「洗心」 と 「新」
   ───  洗心/知非/ “転石、苔を生ぜず”/「新」の元字/
日新・維新/止揚〔Aufheben:中す〕  ─── 


《 はじめに 》

 「洗心」〔心を洗う〕 ── いい言葉だと思います。
『易経』に由来します。(※後述) 

禅宗でも、よく用いられている言葉のように思います。
年の初めや人生の節目〔ふしめ〕に、気分を「新」〔あらた/リフレッシュ〕にするのに
似つかわしい言葉ですね。

 さて、(大阪に)“洗心講座”という学道の講座があります。
聞説〔きくならく〕、この講座は、碩学・故安岡正篤先生、遡れば古の聖賢に源を発し、
(安岡先生の高弟)伊與田覺先生が開設されて半世紀余りになります。(‘10.3現在 604回) 

まことに、易卦「雷風恒〔らいふうこう〕」の徳の偉大さと美です。
その「不易」は、まさに「知者は楽しみ、仁者は寿〔いのちなが〕し」
(『論語』・擁也第6−23)かと思います。 

 私は、「知命」・「知非」の年に安岡先生の著書と邂逅〔かいこう〕し、
書中の「キョ伯玉 行年五十にして四十九の非を知り、六十にして六十化す。」 ※補注) 
の文言に導かれるような機妙を感じながら、この講座を受講させていただきました。

ですから、もう 5年ほどになります。
月1回の半日集中講座で、古典・経書を中心に講じられています。
(‘10.3現在 「荀子」・「論語」・「詩経」・「中庸」) 

伊與田先生(95歳)はじめ 4人の碩学からの感化を受けながら、
貴重な自分自身のインプットをいたしております。

 この“洗心講座”、昨年11月に600回を数え、600回記念誌・『洗心』が発刊されました。

この記念誌に、私と私の門下生も投稿・掲載して頂きましたので、
今回その原稿の一部を交えて、「洗心」と「新」について述べてみたいと思います。

※ 補注)
“キョ伯玉”は、『論語』にも登場いたしますが、
孔子が尊敬してやまなかった衛〔えい〕の国の賢大夫です。
その名言が、これです。『淮南子〔えなんじ〕』という書物に書いてあります。
この本は、春秋戦国時代から漢代にかけての話をまとめた百科全書のような本です。

その意味は、(平均寿命50歳もない時代にあって)今までの49年の人生を全面否定して、
平たく私流に言えば50歳で“人生をリセット”した、ということです。
なかなか出来ないことではありませんか。

そして、リフレッシュして自己改造し進歩向上させ、
60になった時には60になっただけ進歩発展し、自己進化を遂げたという意味です。

現在高齢社会が進展し、我国の平均寿命も80歳を超えようとしています。
私達も、節目〔ふしめ〕節目に“人生をリセット”して、
“70にして70化す”、 “80にして80化す”、 “90にして90化す” ・・・ 
とありたいものです。

 

《 「洗心」に想いをよせて 》

 「顔(/面〔つら〕)を洗って出直せ!」という俗表現がありますが、
“心を洗って出直せ”と言いたくなるような時勢です。

顔の汚れは丁寧に洗い化粧しても、心の汚れには気をとめず、
徳は失くしても、いっかな探す気のない風潮です。

私は、これを“蒙(心の蒙〔くら〕い)の時代”と名付けました。
(真儒協会HP.儒学年表参照) 

21世紀初頭(‘10年)の我国は、“兆し・幾”を読み取れば、着実に
「未来に向かって足早に後ずさりしている」、徳が彷徨〔さまよ〕っている現状です

 さて、愚息が通う中学校(大阪市内)の校長室に「洗心」と書かれた軸が掛けられていました。

私は、乞われて(1年任期の)PTA副会長を2年間務めた関係で、
毎月一回以上はこの書語をかみしめました。

洗心講座でも、(毎月書き換えられる)能筆の案内書看板を観ておりますので、
「洗心」の2文字の言霊・書霊が脳裏に焼き付けられているような次第です。

 「洗心」の語は、『易経』(繋辞上伝・11章)の 「聖人以此洗心。退蔵於密。」
(聖人は此れを以て心を洗い、密に退蔵す)に由来します。

心の汚れを洗うこと、“克己”、“みそぎ〔禊〕”です。

大阪では、陽明学者の大塩中斎(平八郎)が、その私塾や著書の名称に
“洗心洞”を用いたことでも良く知られています。

実際、私なりに『易経』に学び、『論語』に学んでおりますと、
心が洗われるような想いがいたします。

 『易経』 “The Book of Changes” は、変化とその対応の学です。

東洋の源流思想であり儒学経書五経の筆頭、帝王(リーダー)の学です。

四書筆頭、「東洋のバイブル」が『論語』なら、
『易経』は“東洋の奇(跡)書”と呼びたく思っております。

 一昨年の我国の世相を表す漢字一字は、「」でした。
“We can change.”〔変革〕、を唱えたオバマ新大統領を誕生させたアメリカも、
北京オリンピック開催で世界のひのき舞台に上がった中国もまた然りです。

変化・無常は世の常、易にいう「変易」です。

私達は、その変化に善〔よ〕く対応してゆかなければなりません。
日新」・「維新」・「革新」であり、そして「化成」です

 転石、苔〔こけ〕を生ぜず。」
“A rolling stone gathers no moss.”
ということわざがありますが、
英・米でその意味が異なります。

 英流。本来イギリスのことわざです。
苔を良いものと考え(石の上にも三年で)、腰を落ち着けていなければ苔も生えない、との意味です。

英は静止社会で、転職も軽々しくはするなということです。

 米流。イギリスが植民してつくったアメリカでは意味が逆転します。

アメリカは、動的社会。苔を悪いものと考え「流れぬ水は、腐る」で、
いつもリフレシュ、転職するのは力のあるエリート(ヘッドハンティング)ということです。

私には、この英・米それぞれの解釈の違いが、
易では「変易・不易」と統合されているように感じています

 

《 「新」 の深意 》

 そして、昨年の世相を表す漢字一字が、「」でした。

1月にアメリカでは、民主党の史上初の黒人大統領オバマ氏の政権が誕生しましたが、
我国でも 8月(自民党から)民主党への政権交代が実現し、鳩山内閣が誕生いたしました。

この「新」なる大変化は、大きな期待(高支持率)をもって歓迎されました。

このおなじみの「新」について、考察してみたいと思います。

 ところで、“朝日新聞”(と産経新聞)の「新」という漢字が書けますか? と、
時に学生に書かせてみるのですが、これが全く正しくは書けません。

 “立”の下は “木”ではなく、ヨコ棒が2本あります。
この旧字が元字(本来の字)です。

“天下の朝日新聞ともあろうものが、新の字を間違えるとはケシカラン!”と文句をいってきて、
“これが本当なのです”と答えられたという笑話のような話を聞きましたが ・・・ 。

それはともかく。

 「新」の字は、“〔しん/かのと〕”+ “木”+ “斤” です。
斤=斧で、木=立ち木を切り、辛=労力を以て加工し、
新たな価値あるもの(道具や家など)を作るというのが原義です。

したがって、“立”の下は横棒 2本でなければなりません。

 ついでに、“シン”で「」〔おや〕も、「へん」は同様で
「つくり」“斤”の代わりに“見”を書いたものです。

子供のいない親は存在しません。
(子供が生まれて「親」となります。cf.子供が親をつくる) 

立ち木は子供です。
その 木=子供 を自分の生活を犠牲にして苦労して育ててゆく、
24時間 目を離さずに見守っている(とりわけ母)親の姿です。

 また、「」の字も元字は「トク(旧字)」で “目(をよこにしたもの)”と“心”の間に
“よこ一” が必要です。

“直”〔十と 目 と L〕 な“心”の意味だからです。

これらは、漢字改訂で、浅薄にも字義も考えず大切な一画を略してしまったということなのでしょう。


 では、この「新」の深意について、『大学』の文言から 2つ紹介しておきましよう。

○「湯の盤の銘に曰わく、苟〔まこと〕に、た、日々に新たに、又日に新たならんと 。」 
  ── “日進月歩”の日進でなく「日新」です。
  商(殷)朝を開いた英王、湯王〔とうおう〕の洗面台に刻まれ戒めとされていた文言です。
  易卦「風山漸〔ふうざんぜん〕」の、漸進の徳といえましょう。

○「詩に曰わく、周は舊〔旧〕邦なりと雖〔いえど〕も、その命〔めい〕、〔こ〕れたなり。」
  (詩=『詩経』・大雅文王篇)
  ── “明治維新”の「維新」の出典です。
  (破壊の)「革命」 (Revolution)ではなく (創造の)「進化」 (Evolution)です。
  “ ○○ 維新”と安易にネーミングしているのを、時折見聞きしますが、
  さて「維新」のこの本義をどこまでご承知なのでしょうか?

 

《 再び「洗心」に想いをよせて 》

 我国の今の時代状況は、易卦に擬〔なぞら〕えると、
私には「地火明夷〔めいい〕」(徳なき時代・君子の道閉ざされ小人はびこる)の卦象のイメージです。

高齢者の社会=「山火賁〔さんかひ〕」の社会、も急速に進展いたしております。

かかる時代の中にあって、我々はなおさらに汚れざるを得ません。
汚れ・ストレス・老い ・・・ といったものをいかにリフレッシュするか、
それが問題です。

 ちなみに、『宇宙英雄ローダン』という西ドイツの SF小説のシリーズがありまして、
若い頃120・30巻まで読みました。

主人公ローダンは、“相対的不死性”を持ち、
60年に1度細胞活性化シャワーを浴びることで永遠に若さを保つ、
という想定です。

“洗身”ですね。実際、我々の体の細胞は新陳代謝によって3ケ月もすれば、
すっかり入れ替わっているといわれています。

また、執筆する作家のほうも、リレー方式で次々交代します。

ですから、このローダンの SF小説シリーズは永遠に続くというわけです。 

── それは、ともかく。

 要するに、身心を充電し、英気を養い、活性化するといった
“リフレッシュ”が大切ということです。

このリフレッシュ、クリーニングの仕方・工夫、次第で人生は善く永いものとなります。
いかに工夫するかということを“人生哲学”というのでしょう。

この、汚れ・ストレス・老い ・・・ といった異質・対立するものを
止揚〔Aufheben:中す〕して統合するという考え方が「中論」です。
易学」です

「洗心」は、“中する”ことに他なりません。
  
 先述のキョ伯玉の文言のように、人生を全面的にリセットできる場合もありましょう。

タタミの表替えですね。

しかし一般の節目〔ふしめ〕には、クリーニングするために良い洗剤が必要でしょう。
それが聖賢の教え、今は“儒学のルネサンス”だと思います。

そうしてクリーニングしてこそ、「山火賁〔ひ〕」卦の徳で、
古いものもワインのような“味わい”が出るというものです。

 そして、単にクリーニングで旧に復するだけではなく、新しい(時代の)要素を加えたいものです。

それが、易卦の「地雷復〔ちらいふく〕」=ルネサンスの本来の意味であり、
『論語』の「温故知新」の深意であるかと思います

 更に、「洗心」・ルネサンスのためには、変化のなかにあってこそ、
変わらぬもの「一〔いつ〕なるもの」の価値を重視せねばなりません。

“松に古今の色なし”、孔子一貫の道であります。

それは、人間の「徳」であり、徳が形を成した「美」に他なりません

とりわけ、リーダー〔指導者〕たらんとする者は、
潤徳の修養とその教化・感化に努めねばなりません。

 ヘーゲルの名言に、
ここがロドスだ。ここで跳べ!(今、この場所と歴史文化が自分に最上のもの)」
とあります。

結びにあたり、現今〔いま〕私は、改めてこの文言をかみしめつつ 「洗心」し、
真儒協会の“照隅啓蒙 ── もっと光を”の活動に邁進してゆくことを思い想っています。


以 上 


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