第二十二回 定例講習 (2009年8月)

孝経   (広要道章 第12 ― 《2》 )

( ―― 楽より善きは莫し。の続き )

“上〔かみ〕を安んじ民を治むるは、礼より善きは莫し。礼はのみ。 故に其の父を敬すれば、則ち子悦ぶ。その兄を敬すれば、則ち弟悦ぶ。その君を敬すれば、則ち臣悦ぶ。 ※注) 一人〔いちにん〕を敬して(而して)、千万人悦ぶ。敬する所の者は寡〔すくな〕くして(而して)、悦ぶ者は衆〔おお〕し。此れ之を〔此を之れ〕要道と謂うなり。”

《大意》
「上(指導的地位にある人=リーダー)を安泰にし、下(民衆・人々)を善く秩序立てて治めるには、礼義を教えるのが最もよいのです。その礼(の精神)は何かといえば、“”の一語に尽きます。
ですから、その上の地位・立場ある人がその父を敬えば、(下にいる人々の)子供は悦んでそれにならい従うでしょう。また上にいる人がその兄を敬えば、(下にいる人々の)弟は悦んでこれを見ならい、更に上にいる人が他の人君(指導者)を敬えば、天下の臣は悦んで服し従うでしょう。 ※注)
 このように、上に立つ者が(父・兄・君という)一人を尊敬することによって、千万者多くの人々が影響・感化されて悦び従うようになるのです。敬し尊ばれる者は少なく、悦び従う者は極めて多いわけです。これを要道(正道)といい、世の中を治めていく上でとても大切な考え()なのです。

・ 「敬」=孝の根本“愛と敬”。敬を「ウヤマウ」と読めば 広く他人を尊敬するの意、「ツツシム」と読めば 我が身を慎み守るの意。

・ 「礼者、敬而已矣」 ・・・「而已」は〜だけの限定、「矣」は断定の助字、2つを重ねた強い言い切りの形。

※注) 「一般に、他者が、その人の父を尊敬するとその子は悦ぶ.…」ともとれなくはありませんが、ここでは、上に立つ者・上の地位にある者が率先してお手本を示し教化するという儒学の考え方だと思います。 

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論語    ( 孔子の弟子たち ―― 顔回 〔2〕 )

§. 禅宗の碩学が、人間の4類型として、 

1. 「賢々〔かしこ かしこ〕」 
2. 「賢阿呆〔かしこ あほう〕」 
3. 「阿呆賢」 
4. 「阿呆阿呆」 

ということを言っておられます。(易の四象のようですね)

2.の「賢阿呆」は、本来は非常な賢人・大才にもかかわらず、一見したところ「愚の如く、魯の如し」で阿呆のように見えます。この賢〔さか〕しがらず偉ぶらない人間が、真の賢人・大才です。それが、孔子門下の圧巻〔あっかん〕・顔回と孔子の後継・曽子です。


4)  ―― 心の通じあう師弟

・ 「子、匡〔きょう〕に畏す。顔淵後〔おく〕る。子曰く、吾、女〔なんじ〕を以て死せりと為す。 曰く、子在〔いま〕す。回何ぞ敢えて死せん。」 (先進第11−23)

《大意》
孔先生が、匡の土地で危険な目に遇われて警戒していた時、顔淵は孔子を見失って後れてしまいました。ようやく逢うことができたので、孔先生が喜んで 「わしは、お前が(匡人の手にかかって)死んだかと思ったよ。(よく生きていたなあ)」と、おっしゃいました。そうすると、顔淵は「先生がご無事でいらっしゃるのに、どうしてこの私が、軽々しく(匡人の手にかかって)死んだりいたしましょうか。」と答えました。


5)  ―― 顔回の見た孔子像

・ 「顔淵、キ然として嘆じて曰く、之を仰げば弥〔いよいよ〕高く、之を鑽〔き〕れば弥堅し。之を瞻〔み〕るに前に在り、忽焉〔こつえん〕として後〔しりえ〕に在り。夫子〔ふうし〕、循循然として善く人を誘〔いざな/みちび・く〕う。 ※我を博〔ひろ〕むるに文を以てし、我を約するに礼を以てす。罷〔や〕めんと欲するも能わず。既に吾が才を竭〔つく〕す。立つ所ありて卓爾〔たくじ〕たるが如し。これに従わんと欲すと雖も、由未〔よしな〕きのみ。」 (子罕第9−11)

《大意》
顔回が、“ああ”といかにも感に堪えないといった様子で言いました。「(孔先生は)仰げば仰ぐほど、いよいよ高くて到底及ぶべくもない、(タガネで金属を)切り込 めば切り込むほど、いよいよ堅くて歯が立たない。前方におられたかと思うと、ふいにまた後方におられる。そうして先生は、(身近におられて)順序よく巧みに人を導かれる。
学問(詩書礼楽の類)をもって、私を博〔ひろ〕め(古今の事理に広く)通じさせてくださり、そしてそれが散漫にならないように礼をもって引き締めてくださる。(そういう修養を)止めようと思っても止めることはできません。すでに私は、自分の才能を出し尽くして、先生について学んでまいりました。でも、やっと追いついたかな、と思うと、もう先生は私の及びもつかない高い所へ立っておいでです。何とかそこまでゆこうと思うのですがどうにもなりません。

※「我以文約我以」=「博文約礼」 ・・・ cf. 伊藤博文


6) ―― 顔回の死

・ 「顔淵死す。子曰く、噫〔ああ〕、天予〔わ〕れを喪〔ほろ〕ぼせり、天予を喪せり。」  (先進第11−9)

《大意》
顔淵が死にました。孔先生が、顔淵の死をひどく傷んでおっしゃるには「ああ、天はわしを喪ぼしたのだ。 天はわしを喪ぼしたのだ。」
※孔子は、顔回を後継としていたのに、死んでしまってもはや道を後世に伝えることができなくなったからです。
人も学問・教えも、後継者(受け継がれるもの)を得て、「永遠」・「不易」が実現するのだと思います。 

cf.”人間は遺伝子の乗り物”


7) ―― 孔子の顔回礼讃

・ 「哀公問う(て曰く)、弟子〔ていし〕、孰〔たれ〕か学を好むと為す。孔子対〔こた〕えて曰く、顔回なる者有り、学を好み、怒〔いか〕りを遷〔うつ〕さず、過ちを弐〔ふた〕たびせず。不幸、短命にして死せり。今や則ち亡し。未だ学を好む者を聞かざるなり。」 (擁也第6−3)

《大意》
魯の哀公が、孔子に「お弟子の中で、誰が学問を好みますか。」とお尋ねになりました。 
孔先生が答えておっしゃるには、「顔回というものがおりました。学問を好み、怒りにまかせて他に八つ当たりするようなことはなく、過ちを再び繰り返すことがありませんでした。不幸にも、短い寿命で死んでしまって、今は(弟子の中に)おりません。この者の他には、(天下の人の中で)本当に学問好きという者を聞いたことがありません。」

※ 「学」=いうまでもなく、人間形成の学、人格完成の学、徳を修め学

※ 「短命」 ・・・顔回の死は『孔子家語』では、32歳。異説多く、41歳の説もあります。そうすると孔子71歳、最晩年の悲痛な言葉といえます。


8) ―― 曽子のみた顔回

・ 「曽子曰く、能を以て不能に問い、多きを以て寡〔すく〕なきに問い、有れども無きが若〔ごと〕く、実〔み〕つれども虚〔むな〕しきが若く、犯されても校〔むく〕いず。 昔者〔むかし/さきに〕、吾が友、嘗〔かつ〕て(或いはつねに)斯〔ここ〕に従事せり。」  (泰伯第8−5)

《大意》
曽子が言うには、「自分は才能がありながら ない者にたずね、知識・見聞豊かでいろいろ知っているのに それの乏しい者に問い、有っても無きがごとく、充実していながら空っぽのごとく、人から害を受けても(道に外れた侵害を受けても)仕返しをしない。昔、自分の学友(顔回)に、そういう(上記5つのこと)に努め励んだ者がいました。(でも、もうその人は死んでしまっていないのです。)

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本学    ( 『中庸』 4 )

● 経書・『中庸』 ―― 「中庸章句」 )

1) 孔子の孫・子思、『中庸』を著す

○ 「孔子鯉〔り〕を生む、字〔あざな〕は伯魚 伯魚年五十、孔子先だちて死す。伯魚、処ヤ〔きゅう〕を生む。字は子思、年六十二。曾〔かっ〕て宋に困しんで、子思中庸を作る。」 (『史記』・孔子世家)

・ 子思は、孔子存命中に生まれる。孔子の喪に喪主を務めたという。

   「子思の学は 蓋し曾子に出づ。」 (韓愈)
   「子思之を唱え、孟軻〔もうか〕之に和す。」 (荀子) 
              ・・・『中庸』と『孟子』は、多くの点で共通している。

☆ 【血縁】 孔子 ―― 鯉 ―― 子思 、
   【師弟】 孔子 ―― 曾子 ―― 子思 ―― 孟子


2) 『中庸』を著した理由

○ 「中庸は何の為にして作るや、子思子、道学の其の伝を失わんことを憂えて作るなり。」 (朱子・「中庸章句」序文)

老子一派の攻撃 VS 儒家の対抗

孔子の経典・『論語』・・・言行録、常識的・実践哲学の教学 
              → 形而上学(哲学)説の必要性  cf. 『易経』 

「子曰く、穏〔かく〕れたるを素〔もと〕め怪しきを行うは、後世述ぶるあらん。吾は之を為さず。」 (『中庸』・第11章)

不易」の論 ・・・ 孔子の学=中正平易・永久不変 → “中庸”と命名(中は中正にして過不足がないこと、庸は常の道=「恒」)
「惟〔こ〕れ精、惟れ一〔いつ〕、允〔まこと〕に厥〔そ〕の中を執れ。」〔允執厥中〕 (『書経』) ――「精」= purify 純化する、
「一」= simplify単純化する(いろいろの矛盾や相対・相剋を去って、新たに創造する) cf.「精一」の名


3) 『中庸』の世へのひろまり

・ 『大学』と同じく、『礼記』の一篇 → 宋初の二程子(程明道・伊川の兄弟)が独立の地位を与えて尊重する。 → 南宋の朱子、校訂し官学に採用(進士の試験必須文献とする)、中庸章句 ※日本でも最重要経典 (cf.朱子学文化圏の形成)


4) 本論 (宋朱子章句) ―― 中庸首章

○ 「子程子曰く、不偏(偏らざる)之を中と謂い、不易(易わらざる)之を庸と謂う。中は、天下の正道にして、庸は、天下の定理なり。此の篇、乃〔すなわ〕ち孔門伝授の心法にして、子思其の久しうして差〔たが〕わんことを恐る。故に之を書に筆して、以て孟子に授く。」 ( 序 )

○ 「の命ずる之を性と謂い、性に率〔したが〕う之を道と謂い、道を修むる之を教えと謂う。」 (第1章・冒頭)
・・・ 儒家の道は天に本づくものであって、古の先王らによる人為的作為的なものではない。 天=造化=宇宙根源の働き

○ 「喜怒哀楽の未だ発せざる、之をと謂う。発して皆節に中〔あた〕る、之を和と謂う。中は天下の大本〔たいほん〕なり、和は天下の達道なり、中和を致して天地位し、万物育す。」 (第1章)
・・・ 未発の中とは、“the whole”=全きものの意。

○ 「仲尼曰く、君子は中庸す、小人は中庸に反す。君子の中庸は、君子にしてす(時じく中る)。小人の中庸は、小人にして忌憚〔きたん〕する無きなり、と。」  (第2章)
・・・ 時中=どんな時・所にも応じて適中(その節度にかなって中正である)すること。「発して皆節に中る」に相当する。

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易経    ( by 『易経』事始 Vol. 2 )

§. 易の思想的基盤・背景 (東洋源流思想)  【 ―(3) 】

C. 陰陽相対〔相待〕論(陰陽二元論)
      ・・・ 易学に由来する。易は、陰陽の理法。
         明治期以降、陰陽(五行)説を軽視 ・・→  復権 

 陽とは ・・・ 発動分化、分化発展してゆく力 
                    ex.根→ 幹→ 枝→ 葉→花
          (能動的、攻撃的、昂進的状態に傾いているもの) cf.「わからぬ」

 陰とは ・・・ 統一し含蓄する力、分かれたものを統一し、
          それを根元に含蓄しようとする働き  
                    ex.花 ーー・・・→ 根 → 実   
          (受動的、防衛的、沈静的状態に傾いているもの)

※ 陰陽 =(戦国時代以前は)剛柔 といった・・→ 陰陽五行説となっていった

○ 「剛柔は、本を立つる者なり。変通は、時に趣く者なり。」(繋辞下伝)


● 「陰」の字と「陽」の字

霊気が覆うのが陰、発散しているのが陽

・ “こざとへん” を “阜”〔コウ・岡〕と解し南を明るく陽、北を暗く陰とする。
       ex. ・・・ 山陽道/ 山陰道

・ “こざとへん” を阜〔フ〕とよみ、神霊の昇降する様子。陰陽の初義は神様の前で執行される魂振りの神事

cf. “陽(あかり)”さん〔人名〕、“陽子”、“陽水”

      陰陽文字カット(甲骨文&金文) ―― 略

               と     


● 陰陽の理法ポイント

(1) 二元論(「微妙〜」はない)  (2) 相対(待)論  (3) ベクトル的概念


(1) 二元論 

乾坤天地、“転定(てんち)”、父母、大(陽)と小(陰)、〈大吉・中吉・小吉〉、
方(ほう・四角・陰)と円(えん・丸・陽)  ――“水は方円の器に従う”
イザナギノミコトとイザナミノミコト(『古事記』)、アダムとイブ(『旧訳聖書』)
   ex.― 秦の統一貨幣、日本の和同開珎〔ちん・ほう〕・富本銭、前方後円墳
        コンピューター(= 二進法、1と0、オンとオフ)、
        ライプニッツ  陽・・・1  陰・・・0 
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※補 ―― 中国人は対(つい)で考えます。「絶対」は、優れた対(ペアー)
   ex.? 「四声」・・・ 一声― やや高くのばすマー     mã 〔母〕 
                三声― 低く短いマァ            mâ 〔馬〕   
                二声― 高く急に上がるマァ      má 〔麻〕     
                 四声― 上から急に下がるマァ    mà 〔しかる〕 
 

(2) 相対論

―ex.1 父と母、親と子、息子と娘は、それぞれ《陽と陰》の関係。
      母と息子の関係は《陽と陰》。陰であった母は陽に、陽であった息子は陰に転じています。

―ex.2 梅干番茶(梅酸が胃中でアルカリ性に働く)や乳酸。

―ex.3 夫が陽(性)だと妻は陰(性)に、夫が陰(性)だと妻は陽(性)に働きます。〔“相互転換性”〕


(3) ベクトル =力と方向

―ex.  『古事記』“国産み”・・・右旋(左から回る)―陽(左目)
                    左旋(右から回る)―陰(右目)

※参考 【 陰陽哲学・思想 】

○「天は尊(たっと)く地は卑(いや)しくして、乾坤定まる。卑高以て陳(つら)なりて、貴賤位す・・・ 」 (繋辞上伝)

○「一陽一陰をこれ道と謂う。これを継ぐものは善なり。これを成すものは性なり。」
(繋辞上伝) ―― 張載の気一元論と朱子の理気説、孟子の性善説    

○「子日く、乾坤は其れ易の門か。乾は陽物なり。坤は陰物なり。陰陽徳を合わせて剛柔体あり。以て天地の撰を体し、以て神明の徳に通ず。」 (繋辞下伝)    

○「初めに神は天と地を創造された」 (旧約聖書・創世記)


―― 〔生物学〕陰中の陽・陽中の陰、陰から陽へ
    
 
※考察 【 陰陽(中)思想の再考・復権 】

陰陽が乱れた現代・社会・・・母子・父子家庭、家庭サービスだけの父親(=母親が二人いるだけ)、 “敬(父)”と“愛(母)”の必要性

○「故に母には其の愛を取り、君には其の敬を取る。之を兼ぬる者は父なり。」
(孝経・士章第5)


※研究 【 バリアフリー〔障壁除去〕住宅・空間と陰陽 】

―ex.段差をなくす、角を丸める、暗部をなくす、スロープをつける・・・。
    要するに「陰」の部位を「陽」の部位に変えることです。 

 


§. 八卦の象意(おさらい)

● 八卦〔はっか/はっけ〕・八象〔はっしょう〕 (高根流)

 「八卦」・「八」 の言葉
“あたるも八卦、あたらぬも八卦”、“ハッケヨイ!ハッケヨイ!”、“八卦見”=易者、
“八俣〔やまた〕のおろち”・“大八島国”(『古事記』)、“口八丁、手八丁”、“八百万〔やおよろず〕”、“八百屋〔やおや〕” ・・・

1. 乾 【けん/】 (六白金性/星) : 父、全陽、剛健〔ドラゴン〕・虎・駿馬。

2. 兌 【だ/】  (七赤金性/星) : 少女、悦楽、角の長い動物・羊(象形から)
 ・ 流水「坎」の下をふさいでせき止めた象。
 ・ 陰が2陽の上に乗って悦んでいる象(肩車)。
 ・ 兌の字義 ・・・口を開いて顔にシワがある形から。
 ・ 「口」の意、口を開いて男心をそそる意。
                  cf.「天沢履」=“女子裸身の象

3. 離 【り/】  (九紫火性/星) : 中女、明智、蛍・雉・孔雀・かに・・・
 ・ 乾の中爻に1陰の太陽が麗〔つ〕く、南天に沖する太陽とも1陰を太陽の黒点ともとる。
 ・ 中虚(中爻の陰)からビン・鳥の巣、陰を柔として亀・かに・貝など
                  cf.「風沢中孚」=大離で “まこと、タマゴ”

4. 震 【しん/雷】 (三碧木性/星) : 長男、振動小龍・仔馬・音の出るもの(携帯電話・インターネット)・・・。
 ・ 1陽が2陰におさえられ怒気を発する(雷)、発奮の気・春雷、早春の2陰の冷たさを
   払い除こうと躍動する。

5. 巽 【そん/ (四緑木性/星) : 長(大)女、伏入、蛇・豚・蝶・トンボ・・・。
 ・ 乾の天に1陰が伏入(巽〔たつみ〕風)、寒気は陰で重いから下から入ってくる。
 ・ 画象は、座卓・和机・木製ベット・・・。

6. 坎 【かん/】 (一白水性/星) : 中(次)男、陥険・鼠・魚・・・。
 ・ 字は「土を欠く」 。 
 ・ 坤地に1陽の水が流れている。
     cf.算木の画象から → タテ「川」の字、「水」の字? 

7. 艮 【ごん/】 (八白土性/星) : 少年(男)、停止(ストップ)、犬・鹿・昆虫。
 ・ 画象は、大地(坤地)にそびえる山脈の尾根の象。 山、カベ。
 ・ 股を開いた象。
                    cf. 「地山謙」=“男子裸身の象

8. 坤 【こん/】 (二黒土性/星) : 母、全陰、柔順(牝)牛・豹・猫・・・。


                                         

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