“空をとぶもの(飛行の機)”に想う
――― レオナルド・ダ・ビンチと飛行・翼・ほうき・ドラゴン/じゅうたん/ 
「乾為天」・龍と雲・羽衣/飛行機・ロケット・インターネット etc.―――


「鳥が、大きな鳥が、あのチェチェロ山で初飛行を行う。
それは世界を驚きで満たすだろう。すべての記述がそれで満たされるだろう。
この鳥の生まれた巣に永遠の栄光あれ。」  
(“レオナルド・ダ・ビンチの手記”にもとづく)

○ イタリア・リナシメント〔ルネサンス〕の3大天才、
普遍的人間〔ウォーモウニベルサーレ/万能の天才〕 のレオナルド・ダ・ビンチは、
一生涯飛ぶことを熱望しました。

この文は、レオナルドが自作の飛行機(=大きな鳥)の初飛行前日、
興奮に満ちて手記(日記)に書きとめていたものです。

初飛行の結果は、失敗・墜落。レオナルドの飛行研究は、大きく挫折します。

飛行の理論は、ほぼ完成していたといわれています。
が、いかんせん当時は動力がなく人力にたよらざるを得なかったので限界があったのです。

初飛行の実現は、はるか後のライト兄弟の飛行(1903.12.17)を待つことになります。

早く生まれすぎた“万能の天才”でした。
“原子力”という無限に近い動力を持つ現代に生まれていたら・・・とよく空想したりしたものです。

レオナルドは、以後、翼を固定して風に乗って飛ぶグライダーやヘリコプターを考案したりし続け、
飛ぶことに憧れ続けます。

「レオナルドは、飛ぶことを熱望した。
イカルスを第一の英雄といい、人間が全き知識(愛)を得る時、が生えるのだと考えた。
彼は、マキャベリの『君主論』にいう“半神半獣”の王にを添えているのだ。
人間が空を飛べる現代こそ、形而上学と自然科学との和解・調和が必要だ。
全き愛を得るその時、人類は、生命はむろん人間自身まで創造できるだろう。
きっと何時か。 神のように ・・・ 。」
 ( 高根秀人、高校時代の新聞掲載小論より )


※ レオナルドの手記(“鏡文字”で書かれている)をもとに書かれた文学、
メレジコフスキーの『先駆者〔せんくしゃ〕』は、一読お薦めです。
参考に、その一部を紹介しておきます。

「 『すべてを知る者はすべてを成就し得る。わたしはただ知ればよいのだ。
そうすればができねばならぬ。』 彼はこう考えた。 
――― 『あれ!もしわたしが成就できなくっても他の人ができる。
この精神は滅びることはできない。
そしてすべてを知り、さえかち得た人間は神のごとくなるであろう。』 彼はこう叫んだ。」
 ( 『先駆者』、旺文社文庫、PP.391−394 引用 )


さて、空を“飛び行く機(の手段や方法)”、飛ぶことへの人類の憧れには、
そこに託された文化や思想の章〔あや〕が読み取れて、興味深いものがあります。

そして、現代は空の時代
かつて人類が夢みた“飛行”、東洋思想では“龍(竜)”を技術的に手にいれた現代人は、
ここで文明と文化を考え直さなければなりません。

――― 今回は、西洋と東洋の“飛行の機”について想いをはせてみました。


《 西洋 》   ―― で ☆ 合理的・自力で飛ぶ

■ ヨーロッパ ・・・・・ 翼〔つばさ〕 / ほうき
『ギリシア神話』の世界でイカルス少年は、“ロウ”で出来た翼をつけて太陽に向かって飛びます。
太陽に近づき過ぎて、太陽の熱で翼が熔けて墜〔お〕ちてしまいますが、
空を初めて飛んだ勇気ある人間ということです。

ペガサス”〔天馬〕という、白馬で翼を持っていて天翔〔あまがけ〕る動物が登場します。
翼を持ったライオンのレリーフもどこかで見たかと思います。
ケンタウロスは、人間と馬が合体していますから、長所の合体・合成の思想があるのでしょうか。

いつのころか、起源は定かではないですが、
ドラゴン”〔西洋の竜〕がヨーロッパの空飛ぶ代表的想像上の動物です。
火も吐きますので、まさに「陽」性そのものです。

“翼をください”という、広く知られている名曲がありますが、
ヨーロッパでは空飛ぶ鳥の翼・羽を身につけて飛ぶことが共通しています。

何となくヨーロッパの合理性を表しているような気がします。

イカルス少年は、飛行の道具としての翼を身に着けたのですから、
ここに工夫するという人間の面目があるのでしょうか。

そして、自力で飛んでいます(自力本願)

また、飛行のための乗り物としては、
ギリシア神話に、太陽神アポロン〔The sun God, Appollo〕 の
太陽の2輪馬車”〔The Chariot of the sun〕 が登場します。

それは、“燃え盛る黄金の馬車で、
空を疾走するもの”〔It is a gold, flaming car and races through the sky.〕 です。

太陽・燃え盛る・天翔する・・・まさに(後述の)「陽」の極致の象〔しょう〕です。

次に、なぜか“ほうき”が飛行の具となっています。
映画・小説の“ハリー・ポッター”や宮崎アニメの“魔女の宅急便”などの作品でご存知かと思います。

“ほうき”は、特殊な乗り物だと思います。
魔女(魔男)は魔法のスペシャリストですから、
飛ぶパワーの源・秘密は、“ほうき”自体より魔女の霊力にあるのではないでしょうか?

私は、ふと“易・易筮”の霊妙な力が、筮竹〔ぜいちく〕や算木にあるのではなく
立筮・解釈する人の力量・徳性・人格による、ということを関連して想ったりしました。
 

《 イスラーム文化圏 》 ・・・・・ じゅうたん

 シェヘラザードが語ったとされている、
『アラビアンナイト〔Arabian Nights’ Entertainments 、千(夜)一夜物語 〕』の世界で登場するのが
“空飛ぶ じゅうたん”です。

船乗りシンドバットが、ロック鳥の足につかまって飛ぶのはまず普通の発想として、
“ペルシアじゅうたん”が飛ぶところがとてもエキゾチック〔異国情緒〕です。

アラビア・イスラーム地域の古名であるペルシア(アケメネス朝ペルシア)の名を冠して
(我国で)知られているものといえば、“じゅうたん”と“ネコ”くらいでしょう。

じゅうたんは、日常のインテリアでもあり、美術工芸品でもあります。
フラット〔平ら〕で、数人は座れ、乗り心地はバツグンでしょう。
しかも、収納は(丸めて)コンパクト ・・・。

宗教・文化の違いからか、私には“飛ぶもの”との発想が異質で、不可思議・マジカルな気がします。

中世イスラーム文化の優秀さは、あまり知られていませんでした。
が、イスラーム文化は、この文学のみならず、
化学・医学・哲学・数学・天文暦学・占星術などの偉大な発展がありました。

とりわけ、錬金術の研究により“ば化学〔chemistry〕”が発達しました。

今でも、“アルカリ〔alkali〕”・“アルコール〔alcohol〕”などの専用語が
アラビア語に由来することは、よく知られています。 
――― 当時のヨーロッパとは、まったく異なる発想で飛行が考えられ想い描かれても不思議はないのかも知れません。


《 東 洋 》   に乗って ☆ 右脳(ロマン)的、(雲に乗って)他力で飛ぶ

■ 中 国 ・・・・・ 龍(竜)・雲

「大いなる乾元、万物資〔と〕りて始む。すなわ〔及〕ち天を統〔す〕ぶ。
|雲行き雨施し、品物〔ひんぶつ〕形を流〔し〕く。」 (乾為天・彖伝)

《大意》
( 乾天の気である元の根源的なパワーは、何と偉大であることよ! 
天地〔宇宙〕間に存する万物は、みなこの元の気をもとにして始められているのです。
すなわち、天道の全てを統率、治めているのが乾元〔=乾徳〕なのです。(以上 元の解釈
| 乾のはたらきにより、水気は上って天の気の“雲”となって運行し、
雨を施して地上の万物を潤し、万物・万生物(品物)が形を成し現われて活動を始めるのです。
(以上 亨の解釈) )

東洋最古の“奇書”、儒学五経の筆頭である『易経』の冒頭、「乾為天」の彖伝〔たんでん〕です。
孔子が書いたともいわれる名文です。

この「乾」を、イメージ、シンボライズして創った動物が“龍”です。
東洋思想の源、陰陽(相対)思想での「陽」の極致です。
龍については、改めてお話したいと思いますので、今回は飛行の視点で少々。

本来、龍は具体的には、蛇が出世したものです。
蛇は(農耕社会において)、“水”の化身です。
従って、蛇=水は「陰」性のものです。

登龍門」という言葉をご存知ですか?
魚(陰性)が、瀧〔たき〕を登ってこの登龍門をくぐると龍に大変身・出世するというものです。

これを易学的に(6が陰の代表数、9が陽の代表数なので)、
“六六〔ろくろく〕転じて九九〔くく〕となる”と申します! それはさておき。

この龍は、“三棲〔さんせい〕”します。
地上に棲〔す〕み、水中に棲み、空中を飛びます。

「乾」の象〔しょう〕意が、動 ―― 飛ぶものなのです。
陸上・水中は良いとして、この“飛龍”は、どのようにして(手段・方法)飛ぶのでしょうか?

龍が翼なくして飛ぶのは、雲に乗っているからでしょう。
中国で“雲”は、飛ばすものなのでしょう。

「同声相応じ、同気相求む。 水は湿〔うるお〕えるに流れ、火は燥〔かわ〕けるに就〔つ〕く。
雲は龍に従い、風は虎に従う。」 (文言伝)

本来、水のものである龍には、同じく水である雲が従い、
威を奪う虎には風が従うという意味です。

ここには、五行〔ごぎょう〕思想の考え方がうかがわれます。
龍と雲は、同じく五行の「水〔すい〕」で「比和〔ひわ〕」の関係です。

加えて、中国仏教関連思想でも“雲”で飛びます。
おなじみの『西遊記』の孫悟空〔そん ごくう〕(斉天大聖〔せいてんたいせい〕)が、
空を飛べるのは、“觔斗雲〔きんと うん〕”に乗ってのことです。
言ってみれば、自家用飛行機ですね。

ちなみに、観音菩薩が放した“龍”(もと龍宮の王子)を変身させて“白馬”にし、
三蔵法師(=玄奘/げんじょう、実在の名僧です)の乗り物とします。
中国流にいえば“千里の馬”です。

龍も馬も「陽」物、易の「乾」の代表的象意です。また、白(色)も陽の色です。

話を戻しまして、このように、龍は雲によってその本来の面目姿・天翔ける“飛龍”となることができるわけです。
この寓意を、人間界にあてはめて考察して見たいと思います。

龍は、“人龍”。大人英傑・指導者(リーダー/エリート)です。
その人龍を飛ばせる、すなわち、創り育て押し上げるのは民衆です。

民衆は雲です。陰陽論的にいえば、民衆の支持・共鳴が、
本来陰性の龍を陽に転化させ(アウフヘーベン/止揚・中す)、
化成させる=飛ばせるのです

ここに陰陽の統一(合)が、実現します。

現代我国の間接民主制での為政者=政治家をみても、
後援者・支持者によって“選挙”で当選し、さらに大臣・宰相へと飛翔していくわけです。

雲が選挙・選挙民です。
そのこと自体は、良いとしましても、今の日本は、この雲の具合が問題のようです。

今時の政治家(小泉チルドレンや民主党新人、タレント議員・首長などの多く?)は、
龍自体は、たとえ土の龍(土龍=モグラ)であっても、
雲=“風(巽/そん)”によって当選することができます。
(だからといっても、陰の者が 陽のもの、飛龍に転化・化成できるでしょうか疑問です)。

一方、いかに優れた人龍でも、ジバン・カンバン・カバンなく雲に乗れなければ空しく空を眺めるばかりです。

このような状態が蔓延〔まんえん〕した大衆民主政治を、“衆愚政治”といいます。

古代ギリシアの民主政治は、こうして滅んで行きました。

私には、日本の現状には、古代ギリシア、古代ローマの末期の退廃・自堕落に
非常に良く似たところがある
ように感じられます。

優れたリーダーを持てぬ国民ほど憐れなものはない、ということがわかっているのでしょうか。
今の日本は、優れたリーダーが不在です。
人龍とその龍を飛ばせる雲、の両方が問題ではないでしょうか。

―― 田舎育ちの私は、青年のころ初めて一人で飛行機に乗りました。
その時、飛行機で空を翔け、眼下に輝く雲を見た時の感動は生涯忘れられないものです。
まさに、“飛龍”を感じました。
その感動を再びしながら、以上の“龍と雲”のことを考え想いました。


■ 日 本 ・・・・・ 雲・羽衣

日本の思想文化は、中国から朝鮮を経て入ってきています。
飛ぶことにおいても、“龍”・“雲”が入ってきたと考えられます。

日本の歴史・神話である『古事記』・『日本書紀』に登場する神々も雲で移動すると考えられます。
神々の住まう高天原〔たかまのはら〕は、天上・雲上に浮んであるのでしょう。

あらゆる生命万物・徳の源である“太陽”についても、
『ギリシア神話』の太陽神アポロンは 当時の最速の乗り物=2輪馬車に乗って“おつとめ”を果たしたわけですが、
日本の太陽神(女神)の天照大御神〔アマテラスオオミカミ〕は雲で移動したのでしょう。

アマテラスの孫、ニニギの尊〔命/みこと〕の“天孫降臨”も雲で日向国・高千穂に天降ったのでしょう。
『竹取物語』のかぐや姫も、月の国への旅の乗り物は雲で行ったのでしょうね。

龍についても、ツメが3本に減ったくらい(本来中国では5本、朝鮮では4本)で、基本的に同じです。

これら “龍”・“雲”の思想的源は、中国の『易経』だと私は思っています。

それでも、より日本的に思える飛行の機が、“羽衣”〔はごろも〕です。
天女が身に着けている、長い布状の飛行衣です。

ルーツは中国だと思いますが、羽衣伝説、昔話は、多々広く語られ今に伝わっています。

個人的衣類、女性(陰)の優雅(※古語の“なまめかし”=優雅・優美)なところが、
日本人の感性によくあっているような気がしています。

日本仏教の思想も、悟空の“キント雲”と同じく“雲”で飛ぶようです。
仏徳のある人がお亡くなりになる時には、阿弥陀如来がじきじきに極楽浄土へのお迎えに、
紫(がかった)雲でやって来ると考えているようです。

例えば、栄華を極めた藤原道長(1016.摂政となる)は、
晩年出家し自分の屋敷のそばに寺を建立し8年ほど暮らし、
阿弥陀仏の手から引いた五色の糸をしっかりと握り、
念仏を唱〔とな〕えながらその62歳の生涯を終えた、と伝わっています。


◎ 結びに・現代の世界 ・・・・・ 飛行機・ロケット(ミサイル)=八卦「乾〔けん〕」の象
                     / インターネット=八卦「震〔しん〕」の象
 
易八卦「離」の象は、文化・文明です。

私が思い想いますに、文化・文明の源は、「火」と「石のカケラ」です。
サルのような我々の先祖の一匹が、勇気を出して、火を使い石のカケラを道具に使ったところから文明が始まります。

そして、心を耕して〔カルティベイト〕文化となります。

文明=火と道具 の発達は、残念ながら火器・武器としての破壊・殺戮の歴史でもあります。
ダビデ少年の“石つぶて”は → 弓矢となり、 
→ 鉄砲となり → 大砲となり、 ・・→ 核爆弾となりました。

飛行機は、ロケット・宇宙船に発展して宇宙をも飛び回りつつあります。
が、同時にミサイルとして大量殺戮兵器にもなっています。

そして、まことに残念ながら、
いつも常に、進んだ強い“武器”を持った者・国が勝ち生き残り、
支配してきたのは、世界史の歴然たる事実
です。

21世紀初頭極東の状勢は、北朝鮮でも核兵器を開発し、(日本やアメリカへの)ミサイルが、攻撃発射体勢にあります。

そのミサイルを迎撃ミサイルで打ち落とそう、という器用なことを論議したりしています。
その迎撃ミサイルを妨害したり打ち落とすミサイル ・・・・などと考えると
何がなんだか“わからぬ”(易学の言葉)話です。 “狂龍”だらけです。

先述のように八卦「乾」の象、陽の極致の象が「龍〔Dragon〕」です。
「飛龍、天に在り。」(乾・5爻)といった乾徳も、
「亢龍〔こうりゅう〕、悔有り。」(乾・上爻)になっています。

省みることなく猛進し、高きに昇り過ぎて神通力を失った龍。
進退窮まった龍。
私には、“愚龍”に思えます。

科学技術は両刃の剣です。

現在は、専ら文明(技術・モノ)ばかりで、文化(精神・心を耕すもの)の面が欠けています。

「陽」が過ぎて“わからなく”なっている現代。
「乾」の怖さ、“からまわり”です。
文明と文化を再考し、陽陰相携えてバランス(中庸の徳)を実現しなければならない時です。
 

――― 21世紀の現代は、まさに“空の時代”。

中国では、「空」のことを「天」といいます。 「乾」の象意は、天・飛翔です。

先端文明の中にあって、飛ぶものは、目に見えるロケットなどばかりではありません。
目に見えない龍も跋扈〔ばっこ〕してまいりました。

高度情報化社会が進展し、IT.〔Information Technology/情報技術〕革命を経て、
世界中のコンピューターがネットワークで結ばれるようになって来ました。

携帯電話をはじめ身のまわりのあらゆるものがコンピューターに組み込まれる
ユビキタス〔いたるところにあるの意(ラ)〕社会”が構築されつつあります。

「乾」の象意を人事にとれば、“父”。 その長男が「震」です。
息子の“小龍ですね。

お父さんのコピーでもあり、よく似ています。
目に見えない「震」=電磁波・インターネットという小龍です。

オゾン層が破壊され、温暖化が進み、酸性雨が降り・・・・ 退廃劣化した天地の間。

飛行機ばかりでなく、ミサイルやら物騒なもの“乾龍”が飛び交い、
目に見えぬインターネットやら“震龍”が千々〔ちじ〕の麻糸のように
駁雑〔ごたまぜ〕に行き交うようになってまいりました。
        
                                高根 秀人年


※こちらのブログ記事はメルマガでも配信しております。
 メルマガは「儒学に学ぶ」のホームページからご登録いただけます。

http://jugaku.net/aboutus/melmaga.htm   

 

にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 儒教・儒学へ
にほんブログ村