“パンをもらった少年” に想う
       ── “小公女セーラ”・仁愛〔思いやり〕・“兆し”を読む など ──

幼少年期、純朴で夭〔わか〕い精神(頭脳)のころの読書というものは、
長じても鮮明に憶えているものです。

私の場合も、今から40年以上も前の、それも一度しか読んでいない
(子供のころは、本は一度しか読まず次の本に移ったものです)本なのに、
そのあらすじや主人公の名前・イメージや場面などが、
あたかも自分の体験であるかのように心に刻まれています。

小学生の中学年のころでしょうか。
母が、豊かでない財布を工面して、毎月一冊ずつ発刊配本される
“少年少女世界の名作文学”(全50巻)を買ってくれました。

魅せられるように、文字をたどり、さし絵を楽しみに想像をふくらませたものです。

その第一回配本(?)であったかのようにも思いますが、
アメリカ編・バーネット女史( Frances Hodgson Burnett )の 
『小公子』( Little Lord Fauntleroy )・セドリック少年の物話、
『小公女』( A little princess )・セーラ・クルーの物語をよく、好んで憶えています。

私は、『小公子』のほうが印象強いのですが、
今時の若者、少年・少女には、TVアニメーションの影響でしょうか、
“小公女セーラ”のほうがよく知られているようですね。

その、“小公女セーラ”で、今でも文字どうり眼前によみがえるシーンがあります。
どうしてそこを印象強く憶えているのか、理由などはわかりませんが。


《 ・・・・ セーラは、虐待されてごはんも食べさせてもらえず、
ロンドンの雪の中を何度もお使いにやられます。
パン屋の前の水たまりで 4ペンス銀貨を拾います。
店先には、飢え死にしかけの、こじきの女の子が座っていました。
セーラはパン屋のおかみさんに、お金の落とし主をたずねて後、
そのアドバイスに従って 4ペンスでパンを買うことにします。

1ペンスの干しぶどう入り甘パンを 4つ (想像するに甘パンは、小さいもので
1・2個でお腹のふくれるようなものではないようですね)
おかみさんは、おまけしてくれて6つ くれます。

セーラは、神様がお恵み下さったパン(4ペンス)の一部を、こじきの女の子に与えたのです。

私は、よく生徒に「あなたがただったら、この状況でいくつあげますか?」と尋ねます。

セーラは、まずその女の子にパンの1つを与えます。
その貪り食う様子に、今度は3つ取り出して渡します。

結局、ふるえる手で 5つ めのパンを渡します。

1つ残った甘パンで、セーラはどうにかその日の自分の命をつなぐのです。

パン屋のおかみさんは、その様子を見ていて、そのこじきの女の子を暖かい店内に入れてやり、
パンをいくつもらったかの話を聞きます。

そして、今後いつでも(お腹がすいた時には)セーラに代わってパンをあげよう、というのです。 》


仁愛とその感化ですね。洋の東西は問いません。
理屈なしで、幼少年・少女にとって、心の糧となる物語の一場面だといつも想っています。


さて、英(米)少女に対して日本の少年ということではありませんが、
“パンをもらった日本の少年”の話を述べたいと思います。

これは、本の物語ではなく、ノンフィクション〔実話〕です。
日本人以上に日本通〔つう〕で、日本を愛し理解していてくれている識者である
米の実業家の講演の中で聞いた話です。

数年前の講演ですが、私の脳裏にいつも鮮明に象〔かた〕どられています。

昭和20年(1945)、終戦 ーー敗戦。我国は民族の滅亡すら危ぶまれる程に、
人間を失い、国土は焦土化し、米軍に占領されました。

その後10年で、「もはや戦後ではない」(1956・経済白書、同年“神武景気”)というまでの、
奇跡的復興を成し遂げ経済的発展をいたします。

そして、更なる高度成長期へと入っていくわけです。
(’59岩戸景気、’64オリンピック景気、’66ベトナム戦争特需、’68いざなぎ景気 ・・・)

朝鮮戦争による特需景気(1950〜)など、(我国経済にとっては)ラッキーな面もあるにせよ、
驚異的復興が実現されたには違いありません。

その復興を、昭和20年の荒廃の中で一体誰が予測し得たでしょうか?
誰も、その時点では思いもよらなかったでしょう。
が、しかし、そこに、後の日本の復興を確信していた一人のアメリカ人がいたという話です。


《 ーー 当時、都市部では誰もが食べるものに事欠く状況でした。
多くの幼少年たちは、その日の食べ物もないほどに貧しく、
米兵にあわれみを乞うたり、盗みなどの犯罪で命をつなぐ場面もめずらしくないことでした。

こんな敗戦直後の世の中での、ある幼いくつみがきの少年が話の主人公です。

ある一人のアメリカ人が、くつをみがいてもらいました。
少年の受け答え・態度を立派で健気に思ったようです。

感じる処あって、家に帰って、大きな食パン(当時は貴重でたいへんなご馳走!)に、
ご丁寧にも中にたっぷりとジャム・バターを練りこんで、戻ってそれをその少年にあげようとしたそうです。

そうすると、その少年、まだ幼く貧しい生活のその少年は、言いました。
「(くつみがき)のお貨幣〔かね〕は、ちゃんと頂いていますから、受け取れません。」と。

そのアメリカ人は、感心しながらも、無理にもとっておくように言います。
ようやく少年は、それではと感謝して受け取りました。

“衣食足らずとも礼節を知る”ですね。

腹ペコだろうから、さぞかしすぐにパクつくかと思いきや、
そのパンを一口も食べずに包んでしまい込みます。

いぶかしく思ってわけを尋ねると、
「ぼくには、小さい妹がいます。お腹をすかせて待っています。
このパンは、その妹に持って帰ってやるんです。」 と答えました。

そのアメリカ人は、確信して思ったそうです。
この国(日本)は、こんな荒廃の中でも、こんな幼い少年ですら立派なこころを持っている。
(この子たちがやがて成人し、この国を支えてゆく)

きっとこの国は、優れた復興をなしとげるだろう、と。 》


これは、(西洋の宗教=キリスト教的 愛ではなく)日本(儒学)の道徳です。

礼節仁愛の教えが、幼い少年に廃〔すた〕れず残っていたのです。


ーー 私は、この話で2つの意味で感銘を受けております。

まず1つは、東洋・日本の古き良き“道徳”です。

“戦後、日本はモノで栄えココロで滅ぶ”ともいわれています。

モノ(物質的)の貧しさは、目に見えて皮相的・表面的で解決もはかりやすいでしょう。

それに対してココロ(精神的)の貧しさは、体の内部をむしばむガンのように、目に見えず重大です。
命とりともなりましょう。

かつて、マザーテレサが来日したとき
「この国は、モノは豊かだけれどもココロは貧しい」と評したという話があります。

豊かさの中の貧困 (物質的 リッチ〔Rich〕の中の精神的・物質的 プアー〔Poor〕)”
が問われて久しいものがあります。

21世紀が、“こころの時代”・“癒しの時代”といわれるのもこの“貧しさ”ゆえです。

敗戦後、60余年が経ちました。
私にも、現代の日本は、かつての“東洋の道徳”、“日本の美徳”を忘れた
非常に貧しい国に思われます。

この“パンをもらった少年”ですら持っていた徳は、いったいどこへ行ったのでしょうか? 

いま、“美しい日本(=美しい徳・美しい人格ある国)”は失われ、
背徳に満ちた蒙〔くら〕い時代が深まりつつあります。


もう1つは、そのアメリカ人が、はるか先の未来の復興を明らかに確信(予測)したという点です。

『易経』に、 「〔き〕とは動の微〔び〕にして、吉凶の先ず見〔あらわ〕るるものなり。
君子は幾を見て作〔た〕つ。 ・・・・・ 君子は微を知りて彰〔あや/しょう〕を知り、
柔を知りて剛を知る。万夫の望みなり。」 (「繋辞下伝・5章」) とあります。


」とは、物事が(大きく動き)変化する前に先んじて現れる、わずかな兆し・兆候(微)です。
目に見えないものですから察する、つまり、心眼・直感で“観る”のです。

君子は、未来を察知し、そのわずかな兆しを明らかにし、
そして機敏に変化に対応して行動してゆくのです。
それが、万人が頼りとして待ち望んでいるところなのです。

変化の“兆し”(機微)を読みとり、それを活かして行う(知行合一)が学道の真意であり、
とりわけリーダー〔指導者〕の真面目でしょう。

“兆し”を読めぬ、“兆し”を読み誤るリーダーしか持てない人々はとても不幸です。
変化に対応できなければ、窮することになりましょう。

今の社会 ──政・財・官・教育・文化のリーダーに、“兆し”を読めている人が一体どれ程いるでしょうか? 

“兆し”を読もうとする研鑽修養すら、どれ程の人が努めているでしょうか? 
いわんや、行いにおいてをやです。


結びとして加えますと。 国家・民族・社会の未来への“兆し”は、青少年の姿の中にあります。
教育は“100年の大計”、すべての本〔もと〕です。

近年、日常茶飯に人倫の荒廃・各界で各種の不祥事が驚きをもって報じられています。
教育の問題が、ようやく、少し正当に報じられるようになりました。

この現状に至っても、為政者は、「困ったものだ」・「遺憾なことだ」とコメントし、
評論家・識者(と称されている人々)は、原因をあれこれ複雑化・抽象化したりし、
メディアはどうでもいいような一般論で締めくくっています。

私は、ずい分前から、つまり今の子供の親が子供であった頃から、
“兆し”を読んで(当然の結果として)今の状況を確信していました。

“教育の貧困”、“こころの貧しさ”、“忘徳” がみなもとです
そして、その(結果)責任の所在も、真摯〔しんし〕に考えれば自明です。

唐土〔もろこし〕。いにしえの孔子は、長い諸国遍歴の後、
母国「魯〔ろ〕」に帰り子弟の育成に晩年の情熱を注ぎます。
( cf.孔子と弟子との年齢差 : 曾子 46歳、子貢 31歳、子夏 44歳、子張 48歳 ・・・) 

その若い弟子たちは、やがて『論語』も編集し“儒学”を国教となるまでに大成させていきます。

2500年余を経て、共産国中国では(文化大革命の孔子・儒学弾圧を一転して、北京オリンピックで)
儒学文化遺産を世界にアピールし、いま子供たちが熱心に『論語』を学んでいます。

─── 私は、日本は、“パンをもらった少年”を再び育ててゆかなければならないと思い想います。


                                  高根 秀人年


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