儒灯

【温故知新】儒学の普及に力を注いでおります真儒協会 会長、高根秀人年の個人ブログです。 『論語』、『易経』を中心に、経書の言葉を活学して紹介して参ります。 私個人の自由随筆、研究発表などのほか、真儒協会が毎月行っております定例講習についても掲載しております。

2018年09月

老子道徳経: 「有生於無」 ―― 「道」の作用

【 40章 】

(去用・第40章) 注1)  「有生於無」  ―― 「道」の作用 ≫

§. 「反者道之動」〔ファヌ・チャ・タオ・チ・トウン〕 

注1) 「去用」は、「作用に去〔ゆ〕く」で意味がはっきりしません。偉大な道の作用を目指すの意?かも、世俗的で強引な作用を除けの意? かもしれません。
「道」が動いて「有」となり(=反)、「有」が静まって「無」となります(=常)。「常」は「弱」であり、「弱」は「静」であり、それが万物の生みの母です。短い文言ですが「道」の全様を説き尽くしています。

※注2) この章、帛書では 41章と 42章との間に位置しています。(40章と41章を入れ替えるとよい) 従って、前の文(前の2句)は41章を受け、後の文(後の2句)は42章に吸収すると解かり良いです

「反者道之動、弱者道之用。 |* 天下万物生於有、有生於無※注2)

■ 反〔はん〕(反〔かえ〕る者)は道の、弱〔じゃく〕(弱き者)は道の。 |
− − − − − − − − − − − − − − ※ 
天下の万物は有〔ゆう/う〕より生じ、有は無より生ず

*“ For though all creatures under heaven are the products of Being, Being itself is the product of Not−being. ” (A.Waley adj. p.192)

*“ The myriad creatures in the world are born from Something, and  Something from Nothing.”    (D.C.Lau adj. p.47)


《 大意 》

(道という)根源〔根元〕に返〔反〕ろうと(回帰)してゆくのが道の働きです。ひたすら柔弱〔じゅうじゃく/にゅうじゃく〕なのが道の作用なのです。 |
世界の万物は「有」(道の用)から生じますが、その有は「無」から生じるのです

・「反者」 = 「返」 : 
『老子』の「反」には、1)対立・反対の意 2)循環・反復・回帰の意 があります。
ここでは、2)循環・反復・回帰の意 です。――― 老子の“回帰・復帰の思想”です。
 cf.楚簡は「也者」

“ In Tao the only motion is returning.”  (A.Waley adj. p.192)

・「有生於無」: 
「無」が象〔しょう・すがた・かたち〕を現して「有」となり、「有」が象を消して「無」となり、森羅万象の変化はこの交代が繰り返され循環します。仏教でいう「因果承続の理」でしょう。

cf.「 ――― 有とは限定であり固定であって、無こそ永遠であり全体である。有限の形の世界からは無という他〔ほか〕はない。無から有を生ずと申しますが、本当に有というものは無から出て来るのであります。無は、言い換えれば全、完〔まった〕しであります西洋ではこれを Complete wholes といっております。これはうまい訳の仕方であります。そこから有限・現実の世界に現われて来ると、それはもう限定・固定されてしまう。決して無でもなく常道でもないのであります。」 
 (*安岡・前掲書A p.98引用)


★ POINT! (by.たかね)

《 ―― 天地万物の生成論 ―― 》

【老子】:

 ※「」=「」   →      

※「無」は“Nothing” ということではありません

→ 「一」=気 → 「ニ」=陰・陽(地・天) → 「三」=陰・陽・ (三才)→→ 万物

【易学】:(儒学)

*  |  有  

| 「太極」ありき → 「2」(両儀) → 「4」(四象) → 「8」(八卦)・・・「64」
→ 「2」=陰・陽(地・天) → 「3」=陰・陽・ →→ 万物

※「易に太極あり。これ両義を生ず。両義は四象を生じ四象は八卦を生ず」(繋辞上伝)

【科学】:(宇宙物理学)

? →?→  ビッグバン!  →(暗黒時代)⇒ ☆ファーストスター   →→→ 万物

※137億年前  ←       《 拡大・膨張 》

cf.(生物学) 易・太極=卵細胞 → ips 細胞(‘12 山中教授)

cf.【宗教】:(仏教)

 無  = 「空〔くう〕」 →  有   「色」〔森羅万象/=万物: Everything〕

※「 色即是空(しきそくぜくう)。空即是色(くうそくぜしき)。」: 空と色は“環状”で循環(時間・季節のめぐり)

【宗教】:(キリスト教・ユダヤ教・神道)

*  |  神 ありき → 「2」=男・女 → 「3」=父・母・子 ・・・ →→ 万物

(雄・雌) ex.アダム&イヴ/イザナギ&イザナミ ・・・

cf.≪宇宙の誕生≫ 「暗黒空間(時代)」/水素・ヘリウム・暗黒物質/「ファーストスター」 (太陽の100万倍・青白〜白)/宇宙の膨張は加速度的・「暗黒エネルギー」の存在
(‘11.10.5 ノーベル物理学賞: 米 ソール・パールマター博士、豪 ブライアン・シュミット博士、米 アダム・リースら3氏による“宇宙の膨張加速の発見”)

→ ※宇宙の始まりに急激な膨張(インフレーション)があったとする理論を支持することにもなりました。/膨らむ宇宙の結末は、(1千億年後)空間も引き裂かれてバラバラになるのでしょうか?


参考資料

○「無極にして大極」 (近思録) ・・・ 朱子は 【大極 = 有】 と考えています

○「是の故に易に太極あり。是れ両儀を生ず。両儀四象を生じ、四象八卦を生ず。八卦吉凶を定め、吉凶大業(たいぎょう)を生ず。」 (繋辞上傳)

○「太初(たいしょ)に言(ことば)あり、言は神と共にあり」 (旧約聖書)

○「天地(あめつち)初めて発(ひら)けし時、高天原(たかまのはら)に成れる神の名は、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、次に高御産巣日神(たかみむすひのかみ)、次に、神産巣日神(かむむすひのかみ)。」 (古事記・冒頭)

○「道は一を生じ、一は二を生ず。」(老子) ・・・ 道を「一」が生ずる前の「無」と考えています


コギト(我想う)

≪ タマゴが先か?ニワトリが先か? ≫ ―― 生命の 根源

「ゼロ/零」 = 「無・道(空)」   「タマゴ」(有)が生じる前の状態、“原始のスープ”(“宇宙のチリ”・“水素/ヘリウム/暗黒物質”)

 「一」 = 「1元気」  「タマゴ」(卵〔らん〕/胚)・単細胞 (“ファーストスター”)

 「ニ」 = 「陰・陽(地・天) の2元気」  成体・多細胞/雌雄

 「三」 = 陰陽の気を和合させるある種の触媒  自己増殖・繁殖

・・・万物(生物)生成のメカニズム


◆ タマゴが先か? ニワトリが先か?

論理的思考(文章)のトレーニングに良いテーマです。―― ニワトリ(=成体)がいきなり出来るという考えでは、“神が創りたもう”ということで宗教・神話になってしまいます。「タマゴ」(ラン・単細胞/=有) がまず誕生したと考えるのが論理的です。その誕生の前提に原素材のある空間としての「無」が必要です。「無」は、全く何も無いという意味の「無」ではなく、「有」の前提としての「無」です。

最新の宇宙物理学で、宇宙の誕生は、次のように解明されています。(ビッグバン“The Big Bang”の後)星々が宇宙のチリから誕生する前の空間を暗黒空間(≒ 老子の 「玄」 )と呼びます。水素・ヘリウム・暗黒物質があったと考えられています。その 「恍惚」 たる 「無」 の空間から、太陽の100万倍の明るさの(青白〜白) 「一」 つのファーストスターが誕生するのです。

現代の生物学や地学でも、地球の生命誕生は、原始の一定の条件のもとで最初のタンパク質(アミノ酸)が生まれたと考えられています。

そして、生命誕生の今一つのポイントは、自己増殖作用です。子孫を残すことが出来なければ生命の誕生とはなりません。 「二」 は、その陰陽・雌雄と考えられます。単細胞から多細胞に殖え、さらに子孫(=DNA)を連続させます。連綿として続く命の連鎖・循環、永遠なるものです。その意味で、“赤ちゃんの年は20万歳”・“人間(生き物)はDNAの乗物”とも表現されています。

要するに、元〔はじめ〕に「タマゴ」が生じ「ニワトリ」になり、(雌雄にわかれ/2羽の鳥?)子孫としてのタマゴを産んだのです。なお付言すれば、今の成体(ニワトリ)は、元〔はじめ〕に「造化」されてより 「進化」という過程を経て在り、その進化のプロセスの途上の一時点として今存在しているわけです。

( ※ 文中の  * の語は、「老子」の専用語です)

cf. → ips 細胞(‘12 山中教授)


■2011年12月25日 真儒協会 定例講習 老子[17] より


【大難解・老子講】 の目次は下のボタンをクリックしてください。

 ba_roushi


「儒学に学ぶ」ホームページはこちら
http://jugaku.net/


にほんブログ村 哲学・思想ブログ 儒教・儒学へ

にほんブログ村

老子道徳経: 老子の “万物生成論“

【 42章 / 40章 】 ・損益 【 42/ 77/ 53/ 81章】

道化・第42章) 注1) 老子の “万物生成論“

§.「道生一」〔タオ・シャン・イ〕

注1) タイトルの「道化」は、「“道=無”から万物が化育される」の意。この章の内容をよくあらわしていると思われます。この章は、老子の“万物生成論”として有名なものです。多くの見解・解釈があり、文献から理解するのは非常に難しいと思われます。
後半の“損・益”は、私感するに、易卦【損・益】の教えるところに共通するかと思います

○「* 道生一、一生ニ、ニ生三、三生万物。| 万物負陰而抱陽、沖気以為和。 | 
人之所悪、唯孤・寡・不穀、而王公以為称。 故物或損之而益、或益之損。 |
人之所教、我亦教之。教梁者不得其死、吾将以為教父。」

■ 道は一〔いち/いつ〕を生じ、一はニを生じ、ニは三を生じ、三は万物を生ず。 |
万物は陰を負い陽を抱き、沖気以て和を為す。 |
人の悪〔にく〕む所は、唯だ孤・寡・不穀にして、而〔しか〕も王公は以て称と為す。故に物は或いは之を損して益し、或いは之を益して損す。 |
人の教うる所は、我も亦之を教えん。教梁(なる)者は、其の死を得ず、吾れ将〔まさ〕に以て教えの父と為さんとす。

*“ TAO GAVE birth to the One; the One gave birth successively 
to two things, three things,up to ten thousand.” (A.Waley adj. p.195)

*“ Tao produced Unity; Unity produced Duality; Duality produced 
Trinity; Trinity produced all existing objects.”    (Kitamura adj. p.149)


《 大意 》

道が(動いて、まず「有」であるところの) 一元の気を生じ、一元の気が陰・陽(天地)のニ気(=両儀)を生じ、陰・陽(天地)のニ気が相和して第三の沖気(天地人の三才)を生じ、この第三の沖気から(4.5.6 ・・・百・千・万と)万物を生じます。 | ※ → POINT!参照のこと

万物は陰を後〔背負い〕に、陽を前〔抱き〕に(して生育)し、沖気〔沖虚の気〕が(陰陽の気を交流させ)調和〔バランス/ハーモニー〕を保っているのです。 |

人々が嫌うものは、それこそ、“孤(みなしご)”・“寡(ひとりもの)”・“不穀(ろくでなし/たわけもの)”です。が、王や公族たちは、(へりくだって)それらの言葉を自称しているのです。(だからこそ、高位を保っていられるのです。) まことに、ものごとは、(※『易経』の【損・益】の卦に教えているように) それを損する(減らす)ことによってかえって益する(益す・増やす)ことがあり、(逆に)それを益する(益す・増やす)ことによってかえって損する(減らす)ことがあるものなのです。 |※ →  研 究  【損・益】の卦と「老子」 参照のこと

(古〔いにしえ〕の)人々が教えてくれたことを、私もまた(現代の人々に)その言葉を例として教えることとしましょう。「力にまかせてゴリ(ムリ)押しする者は、ろくな(まともな)死に方はしない。(強暴・剛強な者は畳の上では死ねない)」 私は、(謙虚に柔弱でいるのが善いとする)このことをこそ、教えの根本(=父)としてゆくとしましょう。

・ 「 道生一 、一生ニ、ニ生三、三生万物。」
「一」は「道」の別称としても述べられていますので(10章・22章・39章)、「道生一」は、文言からはわかり難いともいえましょう。「一」は、「無」や「道」とは異なり、具体的で象〔かたど〕られたものです。易学的に表現すれば、陰陽未分化の“胚〔はい〕”の状態ともいえましょう。
ここで特筆できることは、最新の宇宙物理学が、(日本の研究者が最優秀のコンピューターによって)宇宙の始まりを解明したことです(2010)。 すなわち、暗黒空間(時代)からの“「一」つ”の“ファーストスター”の誕生です。また、リニューアルした“ハップル望遠鏡”による観測のアプローチも、131億年前の“赤ちゃん宇宙”を明らかにしています。 これらの驚くべき科学的成果が、(逆に)2000年以上まえの黄老の哲学をわかり易くしてくれています! 何とも不思議な気がします。

「万物負陰而抱陽、沖気以為和。」: 
老子特有の比喩表現(たとえ、暗喩 → 玄喩?)です。日の当らない側が“陰”で“負う≒背”、日のあたる側が“陽”で“抱く≒胸”。したがって、陰陽を前後にして、または陰陽に挟まれて の意。 
「沖気」は、“中和の気”と表現できるでしょう。次の A.ウェイリィの表現が良く示していると思います。 

“ ―― it is on this blending of the breaths that their harmony 
depends.”  (A.Waley adj. p.195)

・「孤・寡・不穀」: 
「孤」〔はみなしご、「寡」〔クアごけ・ひとりもの(または寡徳)、「不穀」〔プクウおろかもの : 39章にも同じことが述べられています。 王侯は、当時、それを謙遜の辞として自身を称するとき(第一人称・代名詞)に用いています。指導者(リーダー)の謙辞・謙譲、易卦の【地山謙】の教えです

ex.「孤」・「寡人」(徳の少ない者: 『孟子』に見られます)・「不穀」(=不善・不賢: 『左伝』や『礼記』に見られます) 
一般ピープルでも、「僕」・「不肖」・「私」・「拙者」などと用いています。

・「物或損之而益、或益之損: 
※ →  研 究  ≪【損・益】の卦と「老子」≫参照のこと
之を損〔へ〕らし損らして、終〔つい〕には無に至ります。無から 1 を生じ、1・2・3・4・5・・・百・千・万・億・兆・・・と益(増)し無限多です。無限多は数理において無限小に等しく、無限小は無です。之を益してその結果は損となります。
損益は循環します。循環の理法からすれば、損と益は一つのものです。陰陽・強(剛)柔もまた然りです。強ならんと欲せばまず柔たれ、益せんと欲せばまず損せよ、ということでしょう

・「教梁者不得其死」: 
棟〔むね/棟木〕を負う木材を “梁〔はり〕”といいます。“在来軸組工法”では荷重が梁に集中しますので剛強な支持力を必要とします。おそらく、この句の文言は、古語なのでしょう。

cf.孔子の弟子 三千人の中で、人気ナンバーワンのキャラクター“子路”は、「暴虎馮河」のルーツの豪傑です。が、その激しく剛直な性格が災いして、孔子の暗示どおり、晩年に惨殺されます。

○ 「 ――― 由〔ゆう〕や?〔がん〕。」/「子路行行如たり。 ―― 由が如きは其の死を得ず。然〔しか〕り。」  (『論語』・先進第11)
「全身膾〔なます〕のごとくに切り刻まれて、子路は死んだ。」・「子路の屍〔しかばね〕が 醢〔ししびしお: 人体を塩づけにする刑〕 にされたと聞くや、(孔子は)家中の塩漬類をことごとく捨てさせ、爾後、塩はいっさい食膳に上さなかったということである。」 

(中島敦〔あつし〕・「弟子」より)


■2011年11月27日 真儒協会 定例講習 老子[16] より


【大難解・老子講】 の目次は下のボタンをクリックしてください。

 ba_roushi


「儒学に学ぶ」ホームページはこちら
http://jugaku.net/


にほんブログ村 哲学・思想ブログ 儒教・儒学へ

にほんブログ村

Archives
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ