儒灯

【温故知新】儒学の普及に力を注いでおります真儒協会 会長、高根秀人年の個人ブログです。 『論語』、『易経』を中心に、経書の言葉を活学して紹介して参ります。 私個人の自由随筆、研究発表などのほか、真儒協会が毎月行っております定例講習についても掲載しております。

2016年12月

『易経』の最も主たる動物・《鴻雁》 その4

(こちらは、前のブログ記事の続きです。)


《 雁〔かり〕が羽を休める小枝の話 》

( ――― 落語:「雁風呂〔がんぶろ〕で雁を語る一節」)

『易経』の主たる動物(禽獣)は「鴻雁〔こうがん/かり〕」です。

【風山漸】卦は“鴻雁が飛びすすみゆくお話”になっています。

日本でも、古来から「鴻雁」は、生活・文化の中に広く深く根付いています。

「鴻雁」=雁〔かり/がん〕は秋に北方から渡来し、
春に北方へと帰ってゆく渡り鳥です。

は秋の夜、木の枝をくわえて遥〔はる〕か北方の国から、
海を渡って日本に飛来すると考えられていました。

その小枝というのは、渡りの旅がその道中羽を休める小島とてない長旅なので、
疲れるとその小枝を海に落として、その上にしばし休みを取って疲れを取り、
また飛び続けるためのものなのです。

そのようにして、漸〔ようや〕く日本の浜辺まで辿〔たど〕り着くと、
いらなくなった小枝を浜辺に落として、日本中を飛び回ります。

そして、また春が巡ってくると、その浜辺に戻ってきて、
自分の枝を再び拾いくわえて北方の国へと帰って行くのです。

“雁〔かり〕が羽を休める小枝の話”は、
落語・「雁風呂〔がんぶろ〕」の中で語り継がれています。 

―― ご紹介しておきましょう。

落語: 「雁風呂〔がんぶろ〕」

水戸黄門(光圀〔みつくに〕公)さま漫遊記の一節です。 

――― 休憩所のおやじが運んできた土佐光信〔とさみつのぶ〕の屏風の絵。

図柄は、“松の枝に雁”

松には鶴、雁には月を画くのが普通ですので、
光圀公、光信が名声におごって適当に画いたとばかり不快になり、
たいそう立腹いたします。

そこへ。
相客〔あいきゃく〕の町人連れがやって来て、
一人がその屏風絵に感嘆して言うには、

「“松に雁”とは、実に風流の奥義を極めてるなあ。
これは秋の雁やのうて、春の帰雁や。
雁と月、鶴に松などは俗〔ぞく〕で眼あって節穴同然や。」 と。

光圀公は自分の不明を思い知らされ、
その風流町人に、“松に雁”の取り合わせの由来を尋ねます。

その町人が語って言いますには。

《 雁は、温かい常盤〔ときわ〕の国から渡ってきて冬を函館の海岸で過し、
春にまた帰って行きます。

もともと大きく重い鳥なので、渡りの旅の途中で海に落ちて死ぬものも多いのです。

飛び続けてくたびれると常盤の国を出る時にくわえてきた小枝を海に落として、
それを止まり木にして羽を休め、回復するとまたくわえくわえして旅を続け、
漸〔ようや〕くのことで函館の(浜辺の)松にたどりつくのです。

雁は、松に止まると小枝を落とし、春まで日本各地を飛び回ります。

その間、函館の猟師たちは、枝の数を数えて束にし、
雁が南に帰る季節になると、その数だけ松の下に置いてやるのです。

雁には自分の枝が分かっており、各々それをくわえて再び帰って行くのです。

猟師たちは残った枝を数え、その数だけの雁が日本で命を落としたことを哀れみ、
その枝々を薪〔まき/たきぎ〕にして風呂を沸かします。

追善供養〔ついぜんくよう〕のためその「雁風呂〔がんぶろ〕」
金のない旅人や巡礼者を入浴させてあげ、一晩泊めてあげ、
なにがしかの金を渡して出発させてあげるのです。

―― この絵は、その時の帰雁が枝をくわえようとしている光景を画いたものなのです。》 

光圀公は、この話にすっかり感心し身分を明かします。

この風流を解する町人は、大坂淀屋橋の淀屋辰五郎という町人。

破産して浪々の身になったので、昔、柳沢美濃守〔みののかみ〕に貸した
三千両を返してもらおうと江戸にまでくだる途中とのこと。

光圀公は、雁風呂の話の御礼にと、柳沢宛てに
借り金を返すよう手紙を書いてやり辰五郎に渡します。

辰五郎は、その返金三千両でめでたく家業の再興がなった、
というお噺〔はなし〕です。

なお加えますと。上方落語では、別題を「天人の松」ともいい、
オチは「雁風呂の話一つで三千両とは、高い雁〔かりがね〕(=借り金)ですな。」/
「そのはずじゃ。貸金〔かしがね〕を取りにいく。」とサゲます。
最古の噺〔はなし〕本でも、「借り金」=「雁がね」のダジャレオチになっています。

*「雁風呂〔がんぶろ〕」=「雁供養〔がんくよう〕」の習慣は、
本来青森県・津軽の外ヶ浜のものといわれます。

春の季語にもなっています。

 
私、想いますに。これから、広い世界、厳しい世界に旅立つ人がいます。

困難や試練に遭遇する人がいます。

の飛翔、渡りの旅ですね。

心身ともに頑張りすぎる人には、時に羽を休めることが必要です。

そのための場所や人、別言すれば“陰なるもの”が必要です。

“羽を休める小枝(=陰なるもの)”になる人も必要です。

精神面でも癒される世界・“壺中〔こちゅう〕の天”が必要です。

私も、年を重ねるにつれて、“陰なるもの”・“羽を休める小枝”の
存在の必要性を強く想うようになってきています。

頑張っている人には、「頑張れ」といってはいけません。

何事も“中庸”が大切です。

“過ぎる”ことはよくありません。

頑張っている人には、“羽を休める小枝(=陰なるもの)”こそが必要です。

子供・学生に対しても同じです。

親というものは、もの言わず背中を見せながら(=生きざまを見せながら)
子供を育てるものです。

“勉強しろ”という親、言わぬ親! 
私の父も私も、その息子に“勉強しろ”と言ったことは生涯で一度もありませんでした ・・・・・。 

 

《 おわりに 》 

現在の日本では、殊〔こと〕に都市部においては、
雁の姿を見かけることはなくなりました。

トンビ〔とび・鳶〕すら見かけなくなり、
あだ花のごとくカラス〔烏・鴉〕ばかりが繁殖しています。

若い人は、鷲〔わし〕も鷹〔たか〕も鳶〔とび〕も区別がつきません。

都心部には、スズメ〔雀〕やツバメ〔燕〕ですら
そこを(人間が定住していない)過疎の地として認識し、繁殖していませんね。

『易経』が、最も主たる動物として、象でも義でも重んじた「鴻雁」は、
自然界から姿をけそうとしています。

そして、自然環境のことばかりではありません。

“中庸〔ちゅうよう〕”を欠き“衣食過ぎて、礼節を忘る”(盧)
がごとき今の平成日本の社会です!

「鴻雁」(の義と象)は、忘れかけている徳です。

今時〔いま〕、礼節と道義を取り戻さねばならないということは、
「鴻雁」に象〔かたち〕どられた『易経』の“理”と“情”を取り戻さねばならないということなのです。


( 以上 )。


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『易経』の最も主たる動物・《鴻雁》 その3

(こちらは、前のブログ記事の続きです。)


《 鴻雁の文学・歴史・生活上でのあやどり 》

「鴻雁」は、『易経』以外にも中国古典によく登場しています。

例えば、秦末・陳勝の「燕雀安知鴻鵠之志知哉」:「燕雀〔えんじゃく〕いずくんぞ鴻鵠〔こうこく〕の志を知らんや」

(『史記』・陳渉世家) 

「燕」はツバメ「雀」はスズメ、「鴻」は大鳥「鵠」はコウノトリ(あるいは鴻・鴻鵠で白鳥の意とも)。

小さな鳥は=小人物は、大きな鳥=大人物の心を知り得ないというたとえです。

また、前漢の蘇武の故事から手紙・消息のことを
「雁書〔がんしょ〕」・「雁信」・「雁帠〔はく〕」・「雁の便り」・「雁のふみ」・「雁の玉章〔たまづき〕」などといいます。

漢代・武帝の時代、漢の使節蘇武が匈奴に幽〔とら〕えられました。

バイカル湖あたりに囚われている消息を、雁の足に手紙を付けて運ばせ、
奇しくもこれを中国の皇帝が射落として知ったという故事です。
( ➡ “蘇武の節”として【水沢節】卦で詳説します。)

日本の古典の世界でも、「雁」は主要です。

『万葉集』“雁”が詠〔よ〕まれている数は、
“ほととぎす”についで第2位といわれています。

平安女流文学・清少納言の『枕草子』に、
「まいて雁など連ねたるが、いと小さく見ゆるは、いとをかし。」
(「春はあけぼの」)とあるのは、よく知られていますね。

もう一方の渡り鳥「燕」についても付言しておきますと。

「燕」も、古くから人間の生活に密接に関わり適応して生きてきております。

日本最古の物語・『竹取物語』に、「燕」が人家の軒下で営巣している光景が描写されています。

歴史の中にも、「雁」は古くは『古事記』に登場しています。

『古事記』・下巻、仁徳天皇の段で“雁の産卵の瑞祥〔ずいしょう〕”の話がそれです。

“聖帝”〔傑出した天皇〕には“瑞祥”が必要ということなのでしょう。

―― すなわち。天皇が日女〔ひめ〕島に行かれた時に、
渡り鳥の「鴈」〔雁の正字〕が茨〔し/いばら〕田の堤に卵を産んだという話を聞きました。

(春3月ころのこと、普通雁は日本では産卵しません。)

そこで、その珍しい話について、
長寿の大臣〔おおおみ〕・武内宿祢〔たけうちのすくね〕に
(御歌をもって)尋ねます。

「たまきはる 内の朝臣〔あそ〕 なこそは 世の長人〔ながひと〕 
そらみつ 大和〔やまと〕の国に 鴈卵生〔かりこむ〕と 聞くや 」

(武内宿祢、おまえは、ことのほか長生きしているから、
多くの珍奇なことも知っているだろう。
やまとの国に雁が産卵したということを聞いたことがあるか?
*「たまきはる」は「内〔うち〕」にかかる枕詞、
「そらみつ」は「大和/倭〔やまと〕」にかかる枕詞。)

武内宿祢の命〔みこと;皇后の祖父にあたるために敬称を用いています〕は、
自分は長生きはしていますが、雁が日本で卵を産むとは聞いたことがありませんと応〔こた〕えます。

「高光る 日の御子 うべしこそ 問ひたまへ 
まこそに 問ひたまへ あれこそは 世の長人
そらみつ 大和〔やまと〕の国に 鴈卵生〔かりこむ〕と いまだ聞かず」

(空高く光る、日の神の御子=仁徳天皇よ、ようこそお尋ねになりました。
まことによくぞお尋ねくださいました。 
私は確かに、この世で長生きはしていますが、
やまとの国に雁が産卵したということを聞いたことはございません。)

そして、そう申し上げた後で、琴をいただいて(琴似合わせて)、
言寿〔ことほ〕ぎの歌(片歌;五七七形式の歌)を歌います。

「なが御子や つびに知らむと 鴈は卵生〔こむ〕らし

(私の日の御子=天皇さま、いついつまでも長生きされて
この国を治められるであろうことを知らせようとして、
雁は卵を産んだのでしょう。)

雁の産卵という奇跡・瑞祥が、天皇の威勢・子孫繁栄を予言する祝い事として物語られているのでしょう。

また、『古事記』・中巻で、オウス=ヤマトタケルノミコト
〔倭建命/日本武尊〕
の霊魂が(渡り鳥の)白鳥となって
河内国に留まらずに飛び去ってしまうラストシーンは、
英雄に相応しくロマンチックで、
その心情が寓意に満ちていてとても興味深いものがあります。

「ここに、八尋(智)〔やひろしろちとり〕に化〔な〕りて、
天に翔〔かけ〕りて浜に向きて飛び行〔いでま〕しき。 
―― 中略 ―― 
かれ、その国より飛び翔〔かけ〕り行きて、
河内国〔かわちのくに〕の志幾〔しき〕に留まりましき。
かれ、そこに御陵〔みはか〕を作りて鎮まり坐〔いま〕さしめき。
すなはちその御陵〔みはか〕を号〔なづ〕けて、
白鳥〔しらとり〕の御陵〔みざざき〕”といふ。
しかるに、またそこよりさらに天に翔〔かけ〕りて飛び行〔いでま〕しき。」

(そこでヤマトタケルノミコトは、大きな白鳥に化身して、
大空に舞い上がり浜辺に向かって飛んでいらっしゃいました。
―― 中略 ―― 
さて、〔白鳥は〕その国から空高く飛んでいって、
河内国の志幾〔大阪府南東部、現柏原市/八尾市あたり〕にお留まりになりました。
それで、そこに御陵〔みはか〕を造って〔ヤマトタケルノミコトの御霊を〕お鎮め申し上げました。
そこで、その御陵〔みはか〕を名づけて
“白鳥〔しらとり〕の御陵〔みざざき〕”といいます。
ところが、〔白鳥は〕またそこ〔=志幾〕からさらに天空に舞い上がって飛んで行ってしまわれました。
〔 ―― そこから何処へ行ったのかは誰も知りません。〕)

私は、この(白鳥に化して飛ぶ)ラストシーンに、
【漸】卦の「鴻」が爻ごとに飛び進む姿、
そして上爻で大空に意のままに天翔る姿とのアナロジー〔類似〕を感じます

それはまた、『易経』でも『古事記』でも共に、
抒情性〔じょじょうせい〕に満ちたロマンチックな部分
でしょう。

敬愛する父・景行天皇の絶対的命令で、
遠征に次ぐ遠征をした行旅のヤマトタケルノミコトが、
“渡り鳥”に化し飛び回り続けるのは、まことに似つかわしい
ことと思います。

飛び去ってしまったのは、父・景行天皇への(ファザコン的ともいえる)想い、
故郷ヤマトへの望郷の念、逆賊平定への思いなどといった心情からなのでしょうか? 

加えて、「鴻雁」でなく「白鳥」に姿を変えたのは
例えばヤマトタケルノミコトが、昔女装して
クマソ〔熊曾〕兄弟を刺し殺したことから推察されるように
端正な容姿のイメージの人だったからなのでしょうか。

あるいは、英雄に相応〔ふさわ〕しく【陽】の色としての“白色”、
神聖(神道〔しんとう〕)の色としての“白色”からなのでしょうか

 

さらに、平安時代(後期)の“武士の神様”・八幡太郎こと
源義家〔みなもとのよしいえ:1039〜1106〕の雁(の乱れ)にまつわるエピソードも有名です。

―― すなわち。

“後三年の役〔ごさんねんのえき:1083〜1087〕”、
陸奥〔むつ〕の豪族清原氏一族との争いでのことです。

源義家の軍が、金沢の柵ふもとの野道を進んでいた時、
はるか彼方の空の雁の群れが沼地の上にくるといきなり列が乱れ、
雁たちが四方に飛び去っていきました。

先生の大江匡房〔おおえのまさふさ〕から教えられていた中国古典『孫子』
「雁の群列が乱れるのは、伏兵の兆〔きざ〕しなり。」

とあったのを思い出しました。

それで、伏兵を射殺し清原軍を打ち破ることができたのでした。

義家が『孫子』を学ぶようになったいきさつはといいますと。

若いころ、その時学者にすぎなかった大江匡房に
「義家殿は、なるほど大将の器じゃが、惜しむらくは兵法というものを知らぬ。」
と言われたことが契機でした。

年下の若い学者の言葉に腹を立てることなく、
弟子入りし、文の道を学び、文武両道の名将となったのです。

近代文学でも、森鴎外の『雁』〔がん〕、
井伏鱒二の『屋根の上のサワン(雁)』などよく知られているところです。

土井晩翠〔つちいばんすい〕作詞の「荒城の月」(作曲:瀧/滝廉太郎)にも、
七五調の名詩がありますね。

「秋陣営の霜の色 鳴きゆく雁の数見せて 植うる剣〔つるぎ〕に照り沿いし 昔の光今いずこ」

西洋の児童文学・童話作品でも、雁や燕はおなじみです。

『ニルスのふしぎな旅』では、悪童ニルスが雁の群れに付き従って、
家禽のガチョウ(モルテン)に乗って旅をします

『おやゆび姫』では冬に介抱してあげた燕〔ツバメ〕に乗って
遠い暖かい国へゆき花の天使の王子と結婚します

『幸福の王子』では、は、“幸福の王子”像の体を飾っている宝石や金箔を
王子に頼まれて貧し人々一人一人に届けます。

燕は渡りの時期を過ごしてしまい凍死してしまいます

神様の使いは、この世で最も尊いものとして、
王子の壊され燃え残った心臓とその燕の亡骸〔なきがら〕の2つを選びました。

次に、「雁」は、太古の昔から近代に至るまで、
日本人の日常生活全般に広く深く融合・浸透してまいりました。

まさに、言霊〔ことだま〕の宝庫ともいえましょう。

その文〔あや〕どり枚挙にいとまありませんが、少々羅列してみますと。

―― 家紋「雁金紋〔かりがねもん〕」、和菓子「落雁〔らくがん〕」、
高級茎茶「雁が音〔かりがね〕」、精進〔しょうじん〕料理での肉の代用品「雁擬〔がんもどき〕」、
「飛竜頭〔ひりゅうず・ひりょうず・ひりうす・ひろうす〕」、
手紙のこと「雁書〔がんしょ〕」、「雁首〔がんくび〕」、
「雁風呂〔がんぶろ〕」(「雁供養〔がんくよう〕」、「葉鶏頭」=「雁来紅〔けいとう〕」。

群れ飛ぶ雁の姿、順序・秩序から「雁序」〔兄弟のたとえ〕、
漢文の返り点「レ〔れ〕点=雁がね点」 etc. 

おもしろいもので「奴雁〔どがん〕」について付言しておきましょう。

「奴雁〔どがん〕」:「孤雁〔こがん〕」は連れのないただ一羽の雁です。
が、それに対して「奴雁」は、雁の群れの仲間が餌を食べている時、
一羽だけ周囲の様子をうかがっている雁のことです。

リーダー〔指導者〕・見張りでしょうか? 

例えば、「先見の明や責任感を持った奴雁となるように ・・・」といった具合に用います。

面白くも興味深い言葉です。

西欧思想の民主主義は、51%の多数を善しとしますが、
「真理はいつも少数(意見)の中にあり」といいますね。

易学の思想にも、少数中心主義があります

 


※ この続きは、次の記事に掲載いたします。


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