儒灯

【温故知新】儒学の普及に力を注いでおります真儒協会 会長、高根秀人年の個人ブログです。 『論語』、『易経』を中心に、経書の言葉を活学して紹介して参ります。 私個人の自由随筆、研究発表などのほか、真儒協会が毎月行っております定例講習についても掲載しております。

2012年12月

第50回 定例講習【特別講義】のあらまし (第3回)

※この記事は、第50回 定例講習【特別講義】のあらまし (第2回) の続きです。


第50回 定例講習(‘12.4.22 ) レジュメ
─── 【特別講義】 あらまし ───    (第3回)


≪ 【損・益】の深意 ── 現代的意義を考える ≫

 易の賓卦・反卦の【損・益】卦、
五行思想の相剋〔そうこく〕関係【水】と【火】、陰・陽の相対関係を、
矛盾・対立するものとして(弁証法的に)捉えるのは、西洋的かもしれません。

私が想いますに、今一つの考え方として、
両者がペアで協力してはたらくという捉え方ができるのではないでしょうか。

東洋的視点とも言えましょう。

それは、車の両輪やコイン(紙幣)の裏表などと例えるよりは、
「呼吸」のような関係に似ていると想います。── といいますのは。

「呼吸」は、 (1) 「呼〔はく〕」と「吸〔すう〕」が、
反対の用(作用・はたらき)でありながら、お互いを助け合っています。

「出入」〔人が出たり入ったり/食物の排泄と摂取〕、
「終始」〔物事の終わりと始まり〕、
「忘却と記憶」〔忘れることと覚える保持すること〕などの関係も、同様です。

(2) 次に強調したいのが、両者の順序です

どちらが先行か、後行かです。

深呼吸は、まず、しっかりと吐いて(汚れた空気を出して、肺を空にして)から、
新鮮な空気を十二分に吸い込むのです。

ですから 「呼 ⇒ 吸」 です。

食物も、まずお腹を空腹にして(宿便を)排泄してからしっかりと食べます。

「出 ⇒ 入」 です。

頭の中も、まず忘れてリセット(空〔から〕・無)にしてから、
新しい知識や忘れたことを再び記憶します。

記憶の定着は“憶え ー 忘れる”を17回以上繰りかえすと実現すると
心理学でいわれていると聞いたことがあります。

つまり、記憶のコツは、忘却することにあるということです。

ですから、 「忘却 ⇒ 記憶」です。

また、ものごと、終わりは始まり。終わって始まります。

『大学』に「物に本末有り、事に終始有り。先後するところを知れば、則ち道に近し。」
とあります。

英語の“コメンスメント”〔commencement:卒業式〕も始まりの意味です。

「始終」といわず「終始」といいます。

「終 ⇒ 始」 です。 

─── このように、【損・益】も【損】が先で【益】は後です。

またかくあるべきなのです。

さて、平成の大衆社会は、先賢の教えに学ばず、
カケネなしの愚行を繰り返しています。

全く、ちぐはぐ、トンチンカンな社会状況です。

己の利ばかりを思い、過陽” で “わからぬ” 状況が蔓延しております。

企業・経済人は、まず(先に)ユーザーへの福音となるように社会貢献を考え、
利益は後です。

公務員・教育の現場も“中庸”を欠き、駁雑〔ばくざつ〕に過ぎます。

まず、よく省〔かえり〕み省〔はぶ〕き、
空〔あき〕を創ってから新規事を益〔ま〕すのです。

なお、余事ながら付言しますと。人生にもリセットが大事かもしれません。

まず、チャラ(白紙)にして、新しい人生が描けるのでしょう。

○ 「〔キョ〕伯玉 行年五十にして四十九年の非を知り、六十にして六十化す。」 ※補)
   (『淮南子〔えなんじ〕』)

安岡正篤先生の著書〔講演録〕・『易と人生哲学』 (致知出版社) で知り、
感銘を受けた文言です。

私は、50の歳の時に奇〔く〕しくも、この言葉・この本に出合ったわけです。

今にして想うにつけても、まさに、 「縁尋機妙」な出合いでした。


※補)

キョ伯玉〔きょはくぎょく〕という人は 孔子がたいへん尊敬していた
衛〔えい〕の国の賢大夫です。

その名言が、これです。

その意味は、今までの四十九年の人生が間違っていた と認識して、
五十歳で人生を“リセット”したということです。

なかなか出来ないことです。

そして、「六十にして、六十化す。」と続きます。

つまり、今までの人生が全部駄目だったと認めたうえで、
そこから 自己改造して進歩向上させていくことが出来るものなのです。


§.【その2】  陰陽相対(待)  ・・・




※ この続きは、次の記事に掲載いたします。


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第50回 定例講習【特別講義】のあらまし (第2回)

※この記事は、第50回 定例講習【特別講義】のあらまし (第1回) の続きです。

第50回 定例講習(‘12.4.22 ) レジュメ
─── 【特別講義】 あらまし ───    (第2回)


◇以下、【損・益】の卦・思想について、ポイントをいくつか説明してみましょう。

( →詳しくは 《参考資料》 参照のこと。 )


まず、一言確認しておきますと。

易においては、 「陽」を以て余り有るものとし、「陰」を以て不足なるものとします

そして、上卦は為政者(政府)・指導者〔リーダー〕・金持ちであり、
下卦は大衆・一般ピープル・貧しい人々
、と考えます。

(両者の)相対的関係では、主体を下卦の大衆・一般ピープル・貧しい人々を基準に考えます

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 【益】   《上を損して下を益す》 

もと、【天地否 ☰☷/乾・坤】であったものが、
上卦【☰/乾】の4爻〔こう〕の一陽が下がって
下卦【坤】の初爻に一陽(入れ替わって)生じ
震】となった象〔しょう・かたち〕です。

上の有余しているものから(減らし)下の不足しているところへ、
一陽を益し与えています。

【否】の塞〔ふさ〕がっている時(代)にあって
上より下に与え、皆が“悦び活気づき、巽順にして大いに活動します(=震の象意から)”。

ex.企業活動: 寄付・利益還元・社会貢献・フィランソロピー・メセナ ・・・

※(4爻と初爻の移動関係は、 “応爻”の関係ということです。
小成卦=八卦を上卦と下卦の順で左右・横に並べるとその対応関係がよく解かります。)

【益】彖伝〔たんでん〕: 

 「益は、上を損して下を益す
 民 説〔よろこ〕ぶこと疆〔かぎ〕りなし。
 上より下に下る。その道大いに光〔あきら〕かなり。
 ・・・・・ 益は動きて巽〔したが〕い、
 日に進むこと疆〔かぎ〕りなし。
 天は施し地は生じ、その益すこと方なし。
 およそ益の道は、時と偕〔とも〕に行わる。」


 【損】   《下を損して上を益す》  

もと、【地天泰 ☷☰坤・乾】の安泰の時にあって、
下卦【乾】3爻〔こう〕の一陽を減〔へ〕らして
上卦【坤】の上爻に益した象です。

公共のため社会のために誠をもって自ら進んで減らし損するのです。

損すべきときに損するに値する損をする、時幾が大切です

正しい損=投資はやがて反〔かえ/=返〕ってきます。

自分の代でなくとも、子・孫の代にも反ってきます。
“情〔なさけ〕は、人のためならず”です。

ex.寄付・税金を納める・ボランティア(勤労奉仕)・国家会社に仕える、正しい投資 ・・・

【損】彖伝〔たんでん〕: 

 「損は、下を損して上に益し、その道上行す。
 損して孚〔まこと/= 誠心〕あれば、元吉にして咎〔とが〕なし。
 ・・・・・ 剛を損して柔を益すに時あり。

 大象伝: 「君子以て忿〔いか〕りを懲らし欲を塞〔ふさ〕ぐ。」


◆◇ 次に以下、『老子』のなかで、「損・益」について述べられているものを拾ってみますと。

《 42章 》

○「故物或損之而益、或益之損。」

■ 故に物は或いは之を損して益し、或いは之を益して損す

《 大意 》
まことに、ものごとは、(『※『易経』の【損・益】の卦に教えているように
それを損する(減らす)ことによってかえって益する(益す・増やす)ことがあり、
(逆に)それを益する(益す・増やす)ことによって
かえって損する(減らす)ことがあるものなのです。


《 77章 》

○「天之道、其猶張弓与。高者抑之、下者挙之、有余者損之、不足者補之。 |
 *天之道、損有余而補不足。人之道則不然、損不足以奉有余。」

■ 天の道は、其れ猶〔な〕お弓を張るがごときか。
  高き者は之を抑〔おさ〕え、下〔ひく〕き者は之を挙げ、
  余り有る者は之を損じ、足らざる者は之を補う。 |
  *天の道は、余り有るを損じて、而〔しか〕して足らざるを補う
  人の道は則ち然らず、足らざるを損じて、以て余り有るに奉ず

《 大意 》
天の道(自然なあり方)は、あたかも弓に弦〔つる〕を張るようなものでしょう。
上の端(高い上弭〔うわはず/末弭:うらはず〕)は下にひっぱり、
下の端(下の下弭〔もとはず/本弭:もとはず〕)は上に持ち上げます。
余り過ぎたら減らし、足らなければ継ぎ足し補います。
(それでこそ、立派に調整ができるのです。) |
天の道は、このように、余り過ぎたものを減らして
足りないものを(=ホドよく、中和させる)補うのです

(しかしながら) 人の道(=やり方)は、そうではありません。
足りない方をさらに減らして取り上げ、
それを有り余っている者にさし上げる(たてまつる)ということなのです
。 補注) ※

*“It is the way of heaven to take from
those who have too much, 
and give to those who have too little.
But the way of man is not so.”
(Kitamura adj. p.252)

*この章は、共産主義(中国)にも資本主義にも利用されてきました。
ここに老子の思想のスケールの大きさが感じられます。
そして、所詮小さな“主義”を振り回すのみで、不平等を好み、
人の道は則ち然らず」で現在に到っています。


■ 補注)

現代的に例えてみますと。
貧しい人からの収奪(搾取?)・税金の徴収。
金持ちに「金」が集まる→金が金を生む(利子や地代)。
“持てる者と持てない者と”の格差の広がり。
(東京大学合格者の8割は金持ち・・・ )
社会的「衡平」: 累進課税”の制度。
社会保障諸政策(生活保護、児童・子ども手当、高校授業料無償化、
国立大学授業料低所得家庭への無償化 etc.)


★  盗夸
 
  ◆ 「盗〔とう〕の夸〔おご〕り(盗夸〔とうか〕)、道に非ざるかな」(53章)
   “盗人〔ぬすっと〕のぜいたく(盗人のリーダー〔親分〕)” 、
   みちを踏み外すことはなはだしいものです。


《 81章 》

○「聖人不積。既以為人、己愈有。既以与人、己愈多。」

■ 聖人は積まず。既(ことごと・尽/すで・に)く以て人の為〔た〕めにして、
  己〔おのれ〕は愈々〔いよいよ〕有り。既く以て人に与えて、己は愈々多し。

《 大意 》
聖人は、モノを蓄〔た〕め込んだりしません(/心に知を積め込まず空虚〔から〕です)。
何もかも他人〔ひと〕のために出し尽くしながら、
それでいてかえって自分がますます持つ(充実する)ことになります。
何もかもすべて、他人に与えていながら、
それでいてかえって自分はますます(心が/精神的にも物質的にも)豊かです

(*“ ── he is richer still.”)

平成日本の(経済的)格差社会/社会的“中庸”の実現/福祉国家・社会の実現

「高い席にいるものは、貨幣〔かね〕を出せ!安い席にいるものは、拍手を送れ!」

( ヨーロッパの古諺 )

≪参考資料≫

《 41 & 42 のペア 》

41. 損 【山沢そん】 は、へらす 

包卦(乾中に坤)。

● “損益の卦”、上経の“泰否の卦”と好一対、賓卦 「益」、 「遜」にも通じへりくだり奉仕する、“損して得とれ”、“ Give and Take ”―― まず与える 易は損が先、 正しい投資

5爻 「十朋〔じっぽう〕の亀〔き〕」(神占をするための高価な霊亀)登場、元吉

cf. 貝原 益軒・・・ 84歳で死ぬ1・2年前に 「益軒」を名のる、それまでは「損軒」

■ 沢は地表面が減損したものですから、沢が深いほど山は高い。
1)地天泰であったものが、3爻の一陽を減らして上爻に益した象。即ち、内を損して外を益した象。 
2)外、私の心を去って動ぜず(艮山)、内、悦んで(兌沢)修養努力する象。

○ 大象伝 ;「山下に沢あるは損なり。君子以て忿〔いか〕りを懲〔こ〕らし欲を〔ふさ〕ぐ。」
(沢は地表面が減損して、それが山となっている、自然の理です。そこから君子は、損することの道理を悟り、自分を抑え怒らぬように節制し、私欲・欲望を抑え 塞ぎ止めるようにするのです。)


42. 益 【風雷えき】 は、ます・ふやす

包卦(乾中に坤)

● 益する道、損(正しい投資)があって益あり、  賓卦 「損」
「損して已〔や〕まざれば必ず益す」(序卦伝)、 2爻 「十朋の亀」、永貞吉

■ 1)動いて(震雷)従う(巽風)象。   2)上より下にくだる。 「否」の4爻と初爻が入れかわったもので、上を損じて下を益すの象。 
3)雷(震)の裏卦が風(巽)で、陽陰共存の象。

○ 大象伝 ;「風雷は益なり。君子以て善を見ればすなわち遷〔うつ〕り、過ちあればすなわち改む。」
(風と雷は、互いに助け益します。そのように 君子は、自分の徳義が益するように、善いと見れば就〔つ〕き従って動き、自分に過失があれば勇気をもって改めるのです。)

cf. 『論語』より ; 「利に放〔よ〕りて行へば怨み多し。」 (里仁第4)
「君子は義に喩〔さと〕る。小人は利に喩る。」 (里仁第4)
「過〔あやま〕っては則ち改むるに憚〔はばか〕ること勿〔なか〕れ。」(学而第1、子罕第9)
 



≪ 【損・益】の深意 ── 現代的意義を考える ≫

 易の賓卦・反卦の【損・益】卦、
五行思想の相剋〔そうこく〕関係【水】と【火】、陰・陽の相対関係を、
矛盾・対立するものとして(弁証法的に)捉えるのは、西洋的かもしれません。

私が想いますに、今一つの考え方として、
両者がペアで協力してはたらくという捉え方ができるのではないでしょうか。

東洋的視点とも言えましょう。

それは、車の両輪やコイン(紙幣)の裏表などと例えるよりは、
「呼吸」のような関係に似ていると想います。── といいますのは・・・



※ この続きは、次の記事に掲載いたします。


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