儒灯

【温故知新】儒学の普及に力を注いでおります真儒協会 会長、高根秀人年の個人ブログです。 『論語』、『易経』を中心に、経書の言葉を活学して紹介して参ります。 私個人の自由随筆、研究発表などのほか、真儒協会が毎月行っております定例講習についても掲載しております。

2020年07月

老子道徳経: 《 老子の“現実的平和主義” に想う 》 その1

コギト(我想う)

《 老子の“現実的平和主義” に想う 》

《 はじめに 》

学生時代に鑑〔み〕た「ウオータールー」という映画。エルバ島から脱出した怪物ナポレオン(1世・ボナパルト、Napolėon Bonaparte,1769〜1821) が力を盛り返し、やがてウオータールー(ワーテルロー)でイギリス・プロイセン・オランダ連合軍と激突。大激戦の末、連合軍が、当時ヨーロッパ最強であったフランス陸軍を破りナポレオンを完全に失脚させます。

そのラストシーンを、今でも鮮烈な印象で記憶しています。イギリス軍司令官ウェリントン(Wellington,1769〜1852)が、数多〔あまた〕の屍〔しかばね〕累々たる戦場を見回って、沈鬱な面持〔おもも〕ちで 「敗者の次に惨たるものは勝者である ・・・ 」 とつぶやくのです。

衆〔おお〕くの人命が失われる戦争に勝者の喜びなどないということ、(勝者・敗者)どちらも惨〔さん〕であるということでしょう。

私は戦後生まれですので、直接の戦争体験はありません。けれども、老子の平和主義や反戦思想を研究・考察するにつけ、まずもってこの映画シーンの記憶が蘇ってまいります。

(cf.負けの次に悪いのは“大勝” ―― 民主党&自民党“大勝”の後は気を引き締めなければ・・・ )

 

《 老子の平和主義/反戦思想 》

『老子(老子道徳経)』 は、“道”(【第1章】)に始まり “不争”(【第81章】)に終わっています。

『老子』・【第31章】(と【第30章】)を中心に説かれている、老子の現実味のある(生半可道徳でない)平和主義思想、流動性のある(融通のきく)反戦主義に想いますに。まず、「武器(=兵器)というものは、不吉な(殺人の)道具」と明言し、その発現(=使用)としての戦争を否定しています。戦争を忌むべき凶事として、葬儀の礼(作法)に準ずることが述べられています。

ズバリ軍事を直截〔ちょくせつ〕説いているので、兵(法)家の文章の紛れ込みと考えるムキもあります。が、主旨はまったく老子の思想に反するものではありません。そもそも、(戦国の当時にあって)兵(法)家の戦争思想そのものが、ただ単に戦〔いくさ〕に勝つことを説くものではなく、戦いの哲学・人間学を説くものなのです。例えば ――。

兵書 『三略』: 「夫れ兵は、不祥の器、天道これを悪〔にく〕む。已むを得ずしてこれを用うるは、是れ天道なり」 とあります。有名な孫武の『孫子』 にも、「百戦百勝は善の善なるものにあらず」/「戦わずして人の兵を屈するは、善の善なるものなり」(謀攻編1)と、戦わずして勝つことが明言されております。

それにもかかわらず、「やむを得ず武器を用いる場合(=戦争をする場合)」を想定しています。老子の反戦思想の複雑・デリケートな側面です。当時、数百年来続いている“戦国時代”であることを鑑〔かんが〕みれば、いたし方のない想定でしょう。私は、むしろこれこそが活きた反戦思想に想われます

他が攻めてきた場合にはこれに応じて立つべし ―― これは儒学の思想も同じだと思います。現在の世界で、想起されます事例が “永世中立国スイス”です。自国は、国民自身で守っています。国民皆兵ですね。国民は、非常時に備え(3日分の食料を蓄え)家の中に銃火器を蔵〔かく〕し持っています。

以前、こんなエピソードを聞いたことがあります。スイス留学していた日本の若者たちが、スイスの友人宅を訪れた時、その友人がベッドの下から銃を取り出し見せてくれました。日本の若者たちは驚きました。それに対して、スイスの若者は「それじゃ、君達の国では敵が攻めてきた時どのようにして守るのか?」 と聞かれて誰も何とも返答できなかったそうです。

次に、やむを得ず武器を用いる場合には、「恬淡と用いるのが第一です。戦いに勝っても(勝利を)賛美しないことです。」 と主張しています。そして戦後処理についても、戦いに勝っても、葬礼〔葬儀の礼〕の方法(きまりごと)によって、これ(=戦後)を処理するのです と主張しています。

つまり、戦勝者は喪に服するのと同じ心がけでこれに臨めということです。なんと偉大なる精神、偉大なる人道主義の顕れではありませんか。他、「兵を以て天下に強くせず」(武力によって天下に強さを示すことはない)/「敢〔あ〕えて以て強きを取らず」(強さを示すようなことはしない) (【第30章】)なども同様の主張です。

 

《 老子とシュヴァイツァー&トルストイ 》

“アフリカの聖者“と呼ばれたアルバート・シュヴァイツァー (Albert Schweitzer,1875〜1965)は、フランスの神学者・哲学者・医師・音楽家。30歳の時、赤道アフリカ地方の黒人窮状を知り、その医療奉仕に一生をささげようと志しました。

再び大学の学生となり医学を修め、アフリカのコンゴのランバレネ(現ガボン共和国)に病院を建て、90歳の生涯を閉じるまで黒人の医療救済とキリスト教伝道に生涯をささげました。

1952年・ノーベル平和賞を受賞、1957年・原水爆実験禁止をアピールしました。

シュヴァイツァーの思想の根本理念が “生命への畏敬” です。これこそが、文化を頽廃から救い、人類に理想を与える根本精神であると考えました。

「―― (道徳の根本原理は) すなわち、生を維持し促進するのは善であり、生を破壊し生を阻害するのは悪である。」(『文化と倫理』)

この偉大なる博愛主義者シュヴァイツァーの、「老子」・戦争論(非戦・不戦)に関する興味深いエピソードがあります。

それは、ヨーロッパでの第2次世界大戦が終わった時、ランバレネの病院にいたシュヴァイツァーは、その日の夜、仏訳の 『老子』 をひも解いて、静かにその 【第31章】 を頑味したといいます。(山室三良・中国古典新書 『老子』)

安岡正篤氏が、このことについて「シュヴァイツァーと老子」の中で、述べられておられます。また併せて、J.F.ケネディ大統領の本章に関する興味深いエピソードを述べられておられます。 ( → 後述  研究  参照 )

次に、『戦争と平和』 で知られる レフ・トルストイ (L N Tolstoi,1828〜1910)と老子の繋がりについて一言しておきましょう。

トルストイは、ロシアの世界的文豪であり思想家です。“神の摂理”・“神の意思”にもとづいた理想主義的・人道主義的性格がその思想の特徴です。

トルストイも、老子を非常に高く評価しています。トルストイの晩年の民話的寓話〔ぐうわ〕作品イワンのばかは、老子の思想から大きな影響を受けて書いた作品です。

老子の“愚”・“愚の政治”・“不戦”・“戦わずして勝つ”・“足るを知る”などをお話にしたもので、老子の世界そのものです。

お話の中の「愚直な馬鹿」は老子が理想とした(道の体現である)赤ん坊のように純朴な人々であり、指導者(=国王イワン)は“愚徳”の豊かな“素〔そ〕”・「樸〔ぼく・あらき〕」(§28章)の人に他なりません。

そして、この“不戦の思想”を実践したのが、“インド独立の父”と呼ばれた政治家マハトマ・ガンジー(1869−1948)でしょう。

無抵抗主義・非暴力運動で民衆を指導し、イギリスからインドの独立を勝ち取りました。ガンジートルストイを尊敬しその影響を多大に受けていますので、間接的にも、ガンジーは老子思想の実践者であったともいえましょう。

なお、トルストイは、老子の(やむを得ない時には武器を用いるという)反戦思想のデリケートな部分については、これは老子本来の思想ではないと強く主張しています。

くわえて、『老子』に 「報怨以徳 (怨みに報ゆるに徳を以てす。)」(§63章) とあります。『論語』には、「以直報怨、以徳報徳 (直〔なお・ちょく〕きを以て怨みに報い、徳を以て徳に報ゆ。)」(憲問第14−36) とあり、孔子の現実味ある通用可能の立場を示しています。現実的人間の“情”を重視する立場です

この、老子の理想的立場は宗教において、キリスト教(イエス)と仏教(仏陀/釈尊)は同じ立場です。そして、トルストイも、「悪に報いるに善をもってせよ、悪に反抗するな、そして総〔すべ〕てのものを許せ。」 と、言を同じくしているのです。

 

《 安岡正篤・「シュヴァイツァーと老子」 》

安岡正篤先生は、『シュヴァイツァーと老子』の中で、「政治家もこういう教養がなければならない。やはり哲学というものが必要である。」 と結ばれています。

歴代総理の指南役であった碩学〔せきがく〕、安岡先生の慧眼〔けいがん〕・深意は当然として、その安岡先生をブレーンとも師とも敬し・信頼して、その言に従った佐藤(後)首相(後年ノーベル平和賞受賞)は立派であることを想います。

そして、若き人龍の如き大統領 J.F.ケネディ(暗殺されて後は、アメリカの伝説的英雄となりました)が、老子の言葉を聞いた時のエピソードは、「流石〔さすが〕に ・・・ 」 と感じ入りました。補注)

ところで、西洋文明の源、民主政治の源は、古代ギリシアです。古代ギリシアの理想的指導者(為政者)像は、(例えばプラトンによれば)当時の最高の学問=“哲学”を修めた人です。“哲人”です。

更に“調和の美”を求めましたので、この哲人は同時に、肉体も鍛えられており(≒鉄人?)、更に芸術にも造詣〔ぞうけい〕の深いことが求められました。

この結びの言葉のように、確かに偉大な指導者・政治家は、偉大な思想家・哲学者であります。私は、そういう思想哲学のある人が指導者・政治家にならなければなりませんし、また民衆によって選ばれなければならないと、深く想います。

補注) ≪ キューバ危機 ≫
J.F.ケネディは、第二次世界大戦後、最も戦争(の危機)に直面した大統領です。“キューバ危機”(1962.10.22: キューバ沖海上封鎖)で、米・ソが核戦争の瀬戸際に立ちました。もし戦争となれば、犠牲者は米・ソ、欧州で 2億人を超える衆〔おお〕きになったとも言われています。人口に膾炙〔かいしゃ〕しているケネディ大統領のことば、―― 「人類は戦争に終止符を打たねばならない。さもなければ、戦争が人類に終止符を打つ。」は、このギリギリの実体験のもとづく重たいことばなのです。

 

《 (空想的)平和主義/反戦 》

わが国の“日本国憲法”において(3つの)柱として、“永久平和主義(戦争放棄)”は唱えられています。従って、言葉は誰しもが聞いているわけです。が、しかし、“日本国憲法”は理想主義の憲法です。

近代民主主義の精神として平和主義が具体的に立論されたのは、1625年 グロチウス(1583〜1645)の 『戦争と平和の法』 に始まるとされています。そして、ホッブズ(1588〜1679)をはじめ諸賢人・哲人をへて、1795年 カント(1724〜1804)の 『永久平和のために』に到り組織立ったものになってまいりました。

然るに、私はそもそも、四大聖人・老子の時代から、平和への想い願いは、“平和思想”としてしっかりと優れたものがあると言ってよいと考えています

それにもかかわらず、いっこうに人間世界から争い・戦争はなくなりません。否、むしろその規模・内容(武器)において、拡大の一途を辿っています。石ころ・コン棒から刀槍、銃火器、そして核兵器へと。今や、地球は、生命そのものが何度も死滅し、地球そのものが破壊されるほどの核兵器を持つに至っています。

戦争をなくし、争いのないユートピア社会を造るという課題は、宗教も哲学思想も、夢に過ぎないことを“歴史”が明確に示しています。人間というものは、先哲による平和への偉大な思想・理論を持ちながら、いっかな実践を伴わぬということです。

「空想的社会主義」という語がありますけれども、“空想的平和主義/反戦主義”とでも名付けられそうなものが跋扈〔ばっこ〕しているのが現実です。 ―― 根拠のない楽観(信頼)主義・他力本願の“平和”、かけ声ばかりの“平和”・“反戦”は、絵空事〔えそらごと〕でしかありません。

私は、それは“本〔もと〕”が誤っているからだと考えています


■2014年9月28日 真儒協会 定例講習 老子[45] より


(この続きは、次の記事に掲載させて頂きます。)


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老子道徳経:  《 老子の平和主義 ―― 「戦勝以喪礼処之」 》

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 【 31章 】 (30章/81章)
 (*安岡正篤:「シュヴァイツァーと老子」

偃武・第31章) 注1) 

 《 老子の平和主義 ―― 「戦勝以喪礼処之」 》 

 §.「 夫佳兵」 〔フ・チャ・ピン〕

注1) 「偃武〔えんぶ〕」とは、“武事(=戦争)”を偃〔や〕める”という意味です。ここでは、老子の実際的平和主義が説かれています。当時(春秋戦国時代)にあっては、“危言”(タブー)といえましょう。
おしなべて、宗教家や哲学者は、絶対的戦争反対・無抵抗主義を唱えています。が、老子は、現実的に自衛のためのやむをえない武力行使は是認しています。 「直〔ちょく〕を以て怨みに報い、徳を以て徳に報ゆ。」(憲問第14−36) と孔子が『論語』で述べている、現実味のある“中庸”の精神も根本において同一であるといえましょう。

○「夫(佳)兵者、不祥之器。 物或悪之。故有道者不処。(是以)君子居則貴左、用兵則貴右。|
兵者、不祥之器、非君子之器。 不得已而之用、 恬淡 為上。勝而不美。而美之者、是楽殺人。夫楽殺人者、則不可以得志於天下矣。 |
吉事尚左、凶事尚右。偏将軍居左、上将軍居右。言以喪礼処之。*殺人之衆、以悲哀泣之、戦勝、以喪礼処之。」

■ 夫〔そ〕れ(佳)兵は、不祥〔ふしょう〕の器〔き〕なり。 物或〔つね/あるい・は〕に之を悪〔にく〕む。故に有道者は処〔お〕らず。(是れを以て)君子は居るには(居りては/居らば)則〔すなわ〕ち左を貴び、兵を用うる(とき)には則ち右を貴ぶ。|
兵は不祥の器にして、君子の器に非ず。 已〔や〕むを得ずして之を用うるも、 恬淡 〔てんたん〕を上と為す。勝ちて美とせず。而〔も/しか・るに〕し之を美とする者は、是れ人を殺すを楽しむなり。夫れ人を殺すを楽しむ者は、則ち志を天下に得べからず。 |
吉事には左を尚〔たっと〕び、凶事には右を尚ぶ。偏将軍は左に居〔お〕り、上将軍は右に居〔お〕り*補注) 喪礼を以て之れに処〔しょ〕するを言う。*人を殺すことの衆〔おお〕ければ、悲哀を以て之に泣〔のぞ〕み(/之に泣き)、戦いに勝つも、喪礼を以て之に 処り*補注)

補注) 「居り・処り」は、ラ行変格活用の終止形ですから、“処る”ではなく“処り”として文を切ります。
cf.〔 ら/り/り/る/れ/れ 〕、ラ変の動詞 → あり・居り・侍〔はべ〕り・在〔いま〕すがり

*A host that has slain men is received with grief and mourning;  he that has conquered in battle is received with rites of mourning.
(A.Waley adj. p.181)

*When great numbers of people are killed, one should weep over them with sorrow。When victorious in war, one should observe the rites of mourning
(D.C.Lau  adj. p.36)

《 大意 》

そもそも、武器(=兵器)というものは、(たとえ優れた=精巧にして美麗なものであっても)不吉な(殺人の)道具です。人は(誰もが)、それを怖れ嫌うでしょう。ですから、“道”を身につけた者は、武器を用いる(=戦争をする)立場にはたちません。君子〔くんし〕は、ふだん(家にいる時には)左を貴〔とうと〕びますが、戦時(戦場にいる時)には、(反対に)右を貴びます。

武器というものは、不吉な道具であり、君子が用いる道具ではありません。(然しながら、世は平和な時ばかりではなく、戦争ともなれば「不祥」などと言っていられません。ですからもし、)やむを得ず用いる場合(=戦争をする場合)には、恬淡〔てんたん:=あっさりと執着せずに〕と用いるのが第一です。戦いに勝っても(勝利を)賛美しないことです。(決して立派なことではないのです。)しかるに、(勝利して賛美する者があるなら)それは人を殺すことを楽しむ(残忍な)人です。そもそも、人を殺すことを楽しむような者は、自分の志を天下にかなえることなどできはしません。

(ですから、一般に、)慶び事には左を尚びますが、凶事では右を尚びます。軍隊では、副将軍が左に位置を占め、上将軍が右に位置を占めています。つまり、(これは軍隊というものが人を殺すものですから) 葬儀の決まりごとに倣〔なら〕っているということなのです。したがって、戦争は多くの人を殺〔あや〕めるので、心からの*悲哀の気持ちで戦〔いくさ〕に臨み(/=戦争で人を殺〔あや〕めることが多い時には、*悲哀の心をこめて泣き)、戦いに勝っても、葬礼〔葬儀の礼〕の方法(きまりごと)によって、これ(=戦後)を処理するのです

・「夫(佳)兵者」:「佳」の文字を用いている本が多いです。が、帛書にはこの文字はありません。
「佳兵」は、1)精巧な武器、すぐれた武器の意  2)「佳」は、「隹〔すい〕」の誤字で「唯」と同義とする説(王念孫)

・「物或悪之。故有道者不処。」:24章に同文があります。「物」は万物で人も含みます。世人・誰もがの意。 「或」は、 1)「ある・いは」で、たいがいは、おそらくは、の意。 2)「つね・に」

・「君子居則貴左、用兵則貴右」:平時の儀礼では、左を貴びます。 「君子南面す」で、主君は南面して(北に)坐りますから、左が東で【陽】、右が西で【陰】、【陽】を貴び【陰】を卑〔ひく〕めます
また、陰陽観で、【陽】は“生”に、【陰】は“死”に結びつきますので、戦時には右が上位になるとも考えられましょう。

cf.穢〔けが〕れたものを持たない左手を神聖視した原始信仰による。すなわち、戦争を穢れに連なる行為と考え戦時には右を上位とした、と考える立場。(加藤常賢氏)
  研究  ≪ 日本における左・右観 ≫参照のこと

・「恬淡」:心安らか、静かであっさりして執着しないこと。淡白・無欲。『荘子』の中にも、「虚静〔きょせい〕恬淡」・「恬淡無為」/「君子の交わりは淡〔あわ〕きこと水の如し」(=「淡交」)とあります。。 戦いに勝っても、あっさりと切り上げるのが上策というもの。欲を出すと、勝って身を亡ぼします。

cf.「隴〔ろう〕を得て蜀〔しょく〕を望む」(=望蜀)

・「以悲哀泣之」:「泣」〔きゅう〕は、楚簡では「位」〔い〕、帛書は「立」〔りつ〕。「立」は「位」の略字、「位」は「莅」の略字。
*「泣」は、1)泣く の意  2)「磧廖未蝓佑慮躬と考えられ、「磧廖Α帶」〔りん〕は、「臨」〔りん〕=のぞむ、の意。
「以悲哀」は、表面上の儀礼として無名戦士の墓前に花をささげるだけでなく、殺された人とその遺族諸氏に対して心からなる哀悼の意をささげて悲しむ、ということです。

cf.馬叙倫氏は、この章は、本文と注が錯乱・混合しているとしてして、陶方の訂誤を付記して説明しています。それによると、この部分 「戦勝以喪礼処之」 が本文で、「殺人之衆以悲哀泣之」 を注としています。

研究

≪ 日本における左・右観 ≫

中国において、宰相職の左・右の上位・下位の関係は、時代によって異なるように思います。わが国では、左・右両大臣のうち左大臣を上位とするようです。尤〔もっと〕も、“右に出る者はない”という慣用句もあり、右を貴んでいるようにも思われます。催事・セレモニーで、国旗(日の丸)と一般の団体旗(○○政党旗など)を壇上に並置して飾る時も右(壇上からみて右、客席から見れば左)が国旗です。易学・陰陽思想で右(手)が【陽】で、左(手)が【陰】と考えられるからでしょうか。

想いますに、現代にまで繋がっている日常生活の風習にも、この易学の生死にかかわる“左右/陰陽観”の影響が推測されるものがあります。―― 例えば。“和服の襟〔えり〕”は、通常は左が前です(右手が入るように)。それが、死装束〔しにしょうぞく:死者に着せる着物〕では、逆に右が前です。“帯締め(帯止め)”も、通常・日常は、左・右両方を上に向けます。が、葬儀に出席する時は、逆に、左・右両方を下に向けます。(上方は【陽】、下方は【陰】です。) 流派にもよるのでしょうが、披露宴などでは、右は上(慶び)・左は下(悲しみ)にするといいます。これからの人生、慶びも悲しみもありますヨ、の意図でなんともシャレた考え方・方法ですね。

“死んだら何でも(生前と)反対にすればいい”と、幼少のみぎり、母から教えられたのを記憶しています。“のし袋”のウラの重ねも、祝い事の場合はからかぶせます(上向き)が、香典袋の場合はからかぶせます(下向き)。香典として袋の中に入れる紙幣も、使い古したものを(新しければクシャクシャにして古く見せて)用います。古いお札は、死者と同じく【陰】だからでしょう。


■2014年8月24日 真儒協会 定例講習 老子[44] より


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