儒灯

【温故知新】儒学の普及に力を注いでおります真儒協会 会長、高根秀人年の個人ブログです。 『論語』、『易経』を中心に、経書の言葉を活学して紹介して参ります。 私個人の自由随筆、研究発表などのほか、真儒協会が毎月行っております定例講習についても掲載しております。

2012年08月

『徒然草』 にみる儒学思想 其の2 (第1回)


『徒然草〔つれづれぐさ〕』 にみる儒学思想 其の2 (第1回)

─── 変化の思想/「無常」/「変易」/陰陽思想/運命観/中論/
“居は気を移す”/兼好流住宅設計論( ── 「夏をむねとすべし」)/
“師恩友益”/“益者三友・損者三友”/「無為」・「自然」・「静」/循環の理 ───

★ 数年前に「『徒然草〔つれづれぐさ〕』に見る儒学思想」を執筆・発表いたしました。
http://blog.livedoor.jp/jugaku_net/archives/50707301.html
その後、加筆・段の追加などを行いましたので、(一部重複させながら)
「『徒然草〔つれづれぐさ〕』に見る儒学思想 其の2」として発表いたします。


≪§.はじめに ≫

○「つれづれなるままに、日くらし、硯〔すずり〕にむかひて、
心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、
あやしうこそものぐるほしけれ。」

〔 これといってする事もなく、退屈で心さびしいのにまかせて、一日中、硯に向かって、
次から次へと心に(浮かんでは消えて)移り変わっていく、つまらないことを、
とりとめもなく(なんということもなく)書き付けていると、妙に感興がわいてきて、
狂気じみている(抑えがたいほど気持ちが高ぶってくる)ような気がします。 〕 *補注1) 


吉田兼好〔けんこう〕・『徒然草〔つれづれぐさ〕』の、
シンプルな冒頭(序段)の文章です。

中学・高校で 誰もが習い親しんだものです。
中味・段のいくつかもご存知かと思います。

兼好法師は、当代の優れた僧侶・歌人であり教養人でありました。

歴史的に、中国の源流思想は *補注2) 専らインテリ〔知識人〕である聖職者に学ばれ、
彼らの思想のみなもとを形成いたしました。

『徒然草』の思想的・文学的バックグラウンド〔背景〕を形成するものの中心として、
仏教典籍以外に、国文学(平安朝)和歌・物語と漢籍(中国の古典)があげられます。

漢籍では、儒学の四書五経、とりわけ『論語』の影響がきわめて大きいといえます。

私は、『徒然草』を研究・講義する折も多いので、
今回は、私流に、儒学=易学思想や黄老(老荘)思想の視点から
これを観てまとめてみたいと思います。


補注1)

学生諸君のために、煩瑣〔はんさ〕ながら、文法詳解を少々致しておきます。

「心にうつりゆく」 : 「うつり」を「移り」ととれば“それからそれから”の意。
「映り」と解すると“心という鏡に、次々と映ってくる”の意になります。/

「よしなしごと」 : 「よし」は、由緒・理由。
「よしーなしーごと」の三語が合わさった一語の複合名詞。/

「書きつくれば」“已然〔いぜん〕形+ば”の形。これは、
1)順態確定条件(原因・理由)を表し「ので」・「から」と訳します。
2)一般(恒時)条件を表し「〜するといつも〜する」の意。
  ex.「命長ければ恥多し」【第7段】
3)軽く次へ続けて偶発的事件の前提を表し、「〜すると」と訳します。
ここでは、3)の意で「かきつけていると」の意。/

「あやしうこそものぐるほしけれ」 : 「こそ」は、強意の係助詞で「じつに・まことに」の意。
係り結びによって下を已然形で結びます。 
「ものぐるほしけれ」は、形容詞「ものぐるほし」の已然形です。
(形容詞「ものぐるほし」に過去の助動詞「けり」の已然形「けれ」がついたものと間違えないこと。
ですから、「狂気じみていた」と訳すのは誤りです。
「けり」は連用形接続ですから終止形にはつきません。)
また、主語は省略されています。
主語を補えば、“自分が・自分のこころが”が普通ですが、
他に“書いたものが”・“書きつけることが”・“書く態度が”などと考える説もあります。
 兼好法師がこの序文で、この随筆を書いた時の態度や所感を、
“自分ながら変で、まことに狂気じみて思われる”と表現しているのは、
筆者としての謙遜表現です。言葉どおりに解してはまずいでしょう。


補注2)

易学思想と黄老(老荘)思想が東洋思想の2大潮流を形成いたします。
その後の、仏教思想を加えて3大潮流となります。

中国の思想を(陶鋳力をもって)受容・摂取した日本においても同様です。


★『徒然草』 段・抜粋の原文は、
『日本古典文学大系/方丈記・徒然草』 ほかによりました。(原文引用は省略) 

また、原文の読みがなは 、現代かなづかいで表記しておきました。

現代語訳・文法詳解は、高校生諸氏の学習に愛用されてきている
『新・要説 徒然草』(日栄社)を中心に参照しました。


≪ 吉田兼好・『徒然草』 抜粋 ≫

 鎌倉時代、中世の開幕は、貴族が社会の中心の座を譲り
武家の時代が到来したことを意味しました。

この新しく、激動と混乱の時代も、
元寇を契機として急速に幕府の力が衰えてゆき、
南北朝の動乱の時代へと向かってゆきます。

吉田兼好が生き『徒然草』を著したのは、
こういう時代変化と社会不安の時期だったのです。・・・


※ この続きは、次の記事に掲載いたします。

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盧秀人年・ 「老子」 を発表す 【‘12.6.17】

 さる‘12年6月17日(日)、関西師友協会(大阪・心斎橋)の “篤教講座”の中で、
私 盧が 《 安岡正篤先生に学ぶ 「老子」 》 と題して発表を行いました。

篤教講座の様子1

3回シリーズの初回です。
(*第2回目は、10月第三日曜日。/ 第3回目は、12月第三日曜日です。)

 “篤教講座”は、東洋思想の泰斗〔たいと〕、故・安岡正篤先生の教学に学ぶもので
『易経』を中心とする講座です。

2ヶ月に一度、偶数月・第三日曜日に開催されています(8月は休み)。

 私が、斯講座で発表を務めますのは、これで三度目になります。
前2回は、易学・『易経』の内容で発表いたしました。

今回は、テーマに「老子」を選びました。

 儒学と老荘(黄老・道家)思想は、東洋思想の二大潮流であり、
その二面性・二属性を形成する
ものです。

国家・社会のレベルでも、個人のレベルでも、
儒学的人間像と老荘的人間像の2面性・2属性があります。

また、そうあらなければなりません。

東洋の学問を深めつきつめてゆきますと、
行きつくところのものが“易”と“老子”です。 

―― ある種の憧憬〔あこがれ・しょうけい〕の学びの世界です。

安岡正篤先生も、易や黄老(老子)の学について次のように述べられています。

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○ 「東洋の学問を学んでだんだん深くなって参りますと、
 どうしても易と老子を学びたくなる、と言うよりは
 学ばぬものがない
と言うのが本当のようであります。

 又そういう専門的な問題を別にしても、
 人生を自分から考えるようになった人々は、
 読めると読めないにかかわらず、
 易や老子に憧憬〔しょうけい〕を持つのであります。

  大体易や老子というものは、若い人や初歩の人にはくいつき難いもので、
 どうしても世の中の苦労をなめて、世の中というものが
 そう簡単に割り切れるものではないということがしみじみと分かって、
 つまり首をひねって人生を考えるような年輩になって、はじめて学びたくなる。
 又学んで言いしれぬ楽しみを発見するのであります。」

 (*安岡正篤・『活学としての東洋思想』所収「老子と現代」 p.88引用 )
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 私は、浅学菲才〔せんがくひさい〕にもかかわらず、
善き機会と場を頂いて、「易学」と「老子」を二つながらに講じさせて頂けることを、
まことにありがたく感謝いたしております。

篤教講座の様子2

 テキストは、私のオリジナルで、A4/65ページ(“PART 1”)を執筆・作成いたしました。
(次回以降に用います“PART 2”も、概ね同じ程度のページ数になる予定です。) 

『老子』の原典・解説書を英文文献も交えて解かり易く書き下ろしました。

真儒協会定例講習・「老子」で、私が講じてきたものと今後講ずる予定の内容も含めて、
老子の総括的内容となっております。

(手前味噌ながら、)難解をもって知られる老子の思想を、
咀嚼〔そしゃく:よくよくかみ砕き味わうこと〕してポイントをまとめあげた、
そしてビジュアル化も図りました労作です。


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○ 「 ―― 『論語』の中に、孔子の温故而知新
 (故〔ふる/古〕きを温〔あたた/たず・ねて〕めて新しきを知れば、以て師となるべし)
 の名言があります。

 “帛書老子”・“楚簡(竹簡)老子”の新発見による研究成果も踏まえながら、
 20世紀初頭、平成の現代(日本)の“光”をあてながら、
 「老子」と“対話”してまいりたいと思います。

 故〔ふる〕くて新しい「老子」を活学してまいりたいと思います。

 (*テキストp.12: 黄老の学あらまし《 1.「老子」紹介 》 末文引用)
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なお、オリジナル・テキスト(“PART 1”)の内容項目のあらましは、
以下のとおりです。

『 安岡正篤先生に学ぶ 「老子」 (“PART 1”) 』 
                           
by.盧 秀人年

                             * カット: 横山大観・画

《 とびら 》 ――  「老タン〔ろうたん〕 道を行く」(高村 光太郎・『道程』)

《 プロローグ: はじめに 》
 §.機 圈^族正篤先生 と 老子(老荘思想) 》
 §.供 圈 判子百家” の中の 儒家と道家(老荘) 》

[ 黄老の学 あらまし ]
 §.機 圈 嶇兄辧廖‐匆陝 奸
 §.供 圈]兄卻語り(伝説) ―― “龍のごとき人” (司馬遷・『史記』) 》
 §.掘 圈ー学 と 黄老 ―― 安岡正篤・老荘本 抜粋 》  

[ 『老子道徳経』 ※(本文各論)解説 ]
● 宇宙論 / 道=無 
  【 老子: 25章 / 4章 】
   (象元・第25章)  “元始〔もとはじまり〕”の理 ―― 「道」とは?
   (無源・第4章)   ナゾのような末句 「象帝之先」 ―― 「道」とは?
● 道=無                                     
  【 老子: 1章 】
   (体道・第1章)     首章・冒頭  ―― 「道」とは?  
  【 42章 / 40章 】  《 【損益】の卦と「老子」 》 【 42/ 77/ 53/ 81章】
   (道化・第42章)    老子の “万物生成論“
   (去用・第40章)    「有生於無」  ―― 「道」の作用
  【 老子: 41章 】 /関連70章 ○「被褐(而)懐玉」 ◎「衣錦尚絅」(『中庸』)
   (同異・第41章) ―― 「道」のありかた/ 「大器晩成」 → 「大器免成」 注2)


※ オリジナル・テキストの具体的内容は、
  当ブログ【儒灯】・定例講習カテゴリ記事の「老子」で逐次〔ちくじ〕ご覧になれます。
  また、テキストの若干の残部につきましては、高値(?)にてお頒〔わ〕けできます。



参考 : 【 表 紙 】

篤教講座テキスト表紙



参考 : 【 中表紙 】

篤教講座テキスト中表紙



参考 :  【 図 】

● 「儒学」 と 「黄老」 イメージスケール (by.たかね)

「儒学」と「黄老」 イメージスケール



● POINT! 「明徳」 ・ 「玄徳」 / 「明明徳」  (by.たかね)


photo_20120617_6

( 以 上 )


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