この続きは、次の記事(謹賀辛卯年 その3)をご覧下さい。。
   (・・・ 大津事件・児島惟謙/「暑」・“寒”・“温” )


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謹賀辛卯年 (その1)

謹 賀 辛 卯 年 〔謹んで辛卯年を賀します〕

 ── 辛・卯・七赤金性/【沢風大過】・【水沢節】卦/「兌・沢」/
“幕末の三舟”/大津事件・児島惟謙/「暑」・“寒”・“温”  ───


《 はじめに ・・・ 干支について 》

 明けて平成23年(2011)。 新年を皆様と迎えますこと、大慶でございます。

 今年の干支〔えと/かんし〕は、(ウサギではなく)「辛・卯〔かのと・う/しん・ぼう〕です

干支は、十干〔じっかん〕(天干)と十二支(地支)です。
この、10 と 12 の組み合わせで、60 干支〔かんし〕の暦を作っていました。

 そして、十二支「卯」は、動物の「兎」とは専門的には直接関係ありません。
が、動物のイメージ・連想は、人口に膾炙〔かいしゃ〕しています。
干支を「今年のエトは、ウサギで ・・・ 」とメディアが薄々軽々と報じているところです。

また、干支は旧暦(太陰太陽暦:我国で明治維新期まで用いられました)ですから、
年始は 2月4日(立春)からで、2月3日(節分)までは、
まだ「庚・寅〔かのえ・とら/こう・いん〕」です。

これらのことを確認しておきまして、これから干支「辛・卯」年のお話をして、
私の年頭所感としたいと思います。


《 辛・卯 & 七赤金性の深意 》

 さて、今年の干支 「辛・卯」には、どのような深意があり、
どのように方向づけるとよいのでしょうか。

 十干の「辛〔かのと=金の弟/しん〕」は、“つらい”・“からい”の辛です。

陰陽五行思想による陰の金性で、昨年の陽の金性「庚〔かのえ=金の兄/こう〕」を受けています。

 「辛」の文字は、「ジョウ(上)」と「干(もとめ・冒す)」と「一(陽)」を組み合わせたもの、
上に向かって求め冒すの意です。

また、殺傷を伴うの意もあります。

従って、昨年の「庚」の業績をしっかり継承して、断々固として更新してゆかねば、
つらい目・からい目に遭遇する ゾ、ということです。 注1)

 十二支の「卯〔う・ぼう〕」は「冒」に同じ、
「茆〔かや/ぼう〕」・「チョ〔ちがや〕」に同じで、
“いばら・かや”という文字です。

これらのパワフルな雑草が繁茂し手に負えないこと、
従って「茂」に通じます。── 陽気の衝動です。

「卯」の中央の2本のタテ棒は門柱、
両サイドは閉じてあった扉を開いた形です。

扉の内側の世界は、未開の荒れ地、草木が茂り、
そこから“”も飛び出してきたかも知れませんね。

 以上のことから、「辛・卯」の干支組み合わせの今年は、
昨年をよくよく踏まえ(踏襲し)て、筋道正しく(敢然として)“陽”に活動して、
困難を善きに転じてゆかねばならないということです。

※(以上は、安岡正篤氏干支学によりました。 
  『干支新話(安岡正篤先生講録)』・関西師友協会刊 参照)

ちなみに、「辛・卯」は、「しん・ぼう」の発音ですので、
音霊〔おとだま〕として“辛抱する”〔忍耐・我慢する〕・“心法”の「シンボウ」にかけて、
頑張る年にしたいと思っています。

 また、九性(星)気学で今年は、「七赤〔しちせき〕金性」にあたります。

陰陽五行思想で、陽の「六白金性」に対して陰の金性です。

洗練された貴金属(アクセサリー)、紳士淑女をイメージするとわかり易いでしょう。

 「七赤金性(星)」は、悦び・経済(お貨幣〔かね〕)・おしゃべり(演説)・
実りの秋〔とき〕・恋愛・潤沢など、悲喜交々〔こもごも〕な現象を表すとされています。

また、社交の星であることから、「遊び星」とも呼ばれています。
色彩豊かに章〔あや〕を為し、柔軟性・順応性に富む年、とされています。

注1)
ちなみに、朝日新聞と産経新聞の「新」の字は、へんの横棒が二本です。
これが元字・本字で、「辛(労力)」+「木」+「斤(斧)」を組み合わせたものです。
つまり、斧で木を切り、工夫・労力をかけて何かを創っていくのが
「新」の文字の意味です。



《 干支・九性の易学的考察/ 【沢風大過】&【水沢節】卦・「兌・沢」 》

 次に(やや専門的になりますが)、今年の干支・九性を
易の64卦になおして(翻訳して)解釈・検討してみたいと思います。

 昨年の干支、庚・寅は【天雷无妄〔てんらいむぼう/むもう〕】
(‘10.2月“儒灯”参照のこと 
http://blog.livedoor.jp/jugaku_net/archives/50941530.html ) 

今年の辛・卯は、沢風大過】卦となります。
(以下、高根 「『易経』64卦奥義・要説版」/
 第14・15回〔上経〕 第18・19回〔下経〕 
 定例講習:「易経」 No.28、60 ほか参照のこと
http://blog.livedoor.jp/jugaku_net/archives/cat_10027389.html


【大過】 は、大(=陽)が過ぎるの意です。 
「過」は“不及”の反対、 過食・過飲・過労・過色 ・・・・ 。

草木を養育すべき水沢が、大いに過ぎて滅失させます(水も多すぎると植物を腐らせます)。
すなわち、本来良いものも 過ぎるとダメということ =「中庸です。

互卦〔ごか=含まれているもの、可能性〕は、全陽の【乾為天】にて剛にして健の意です。

『易経』に「棟撓〔むなぎたわ〕む」(卦辞)とあります。

棟木は屋根を支える横木です。
「顛〔くつが〕えるなり」(雑卦伝)ともあります。
(国)家、まさに倒壊の危機です!

 『論語』(先進第11)にも、「過ぎたるは猶〔なお〕、及ばざるが如し」とあります。

孔子門下随一の大器量人・子貢〔しこう〕が、子張と子夏〔しか〕を較べて
どちらが賢〔まさ〕っているかを孔子に尋ねた一節です。

「過」と「不及」と、どちらがまだ良い(マシ)か? ということです。

私感するに、子貢は、賢者の「過」はまだ良しとの思惑であったかと思います。
それに対して、孔子は「過不及」なく中庸を得るのを善し、として答えています。

しかしながら、孔子の心中を深く慮〔おもんばか〕ってみますと、
「不及」(=陰)をもってまだ良しとしていたのではないでしょうか。

以下、私の「『易経』64卦奥義・要説版」から、
【大過】卦の象のポイントと特に為政者(指導者・リーダー)の立場にある
皆さまのために大象伝の引用・解説を抜粋しておきましょう。

■ 下卦 巽風、上卦 兌沢。
   1) 似坎〔にせかん〕にて、坎の洪流・氾濫の憂い。/
      水中に風木の象にて洪水や沈没。
   2) 棟撓む象。棟(2・3・4・5爻の4陽)が強すぎて、
      両端の柱(初・上爻の2爻)弱く下に曲がる。 
      下卦巽木、上卦兌は倒巽で木。
      巽は長い・調えるで4陽強剛で棟の象。/
      大坎の似象で、坎には棟の象あり。撓むも坎の象(凹む)。/
      巽は曲がる、兌は毀折から撓むの象。
   ※  2陰4陽の卦は15卦あるが、大過は陽4つの爻が中央に結集していて過大。
   3) 君子栄えて小人衰えている象。 
      下卦巽は順う、上卦兌は和らぎ悦ぶ。
      2爻・5爻は陽爻にて剛強・中庸の徳。
   4) 巽木が兌沢の下に埋もれて、腐ってゆく象。
   5) 巽の船が、兌沢の中に沈没した象。
   6) “常山の蛇の如き象”(白蛾) ・・・「常山の蛇その首を撃てば則ち尾至り、
      その尾を撃てば則ち首至り、その中を撃てば首尾共に至る也」
      (『孫子』九地篇)
      ・・・上・下に口あり、中は全て陽で剛強。

○ 大象伝 ;
「沢の木を滅すは大過なり。君子以て独立して懼れず
 世を遯〔のが〕れて悶〔うれ〕うることなし。」

(兌沢の下〔中〕に巽木が沈んでいるのが大過の卦です。
本来、木を養育する水も、大いに過ぎれば木を〔腐らせて〕滅ぼしてしまいます。
君子は、この象にのっとって、
リーダーの立場にあれば、人に過ぎたる行いをするように心掛ける。〕
危急存亡の時、〔濁世にあっても、洪水のような非常事態にあっても〕 
毅然として自主独立して、恐れ動揺することなく、
また世を遯〔のが〕れ隠れて憂悶〔ゆうもん: うれい・もだえる〕することもないのです。)
 ※ 「独立不懼」  cf.「独立自尊」(福沢諭吉)


 次に、今年の辛・卯/【沢風大過】卦の先天卦をみてみますと、水沢節】卦となります。
【節】は、“たけかんむり”が示すように竹のふしの意です。

 節目〔ふしめ〕、節度・節制・節操、志節・志操、ダム ・・・ 。
「止まるなり」(雑卦伝)とあります。

物事、ホド〔程〕良く節すれば亨〔とお〕るものです。

 某・教派神道の訓えで、“節から芽が出る”ということを強調しています。
例えば、竹のふし、ハスの地下茎のふし、などがそれです。

なるほど、とその洞察に感じ入っています。
尤〔もっと〕も、竹が腐るのも“ふし”からと考えることもできますが ・・・。

 手紙・書簡のことを「雁書〔がんしょ〕」・「雁の使」といいます。

その由来の故事、蘇武〔そぶ〕の“節”、「蘇武、節を持す」
(司馬光・『資治通鑑〔しじつがん〕』/曾先之・『十八史略』/『漢書』蘇武伝)は、
漢文学習で有名なものです。

わが国の中島敦〔あつし〕の名作 「李陵〔りりょう〕」でも有名ですね。

これらの古典名作と共に、この故事、この節操・節義そのものも忘れ去られつつあります。

 
 この【水沢節】卦の象意を、私の前掲書から解説・引用しておきますと。

■ 下卦が兌で、上卦が坎水。坎は水で通ずる。兌は止水で止める。
   竹は、中は空で通じているが止まるところがある。

   沢上に水をたたえた象。(※ ── 水は涸れれば【困】となり、
   溢れれば【大過】となる。水を調節するダムの作用が【節】 )

○ 大象伝 :
「沢上に水あるは節なり。君子以て数度を制し、徳行を議す。」

(下卦兌沢に程よく上卦坎の水が蓄えられ、ダムのように調整されて
安泰な象が節です。このように、君子〔人君・リーダー〕は、
もろもろの事柄に制度や規則を定め、人倫の節を説き示し、
人〔人臣〕の才知力量・徳や行いを協議〔し任用〕する
のです。)

 

以上に述べました、辛・卯/【沢風大過】&【水沢節】卦の活学一例を、
政界の動きと現状に求めてみましょう。

一昨年8月、「坤」・陰の閉塞感を破って、歴史的政権交代が実現し、
民主党・鳩山内閣による政治がスタ−トしました。

高い支持率、世論の期待を担っての・・・


※ この続きは、次の記事(謹賀辛卯年 その2)をご覧下さい。。
   (・・・/“幕末の三舟”/ 大津事件・児島惟謙/「暑」・“寒”・“温” )


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