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孝経  ( 事君章 第17 )

 §.事君章(君に事〔つか〕うるの章)は、これまでが専ら上に立つ者の心得が説かれているのに対して、臣下としてのあるべき心得を説いています。第1章の「夫〔そ〕れ孝は、親に事うるに始まり、
君に事うるに中し、身を立つるに終わる。」に基づいています。

“子曰く、「※君子の上〔かみ〕に事〔つか〕うるや、進んでは忠を尽くさんことを思い、退いては過〔あやまち〕を補わんことを思う。 |その美を将順〔しょうじゅん〕し、その悪を匡救〔きょうきゅう〕す。故に上下能く相親しむなり。 |詩に云う、『※心に愛す。 遐〔なん〕ぞ謂〔つげ/いわ〕ざらん。中心之を蔵〔ぞう/よみ〕す。何〔いず〕れの日か之を忘れん』と。”

《大意》
孔先生がおっしゃいました。「智徳兼備(あるいは高位高官)の君子が、主君にお仕えするにあたっては、(役所に)登庁してはベストにまごころを尽くして仕えることを心に思えよ。退庁して一人になってからも、如何にすれば主君の過失欠点を補うことができるかに思いを巡らせよ。(四六時中、主君よかれしの事を思い考えよ。) | 主君の長所美点が大いに発揮できるように助け、それに従うようにせよ。主君に短所欠点があれば、それを正しその過ちを補い救うようにせよ。このようにしてこそ、主君と臣下との間は相互に親しむようになるのだ。 | 『詩経』 (小雅・隰桑〔しつそう〕之篇)にもあるではないか。『ほんとうに心の底から主君(相手)を敬愛しているのなら、どうして申し上げずに(諫めないで)居られましょうか。また、心の中に主君を思うまごころがあるのだから、いついかなる場合でも忘れることはないのです』 と。」


 ※「君子」: 君子には、概ね次の3つの意味があります。
        1)智徳が立派に身に付いた人 (知徳兼備の教養人)        
        2)そのような人物になろうと(学問修養に)志して努力している人
        3)高い地位にある人           ・・・ほか 為政者の意
     ここの場合、1)の智徳兼備の教養人 か 3)高位高官をさすと思われます。

 cf.君子 ←→ 小人〔しょうじん〕(徳の無い者、地位の低い者。君子の対義語の位置付けです。
  なお、東洋思想では 聖人 ー 君子 − 大人〔たいじん〕 − 小人 − 愚人 と
  類型立てています。

 ※「心平愛矣」: 
   1)“愛を心にす”とも読めますが、 2)「心」の字義を強めるために、
   倒置法の形を取ったと考えられます。“心に愛す”。

 ※「遐不謂矣」: 
   「遐」〔なんぞ/いずくんぞ〕は、 1)「何」の字と同音で古くは相通じていました。
   この場合「謂」は「告ぐ」の意。 2)「遐」を「遠」と解釈する立場では、
   「謂」は〔い〕うで “(退官して主君と離れても)遠しと謂わず” の意。
 

論語  ( 孔子の弟子たち ―― 子 路 〔3〕 )

6) 孔子に愛された子路 ―― 『孔子家語』にみられる子路の別の一面

○ 子路、孔子に見〔まみ〕えて曰く、「“重きを負ひて遠きを渉〔わた〕るときは、地を択ばずして休み、家貧しくして親老ゆるときは、禄を択ばずして仕ふ”と。昔者〔むかし〕、由や二親に事〔つか〕へし時、常に藜カク〔れいかく〕の実を食らひ、親の為に米を百里の外に負へり。 
親没して後、南のかた楚に遊ぶとき、従車百乗、積粟万鐘〔せきぞくばんしょう〕、シトネ〔しとね〕を累〔かさ〕ねて坐し、鼎〔かなえ〕を列ねて食らふ。藜カクを食らひて、親の為に米を負はんことを願ひ欲すれども、復た得べからざるなり。枯魚索〔なわ〕を銜〔ふく〕むとも、幾何〔いくばく〕か蠹〔と〕せざらんや。二親の寿、忽〔こつ〕として隙〔げき〕を過ぐるが若し」 と。
孔子曰く、「由や親に事ふるに、生事には力を尽くし、死事には思ひを尽くす者と謂ふべきなり」 と。

《大意》
 子路が孔先生にお目にかかって言いました。「(ことわざにもありますように)“重い荷物を背負って遠くへ行く時には、その場所を選ばずに休憩しますし、家が貧しくて親が年老いているときには、禄高をえり好みしないで仕官するものだ”といいます。以前、私が両親に仕えていた時は、(仕官できず貧しかったので)いつも、あかざと豆の粗食で暮らしていましたが、両親のためには米を100里も離れた遠い所から背負って来たものでした。
親が亡くなった後、南方の楚に行きました。そして、車100台を従え、貯えた穀物(扶持米〔ふちまい〕)は量りきれないない程で、敷物を何枚も重ねて座り、鼎(=ナベ)を並べて食事をするという豪華な暮らしぶりでした。(その時になって)粗末な食事をして、親のために遠く米を運んでいきたいと願っても、二度とできるものではありませんでした。 (ことわざにもありますように)魚の干物は、縄でぶら下げていてもいつの間にか腐ってしまう(久しく保つことは難しい)のです。両親の寿命は、走り過ぎる馬を戸の隙間から垣間見るように、あっという間に尽きてしまいました。」 と。
そこで孔先生は、「由よ、おまえは親に仕えるにあたって、存命中には出来る限りのことをして仕え、亡くなってからも哀慕の想いを尽くして仕えた者といえるね。」とおっしゃいました。
 (『新釈漢文大系・孔子家語』・巻第2 観思第8/明治書院 参照・部分引用)  

「白駒 隙を過ぐ」 =光陰矢の如し(時間や人生がたちまちのうちに過ぎること)

※子路の情味ある一面と、その孝心の篤さをたたえる孔子の想いが表れている一節です。私も、幼少のみぎり母から、「親孝行 したいときには(したい時分に) 親はなし」(他“いつまでも あると思うな 親とカネ”) の言葉を教えられました。馬齢を重ねて今、忸怩〔じくじ〕たるものがあります。
因〔ちな〕みに、高齢社会・当世気質〔かたぎ〕でこの川柳をもじって 「親孝行 したくないのに 親がいる」 との話を語られた上人〔しょうにん〕の講演を記憶しています。

研究

 私は、子路の人間像(と孔子の人間像)を『論語』そのものより、中島 敦の文学を通じて知りました。それは、中学時代にまで遡ります。青少年期の鮮烈な印象は、長じてなお忘れず、否むしろベースとなっているように思います。最後に、『弟子』 の冒頭と終わりの部分の一部を引用して結びたいと思います。

・・・・・・・  中島 敦 『弟子』 (旺文社文庫 引用)  ・・・・・・・

 魯の卞〔べん〕の遊侠の徒、仲由、字〔あざな〕は子路という者が、近ごろ賢者の噂も高い学匠・陬人〔すうひと〕孔丘を辱めてくれようものと思い立った。似而非〔えせ〕賢者何ほどのことやあらんと、蓬頭突鬢〔ほうとうとつびん〕・垂冠・短後〔たんこう〕の衣という服装〔いでたち〕で、左手に雄ケイ〔=鶏 けい/にわとり〕右手に牡豚を引っさげ、勢い猛に、孔丘が家を指して出かける。ケイを揺すり豚を奮い、かまびすしい脣吻〔しんぷん〕の音をもって、儒家の絃歌講誦の声を擾〔みだ〕そうというのである。          ・・・・・  中 略  ・・・・・          顔を赧〔あか〕らめ、しばらく孔子の前に突っ立ったまま何か考えている様子だったが、急にケイと豚とをほうり出し、頭をたれて、「謹んで教えを受けん」と降参した。単に言葉に窮したためではない。実は、室に入って孔子の容〔すがた〕を見、その最初の一言を聞いた時、ただちにケイ豚の場違いであることを感じ、己とあまりにも懸絶した相手の大きさに圧倒されていたのである。 ※高根 注)
 即日、子路は師弟の礼をとって孔子の門にはいった。

                 ――― 中 略 ―――

 子路は二人を相手に激しく斬り結ぶ。往年の勇者子路も、しかし、年には勝てぬ。しだいに疲労が加わり、呼吸が乱れる。子路の旗色の悪いのを見た群衆は、この時ようやく旗幟〔きし〕を明らかにした。罵声が子路に向かて飛び、無数の石や棒が子路の身体に当たった。敵の戟〔ほこ〕の先端〔さき〕が頬をかすめた。纓〔えい〕(冠の紐)が断〔き〕れて、冠が落ちかかる。左手でそれを支えようとしいたとたんに、もう一人の敵の剣が肩先に喰い込む。血が迸〔ほとばし〕り、子路は倒れ、冠が落ちる。倒れながら、子路は手を伸ばして冠を拾い、正しく頭に着けて素早く纓を結んだ。敵の刃の下で、まっ赤に血を浴びた子路が、最後の力を絞って絶叫する。
 「見よ! 君子は、冠を、正しゅうして、死ぬものだぞ!」

 全身膾〔なます〕のごとくに切り刻まれて、子路は死んだ。

 魯にあってはるかに衛の政変を聞いた孔子は即座に、「柴〔さい〕(子羔〔しこう〕)や、それ帰らん。由や死なん」と言った。はたしてその言のごとくなったことを知った時、老聖人は佇立〔ちょりつ〕瞑目することしばし、やがて潸然〔さんぜん〕として涙下った。子路の屍〔しかばね〕が 醢〔ししびしお〕※注) にされたと聞くや、家中の塩漬類をことごとく捨てさせ、爾後、塩はいっさい食膳に上さなかったということである。 

※原文注) 「ししびしお」は、肉などを塩づけにして製するもの。
         ここでは、人体を塩づけにする刑。

※高根・解説 注) 冒頭部:子路は会う前、孔子を「似而非〔えせ〕賢者何ほどのことやあらん」、と思っています。子路の案に相違して、孔子は青白いインテリではなく、堂々たる体格で(2m以上あったとも言われています)、腕っぷしも強く、剣の達人でもあります。
終わり部:刺客に切られた冠の紐を結び直して、“君子らしく” 死ぬシーン。これは、『春秋左氏伝』に 子路は「君子は死すとも冠を免〔ぬ〕がず」と言って死んだ、との記述が実在します。

                                         ( 子路 完 )

本学    【 干支・九性の知識 】

1) 運命学全般の諸概念を、私の長年の工夫・見解も加えて、一覧にまとめております。 諸事に、ご参照下さい。

運命学関連概念一覧

【 運命学関連概念一覧 】

● たかね易学研究所

2)今年の“干支・九性”について、【儒灯】・「謹賀庚寅年」の中に、ごあいさつも交えてまとめております。その当該部分を教材資料に用いて講義いたしました。 ――以下抜粋のとうり。


 

《 はじめに ・・・ 干支について 》

 明けて平成22年(2010)。 新年を皆様と迎えますこと、大慶でございます。

 今年の干支〔えと/かんし〕は、(トラではなく)「庚・寅〔かのえ・とら/こう・いん〕です。
干支は、十干〔じっかん〕(天干)と十二支(地支)です。
この、10 と 12 の組み合わせで、60 干支〔かんし〕の暦を作っていました。

 そして、十二支「寅」は、動物の「虎」とは専門的には直接関係ありません。
が、動物のイメージ・連想は、人口に膾炙〔かいしゃ〕しています。
干支を「今年のエトは、トラで ・・・ 」とメディアが薄々軽々と報じているところです。

また、干支は旧暦(太陰太陽暦:我国で明治維新期まで用いられました)
ですから、年始は 2月4日(立春)からで、2月3日(節分)までは、まだ「己・丑〔つちのと・うし/き(こ)・ちゅう〕です。

これらを確認した上で、今者〔いま〕の慣行に合わせて、一足先に「庚・寅」年のお話をしておきたいと思います。


《 庚・寅&八白土性の深意 》

 さて、今年の干支「庚・寅」には、どのような深意があり、どのように方向づけるとよいのでしょうか。

 「庚〔かのえ=金の兄/こう〕」には、おおよそ 1)継承・継続 2)償う 3)更新・奮起 の
3つの意味があります。
つまり、前年からのものを継続して、罪・汚れを払い清めて償うと共に、更新していくということです。

革命〔revolution〕に持ってい行かずに 進化〔evolution〕に持っていくということです。

 「寅〔とら/いん〕」。
字の真ん中は、手を合わせる・手を差し伸べる・協力することを表し、
下の“ハ”は人を象〔かたど〕っています。

つまり、志を同じくするものが手を取り合って助け合うの意です。
そこから、「同寅(=同僚)」、「寅亮(=助け合う)」、「寅清(=助け合って旧来の妨害・惰性などを排除してゆく)」といった熟語もあります。

 この2つを合してまとめると、前年のことを継承して一致協力、創造的に更新進展させる、といった意味になるかと思います。 

※(以上は、安岡正篤氏干支学によりました。
  『干支新話(安岡正篤先生講録)』・関西師友協会刊 参照)

 また、九性(星)気学で今年は、「八白〔はっぱく〕土性」にあたります。

これは、変化・改革・蓄積・相続・ストップ〔中止・停滞〕といった複雑な意味合いを持っています。

表面上安定した、遅滞・停滞した社会的ムードの中で、実直で辛抱強い対応が望まれます。
(国内外で)“政治(家)”が話題となり、経済(不況)の打開が図られる年と思われます。


《 干支・九性の易学的考察/「无妄」卦 》

 次に(やや専門的になりますが)、今年の干支・九性を易の64卦になおして(翻訳して)解釈・検討してみたいと思います。

 昨年の干支、己・丑は「坤為地〔こんいち〕」。(‘09.3月“儒灯”参照のこと) 
今年の庚・寅は、「天雷无妄〔てんらいむぼう/むもう〕」卦となります。

(以下、高根 「『易経』64卦奥義・要説版」/第15回 定例講習‘易経’No.25参照のこと)

 「无妄」卦は、精神性3卦の1つで、「无」=「無」で 妄〔みだ〕り無いの意、うそ・いつわりのないことです。

至誠、“無為自然”(老荘)の精神、“自然の運行”、神意に逆らえば天罰てきめん、“随神〔かんながら〕の道”(神道〔しんとう〕)といった意味です。

 「亨以、天之命也。(大いに亨りて以て正しきは、天の命なればなり」(彖伝) とあり、元号「大正」の出典ともなっています。

 象〔しょう/かたち〕でみてみますと、上卦 乾天の下に震雷で落雷の象。
「天地否〔てんちひ〕」(天地交流せず八方塞がり = 現代日本の閉塞〔へいそく〕感?)の初爻に外から1つの陽(剛健・明るく活動的なもの)が来て「无妄」となったと見ることが出来ます。

 一例を政界の動きに求めてみますと。昨年8月、「坤」・陰の閉塞感を破って、歴史的政権交代が実現し、民主党・鳩山内閣による政治がスタ−トしました。

高い支持率、世論の期待を担っての華々〔はなばな〕しいスタートです。
今年はその本格的展開(“正念場”?)で、政権の真価が問われる年です。
が、発足語3ヶ月余を経て、現今〔いま〕1月早々と、支持率は40%台に低下しています。

「无妄」卦の深意に学び慮〔おもんばか〕り、天意(民意?)逆らって天罰てきめんとならぬように、と、もし私がブレーンであれば説くところです。

為政者(指導者・リーダー)の立場にある皆さまのために、「无妄」卦・大象の引用解説を付け加えておきます。
   
○ 大象伝 ;
「天の下に雷行き、物与〔みな〕无妄なり(物ごとに无妄を与〔あた〕う)。先王以て茂〔さか〕んに時に対し万物を育う。」
(乾天の下に震雷が進み行く象が、无妄です。
つまり、天の健全な運行に従って、万物は生まれ生長・発展してゆくのです。
世界のあらゆるものが、この自然の法則・原理に従って運行しているのです。
古のよき王は、このことに鑑み、“天の時”に従い対応して、
しっかりと成すべきことを成し、万物万民の育成に努めたのです
。)


 そして、今年の九性・「八白土性」を易学の八卦〔はっか/はっけ〕でいうと、
「艮〔ごん〕」であり「土〔ど〕」です。
64卦(重卦)では、「艮為山〔ごんいざん〕」が相当します。

 「艮」は、山・荒野の象〔しょう/かたち〕です。 
艮は止なり」(説卦伝)とありますように、止はストップ・畜止(たくわえ動かないこと)・停止・休止の意味です。

八卦「震」の逆で退く・遅れる・滞るの意味です。
また風水方位でいう“鬼門〔きもん/=気門・生門で陰陽の気の交替のときで元気・生気すべての気が生じます〕”( =丑寅〔うしとら〕)です。

 『論語』(擁也第6)に「仁者は山を楽しむ」、『大学』(第1段・1)に「至善に止まる/止する」とあります。

泰山・富士山のように、どっしりと落ち着きたいものです。

易経  ( 立筮演習 ) & ( 年頭筮の解説 )

1) 年頭にあたり、“ことはじめ”として、全員(10名)で一斉に立筮いたしました。筮竹または8面サイによる略筮で、易的(占的)は形式的なものとして「明日の天気?」といたしました。
得卦は、2人の同卦(爻は違います)を除いて皆異なりました。が、その判断(天候の如何=雨)はほとんど同じでした。実際、(同一地域の)明日の天気が人によって異なればおかしいということになります。 これを“異卦同占”といい易筮解釈の妙の一つです。易筮解釈は、要は、その得卦をいかに自分が解釈・判断し活かしてゆくかが大切なのです

2) 昨年末宿題にしておきました、恒例の年筮(卦と解釈)の発表と検討解説をいたしました。昨年は、筮法として略筮法一辺倒でしたが、学習が進み、今年は中筮法によるものがほとんどでした。一般に、是非の判断のように“YES−NO”の明確なものには略筮法が、内容を深くいろいろな角度から検討するものには中筮法が適しているといえます。



続きは、次の記事(後編)をご覧下さい




                                         

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