儒灯

【温故知新】儒学の普及に力を注いでおります真儒協会 会長、高根秀人年の個人ブログです。 『論語』、『易経』を中心に、経書の言葉を活学して紹介して参ります。 私個人の自由随筆、研究発表などのほか、真儒協会が毎月行っております定例講習についても掲載しております。

2016年04月

謹賀丙申年 <後編>

(こちらは、前のブログ記事の続きです。)


《 干支の易学的観想 / 【火天大有 ☲☰】&【天山遯 ☰☶】卦 》

※(→ 資料参照のこと)

次に(やや専門的になりますが)、十干・十二支の干支を
易の64卦にあてはめて(相当させて)解釈・検討してみたいと思います。


昨年の干支、「乙・未」は【風地観☴☷】卦でした。

精神性重視、心眼で深く観る、“観光”といった意でした。

今年の「丙・申」は【火天大有〔たいゆう〕☲☰】卦、
先天卦は【天山遯〔とん〕☰☶】となります。

【火天大有】卦は、大いに有〔たも〕つ、大いなるものを有つの意です。

易では(陰陽のうち)“陽”を“大”としますので
“陽”を有つの意とも考えられます。

「仲(冲)天の太陽」の象で、豊かな盛運の時を表しています。

2爻には「大車以て載〔の〕す」

上爻には
「天よりこれを祐〔たす〕く。吉にして利ろしからざるなし」
との辞があります。


しかるに、盛大・盛運な時と申しますのは、
凋落〔ちょうらく〕・衰運への可能性を孕〔はら〕んでいます。

十干・「丙」でも述べましたように、
“陽極まれば陰”で盛大・盛運に楽観し油断すると逆転してしまいます。


【大有】は、下卦【乾☰】の上に【離☲】があります。

5爻の“陰”は【離☲】の中爻ですから、最高の明智・明徳です。

つまり、【乾☰】の“陽剛” を「智〔知と徳〕」をもって有〔たも〕つのです。

社会のレベルでは文化と経済の、
個人レベルでいえば“文武両道”のバランスが大切です。


「天祐〔てんゆう〕」・“天恵” は最強で有難いものです。

『易経』384爻〔こう〕の中で最良でしょう。

「子曰く、祐とは助なり。」(繋辞上伝)とありますように、
それは“天助”に他なりません。

そして、その“天助”は、自然現象としてばかりではなく、
(具体的には)人からの協力・助力という形をとって現れもいたします。

「易」(=東洋源流思想)では、“天の思想”と“時”の理解が重要です。

“天”と“天の時”をよくよく認識して、
“天に応じて時じく行う”
ことが肝腎なことです。


加えて、指導者〔リーダー〕の活動の指針として、
順天休命(大象)が述べられています。

「君子以て悪を遏〔とど〕め善を揚げて、
天の休〔おお〕いなる命に順〔したが〕う。」
 

すなわち、君子は、悪に対しては 刑罰をもってこれを防ぎ止め、
善に対してこれを称〔たた〕え揚げ賞し登用するのです。

このようにして、天の真に善にして美しい命に順うようにつとめるのです。

このことは、為政の道ばかりでなく、
個々人のレベルにおける“修身の道”もまた然りではないでしょうか。


次に、先天卦の【天山遯】卦は、解脱〔げだつ〕達観の卦です。

引退・隠居の意、現職を辞して新規事スタートの意、でもあります。

春は一般に、異動・変化の時(=【震】☳)です。

「時と與〔とも〕に行うなり」(彖伝)とありますように、
時をはかって(時のよろしきを得て)退くことが肝要です。

また、自分の世界=“壺中〔こちゅう〕の天を持つことが大切です。

若者風にいえば“アナザースカイ”ですね! 

もちろん、実際に山奥に隠遁〔いんとん〕するわけにはゆきませんので、
駁雑〔ばくざつ〕な俗世の中に在っても
そういった精神世界を持つ、ということです。

私には、「易」老子の世界があり、
「美(への探究)」の世界があります。

おかげで、行き詰まり窮することがないし、
逆境辛苦の中にあっても致命傷を負わず心穏やかに過ごせています。


★参考資料 ≪ 高根:「『易経』64卦奥義・要説版」 pp.15・33 抜粋引用≫

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No.14.大有 【火天たいゆう】  は、大いに有〔たも〕つ
     
 3大上爻〔大有・大畜・漸〕、帰魂8卦
 高根流 日の7(8)卦 〔(離火)・升・晋・豊・大有・旅・賁・明夷〕

 ● 中天の太陽、天佑あり、順天休命(大象)
   易は、“陰”を小とし“陽”を大とする。
   大有は、陽を有つ意(=盛大)。
   (大いに有つと、大いなるものを有つの意)

  ・2爻:「大車以て載〔の〕す。」 ・・・ 
     A)ロールスロイスに財宝を山と積むように ── 。
     B)重荷を積んでゆくようにすれば ── 。 「積中不敗」(象伝)
     cf.「人の一生は、重荷を負うて遠き道を行くが如し。・・・ 」
        (徳川家康)
  ・上爻:「天よりこれを祐く。」 ・・・ 天の配剤、384爻中の最良

 ■ 下卦 乾天の上に、上卦 離火(=太陽)。
  1)日、天上に輝く象。
  2)1陰 5陽卦 :
      5爻の1陰の天子は、大有の主爻。また、離の主爻
      陽位に陰爻あるは柔和な徳。離の明徳と中庸の徳を兼備し、正応・正比。
      他の 5陽の剛健な賢臣たちが随従している象。心を1つに集めている象。
   離の中爻の陰は、離の主爻であり中徳を持つ。
    なぞらえれば、離=炎 の中心は、虚にして暗く燃えていない、陰です

 ○ 大象伝;「火の天上に在るは大有なり。
       君子以て悪を遏〔とど〕め善を揚げて、天の休〔おお〕いなる命に順う。」

    (離火が、乾天の上にあるのが大有です。離の明知・明徳と乾の断行です。
    この象にのっとって、君子は、悪に対しては 刑罰をもってこれを防ぎ止め、
    善に対してこれを称〔たた〕え揚げ賞し登用するのです。
    このようにして、 天の真に善にして美しい命に順うようにつとめるのです。
    〔為政の道ばかりでなく、修身の道もまた然りです。〕)


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33. 遯 【天山とん】  は逃れ退く。

 精神性3卦 (観・无妄・遯)、
 大卦(大巽)、消長12卦 (7月)

 ● 解脱〔げだつ〕達観、「時と與〔とも〕に行うなり」(彖伝)、
   孤高、天国、壺中〔こちゅう〕の天

    cf.朱晦庵〔しゅかいあん〕 = 朱子(朱熹)が自ら「遯翁」と号す 
    ※ 明夷は地中に追いやられ、遯は高地にいる 

 ■ 山の上に天。
  1)乾の君子が高地(艮山)に隠遯している象。
  2)また、二陰の小人(初爻と2爻)が勢いを増して陽の君子が押されていく、
    が 「天地否」には至らぬ)象。

   * 2爻と5爻が正応。

 ○ 大象伝;「天の下に山あるは、遯なり。
       君子以て小人を遠ざけ、悪〔にく〕まずして厳しくす。」

    (山は天に迫ってそびえていますが、山高くとも天にとどかずです。
    この象にのっとって、君子は、小人を遠ざけるのに、憎しみをもってではなく
    自然に近づくことが出来ないように、自分を厳正にすることが大切です。)

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《 おわりに 》

 人生には、3つの“坂”があると言われます。

“上り坂”・“下り坂”・“ま坂〔マサカ〕”  注1) 
がそれです。

時代・社会のレベルにおいても個々人のレベルにおいても然〔しか〕りです。

易学的に解せば、“上り坂”は“陽の時”、“下り坂”は“陰の時”とも言えましょう。

“ま坂”には吉凶両極の場合があるわけですが、
吉事の“ま坂”「天祐」とも言えましょう。

今年の私の年筮は、【沢水困☱☵】の得卦で(動爻:5爻乾の坤変により)
【雷水解☳☵】の動卦〔どうか〕でした。(中筮・擲銭〔てきせん〕法による) 

この三難卦の一つ【困】卦を、“艱難〔かんなん〕汝〔なんじ〕を玉にす”  注2) 
で【大有】同様才智・力量ある人には吉、と捉え
自らを励まし励まし乗り切って、問題解決・氷解の【解】卦に至るつもりです。

人生の3つの“坂”と吉凶両極の“ま坂”に想いを馳〔は〕せながら、
「天の休〔おお〕いなる命〔めい〕に順〔したが〕って」、
“陽”を有〔たも〕つ年にしたいものと想っております。


注1) 

「まさか」は、本来“よもや・いくらなんでも”とんめいった意味で、
(打ち消し・反語などの語を伴って)予期しない仮定を表す副詞です。
「まさかの時」は、万一の場合をさします。
“ま坂”はゴロ合わせで、人生の予期しない奇想天外の出来事を指すのでしょう。

“ま坂”でふと思い浮かびましたのは。
人生ずっと“上り坂”であった羽柴(豊臣)秀吉が、
中国(=毛利)に遠征し対峙していた時、
“本能寺の変”で織田信長が明智光秀に討たれた状況です。
信長という巨大な後ろ盾を失い、大敵毛利を前方に光秀を後方にして
絶体絶命の大ピンチであったともいえます。大凶です。
反対に、一転して主君の仇・光秀を討ち、信長後継者の筆頭となり
一気に天下取りに躍り出て天下を統一いたします。むろん大吉です。
“ま坂”の時とその“ま坂”の吉凶は測り難いものです。


注2)

‘Adversity make a man wise.’
(逆境は、人を賢くする。) 

神はその人(の能力)にみあった試練(苦労)を与えるものです!


( 以 上 )

謹賀丙申年 <前編>

謹賀丙申年 〔謹んで丙申年を賀します〕

―――  丙・申・二黒土性/今年の漢字「安」/【火天大有】・【天山遯】卦/
「猿も木から落ちる」/「猿を決め込む」→「見ざる」・「聞かざる」・「言わざる」/
“反省する猿”/「天よりこれを祐く」/「順天休命」/
“上り坂”・“下り坂”・“ま坂”   ―――


《 はじめに ・・・ 干支について 》

明けて平成28年(2016)。
新年を皆様と迎えますこと、大慶でございます。

歳重ねの想いを新たに、例年のように干支〔えと/かんし〕から始めて、
いささか本年の観想といったものを述べてみたいと思います。


今年の干支〔えと/かんし〕は、
(俗にいうサルではなく)「丙・申〔ひのえ・さる/へい・しん〕です。

干支は、十干〔じっかん〕(天干)と十二支(地支)です。

かつてはこの、10 と 12 の組み合わせで、60干支〔かんし〕の暦を作っていました。


そして、本来十二支は、動物とは専門的には直接関係ありません。
が、動物のイメージ・連想は、人口に膾炙〔かいしゃ〕しています。

干支を「今年のエトは、サルで ・・・ 」とメディアが薄々軽々と報じているところです。


また、干支は旧暦(太陰太陽暦:我国で明治維新期まで用いられました)ですから、
年始は2月4日(立春)からで、
2月3日(節分)までは、まだ「乙・未〔きのと・ひつじ〕」です。

これらのことを確認しておきまして、
これから本年の干支「丙・申」年にまつわるお話をしてまいりましょう。


《 今年(‘15)の漢字 「安」 》

昨年・平成27(2015)年の世相をあらわす文字(「今年の漢字」)は「安」でした。
(一昨年は「税」、その前は「輪」。) 

“安”保関連法や“安”倍内閣(アベノミクス)からの「安」でしょうか。

私は連想いたしますに、“安心”・“安全”の「安」です。

ただし、“安心”・“安全”がないという意味で、です。

わが国の経済格差の拡がりは、ますます顕著になってきております。

経済的に“安心”して穏やかに暮らすことができない
(これからの)“超高齢社会”です。

また、近隣諸国からの侵害・テロといった国家レベルから
食の安全と言った日常生活レベルでの“安全”が脅かされています。

年が明けて(2016)早々から、廃棄処分食品(“カツ”など)の
小売店頭での流通が、メディアを賑わせ国民を驚かせました。

貨幣〔かね〕のために売り、“安い”が故に買うという、
“倫理”や“義”が忘れられた世相です。

かくして、“安〔やす〕らか”でない人心!です。


《 丙・申 & 二黒土性 の深意 》

さて、今年の干支「丙・申」には、どのような深意があり、
どのように方向づけるとよいのでしょうか。

「丙〔ひのえ〕」は、(五行)「火」の“陽〔よう〕”。

「炳」の字をあてはめ、“盛ん”・“あきらか”・“強い”といった意味です。

昨年の“干支”「乙・未」は、
困難にあい伸びようとしても苦しむさまを暗示していました。

が、今年は一昨年・昨年の陽気が一段とはっきり発展するということです。


「丙」の上の“一”は伸びる“陽気”を表し、
下の部分は“かこい”に“入”と書いてあります。

陽気が囲いの中に入る、つまりモノは盛んになり続けるということはなく
必ず衰える兆しを含んでいるということです。

しかるにまた、衰えるということは再び盛んになるという未来を含んでいます。

人間というものは“老いる”ということを多く嘆きます。

決してそうではないのです。
老いたら老いたで、楽しみもあれば力もあるのです。
生命・創造の働きは無限の循環なのです。

「丙」の文字は、よくこのことを表しているのです。

“超高齢社会”の進展している我が国の現状で、味わいたいものですね。


以上の理〔ことわり〕は、私が想いますに、
“陰極まれば陽・陽極まれば陰”、良い時も戒め・悪い時も励ます、という
易学・『易経』の世界そのものです。


「申〔さる〕」は、“〜申し上げます”の“申〔もう〕す”と同じ文字です。

“申す”は、自分をへりくだって言う語(=謙譲〔けんじょう〕語)です。

もともとは、光る稲妻を描いた甲骨文字とも言われています。
(円満字次郎氏) 

「申」は、“イ〔にんべん〕”をつけた“伸〔しん〕”、
“伸〔の〕びる”の字に同じです。

“のびる”という意味で、善悪両方の意味において
いろいろな新しい勢力・動きが伸びてくることをあらわしています。


以上のように「丙」も「申」も共に、あきらか・盛ん・伸びるの意味です。

強い生命力と活力を含んで、諸事、成長発展する年であるといえましょう。


※(以上の干支の解説については、安岡正篤氏干支学を中心にまとめました。
 『干支新話(安岡正篤先生講録)』・関西師友協会刊。pp.65―66、p.98、参照。)


また次に、九性(星)気学で今年は「二黒〔じこく〕土性」にあたります。

陰陽五行思想で“陽”の「八白〔はっぱく〕土性」に対して“陰”の土性です。

易学的には【坤〔こん〕/地】、
人間でいえば母、母なる大地・田畑の土、「根〔コン〕」です。

従って、地味・大地・農業・忠実・生み作り出すなどの
多くの現象を表すと考えられます。

そこで、今年の時勢を推し測ってみますと。
エネルギーの蓄積、腰を低くして苦労に耐え忍ぶ、
内容充実の目立たない年ということがいえましょう。


《 歴史的に「丙・申」年を振り返る 》

歴史的に、前回の「丙・申」年つまり60年前は、
昭和31年(1956/八白土性)にあたります。

この前年は、昨年度お話しいたしましたように、
敗戦から10年を経て「もはや戦後ではない」(経済白書、1955/s.30)
といわれるほどに戦後の復興が進みました。

経済界は、“神武景気”(記紀の神武天皇建国以来の好況期の意: s.29.11〜s.32.6)
といわれるほどの活況を示します。

日本経済の“高度成長期”は、一般にはこの昭和30年(1955)から
昭和48年(1773)の第一次オイルショックまでを指します。

日本は、自由主義経済世界で第2位の経済大国となります。

しかしながら、急激な経済成長は“公害”や“交通事故の激増”をはじめ
外部不経済現象の顕在化をもたらし、
生活関連の社会資本の整備は後回しになってしまったのです。


《 申 → 猿 あれこれ 》

十二支・「申年」は、一般に「猿〔さる〕年」と言われ、
動物の「猿〔Monkey/Ape〕に擬〔なぞら〕えられます。

「猿」にちなむ言葉や言い回しについて、あれこれ述べてみましょう。


「猿」は、生物学的に我々「ヒト」と祖先を同じくする動物ですので、
獣の中では最も知恵が優〔まさ〕っています。

昔時〔むかし〕、大ヒットしたショッキングなSF.映画・「猿の惑星」は、
「猿」が人間にとって代わって地球を支配する話で、実に感慨深いものでした。

また、深層心理学的には“子ども”を表します。
人間に近い・似ているからでしょうか。

そして言葉としての慣用的な使い方としては、
「猿芝居」・「猿知恵」・「猿まね」・・・といった具合で、
あまり良い使い方がないように感じます。


「猿も木から落ちる」という慣用句はよく用いられます。

「弘法〔こうぼう〕も筆の誤り」と同じで、
その道に長じた者〔ベテラン〕も時には失敗することがあるということです。

しかし、失敗してしまった時には、“モノは考えよう”で、
「猿」にしろ「弘法」にしろその実力は前提として認められている訳ですから、
落ち込みすぎずに前向きに考えて次をがんばることが大切でしょう。

また、この慣用句を捩〔もじ〕って、
“猿は木から落ちても猿のままだが、政治家は落選するとただの人となる”
との名言を残した代議士もいます。

政治・選挙の関係者の間では、重みのある言葉です。


「猿」の“音(=サル/エン)”だけをとって、良い意味で使われてもいます。

“サル=去る”で災いや病が去ること/“まサル=勝る・魔が去る”/
“エン=縁”で縁結び、といった具合です。


「猿を決め込む」 → 「見ざる」・「聞かざる」・「言わざる」
現代的意味で考えさせられるものがあります。

手で目を隠し、耳を覆い、口を押さえたトリオ猿の絵や人形は今でもよく見かけます。

ちなみに、先だってこれらの3匹の猿が描かれた色紙で
バック〔背景〕に“桃”(の実)が3つ描かれたものを見かけました。

“桃”は、(中国伝来の思想で)霊力のある樹と考えられていました。

“縁起物”といった意味あいで描き添えられていたのでしょう。

この3つの姿勢の処世哲学は、本来、消極的保身・姿勢・悟りの戒めであると思われます。

私が想いますに。
“見過ぎ”・“聞き過ぎ”・“言い過ぎ”の
姦〔かしま〕しき「過(陽)」の現代日本においては、
“省み省いて”目指すべきもの
ではないかと思います。

これは、“老子”の境地、「無為自然」・「静」の世界に通ずるのではないでしょうか?


面白いところで、“反省する猿”というのがありました。

「吾、日に吾が身を三省す」、という『論語』の曾子の言葉はよく知られていますね。

“省〔かえり〕み”、“省〔はぶ〕く”ことは極めて重要なことです。

尤〔もっと〕も、真に“反省”できるのは人間だけでしょう。
猿は、反省のポーズを(芸として)取ることができるというだけのことだと思います。


なお、中国古典・文化と関連して、漢詩の中によく“「猿」の声”が登場します。

盛唐の2大巨星、李・杜〔り・と〕の詩から少々ご紹介してみましょう。

(『唐詩選』新書漢文大系6・明治書院 参照)


早〔つと〕に白帝城を発す       李 白〔り はく〕 

 朝〔あした〕に辞す白帝彩雲の  / 
 千里の江陵一日〔いちじつ〕にして〔かえ〕る
 両岸の猿声啼〔な〕いて住〔や〕まざるに(住〔とど〕まらず) /
 軽舟已〔すで〕に過〔す〕ぐ万重〔ばんちょう〕の

  ★韻: 「間」・「還」・「山」

 ――“詩仙”・李白の七言絶句の傑作です。
 詩全体に力強さとスピード感がみなぎり、
 「猿声」の悲哀とのマッチングがとても魅力的です。


登 高 〔とう こう〕        杜 甫〔と ほ〕

 風急に天高くして猿嘯〔えんしょう〕  /
 渚清く沙〔すな〕白くして鳥飛び〔めぐ〕る
 無辺の落木は蕭蕭〔しょうしょう〕として下り /
 不尽の長江は滾滾〔こんこん〕として
 万里悲秋常に客〔かく〕と作〔な〕り /
 百年多病独〔ひと〕りに登る
 艱難〔かんなん〕苦〔はなは〕だ恨む繁霜〔はんそう〕の鬢〔びん〕 /
 潦倒〔ろうとう〕新たに停〔とど〕む濁酒〔だくしゅ〕の

  ★韻: 「哀」・「廻」・「来」・「台」・「杯」

 ――“詩聖”・杜甫の七言律詩の代表傑作で、
 古今七言律詩のナンバーワンとも賞されます。
 この詩は全てが対句(全対格)で構成され、
 かつ全句がそれぞれ三層に切れているという、
 優〔すぐ〕れて特異なものです。
 首聨〔しゅれん:1句と2句〕を観てみますと、
 対句となっており「猿嘯哀」「鳥飛廻」がペアになっています。
 「哀〔アイ〕」「廻〔カイ〕」とは、韻を踏んでいます。
  

このように漢詩の世界では、「猿声」を哀(=悲)しみをつのらせる動物の声として捉え、
それゆえにこそ“詩になる”ということです。

“猿の鳴(=啼)き声”が「哀しい」という感覚が、
我々日本人にはよくわからないのではないでしょうか。

我々が聞き知っている日本の「猿=Monkey」と
漢詩に詠われている中国の「猿=Ape」とは、
そもそも種類が異なり鳴き声が違うのです


《 干支の易学的観想 / 【火天大有】&【天山遯】卦 》

 次に(やや専門的になりますが)、十干・十二支の干支を
易の64卦にあてはめて(相当させて)解釈・検討してみたいと思います・・・。


※ この続きは、次の記事に掲載いたします。


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