「大器晩成」と「大器免成」
――― 『老子』/「大器晩成」・「大器免成」/易の無終・循環の理/
「後生畏るべし」/推命学の大運(10年運)/「冠帯」・「建禄」・「帝王」 ―――
《 はじめに 》
儒学と老荘(黄老・道家)思想は、東洋思想の二大潮流であり、
その二面性・二属性を形成するものです。
東洋の学問を深めつきつめてゆきますと、行きつくところのものが、“易”と“老子”です。
―― 憧憬〔あこがれ・しょうけい〕の学びの世界です。
私も、50代にして、『論語』・『易経』と『老子』をあわせて講じることに、
教育者としての矜恃〔きょうじ〕を新たにしているところです。
『論語』・『易経』とともに、『老子』の影響力も実に深く広いものがあります。
『老子』もまた、言霊の宝庫なのです。
我々が、日常、身近に親しく使っている格言・文言で『老子』に由来するものは、
ずいぶんとたくさんあります。例えば ・・・。
・大器晩成 (41章)
・和光同塵〔わこうどうじん〕(4章・56章)
・無為自然 (7章)
・道は常に無為にして、而も為さざる無し (37章)
・柔弱謙下〔じゅうじゃく/にゅうじゃく けんか〕の徳 (76章)
・柔よく剛を制す (36章)
・小国寡民 (80章)
・天網恢恢〔てんもうかいかい〕、疏〔そ〕にして失わず〔漏らさず〕(73章)
・千里の行〔こう/たび〕も、足下より始まる (64章)
・知足(たるをしる) / 知止(とどまるをしる) (33章・44章・46章)
・上善若水〔じょうぜんじゃくすい:上善は水のごとし〕 (8章)
・天は長く地は久し (7章) cf.“天長節”・“地久節”の出典
・知る者は言わず、言う者は知らず (56章)
・大道廃〔すた〕れて、仁義あり (18章)
・怨みに報いるに徳を以てす (63章)
・禍〔わざわい〕は福の倚〔よ〕る所、福は禍の伏す所 (58章)
といった具合で、枚挙にいとまがありません。
今回は、お馴染みの「大器晩成」と、
『老子』の新発見により明らかとなった「大器免成」を中心にしながら、
人生の運勢・人間の大成について述べてみたいと思います。
《 「大器晩成」と「大器免成」 》
「大器(ハ) 晩成(ス)」。
国語(現代文、古典ともに)で、しばしば登場する文言です。
四字熟語としても、小学生・中学生のころからお馴染みのものですね。
“大きな器〔うつわ〕は夜できる”という珍訳が有名ですが、
大きな器を作るのには時間がかかるという(それだけの)意です。
そこから敷衍〔ふえん〕して、立派な人物は速成では出来上がらず、
晩年に大成するという意味で用いられます。
即戦力が求められ、レトルト食品なみの速成(即製)人間を作りたがるご時世。
心したい箴言〔しんげん〕ではあります。
ちなみに、私は中学生のころ、国語でこの「大器晩成」の意味を習い知った時、
理科で鉱物の大きくて美しい結晶(宝石)は、
じっくりと永い時間をかけなければ出来ない、
ということと不思議と連関づけて納得しました。
それを、いまだによく記憶しております。
「大器晩成」の出典は、『老子』(『老子道徳経』)です。
先に述べましたように、老子の思想(老荘列子/黄老の思想)は、
孔子の儒学思想(孔孟荀子の思想)と相俟って
東洋思想の二大潮流・源流思想を形成いたします。
『老子』は、『論語』・『易経』とともに、
歴史を通じて現代にまで大きな影響力を与え続けています。
さて、この『老子』に、近年歴史的な新発見があったのです。
(以下、大器免成についてまで、蜂屋邦夫・『図解雑学・老子』に
詳しく説明されている内容です。)
老子という人物は、実は、いたかどうかもはっきりしないのです。
が、少なくとも『老子』と呼ばれている本を書いた人(人々?)は、いたわけです。
時代的には、儒家が活躍したのと
(諸子百家の時代、春秋時代〔BC.770〜BC.403〕の末頃から)、
同時代か少し後の時代と考えられます。
『老子』の現存する最古のテキスト=今本〔きんぽん〕『老子』というものは、
8世紀初頭の石刻でした。
ところが、1973年冬、湖南省長沙市馬王堆〔ばおうたい〕の漢墓で、
帛〔はく:絹の布〕に書かれた 2種の『老子』が発見されました。
“帛書老子”甲本(前漢BC.206年以前のもの)と
乙本(BC.180年頃までに書写されたもの)です。
さらに驚くことに、1993年冬、湖北省荊門市郭店の楚墓から、
『老子』の竹簡〔ちくかん〕が出土しました。
この“楚簡老子”は、“帛書老子”よりさらに 1世紀ほど遡る
BC.300年頃のものです。※注1)
こうして、『老子』のテキストは、一気に1000年以上も前にまで遡って、
我々の目にするところとなりました。
これ等の研究により、老子研究の世界も、歴史学や訓詁〔くんこ〕学のそれのように、
塗り替えられ新たになろうとしています。
その一つとして、「大器晩成」をご紹介いたします。
―― では、まず原典で「大器晩成」の部分を研究してまいりましょう。
○ “大方〔たいほう〕は隅〔ぐう〕無く、大器は晩成〔ばんせい〕し(晩〔おそ〕く成り)、
大音〔たいおん〕は声希〔まれ/かすか〕に、大象〔たいしょう〕は形無し。|
道は穏〔かく〕れて名無し。夫れ唯だ道のみ善く貸し且〔か〕つ成す。” (41章)
《大意》
真に大いなる方形〔四角/角のあるもの〕は隅がないように見え、
真に大きな器はいつ完成するかわからぬほど時間がかかって出来上がり、
真に大きな音は耳に聞き取れず、
真に大きな象〔すがた〕には形がないのです。|
このように、道はその姿がかくれていて、本質を表現しようがありません。
それにもかかわらず、この道だけが、よく万物に力を貸して成就させるのです。
今本〔きんぽん〕『老子』で、道の本質をさまざまに表現を変えて述べている部分です。
原文は、「大方無隅、大器晩成、大音希声、大象無形」とあり、
無隅、希声〔希は否定の語〕、無形、が否定であるのに、
晩成だと肯定(遅いが完成する)の意の文言になってしまいます。
不自然です。
それに対して、「晩成」は、帛書乙本では「免成」(甲本では欠落)、
楚簡では「曼城〔まんせい:無成の意〕」となっています。
「免成」だと免〔まぬが〕れるの意で否定です。
「曼城」も、曼は免と通用し、城は成の借字です。
そうすると、“真の大器は、永遠に完成することがない”の意となります。
これだと、文脈によく適います。
以上のように、「大器晩成」は「大器免成」が本来の意義であったのです。
真に大いなる器(=人物)は完成しない、
完成するようなものは真の大器ではないということです。
これこそ、老子の思想によく適うというものです。
ところで、易の思想は、無始無終、循環の理です。
『易経』 64卦は、63番目が【水火既済〔すいかきさい/きせい〕】で、
完成・終わりの卦です。
64番目、最終の卦が【火水未済〔かすいみさい/びせい〕】で、
未完成の卦です。
即ち、人生に完成というものはなく、
また再び 1番目、上経最初の卦【乾為天〔けんいてん〕】
(もしくは、31番目、下経最初の卦【沢山咸〔たくさんかん〕】)に戻り、
こうして、永遠に循環連鎖いたします。 ※注2)
私見ですが、こうして不思議と然〔しか〕るべく、
老子の真意と易の深意が重なりました。
老荘と儒学の 2つの形而上学は、つきつめれば「一〔いつ〕」なるものなのです。
なお付言しておきますと。
広く知られ続けています「大器晩成」には、すでに 1800年以上の歴史があります。
“真の器量人であればこそ世に認められるのに時間がかかる、
たゆまぬ努力を重ねることで大いなる完成がある”ということで、
あるいは慰めあるいは励ます言葉です。
これはこれで、良い格言・言霊に違いありません。
※注1)
この出土した竹簡の『老子』は、2000字を超え完成した『老子』の 5分の2位です。
この竹簡の手本となった『老子』がそれ以前にあったわけですから、
最初の『老子』はBC.350年より以前に作られていたと推測できます。
※注2)
『易経 十翼』・「雑卦伝」では、
最終ペアが、【天風姤コウ〔てんぷうこう〕】と【沢天夬〔たくてんかい〕】です。
《反卦の組み合わせ》
○【コウ〔コウ〕は遇〔あ〕うなり。柔、剛に遇うなり。
夬は決なり。剛、柔を決するなり。
君子の道長じ、小人の道憂うるなり。」 (「雑卦伝」末部)
・ コウ〔コウ〕は、思いがけずして出合うの意です。
1陰=柔 が始めて初爻に生じて、5陽=剛 に出合うのです。
多淫・淫奔の意でもあります。
・ 夬は、逆に 5陽(剛)が伸長して、
上爻の陰(柔)を決去、押し決〔き〕る、引き破ってしまう卦象です。
・ ですから、陰が陽に出合うコウ卦は、
小人の喜びを表し君子をその地位から遠ざけます。
が、夬卦では、君子が小人を引き裂いて、
君子の道がますます長じて(盛んになり)
小人の道は憂え衰えてゆくことを説いています。
【沢天夬】を最終に位置づけたのは、象〔しょう〕で捉えて、
上爻の陰が夬決されて純陽の乾天に戻るとの考えからでしょう。
――― つまり、夬卦の1陰が決去され尽くしますと、最初の純陽の乾卦に戻ります。
人類の歴史は行き詰まることなく、再び始まります。
「終始」 = 終りて始まる、という悠なる易学の循環の理がここに示されているのです。
(高根定例講習・易経:「雑卦伝/大意・解説・研究」参照のこと)
《 「後生畏るべし」 》
以上、道家(老荘)思想の開祖・老子(『老子』)の言葉の一つについて述べてみました。
ここで、儒家の開祖孔子(『論語』)の言葉も、一つ引用して語ってみましょう。
○ “子曰く、後生畏るべし。焉〔いずく〕んぞ来者の今に如〔し〕かざるを知らんや。
四十五十にして聞こゆるなきは、斯れ亦〔また〕畏るるに足らざるのみ。”
(子罕第9−23)
《大意》
孔先生がおっしゃるには、わしよりも後に生まれた者は、
(前途の可能性があり、パワーがあるから)まことに畏(恐)ろしいものがある。
(彼らが自ら日々研鑽努力すれば)どうして彼らの有徳が、
今日の(わしの)有徳に及ばないということが測り知られようか。
だが、しかしだ。 40歳・50才にも長じて、
その人物の出来・有徳あることが世に聞こえないような者は、
(とるにたらぬ輩〔やから〕として)何ら畏れるには及ばないことだねえ。
よく人口に膾炙〔かいしゃ〕している、
「後生〔こうせい〕畏るべし」 の文言の典拠です。
「後生」を「後世」と勘違いしている学生、
「先生」の反対語を「生徒」とノタマウ学生が多いですが、
正しくは「後生」です。
「先生」は、先に生まれる。「後生」は、後に生まれる、の意です。
私は、仕事柄、何千・何万の学生(後生)を指導してきました。
が、“後生畏るべき”若者を とんとみません。
寂しく心もとないのを通り越して、情けない限りです。
私は、現今〔いま〕は、むしろ兼好法師が“嫌いなもの”として、
“若者”と“健康な人”をあげているのが、同感よく理解〔わか〕る気がしています。
それはともかく。
ここにいう“畏るべき”若者は、ただ単に暦年齢が若く、
未来への可能性を秘めている、パワーを蔵している、ということではないでしょう。
その若者が、今現在しっかり着実に、自己を研鑽し
仁徳を磨いているなら将来が楽しみ(畏敬の念を持つ)との意でしょう。
若人諸君を、覚醒させ、時に及んで学に励ませようとの孔子の言葉でしょう。
後〔おわ〕りの一文は、一般にはあまり顧みられていないようですが、
自分に反〔かえ〕ってみますと、私にとっては(中壮年頃から)“耳の痛い文言です。
五十路〔いそじ〕の馬齢を重ねるにつけても、自己嫌悪に陥ってしまいそうです。
それでも、いくつかの自己弁護(いいわけ)も想っています。
まず、 1)「四十五十」(歳)とあるのは、平均寿命が40代かそこらであったろう
(春秋)時代の言葉です。
ですから、高齢社会・長寿社会の進展する今時〔いま〕の日本にあっては、
70・80歳と考えて良いのではないでしょうか。
ーー せめて60・70歳と考えたいと思います。
2)その人が活躍する分野、その人のタイプによっては
「大器晩成」型もありうると思います。
例えば、ノーベル賞級の研究・業績にしても、
理数系の場合は多く 20代といわれています。
対して、社会科学系では、中年・壮年時代。
人文科学系〔文学・ゲイ術や思想〕では、
人生体験を重ね積む中に晩年大成するものでしょう。
3)ここで「聞こゆる」といっている中身は、
社会的立身出世や有名になることをさしているのではありません。
平たくいえば、“人間の出来”とでもいいますか、
人間の中味(徳・仁)の充実についての「聞こえ」をいっているのでしょう。
社会的に名声を博していなくても、出世していなくても、
(否、むしろそういった人の中にも)善く出来ている人はいます。
4)評価は、短期的・現世的なものとは限りません。
人とその業績の評価は、歴史がするものです。
死後、(その業績や著作)が認められ善き影響を後世に与えていくこともあります。
孔子(儒学)そのものも含めて、
死後、後代に知られ「聞こえた」人は数多〔あまた〕います。
ーー などなどと考えて、(少々自己弁解も心しつつ)
自己嫌悪や落ち込みから、自身を励ましているところです。
尊敬する故・安岡正篤先生は、「無名にして有力であれ」とおっしゃっていました。
私は、このことばを座右の銘ともして、50代を陰陰と精励いたしております。
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