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※「孝経」講座終了に伴い、今年度より、「論語」・「老子」・「本学」・「易経」となります。

論語  ( 孔子の弟子たち ―― 子 貢 〔3〕 )

1) 大器量人子貢 ・・・・ “女〔なんじ〕は器なり”、君子とは? 君子

○ “子貢、問うて曰く、「賜〔し〕や何如〔いかん〕。」子曰く、「女〔なんじ〕は器なり。」 曰く、「何の器ぞや。」 曰く、「瑚レン〔これん〕なり。」” (公冶長第5−4)

《大意》
 子貢が、「賜(この私)は、いかなる人物でございましょうか。」とお尋ねしました。孔先生は、「お前は、器物だ。」とおっしゃいました。子貢は、「それでは、一体どのような器物でございましょうか。」と(重ねて)お尋ねしました。孔先生は、「瑚レンだね。」とおっしゃいました。

 ※何如(=何若・何奈)は、“いかん”と読み“どうなるか”・“どんなか(状態を表す)”の意。 如何(=若何・奈何)は、“いかん(せん)”と読み“どうしましょうか”の意。

 ※「女器也」「何器也」:孔子は、子貢の材は用に適する(有用)ものなので、“器〔うつわ〕”と言いました。器には、器物としての限界があります。「君子不器」を、おそらく子貢は知っていると思います。それで、少々不満で、「どのような器物でございましょうか?」と重ねてお尋ねしたわけでしょう。 ―― 子貢、大才・大材なれど君子には及ばぬということです!

 ※「瑚レン也」:瑚レン(夏代に瑚、殷代にレンといい、周代にはホキ〔ほき〕といいます)は、宗廟〔おたまや〕のお供えを盛る貴重で美しいもの。 ―― 子貢は、君子には達していないが、器の中で最高に貴いものであろうかということです! (孔子は、少々子貢に気を使ってタテテいるのかもしれませんね?)


 ○ “子曰く、「君子は器ならず。」 ”  (為政第2−12)

《大意》
  孔先生がおっしゃるには、「君子は、器物のように用途が限定されて他に通用しないようなものではないよ。」

 ※君子は、一芸一能に止まらず、窮まることなく何事にも応じることができる人です。


 ○ “子貢、君子を問う。子曰く、「先〔ま〕ず其の言を行い、而〔しか〕して後にこれに従う。」 ”  (為政第2−13)

《大意》
  子貢が、君子とはどのようなものかお尋ねしました。孔先生がおっしゃるには、「まず、言わんとすることを実行して、行ってから後にものを言うものである。」

 ※子貢は、言語の科で知られるように弁才の人です。時に、言行不一致、口達者のきらいがあるのを含んでたしなめた孔子の言葉でしょう。 「君子は、言に訥〔とつ〕にして、行に敏ならんと欲す。」(里仁第4−24) ともあります。
  “不言実行”・“雄弁は銀、沈黙は金”という古諺〔こげん〕がありますね。また、“黙養”という修行もあります。騒がしく口うるさいのを感じる時世です。口舌の徒多い時勢です。 ――想いますに、男子はもの(口)静かなのが善いと思います。

 ◎ “君子は器〔き〕を身に蔵し、時を待ちて動く” (『易経』)


◆ 孔子は、君子というものは用途の決まった器物のようなものでなく、器物を使う働きのある人であると言っています。東洋思想にいう君子は、徳を修めた者で、小人は技芸を修めた者という意味です。(後述・小考参照)

cf.「大器晩成」 (『老子』): 大きな器は、作るのに時間がかかる → 大人物は速成できない
 *「大器免成」 : 大いなる器は、完成しない → 大人物には到達点がない
 (『易経』・・・未済は、未完成。 64卦 最終の卦=人生に完成はない、 
 無終の道=循環・無始無終。「終始」 = 終りて始まる、という悠なる易学の循環の理。 )


※ 高根小考

  「君子」 ――  “クンシ”は、専ら男性に用いられます。“聖人君子”と四字熟語で用いたりもします。私が思いますに、現代に近い人間像で平たく擬〔なぞら〕えれば、英国におけるジェントルマン〔gentleman: 伸士〕、日本における武士〔ぶし/もののふ〕像が近いかと思います
 君子は、東洋思想においての理想的人間像、理想的リーダー〔指導者・為政者〕像として、要〔かなめ/モメント〕の概念だと思います。西洋思想においては、(古代)ギリシアの理想的指導者像、“哲人”・“哲人政治”が相当するかと思います。今世〔いま〕は、男女同権ですので、女性も含めての君子像・指導者像を創ってゆかなければなりません。

cf.理想的人間像 : 古代ギリシア → (智・徳・体)調和のとれた人、「調和の美」 / ルネサンス → 普遍的人間・万能人 / 現代 → スペシャリスト〔専門家・一芸一能〕


《 東洋の人物五類型 》 → 《 聖人―君子―(大人)―小人―愚人 》

※ “人が良い・お人よし(御人好)” と“良い人”は意味が違います。知恵はないが人が良いのはいいものです。(善良にすぎる、好人物)  cf.「天雷无妄」卦

※ 聖人―君子―(大人)― 〔素人―〕 小人―愚人 で聖人は才徳兼備・完備、愚人は才徳兼亡・兼無。君子―小人は共に才あり、その才(才の用い方)に善し悪しがある、徳が相対的に勝っているか劣っているか、と考えています。(現実的に聖人はいません。)
私は、才は無いが徳はあるという人物を、“素人・朴訥〔ぼくとつ〕人”とでも名付けて君子・小人の間に類型してはどうかと考えています。



老子 【1】

§.プロローグ : 序 ―― 「諸子百家」の中の 道家(老荘)と儒家

 皮肉なこと逆説的なことですが、洋の東西を問わず、科学技術も学術文化(思想)も戦争によって、急速かつ飛躍的に創造発展いたします。 兵器の開発、富国強兵のためにです。

古代中国において、なんと 500年 以上にわたり戦乱の時代が続きます。
(BC.770 春秋時代 〜 BC.403 戦国時代 〜 BC.221 秦による全国統一)

この間、“百家繚乱〔りょうらん〕”・“百家争鳴”などという言葉があるように、多くの学術文化が華やかに花開きました。―― 諸子百家」と総称いたします。


 さて、世界の“3〔4〕大聖人”の一人、孔子(BC.551〔552〕〜BC.479)が中国に生まれたのはそんな戦乱の時代、春秋時代の終わりごろです。

インドでは、シャカ族の王子、ゴータマ・シッダールタ〔Gautama Siddhartha  BC.463〜BC.383?/BC.563〜BC.483?〕が、苦行・修養の後、大悟しブッダ (仏陀 Buddha: 覚者)となり仏教の教えを説き始めた頃です。

仏教は、やがて中国に伝わり花開き、朝鮮・日本・・・とアジア全域に決定的な影響を与えていくことになります。


 西洋は、と目を向けてみますと。ローマ帝国による、地中海世界統一よりはるか昔のころ。古代ギリシアのポリス〔都市国家〕がおこり、アテネを中心に古代民主制が華やかに盛期を迎え(BC.5世紀頃)ていました。

ここに、古代ギリシア哲学(= ヨーロッパ学術)の祖 ソクラテス〔Sokrates  BC.469頃〜BC.399〕が歴史の舞台に登場します。

「ソクラテスより賢い者はいない」との信託をうけ、自らは己の無知を自覚し(無知の知)哲学の出発点としました。

「善〔よ〕く生きること」を追求します。

“問答法〔ディアレクティケー〕”により語り、誤解され民衆裁判で死刑になります。
が、その思想哲学は弟子の プラトン〔Platon〕 → アリストテレス〔Aristoteles〕 へと受け継がれギリシア哲学として発展大成し、西洋思想の礎となっていきます。


 なお、ちなみに、「日の出づる処の国」わが国は、まだ“倭〔わ〕”の国とも呼ばれず、邪馬台国よりはるか大昔、縄文の原始時代です。


 以上 3人の聖人が、あたかも何らかの意思が働いたかのように、時をほぼ同じくして世界史上に登場します。

そして、500年ほど遅れて、紀元の頃、イエス・キリスト〔Jesus Christ  BC.4頃〜AD.30頃 〕 が誕生し、(ユダヤ教に対して)世界宗教キリスト教の開祖となります。―― 4大聖人です。


 では、中国・「諸子百家」に再び目を戻しましょう。群雄割拠も7大国に淘汰されます(戦国の七雄)。

「秦」は、法家思想を取り入れ富国強兵策を推し進め、強力な軍事国家を創り上げます。
そして、政(せい:後の始皇帝)が中国統一の偉業を達成します。
しかし、信じ難いことですが、この法家思想にもとづく秦は、わずか15年ほどで崩壊します。


 法家思想の源は儒家思想といえますが、孔子は、平たく今時〔いま〕の言葉でいえば、(あくまで当時は)“負け組”だったのです。

後の漢代(武帝)に、国教(国の教え)となります。儒学は、本質的に、平和・安泰の時代の思想だと思います。


 そして、ここに聖人孔子と並称しても良いような哲人がいます(もし、実在するならですが)。 

老子です。

老子は人物を特定することも、実際いたのかどうかも分かりません。が、少なくとも『老子』という本を著わし道家思想を唱えた人(人々?)がいたことは事実です。

老子を祖とする道家思想(老荘思想)は、以後、儒学と並ぶ中国(東洋) 2大潮流を形成していくこととなります。


 「諸子百家」の思想・教えが、その時代背景からして実践的・実学的であったのに対して、道家思想(老荘思想)は、宇宙論(形而上学)を持つ唯一優れた特異なもの、哲学的に最も優れた思想であった、と私は感じています。


 私は、「諸子百家」の幾数多〔いくあまた〕の哲人・学派の中で、その後世・歴史への影響力という点で、“孔子・儒家”と“老子・道家”が双璧といっても良いと思うのです。
                                            ( 続 く )


諸子百家(百家争鳴)

*(おさらい)

 戦争の時代に科学・学術文化は、大きく発展します。
古代中国、春秋戦国時代(BC.770〜BC.221)に、政治・経済・社会・文化あらゆる分野から思想家・学派が「百花繚乱〔りょうらん〕」のごとくに現れました。

これを諸子百家」〔しょしひゃっか:子は先生、家は学派の意〕と総称します。
華やかに競い合うさまを「百家争鳴」ともいいます。
戦乱の世にあって“離〔り〕=文飾”の時代のエポック〔画期〕となりました。

 諸子百家は、『漢書〔かんじょ〕』・芸文志〔げいもんし〕によれば、
儒家・道家・墨家・兵家・陰陽家・縦横家・名家・農家・雑家・小説家の十家に分類されています。
小説家を除いて 九流とし、それに法家を加えて 十流としています。

 この中で、後世、現代に到るまで多大な影響を与え続け、東洋源流思想の2大潮流を形成するのが、儒家と道家です。


◎ 【儒家】: 周王朝初期の社会を理想、当時は用いられないが後(漢代〜)
中国の国教・正統的思想となります

*孔子・『論語』・、―― 曽子・『孝経』、―― 子思・『中庸』

*孟子・『孟子〔もうじ〕』・仁義・性善説、 *荀子・『荀子』・性悪説
( 後世の展開 ・・・→ 朱子≪朱子学≫、 王 陽明≪陽明学≫ )

◎ 【道家】: “老荘思想”・“黄老の学”として広まった。
儒家と対峙〔たいじ〕、対極にあるともされています。
宇宙の原理である「道」、「無為自然

*老子・『老子』(『老子道徳経』); 「有」と「無」と「道」/「無為にしてなさざるなし」/「小国寡民」/「柔弱謙下〔じゅうじゃくけんか〕」/道(上篇)と徳(下篇)

*荘子・『荘子〔そうじ〕』; 「無用の用」/「逍遥遊〔しょうようゆう〕」/ 「包丁〔ほうてい〕」/「朝三暮四」/「渾沌〔こんとん〕の死」/「蝴蝶〔こちょう〕の夢」/「井の中の蛙〔かわず〕」/「邯鄲の歩 (ものまね)」/「泥の中の亀」/「蝸牛〔かぎゅう〕角上の争い」/「万物斉同」

*列子・『列子』; 「杞憂〔きゆう〕」/「愚公、山を移す」/「知音〔ちいん〕」(友人知己)

◎ 【墨家】: 兼愛・博愛(無差別愛)と倹約を説く、「非攻」(自衛のための戦闘的集団の結成)、「墨守」、 戦国期に儒家と双璧をなしましたが秦の統一とともに消えていきます

*墨子を開祖とする、*告子

◎ 【法家】: 礼や道徳ではなく、君主の法や刑罰によって国を統治しようとする、君主権の絶対と官僚制度の確立を説く、「信賞必罰」
(古くは管仲〔かんちゅう〕に始まり晏嬰〔あんえい〕・)商鞅〔しょうおう〕・李斯〔りし〕 ・・・→ 秦に登用され秦による天下統一に寄与

*韓非・『韓非子』; 「濫吹〔らんすい〕」(実力がないのにその位にいることのたとえ)/「宋襄〔そうじょう〕の仁」(行きすぎた親切心)/「矛〔ほこ〕と盾〔たて〕」(矛盾:つじつまが合わないこと) /「守株〔しゅしゅ・くいぜを守る〕」(待ちぼうけ)

◎ 【兵家】: 兵法(用兵・戦略)を研究、孫子〔孫武/そんぶ〕、呉子〔呉起/ごき〕

*孫武の『孫子』 ・・・ 「彼を知り、己を知れば百戦殆〔あやう〕からず」、
「百戦百勝は善の善なるものにあらず」  →  戦わずして勝つ、 
「常山の蛇」、 “風林火山”  → 「その疾〔はや/と〕きことの如く、その徐〔しず〕かなることの如く、侵掠〔しんりゃく〕することの如く、動かざることの如く、知り難きこと陰の如く、動くこと雷霆〔らいてい〕の如し。」(cf.武田信玄の旗印)

◎ 【陰陽家】: 陰陽五行説(「陰陽」は光と影)・木火土金〔ごん〕水、*鄒衍〔すうえん〕   
cf.西洋「四元素説」

◎ 【縦横家】: 外交術、*蘇秦の「合従〔がっしょう/縦〕」策 と *張儀の「連衡〔れんこう/横〕」策

◎ 【名家】: 論理学・詭弁、*公孫龍・「白馬非馬論」、*恵施(子)

◎ 【農家】: 重農主義、神農を本尊とする、*許行〔きょこう〕

◎ 【雑家】: その他学派

◎ 【小説家】: つまらぬ小話を説く、思想希薄 

 
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