■ 孝経 ( 広至徳章 第13 )
§.前章に同じく、1章の「先王至徳要道有り」をうけて、「至徳」ということを申〔かさ〕ねて明らか(=広)にしています。
『論語』に「君子の徳は風なり、小人は草なり。草、これに風を上〔くわ〕うれば必ず偃〔ふ〕す。」(顔淵第12)とあります。民草は風になびき、自然に感化されるということです。 儒学の教えは、“感化・教化”による教育であり、(お手本として)上に立つ者の大事さを説いています。
“ 子曰く、君子の教うるに孝を以てするや、家ごとに至って、(而て)日ごとに之を見るに非ざるなり。
|※教うるに孝を以てするは、天下の人の父た〔為〕る者を敬する所以〔ゆえん〕なり。注1) 教うるに悌〔てい〕を以てするは、天下の人の兄た〔為〕る者を敬する所以なり。教うるに臣を以てするは、天下の人の君た〔為〕る者を敬する所以なり。|詩に云う、「ガイ悌〔がいてい〕の君子は、民の父母」と。至徳に非ざれば、其れ孰〔たれ〕か能く民を ※順にする(こと)、注2) 此くの如く其れ大なる者あらんや(ならんや)。”
《大意》
「昔の聖人といわれた立派な指導者(君主・王)が、人々に対して孝道(=至徳)を教える方法は、必ずしも一軒一軒、家に足を運んで毎日毎日会って教えたわけではない。|
民に孝道を教えられたのは、広く世の中の人々に、その父というものを敬うようにさせたいからなのだ。 民に悌(=弟)道を教えられたのは、広く世の中の人々に、その兄というものを敬うようにさせたいからなのだ。 民に臣道を教えられたのは、広く世の中の人々に、その君というものを敬うようにさせたいからなのだ。|
だから、『詩経』(大雅、ケイシャグ〔けいしゃく〕)の中の句にも言っている。“楽しみ易〔やわ〕らぐところの君子(先生)は、(楽しく親しく徳があふれていて)民の父母とも仰ぎ慕われる立派なお方です。”と。
このような至徳・大徳〔この上もない孝悌の徳〕の持ち主でなければ、これほどまでに、人びとを徳化し柔順にさせることが出来ようか。(柔順にさせるに大なるものがあろうか。)」
・ 「家、日」=家ごと、日ごと(家々、日々)
・ 臣=臣道(忠敬)の意
・ ガイ悌〔がいてい〕の君子=ガイは楽しみ、悌は「易〔やわ〕」らぐ(和/やわらぎ)の意・「易簡〔いかん〕」の意で、天地自然のままの素直な易さです。すなわち“楽易”の境地です。
孝を教える者は、親のように親しく温かい心で教える ということなのでしょう。キリスト教の立派な神父さんや仏教の徳の高いお坊さんのお説教・法話をイメージすると分かりやすいでしょう。
cf. 「(中江)藤樹先生はガイ悌の悌を易と解し、易とは易簡の易としておられるが、此の易簡とは 蓋〔けだ〕し易伝に乾坤の徳を形容せる易簡であろう。所謂〔いわゆる〕天衣無縫、何等造作人為の煩なくして、為さざる無き大作用を起す所以〔ゆえん〕を言ったものであろう。先生の教が実に又此の易簡の二字を以て形容せられる。」 (『孝経啓蒙』、※現代かなづかいに改める)
※ 注1) 「教以孝、所以敬天下之為人父者也」 : 上・中・下点で返り、
「所一以〔ゆえん〕」は熟語として扱い 一 (ハイフン)の左横に「下」点を打ちます。
続く2ヶ所も同じです。
※ 注2) A)順〔じゅん〕にする B)順〔おし〕うる C)順〔したが〕えんや などと読みます。
■ 論語 孔子の弟子たち ―― 曾 子 〔1〕 )
§.曾参〔そうしん〕、姓は曾、名は参。字は子輿〔しよ〕。弟子の中で最年少で孔子より46歳若い。(孔子の没時27歳) 70歳過ぎまで生きて、孔子学統の後継者となります。『孝経』・(『曾子』・『大学』)の著者としても知られます。「宗聖」と尊称されます。
私には、顔回を亡くし、長子鯉〔り〕を亡くし、絶望の淵にある孔子と儒学のために光明のごとく天がつかわした(=Gift)のように思われます。孔子の愛孫、「子思」を薫育します。地味な人柄ですが、文言を味わい味わうにつけても、有徳魅力ある人物です。
『論語』の門人で、いつも「子」をつけて呼ばれるのは曾子だけです。(有子・冉子〔ぜんし〕・閔子〔びんし〕は、字〔あざな〕でも呼ばれています。)
1) あたかも魯なるが如し ―― 第一印象
・ 「柴〔さい〕や愚、参や魯、師や辟〔へき〕、由〔ゆう〕やガン〔がん〕。」
(先進第11−18)
《大意》
柴(子羔/しこう)は愚か〔馬鹿正直〕で、参(曾子)は血のめぐりが悪く、師(子張)は偏って中正を欠き、由(子路)は粗暴・がさつだ。
※ 魯=遅鈍、魯鈍の語がありますが、血のめぐりが悪い・にぶい・“トロイ”と言った感じです。
「愚」も「魯」も、味わいのある語で訳せません。
孔子は、4人の4短所は学業修養によって癒え正せる、それを期待して指摘・表現したのでしょう。
2) さすが親の子 ―― 曾子のお父さん
“この親にしてこの子あり”で、曾子の父・曾セキ〔そうせき〕も立派な人でした。
・ 「 ―― 点や、爾〔なんじ〕は何如〔いかん〕。瑟〔しつ〕を鼓すること希〔や〕み、鏗爾〔こうじ〕として瑟を舍〔お〕きて作〔た〕ち、対えて曰く、三子者の撰に異なる。 子曰く、何ぞ傷〔いた〕まんや。亦た各々其の志を言うなり。 曰く、莫春〔ぼしゅん=暮春〕には春服既に成り、冠者五六人、童子六七人。沂〔き〕に浴し、舞ウ〔ぶう〕に風して、詠じて帰らん。 夫子喟然〔きぜん〕として嘆じて曰く、吾は点に与〔くみ〕せん。 ―― 」 (先進第11−26)
《大意》
孔先生は、「点(曾セキ)や、お前はどうだね。」と問われました。曾セキは、今まで低く弾いていた瑟を止め、カタリと置いて立ち上がり、お答えして言いました。「私のは、お三方〔さんかた〕の言われたような立派なものとは違いますが・・・。」 孔先生が、「いや、何でもかまわないよ。皆、ただそれぞれの志を飾りなく言ったまでのことだよ。(お前も遠慮なく言うがよい。)」とおっしゃいました。曾セキは、「春も終わりの頃、春着も既に整ったので、(それを着て)成人した若者5・6人と6・7人の少年を連れて、沂水〔きすい〕のほとりで浴し、雨乞いをする高台で涼風に吹かれて、歌を歌いながら(詩を吟じながら)家に帰ってきたいものです。」これを聞いて、孔先生は感に堪えぬといった様子でおっしゃいました。「私は、点に賛成するよ!」
※ 曾参のお父さんの人柄がよく現われている、『論語』の中でも少し調子の変わった部分です。
孔子は、このように“悠游〔ゆうゆう〕”とした生活も決して否定していません。
私も、儒学を修め、そして“風流子”もまたよしと思っています。
3) 「吾日三省吾身」 ―― 三省の深意
・ 「曾子曰く、吾〔われ〕日に吾が身を三省す。人のために謀りて忠ならざるか。朋友と交わりて信ならざるか。*伝えて習わざるか(習わざるを伝うるか)。」
(学而第1ー4)
《大意》
曾先生がおっしゃいました。「私は、毎日何度もわが身について反省します。人のために考え計って、真心を持って出来なかったのではないだろうか。友達と交際して、誠実でなかったのではないだろうか。(先生から)伝えられたことをよく習熟しなかったのではないだろうか。(あるいは、よく習熟しないことを人に教えたのではないか。)と反省してみます。」
※ 吾日三省吾身 : 「三省」
(1) みたび吾が身を省みる
( 三=たびたびの意/二たびではダメですか・四たびではダメですか!)
(2) 以下の三つのことについて反省するの意 〔新注〕
・ 「省」 (1)かえりみる、反省する (2)はぶく (かえりみることによって、よくはぶける)
cf. 政治も教育も、「省く」ことが大切です。 が、現状は、「冗」・「擾〔じょう〕」。 陽(分散、駁雑〔ばくざつ〕)ばかりで、陰(統合、収斂〔しゅうれん〕)がなく、偏倚駁雑〔かたよりごたまぜ〕です。
注) ‘09.9 時事 : 従来は“動き出したら止まらない公共事業” → 民主党(前原国土交通相)は、143ヶ所のダム建設の(中止)見直し
ex. 文部科学省などの「省」、「三省堂」の由来
※ 「伝不習乎」 :
(1)伝え(られ)て習わざるか/伝わりて習わざるか〔新注〕
→ 伝えられたこと(聖人のおしえ)を、おさらいもしないでいるかの意
cf. ( 王 陽明 の『伝習録』はこちらを採っています )
(2)習わざるを伝うるか → よく習熟(おさらい)もしないことを、
(受け売りで)人に教えたのではないか〔古注〕
■ 本学 【漢文訓読の基本 ― 2 】
§.訓点のおさらい・注意点と演習/重要語彙の充実 ・・・以下抜粋
● 返り点
○ 「レ 点」 ・・・ すぐ下の一字から、上の一字に返って読む時
○ 「一・二点」 ・・・ 2字以上を隔てて、下から上に返って読む時(三・四・・点もあり)
○ 「上(・中)・下点」 ・・・ 一・二点のついた句を中にはさんで、返って読む時
○ 「一とレ・上とレの組み合わせの点」 ・・・ レ点ですぐ上の1字に返って、
更に2字以上を隔てて返って読む時
注1) 上(・中)・下 点 → さらに「甲・乙・丙 点」 → さらに「天・地・人 点」
注2) 「レ点」は「一・上・甲 点」とは併用できますが、「二・下・乙 点」などとは併用できません
注3) 熟語は「−(ハイフン)」で示す ex.「所―以〔ゆえん〕」・「教育ス」
※ ただし、実際には「−」がない場合も多いので要注意です!
→ 1字目と2字目の間(ハイフンの左側)に返り点をつけます
◆ 注意すべき漢字の読みと意味
・ 幾何 : いくばく − どのくらいか
・ 所謂 : いはゆる − いわゆる
・ 以為 : おもへ ラク − 思うことには
・ 所以 : ゆえん − 理由
・ 就中 : なかんづく − とりわけ・ことに
・ 於レ是 : ここニ おイテ − そこで・こうして
・ 是以 : ここヲ もつテ − そういうわけで
・ 以レ是 : これヲ もつテ − このような方法で・このことによって
・ 若/而/汝/女 : なんぢ − そなた・おまえ(二人称の代名詞)
※ 以下の語、おどり字がなくても重ねて読みますので要注意です!
・ 益 − ますます(益々) ・夫 − それぞれ(夫々)
・ 数 − しばしば(屡) ・各 − おのおの(各々)
・ 偶 − たまたま(偶々) ・看 − みすみす(見す見す)
・ 愈 − いよいよ(愈々) ・抑 − そもそも
◆ 和漢異義語 (※読みは現代かなづかいにいよる)
◇ 遠慮 : 漢)エンリョ ― 遠い将来まで見据えた深い考え(を巡らすこと)。
和)えんりょ − 物事を控えめにすること。
◇ 稽古 : 漢)ケイコ ― 昔のことを考え調べること。学問・学習。
和)けいこ − 武術・技芸などを習うこと。
◇ 故人 : 漢)コジン − 昔なじみ、旧友。 同)故知・故旧。
和)こじん − 死んだ人。
◇ 人間 : 漢)ジンカン − 人の世・世間・俗世間。 cf.「人間到る処、青山あり。」
和)にんげん − 人・人類。
◇ 大人 : 漢)タイジン − 徳のある優れた人。年長者に対する敬称。
cf. 聖人 ― 君子 ― 大人 − 小人 − (愚人)
和)おとな − 成長した人。
◇ 小人 : 漢)ショウジン − 1)徳のないつまらないひと。 2)身分の低い人。
和)しょうにん/こども − 1)子供。 2)背の低い人。
◇ 多少 : 漢)タショウ − 1)多いと少ない。 2)多い(少は助字)。 3)どれほど。
cf.「 花 落 知 多 少 」(「春暁」)
和)たしょう − 少し・幾らか。
◇ 百姓 : 漢)ヒャクセイ − 庶民・庶人・一般民衆。多くの人民。
和)ひゃくしょう − 農夫・農民。農耕に携わる人。
◇ 迷惑 : 漢)メイワク − 1)道に迷う。 2)心が乱れる。
和)めいわく − 厄介で困ること。面倒なこと。
◇ 包丁 : 漢)ホウテイ − 昔の有名な料理人の名前。料理人。 cf.『荘子』
和)ほうちょう − 料理用の刃物。
◇ 経済 : 漢)ケイザイ − 世を治め人民を救う。「 経世済民」の略。
cf.Political Economy の訳 (by福沢諭吉)
和)けいざい − 生活に必要な財貨の生産、分配、消費。
◇ 漸 : 漢)ヨウヤク ― しだいに。「ゼン」は順序、次第。 cf.易卦「風山漸」
和)ようやく − やっと・しだいに。
◇ 大丈夫 : 漢)ダイジョウフ − 一人前の立派な男子。 cf.女丈夫
和)だいじょうぶ − たしかで、危なげがなく安心できる様。
■ 易経 ( by 『易経』事始 Vol.2 ) & ( by 「十翼」 )
§.易の思想的基盤・背景 (東洋源流思想) 【 ―(4) 】
C. 陰陽相対〔相待〕論(陰陽二元論)
続きは、次の記事(後編)をご覧下さい。
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