儒灯

【温故知新】儒学の普及に力を注いでおります真儒協会 会長、高根秀人年の個人ブログです。 『論語』、『易経』を中心に、経書の言葉を活学して紹介して参ります。 私個人の自由随筆、研究発表などのほか、真儒協会が毎月行っております定例講習についても掲載しております。

2015年03月

謹賀乙未年  その3

(こちらは、前のブログ記事の続きです。)

《 干支の易学的観想 / 【風地観 ☴☷】・【沢風大過 ☱☴】卦 》

まず、「未=羊」。「未」は、一般に動物の「羊」に当てはめられます。

動物の「羊」(の類い)は、文字の象〔かたち/しょう〕から、
「兌〔だ〕」・易八卦の【兌 ☱】に通じます

「兌〔だ〕」といいますのは
(「忄」“りっしんべん”をつけた)「悦〔えつ/よろこ・ぶ〕と同じです。


“喜悦〔きえつ〕”・“悦楽〔えつらく〕”などの「悦」です。

「悦」は、“笑い”でもあります。

「兌」の重なった卦【兌為沢〔だいたく〕 ☱☱】を、
新井白蛾が“笑う少女”の象と表現したことが思い起こされます。 

―― 「羊」が2匹、=“悦び”また“悦び”・“笑い”また“笑い”、の一年にしたいものです。


次に(やや専門的になりますが)、十干・十二支の干支を
易の64卦にあてはめて(相当させて)解釈・検討してみたいと思います。


昨年の干支、「甲・午」は【雷火豊 ☳☲】卦でした。

中天に輝く太陽、豊大に富むの意でした。

今年の「乙・未」は【風地観 ☴☷】卦、先天卦は【沢風大過 ☱☴】となります。


【風地観】卦は、精神性重視、心眼で深く観る、“観光といった意です。

観世音(観音・観自在)菩薩の“観”で、
精神性重視の3卦〔【観】・【无妄】・【遯】〕の一つです。  ※(→資料参照のこと)


マンガ家・手塚治虫氏の作品に、「三つ目がとおる」といった
“第三の目”を持つ少年の話があったかと思います。

“心眼”・“心耳”=“シックスセンス”の世界ですね。

『中庸』にも“見えざるものを観、聞こえざるものを聴く”とあったかと思います。 注) 

両の目も耳も“フシ穴”の人が多い時勢です。

あらためて、心したいものです。


また、現代広くよく用いられている“観光”の語は、
この卦の4爻〔こう〕が語源です。

現代語で“観光”といえば、専〔もっぱ〕ら、物見遊山のレジャーですね! 
が、しかし、原典爻辞には、「国のる」 とあります。

すなわち、国の文化を観、将来を観る、“兆し”を読む、ということなのです。


ちなみに、愚息・未来〔みく〕はこの春、早稲田大学から英国・ロンドン大学
〔“University College London”・心理学部:世界ランキング第4位〕に留学いたします。

―― これは、(かつて世界史上に偉大であった)
“大英帝国”〔“United Kingdom of Great Britain and Treland”〕
る」ために行くことに他なりません。


  注)
  『中庸』・第16章に、「鬼神の徳たる、其れ盛〔さかん〕なるかな。
  之を視〔み〕れども見えず、之を聴けども聞こえず、物に体して遺〔のこ〕すべからず。」 
  とあります。

  《大意》
  (天地宇宙の働き=造化 を「天」といい「鬼神」といいます。
  この鬼神の徳というものは、実に盛大です。
  しかし、形を持たないので肉眼で見ようとしても見えません。
  声を持たないので、耳で聴こうとしても聞こえません。
  けれども、その鬼神の徳(=はたらき)というものは、
  すべて自然に、万物の上に現れているのです。
  宇宙の間に在るものはすべて、鬼神の徳によって生まれ、
  そのフオーム〔形体〕を得たのです。) 

  *「鬼神」:神は天神(天〔あま〕つ神)と地祗〔ちぎ〕(国つ神)をいいます。
    鬼〔き〕は、人の霊魂をいいます。


  『老子』・第14章に★も、之を視〔み〕れども見えず。/
  之を聴けども聞こえず。/之を搏〔とら〕うれども得ず。」 と、
  「道」が超感覚的な存在であることが述べられています。


先天卦の【沢風大過 ☲☰】卦は、大(陽)が過ぎるの意。

「過」は“不及”の反対です。

『論語』に「過ぎたるは猶、及ばざるが如し」(先進・第11) とあります。

本来、草木を養育すべき水も多すぎると植物を腐らせます。

“過労”・“過食”・“過色”・・・・ 本来良いものも、
過ぎるとダメですという「中庸」の教えです。 ※(→資料参照のこと)


☆参考資料 ≪ 盧:「『易経』64卦奥義・要説版」 pp.20・28 抜粋引用≫

20. 観 【風地かん】  は、あおぎみる。

  精神性3卦〔観・无妄・遯〕
  大卦(大艮) 12消長卦 (9月)※旧8月
                        
  ● 精神性重視、心眼で深く観る観光、教育・教化・指導・(感化)、大衰の卦
    cf.観世音(観音・観自在)菩薩 ・・・精神の高められた心でみる
    ・「観」の意 (1)みる → よくみる・こまかにみる
           (2)大観(俯瞰) → 大所高所からみわたす
                       ex.横山大観
           (3)仰観 → 下より仰ぎみる
    ・「孚〔まこと〕ありて顒若〔ぎょうじゃく〕たり。」 (卦辞) 
        ・・・ 厳粛な気持ちで事に臨む
        顒若=厳粛な形、様子、恭敬のさま
        cf.大阪 四条畷〔しじょうなわて〕神社 
              ―― 石段の両側に「有孚」・「顒若」
    ・4爻辞 「国のる」 
        ・・・ 国の文化を観、将来を観る、“兆し”を読む。
            “観光”の語源   cf.観象=易の占の結果を観る
   
    たかね研究 : ≪“見えざるものを見、聞こえざるものを聞く”≫
       「観」は 目が3つ ・・・両の目と心眼 
                     ex.塙〔はなわ〕保己一、ヘレンケラー
                     cf.手塚治虫・「三ツ目がとおる」
             耳も3つ ・・・両の耳と心耳  
                     ex.ベートーベン“第九”の作曲、
                        千手舞踊団メンバー
       ・「」= “兆し”・“機微” 
             ・・・物事が変化する前に先んじて現われる、
                わずかな兆し・兆候(機微)。心眼・直感で “観る”
       ・「立筮」 / シックスセンス〔第6感(観)〕 / インスピレーション〔霊感〕

  ■ 下卦 坤地、上卦 巽風。        
    1)風と地、心がすなおでへりくだる象。
    2)上卦巽風は号令、下卦坤の民が仰ぎみる象。
    3)坤地を巽風が行く、万物は風に接する。
      風が遍〔あまね〕く地上を吹き渡るよう四方を観察するの義。

  ○大象伝;
    「風の地上を行く観なり。先王以て方を省〔かえり〕み、民を観て教えを設く。」

    (巽の風が地上を行くのが観卦です。
     風は万物を育成し、万物は風の吹くままになびき順って動いているのです。
     古のよき王は、この風の恵みが万物に及ぶ象にのっとって、
     東西南北を、遍く巡幸(観察)なさり、人民の生活風俗の情況を観察され、
     徳育を教化(感化教育)し、それぞれに適した善政を布〔し〕いたのです。)

     ※ 今の日本、永田町の議員ご歴々も心してほしいものです。(by.高根)


28. 大過 【沢風たいか】  は、大いに過ぎる。

  遊魂8卦、
  似坎で悩み多し

  ● 大(陽)が過ぎる 「過」は“不及”の反対、 過食・飲み過ぎ・過労死・房事過多
   ・「棟撓〔むなぎたわ〕む」 (卦辞) ・・・ 棟木は屋根を支える横木
   ・「顚〔くつが〕えるなり」 (雑卦伝) ・・・ 家 倒壊の危機

  ■ 下卦 巽風、上卦 兌沢。
    1)似坎〔にせかん〕にて、坎の洪流・氾濫の憂い。/
      水中に風木の象にて洪水や沈没。
    2)棟撓む象。棟(2・3・4・5爻の4陽)が強すぎて、
      両端の柱(初・上爻の2爻)弱く下に曲がる。 
      下卦巽木、上卦兌は倒巽で木。
      巽は長い・調えるで4陽強剛で棟の象。/
      大坎の似象で、坎には棟の象あり。
      撓むも坎の象(凹む)。/
      巽は曲がる、兌は毀折から撓むの象。

    ※ 2陰4陽の卦は15卦あるが、【大過】は陽4つの爻が中央に結集していて過大。

  ○大象伝;
    「沢の木を滅すは大過なり。
     君子以て独立して懼れず、世を遯〔のが〕れて悶〔うれ〕うることなし。」

    (兌沢の下〔中〕に巽木が沈んでいるのが大過の卦です。
     本来、木を養育する水も、大いに過ぎれば木を〔腐らせて〕滅ぼしてしまいます。
     君子は、この象にのっとって、
     〔リーダーの立場にあれば、人に過ぎたる行いをするように心掛ける。〕
     危急存亡の時、〔濁世にあっても、洪水のような非常事態にあっても〕 
     毅然として自主独立して、恐れ動揺することなく、
     また世を遯〔のが〕れ隠れて
     憂悶〔ゆうもん: うれい・もだえる〕することもないのです。)

     ※ 「独立不懼」 cf.「独立自尊」(福沢諭吉)




《 おわりに 》

先述のように十二支の「未〔み〕」「昧〔まい〕」 (「曖昧〔あいまい〕」の「昧」)に通じ、
“くらい”・“くらいものを明るくせよ”の意味でした

“くらい”といえば、易卦の【山水蒙〔さんすいもう〕 ☶☵】が相当します。

「蒙」は“くらい”、(頭が)蒙〔くら〕いの意です。

「無知蒙昧〔もうまい〕」という熟語もありますね。
その蒙〔くら〕きを啓〔ひら/てら・す〕くのが「啓蒙〔けいもう〕」です。

西欧・米や日本の明治維新期における“啓蒙思想: enlightenment”は、
“理性の光でくらきをてらす”の意味でした。

それが、現在では“(心の)蒙〔くら〕きをの光で啓〔てら/ひら・く〕す”(真儒協会)
の意味に変じています。


私には、この【蒙】卦の状況が、
とてもよく現代の平成日本の時勢を現〔あらわ〕しているように想われます。

ですから、 「無蒙昧」ではなく「無蒙昧」です! 

真儒協会の“啓蒙照隅”の語も (心の)蒙〔くら〕きをの光で啓〔てら/ひら・く〕す、
の一灯をもって隅〔すみ〕を照らす、の意味に他なりません


「未〔み〕」“未来”〔いまだ来たらず〕に通じ、
“未〔くら〕き”を“啓〔ひら〕く”べきことを教えています。

本年は、心眼よく観て、人生行路に“繁茂した枝葉(しがらみ)”を
剪定〔せんてい〕するようにキルべきはキリ整える、
“啓蒙”・“啓未”の創造的活動を進めて行く年にしたいと思っております。


( 以 上 )


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謹賀乙未年  その2

(こちらは、前のブログ記事の続きです。)

《 未 → 羊 あれこれ 》

十二支・「未年」は、一般に「未〔ひつじ〕年」と言われ、
動物の“羊〔Sheep〕”に擬〔なぞら〕えられます。

羊ににちなむ言葉や言い回しについてをあれこれ述べてみましょう。


「羊」のつく(含む)文字は、「美」・「義」・「善」・・・など、
よい意味の文字が多いですね。


“姓名学”の世界で、名前に「美」の文字のつく人は、
長女である場合が多いと言われています。

私の身近にも“由美子”・“美子〔よしこ〕”・“久美(子)”・“良美” ・・・ 
などたくさんいらっしゃいます。

親御〔おやご〕さんは、初めての女子が生まれた時
“美しくあれかし”・“美〔よ〕くあれかし”などと思って
「美」の文字を用いて“命名”したものなのでしょう。

(符名〔ふめい〕と異なり)“命名”は、何よりの“言霊〔ことだま〕”ですから。

しかるに、“姓名学”的な見方からしますと、
「美」は“大きな羊”で、
(家の)犠牲になることを暗示していると考えられたりもしています。

「羊」は本来、祭祀〔さいし〕での“いけにえ”(捧げもの)に用いられましたので、
長女の場合、親の面倒をみるとか介護するとか家のために犠牲になることが多いからでしょう。


ちなみに、国名で“美国〔メィクオ〕”は“アメリカ合衆国〔The U.S.A〕”です。

これは、“阿利加〔アメリカ〕”・“利堅〔メリケン〕”の略で、
“音”を借りたものでしょう。 ── それはさておき。


■1.まず、「羊」“(神への)捧げもの”との視点から見てみましょう。

「羊」という動物は、洋の東西を問わず人間と神(信仰)に身近な動物です。

古代中国では、(天にたいする)祭祀〔さいし〕での
“捧げもの”・“供物〔くもつ〕”に用いられています。

「義」という文字は「羊」+「我」です

「我」はギザギザな刃のある“ノコギリ”の象形ですから、
羊を“捧げもの”として殺す様子、厳粛な礼法に適った振る舞いの意味です。


「いけにえ〔生け贄・生贄・犠牲〕」ということばがあります。

その歴史は古く、神に供え感謝の意を表したもの(=にえ〔贄・牲〕)で
生きたまま神に供えるものをさすものでしょう。

また「人身御供〔ひとみごくう〕」ということばがあります。

「いけにえ」として人間を神に供えること(=犠牲)です。

世界中で原始の時代から行われており、
ごく限られた地方によってはかなり近代に至るまで行われていたようです。

その「人身御供」人間は若い(美しい)女性である場合が多いようです。

想ってみれば、神話の世界で現在に残り伝わっている太古の風習ということです。

例えば、記紀神話の世界でスサノオノミコト〔素戔嗚尊〕が
ヤマタノオロチ〔八岐大蛇〕を退治して、
クシナダヒメ〔奇稲田姫/櫛名田姫〕を救い妃とするお話。

(クシナダヒメの姉7人はオロチの「いけにえ」になっていたわけです。) 

英雄ヤマトタケルノミコト〔倭建命〕を救うために、
オトタチバナヒメノミコト〔弟橘比売命〕が海辰鰺─未覆澄佑瓩茲Δ
荒れ狂う海に身を沈めるお話。

また西洋では、『ギリシア神話』で、
エチオピア王ケフェウスの王女アンドロメダ〔Andromeda〕は、
海神(ポセイドン)の送った怪物(クラーケン)への「いけにえ」として
岩壁に繋〔つな〕がれましたが、
英雄ペルセウスに救われその妻になるお話などたくさん思い浮かびます。


おそらくは、始めは人間であったこの「いけにえ」=「人身御供」
「牛」や「羊」に代えられたのではないでしょうか。


キリスト教でも「羊」は、旧約聖書の時代から
“神(エホバ/ヤーベ)”への“捧げもの”・“いけにえ”として登場しています。

尤〔もっと〕も、「羊」といっても細かくいえば「ヤギ〔山羊/野羊〕」で、
「贖罪〔しょくざい〕の山羊」=“スケープ・ゴート 〔scapegoat〕” 注) 
=「いけにえ」です。

新約聖書(イエス)の世界でも(救済される対象として)人間一般を「羊」で象徴して、
イエス・キリストを描く絵画に登場させたりしています。

(ex. レオナルド・ダ・ヴィンチ「聖アンナと聖母子」) 


注) 
現在、この「いけにえ」は、他人〔ひと〕の身代わりとなる者の意味で使われています。

「民衆の不平や憎悪を他にそらすための身代わり。
社会統合や責任転嫁の政治技術で、多くは社会的弱者や政治的小集団が
排除や抑圧の対象に選ばれる。」(『広辞苑』)


■2.次に、食肉としての「羊」の視点から見てみましょう。

「美」には“うまい”・“よい” の意もあります。

“美味しい”と書いて“おいしい”と読みますね。

昔時〔むかし〕のとびっきりのスイーツ、和菓子の“ヨウカン”は、
“国語”で「羊羹」と書きますね。

小豆〔あずき〕(あん)と寒天を煮溶し、
長い積み木状に成形した馴染〔なじみ〕み深いものです。

さて、どうして“ヨウカン”(「羊羹」)の文字に「羊」が多用されているのでしょうか? 

「羔〔コウ〕」は“こひつじ〔小羊〕”の意です。

「羊羹」は“漢語〔中国語〕”で“ようこう”と読みまして、
本来は中国の食べ物で羊肉のあつもの(=スープ)のことを指すのです。

ちなみに、日本の“饅頭〔まんじゅう〕”も、本来 “まんとう”と発音して
中国がルーツの“肉まん(豚まん)”のことです。

“饅頭〔まんとう〕”は、三国「蜀」の名宰相、
諸葛亮〔しょかつ りょう〕・孔明の発案と伝わっています。

これも「人身御供」の代わりに考案されたと言われています。


「羊」の肉を“マトン〔mutton〕”といい、
(生後一年未満の)小羊の肉を“ラム〔lamb〕”といいます。

“ラム”は、西洋料理では高級食材です。

わが国にとって「羊」という動物と文化は外来(中国も含めて)のものです。

その独特の臭みからか、あまり好んでは食べられていません。

私は、以前(といっても、かれこれ20年以上前のことでしょうが)、
時折、スーパーで“羊肉(ラム)”のブロック(塊〔かたまり〕)を買ってきては、
自分で調理して食べていました。

他の肉よりずっと安価で、脂肪分が少なくヘルシーなのが魅力でした。

ショウガ〔生姜〕と塩・コショウ〔胡椒〕で臭みを消しながら
ショウユ〔醤油〕とみりん〔味醂〕ベースで味付け、ステーキでいただいていました。

その後いつのころからか、“羊肉”は、スーパーの精肉売り場から消えて
殆〔ほとん〕ど見かけなくなりました。


モンゴル民族など遊牧民族の間では、“マトン”は喜んで食され御馳走です。

“マトン”の焼き肉を“ジンギスカン(料理)”といって、
日本でも若い人を中心によく食べられていますね。

“ジンギスカン”は、大モンゴル帝国の創始者
“チンギス=ハーン〔成吉思汗〕:1162?〜1227”(“テムジン/太祖”)のことです。

(汗〔ハーン〕は遊牧国家の君主・大王の意です。)


中国でも「羊肉」は、トリや狗〔いぬ〕の肉より随分と高級肉の位置付けです。

わが国でも、「羊頭狗肉」〔ようとうくにく: 羊の頭を表の看板に出しながら
実は犬の肉を売るの意〕の語が広く用いられています。

原典は「懸羊頭売狗肉(ヨウトウをかけてクニクをうる)」(『無門関』)です。

中国と言えば、最近では、某〔ぼう〕ファーストフード全国チェーン店で、
中国から輸入のフライドチキンが賞味期限切れのもの(腐ったもの?)で
大問題となりました。

中国側のコメントに
「死にはしませんから(食べても命に別状はない)」というのがあって
(その大ざっぱな)文化の違いをあらためて感じました。

確かに自然界では、死肉(屍肉)・腐肉を食べる動物たちはいますが ・・・ 。


わが国でも、昔時〔むかし〕(私が直接体験する前のころですが)、
“牛肉の大和煮”の缶詰で中身が
“クジラ〔鯨:クジラ肉は、以前は学校給食でもよく登場する安価で庶民的なものでした〕”肉
ということがありました。

この“看板に偽りあり”は、道義の廃〔すたれ〕れつつある現代日本の商業界に
少なからず蔓延し、“不祥事”は後を絶ちません

先述のように、2007年の「今年の漢字」は「偽」でした。

食品偽装の“不祥事”が立て続けに発覚した年だからでした。


ところで、中国の話に戻りますが。

“「犬と猫、どちらがお好きですか?」 「そりゃ犬だね。犬のほうがおいしいからね!」” 
というブラックジョークのような笑えない会話を、
中国に関してのものの本で読んだことがあります。

かの国は、古来から犬や猫(“トラ料理”と称します)を食する文化の国です。

が、しかし、現在国際化の時代にあって、
世界のリーダー的立場あるべきことを慮〔おもんばか〕っていただき、
改めていただきたいものです。

2匹の犬(“メイ”と“トン”)を家族同様に飼っている私としてはなおさらのこと、
人に親近な犬を食するの(蛮行)は廃〔や〕めていただきたく望みます。

話のついでに、わが国の、半減したとはいえ、
今でも年間16万匹以上(2014.11.現在)の
犬猫の殺処分(の蛮行)も
廃〔や〕めていただきたく望みます

これは、第一に主権者たる日本国民の、第二に為政者の問題です。


なお、「羊」の「皮」については、“紙”が普及するまでの長きにわたり、
「羊皮紙〔Parchment; パーチメント〕」として重宝されました。

「羊皮紙(パーチメント)」は、柔軟で強く水を通さない高級記録材料で、
「羊皮紙 〔Parchment; パーチメント〕」(ベージュ・生成〔きな〕り色に近い)
という色名にもなっています。


■3.さらに、文学・思想の視点から見てみましょう。

「羊」は、洋の東西を問わず、古代から書物の中に登場しています。

東洋(古代中国)では『易経』の物語(ほぼ周代:BC.11世紀より前?)に 
【兌〔だ〕☱】 の象〔しょう・かたち〕として、寓意としてよく登場しています。 注1) 

『論語』にもよく登場していますね。 

( → 参考資料) 

羊を盗んだ父を“密告する(訴え出る)”か否かの“正直者論争”は、
(“治主義”を忘れ)病める法治主義(国家)のわが国にとっても
考えさせられるものがあります。


西洋でも、古くギリシアの時代(およそBC.5世紀前後)から、
作品の中に「羊」が登場しています。

『ギリシア神話』の“黄金の羊皮”、
『イソップ寓話』の“おおかみが来たぞ少年”のお話、など
世界中に知られています。  注2)


注1)
『易経』に登場する: 【雷天大壮】5爻 “羊を易に喪〔うしな〕う”/
【沢天夬】4爻 “牽羊〔ひかれるひつじ〕”/
【雷沢帰妹】上爻 “士羊を刲〔さ〕きて血无〔な〕し” 
○羝羊〔ていよう〕:【雷天大壮】3・上爻 ※牡羊〔おひつじ〕  
(高根・『易と動物』)

注2)
『ギリシア神話』 ex.「イアソンと黄金の羊皮」: 
テッサリアのイオルコスの王子イアソン(メディアの夫)は、
“黄金の羊皮”を求めてアルゴナウタイを率いて遠征します。

『イソップ寓話』 ex.「羊飼いの少年とおおかみ」〔“The Shepherd-Boy and The Wolf”〕/
「子羊とおおかみ」〔“The Lamb and The Wolf”〕/
「おおかみと羊」〔“The Wolves and The Sheep”〕/
「羊の衣をつけたおおかみ」〔“The Wolf in Sheep’s Clothing”〕/
などなど


■4.加えて、毛織物・羊毛製品の原料供給としての「羊」という視点から見てみましょう。

西洋近代には、「羊」は、専〔もっぱ〕ら食肉としてよりも
羊毛製品の原料(WOOL:ウール)供給として重要でした。


“産業革命”期より前の、英国のお話です。

従来、草を食〔は〕んでいたおとなしい「羊」が、獰猛〔どうもう〕になってきて、
人間を喰うようになってきた!! というお話です。

“犬が人を噛んでもニュースにならない”が
“人が犬を噛めばニュースになる”なるなどと“たとえて”いわれます。

尤〔もっと〕もこれは、「羊が人間を喰う」というショッキングな言葉で有名な、
トマス=モアの『ユートピア』に描かれた
「囲い込み運動」(第2次)“enclosure”〔エンクロジャー〕 のことです。

毛織物工業の原料、羊毛生産のため、農民を土地から追い出して、
土地を囲い込み「羊」を飼育しました。

このことが、来るべき世界第一のイギリス“産業革命”への蓄積・準備となったのでした。

( → 参考資料)


☆参考資料 ≪ 高根講演:「器量人・子貢と経済人・ロビンソン=クルーソー」 抜粋引用≫

 【 山羊〔やぎ〕 と 羊 】

○ 「爾〔なんじ〕はその羊を愛〔お〕しむ。我はその礼を愛しむ。」 
(『論語』八佾・ハツイツ第3)

(経済的)実益と(精神的)文化のどちらに重点をおくか、
という儒学(孔孟思想)での見解の相違です。

私は、社会科学的思考と人文科学的思考との並立・相異でもあるかと感じています。

※「羊が人間を喰う」 (トマス=モア・『ユートピア』): 

  土地をすべての基盤におこうと努め続けたフランスに対して 注1)
  イギリスでは、土地は利潤の手段にすぎませんでした。
  従って、資本主義は、イギリスにおいて典型的進展を示すことになります。

  “enclosure”〔エンクロジャー〕 注2) は、
  共同利用・共有財産的性格にクサビを打ち込み、
  私有財産に転化させました。

  人々は、土地という共通の基盤を失ってしまい、
  “1つの国民”は複数の国民になってしまったのです。 注3)


注1)
当時の農業(中心主義)国フランスの思想に学び、
これからの我国の「農業」を再考する時だと思います。

注2)
「囲い込み運動」(第2次) ── 「羊が人間を喰う」 (トマス・モア):
毛織物工業の原料羊毛生産のため、農民を土地から追い出して、
土地を囲い込み羊を飼育しました。
追い出された農民たちは都市へ流入し、工場労働者になって行きました。

注3)
現代日本は、格差社会が進展しています。
共通のモノサシ(社会的基準・規範)も失い、個々バラバラです。


■5.なお、最後に「羊」を現代の心理学的視点に照らしてみますと。

「羊」は、“弱いもの”・“可愛いもの”の象徴です。

したがって、“可愛い人”・“恋人”・“配偶者”などを
深層心理学的に現していると考えられます。 注4) 

「羊」の好きな男性・大切にしたいと思う人は、
愛妻家・愛情を大切にする人ということでしょう。


注4)
「牛」は貨幣〔かね〕・富や財産。
「虎」はプライド・権威。
「馬」はビジネス・仕事。
「猿」は子ども。など。


《 干支の易学的観想 / 【風地観 ☴☷】・【沢風大過 ☱☴】卦 》

まず、「未=羊」

「未」は、一般に動物の「羊」に当てはめられます。

動物の「羊」(の類い)は、文字の象〔かたち/しょう〕から、
「兌〔だ〕」・易八卦の【兌 ☱】に通じます

「兌〔だ〕」といいますのは(「忄」“りっしんべん”をつけた)
「悦〔えつ/よろこ・ぶ〕と同じです。

“喜悦〔きえつ〕”・“悦楽〔えつらく〕”などの「悦」です。

「悦」は、“笑い”でもあります・・・


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謹賀乙未年  その1

謹賀乙未年 〔謹んで乙未年を賀します〕 

───  乙・未・三碧木性/今年の漢字「税」/【震 ☳】=インターネット/
“美”・“義”・“善”・・・/「いけにえ」・「人身御供」・“スケープ・ゴート”/
「羊羹〔ようかん/ようこう〕・「羊頭狗肉」/「羊が人間を喰う」/
【風地観】・【沢風大過】卦/“心眼”・「観光」/“未来”/
【山水蒙】卦/“啓蒙照隅” 
 ───


《 はじめに ・・・ 干支について 》

明けて平成27年(2015)。新年を皆様と迎えますこと、大慶でございます。

私も“還暦”を経て、ふた回り目の暦となりました。

歳重ねの想いを新たに、例年のように干支〔えと/かんし〕から始めて、
いささか本年の観想といったものを述べてみたいと思います。


今年の干支〔えと/かんし〕は、(俗にいうヒツジではなく)
「乙・未〔きのと・ひつじ/おつ・いつ/び・み〕です。

干支は、十干〔じっかん〕(天干)と十二支(地支)です。

かつてはこの、10 と 12 の組み合わせで、
60干支〔かんし〕の暦を作っていました。


そして、本来十二支は、動物とは専門的には直接関係ありません。
が、動物のイメージ・連想は、人口に膾炙〔かいしゃ〕しています。

干支を「今年のエトは、ヒツジで ・・・ 」とメディアが薄々軽々と報じているところです。

また、干支は旧暦(太陰太陽暦:我国で明治維新期まで用いられました)ですから、
年始は 2月4日(立春)からで、2月3日(節分)までは、
まだ「甲・午〔きのえ・うま/こう・ご〕」です。

これらのことを確認しておきまして、
これから本年の干支「乙・未」年にまつわるお話をしてまいりましょう。


《 今年(‘14)の漢字 「税」 》

昨年・平成26(2014)年の世相をあらわす文字(「今年の漢字」)は「税」でした。
(一昨年は「輪」、その前は「金」。) 注) 

昨年4月から、消費税率が5%から8%に引き上げられました。

年末には、衆議院議員解散総選挙が行われ、その(一応の)大義名分が、
消費税率8%から10%への当初予定値上げの先送りの“信”を問う、
というものであったからでしょう。


“「悦」かと思ったら「税」だった。
税と悦をはかりにかければ片方が重く、
どこかで悦に化けてくれればいいのだが。」”
(12.13. 朝日新聞夕刊「素粒子」)

という新聞記事がありました。

大陸的(中国的)に、鷹揚〔おうよう〕に、文字を見れば
(“つくり”は)「兌〔だ〕」で同じです。

「兌〔だ〕」は、易の八卦【兌 ☱】で、
“悦〔よろこ〕ぶ”・“金〔かね〕”・“羊”などの象意〔しょうい〕です。

── 尤〔もっと〕も【兌 ☱】が象〔かたど〕る動物は、
来年(2015)の十二支ではありますが ・・・。


注)
“その年の世相を表す漢字を発表する「今年の漢字」
(日本漢字能力検定協会主催)が今年で20年目を迎える。

「今年の漢字」は1995年に始まり、毎年「漢字の日」の12月12日に
清水寺の森清範〔せいはん〕貫主〔かんす〕が揮毫し、
清水の舞台で発表されている。 ・・・ ”

◆ 歴代の「今年の漢字」
1995 「震」 (阪神・淡路大震災、オウム真理教事件)
1996 「食」 (O〔オー〕157集団食中毒)
1997 「倒」 (山一証券経営破綻〔はたん〕)
1998 「毒」 (カレー毒物混入事件)
1999 「末」 (世紀末)
2000 「金」 (シドニー五輪)
2001 「戦」 (米・同時多発テロ)
2002 「帰」 (拉致被害者の帰国)
2003 「虎」 (阪神タイガースのリーグ優勝)
2004 「災」 (相次ぐ台風上陸)
2005 「愛」 (紀宮さま成婚、「愛・地球博」)
2006 「命」 (悠仁さま誕生)
2007 「偽」 (食品偽装)
2008 「変」 (リーマン・ショック)
2009 「新」 (政権交代)
2010 「暑」 (猛暑日が連続)
2011 「絆」 (東日本大震災)
2012 「金」 (ロンドン五輪やノーベル賞)
2013 「輪」 (東京五輪開催決定)
2014 「税」 (消費税率8%に引き上げ)
                           (朝日新聞:2014.12.13 引用)


《 乙・未 & 三碧木性 の深意 》

さて、今年の干支「乙・未」には、どのような深意があり、
どのように方向づけるとよいのでしょうか。


昨年の“十干”「甲〔きのえ〕」は、(“十干”の最初で)
“はじまる”と読み、物事のはじめを表しました。

「甲」は、“よろい”・“かぶと”の意味で、“かいわれ(かいわり)〔甲拆〕”、
すなわち春になって草木の芽(=鱗芽)がその殻〔から〕を破って頭を出すという意味でした。

旧体制の殻を破って革新の動きがはじまるということ、
創造伸長することを教えていたわけです。


「乙〔きのと〕」は、「甲〔きのえ〕」が“陽干”であるのに対して“陰干”です。

春になって殻を破って頭を出した木の芽が、寒さや外界の抵抗が強いために、
強い生命力は持っているけれども、真っ直ぐ伸びられないで
曲がりくねっているという象形文字です。 

── つまり、改革・創造の歩みが、抵抗にあって苦労するけれども、
創造的に根気よく整えまとめてゆかなければならないということです。


“十二支”の「未〔み〕」について。

漢文の再読文字で、“いまだ”・“いまだ〜ず”・“いまだし/や”の意です。

“未来”の「未」で、“未来”は“いまだ来たらず”と読みます。


この「未」の本来の意味は、ご存じない方が多いように思います。

「未」の文字は、「木」の上に短い「一〔いち〕」が組み合わさり、
木の若い枝葉が伸び茂ることを表しています。

つまり、枝葉が繁茂〔はんも〕すると暗くなりますので、
これを“剪定〔せんてい: 切り整えること〕”して明るくすることを教えています
。 

── したがって、政治・経済活動では、時に合わなくなったものを片付け、
枝葉末節にとらわれずに、思い切って整理刷新する決断と努力が求められているということです。


以上のように「乙・未」年は、自信と英断をもって困難を切り拓〔ひら〕き、
創造的着実に事を進めてよろしきを得る年といえましょう

※(以上の干支の解説については、安岡正篤氏干支学によりました。 
『干支新話(安岡正篤先生講録)』・関西師友協会刊。pp.85─86、p.42、p.231 参照。)


また次に、九性(星)気学で今年は「三碧〔さんぺき〕木性」にあたります。

陰陽五行思想で“陰”の「四緑〔しろく〕木性」(=昨年)に対して“陽”の木性です。

従って木でも剛直な大木・大樹、「寄らば大樹の陰」といったイメージです。

易の八卦でいえば【震〔しん〕☳】が相当します。

【震】は、“雷”であり、“振であり動です。

【震〔しん〕☳】は人間でいえば、【乾〔けん〕☰】の“父”にたいして“長男”ですので、
さしずめ“小竜〔ジュニアドラゴン〕”・“小虎〔ジュニアタイガー〕”といったところです。


「三碧木性」には、伸び長ずる・烈しく動く・
音がする(=電磁波/TV./インターネットなど)・希望・青色(緑/青緑) ・・・ 
などの意味が考えられます。

とりわけ、“インターネット”は良きにつけ悪しきにつけ
大きな影響力を持つ時代となってまいりました。


そこで、今年の時勢を推し測ってみますと。

経済界は“アベノミクス”の善し悪しが取り沙汰されていますが、
今ひとつ振るわないようです。

政界は、昨年末の衆議院議員選挙につづき4月には統一地方選挙ですが、
与党・野党とも困難が予想され、議論噴出の年となりそうです。

国際的トラブルも(インターネットを介して)懸念されます。 注) 

── さはいえ、POWER〔パワー〕に満ちた年ですので、
従来まで積み上げてきた努力・苦労を活〔い〕かして、
社会情勢の変化にしなやかに対応することで
方途〔みち〕を切り拓〔ひら〕くことが出来ると思います


注)
新年早々、インンターネットを媒体にして、
中東・過激派集団(テロ勢力)“イスラム国”による
日本人を含む人質・殺害のシーンが世界中を飛び回りました。


《 歴史的に「乙・未」年を振り返る 》

歴史的に、前回の「乙・未」年つまり60年前は、昭和30年にあたります。

私の生まれた翌年なので、特に関心をもっておりました。

この年は、敗戦から10年を経て
「もはや戦後ではない」(経済白書、1955/s.30)といわれるほどに
戦後の復興が進みました。

経済界はこの年の前年末から“神武景気”
(神武天皇建国以来の好況期の意: s.29.11〜s.32.6)
といわれるほどの活況を示します。

政治面では“自由民主党”が成立し、
この保守合同と社会党統一による2大政党制となり、
いわゆる「55年体制」 注) ができました。


注)
自由民主党は衆議院の議席の3分の2を占め長期単独政権を続け、
社会党は憲法改正を阻止するために必要な3分の1の議席を維持して対抗し続けます。

この体制は‘93細川内閣成立まで継続されることとなります。


《 未 → 羊 あれこれ 》

十二支・「未年」は、一般に「未〔ひつじ〕年」と言われ、
動物の“羊〔Sheep〕”に擬〔なぞら〕えられます。

羊ににちなむ言葉や言い回しについてをあれこれ述べてみましょう・・・


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第72回 定例講習 特別講義  その3

(こちらは、前のブログ記事の続きです。)

§3。 『 「易と植物 (Part1) 』 

真儒協会副会長 嬉納禄子〔きなさちこ〕 / 監修:真儒協会長 盧秀人年

《 はじめに 》

『易経』の始源〔ルーツ〕は易筮〔えきぜ〕です。

この易筮自体、動物・植物と非常に関連深いものがあります。

といいますのも、易筮には太古“亀の甲”が用いられました。

古来中国では“馬は陽”、“牛は陰”というように動物を陰陽に分類して捉えました。
が、“亀”は、例外的に陰陽両有の動物とされています。

“四霊”のひとつ“霊亀〔れいき〕”の思想や
“四神”“玄武〔げんぶ/亀と蛇が合体した神獣〕”の思想を生んでいます

古代中国では“亀”の持つ霊力にあやかって、
その甲羅を熱し亀裂の具合で未来の吉凶を“卜占〔ぼくせん〕”しました。

“亀卜〔きぼく〕”です。

これは政治そのものにも用いられたものです。

中国最古の文字とされている“甲骨文字”は、
(亀の甲や獣の肩胛骨〔けんこうこつ〕に)その占の結果を記〔しる〕したものです。


さて、最重要な事柄は亀甲で占いましたが、亀甲は数の限られた貴重なものですから、
一般の立筮〔りつぜ〕には“蓍〔し/めどはぎ〕” 注1) 
という棒状の植物が用いられました。

(算木に象〔かたど〕られる)陰陽の形は、その棒状(=陽)と
それを折った形状(=陰)がルーツであるとも考えられています。

この“めどはぎ”の茎50本を用いて占いに用いたものが“蓍〔めどぎ〕”で、
後世、類似の品である“竹”に変わり、
“筮竹〔ぜいちく〕”となって現代に至っています
。 注2)


「亀卜の簡易化が要求されると同時に、農耕本位の社会生活関係もあって、
周代にはいると占ひに蓍〔し〕といふ草の茎が用いられるやうになった。
この草は長寿なもので、百年にして一本に百茎を生ずるといはれる(本草綱目)。
和名めど,或はめどはぎは、菊科に属し、山野に育つ多年生の植物で、
茎は細長くて高さ 60−90センチに達する(牧野博士・日本植物図鑑)。
日本ではこれをかの蓍〔し〕になぞらえへ、筮に用ひた。
蓍は後に竹で代用されることになり、これを策〔さく〕といふ。
今の筮竹〔ぜいちく〕である
。」 

      (安岡正篤・『易経入門』 p.54 引用 ※旧字は新字に改めています。)


次に立筮した結果を陰陽の組み合わせで
象〔しょう・かたち〕に顕〔あらわ〕すものが“算木〔さんぎ〕”です。 注3) 

算木の上物〔じょうもの〕は、“黒檀〔こくたん〕”で出来ています。

“黒檀”は、木材の中で最も黒く、堅く、重い 注4) もので、
打つとキーンと金属的な音がします。

西洋でも古くから(ex.『グリム童話』にも)黒く美しいものの“たとえ”として、
よく登場します。


このように易筮発生の太初〔はじめ〕から、
易は天然の動物、植物と密接なつながりを持っています。


そして、『易経』の中には、動物に次いで興味深い植物たちが登場しています。

それは『易経』が物語る内容を、よりわかりやすく理解させるための
“たとえ”・“寓意〔ぐうい〕”として登場させているのでしょう

『易経』が書かれたころの当時は、皆おなじみの個性豊かな植物だったに違いありません。

今から3500〜4000年(?)以前の古代中国と現代との、時間と空間を超えて、
『易経』に登場する植物についての研究・考察を試みたいと思います。


―― 本講義は、盧先生のご指導のもと、
『易経』にみられる“象〔しょう/かたち〕”としての植物を読み解くことに、
ささやかなアプローチを試みたものです。


注1)
山野に自生するマメ科の多年草で、その茎を占いに用いました。(『漢語林』)


注2)
私共、盧先生の流派では専〔もっぱ〕ら筮竹を用いて立筮しますが、
当世は“八面賽〔サイ〕”での立筮が(特に関西では)一般的になっています。
この“八卦”の文字を記した“八面賽”の素材も本来は“象牙〔ぞうげ〕”で出来ています。


注3)
数学は昔、“算術”・“算数”と称していました。
興味深いことに、その“算”は、この“算木”の“算”です。
つまり、数学のルーツは易学であったということですね。


注4)
“黒檀”は、比重1.0を超えており、従って水に沈む木です。
“黒檀”以外の素材では、「紫檀〔したん〕」や「桜」が用いられています。



《 『易経』(本文中心)に登場する植物たち 一覧 》

“草の芽”/「天造草昧」 〔そうまい〕

【屯】 の卦意から /彖辞

「茅」 〔ちがや〕

【泰】初爻/象伝・ 【否】初爻/象伝

「包桑」 〔ほうそう〕

【否】5爻

「野」 ・ 「莽」 〔くさむら]

【同人】卦辞/彖辞 ・ 3爻 /象伝

“新芽・若木”

【豫】の卦象から

「棟木」 [むなぎ]

【大過】卦辞/彖辞

「白茅」 〔はくぼう〕

【大過】初六 /象伝

「枯楊」 〔こよう〕・「稊」 〔ひこばえ〕・「華」

【大過】2爻・ 5爻

「叢棘」 [そうきょく]

【坎】初爻

「百穀草木」

【離】彖辞

「莧陸」 [けんりく]
*やまごほう〳*ぬめりひゆ

【夬】5爻

「杞柳」 [かわやなぎ]*おうち

【姤】5爻

「蒺藜」 [しつれい]*とげいばら/
「葛藟」 [かつるい] *つる草

【困】3爻・上爻

「蔀」 [しとみ]

【豊】2爻、4爻,6爻

“竹”

【節】の卦意から


≪ 主要参考文献 ≫

●『易経六十四卦解説奥義』 盧秀人年
●『易経入門』 安岡正篤 (明徳出版社)
●『新釈漢文大系・易経 上・中・下』 今井宇三郎 (明治書院)
●『易経精義』 鹿島秀峰 (神宮館)
●『易経』 公田連太郎 (明徳出版社)
●『中国古典選 易 』 本田済 (朝日新聞社)
●『易経講座 上・下』 本田済 (斯文会)
●『易経 上・下』 高田真治・後藤其巳 (岩波書店)
●『牧野・日本植物図鑑』 牧野富太郎 (北隆館)
                                ほか


 《 『易経』の中の植物 》 

No. 3 【 水雷屯 ☵☳ 】 ―― “草の芽” (卦辞の意から) /
                    「天造草昧〔そうまい〕」 (彖辞)

○ 「屯〔ちゅん〕は元〔おお〕いに亨〔とお〕る。貞しきに利ろし。
   往くところあるに用うるなかれ。侯〔こう・きみ〕を建つるに利ろし。」
 (卦辞)

○ 「屯は剛柔はじめて交わりて難生じ、険中に動くなり。
   大いに亨〔とお〕りて貞なるは、雷雨の動き満盈〔まんえい〕すればなり。
   天造草昧〔そうまい〕 、よろしく侯を建つべくしていまだ寧〔やす〕からず。」
 (彖辞)


屯〔ちゅん〕の字は、「一」と「屮」〔サ〕からなります。

地上「一」に雪が積もり、草の芽「屮」が雪の厚く積った下から
必死になって出ようとしているのです。

その雪の重みに耐えかねて“草の芽”が曲っている形です。


上卦の坎は、坎険・水・川・寒・暗。

下卦の震は、動く・進む・伸びる・若芽・蕾〔つぼみ〕。

草木の若芽が伸びようとして、寒気で伸び艱〔なや〕んでいる象〔しょう・かたち〕です。

つまり、この卦は創生の悩み、生みの苦しみの意味です


「天造草昧〔そうまい〕」とは彖辞〔たんじ:本文の解説〕にあることばです。

(草が生い茂っているように)天の時運がまだ明らかでない、
これから開かれようとする時であるの意です。 

=「天下草創」・「草創多難の時期」・「暗黒の時代」。


参考資料              ≪盧:「『易経』64卦奥義・要説版」 p.7引用≫

3.屯 【水雷ちゅん】  は、なやみ、くるしむ

    4難卦〔坎水・蹇・困・屯〕、「屯難」
                                               
 ● 創造・生みの苦しみ、「駐屯」・「屯〔たむろ〕」、滞り行きづまる、
   入門は吉、赤ん坊をそっと(育てる)・幼児教育 
    ・・・ ※ 父母(乾坤)の間に震(巽)の長子が生まれた時 

   ・「天造草昧〔そうまい〕」 (彖辞) 
    ・・・ (草が生い茂っているように)天の時運がまだ明らかでない
       〔これから開かれようとする時〕 =天下草創・暗黒の時代

   ・「屯とは盈〔み〕つるなり。屯とは物の始めて生ずるなり。」(序卦伝) 

     ex. “明治維新”〔幕末から明治政府設立までの動乱・混乱期〕

   上卦の坎は、坎険・水・川・寒・暗。下卦の震は、動・進む・伸びる・若芽・蕾〔つぼみ〕。

   1) 進もうとして前に川がある象
   2) 草木の若芽が伸びようとして、寒気で伸び艱〔なや〕んでいる象
   3) 水=雲 と 雷=雨で雷鳴、雷鳴り雲雨を起こさんとする象。


No. 11 【 地天泰 ☷☰ 】 ――  「茅」〔ちがや〕 (初九爻辞)(象伝) 

○ 「茅〔ちがや〕を抜くに茹〔じょ〕たり
   その彙〔たぐい〕以〔とも〕にす。征〔ゆ〕きて吉なり。」
 (初九爻辞)

○ 「茅〔ちがや〕を抜く、征〔ゆ〕きて吉なりとは、志〔こころざし〕外にあればなり。」 
   (初九象伝)


茅〔ちがや・ち/しげちがや〕はイネ科の多年草。

高さ約60僂如原野に現在でもよく目にすることが出来るものです。

地下茎が横に走って群落を作っています。

そのため茅は、1本を引き抜くとあたりの茅もまとまり連なって、
一緒に抜けてきます


「茹〔じょ〕」は草の根が連なること、「彙〔たぐい〕」は仲間のことです。

現代でも、“語彙〔ごい/ボキャブラリー〕”という熟語がありますね。


初九は“陽”をもって陽位に居り、正しい“健”の徳をもった君子の一人です。

正位にして九四(大臣)と応じています。

立派な人が一人登用されると志を同じくした仲間も登用されるということです。

「征〔ゆ〕きて吉なり」とは、志すものが自分一身のことではなく、
外に向かって(外卦)進む、天下国家のために力を尽くそうとするものであるからです。


このことを例えて言ってみましょう。

国を良くしようと思う、志ある立派な人物がいるとします。

彼の周りに集まる同じ志を持った人達と力を合わせ、前進しようとしています。

初九と九四(大臣)と応爻していることから、
この有志の人物の気持ちが九四(大臣)に通じて、登用されます。

そうすると、茅が抜かれるように下卦【乾☰】の二爻三爻も
(五爻・上爻と応じていますので)一緒に登用されます。

つまり(下卦の)三陽が共に上昇してゆくのです。



No. 12 【 天地否 ☰☷ 】 ―― 「茅」〔ちがや〕 (初六爻辞/象伝)/
                       桑〔くわ〕 (九五爻辞) 

○ 「※茅〔ちがや〕を抜くに茹〔じょ〕たり。その彙〔たぐい〕以〔とも〕にす
   貞なれば吉にして亨る。」
 (初六爻辞)

○ 「茅[ちがや]を抜く、征〔ゆ〕きて吉なりとは、志君にあればなり。」 
   (初六象伝)

○ 「否を休〔や〕む。大人は吉なり。それ亡びなんそれ亡びなん、
   とて苞桑〔ほうそう〕に繋〔かか/つな・ぐ〕る。」
 (九五爻辞) 


※部、【泰】卦の初九と同文で「茅」が登場しています。

【泰】卦との違いは陰陽が逆であることです。

二爻・三爻についても同様です。


初六は陰を以て陽位に居るので位は正しくなく、
才能・道徳の乏しい小人と見なすことができます。

また、【天地否☰☷】の初爻であるので、
天と地の塞がりという悪い状態が深くは進んでいない、ということでもあります。

つまり、悪に深くは染まっていないのです。

九四の“大臣”と応じています。

大臣に誠実に応えて正しい道を守るなら、
その志すところは亨通〔きょうつう〕します。

初六が用いられる時は、他の仲間である下卦【坤☷】の六二・六三の陰爻も
(五爻・上爻と応じていますので)一緒に進むことになります。  


五爻は陽爻で尊位に正位しており、才能・道徳に優れた人物です。

このような大人にしてはじめて、否塞した状態を抜け出し、
一時的にも平穏な状態にすることができるのです。

この爻は、上卦【乾☰】の中爻で塞〔ふさ〕がっている状況は峠を越えているといえます。


さて、五爻には「苞桑〔ほうそう〕」が登場しています。

「桑」は、クワ科の落葉高木、クワ科の総称です。

ヤマグワおよびその栽培品種が最も普通ですが、
中国産の“魯桑〔ろそう〕”も栽培されています。

養蚕〔ようさん〕に葉を刈り取って用いられることでもよく知られていますね。

さて、「苞桑」の解釈については相対照する説があります。


まず「苞」には、
1.桑の木の“根もと”と解する立場(「正義」/高田・後藤『易経』上p.166ほか)と 
2.桑の木々が“叢〔むら〕がり生える”と解する立場
  (「程伝」/今井・『新釈漢文大系・易経/上』 p.337ほか)
があります。


『易経』で「苞」が登場するのは、ここ一例だけです。

が、ほぼ同時代の『詩経』には「苞桑」・「苞棘〔きょく〕(いばら)」など
多く登場しています。 注1) 

いずれも2.の意味で用いられています。

2.の立場では、「桑」の木は深くしっかりと地中に根を張って
群がって生えて一株のようになっています。

それで、どんな大風にも倒れることなく堅牢そのものです。

そんな“むらがり茂る”堅牢な「桑」の木に繋〔つな〕がれていれば、
安全・安心というものです。

また、1.の“根もと”〔根元/根本〕は、
“根の部分”と“付け根の部分”の意とがありますが、
根(あるいは根が集まり節くれだったコブ状になったもの)ではなく
根に近い幹の部分(=付け根)に繋ぐと解するのが自然でしょう。

尤〔もっと〕も、“根”でも“付け根”でも“木の元”でも
さしたる違いではありません。

要は、1.にせよ2.にせよ、
“ガッツリ”(がっちり)とした「桑」の木に繋ぎとめるように、
しっかりと行動せよということです。


以上は、一般的な解釈です。 注2) 

この A.「苞桑」を安全堅固なるものの寓意と見る立場に対して、
B.群生している桑(したがって小木)を柔弱不安なるものの寓意
と見る立場があります。


この B.の立場からすれば、こんな「苞桑」に繋がれているのは、
まことに心許〔こころもと〕ない、頼りない限りだということになります。

この危険極まりない状況を、自ら戒め恐れ慎むことで、
一身も国家社会も平穏が実現するというものです。

○ 「叢生する桑樹を頼りにするに過ぎない状態」 
    (安岡・『易経入門』 p.109)

○ 「一説には包桑を松や杉に比べて弱い枝木の危険なものとしている」
    (鹿島・『易経精義』 p.156)


この A.B.の対照的な解釈は古くからあり、
後世の文章でも両方の意味で引用され使われてきています
。 注3)


九五爻辞: 「否を休〔や〕む。大人は吉なり。
それ亡びなんそれ亡びなん、とて〔ほうそう〕に繋〔かか/つな・ぐ〕る。」 
は、
例えていえば、国の政治・経済が行きづまり状態に陥った時に、
五爻の大人によってその行きづまり状態を立て直すことができるようなものです。

しかしながら、天下の閉塞〔へいそく: 行きづまり状態〕は、
ちよっと休止している小康状態であるにすぎません。

「苞桑」が、A.B.どちらにしても、油断大敵です。

“亡びるかも知れないゾ、亡びるかも知れないゾ”と思って、
常に自ら戒め、自から省み、恐れ慎むことが大切なのです。


要するに、「治にいて乱を忘れず」で、
いつでも万一の時の用意を怠らないことをおしえているのです。

この「治にいて乱を忘れず」の出典は、実に、ここにあるのです。

○ 「君子はにしてを忘れず、にしてを忘れず、にいてを忘れず
  ここを以て身安くして国家保つべきなり。」
 (『易経』・繋辞下伝)


注1)
「苞桑〔そう=くわ〕」/「苞棘〔きょく=いばら〕」/「苞櫟〔き=くぬぎ〕」/
「苞棣〔てい=庭梅〕」/「苞稂〔ろう=いぬあわ〕」/
「苞蕭〔しょう=よもぎ〕」/「苞蓍〔し=めどぎぐさ〕」/
「苞栩〔く=くぬぎ〕」/「苞杞〔き=枸杞/くこ〕」 etc.
(今井・『新釈漢文大系・易経/上』 p.337)


注2)
鄭玄・王弼・孔穎達・程子・朱子 etc. (今井・ 同上書 p.337)


注3)
盧秀人年先生の、この「苞桑」に関する見解をご紹介しておきますと。

「私は、古代中国の『易経』の象〔しょう/かたち〕として登場する動(植)物の“たとえ話”と
古代ギリシアの『イソップ寓話〔ぐうわ〕』の動物譚〔たん:=物語〕には、
とてもアナロジー〔類似〕を感じます。
謎に包まれた“哲人”である作者の手になる『イソップ寓話』は、
動物に擬〔なぞ〕らえられた生き方の知恵であり、
世界中で現在に至るまで普遍的に愛読され続けています。」


私が、この「苞桑」=“剛強な桑の(大)木”で思い起こしましたのは、
『イソップ寓話』の「樫〔かし〕と葦〔あし〕」の物語です。

日本中・世界中でよく知られているお話ですね。

“剛強な樫の大木〔The Great Oak〕 ”は、
実際には“オリ−ブ〔Olive〕の大木”でしょう
(*『イソップ寓話』は古代ギリシアの作品ですので)が、
大風で吹き倒されてしまいます。

一方、“しなやかで柔弱な葦〔Reed〕 ”は何事もなくやり過ごせました。

「おごるものは常にはずかしめられ、おとなしく謙譲なものはかえって強くなる。
あらゆる美徳の根本は従順と謙譲です。」という教訓です。

『易経』は、“陰陽の思想”と“中〔ちゅう〕”の思想
肝腎要〔かんじんかなめ〕のものです。

“陰・陽”相対(待)論は、いつも“陽”が良くて“陰”が良くない、
というわけではありません。

否、むしろ“陰”の徳のほうが勝〔まさ〕っている場合も多いのです。

この『易経』の“陰陽の思想”を充分に学んでいたと考えられる老子は、
その思想に“陰”の徳をはっきりと打ち出しています。

すなわち、柔弱・しなやかな強さです。

老子「水」を、最高の徳を持つものとして、
己〔おの〕が思想の象〔しょう/かたち〕としました

上善若水〔じょうぜんじゃくすい:上善は水の若し〕」(第8章)と、
水を無為自然、最高の徳(≒道)の象としているのです。
(“不争の徳”/“不争謙下”) 

第78章にも「天下に水より柔弱〔じゅうじゃく〕なるは莫〔な〕し。
而〔しか〕も堅強を攻むる者、之に能〔よ〕く勝〔まさ〕るなし。」とあり(“柔弱の徳”)、
第66章にも「江海の能く百谷〔ひゃっこく〕の王たる所以〔ゆえん〕の者は、
其の善く之に下〔くだ〕るを以て、故に能く百谷の王たり。」とあります。

さて、“陰”・柔弱なるものが勝れているという考えは、
『易経』の物語と『イソップ寓話』に共通していると思います。

が、この「苞桑」に関する記述については、
“陰”のしなやかで柔弱な強さという考えはないように感じられます

それは五爻が“陽”・剛であることと、
爻辞: 「其亡其亡、繋于苞桑。」のニュアンスからです。

してみると、“桑”という木を剛強とみるか柔弱とみるかで
意味はまったく対照的なものとなってしまいます。

“樫〔かし〕”の大木の原型と思われる“オリーブ”の木も、
一般的には大きく丈夫な木ではないようです。

それでも、樹齢何百年を経た偉容な大樹もあります。

“桑”も然りで、元来大きく丈夫な木ではないようです。

叢〔むら〕がっても所詮〔しょせん〕さしたることはないでしょう

尤〔もっと〕も、桑の大木もあったのかも知れません。

例えば、『三国志』(吉川英治)に、
まだ無名の青年・劉備玄徳(後の蜀の皇帝)の家の前に桑の巨木があり、
ある人が“これはきっとこの家から貴人が出るだろう”
と予言する箇所があったように記憶しています。

畢竟〔ひっきょう〕するに、「苞桑」・“桑”の木の剛・柔がどちらにせよ、
「其亡其亡、繋于苞桑。」の爻辞の意図するところは明らかです。

それは、『易経』・繋辞下伝に解説されている「治にいて乱を忘れず」
いつでも万一の時の用意を怠るなという戒めです。

5爻の陽剛が2爻と“応じている=繋がっている”と考えられなくもありません。

ところで、平和な時こそ危ういものが孕〔はら〕まれているという思想は、
老子によくまとめられています。

老子の運命論は、禍福吉凶に対する循環の理法・運命論です。

それは、“禍福吉凶の循環理法”とでも称されるものです。

つまり、禍福がただ変化し予測し難いのではなく、
禍の中に福の種(因〔もと〕)・兆しがあり、
福の中に禍の種(因〔もと〕)が蔵〔かく〕されているということです。

(「禍福倚伏〔かふくいふく〕」:「禍〔か/わざわい〕は福の倚〔よ〕る所、
福は禍の伏〔かく〕るる所」/『老子』・第58章)

“備えあれば憂(患)〔うれ〕いなし”という慣用句がありますが、
この「治にいて乱を忘れず」の5爻辞の寓意・戒めは、古くて新しいものです。

現今〔いま〕の“平和ボケ”している日本が、心せねばならないことではないでしょうか。」


cf. ◎「否泰は其類を反するなり。」 (雑卦伝) :
【泰】の“外柔内剛”と【否】の“内柔外剛”、先々(近未来)と裏卦(過去)の対応関係


 ( 完 )


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第72回 定例講習 特別講義  その2

(こちらは、前のブログ記事の続きです。)

§2。 「「易と動物 (Part1)」/ 「易と植物 (Part1)」

真儒協会会長: 盧 秀人年

《 はじめに 》  

歴史書である司馬遷[しばせん]の『史記』が、
生き生きと人間が描かれていることから優れた文学性を持っていると言われているように、
歴史や思想の書が物語性(文学性)を持っていることはままあります。

我国においても、本来歴史書である『古事記』は、
“神話”でもあり“古事記物語”であるとも言えましょう。

西洋の書物でも、宗教の書(聖典)である『聖書』が、
“聖書物語”として児童の間で広く親しまれ読まれていますね。


東洋源流思想の英知である 『易経[えききょう]』 は、
帝王学とも呼ばれ儒学経書(五経“[ごきょう]”)の筆頭です。

“辞[じ・ことば]”と“象〔しょう・かたち〕”、
さらに「易経本文」と「十翼[じゅうよく :10の解説・参考書]」が
融合合体したところに、その面目躍如たるものがあります。

さらに、易占(易筮[えきぜ])と思想・哲学の書であるという
“二重性”を持つところが『易経』の『易経』たるゆえんのものです。

そんなところから、私は『易経』は“東洋の奇(跡)書”と呼ぶに
相応[ふさわ]しいものであると考えております


さて、この古[いにしえ]の聖人・賢人たちによって創られた
“言霊[ことだま]”の書・『易経』は、その“神秘性”とともに
親しく近しい動物・植物がたくさん登場する物語性を持っているのです。

その視点から言えば、さしずめ“易経物語”といったところです。


例えば、64卦[け/か]の第一番目【乾為天〔けんいてん〕☰☰】は、
“陽”の想像上の動物“(竜)〔りゅう/ドラゴン〕”の物語が
(6つの爻〔こう〕の辞に)寓意[ぐうい]的に語られています。

また、『易経』の本文には、次のようなおなじみの動物に因〔ちな〕む
名文言がたくさん登場しています。

―― 「君子豹変」(&「大人虎変」)(【沢火革〔たくかかく〕☱☲】)/
「虎の尾を履「ふ」む」 (【天沢履〔てんたくり〕☰☱】)/
「虎視眈眈[こしたんたん](【山雷頤〔さんらいい〕☶☳】) などがそれです。


しかしながら、難解を持って知られる『易経』は、
東洋最古の書物でありながら、その“物語性”に視点をあてて
児童に親しませることができるような書きものを、私は知りません。

そんな訳で、今回、“易と動物”・“易と植物”といった視点から
『易経』をまとめることを始めてみました。


なお、“「易経と動物」”についてのアプローチは、
かつて愚息・未来が11才の時 「易と動物 ― 竜から小狐へ ― 」 
と題して初講演したもの(2006.6. 於:日本易学協会大阪府支部学習会)が
出発点になっております。 


《 太古の神秘的動物と人間とのかかわり 》  

● 四 霊
  麒麟〔きりん〕/鳳凰〔ほうおう〕/亀/龍(竜)

● 四 神 (神獣)
   玄武〔げんぶ〕/青竜〔せいりゅう〕/朱雀〔すざく〕/
   白虎〔びゃっこ〕 ※黄龍〔おうりゅう〕

   cf.キトラ古墳・高松塚古墳/
      子(鼠/ネズミ)人・丑(牛/ウシ)人・寅(虎/トラ)人 ・・・・


四神カット 省略

       cf. 韓国の“四神”伝説         (DVD.「太王四神記」より)

○“雲を呼ぶ雲師〔うんさ〕”: 雲師〔うんさ〕 【青竜】
  = 東方を司る 雲の守護神

○“風を吹かせる風伯〔プンベク〕”: 風伯〔プンベク〕 【白虎】
  = 西方を司る 風の守護神

○“雨を降らせる「雨師〔ウサ〕」”: 「雨師〔ウサ〕」 【玄武】
  = 北方を司る 雨の守護神

【朱雀】 = 南方を司る 火の守護神

 ―― 朱雀以外の三神は、(暴走する)朱雀を殺せませんでした。
    四神はお互いに制し合うのみです。
    (朱雀の暴走を押さえる「雨師〔ウサ〕」【玄武】) 

★【黒朱雀】; 怒りによって暴走した朱雀

 ・「朱雀の火を消すために世界は7日間ずっと雨が降り続いた。
  その雨で地獄のような火は消えた
  たが、世界が水の中に沈んでしまった。」

◆朱雀【離・火】と玄武【坎・水】: 朱雀の暴走を押さえる玄武 
 ――→ 原発の是非を易学的に考える;
 (【火☲=原子力】を制御・消すのは【水☵=智・まこと】)


● 龍(竜)〔ドラゴン〕について (蛇が出世すると竜になる?)

 ・ “伏犧〔ふつぎ〕” = 半身半獣・“蛇身人首〔たしんじんしゅ〕”
   cf.スフィンクス(エジプト)=“人頭獅子〔ライオン〕身”/
      ケンタウロス〔ケンタウルス〕(『ギリシア神話』) 
      = 上半身人・下半身馬

 ・  = 水の神、シャーマン(巫覡〔ふげき/ぶげき〕・巫女〔みこ〕)
   ex.卑弥呼〔ひみこ〕

   ★“八岐(俣)大蛇〔ヤマタノオロチ〕・素戔嗚尊〔すさのおのみこと〕(『古事記』) /
    “エデンの園の蛇”(『聖書』) /“ヒドラ〔Hydra〕”(9つの頭を持つ蛇)
     &“メドゥサ〔Medusa〕”(蛇の髪を持ちこれを見る者を石に変えた。
     ペルセウスに退治され、その頭はアテナに贈られ
     その胴から“天馬・ペガソス”が生まれた。)(『ギリシア神話』) /
    “ドラゴン”退治とそのパワーの獲得・ジークフリート(『ニーベルンゲンの歌』)

   cf.  蛇は脳幹〔のうかん〕しかない!
    “脳”= 1.脳幹(原始脳・本能) ヒトでは退化している 
          2.大脳皮質(思考)
         ――― ●本能(素・野生)は【陽】  ■知性は【陰】

考 察

西洋のドラゴン(竜)は、“翼”を持ち自力で空を飛びます。

堅い“ウロコ”を持ち“火を吐く”
“陽”・【離☲】物の権化〔ごんげ〕そのものです。


一方、『易経』に登場する東洋の龍(竜)は、
“陰”の“水”=“雲”と融合・協力して空を飛びます。

本来“水”の化身である“蛇”に変化出世(?)したものが龍(竜)でしょう。

龍(竜)は“陽”・【離☲】物ですが(ex.【乾為天】)、
“水”の“陰”性【坎☵】も含んでいると考えられます。

先の、朱雀【離・火】と玄武【坎・水】の関係とのアナロジー〔類似〕を想います。


《 『易経』の中の動物 》

『易経』の64卦は、さまざまな人生の場面〔シーン:scene〕・
状況〔スチュエーション:situation〕を表しています。

したがって、そこにはさまざまな人間が登場いたしております。

そして同時に、多くの人間に(当時は)身近な動物たちが登場しています。 

―― ある時は、神秘的に寓意〔ぐうい〕的に、
またある時は、愛くるしく親しみをもって登場しています。

これは、“易”の思想を動物(&植物)に、
より理解〔わか〕り易く象〔かたど〕ったものと言えましょう。

私には、これらの動物(&植物)が登場することにより、
*“易の物語性”がより色濃く章〔あや〕どられているように思われます。 注)


『易経』の中の動物を語るにあたり
まず最初に、“易”の字義と動物との関連について触れておきましょう。

「易」の文字のなりたちについては、
“日月〔にちげつ〕説”と“蜥易〔せきえき〕説”とがよく知られています。

前者の“日月説”は、「易」の文字を
「日」と「月」の組み合わせであるとするものです。

しかし、「易」の下の部分は「月」ではありませんので妥当ではないでしょう。

後者の“蜥易説”は、ハ虫類の「蜥蜴〔とかげ/蠑螈・竜子とも書きます〕」を
字義とするものです。

“虫”へんに“易”で「蜴〔とかげ〕」という文字が作られています。

“易”は、変化〔チェンジ:change〕とそれへの対応の学です。

「蜴〔とかげ〕」は、さまざまに色が変化する(変化して見える/“12変”)ので
“変易”〔チェインジ〕に通じるということです。

尤〔もっと〕も、私が思いますには、実際には「蜥蜴」は体色を変化させませんから、
「蜴〔とかげ〕」はトカゲ科のハ虫類の総称でしょう。

“カメレオン”の類〔たぐ〕いのハ虫類のことかも知れませんね?

注)
私は、古代中国の『易経』の象〔しょう/かたち〕として登場する動(植)物の“たとえ話”と、
古代ギリシアの『イソップ寓話〔ぐうわ〕』の動物譚〔たん:=物語〕には、
とてもアナロジー〔類似〕を感じます。

謎に包まれた“哲人”である作者によって書かれた『イソップ寓話』は、
動物に擬〔なぞ〕らえられた生き方の知恵であり、
世界中で現在に至るまで普遍的に愛読され続けています。

『イソップ寓話』が書かれたと考えられる古代ギリシアのアテネの全盛期はBC.5世紀ごろ、
『易経』の解説(「十翼」)を整えたといわれている孔子が活躍したのもほぼ同時期です。

洋の東西で時代もさして変わらないころのアナロジー〔類似〕です。


《 『易経』(本文中心)に登場する植物たち 一覧 》

龍(竜)

【乾】辞・初・2・4・5・上爻・用 /【坤】上爻 
→ ※龍は【乾】の象/
    cf.龍の三棲〔さんせい〕

【革】5・上爻 “大人虎変”・“君子豹変”/
【履】辞・4爻 “虎の尾を履む”/【頤】4爻 “虎視眈々”

○馬:【屯】2・4・上爻/【明夷】2爻/【睽】初爻/【渙】初爻/【中孚】4爻
“馬匹〔ばひつ=両馬〕亡〔うしな〕う” ○牝馬〔ひんば〕:【坤】辞 
○白馬(の王子):【賁】4爻 ○良馬:【大畜】3爻

鹿

【屯】3爻

○魚:【姤】2・4爻  ○魚の目刺し:【剥】5爻  ○鮒:【井】2爻

○牛:【睽】3爻/【无妄】3爻 “繋がれた牛”/
【旅】上爻 “牛を易に喪〔うしな〕う”/【既済】5爻 “東隣の牛を殺す” 
○黄牛:【遯】2爻/【革】初爻“黄牛の革〔かく〕”  
○童牛:【大畜】4爻  ○牝牛〔ひんぎゅう〕【離】辞

〔しのと〕
=豚

○豕〔しのと〕:【睽】上爻 ○獖豕〔ふんし〕:【大畜】5爻 ※去勢したいのしし
○羸豕〔るいし〕:【姤】初爻 ※やせ豚

○霊亀:【頤】初爻 ※万年を経た亀 
○“十朋〔じっぽう〕の亀”:【損】5爻/【益】2爻 ※非常に高価な亀

○羊:【大壮】5爻 “羊を易に喪〔うしな〕う”/
【夬】4爻 “牽羊〔ひかれるひつじ〕”/
【帰妹】上爻 “士羊を刲〔さ〕きて血无〔な〕し” 
○羝羊〔ていよう〕:【大壮】3・上爻 ※牡羊〔おひつじ〕

鼫鼠 〔せきそ〕

【晋】4爻 ※大ネズミ、ムササビ? (→ 最悪人の意)

〔えもの〕
=鳥・禽獣

○禽〔えもの〕:【師】5爻/【恒】4爻/【井】初爻  
○前禽〔ぜんきん〕:【比】5爻 ※目前の禽獣、または前へ逃げ去る禽獣の意

〔はやぶさ〕

【解】上爻

〔こう〕
=水鳥

【漸】初爻〜上爻  → ※鴻の動きで語られています

〔きじ〕

【旅】5爻

〔つる〕

鳴鶴とその子:【中孚】2爻 ※“鳴鶴陰に在り、その子これに和す。”

翰音 〔かんおん〕
=鶏

【中孚】上爻 “翰音天に登る”〔→ろくに飛べない鶏は天に昇ってもすぐに落ちるの意〕

○鳥:【旅】上爻 “鳥その巣を焚〔や〕かる”  ○飛鳥:【小過】辞・初・上爻
※【雷山☳☶】の卦象から

豚魚 〔とんぎょ〕
=イルカ

【中孚】辞 “豚魚吉” → ※黄河イルカのことか?

○狐:【既済】初・上爻  ○三狐:【解】2爻 ※三匹の狐 
○小狐〔しょうこ・こぎつね〕:【未済】辞・初爻 “其の尾を濡〔ぬ〕らす”/
上爻 “其の首を濡らす” ※狐は【坎☵】の象



※ この続きは、次の記事に掲載いたします。


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第72回 定例講習 特別講義  その1

第72回 定例講習  特別講義 レジュメ  

《 あらまし 》

平成26年(2014)春、4月。

年度当初の真儒協会・定例講習(第72回)が、
例年どうり“特別講義”の形式で行われました。

本年、「甲・午〔きのえ・うま/こう・ご〕」年は、私(盧)にとりましては、
“還暦”を迎える“節目〔ふしめ〕”の年でもあります。

そのあらましをご報告いたします。


■1.易占例・解釈研究 ≪“大学入試の合否”≫

新年度の時節にふさわしく、
“大学入試の合否”の“易的〔えきてき〕”を廻〔めぐ〕る解釈を、
振り返って紹介・解説いたしました。

私と嬉納〔きな〕女史とが 【雷水解】 の2爻と5爻を得るという
非常に興味深い占例の解説です。

(※ 2卦とも同じ卦を得る確率は、4096分の1です!)


■2.3.特別講義 ≪ 「易と動物(Part1)」 / 「易と植物(Part1)」 ≫

“特別講義”は、会長の私(盧)が「易と動物(Part1)」
副会長の嬉納禄子〔きなさちこ〕女史が「易と植物(Part1)」のテーマで、
プロローグ〔序論〕的に講義をいたしました。

この“易と動・植物”という研究テーマは、
今までの永きにわたって誰もが手がけていないテーマであり、
『易経』への斬新〔ざんしん〕な“切り口”・視点といえます。

私にとりましても、「易経物語」執筆のためのベースになるものだろうと想っております。

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また、“ティーブレイク”を利用して、恒例の“「干支色紙」授与”を行いました。

今年の十二支(私の十二支ということでもあります)=「午」を「馬」の文字で
私が、藤原行成〔ゆきなり:「三蹟の一人」〕風で書いたものです。

受講生全員に好みの色紙を選んでもらい、その場で筆〔ふで〕記名し授与いたしました。

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―― 善き年度始めの講習でした。特別講義のレジュメは以下のとおり。



§1。 易占例・解釈研究レジュメ ≪“大学入試の合否”≫


春という時節柄、“大学入試の合否”の易的を廻る解釈を紹介したいと思います。    

 易占例・解釈研究   ――― 癸苅亜 斃訖絏髻曄。迦 & 5爻 

              (※ 2卦とも同じ卦を得る確率は 4096 分の 1 です)


◆立筮〔りつぜ〕&解釈 :  A.盧秀人年 B.嬉納禄子 / 略筮・(擲占〔てきせん〕法)

○易的: 「(大阪在住)○○君の、 W 大学(東京)合格の可否?」

○得卦: A.【雷水解 ☳☵】 5爻 にて【沢水困】に之〔ゆ〕く (先天卦【火地晋 ☲☷】)/ 
        H.26.1.3 (PM.5:30)
      B.【雷水解 ☳☵】 2爻 にて【雷地預】に之〔ゆ〕く (先天卦【火地晋 ☲☷】)/ 
        H.26.2.24 (PM.3:30)

○卦辞: 「解は西南に利ろし。行く所なければ、それ来り復〔かえ〕って吉。
      行くところあり(あれば)、夙〔はや〕くするときは吉なり。」

2爻辞: 「田〔かり〕して三狐〔さんこ〕を獲〔え〕、黄矢を得たり。貞しければ吉なり。」

5爻辞: 「君子維〔こ〕れ解くことあり(あれば)、吉なり。小人に孚〔まこと〕あり。」


● 卦辞の解釈 → 「西南」の方位の意味は太古の中国(黄河流域)からみて
西南の平坦な住み心地の良い所という意味です。

ですから、現代この場合は(大阪からみた四国ではなく)
「東京」(W大)をさすと考えられます。

行く所なければ ・・・」は、東京のW大を受験して不合格であれば、
もとの平穏な位置=大坂 に復〔かえ〕って落ちつく
(関西の“すべりどめ”の大学に籍をおき、再度上京W大を目指す)のがよろしいと解せるでしょう。

行くところあり(あれば)・・・」は、行く所=W大 に合格するでしょう(するならば)、
速〔すみ〕やかに(入学手続きなど)進んでいって目標を成就させれば、
善きこと・よろしきを得て吉ということです。

 象による解釈 → 【坎〔かん〕☵】は、“艱難” であり“冬”であり“寒”です。

【震☳】は、“活動”であり“春”であり“出発”です。

したがって、坎・冬の苦しさから脱して春の雪解け・春の到来の象、
下卦【坎☵】の“艱難”は消えてなくなったことを示しています。

また、【坎☵】の“艱難”を脱して新しい船出・出発するべき象でもあります。
(※引用資料参照のこと)

cf.包卦(坤中に離)は、【坤☷】=母のもとから【離☲】=「はな」れ
   「つ」く(=上京す)とも解せましょう。

 先天卦の解釈: 先天卦【火地晋 ☲☷】は、地上の太陽、進むの意(三吉卦)です。

cf.(父方の)祖母の守り
   (2爻「玆〔こ〕の介〔おお〕いなる福〔さいわい:介福〕をその王母に受く」)。/ 
   高杉作・安倍太郎・安倍三(現総理)の名前の「晋」

 2爻辞と象の解釈: (例えれば)狩りに出て三匹(多数)の狐を獲得し、
その上に狐を射た黄矢(黄銅の矢)をも失わずに取り戻したようなものです。

「狐」は【坎〔かん〕☵】の象。

「三」は下卦【坎☵】が【坤☷】の3陰を1陽が貫いた象であることから。

「黄矢」の「黄」は下卦中爻の陰爻の土の色、「矢」も【坎☵】の象。

そして、このような善き結果を得られるのは、この九二が中庸の徳をもっていて、
真面目にしっかりと堅実な行ない(=受験対策の学習)をしていたからなのです。

(本人は気学・九性学で“五黄土性”の人。
「矢」が【坎☵】の象なのは【坤☷】の3陰を1陽が貫いた象であることからですが、
この“貫くもの”・“一貫するもの”は志望がW大オンリーであったこと、
志望大学に対する“志・まこと”とも考えられます。) 

―― したがって、3つの学部に合格すると推測されます。
黄矢は多額のお祝金でしょうか? 

(黄=お金と解し、矢=貫き動く“陽なるもの”と解し)出費した多額の受験関連費用が、
応援してくれる人達のご祝儀で(出費が)みな戻って来るの意でしょうか。

   5爻辞と象の解釈: 六五は、柔徳の君〔きみ〕です。
自力では小人を排除し難いですが、よく九四・九二の陽剛なる応援者と相比し、
相応じ、小人達(初・三・上爻)を解き去らしめるのです。

小人達もその徳に信服し、柔順に孚〔まこと〕(誠意)をもって退いてゆくのです。

さて今回の場合は、親身な先生(九四)や先祖・親類・支援者(九二)の剛強な支援を得て
艱難(=小人=入試)を克服すると考えられます


―― してみると、(艱難=初・三・上爻の陰) 3つの学部に合格ということでしょうか?


解釈・判断のPoint.

Point.1 (得)卦の意  
A.問題が氷解(解決)する  B.流れる・白紙に戻る(解消) / 
(A.悩みが解ける・解決の意 と B.解約・解消の相反する二意があり、
解釈は難しいものがある卦です。が、もともと大きな課題をかかえている、
チャレンジしているのですから A の意と考えられます。)
※ 先天卦【火地晋 ☲☷】の意 (地上の太陽、進む、で吉の意)

Point.2 2爻の場合も 5爻の場合も“中庸・中徳”を得ています

Point.3 互卦〔ごか〕が【水火既済 ☵☲】
(互卦〔ごか〕は、含まれているもの、可能性です。
【既済】は、完成・調う の意。
「済」は“なス”・“なル”=成し遂げる、出来上がる の意です。)

Point.4 賓卦〔ひんか〕が【水山蹇 ☵☶】 = (【蹇 ☵☶】の賓卦が【解 ☳☵】)
(蹇難の時、善処努力し【蹇】を克服し、蹇難が解消され【解】になったとみます。
朱子の『本義』に「険に居りて能く動けば、即ち険の外に出ずるなり。
解の象〔しょう〕なり。」とあります。)

cf.《占例》 入学(学習開始)の是非を易的にして、
  【蹇】5爻 を得たことがあります。
  (5爻は「大いに蹇〔なや〕むも朋〔とも〕来る」とあり、
  助力を得て吉・善しの判断です。が、)
  “行き悩む”で蹇難を克服打開できない場合もあるということです。 

学習希望・検討者に対して、先生・学校からみれば
(=賓卦:180度回転させた卦)【解】になります。

つまり、“流れる・白紙に戻る”、解約・解消の凶の意の場合です。

結果は、学習希望・検討者が、入学を取り止められました。

Point.5 之卦〔しか/ゆくか〕の「2爻【雷地予 ☳☷】」&「5爻【沢水困 ☱☵】」の解釈
(之卦〔しか/ゆくか〕は近未来、つまりこの場合 
合格したその後は?ということです。

*2爻変の【預】卦には3義が考えられます。

1.あらかじめす 2.遊び楽しむ 3.怠ける です。

念願の志望大学に合格すると、余裕ができて楽しむ〔「預楽」〕ことができます。

がしかし、“手の舞い足の踏む所を知らず”(『礼記』)とばかり有頂天になり、
過度の遊びに享楽し、本来なすべきことを疎〔おろそか〕にしがちです。

目前の山・カベを超えたら見える景色=次のステップをよく観て、
いろいろな計画・準備をスタートせねばなりません。

*5爻変の【困】卦は、くるしむ・なやむ で“艱難辛苦〔かんなんしんく〕”の意です。

が、しかし、その【困】は“艱難汝〔なんじ〕を玉にす”
(=“Adversity make a man wise.”)です。

大きな人物になるための“こやし”にほかなりません。

具体的な【困】の内容としては、次の二つが考えられます。

1.合格すれば、同時に経済的困難がスタートすると考えられます。
  入学金・授業料などの大学納付金、
  上京に伴う交通旅費・新しい住まい・生活などへの
  (一般ピープルにとっては)莫大な費用への資金繰りが必要となってきます。

2.上京・入学すれば、事故・体調不良をはじめ
  諸トラブルに気をつけなければならないというものです。 補注)


★ ∴  判断: A ・・・ 合格 / B ・・・ 合格 


◇結果: (すべり止め受験)関西の某大の1学部と 
志望校の東京・W大 の2学部、計3学部に合格しました。 

最終的に入学することを決めた志望学部の受験では、
大問の解答欄を書き間違える(設問6つほどの解答をズラして書いてしまう)という
信じ難い大きなケアレスミスをおかしてしまいました。

が、それにもかかわらず幸運にも合格いたしました。 

―― 合格・入学祝い金は望外にたくさんいただきました。


補注) 
後日談: ○○君は、入学上京して1ヶ月経〔た〕たないうちに、
自転車でバイクと衝突するという大きな交通事故に遭いました。

が、ラッキーにも命に別状はありませんでした。


参考資料              ≪盧:「『易経』64卦奥義・要説版」 p.37引用≫

40. 解 【雷水かい】  は、とける・ちらす                包卦(坤中に離)

● 春の雪解け。
  (1)悩みが解ける・解決 と (2)解約・解消の二意があり解釈は難しい。
  「渙」も散らすの意。

■ 1)雷(震)と水(坎)で、雷雨の象。=巣籠りの虫が這〔は〕い出し、啓蟄〔けいちつ〕。
   2)下卦の坎は艱難・冬・寒、上卦の震は活動・春・スタートの意。 
   3)「蹇」の処置よく 「蹇」の外に出た象。 
   4)坎の冬の苦しさから脱し 春到来の象。 
   5)坎水の険難凌いで(解消して)、その外に動く(新たなスタート)の象。

○ 大象伝 ;「雷雨作〔おこ〕るは解なり。君子以て過を赫〔ゆる〕し罪を宥〔なだ〕む。」
        (雷雨起こり、天地の閉塞を解消して新たに生命が活動・生長する。
        このように、君子は時機をみて 過失をおかした者を赦〔ゆる〕し、
        罪をおかした者も寛大な処置をとり、
        人心を一新 のびのびとするようにはかるのです。)
    cf. 「稲妻〔イナズマ〕」: 古代人は、雷によって陰陽交流し、稲が実ると考えました





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