儒灯

【温故知新】儒学の普及に力を注いでおります真儒協会 会長、高根秀人年の個人ブログです。 『論語』、『易経』を中心に、経書の言葉を活学して紹介して参ります。 私個人の自由随筆、研究発表などのほか、真儒協会が毎月行っております定例講習についても掲載しております。

2011年09月

むかしの中国から学ぶ 第2講 「易占と易学」 (その4)

(こちらは、前のブログ記事の続きです。)


《 3.易学/易のしくみ(理〔ことわり〕) 》


 A.八卦・八象  


 ( ※ 「先天八卦」 変 「後天八卦」 原理図 ── 略 ── )

 八卦〔はっか/はっけ〕・八象〔はっしょう〕

image_20110605_6

 

★ 「八卦」・「八」 の言葉      
“あたるも八卦、あたらぬも八卦”/“ハッケヨイ!ハッケヨイ!”/
“八卦見”=易者/“八俣〔やまた〕のおろち”/“大八島国”(『古事記』)/
“口八丁、手八丁”/“八百万〔やおよろず〕”/“八百屋〔やおや〕” ・・・


1.乾  【けん/】 (六白金性/星) : 
    父、全陽、剛健〔ドラゴン〕・虎・駿馬。


2.兌  【だ/】  (七赤金性/星) : 
    少女、悦楽、角の長い動物・羊(象形から)

     ・ 流水「坎」の下をふさいでせき止めた象。
     ・ 陰が2陽の上に乗って悦んでいる象(肩車)。
     ・ 兌の字義 ・・・口を開いて顔にシワがある形から。
     ・ 口の意、口を開いて男心をそそる意。
                cf.「天沢履」=“女子裸身の象


3.離  【り/】  (九紫火性/星) : 
    中女、明智、蛍・雉・孔雀・かに・・・

     ・ 乾の中爻に1陰の太陽が麗〔つ〕く、
       南天に沖する太陽とも1陰を太陽の黒点ともとる。
     ・ 中虚(中爻の陰)からビン・鳥の巣、陰を柔として亀・かに・貝など
         cf.「風沢中孚」=大離で “まこと、タマゴ”


4.震  【しん/】 (三碧木性/星) : 
    長男、振動小龍・仔馬・音の出るもの(携帯電話・インターネット)・・・。

     ・ 1陽が2陰におさえられ怒気を発する(雷)、
       発奮の気・春雷、早春の2陰の冷たさを払い除こうと躍動する。


5.巽  【そん/】 (四緑木性/星) : 
    長(大)女、伏入、蛇・豚・蝶・トンボ・・・。
     ・ 乾の天に1陰が伏入(巽〔たつみ〕風)、寒気は陰で重いから下から入ってくる。
     ・ 画象は、座卓・和机・木製ベット・・・。


6.坎  【かん/】 (一白水性/星) : 
    中(次)男、陥険・鼠・魚・・・。
     ・ 字は「土を欠く」 。 
     ・ 坤地に1陽の水が流れている。
         cf.算木画象 → タテ「川」の字、「水」の字?(by 高根)
     ・ 土が欠けている象を穴、1陽が2陰に挟まれている象からも陥る。


7.艮  【ごん/】 (八白土性/星) : 
    少年(男)、停止(ストップ)、犬・鹿・昆虫。
     ・画象は、大地(坤地)にそびえる山脈の尾根の象。 山、カベ。
     ・股を開いた象。
         cf. 「地山謙」=“男子裸身の象


8.坤  【こん/】 (二黒土性/星) : 
    母、全陰、柔順(牝)牛・豹・猫・・・。


 B.易経 64 卦   (by たかね)

☆☆ 易の仕組み ☆☆
 「易に太極 (たいぎょく) あり。 これ両儀 (りょうぎ) を生ず。 
  両儀は四象 (ししょう) を生じ、四象は八卦 (はっか) を生ず。」
    (繋辞伝) 

 ( ※ 説明図 ── 略 ── )

 ( ※ 易占六十四卦・一覧 / 『易経』・【乾為天】本文 ── 略 ── )


 C.卦の解釈  

 ── 卦の考察・解釈・判断 ──

 ○ 「それで、町のいわゆる易占家というものは、
  易というものをまことに簡単に取り扱いますけれども、
  これは実は非常に難しいものである。
  というのは、人間というものは難しいものであり、
  したがって人生というものは難しいものですから、
  それに応じて、易というものはやはりちゃんと具体的・理論的に
  よくできておるものなんです。」         

 ○ 「ですから、すくなくとも本卦、互卦、綜卦、錯卦、之卦の
  この五つをみなければ、本当の易にならんというぐらい厄介な ── 
  厄介というよりも周到、到れり尽くせりの理法を含んでいるんです。」 
    (安岡正篤・『易とは何か』 p.128,pp.131〜132)


 ■ 爻(こう)の知識理解

  ・ 初爻/二爻/三爻/四爻/五爻/上爻〔初六(しょりく)・初九(しょきゅう)/
   六二(りくじ)・九二(きゅうじ)/六三(りくさん)・九三(きゅうさん)/
   六四(りくし)・九四(きゅうし)/六五(りくご)・九五(きゅうご)/
   上六(じょうりく)・上九(じょうきゅう)〕

    ※ 陰の数は6(六・りく)、2+4=6 。
       陽の数は9(九・きゅう)、1+3+5=9。

  ・ 貴賤の位/ 爻の定位〔正位・不正位〕/ 中〔中正・不中〕/ 
   応(爻)と比(爻)/ 承と乗 ・・・・・

    ex.── 63 「水火既済」 ☵☲ と 64 ☲☵ 「火水未済」


 ■ 時・時の流れ(卦・爻とも)

  ・ 時間─四次元的発想、変化=変易─無常

    ( ※ 以下、今回は 略 )



《 4.易占 ・ 立筮〔りつぜ〕 の実際 》


☆ 略筮  (三変)/中筮(六変)/元乃筮〔げんのぜい〕(四変)/本筮(十八変)

    cf.梅花心易(邵康節〔しょうこうせつ〕)

 ( ※ 略筮の実演披露 )


image_20110605_7



《 §.むすびにかえて 》


・ 干支〔かんし/えと〕の易学的考察 
     *(詳しくは、高根ブログ 【儒灯】 「 謹賀辛卯年 」参照のこと)
       http://blog.livedoor.jp/jugaku_net/archives/51184930.html


  干支 = 十干 & 十二支
  今年の干支を易の64卦になおして(翻訳して)解釈・検討 :
  平成23年度干支 = 辛・卯〔かのと・う〕 → 【沢風大過】 (沢と風)


・ 【沢風大過】 : 
  【大過】 は、大(=陽)が過ぎるの意です。 
  「過」は“不及”の反対、過食・過飲・過労・過色 ・・・・ 。
  草木を養育すべき水沢が、大いに過ぎて滅失させます
  (水も多すぎると植物を腐らせます)。
  すなわち、本来良いものも 過ぎるとダメということ =「中庸です。
  互卦〔ごか=含まれているもの、可能性〕は、
  全陽の【乾為天】にて剛にして健の意です。
  『易経』に「棟撓〔むなぎたわ〕む」(卦辞)とあります。
  棟木は屋根を支える横木です。
  「顛〔くつが〕えるなり」(雑卦伝)ともあります。
  (国)家、まさに倒壊の危機です!

    cf.大(=陽)は、太陽 ・ 原子力(福島第一原子力発電所事故 ’11.3.11〜)

・ 先天卦 → 【水沢節】 (水と沢) : 【節】=節操・志節・節義
  現今〔いま〕、「節」は「恥」と共に地に堕〔お〕ちて忘れられた感があります。


( 以 上 )



(この続き、第3講 「 陰陽相対(待) 」 は次のブログ記事に掲載しております。)


「儒学に学ぶ」ホームページはこちら
http://jugaku.net/

メールマガジンのご登録はこちら


にほんブログ村 哲学・思想ブログ 儒教・儒学へ

にほんブログ村

むかしの中国から学ぶ 第2講 「易占と易学」 (その3)

(こちらは、前のブログ記事の続きです。)


《 2.むかしの中国の思想 》 
: 易の思想的基盤・背景 (東洋源流思想) 


 A. 大〔太〕極 (たいきょく、=「皇極」) 

   ──易の根本・創造的概念、宇宙の根源、万物の起源、
     神〈自然〉の摂理〔せつり〕

・ 陰陽以前の統体  ──  
   1) 「無」(晋の韓康伯)、
   2) 「陰陽変化の理」(朱子)、
   3) 「陰陽分かれぬ混合体」(清の王夫之) 
      参考:『荘子』北極星の意


ビッグバン(=特異点)/ヒモ宇宙/ブラックホール/
道/無/分子─原子─陽子/
ウルマテリー〔原物質・原子極〕(原子物理学、独・ハイゼンベルグ等)/
神ありき ・・・
「天(之)御中主神・〔あめのみなかぬしのかみ〕」(神道・〔しんとう〕)/
易神 = 造物主


☆ 太極マーク (図示略)       
    陰陽に分かれるモトの状態を表しています 

☆ 韓国国旗(大極旗・テグキ) (図示略)
    中央に対極マーク、四方に易の四象
    (4つの易象、天・地、水・火)を配置しています

  ※ 参考──万物の根源  《 タマゴが先かニワトリが先か? 》


・ 科学 ── ビッグバン〔137億年前〕 (宇宙物理学)、
     ウルマテリー(原子物理学)・・・極微の世界(ミクロコスミック)において
     大極が発見されようとしている。
     天文学的研究(マクロコスミック)においては未だ大極に至ってはいない。

・ 宗教 ── 神話、聖典 ・・・ etc.

・ 儒学=易 ・・・ 「太極」 / 道教(老荘) ・・・「無」 / 
          仏教 ・・・「空(くう)」

○ 「無極にして大極」 (近思録) ・・・ 朱子は 大極 = 有 と考える

○ 「是の故に易に太極あり。是れ両儀を生ず。両儀四象を生じ、四象八卦を生ず。
  八卦吉凶を定め、吉凶大業(たいぎょう)を生ず。」 (繋辞上傳)

○ 「太初(たいしょ)に言(ことば)あり、言は神と共にあり」 (旧約聖書)

○ 「天地(あめつち)初めて発(ひら)けし時、
  高天原(たかまのはら)に成れる神の名は、
  天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、
  次に高御産巣日神(たかみむすひのかみ)、
  次に、神産巣日神(かむむすひのかみ)。」  (古事記・冒頭)

○ 「道は一を生じ、一は二を生ず。」 (老子) ・・・ 道は無と考える


易(の中に潜む)  神 “シン”
   = 天地の神、人格神的なものではなく神秘的な作用の意  

    ※参考─汎神論(はんしんろん)


○ 「陰陽測(はか)られざるをこれ神(しん)と謂う。」
  「故に神は方(ほう)なくして易は体(てい)なし。」 (繋辞上伝)

○ 「※鬼神を敬して之を遠ざく。」 (論語・雍也) 
    ※鬼神=死者の霊魂や人間離れした力
        


 B. 天の思想 と 天人合一観  : (大宇宙マクロコスムと小宇宙ミクロコスム) 

● 中国思想・儒学思想の背景観念、 天=大=頂上

・ 形而上の概念/モノを作り出すはたらき/「造化」の根源/
 “声なき声、形なき形” を知る者とそうでない者

 」〔しん ・・・・ 不可思議で説明できぬものの意
              天 = 宇宙 = 根源 = 神

    cf.「 0 」(ゼロ・レイ)の発見・認識、 「無物無尽蔵」(禅)、
        松下幸之助氏の“根源さん”(社〔やしろ〕の中は?)

・ 敬天/上帝/天(天帝)の崇拝/ト〔ぼく〕占(亀ト)/
 天人一如〔てんじんいちにょ〕/天と空〔そら〕

・ 崇祖(祖先の霊を崇拝)/“礼”の尊重

太陽信仰 ・・・・ アジアの語源 asu 〔アズ〕 =日の出づるところ
   ── ユーロープの語源 ereb 〔エレブ〕 =
          日のない日ざしの薄いところ“おてんとう様”、
          “天晴〔あっぱれ〕”、天照大御神 

ex. 天命・天国・天罰・天誅・天道・天寿・北京の「天壇」 
    「敬天愛人」(西郷隆盛)、「四知」(天知るー地知るー我知るーおまえ知る)
    「天地玄黄」(千字文) ・・→ 地黄玄黒


○ 「天行は健なり、君子以て自強して息〔や〕まず」 (『易経』 乾為天・大象)
  ─── “龍(ドラゴン)天に舞う”

○ 「五十にして天命を知る」 孔子の “知命” (『論語』)

○ 「の我を亡ぼすにして戦いの罪にあらず・・・」 (『史記』・「四面楚歌」)


◎ 天賦人権論〔てんぷじんけんろん〕
   「は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず・・・」 
       (福沢諭吉・『学問のすすめ』)

◎ 易性革命〔えきせいかくめい〕
   「天子の姓を易〔か〕え天命を革〔あらた〕める」
        ・・・ 天命は天の徳によって革る
            革命思想・孟子


 C. 陰陽相対〔相待〕論 (陰陽二元論) 

  ・・・ 易学に由来する。 易は、陰陽 の理法。
      明治期以降、陰陽(五行)説を軽視 ・・→  復権 

   ─── 以下、この部分は、[ 第3講 ] にて扱います


 D. 変化の思想 (易の三義【六義】) ) :  〔 Principle(Classic) of Changes 〕

  《 ある朝、グレゴール・ザムザがなにか気がかりな夢から目をさますと、
    自分が寝床の中で一匹の巨大な毒虫に変っているのを発見した。
    彼は鎧のように固い背を下にして、仰向けに横たわっていた。 》

          Franz Kafka  Die Verwandlung,1916 (カフカ・『変身』)


“易” = 変化  Change  “蜴”(カメレオン) 
 
“ The Book of Changes ”  (変化の書・『易経』)


※ 2008.12 世相を表す文字 「変」 (2007「偽」)
  2009.1 「変革」をとなえて、オバマ新米大統領登場・就任
    cf. 漢字検定協会・理事長父子 逮捕!


1)。  「 変易 」  ・・・ か〔易〕わる           

 易の名称そのものが変易の意義をもつ、生成変化の道、 
 天地自然は大いな る変化、変易。 自然と人生は大いなる「化」

  ex.── 季節・昆虫の変態・無常/お化け(女性の化粧)/
        “大化の改新”(645)

  ◎「結局最後に生き残る者は、最も強い者でも最も賢い者でもない。
    それは変化し続ける者である
。 」     (チャールズ・ダーウイン)

  ex.── (一かけらの石=隕石 の衝突により)強大な恐竜は絶滅し、
         弱小な哺乳類が栄えている)

 ・ イノベーション=「革新」

 ・ 「日新」: 「湯の盤の銘に曰わく、苟〔まこと〕に、日に新た、
        日々に新たに、又日に新たならんと。」  (『大学』) 
           cf.“日進月歩”

 ・ 「維新」: 「詩に曰わく、周は舊〔旧〕邦なりといへども、
        その命、維〔こ〕れ新たなり。」 (『大学』、詩=『詩経』・大雅文王篇)

    ex. ── “松下電器”、五坪の町工場から従業員一万人・売り上げ一千億に進化発展
        ・ 松下幸之助氏の「変易」
          (変革・イノベーション、テレビブラウン管技術の輸入)と「不易」なるもの

        cf.“Panasonic パナソニック”: 一万五千人 人員削減(半分国内)、
                 ソニー:一万六千人、NEC:二万人 (09・2/4)

 ・ 革命」 (Revolution) と 「進化」 (Evolution)


2)。  「 不易 」  ・・・ 不レ易・かわらぬもの

 変化の根柢に不変・永遠がある、不変の真理・法則の探求、 “千古不易”、
 “千古不変”、“真理不変”、“一〔いつ〕なるもの”、“永遠なるもの” 
 変わらぬ物の価値、 目立たぬが確かな存在

 ・ 自然界の法則 & 人間界の徳(仁)、芸術の世界での「美」 ── 本質的なもの

  ex.── “ 不易〔フエキ〕  糊〔のり〕”: 
            「硼酸〔ほうさん〕またはサルチル酸のような防腐剤と香料とを入れて
             長く保存できるようにした糊」 (広辞苑)
        “パーマ” 〔 parmanent  wave 〕
        “(日清)チキンラーメン”: 1958年誕生、ロングヒット商品、
             カップメン、カップヌードルの発明
 
 □「化成」: 変化してやまない中に、変化の原理・原則を探求し、
        それに基づいて人間が意識的・自主的・積極的に変化してゆく。 
        クリエーション(創造)

  ex.── 「三菱化成」(化学合成ではない)=「化し成す」(「離」卦)


 ※ 参考  ── 変わらぬもの
  ◎ “松に古今の色なし
  ○ 「松樹千年翠〔みどり〕 不入時人意(時の人の心に入らず)」
    「松柏〔しょうはく〕千年青」 (『広燈録』など)
  ○ 「子曰く、歳〔とし〕寒うして然る後松柏の彫〔しぼ〕むに後るるを知る。」 
         松柏 = まつとかや = 君子の節操  (『論語』子罕第九)
  ○ 「 ── 難いかな恒〔つね〕有ること 」 (述而第七)


3)。  「 簡易 」  〔かんえき・かんい〕 ・・・
        (中国流で易簡、 Purity ピュアリティー / Simplity シンプリティー)

 変化には複雑な混乱ということがない。平易簡明、無理がない

  ex. ─── “簡易郵便局”、“簡易保険”、“簡易裁判所” 

  ※参考 ── 茶道 “ Simple is beste ” シンプル・イズ・ベスト

  ○ 「自然は単純を愛す」 (コペルニクス)
  ○ 「自然は常に単純であり、何らの自家撞着〔じかどうちゃく〕をも持たない」
       (ニュートン)
  ○ 「真理は単純なり」 : 道元は中国から何も持ち帰らなかった。
        目はヨコに鼻はタテに附いているとの認識を新たにしてきた。
        (あたりまえのことを、当たり前と認識する)


4)。  「 神秘 」  ・・・・ 
         易は「イ」、「夷〔えびす・イ〕」に通じ、感覚を超越した神秘的なものの意。
         自然界の妙用「神秘」、奇異。

 ◎ 「希夷」の雅号 ・・・ 聞けども聞こえず見れども見えず(五官・五感をこえて)、
              それでいて厳然として微妙に、神秘に、存在するもの。


5)。  「 伸びる 」  ・・・・ 易〔の〕ぶ、延・信

 造化、天地万物の創造、進化でどこまでも続く、伸びる、発展するの意。

 ○ 「悪の易〔の〕ぶるや、火の原を焼くが如く ・・・」


6)。  「 治める 」  ・・・・ 修 ・ 整

 天地の道を観て、人間の道を治めるのが易。

 ○ 「世を易〔か・変〕えず」 ── 「世を易〔おさ・治〕めず」と読むと良い。
    (「乾」・文言伝 初九)


image_20110605_5


 E.「中(ちゅう)」の思想  : (『中庸』・中道・中徳・中の説…中の学問・弁証法)

■ 《 中庸 入門 》    ( by 『易経』事始 )

‘ (I am the sun god, Apollo. )
Think of the responsibility I have ! 
The skies and the earth must receive their share of heat. 
If the chariot goes too high, the heavenly homes will burn. 
If it goes too low, the earth will be set on fire.
I can not take either of these roads. 
There must be some balance.
This is true of life, itself. 
The middle course is the safest and best. ’
              〔 Phaёthon “ Popular Greek Myths”〕

《大意》
「(私は、太陽の神・アポロである。)
私が担っている責任の重さを想ってもみよ! 
天と地には、それぞれ相応の熱を与え得ねばならぬのだ。
もし、(太陽の2輪)馬車の運行する道筋があまり高すぎれば、
天の御殿が燃えてしまうだろう。
低きにすぎれば地上は火事となるだろう。
私は、そういう(2つの極端な)道をとるわけにはいかぬのだ。 
それなりのバランスというものをはからねばならぬのだ。 
このことは、人生そのものにも当てはまる。 
中庸の道こそが最も安全で、また善き道なのだ。
           〔 パエトン・『ギリシア神話』 〕


○ 「そこで、この陰陽相対性理法によってものごとの進化というものが行われるのですが、
  この無限の進化を『中』という。だから易は陰、陽、中の理法であり学問である。」  
   (『易とはなにか』、安岡正篤)

○ 「中行にして咎无(とがな)し」 (『易経』・夬九五)

○ 「子日く、中庸の徳たる、其れ至れるかな。民鮮(すく)なきこと久し。」
   (『論語』・雍也第6)

(中庸ということの道徳としての価値は、最高のものであるなあ。
しかしながら世が末世になって、中庸の徳の鮮ないことはもう久しいことだなあ。)


・ 易は、「 中=むすび 」である。 
  易の最も重視するものが “時中(時に中す)” = 中道に合致すること。
   ※ 時中=中節

・ 東洋の儒教、仏教、老荘─(道教) ・・・は、すべて中論   

・ 西洋の弁証法(論理学の正・反・合) ── 
   ヘーゲル弁証法、アウフヘーベン(止揚・揚棄)


● 中=「むすび(産霊)」 ・ 天地万物を生成すること   

   ○ 「天地因ウン〔いんうん〕として、万物化醇す。
    男女精を構(あ)わせて〔構=媾精〕,万物化生す。
    易に曰く、三人いけば一人を損す。
    一人行けば其の友を得、と。致一なるを言うなり。」 (繋辞下伝)

   (天地も男女も二つ〔ペアー〕であればこそ一つにまとまり得るとの意)

  ※参考 ・・・ 日本の「国学」、神道(しんとう)、随神(かんながら)の道 
     ── 天御中主神 〔あめのみなかぬしのかみ〕;天の中心的存在の主宰神

   
● 中=なか・あたる、「ホド(程)」、ホドホド…あんばい(塩梅・按配)する、
  良いあんばい、調整、いい加減=良い加減=中道・中庸、 
  中庸は天秤〔てんびん〕=バランス=状況によって動く

    ♪“ホドの良いのにほだされて…”(「お座敷小唄」) 
    “千と千尋の神隠し”の「中道」行き電車、
    “ヴントの中庸説”、 入浴の温度、 飲み物(茶・酒)の湯加減、 
    スポーツ競技での複数審査員の合算評点法 ・・・ etc.

 1) 静的(スタティック・真ん中)なものではなく、動的(カイネティック、ダイナミック)

 2) 両方の矛盾を統一して、一段高いところへ進む過程、無限の進化

   例 ─「中国」、「中華」、「黄中」、
      「心中〔しんじゅう、心・中す、=情死〕、「折中

   ※ 参考 ─“中(なか、あたり)”さん〔人名〕、大学・中学・小学、「中学」は違う!



 ◎ 中庸参考図 (棒ばかり)
 

image_20110605_4



(この続きは、次のブログ記事に掲載しております。)


「儒学に学ぶ」ホームページはこちら
http://jugaku.net/

メールマガジンのご登録はこちら


にほんブログ村 哲学・思想ブログ 儒教・儒学へ

にほんブログ村


むかしの中国から学ぶ 第2講 「易占と易学」 (その2)

(こちらは、前のブログ記事の続きです。)


《 1.易とは何か? 》

「易」の語の誤解・誤用

  ・命学     【九性気学/四柱推命 ・・・ 】
  ・相学     【家相/手相/姓名学 ・・・ 】 
  ★卜〔ぼく〕学 【易学・周易】 
  ・心理学    【心理鑑定】


「易」の字義

1. 日月(にちげつ)説 … 日と月、下の字(脚)は勿で月ではない
     参考 ── 明、“冐” 〔ボウ、ボク、マイ、おか・す〕

2. 蜥易(せきえき)説 …「蜴」(とかげ)、トカゲ〔蜥蜴・石竜子〕は変化する 
     参考 ── カメレオン、ヒラメ、カレイ (蝪─トウ、つちぐも)


易〈占〉・易学・易経・周易

── 君子の学・帝王学/約3,500年程前の中国/儒学の経書(四書五経)/
変化の学(トカゲ)〔ザ・ブック・オブ・チェインジズ/ ドクトリン・オブ・チェインジズ、 
クラッシック・オブ・チェインジズ〕/
東洋思想の源流/イメージ(右脳思考)/
“占” と “思想・哲学” の両面/超心理学/ユング心理学 

『易経』は ・・・千古不易の書、東洋の偉大な英知の集積、経書 ── 「温故知新」

「易学」は ・・・行き詰まるということがない、クリエート、非常に難しい、楽しい、
          適切な本が少ない、独学が困難で入門が大切
          中年以降から学ぶに良い (「五十易を学べば ・・・・ 」


 ※ 参考  

○ 「易は永遠の真理であり、人間の最も貴重な実践哲学といってもよろしい。
 ところがたいへん難しい。手ほどきが大事であります。
 その手ほどきも、変な手ほどきをされるとうかばれない。正しい手ほどきがいる。」
  (安岡正篤) 

 
○ 「神(シン)にしてこれを明にするは、其の人に存す。
 黙してこれを成し、言わずして信なるは、徳行に存す。」
 (『繋辞上傳』)

 〔易の神秘にして明察な効用を十分に発揮させ得るかどうかは、
 一にかかって利用者の人格如何に在る。
 もし徳行の優れた人ならば、易が教えを垂れずとも、
 おのずと卦の説く徳が心中に形を成すだろうし(=黙而成之)、
 易の占いによるお告げを待たずして、
 その人の直感はぴたりと易の理に符号するものである。
 (清の王夫之) ──本田 斉 訳〕 

 → 易が中(あ)たるためには、その人に徳が必要である


○ 「易の書たるや遠くすべからず。」  (『繋辞下傳』八)  
 〔易の書物としての本質は、人生日用から遠いものとしてはならない〕


◆ 「先天八卦」 と 「後天八卦」 : 易理・八卦の象意を示す図、易と五行の数理

  ─── 河図(かと)【竜馬】と洛書(らくしょ)【神亀】───
  ─── 伏羲(ふつぎ)八卦と文王八卦 ───


・ 「河図洛書」

 ○ 「河は図(と)を出(いだ)し、洛は書を出す、聖人これに則る。」
   (繋辞上傳) 

 ○ 「子曰、鳳鳥至らず、河、図を出さず。吾れ已(や)んぬるかな。」
   (論語・子罕篇)

 ○ 「古者(いにしえ)包犠〔伏羲氏の天下に王たるや、
  仰いでは象を天に観、俯しては法を地に観、鳥獣の文と地の宜(ぎ)とを観、
  近くはこれを物に取り、是に於て始めて八卦を作り、
  以て神明の徳を通じ、以て万物の情を類す。」 
   (繋辞下傳)


   (龍馬/神亀 イラスト 略 )


   河図 略】   円=天  方=地  


   洛書方陣・十五方陣 
           
         image_20110605_2


・ 「先天八卦図」

 ○ 「天地位を定め、山沢気を通じ、雷風相い薄(せま)り、
  水火相い射(いと)わずして八卦相い錯(まじ)わる。」 (説卦傳)


・ 「後天八卦図」

 ○ 「万物は震に出ず。震は東方なり。巽に斉(ととの)う。
  巽は東南なり。斉うとは万物の?斉するを言うなり。
  離は明なり。万物皆相い見る。南方の卦なり。
  聖人南面して天下に聴き、明に響(むか)いて治むるは、
  蓋し、これをここに取れるなり。
  坤とは地なり。万物皆養を致す。故に坤に致役すと曰う。
  兌は正秋なり。万物の説(よろこ)ぶところなり。
  故に兌に説言(えつげん)すに曰う。
  乾に戦うとは、乾は西方の卦なり、陰陽相い薄(せま)るを言うなり。
  坎とは水なり。正北方の卦なり。労卦なり。
  万物の帰するところなり。故に坎に労すと曰う。
  艮は東北の卦なり。万物の終りを成すところにして
  始めを成すところなり。故に艮に成言すと曰う。」 (説卦傳)


 『易経』  = 「易経本文」 & 「十翼」 → 『易経』 の二重性

“ What is the science of divination ? ”
 〔易学:占の科学〕


“ What is The Book of Changes ?”
 〔易経:変化の書〕


 I・CHING ” ── 易(経)の二重性 を考える  ( by.高根 )


 「易」・「易占」といえば、本来、古代中国の英知として大成された
「易学(周易・易経)」のことです。
が、巷間〔ちまた〕では、運命学や占法全般を指す場合がほんどです。

「易(易学)をやっている」と言うと、
「観てちょうだい」と両の手を広げて差し出す・・・という場面は、
私も幾度となく体験したところです。

 誤用のことばの使い方でも、それが多数を占め市民権を得れば、
本来の語と併用の語として(社会的・国語的に)認知されます。

(逆に、用いられない ことばの用法は、
辞書の中にのみある“死語”となってゆきます。)


 私たちは、“易・易学”の語を、本来の用法である
『易経』・「周易」を指すものとして用います。

易(経)は、東洋の源流思想であり、儒学経書(五経)の筆頭、
帝王(リーダー)の学です

私は、“東洋のバイブル”が 『論語』なら、
“東洋の奇(跡)書”と呼びたく思っております


・ Pointo  (内容・本質) 
     ──  易占 (易筮〔えきぜ〕) & 思想・哲学 (義理易)

「易道は深し、人は三聖を易〔か〕へ、世は三古を経たり。」
(『漢書』・芸文志)

※伏犠〔ふつぎ〕・文王─周公旦・孔子 ・・・ 4(3) 聖人

“ 伏犠が卦を画し、文王が彖〔たん〕を作り、
周公が爻の辞をかけ、孔子が十翼を著した。” ( 通説 )

古〔いにしえ〕の聖人が原型をつくり、
多くの(孔子門下の)賢人が肉付けし(「十翼」)、
多くの年月を経て『易経』として完成したと、(私には)思われます。 

占筮書(ト・ぼく学)から「経書〔けいしょ〕」(思想・哲学 → 義理易)への
融合・止揚〔アウフヘーベン・中す〕がなされました。 

“機にして妙なる”体系の書物の完成です。


  cf. 全体医療 ・・・ 精神と肉体、分離は西洋流・統合は東洋流。

         「泰」・「否」卦 ・・・“健全なる精神、健全なる肉体に宿る”・
                 “  ───  宿らぬ”の象。


・ Pointo  (形式・方法)
     ── 辞〔じ〕 と 象〔しょう〕 :

「書は言を尽くさず、言は意を尽くさず。」(繋辞上伝) ですので、
それ(64卦・384爻)を ものごとを象〔かたど〕る“〔しょう〕”と、
解説する言葉 “”とによって深意・奥義を表示しています

 ・ 辞 ・・・ 「言霊」〔ことだま〕(文字・文章)の体系、左脳・右脳
         ※ 「数霊」〔かずたま〕、「色霊」〔いろたま〕

 ・ 象 ・・・ イマジネーション、右脳(的思考)

 cf. 1)右脳と左脳(的思考)
    2)象と辞の一体化 ・・・『易経』本文は、象と辞が一体化した“物語”
    3)象占〔しょうせん:漢易〕 と 辞占〔じせん:宋易〕
    【3易聖】 ・・・ 新井白蛾(象) 「古易館」・『古易断』 /
              真勢中州(象) 「復古童」/ 高島呑象(辞) 『高島易断』
    【現代易】 ・・・ 加藤大岳(辞占の中に象も観る)


・ Pointo  (構成内容)
     ─── 易経本文 と 十翼〔じゅうよく〕

 ・ 易経本文 ・・・易哲学の物語    ・十翼 ・・・易学思想


さらに「易経本文」に、孔子及びその門下の数多が(永年にわたって)著わした
「十翼」(10の解説・参考書)が合体します。

辞と象の、さらに易本文と十翼の融合合体が、
『易経』の真面目〔しんめんもく〕であり 
“奇書”の“奇書”たるゆえん
でありましょう。

『易経』の真義を修めることにより、個々人から国家社会のレベルにいたるまで、
兆し” ・ “
” を読み取り、生々・円通自在に変化に対応できるのです。


 
十翼 〔じゅうよく〕 とは

・ 古代中国の学者達の手による、儒家の易(「易経」本文)についての
 10の解釈(解説・参考)書のこと。
 儒学の経典・経書となります。( “四書五経” )

・ 「易経」本文と十翼を合わせて経書・『易経』となります。
  ( 五経の筆頭 )
 占筮と思想・哲学の二面性を持つ“東洋の《奇書》”の誕生です。

・ 象辞を文王・周公の作とすることから、
 十翼を孔子の作とするのは当然の妙案ではありますが、非学的です。
 孔子及びその門下の数多が、永年にわったって著わしたと考えられます

・ 「伝」とは衍義〔えんぎ〕・解説の意です。 


image_20110605_3



(この続きは、次のブログ記事に掲載しております。)


「儒学に学ぶ」ホームページはこちら
http://jugaku.net/

メールマガジンのご登録はこちら


にほんブログ村 哲学・思想ブログ 儒教・儒学へ

にほんブログ村


むかしの中国から学ぶ 第2講 「易占と易学」 (その1)

●吹田市立博物館・講演 『 むかしの中国から学ぶ /【全6講】 』

【第2講】 §.「 易占 と 易学 」    (‘11.6.5 )


cover_20110605


《§. 元 〔はじめ〕 に 》 

◆ 真儒協会/定例講習・「老子」の紹介 ── 抜粋 

 儒学と老荘(黄老・道家)思想は、東洋思想の二大潮流であり、
その二面性・二属性を形成する
ものです。

国家・社会のレベルでも、個人のレベルでも、
儒学的人間像と老荘的人間像の2面性・2属性があります。

また、そうあらなければなりません。

東洋の学問を深め つきつめてゆきますと、
行きつくところのものが、 “易”と“老子” です。 ── 

ある種の、憧憬〔あこがれ・しょうけい〕の学びの世界 です。

東洋思想の泰斗・安岡正篤先生も、次のように表現されておられます。

「東洋の学問を学んでだんだん深くなって参りますと、
どうしても易と老子を学びたくなる、と言うよりは
学ばぬものがない
と言うのが本当のようであります。

又そういう専門的な問題を別にしても、
人生を自分から考えるようになった人々は、
読めると読めないにかかわらず、
易や老子に憧憬〔しょうけい〕を持つ のであります。」

( 安岡正篤・『活学としての東洋思想』所収「老子と現代」 p.88引用 )


 このたび(2010)、真儒協会/定例講習・「孝経」の講座を修了し、
「老子」を開講することとなりました。

担当講師の私(高根)は、50代にして、
『論語』・『易経』に『老子』をあわせて講じることに、
教育者としての矜恃〔きょうじ〕を新たにしているところです。

── 『論語』の中に、孔子の温故而知新
(故〔ふる/古〕きを温〔あたた/たず・ねて〕めて新しきを知れば、以て師となるべし)
の名言があります。

新たなる研究成果も踏まえながら、
20世紀初頭、「平成」の現代(日本)の“光”をあてながら、
“易学”と“対話”してまいりたいと思います。

故〔ふる〕くて新しい 『易学』 を活学してまいりたいと思います。


image_20110605_1



 『易経』 64卦 奥義の序

   乾・坤にはじまり 既済・未済に至る
     龍〔ドラゴン〕にはじまり 小狐に終る

 『易経』 〔“The Book of Changes”〕 は、
万物の変化とその対応の学。

東洋の源流思想であり、儒学経書(五経)の筆頭であり、
帝王(リーダー)の学です。

“東洋のバイブル”が 『論語』なら、
東洋の奇(跡)書
と呼びたく思っております。


 『易経』は、世界と人間(人生)の千変万化を、
“ 64卦(384爻)”のシチュエーション〔 situations 〕
(シーン〔 scenes 〕) にしたものです。

 「書は言を尽くさず、言は意を尽くさず。」(繋辞上伝) ですので、
それ(64卦・384爻)を ものごとを象〔かたど〕る“象〔しょう〕”と、
解説する言葉 “辞”とによって深意・奥義を表示しています。


 さらに「易経本文」に、孔子及びその門下の数多が(永年にわたって)著わした
「十翼」(10の解説・参考書)が合体します。

辞と象の、さらに易本文と十翼の融合合体が、
『易経』の真面目〔しんめんもく〕であり 
“奇書”の“奇書”たるゆえん
でありましょう。


 『易経』の真義を修めることにより、
個々人から国家社会のレベルにいたるまで、
“兆し”・“幾”を読み取り、生々・円通自在に変化に対応できるのです。

 21世紀を迎え、“未来に向かって足早に後ずさりしている” 現在こそ、
東洋3000〜2000年の英知のリナシメント〔再生・復活〕 が必要なときです。

                     ( 高根 秀人年 2009 )


「上・下経 64卦によって理論的・実践的に、
我々が無限の進歩向上の原理原則を把握することができる。」

「この『易経』をみますと、前編つまり上経30卦は、
その創造・進化の主として原理を明らかにしたものということができる。

それに対する後編、下経34卦は、
これは前編の創造・進化の原理をやや人間的に、人間界に適用して ── 
前編を天事を主とすれば、後編のほうはもっぱらこれを人事に応用したもので、
前編と後編とで天人統一、天人相関を明らかにしたものということができます。」

          ( 安岡正篤 『 易と健康(上)  易とはなにか 』)




(この続きは、次のブログ記事に掲載しております。)


「儒学に学ぶ」ホームページはこちら
http://jugaku.net/

メールマガジンのご登録はこちら


にほんブログ村 哲学・思想ブログ 儒教・儒学へ

にほんブログ村

むかしの中国から学ぶ 第1講 「孔子と論語」 (その3)

(こちらは、前のブログ記事の続きです。)


2. 論 語 

■ 孔子とその弟子の言行録 /応神天皇 16年、王仁〔ワニ〕 によって伝えられる
10巻20篇。 / 『孝経』 とともに 大学の必修 / 
“綸語” ・ “輪語” ・ ☆ “円珠経” ・ “宇宙第一の書” / 
“論語読みの論語知らず” ・ “犬に論語” /
孔子75代嫡長孫 「孔祥楷」 氏、77代 「孔徳成」 氏


cf.世界史レベルでのベストセラーは? 【 聖書 と 論語 】、
   第2は? 【 老子 】

※ イスラーム文化圏では 『コーラン』 が多、童話では 『ピノキオ』 が多、
  最近では 『ハリー・ポッター』 (4億冊あまり) が多 ・・・



《 冒頭 ・ 「小論語」 》


○「子曰く、学びて時に之を習う、亦〔また〕説〔よろこ〕ばしからずや。
朋〔とも〕あり、遠方より来る(朋の遠方より来る有り)、亦楽しからずや。 
人知らずして?〔うら〕みず、亦君子ならずや。
」   (学而・第1)

“ The Master said, To learn and at due times 
to repeat what one has learnt, 
is that not after all a pleasure ? ・・・ ”

《 大意 》
 孔先生がおっしゃいました。
「(先人のおしえを) 学び、時機に応じて (折にふれて/機会あるごとに)
おさらいして自分のものにしていく、何と喜ばしいことだねエ。 
(道友・学友) が遠方からやって来る、何と楽しいことだねエ。 
他人〔ひと〕 が自分の学問 ・ 価値を認めてくれなくても不平不満を抱かない、
何と君子〔できた立派な人物〕 ではないか」 と。


・「子」 ・・・ 男子への敬称、先生。〜子/子〜子。 『論語』 では孔子のこと。
         『論語』 に登場する “〜子” は、曾子ほかほんの数名にすぎません。

・「 ・・・ 人間形成 ・ 人格完成の学。 徳をみがく根本の学。 聖賢の学。 
         ⇒ 今の教育は、「学」 の内容そのものに欠陥があります。

・「時習 ・・・ 『論語』 の冒頭から非常にむつかしい言葉です。
         結論的に言えば、「時に之を習う」 では訳せないので
         「時一習ス」 とそのまま読むのが善いです。

・「之」 ・・・ “学んだことがら” を指します。

・「朋」 ・・・ 同じ学問 ・ 道を志す “学友” ・ “道友” 。
         ( cf. 「どんな朋でしょうか?」 の質問に 「心やさしい友達」 と答えた生徒がいました。
          ちなみに、いまどきの造語として “タダトモ” に倣って
          “ガクトモ” ・ “ミチトモ” もアリ?!)

・「君子」 ・・・ 有徳の人、人格の完成した人。
          また、そのようにあろうと努力している立派な人。
          ⇔ 小人〔しょうじん〕  =ジェントルマン、士〔もののふ〕

・「人不知而不慍」 ・・・ 孔子の人生を踏まえて味わうと重く深いものがあります。
              孔子の生涯は不遇であり、儒家の教えは当時認められず 
              “負け組” であったのです。
              この説は次のように解釈できます。 ── 
              徳をみがき(内面の) 人格を高めた人が君子です。
              内面が確立しているので、他人の理解や評価に流されないで、
              感情を制御〔コントロール〕 できるのです。
              善く出来た人 ・ 人格者は、他人の軽薄な評価や
              いい加減な社会的評価に動かされることはないのです。

・「学而」 ・・・ 『論語』 の20の章分けは、
          便宜的に最初の 2文字をもって名称としています。

・「不亦 ── 乎 ・・・ 「なんと〜ではないか」 と詠嘆を表しlます。



※ 『論語』の文言に由来して名付けられた、日本史上の著名人 ?

(1)【 伊藤 博文 】 (2)【 山県 有朋 】 (3)【 広田 弘毅 〔こうき〕 】 (4)【       】

(1)    “博文約礼”= 「 博〔ひろ〕 く文を学び、之を約するに礼を以てすれば、
            亦以て畔〔そむ〕 かざるべきか。」 (雍也・第6)

(3) 「曾子曰く、士は以て弘毅ならざるべからず。仁以て己の任となる。
    亦〔また〕 重からずや。 死して後已〔や〕 む。 亦遠からずや。」 (泰伯第8)
  ⇒ “志人仁人” / cf.広田弘毅 首相・外相 (A級戦犯として文官中ただ一人死刑となる)



3.孔子の弟子たち 

          *(配布資料 : “孔子の弟子” ダイジェストB4プリント1枚)

○ 「弟子は蓋〔けだ〕 し 三千。 身、六芸に通ずる者 七十二。」
   (司馬遷・『史記』/孔子世家)

十大弟子〔ていし〕” / 孔門の “十哲” / “四科十哲


孟子(軻) −−−  [ 亜聖 ]

曾子(参) −−−  [ 宗聖 ]

孔子〔丘〕 −−−  [ 至聖 ]

顔子〔回・淵〕−−− [ 復聖 ]

子思(子) −−−  [ 述聖 ]


★ 孔子の後継
1. 【 忠恕派 ・ 仁の重視 】 : 曾子 ── 子思 ── 孟子
2. 【 礼学派 ・ 礼の重視 】 : 子游/子夏 ── 荀子 ・・・ (法家)李斯/韓非子
        (*子游は “礼の精神” を重んじ、子夏は “礼の形式” を重んじた )




■ 孔子の弟子たち ──  1.顔回 

 顔子 ・ 顔回。 は名、 は字。 孔門随一の俊才 ・ 偉才で 徳の人です
(後、「復聖」 と尊称されます) が、惜しくも早世(32か42歳)。
20代の頃から髪がまっ白であったといわれています。 
顔回は、孔子が自ら後継ぎと託した偉大なる愛弟子〔まなでし〕だったのです。  
※ 孔子との年齢差 「30」才



1)あたかも愚物の如し ( 「如愚」 ) ・・・ 孔子の顔回への初印象。

・「子曰く、吾回と言うこと終日、違〔たが〕 わざること愚の如し。
 退いて其の私〔わたくし/し〕 を省みれば、亦以て発するに足れり。
 回や愚ならず。」  (為政・第2−9)

《大意》
  わしは、回と一日中(学問上の)話をしたが、
 (全く従順で)意見の相違も反問することもなく、
 まるで何もわからない愚か者のようであった。
 だが、回が退出した後に、くつろいだ私生活を観てみると、
 わしが話し教えた道理をしっかりと行いの上に発揮(活か)することができておる。
 〔大いに啓発するに足るものがある。〕
 回は愚かではないよ。


2)「箪食瓢飲 〔たんし ひょういん〕 」 ・・・ 孔子の顔回賛美

・「子曰く、賢なるかな回や。一箪〔いったん〕の食〔し〕
 一瓢〔いっぴょう〕 の飲〔いん〕、 陋巷〔ろうこう〕 に在り。
 人は其の憂いに堪えず。 回や其の楽しみを改めず。 賢なるかな回や。」 
  (擁也・第6−11)

《大意》
  回は、ほんとうにえらい〔賢い〕ものだね。
 食べるものといったら竹のわりご一杯のごはん、
 飲むものといったら ひさご一杯の飲み物、
 住む所といったらむさくるしい狭い路地暮らしだ。
 普通の者ならそんな貧乏の憂い〔辛さ〕にたえられないだろうに。
 回は、そんな生活の中でも、心に真の道を楽しむことを変えようとしない。
 〔この修養の高さはとうてい他人の及ぶところではないね。〕
 まったくえらい〔賢い〕ものだね、回は!

 ※ 「賢哉回也・・・ 回也賢哉 というところを語の位置を変えています (倒置)。
            孔子が大いに賛美していることがうかがえます。
 ※ 「食」 ・・・・・ 動詞の場合は「ショク」、 名詞の場合は 「シ」 と読みます

 cf.「シカゴ大学にクリールという教授がおる。 
     ・・・・・・ 然しこの人には顔回がわからない。
     『顔回はあまりにも貧乏であったために、自ずから万事控え目になり、
     引っ込み思案になったのだ』 と言い、
     最後には 『少し馬鹿だったのではなかろうか』 とまで疑うておるのでありますが、
     とんだ誤解です。一寸〔ちょっと〕 以外な浅解です。 」 (安岡正篤・『論語に学ぶ』)



■ 孔子の弟子たち ──  2.曾子 


 曾参〔そうしん〕、姓は曾、名は参。字は子輿〔しよ〕。
弟子の中で最年少で孔子より46歳若い。(孔子の没時27歳) 
70歳過ぎまで生きて、孔子学統の後継者となります。
孝経』 ・ (『曾子』 ・ 『大学』)の著者としても知られます。
「宗聖」 と尊称されます。

 私には、顔回を亡くし、長子鯉〔り〕 を亡くし、
絶望の淵にある孔子と儒学のために光明のごとく天がつかわした
(=Gift) のように思われます。

孔子の愛孫、「子思」 を薫育します。
地味な人柄ですが、文言を味わい味わうにつけても、有徳魅力ある人物です。

 『論語』 の門人で、いつも 「子」 をつけて呼ばれるのは曾子だけです。
(有子 ・ 冉子〔ぜんし〕 ・ 閔子〔びんし〕 は、字〔あざな〕 でも呼ばれています。)



1) あたかもなるが如し ── 第一印象

○「柴〔さい〕 や愚、参や魯、師や辟〔へき〕、由〔ゆう〕 やガン〔がん〕。」 
  (先進 ・ 第11−18)

《大意》
 柴(子羔 / しこう) は愚か〔馬鹿正直〕 で、参 (曾子) は血のめぐりが悪く、
 師(子張) は偏って中正を欠き、由(子路) は粗暴 ・ がさつだ。

 ※  = 遅鈍、魯鈍の語がありますが、
   血のめぐりが悪い ・ にぶい ・ “トロイ” と言った感じです。
   「愚」 も 「魯」 も、味わいのある語で日本語に訳せません。
   孔子は、4人の4短所は学業修養によって癒え正せる、
   それを期待して指摘 ・ 表現したのでしょう。


2)「吾日三省吾身」 ── 三省の深意

○「曾子曰く、吾〔われ〕 日に吾が身を三省す
 人のために謀りて忠ならざるか。朋友と交わりて信ならざるか。
 *伝えて習わざるか(習わざるを伝うるか)。」
  (学而・第1ー4)

《大意》
 曾先生がおっしゃいました。
 「私は、毎日何度もわが身について反省します。
 人のために考え計って、真心を持って出来なかったのではないだろうか。
 友達と交際して、誠実でなかったのではないだろうか。
 (先生から) 伝えられたことをよく習熟しなかったのではないだろうか。
 (あるいは、よく習熟しないことを人に教えたのではないか。) と反省してみます。」

 ※「吾日三省吾身」 :
 ・「三省
    (1)みたび吾が身を省みる
        ( 三 = たびたびの意 / 二たびではダメですか ・ 四たびではダメですか!) 
    (2)以下の三つのことについて反省するの意 〔新注〕

 ・「
    (1)かえりみる、反省する
    (2)はぶく (かえりみることによって、よくはぶける)

   cf.政治も教育も、「省く」 ことが大切です。
      が、現状は、「冗」 ・ 「擾〔じょう〕」。
       (分散、駁雑〔ばくざつ〕) ばかりで、
       (統合、収斂〔しゅうれん〕) がなく、
      偏倚駁雑 〔かたよりごたまぜ〕 です。

   ex.文部科学などの「省」、「三省堂」の由来



■ 孔子の弟子たち ──  3. 子路 

 私は、孔子(と弟子) の言行録である 『論語』 が、優れた一面として、
文学性 ・ 物語性をも持っていると考えています。
(優れた歴史書 『史記』 もまた文学性 ・ 物語性 ・ 思想性を持っています。)

 そういう意味での 『論語』 を、人間味(情味) 豊かに飾るものが、子路の存在です。
『論語』 での登場回数も子路(&由〔ゆう〕) が、一番多いのではないでしょうか。
子路の存在 ・ キャラクター、その言動によって、
『論語』 は より身近により生き生きとしたものとして楽しめるのだと感じています。
子路のファンの人も多いのではないでしょうか。


 中島 敦〔あつし〕 の短編歴史文学 『弟子』 は、子路を描いています
(次々回述べる予定です)。
その波乱の生涯の中でその最後(膾〔なます〕 のごとく切り刻まれて惨殺される) も、
ドラマチックです。 ※注)

 子路は、姓を仲、名を由〔ゆう〕、字〔あざな〕 を子路といいます。
また別の字を季路ともいいます。 孔子とは、9歳差。
四科十哲では、冉有〔ぜんゆう〕 とともに
政事(政治活動) に勝れると挙げられています。

 子路は、元武人(侠客〔きょうかく〕のようなもの : 博徒・喧嘩渡世) の経歴で、
儒家 ・ 孔子派の中での特異 ・ 異色〔ユニーク〕 な存在です。
その性状は、粗野 ・ 単純 ・ 気一本 ・ 一本気の愉快な豪傑といったところでしょう。
殺伐物騒な戦乱の時代にあって、現実政治的な役割と
孔子のボディーガード的役割を兼ねていたのではないでしょうか。
“お堅い” ムードになりがちな弟子集団の中にあって、
豪放磊落〔ごうほうらいらく〕 なムードメーカー的存在でもあったでしょう。

 私は、『論語』 の子路に、『三国志』 (『三国志演義』/吉川英治 ・ 『三国志』) の豪傑 
“張飛〔ちょうひ〕” 〔劉備玄徳(と関羽)に従う義兄弟〕 を連想しています。
虎・虎髭〔とらひげ〕 と愛すべき単純さ(そして劇的な死) のイメージが、
楽しくまた鮮烈に重なっています。


 ※注) 孔子73歳の時(孔子の死の前年)、
     子路は衛の内紛にまきこまれて惨殺されました。 享年64歳。(後述)
     「由が如きは其の死を得ざらん( ── 得ず。然り。)。」 (先進・第11−13)
     (由のような男は、まともな死に方はできまい。/畳の上で死ぬことはできないかもしれない。) 
     と日ごろから言っていた孔子の心配が、予言のように的中してしまったことになります。



■ 孔子の弟子たち ──  4.子貢 

          
 孔子門下を儒家思想 ・ 教学の本流から眺めれば、
顔回と曽子を最初に取り扱うのが良いかと思います。
が、『論語』 を偉大な 社会 ・ 人生哲学の日常座右の書としてみる時、
子路と子貢とはその双璧といって良いと思います。
個性の鮮烈さ、パワー(影響力) において、
孔門 3.000人中で東西両横綱でしょう。
実際、『論語』 に最も多く登場するのが子路と子貢です。
(後述の) 『史記』 ・ 「仲尼弟子〔ちゅうじていし〕列伝」 においても
最も字数が多いのは子貢、そして子路の順です。 

 さて、子貢(BC.520〜BC.456) は字〔あざな〕。 姓は端木、名は賜〔し〕。
衛〔えい〕 の出身で裕福な商人の出とされています。
四科(十哲) では、宰与〔さいよ〕 と共に 「言語」 に分類されています。
孔子との年齢差は、 31歳。


 孔門随一の徳人が俊英 ・ 顔回なら、孔門随一の才人 ・ 器量人が子貢でしょう。
口達者でクールな切れ者。そして特筆すべきは、商才あり利財に優れ、
社会的にも(実業家として) 発展
いたしました。
清貧の門人の多い中、リッチ ・ Rich! な存在です。
孔子とその大学校 (※史上初の私立大学校ともいえましょう) を、
強力にバックアップしたと思われます。
今でいう理事長的存在(?) であったのかも知れません。
そのような、社会的評価 ・ 認知度もあってでしょう、
“孔子以上(の人物)” と取り沙汰され、
その風評を子貢自身が打ち消す場面が幾度も 『論語』 に登場します。



○子、子貢に謂いて曰く、
 「女〔なんじ〕 と回と 孰〔いず〕 れか 愈〔まさ〕 れる。
 対〔こた〕 えて曰く、
 「賜や何ぞ敢えて回を望まん。回や一を聞いて以て十を知る。賜や一を聞いて以て二を知る」 
 子曰く、※「如〔し〕 かざるなり。 吾れと女と如かざるなり」と。
  (公治長・第5−9)

※「汝與回也孰愈」 ── 
   頭がキレ弁(口)がタツ 子貢には、
   他人〔ひと〕 を評し比べるという性癖 ・ 趣味とでも言えそうなものがあったように思います。
   「問曰」 とシンプルに書き始められていますが、
   そんな子貢の口ぐせをよくよく承知している孔子が、
   くつろいでいる時に (半ば戯れに)、
   「おまえと顔回とでは、・・・ 」 と尋ねたのではないでしょうか?
   顔回の「一を聞いて以十を知る」 ということの意味は、
   1 に対して10倍というより、1つの端緒で全体を把握するということでしょう。
   十全を知る、あるいは是非曲直の結論を知るの意です。
   また、どの学者先生も書いていないかと思いますが、
   私は、易学の真髄である “幾を知る” に近いことだと考えています



■ 孔子の弟子たち ──  5.宰我 

 宰予〔さいよ:BC.552−BC.458〕、字は子我、通称宰我。
「言語には宰我・子貢」 とあり、子貢と共に “四科十哲” の一人で、
弁舌をもって知られています。 孔子との年齢差29歳。
子貢が孔子と年齢差31歳ですから、宰予と子貢はほぼ同年齢ということです。

『論語』 の中に表われている宰予は、子貢とは対照的に
悪い面ばかりが描かれ孔子と対立して(叱責を受けて) います。
宰予は、孔門の賢く真面目な優等生的多くの弟子の中にあって、
“異端児” ・ “劣等生” ・ “不肖の弟子”… といった印象を与えています。
が、しかし、“十哲” にあげられ、孔子との対立が敢えて記されていることからも
(逆に) 端倪〔たんげい〕 すべからぬ才人 ・ 器量人であったと考えられます。
孔子も、“ソリ” ・ “ウマ” はあわなくも、一目おいていたのではないでしょうか。

○宰予 昼寝〔ひるい/ひるしん〕 ぬ。
 子曰く、「朽木は雕〔え/ほ〕るべからず、
 糞土の牆〔しょう/かき〕はヌ〔ぬ/お・す〕」るべからず。
 予に於いてか何ぞ誅〔せ〕めん。」 と。 |
 子曰く、「始め吾、人に於けるや、其の言〔げん〕を聴いて其の行い〔こう〕を信ず。
 今、吾、人に於けるや、其の言を聴いて其の行いを観る。予に於いてか是を改む。」 と。
  (公冶長・第5−10)

《大意》
 宰予が、昼寝をしていました。
孔先生が、これを叱責しておっしゃるには
「朽ちた(腐った)木には彫刻をすることは出来ないし、
土が腐ってボロボロになった(ごみ土/穢土) 土塀には
美しく(上)塗り飾ることも出来ない。
(そんな、どうしようもない奴だから)
わしは、宰与を叱りようもない(叱っても仕方ない)。」 と。 |
そして、孔先生は続けて、
「わしは、以前は、人の言葉を聞いてその行ないまで (そのとうりだと) 信頼したものだ。
が、しかし、今後は人に対して、その言葉を聞いても(鵜呑みにせず)
その行ないもよく観るてから信ずることにする。
宰予のことがあってから、人に対する方針 ・ 態度をそのように改めるに至ったのだ。」 
と、おっしゃいました。

 ・「不可」: 出来ない、不可能の意。〜する値打ちがない。



■ 孔子の弟子たち ──  6.子夏 


 “子貢〔しこう〕” と 字面〔じずら〕 が似ていて間違えそうですが ・・・ 。
子貢のように知名度が高くないので、ともすると子貢と同一視している人もいそうです。

 「文学子游子夏」 (先進第11)。
「四科(十哲)」 では、子游と共に文学に位置づけられている大学者です。
「文学」 というのは、古典 ・ 経学のことです。
姓は卜〔ぼく〕、名は商。 子夏は字〔あざな〕です。孔子より、44歳年少

 謹厳実直、まじめで学究タイプの人柄であったといいます。
文才があり、殊〔こと〕に礼学の研究では第一人者です。
大学学長 ・ 総長といった感じでしょうか。
曾子が仁を重視する立場(忠恕派) なのに対して、
子夏は礼を重視する立場(礼学派) です。

儒学の六経を後世に伝えた功績は大なるものがあります。
(漢代の経学は、子夏の影響力によるものが大きいです。) 
長寿を得て、多くの門弟を育成しました。
その子を亡くした悲しみで、盲目になったと伝えられています。

 子夏は、『論語』 でしか知られることがない、といってもよい人です。
が、私は、非常にその文言に印象深いものがあります。
というのは、“色”っぽい(?)弟子 ・ 子夏としての意なのです。
私感ながら、『論語』 は子夏の言に、
“色” にまつわる記述が多くあるように思われるのです。
私、日本最初の 1級カラーコーディネーター
(’92. 現文部科学省認定「色彩検定」) としましては、
子夏は、孔子門下で “色の弟子” としての印象なのです。




( 以 上 )



(この続き、第2講 「 易占 と 易学 」 は次のブログ記事に掲載しております。)


「儒学に学ぶ」ホームページはこちら
http://jugaku.net/

メールマガジンのご登録はこちら


にほんブログ村 哲学・思想ブログ 儒教・儒学へ

にほんブログ村

 



むかしの中国から学ぶ 第1講 「孔子と論語」 (その2)

(こちらは、前のブログ記事の続きです。)


1. 孔 子 

■ ── プロフィール ・ 生い立ち

*BC.551(552) 〜 BC.479 (73・4歳没) 、 
 儒学 (儒教) の開祖、魯〔ろ〕国 に生まれる、名は丘 〔きゅう〕 注1) 、
 字 〔あざな〕 は 仲尼 〔ちゅうじ〕

*父:叔梁紇・コツ 〔こつ/きつ〕 63歳 、 母:徴在  16
 姉9人・兄1人、 身長 200cm位ともいわれる 
    ( 『孔子家語』 〔こうしけご: cf.=副論語〕)
  cf. 「百除〔の〕けて、相老年〔あいおいどし〕の片白髪」  (一井 鳳悟)

*諸国を遍歴(14年)するが用いられず、
 魯国に帰り研究・執筆と子弟の教育に専心する
   → 孔子の学校 = 東洋初の私立大学校

*死ぬまで学び続け、向上し続けた人

*寂しい晩年 ── 愛弟子(後継者) 顔回(淵)の死、
   高弟・子路の惨殺、息子 鯉〔り〕の死
   → → 曾子 〔そうし〕 → 子思子 〔ししし:孔子の孫〕 → 孟子  → →

*当時の諸子百家の中で “儒家” は “負け組”
   → 後代・漢の時代(7代武帝) に 「国教」 となる


注1)    名の由来について 
1. 尼丘という霊地に祈願して授かった/ 
2. 頭頂が凹んで丘のようにフラットだった
    cf.老子 = 姓は李〔り〕、名は耳〔じ〕、字〔あざな〕は伯陽、
       おくりなして タン〔たん〕


○ 「吾れ、少〔わか〕くして賤〔いや〕 し、故に鄙事〔ひじ〕に多能なり。
  君子多ならんや、多ならざるなり。」  (子罕〔しかん〕 ・ 第9)


○ 「牢曰く、子云〔のたま〕う、『吾試〔もち〕いられず。故に芸あり。』 と。」 
  (子罕・第9)

【コギト(吾想う)】 ── 
『論語』 には、 「君子多能を恥ず」 とあります。
が、西欧古代ギリシアの理想的人間像は “調和の美” を実現した人。
ルネサンスの理想的人間像は 、“普遍的人間(万能人)” 。
そして現代は、“(人の都合)が闊歩〔かっぽ〕” する “スペシャリスト” の時代です。


○ 「子曰く、吾十有五にして学に志す。 三十にして立つ。 四十にして惑わず。
  五十にして天命を知る。 六十にして耳従う。
  七十にして心の欲する所に従えども 矩〔のり〕を踰〔こ〕えず。」
  (為政・第2) 

 cf. 志学 ─ 而立 ─ 不惑 ─ 知命 ─ 耳順 ─ 従心 



■ ── 孔子の人間像

○  「 食〔し/いい〕 は精 〔せい/しらげ〕 を厭〔*きわ/あ・かず/いと・わず〕 めず
  膾〔かい/なます〕 は細を厭めず。 
  食の饐〔い〕 して〔あい〕 せる、
  魚の餒〔たい/あさ・れて〕 して肉の敗〔ふる/やぶ・れたる〕 びたるは食らわず。
  色の悪しきは食らわず。 臭〔におい〕 の悪しきは食らわず。
  〔じん〕 を失いたるは食らわず。 
  時ならざるは食らわず
  割〔きりめ〕 正しからざれば食らわず。 
  其の醤〔しょう〕 を得ざれば食らわず。
  肉は多しと雖も食気(食〔し〕の気) に勝たしめず。 | 
  唯 酒は量なし、乱に及ばず
  沽酒市脯〔こしゅしほ/かえる酒かえるほじし〕 は食らわず。
  薑〔はじかみ〕 を徹〔す/てっ・せず〕 てずして食らう、多くは食らわず。
  公〔こう〕 に祭れば肉を宿せしめず。 
  祭肉は三日を出ださず。 三日を出づれば之を食らわず。 
  食らうに語らず。寝〔い〕 ぬるに言わず。
  疏食菜羮〔そしさいこう〕 瓜〔か/うり〕 と雖も祭るに必ず斉如〔さいじょ〕 たり。」       
  (郷党・第10)


《大意》
 ご飯は、あまり精白(白米) にしすぎないように
膾〔なます〕 も細かく切り刻みすぎないように。
(ご飯の)すえて味が変わったものや、
魚が傷んで肉の腐りかかったものは食べない。
色が悪くなったもの、臭〔におい〕 の悪くなったものは食べない。
料理かげん(煮かげんなど) の良くないものも食べない。
季節はずれ(旬〔しゅん〕でない) ものは食べない
切り方の正しくないものも食べない。
適当な〔したじ :つけ汁の類〕 がなければ食べない。
肉は、多くあっても食欲がなければ食べない(=お腹のすき具合に応じて食べる)。
ただ、酒については、別にこれこれという適量はないけれども、乱れるところまでは飲まない
店頭に並べてあるような(たなざらしの) 酒やら乾肉は食べない。
薑〔はじかみ :ショウガの類〕 は、のけずに食べるけれども、多くは食べない。 
主君の祭りを助けたときには、(お供え物のおさがりの) 肉を宵ごしにしない。
(また) わが家の祭りの肉は三日を越さないようにして、三日を越えたら食べないようにした。
食事中は話をせず、寝るときもしゃべらない。
粗末なご飯や野菜スープや瓜のようなものでも、
(初取りの) お祭りをするときには、必ずおごそかに敬意を尽くしました。


・「食不厭精」 ・・・ 「食」 は、食事という名詞では“シ”、
            食べるという動詞では “ショク” と読みます。  
            cf.“三白の害” → 白米・白砂糖・白パン
               昔は西欧では食パンを白くするために 【 チョーク 】 を混ぜていました


・「膾不厭細」 ・・・ “なます” は、肉や魚を細かく切ってあえたもの
            cf.焼き肉店(「0111」) ユッケ食中毒 ('11.4〜)

  「これはいろいろ学者が調べまして、この厭ふという字は、
  あくといふ意味があり、またきはめるといふ意味がある。
  意味の自からなる連絡転化でありますが、そこで精を厭はずではなくて、
  精すなはち白きを厭〔きは〕 めず。
  或は白きを厭〔あ〕 かず、厭〔あ〕 かずといへば、
  腹一杯食べないといふことになるわけであります。
  ・・・・・ 中略 ・・・・・ 
  さういふことを考へて参りますと、
  食は白きを厭〔あ〕 かずといふのもよろしいが、
  精を厭〔きは〕 めず、あまり十分に白米にしない、
  かういふ方がよく当たつてをるようで、面白く思はれます。」 
   (安岡正篤・『朝の論語』 P.22 引用)


・「不時不食」 ・・・ “ 時中〔じちゅう〕 ” = 時の重視

 1)季節のもの、旬〔しゅん〕 のもの (成熟する時期に達したもの) を食す
    cf.「七養」の第1: 《 時令に順うて 以て元気を養う 》  
        → 鳥は、果物の “熟しごろ” を的確に見計らって、ついばみますね。

 2)間食をしない (食事の時間を重視) 
    cf.映画「グレムリン」 : PM.11時以降の食事はダメ


・「不得其醤不食」 ・・・ 「醤」
は、つけ汁・スパイスの類で
              衛生上の意味(毒消し・殺菌) も持っています
               ex. 寿司やサシミに“わさび”、カニに “酢”


・「唯酒無量、不及乱」 ・・・ 酒を飲んでも、乱れるまでは飲まないの意
   cf.珍解釈:「これをみろ、聖人の孔子でさえ、酒は量るなかれ、
         及はずんば乱すと言ってござる」と喜んだそうです。



○ 「子曰く、疏食〔そし〕 を飯〔くら〕 い、水を飲み、
  肱〔ひじ〕 を曲げて之を枕とす。
  楽しみ亦〔また〕 その中〔うち〕 に在り。
  不義にして富み且つ貴きは,我に於て浮雲〔ふうん〕 のごとし。」
   (述而・第7)


q.なぜお茶ではなく「水」を飲むのでしょうか? (贅沢だから?健康のため?)

【コギト(吾想う)】 ── 
平成の御世は、“過食の時代” ・ “グルメの時代” です。
マス・メディア(TV.など) は、(CM.だらけの合間に) 食べ物と
スポーツばかりを報じています。
日本の重篤なる、この堕落・頽廃の蔓延〔まんえん〕は、
古代(西)ローマ帝国末期の状況と似ています。
(尤〔もっと〕も、日本がローマ帝国ほどの繁栄をしたわけではありませんが。)
“パンと見せ物” への欲望に賢き(?)ローマ市民は溺れ
頽廃文化が蔓延し、為政者(皇帝) はその欲求に応えました。



■ ── 孔子の思想

・「」 : 
「人」 に 「二」 をそえた字、人と人の間に生じる自然な親愛の情。
( 『論語』 に100回以上登場します。)


・「忠恕」 〔ちゅうじょ = まごころと思いやり〕 : 
仁を心の面からみた側面、理想に向かって限りなく進む方を「忠」、
包容していく方を「恕」で表し、
結んで「忠恕」 ── 徹底した人道主義

→ 「」 : 自分のまごころ (※忠義の忠ではありません)/
        心の中にある純粋なまごころ/ “中する心” /
        弁証法的進歩 ・ 止揚〔アウフヘーベン:高める・中す〕/
        限りない進歩向上

→ 「」 : 「心」 と 「如」。
        「口」 は、領域 ・ 世界で “女の領域・世界” /
        転じて天地 ・ 自然・造化/
        造化そのまま(仏そのまま)に進んでゆく、来る(如来)/ごとし/
        “ゆるす” /他人への思いやり、他人の身になってその心情を思いやる心

cf.“女をば法〔のり〕 のみくら〔御座 〕といふぞげに釈迦も達磨もひょいひょいと出る”
     (一休和尚)  / ・神道 “産霊〔むすび〕”



─── “夫子(孔子) 「一貫〔いっかん/いつもってつらぬく・おこなう〕 の道」 ”

○ 子曰く、「参や、吾が道は一〔いつ〕 以て之を貫く(或いはおこなう) 」 と。
  曽子曰く、 「唯〔い〕」と。 子出ず。
  門人問うて曰く、「何の謂いぞや」 と。 曽子曰く、「夫子の道は、忠恕のみ」 と。
  (里仁・第4−15)


《 大意 》
孔先生がおっしゃるには、
「参や、わしの道は一〔いつ〕 なるもので貫いておる(行っておる)。
(その道がわかっておるか?)」 
曽子はすぐに、「はい〔唯〕。(よく承知いたしております)」と答えました。
他の門人たちが、(禅問答のようでさっぱりわからないので)
「今のお話は、一体どういう意味なのですか。」 と問いました。
曽子は、「先生の説かれる道は 
“忠恕” ( ── 思いやり と いつくしみ ・ まごころ と 思いやり/
造化の心、そのまま、限りなく進歩向上していくこと)
 のほかにはありませんよ」
と答えました。

 
※ 曽子は、敢えて と言わずに解り易く具体的に 忠恕と表現したと考えられます。

【コギト(吾想う)】 ──  とは?
・ 思いやりといつくしみ (忠恕 ・ 愛 ・ 慈悲) / 「忠」【おのれ】 は中する心
 限りなく進歩向上する心 = 弁証法的進歩 / 
 「恕」【人におよぼす】 = 女の領域 ・ 女の世界 = 造化
「一〔いつ〕なるもの」 = 「永遠なるもの」 = 「受け継がれるもの」
・ “見えざるものを観、聞こえざるものを聴く” ことによって智〔さとる〕 (覚智)



・「」 : 仁を客観化してみた側面 (=慣習法的社会規範)
○  「顔淵、仁を問う。 子曰く、己に克〔か〕 ちて礼に復〔かえ〕 るを仁と為す。」  
   (顔淵・第12) 
    ── “克己復礼” 〔こっきふくれい〕
○ 「樊遅〔はんち〕、仁を問う。
  子曰く、人を愛す。知を問う。子曰く、人を知る。」  
   (顔淵・第12)

  “仁” = “愛” = “(慈)悲”   
  cf. 「愛( いと / かな )しい」


・「徳治主義」 :
○  「子曰く、これを道〔みちび〕 くに政を以てし、
  これを斉〔ととの〕 うるに刑を以てすれば、民免れて恥ずること無し。
  これを道くに徳を以てし、これを斉〔ととの〕 うるに礼を以てすれば
  恥ありて且〔か〕 つ 格〔ただ〕 し。」   (為政・第2)



(この続きは、次のブログ記事に掲載しております。)


「儒学に学ぶ」ホームページはこちら
http://jugaku.net/

メールマガジンのご登録はこちら


にほんブログ村 哲学・思想ブログ 儒教・儒学へ

にほんブログ村

 







Archives
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ