「法事に想う」

――”鼎〔かなえ〕”、龍、音霊、「渙」・「萃」卦辞、「孟子の三楽」 ほか ――

さつき五月 GW.、 よい 陽〔よう〕の天気。
亡父の33回忌の法事を、古里〔ふるさと〕(愛媛県)で行いました。

前回が25回忌だったので、8年ぶりに老母と五人の兄弟(姉妹とその夫と子、計13人)が揃いました。
その ひと日、兼好法師よろしく つれづれ想ったことを、少々 書きつづっておきたいと思います。

法事の前日朝、私は 一人墓に参りました。
寺の楝〔おうち〕の大木に小さな楝色(うす紫)の花が咲き、初夏の風情〔ふぜい〕をかもし出していました。

清掃をし、花・樒〔しきみ〕を新しく飾り、寺へのあいさつも済ませておきました。
不肖〔ふしょう〕・不孝の息子の せめてもの供養の行いです。

いま時の若者学生諸君は、神(神道〔しんとう〕)も仏(仏教)も、榊〔さかき;神前草〕も
樒〔しきみ・しきび;仏前草〕も区別がつかぬようになってしまっています。

おとなが教えない(教えられない)からです。

こうして、先祖の墓に参り、身をかがめて清掃し 畏敬し拝む親(自分)の姿を、
幼少より子供に見せ示し、祖先の連続性 を体感させておくのが 家庭教育の原点に他なりません。

不易」・不変性は、 親 − 子 − 孫 ―― という ”受け継がれるもの( DNA )”の中にあるのだと思います。

儒学でいう””の概念、 ”一〔いつ〕なるもの” であり、すべての原点でもあります。
その意味では、私の一族の次の世代に 大きな不安はありません。

さて、法事当日。
我が家の宗派は、浄土真宗ですが、私そのものは 特定の宗教への信仰心はなく、
また昔から 線香の臭いは苦手です。

仏教に対する 一般的尊敬の念を持ちつつ、儒学・学道を修める者の視点で雑感を述べてみたいと思います。

「無常」の世であれば、本堂内は、調度の金箔も塗り替えられていて 明るくリニューアルされていました。

座布団の代わりに、低いイスが全員分用意されていました。
高齢社会進展の影響でしょうか? とにかく ありがたいことです。

寺も世代交代して、若い(中年)住職さんが 読経されました。

亡父の戒名〔かいみょう・法名〕を書いたものと大きな”ろうそく”を持ってきてスタンバイ。
父の戒名は 「専徳院釈義 ―― 」と名づけられています。

以前は、さして文字は気にとめなかったのですが、今は すぐ目に留まりました。
”は、儒学がみなもとでしょう。
”は、特に孟子が ”仁”に加えて唱えた概念ですが、
これは 父の俗名が”義人”であったので、そこから採ったのでしょう。

灯されるろうそくが赤い(ケースが赤いのかもしれません)のは、不思議と新鮮(アクセント カラーコーデイネート)な気がしました。

それから、読経。 ”経”の字は、儒学では タテの意で”ケイ”と読みます。
(経書 ― けいしょ、 経典 − けいてん) が、仏教では 経典〔きょうてん〕の意で ”キョウ” といいます。
同じ漢字でも、発音と意味を異にしています。

ところで、仏教は釈迦によって開かれた宗教です。
本来 インド発祥ですから、その経典は、古代インド語 = サンスクリット語で書かれています。

それが 中国にもたらされ漢訳(中国語訳)されます。
漢訳では、鳩摩羅什〔くまらじゅう〕や 玄奘〔げんじょう;三蔵法師〕が訳経家として名高いです。

仏教は、インドを出て 中国で栄え広まることとなります。
その中国仏教が、日本に伝わり 我国固有の宗教 神道と調和・融合して(神仏習合〔しんぶつしゅうごう〕)、発展します。

日本で、漢語をそのまま音〔おん〕で読んだものが ”お経” です。
漢文訓読ではないので、意味はわからないわけです。

こうしたルーツを考えてみると、お経は サンスクリット語で読まなければ ”言霊” とはいえないような気もします。

しかし、日本のお経は、専ら音〔おと〕の響き(ありがたさ、荘厳・厳粛さ・・・)に意義があるように思います。

音霊〔おとだま〕”ですね。

それに加えて、読経の後の気のきいたお話(教話・法話)は、”言霊”ですから値打ちものです。

従って、読経は お坊さんの声の良さ・ありがたさ、 教話は お坊さんの修養・人徳いかん、ということなのでしょう。

ついでに、教話は 「ナンマンダ〜」(※ ナムアミダブツのこと)についてでした。

宗派によって”念仏”( 南無阿弥陀仏;ナムアミダブツ 6字 = 浄土宗・浄土真宗 ) と
“題目”( 南無妙法蓮華経;ナムミョウホウレンゲキョウ 5字または7字 = 日蓮宗 ) と呼ぶことは、
教養として持っておきたいものです。

ちなみに、易の”八卦”( 乾・兌・離・震・巽・坎・艮・坤 ;けんだりしんそんかんごんこん )を、
念仏・題目を唱えるのと同列に扱っている古書があったのを思い出したりしました。

そして、今回 一番に記しておきたかったのは、私の目の前にあった ”焼香〔しょうこう〕台(兼・線香立て)” についてなのです。

前列 中央に座っていたので、私とお坊さんとの間に 直径 60〜70 cm もある立派な金属製の容器が置かれてありました。

この三足の器は、「鼎〔かなえ・てい〕」というものです。
古くは、夏〔か〕の禹王〔うおう〕が九鼎をつくったと書物にあり、
次の殷〔いん〕代の青銅製鼎の美術品的精巧さは有名です。

宝器として 「鼎の軽重を問う」 という故事もあります。
本来は、煮炊きに用いた”ナベ”です。

易の 64卦にも 「火風鼎〔かふうてい〕」(三者鼎立、三角関係、養いのナベの卦意)があります。
“鼎”の字は 難しいですが、今でも 三国鼎立〔ていりつ〕や”かなえ”という人名があったりします。

『徒然草』 (53段)の 仁和寺〔にんなじ〕の僧の話に、
「足がなえ」を興じて頭にかぶり、抜けなくなる大事となり、
結局 耳・鼻がもげて穴があきながらも 強引に抜くという話があります。

鎌倉時代(まで)には、仏具として用いられていたということです。

話を戻しまして。
その鼎の両側面に 取っ手のように大きな大きな 「」がつけられていたのです。
龍も 中国が起源、『易経』が発祥の源であることは 明らかです。

『易経』 64卦の第一番目は、「乾為天〔けんいてん〕」、龍〔ドラゴン〕の物語です。
龍は、陽物の象〔シンボル〕です。

おもしろいのは、本家本元?の中国の龍の”ツメ”は、(ヒトと同じく 陽数) 5本 ですが、
朝鮮では 4本 、日本では 3本 と減っています。

その鼎の、3本 爪の龍は、雌雄なのでしょうか?

神社の狛犬〔こまいぬ〕や寺院山門の仁王像のように、一方(左)が口を開き 他方(右)は口を閉じていました。

開いているほうは 「阿〔あ〕」といい、閉じているほうは 「吽〔うん〕」と言っているのでしょう。
この「阿吽〔あうん〕」は、仏教の思想ですから、ここにも 儒・仏が融合しているわけで、興味深いものがありました。

さて、本堂での法事を終え、一同で墓に参り、寺を後にしました。
一席 昼食の場を設け、あれこれ一族で語り 一日の法会を無事終了いたしました。

『易経』を読むと 「王有廟〔びょう〕に仮〔いた〕る。」 の同文が、
「風水渙〔ふうすいかん〕」卦辞と 「沢地萃〔たくちすい〕」卦辞に登場しています。

「渙」の大象には、「先王以て帝を享〔まつ〕り 廟を立つ。」の文言もあります。
要するに、民心が渙散することがないように(渙)、人心が集るように(萃)、
先祖の霊を敬虔〔けいけん〕な まごころを持って、お祭り したのです。

今も昔も、家庭・個人のレベルでも 国家国民のレベルでも本〔もと〕は同じです。
また、そうでなければいけないと思います。

父が亡くなって、はや 33年が経ったわけです。
80歳ちかくの母をはじめ、5人もの兄弟姉妹とその家族が、歳を重ねて 誰も欠けることなく揃うことが出来ました。

これは、一つに父が早世したからです。
孔子 50 にして ”知名(天命を知る)”、
蘧伯玉〔きょはくぎょく〕 50 にして ”知非(49年の非を知る)” ですが、
父は 50 歳で亡くなりました。

今なら50歳は、平均年齢(平均寿命は80歳くらい)でしょう。
私も、知名・知非の歳を過ぎて、亡父の死後を生かされているわけです。
ありがたいことです。

そして次に、皆が 養心・養生して息災〔そくさい〕延命しているということです。
改めて、孟子の三楽 (その一)を実感しました。

「 父母ともに存し、兄弟 事なきは 一の楽なり。 
仰いで天に恥じず、附して人に愧〔は〕じざるは 二の楽なり。
天下の英才を得て、之を教育するは 三の楽なり。 
君子に三つの楽あり、而して天下に王たるは預かり存せず。」(尽心章句 上20)

この言葉も、知識としては 早くからありましたが、
人生も中年を過ぎ晩年に近づくと しみじみと味わえる境地のように思います。

次回の法事は、50 回忌だそうです。
今より 17年後です。

皆が、再び息災にして 一同に会せるよう、それを大きな目標にして養心・養生に努めましょう、と会食時の あいさつを結んだのでした。
             
                                    ( 高根 秀人年 )


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