《 はじめに 》

小春日和〔こはるびより〕、穏やかで快〔こころよ〕い日々の今日この頃です。

さる11月23日(日)、真儒協会・定例講習の後、
「盧先生・還暦祝の会」が催されました。 (於:北京料理“百楽”) 

定例講習受講者の多数の皆様が参加され、
暫〔しば〕し楽しい会食歓談の時 補注) を過ごしました。

勉学一途〔いちず〕の当会では、いつもに無い一時〔ひととき〕です。

記念として残す意味で、スナップ写真とスピーチを掲載しておきます。


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○ 「‘14.11.23 定例講習」 と 「盧先生・還暦祝の会」


なお、発足以来、当会とご交誼いただいている南河内照隅会の
“南河内照隅会・8周年記念大会”(11月9日、於:大阪狭山市市民会館)
に招かれて、嬉納〔きな〕先生と二人行ってきました。

その折りの写真を頂戴いたしましたので、合わせて掲載しておきます。


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○ 「南河内照隅会・8周年記念大会」


補注) 

「楽〔がく〕」「楽しむ」ということは、
古来から東洋(儒学)思想で重視されてきたところです。

「会食」は、辞書の定義では“懇親・感謝やねぎらいのために、
ふだん食事を共にしない何人かの人たちが一緒に食事をする”ことです。

―― 指導者(リーダー)と一般ピープルとが、時に分け隔て無く楽しむということは
時と処〔ところ〕を超えて大切なことです。

これは教師と生徒との関係でも言えることだと想います。

易卦でいえば、さしずめ【水地比 ☵☷】の時といったところでしょうか。


《 嬉納 ご祝辞 》

真儒協会副会長/「盧先生還暦祝の会」代表幹事:
嬉納 禄子 〔きな さちこ〕


みな様、本日はお忙しい中、盧先生の還暦のお祝いに多数お集まりいただき、
まことに有り難うございます。

―― 盧先生! この度〔たび〕は、還暦をお迎えになり
まことにおめでとうございます。

日頃、“大阪府教育会館”で受講している生徒を代表してお喜び申し上げます。


今年度(2014/H.26)は、盧先生の還暦と真儒協会開設8周年にあたっております。

そこで、盧先生の誕生月の11月にお食事会を開催することを先生に打診いたしました。

そうしますと、「忘年会を兼ねて皆様に祝ってもらえるなら、結構なことです」 
との嬉しいお返事をいただきました。

真儒定例講習の受講生のみな様に参加をおはかりいたしましたところ、
ほぼ全員の方がお集まりくださいました。

大変嬉しく思っております。


さて、「還暦」と申しますのは、
10干〔じゅっかん〕・12支の「干支〔かんし・えと〕」が一回〔ひとまわ〕りして
60年で生まれた「干支」に戻ってくる、というものです。

次の年からは二回〔ふたまわ〕り目に巡ります。

盧先生におかれましては、ご健康に気をつけられて、
まずは次の巡りの70歳の「古稀〔こき〕」を目標にして、
ますますのご活躍をしていただきたいと願っております。


ところで、『易経』の【沢風大過 ☱☴】 2爻に、

● 「枯楊〔こよう〕稊〔ひこばえ〕を生じ、老夫その女妻を得たり。利ろしからざるなし。」
(象に曰く、老夫女妻とは、過ぎて以て相い與〔くみ〕するなり。)


とあります。

「枯楊」は枯れた“やなぎ”。

ヒコバエ〔稊=蘖〕」は、木を伐〔き〕った根株から出てくる“芽”
( → 生命力・中(生み出す)の力・化育 )ということです。

つまり、年の差が「大いに過ぎる」の意味から、
老いた男性が若い妻を迎えるということが、
老人を活性化して非常によいことだという意味で書かれています。


今の日本は超高齢社会が進み、平均寿命も男性80歳、
女性87歳(*今年のデータ)ということになってまいりました。

盧先生はじめみな様は、平均寿命からみればまだまだお若うございます。

「ヒコバエ〔稊=蘖〕」のように、ますます若返って
“新芽”を出していただきたいと思います。


結びにあたり、盧先生、どうかこれからも学業のご指導をよろしくお願いいたします。

真儒協会のますますの充実と、盧先生はじめ
みな様のご健勝をお祈りいたしましてご祝辞を結ばせていただきます。 

―― ありがとうございます。


《 盧 スピーチ 》

真儒協会会長: 盧 秀人年 〔たかねひでと〕


あらためまして、皆様こんばんは!

本日は、喜納〔きな〕先生はじめ有志〔ゆうし〕の皆様のご尽力をもちまして、
私の還暦祝の会を催していただきありがとうございます。

お集まりの皆々様には、日頃のささやかな師恩に報いてやろうとのお心遣い、
誠〔まこと〕に嬉しく感謝に耐えません。


私は、長年、“易”を中心に研究し教えてまいっておりますので、
“易”に関連づけたお話を2つして還暦のご挨拶としたいと思います。

私は“一白水性(気学)”で“水”の人間であり、
同時に“丙〔ひのえ〕(四柱推命)”日干〔にっかん〕で“火”の人間でもあります。

また、“易の八卦〔はっか・はっけ〕”で、
【坎〔かん〕 ☵/水】と【離〔り〕 ☲/火】が本質的・根源的に
重要なものであるとの持論を持っております。

そこで、此の両者にまつわるお話をしたいと思います。


〈其の機

先ほど、“ひこばえ〔稊/蘖〕”のお話、
老夫〔ろうふ〕が若妻を娶〔めと〕るというお話がありました。

【沢風大過 ☱☴】 2爻「枯楊〔こよう〕稊〔ひこばえ〕を生じ、
老夫その女妻を得たり。利ろしからざるなし。」
の「利ろしからざるなし」は、二重否定ですから
“おおいに善いことだ、結構なことだ”の意味です。

善いお話です。

今年の、“いまを斬る創作時事用語”上位の
「老いラブ」(=以前の“老いらくの恋”、元気な高齢者の意) の世界ですね。


さて、若妻を娶るということで、
“キツネ〔狐〕の妻(女房〔にょうぼう〕)”の話を連想いたしました。

キツネが“美しい女性〔にょしょう〕”に化けて
“直〔ちょく〕なる男性”の妻になる物語で、皆様よくご存じですね。

太古の昔から、各地の民話・伝承によく見られるものです。

平安期の“陰陽師〔おんみょうじ〕”のカリスマ的存在
“安倍晴明〔あべのせいめい〕”のお母さんは“信太〔しのだ〕”の森の狐
(葛葉姫〔くずのはひめ〕)であったという伝承は有名ですね。

そして、普通は、犬に吠えられるとか何かのきっかけで正体がバレてしまうと去って行きます。

(“ツル〔鶴〕の妻”ではありますが)“夕鶴”のラストシーンは有名ですね。

しかし、正体がバレてしまった後に、改めて人間の妻に化け続けてもらい、
仲むつまじく生涯幸福に暮らすという、何とも頬笑〔ほほえ〕ましい物語もあります。


この“キツネの妻”の話を、先頃、易学的“象〔しょう/かたち〕”で考えてみました。

易で“キツネ”は、【坎〔かん〕 ☵】の象です。

『易経』の63番目【火既済 ☲】、64番目【火未済 ☲】で
“小狐”の物語が語られているのは、【坎 ☵】の象が“キツネ”だからです。


しかしながら、【坎 ☵】は、水・悩み・賢さ・中男 ・・・ 
といった象意ですから、“美しい女性”とは全然結びつきませんね。

―― ここで私に一つの閃〔ひらめ〕きがありました。

“直なる男性”、は“キツネ”と(思って)結婚したのではなく、
(“キツネ”が化けた)“美しい女性”と結婚したわけです。

つまり、“キツネ”が“化ける”=“大いに変化する”のですから、
陰陽を真逆にします。

そうしますと、【坎 ☵】は【離〔り〕 ☲】に変化します

【水既済 ☵】にも【水未済 ☵】にも【離 ☲】があります。

【離 ☲】は、火・美しい・明晰・欺〔あざむ〕き・中女(美人) ・・・ の象意です。

この閃〔ひらめ〕きで、“キツネの妻”の謎が易学的に解明できたように想っております。


〈其の供

次に、私の好きな卦の一つであります【山火賁〔さんかひ〕 ☶☲】の卦についてお話したいと思います。

【山火賁】は、“かざる・あや”、知識・教養で身を賁〔かざ〕るという意味です。

象〔しょう・かたち〕をみてみますと、山【艮☶】の下に火=太陽【離☲】ある象ですから、
山に沈まんとする太陽(夕陽・夕映え・有終の美・衰退の美・)の卦意です。

人生〔ライフステージ〕でいえば晩年、晩年の煌めきの卦ですね


ところで、シャレではありませんが、朝日新聞の調査で
“朝日”と“夕日”とではどちらが好きですか? というのがありました。

易卦で“朝日”はさしずめ【地風升〔ちふうしょう〕 ☷☴】、
“夕日”は【山火賁 ☶☲】でしょう。

皆様はどちらがお好きですか? 

調査結果は、“朝日”が30%、“夕日”が70%というものでした。

沈み行く“夕陽(太陽)”の最後の煌〔きら〕めきは、
何にもまして荘厳で美しく感じられます。

夕暮れ時を“たそがれ〔黄昏〕”(時)といいます。

私は、遙〔はる〕かな若い頃から、何かの本で用いられていた“神々のたそがれ” 補注) 
という言葉が、何とはなしにですが好きでした。

“人生のたそがれ”“賢者のたそがれ”を、何とも美しくイメージしているのです。

わが国では、超高齢社会が進展しておりますが、
この晩年・“人生のたそがれ”を【山火賁】卦=夕陽の美しさに重ねて、
輝いたものにしたいと切に願っております。

“美”とは“徳”が象〔かた〕どられたものです。

現代は、道義が廃〔すた〕れて、急速に後退〔あとずさ〕りしているような時勢です。


人生の終〔しま〕いを、晩節を、美しく賁〔かざ〕りたいものです。


補注)

R.ワグナーの楽劇四部作「ニーベルングの指輪」:ジークフリート/
神々のたそがれ/ラグナロフ


以上、“易”に関連づけてお話しいたしましたが、
結びは『論語』の文言を引用したいと思います。


○「子曰く、我に数年を加〔か〕し、以て易を学ぶことを卒〔お〕えしめば、
  以て大なる過〔あやまち〕無かるべし。」 
(述而第7-16)

おそらく、孔子晩年の言葉でしょう。

私も30年来“易”を学んでまいりまして、今、還暦を迎え、
この言葉を言った孔子の心境がよくよく理解〔わか〕るような気がいたします。

“易”を活学してその研究をまとめ、
“未来に向かって急速に後退〔あとずさ〕りしているような時勢” の世に、
指針として残すことが私のライフワークです。


先ほど嬉納〔きな〕先生が、ごあいさつの結びで申されました
「古稀〔こき〕」・「従心〔じゅうしん〕」(=70歳)を目標に、
精進してまいりたいと思います。

そして、皆様には定例講習や講演を通じて、
その成果をしっかりとご指導してまいりますことをお約束して、
私のスピーチの結びといたします。


―― 皆さん、ともどもに“学び”・“楽しんで”まいりましょう。

本日は、誠にありがとうございました。


( 以 上 )