(こちらは、前のブログ記事の続きです。)
《 日本文化 の 「水」 》
山崎正和〔まさかず〕氏は、「水の東西」(『混沌からの表現』所収/PHP研究所) の中で、
水の東西文化比較論を述べています。
その中で、日本と西洋(欧米)の水について、
典型的具体例として日本の「鹿〔しし〕おどし」と西洋の「噴水」を挙げて、
次のような水の対比で東西の文化を捉えています。
1) (日本の)“流れる水” と (西洋の)“噴き上げる水”
2) (日本の)“時間的な水” と (西洋の)“空間的な水”
3) (日本の)“見えない水” と (西洋の)“目に見える水”
日本人に好まれる日本の美というものは、「鹿おどし」に代表されるように、
“水の流れ”や“時の流れ”といった
変化するもの・流れるもの・循環するもの、の美です。
“時間”という目に見えない、形のないものです。
それに対して、西洋の美は、
「噴水」にシンボライズ〔象徴〕されるように自然に逆らって噴き上がり、
空間に静止し立体を感じさせる、人工的に造形された美です。 ―― 同感のいたりです。
想いますに。「鹿おどし」や「枯山水〔かれさんすい〕」に感じさせられる、
日本の水の文化は、繊細なイマジネーションの世界です。
その世界は、やはり中国源流思想がルーツでしょう。
水を“楽しんだ”孔子、
水をその思想(柔弱・不争謙下・強さなど)の象とした老子、
などの思想に他なりません。
上から下へと(高きから卑〔ひく〕きへと)自然に流れる水は、
老子の、無為自然・変化循環の思想の象〔しょう/かたち〕です。
下から上への人造的、有為不自然な欧米の思想とは、よく対照をなしています。 注9)
はるか太古の中国源流思想を、わが国の祖先・先哲が、
その“陶鋳力〔とうちゅうりょく: 優れた受容吸収力〕”をもって受け入れました。
そして、日本人の“(ものの)あはれ”・“をかし”といった繊細な感受性が加わって、
より格調高い、水に象〔かたど〕られた日本文化を形成しているのだと考えます。
注9)
易象〔えきしょう〕でみると西洋の文化は、多分に離・火【☲】であり、
東洋・日本のそれは坎・水【☵】であると想います。
というのも、離・火【☲】は人工物=文明であり、目の見えることであり、(外)形です。
そして、 “火”が下から上へと上昇するように、
(西洋の水の代表的あり方としての)噴水は
下から上へと自然と逆に流れてフォーム(形)を形成しています。
坎・水【☵】はその反対です。上から下へと流れ、無為自然です。
《 水=川の流れ ・・・ 鴨長明・『方丈記』 》
「川の流れのように」 や 「時の流れに身をまかせ」という名曲の表題は、
私たち(日本人)の感性によく適〔かな〕いよく知られています。
古代中国において、“水”は“川”と同意でした。
“水”は流れ移りゆくものであり、したがって川の流れであり、時の流れとも表現できるのです・・・
※ この続きは、次の記事に掲載いたします。
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(このブログ記事は、5月9日にメールマガジンで配信したものです。
そのメールマガジンをお読みくださった方から以下のようなご意見・ご感想が寄せられましたので、以下にご紹介させて頂きます。)
近所に小さな八幡神社があり、急な階段を下りていくと鳥居があり、
その脇には清水が湧き出ていて小川になって流れています。
今年もそうですが、清水の真ん中にある大きめの岩には、
鏡餅と、小さな柱に青い紙垂(しで)。
これは昔から祭っている「水の神様」だそうです。
ICU大学そばの野川公園内の縄文遺跡の跡にある清水の流れ出る所にも、
お供えを載せたであろう大きな岩があります。
氷河期が終わった後の五千年の中国文化よりも、
温かい暖流の流れる日本には悠に古い縄文文化が花開いており、
そして清水の湧き出る場所は、神の宿る所、と特に大切に感謝をしていたと思われます。
氷河期とても住めなかったヨーロッパ・アジア大陸と違って、
この東アジア一帯には、私の住む日野市近くでも3万年以上前からず〜と住み続けています。
縄文の人々は、黒曜石の分布などからも分かるように、
とても広い範囲で文化的に交流をしていたようです。
多摩センター駅近く、東京都埋蔵文化財センターで見ましたが、
明らかに占いに使ったと思われる傷の付いた鹿の肩甲骨が、遺跡から発見されていました。
また1万年前位までは、黄海や、東シナ海は、九州に近いところまで、陸地が広がっていたようです。
国家などと言う、「分別知」の世界観はなかった時代ですよね。
日本人の気質を今に伝えるような大らかに「神と共に生き」、
「クラフツマンシップ」を発揮していたことでしょう。
世界最初の食料革命となる縄文土器は、女性と子供が製作したそうです。
東京都埋蔵文化財センターが、警視庁の鑑識課に依頼して調べた結果だ、と教えてくれました。
京都の下賀茂神社に、鴨長明の方丈記の住いがあります。
第一宮「玉依姫命」は神のこころと交信していた方、そこの神官の息子が鴨長明。
今の私達の暮らしぶりとほど遠いような、神と一体になっていた祖先の方々だったと思います。
私の中にも内在する先祖の残してくれた「アーラヤ識」を発現させて、
謙虚に少しでも良い世の中にお役に立てていけたらと、毎日を学びながら過ごしております。
今後ともよろしくご教示方お願いいたします。
(東京在住 65歳 男性)
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