さる‘13年2月17日(日)、関西師友協会(大阪・心斎橋)の “篤教講座”の中で、
私 盧が《 安岡正篤先生に学ぶ 「老子」 》 と題して発表しておりましたものの
最終講義を終了いたしました。

photo_20130217_1

昨年6月17日に第1回目、10月21日に第2回目、
12月17日に第3回目の発表を行いました。

本来3回シリーズの予定でしたが、今回(第4回目)は望まれての延長追加講義です。

「老子」のやり残していた部分やポイントのまとめを行ない、
しっかりと充実した講義となりました。


この「老子」の発表は、本来は‘11年12月に予定されていたものです。
(私の健康上の理由で半年先送りにしたものです。) 

従って、このたびの「老子」の研究・教材作成は、
2年余りに亘〔わた〕る“本格的”なものとなりました。

私にとりましても、“本格的”である「老子」に相応しい取り組みとなったことを
嬉しく思っております。


 さて、東洋思想の泰斗〔たいと〕、故・安岡正篤先生も述べられておられますように、
“易”と“老子”は東洋思想・哲学の至れるものであり行きつくものであり、
ある種、憧憬〔あこがれ・しょうけい〕の学びの世界です

私は、浅学菲才〔せんがくひさい〕に加えて、50代の若さにもかかわらず、
機妙な縁と善き機会と場を得て「易学」と「老子」を
二つながらに講じさせて頂いていることを、まことに有り難く想っております。


 東洋の奇書、『易経』と『老子』は難解をもって知られます。

諸々の教養人の思想・学問的憧憬である一つの所以〔ゆえん〕でもありましょう。

とりわけ『老子』は、神秘に満ち謎めいていて、
解釈も難解を超えて諸説紛々〔ふんぷん〕意味不明という箇所も多々あります。

私は、これまで多くの講義・講演を行ってまいりました。
が、今回は東洋思想の “至れるもの”「老子」を
オリジナル〔原典〕から紐解〔ひもと〕いて総括的に活学するものでしたので、
大きな手ごたえがありました。


 ところで、E.H.カー は「歴史とは、現在と過去との対話である」と言い、
孔子は「温故而知新」
(故〔ふる/古〕きを温〔あたた/たず・ねて〕めて新しきを知れば、以て師となるべし)
の名言を残しております。

そもそも、優れた古典を修める(修めねばならない)意味は
この言〔ことば〕の中に在ります。

それは、古典を“活学”するということです。

今回の研究では、“帛書老子”・“楚簡(竹簡)老子”の
新発見による研究成果も踏まえながら、
20世紀初頭、平成の現代(日本)の“光”をあてながら、
「老子」と“対話”してまいりました

故〔ふる〕くて新しい「老子」を活学してまいりました。 

―― 具体的には、“コギト(我想う)”や“トピックス〔時事〕”に述べてある試みがそれです。
《老子の“現実的平和主義”に想う》/
《ユートピア=理想郷(社会・国家)について》/
《水【坎】を楽しむ》
などは、かねてから取り組んでおきたかったテーマです。


 いま、大役を何とか全うして、
私の好む心地よい安堵感と充実(達成)感を味わうことができております。

学修は、≪学ぶ → 楽しむ → 遊ぶ≫ と進展して行きます。

想いますに“楽しむ”という境地は、
例えば、料理を(ただ美味しく食べるのではなく)しみじみと味わうとでもいった境地、
苦しい登山で山頂に立ったような境地ではないか、と考えております。

私は、このたび「老子」と“対話”してみて、
≪学び≫の世界から≪楽しみ≫の境地へと一歩近づいていったような気がしております。


 なお、テキスト教材は、私のオリジナルで執筆・制作した、
“PART 1”(A4/65ページ)と“PART 2” (A4/64ページ)を用いました。

講義用に『老子』の原典・解説書を英文文献も交えて解かり易く書き下ろしており、
又「易学」の視点も盛り込んだ老子の総括的内容となっております。

難解をもって知られる老子の思想を、
咀嚼〔そしゃく:よくよくかみ砕き味わうこと〕してポイントをまとめあげ、
そしてビジュアル化も図った労作です。

“PART 1”は第1回目・第2回目で、“PART 2”は第3回目第4回目で用いました。

また、当真儒協会副会長・嬉納禄子〔きなさちこ〕女史により、
全4回のビデオ録画をしていただきました。

これらのテキスト教材やDVDは、後学の人のために良きツール〔手段・方法〕となることでしょう。


◇オリジナル・テキスト(“PART 2”)の内容項目のあらましは、以下のとおりです。

『 安岡正篤先生に学ぶ 「老子」 (“PART 2”) 』  by.盧 秀人年

                       * カット: 横山大観・画
                        引用資料: 朝日新聞/同“天声人語”

『老子道徳経』 ※(本文各論)解説

(“PART 1 の続き”)

 道 と 徳 
  【 老子: 51章 】
   (養徳・第51章)   ≪ 老子のキーワード ―― 「道」と「徳」 ≫ 
                  §.「道 生 之」

  / 愚 / 無知  
  【 老子: 20章/第48章 】
   (異俗・第20章)   ≪ 老子の 「絶 学」 ≫ 
                  §.「絶 学 無 憂」
   (忘知 第48章)   ≪ 老子の 「学」と「道」 ≫ 
                  §.「為 学 日 益」/「無 為 而 無 不 為」

  ( 不争謙下 )
  【 老子: 8章/66章/(68章)/78章 】
   (易性・第8章)    ≪ 老子の思想の“象〔しょう〕”は、 ・・・ 水 ≫
                  §. 「上 善 若 水」
   (任信・第78章)   ≪ 水の “柔弱の徳” ≫
                  §. 「天 下 柔 弱」 

   ◆コギト(我想う) ・・・ 《 水【坎】 を楽しむ 》 :
    → はじめに 【坎】 と 【離】/
    トピックス〔時事(2011:春)〕 ― 水 【坎】に想う(2012記)/
    易(象)と水/孔子(/孟子)と「水」/孫子と「水」・・・「兵形象水」/
    日本文化の「水」/水=川の流れ・・・鴨長明・『方丈記』/
    レオナルド・ダ・ビンチと「水」

 雌・女(母)性 
  【 老子: 6章/28章 】
    (成象・第6章)   ≪ 陰・女(母)性的なるもの ≫
                  §.「谷 神 不 死」/「玄 牝 之 門」
    (反朴・第28章)  ≪ 素朴へ返れ ―― 雌・黒・辱を守れ ≫    
                  §.「知 其 雄 」

 運命論(禍福循環) 
  【 老子: 58章 】 cf.塞翁馬
    (順化・第58章)  ≪ 老子の運命論 /cf.“塞翁が馬” ≫
                  §.「其 政 悶 悶 」 
    ◆原典研究 ・・・ 《「塞翁馬」》(『淮南子』)

 (黄老)政治/指導者(リーダー)    聖人・君子/ 指導者〔リーダー〕像
  【 老子: 17章/ (54章)/ 49章/ (26章)/ (58章)/60章 】
    (淳風・第17章)  ≪ 指導者(リーダー)のランキング ≫ 
                  §.「太 上」 
    (任徳・第49章)  ≪ 儒学/孟子 に同じ! ―― 指導者〔リーダー〕像 ≫
                  §.「聖 人 無 常 心」
    (居位・第60章)  ≪ 理想の政治 ―― 「若烹小鮮」 ≫
                  §.「 治 大 国 」

 不戦(非戦)・不争  
  【 老子: 31章 】 (30章/81章) (*安岡正篤:「シュヴァイツァーと老子」 )
    (偃武・第31章)  ≪ 老子の平和主義 ―― 「戦勝以喪礼処之」 ≫ 
                  §.「夫 佳 兵」
   ◆コギト(我想う) ・・・ ≪ 老子の“現実的平和主義” に想う ≫ :
    → はじめに /老子の平和主義・反戦思想/老子とシュヴァイツァー&トルストイ/ 
    安岡正篤・「シュヴァイツァーと老子」/(空想的)平和主義・反戦/スポーツと戦い/
    結びにかえて 

 国 家 
  【 老子: 小国寡民/60章 】
    (独立・第80章)  ≪ 老子のユートピア(理想国家・社会)思想 ≫ 
                  §.「小 国 寡 民」 
   ◆原典研究 ・・・ 《「桃花源の記」》(『陶淵明集』より 陶 潜〔淵明〕) 


《 結びにかえて 》 ・・・ 『老子三宝の章』/「無名で有力であれ」「壺中天」(安岡正篤)
  【 老子・三宝: 67章/81章 】
    (三宝・第67章)  ≪ 老子の 「三宝」 ≫
                  §.「天 下 皆 謂」 


    ―――― 名で力であれ」 (安岡 正篤) ――――     


  ● 六 中 観   ぁ壺中  有り : どんな壺中の天を持つか

  ☆  《 壺中天 》 : 黄老の世界 ―― 現実の中にあって心中は隠者の世界に遊ぶ ・・・
                      ( 学ぶ → 楽しむ → 遊ぶ )    by.盧


(※オリジナル・テキストの具体的内容は、ブログ【儒灯】・定例講習「老子」で逐次〔ちくじ〕ご覧になれます。)

photo_20130217_2


 今回の研究発表を終わるにあたり、有名な「老子三宝の章」(§.67章)を扱いました。

そして、結びにかえて、老子のキーワードと他の思想のキーワードとの関連、
安岡先生のモットーであったという「名で力であれ」 と 
「六 中 観」の“壺中天有り ”について語りました。

そのテキスト教材の一部を、以下抜粋引用いたしておきます。


「所謂『老子三宝の章』といって有名な言葉であります。
今日のように全く老子と反対に枝葉末節に走り、徒に唯物的・利己的になり、
従って至るところ矛盾・衝突・混乱を来してくると、
肉体的にも生命的にもだんだん病的になる。
善復た妖となるで、元来善であり正である筈の文明・文化がそれこそ奇となり妖となる。
今日の文明・文化は実に妖性を帯びております

こういうことを考えると、我々は老子というものに
無限の妙味を感ぜざるを得ないのであって、
これを自分の私生活に適用すれば、この唯物的・末梢的混濁の生活の中に
本当に自己を回復することが出来るのであります。
こういう風に絶えず現代というもの、われわれの存在というものと結びつけて
生きた思索をすれば、読書や学問というものは限り無く面白く又尊いものであります
。」

(*安岡正篤・『活学としての東洋思想』所収「老子と現代」 pp.134-135引用)


【老子:むすびに】 ( ジ・ジン・ヒ・アイ )

老子【慈】 ≒ 孔子【仁(忠恕)】 ≒ 釈迦【悲(慈悲)】 ≒ イエス【愛】

「道」/無為自然 ≒ ☆ハーモニ/バランス ≒ *中庸/中和・時中

harmony 〔調和〕 / balance 〔均衡〕 
「中」の: 1)ホド、ホドホド  2)止揚〔アウフヘーベン〕


 ―― − − − − − − − − − − − − − − − − − − ――


―――― 名で力であれ」 (安岡 正篤) ――――

六中観

 
1.忙中  有り : 忙中に〔つか〕んだものこそ本物の閑である。
2.苦中  有り : 苦中にんだ楽こそ本当の楽である。
3.死中  有り : 身を棄〔す〕ててこそ浮ぶ瀬もあれ。
4.壺中  有り : どんな境涯でも自分だけの内面世界は作れる。どんな壺中の天を持つか
5.意中  有り : 心中に尊敬する人、相ゆるす人物を持つ。
6.腹中  有り : 身心を養い、経綸〔けいりん〕に役立つ学問をする。

   cf.1→「閑な時の読書身につかず」  3→「窮鼠〔きゅうそ〕猫をかむ」


「私は平生〔へいぜい〕 窃〔ひそ〕かに此の観をなして、
如何なる場合も決して絶望したり、仕事に負けたり、屈託したり、
精神的空虚に陥らないように心がけている。」

          ( 『安岡正篤・一日一言』、致知出版社 引用 )


☆ 《 壺中天 》 : 黄老の世界 ―― 現実の中にあって心中は隠者の世界に遊ぶ ・・・
                      ( 学ぶ → 楽しむ → 遊ぶ )      by.盧


                                                
 ( 以 上 )


「儒学に学ぶ」ホームページはこちら
http://jugaku.net/

メールマガジンのご登録はこちら



にほんブログ村 哲学・思想ブログ 儒教・儒学へ

にほんブログ村