元 号(年号) と 経 書(四書五経)   その1

───  元号/平成・昭和・大正・明治 ・・・大化/「平成」と安岡正篤氏/
経書/“明治維新”/「貞観」と太宗/“日出づる処”の国  ───


《 はじめに ・・・ 元号表記をめぐって 》
 
 「2011年」といったような西暦の表記か、
「平成二十三年」といったような元号(年号)表記か、
(あるいは両方併記か)をめぐって、さかんに論じられた時期がありました。

 私は、(東西)歴史全般を教えていますので、
「世界史」を講義していると西暦中心ですし、
「日本史」・「中国史」を講じていると元号中心です。

数字の西暦は、合理的でわかりやすい気がしますし、
漢字の元号は、親しみやすくイメージが広がり素敵です。

 若い世代には、西暦表記が何かしら新しいもの、一般的なもの、
良いようなものと錯覚しているむきがあるように思います。

また、尊いものを卑しめて平然としている風潮が横行している時勢です。

そもそも、甲論乙駁〔こうろんおつばく〕する問題ではなく、
文化圏の暦表記です。

 「西暦」は、キリスト教(文化圏)での暦です。
イエス・キリストの生誕を元年とする数え方です。

すなわち、イエスの生誕以前を BC.〔(英):ビフォアークライスト/紀元前〕、
イエスの生誕以後を AD.〔(ラ):アンノドミニ/紀元後・・・キリスト以後の意。
通常は面倒なので略されます〕とします。 補注1) 

イスラム教(文化圏)では、「イスラム暦」があります。
我国には、「皇紀」があります。が、今は普通用いられません。
それはそれで、時代の変化でよろしいかと思います。

ただ しかし、「皇紀」そのもののわからない人、
「皇紀」と聞いただけで天皇制軍国主義などとすり替えてしまう人がいるのは、
その偏、まことに残念に思います。

 私が考えますに、年号は、東洋・日本の文化です。
西暦のみにすり替えてしまうのは、いかがなものでしょうか。

日本は、かつて一時期(近代)、日本語そのものをなくして英語にしようとか、
フランス語にしようとかといった極論もありました。
(被占領時、GHQ による強い漢字廃止・ローマ字表記論もありました。)

 少なくとも、元号をなくしてしまうと、
ずい分、味気のない情のないものになってしまいます

例えば、“慶應義塾大学”・“明治維新”・“大正デモクラシー/ロマン”
・“激動の昭和”・“平成の世代” ・・・ などといった表現の情緒は消え失せて、
無機的な数字の羅列表現になってしまうのは、非常に寂しいものがあります。

“21世紀初頭”・“2010年代”・“2010年クーデター” ・・・ 
それこそ、無味灰色な歴史の受験勉強みたいですね! 

それでもそれで良しとする人がいたら、
無粋〔ぶすい〕、日本の“あわれ・をかし”を解さぬ人であると言いたいものです。

 今回は、このわが国の年号を、
儒学の経書との連関の切り口で考察してみたいと思います。  


補注1) 
イエスの誕生年と西暦元年には、数年のズレがあります。
また、西暦に「0」の考え方はありません。
1年から始まり、1年〜100年を 1世紀としました。
例えば、シャルルマーニュ(チャールズ大帝)の戴冠の 800年は、8世紀。
801年からが、9世紀です。

 

《 元号とは / 一世一元の制 》

 元号は、年号ともいいます。
古代中国で、BC.140年に前漢の武帝
(儒学を国教〔国の教え・教学〕化したことでも有名です)
によって制定された「建元〔けんげん〕」に始まります。

 我国では、645年の “大化の改新”による「大化〔たいか〕」が最初です
(645年6月19日 ※後述)。

701年の「大宝」以降は、途絶えることなく制定され続け、
現在の平成に至っています。

したがって、日本の元号は、1300年以上の歴史を持っているということです。

 一世一元〔いっせいいちげん〕の制は、
(中国では)皇帝一代を一年号とする制度です。

明〔みん〕の初代皇帝(太祖)・朱元璋〔しゅげんしょう〕の、
“洪武〔こうぶ〕”(帝)に始まります。

 わが国では、天皇一代の年号を一つだけに定めるものです
(:一代一号、在世途中で改元しない)。

1868年9月に、(明治新政府が)慶應を改め
明治と改元した詔〔みことのり〕で制定しました。

それまでは、年号は、瑞祥〔ずいしょう〕・災禍〔さいか〕といった
天変地異や暦の吉凶など、さまざまな理由で改元されていたのです。

 さらに、その元号は天皇の追号に用いられますので、
元号と天皇は不離一体の関係にあるといえましょう。

1979(S.54)年に、元号法が改正され、
現在元号制定についての権限は、内閣に属しています。

 

《 「平成」 と 安岡正篤氏 》

 昭和64年1月7日、昭和天皇が崩御され(87歳)、
明仁〔あきひと〕親王が即位されました。

新しい元号は、「平成」となりました。 補注2) 

この時、小渕恵三氏(後に総理大臣、当時 竹下登内閣)が、
TVで “平成”と書いた紙を前に掲げているシーンは、
鮮明に脳裡に残っている人も多いのではないでしょうか。

 さて、新元号決定のプロセスで、
政府元号案は、「平成」・「修文」・「正化」の3つでした。

「平成」は、元号に関する懇談会と政府の双方から、
強く推〔お〕されて選ばれたそうです。

 この「平成」を考案されたのが、
東洋思想の泰斗・安岡正篤 〔やすおか まさひろ:
明治38、1898.2.13 〜 昭和58、1983〕先生です。

「決定当時は、極秘裏の事項として一般人には発表されませんでしたが、
何時〔いつ〕しか、関係者の間から話題となり、
今では公然の事として認められています。」 
(『瓠堂〔こどう:瓠堂は安岡先生の号〕語録集』引用、
以下「平成」の出典についての記述も、本書にもとづきます。)


出典1): 『書経』・大禹謨〔うぼ〕篇 の 「」 
      (舜〔しゅん〕、禹〔う〕に曰く、地平かに天成り
      六府三事よく治まり、万世永く頼りとするは、乃〔なんじ〕の功なり)

出典2): 『史記』・五帝本紀舜の項 の 「」 
      (舜、 ・・・ 五教を四方に布〔し〕かしむ。
      父は義、母は慈、兄は友、弟は恭、子は孝たれば、 内平かに外成る

出典3): 『春秋左氏伝』・僖〔き〕公二十四年 の 「
      (夏書〔かしょ〕に曰く、地平かに天成る、とは称〔たた〕えるなり)
      *同上文公十八年に 「」・「」の両句


補注2) 
「平成」の典拠は、
地平天成」・「内平外成ということですが、
これを易卦で私〔ひそか〕に考えてみたいと思います。

その、意図するところ、希〔ねが〕うところは、
安泰・泰平の卦【地天泰〔ちてんたい〕】でしょう。
(上卦「坤/地」・下卦「乾/天」 : 易家のトレード・マーク、看板になっていますね) 

内(卦)〔下卦〕平らか = 「坤/地」、
外(卦)〔上卦〕成る = 「乾/天」です。

一見上が天で、下が地は、
自然の然〔しか〕るべき状態の象〔かたち〕をあらわしているようです。
が、そうではありません。

これは、【天地否〔てんちひ〕】の卦になります。
閉塞〔へいそく〕し交流せず、の意です。
(八方塞がり、天地交流せず、男女和合せず、暗黒時代、“君子の道塞がって小人はびこる”)

逆に、上が地で、下が天の組み合わせが【地天泰】です。
すなわち、天は上昇しようとし地は下降しようとし、
かくして動き、天地交わり交流し安泰となるのです。

私感ながら、「平成」の元号は、【泰】であれかし、と望んだものでしょう。
しかし、今、平成の御世を23年余経て、現実には、
易卦に示す【否】の時代であるように思えてなりません。

実際、敗戦後過半世紀を経て、日本の現状は内柔外剛」(【否】の象)です。

国内では、政治・経済・社会・人心あらゆる面において“陰・柔”。
国外(外交)では、中国・北朝鮮/韓国・ロシア
そしてアメリカ(のほう)が“陽・剛”です。

なお、易卦で“時”を解釈しておきますと、
“現在”が【否】卦であれば、“過去”(裏卦)は【泰】であり、
“近未来”(上下卦の入れ替え)も【泰】です!

 

《 「昭和」・「大正」・「明治」 》 

 大正15年12月25日、大正天皇が崩御され(48歳)、
摂政・裕仁〔ひろひと〕親王が即位され昭和と改元されました。

「百姓照明、協和万邦」が典拠です。
“百姓(漢文ではヒャクセイと読みます)”とは、人民・一般ピープルのことです。

人民がそれぞれの徳を明らかにすれば、
あらゆる国々を仲好く和〔なご〕やかにさせることができるということ。
君民一致による世界平和の意です。・・・



※ この続きは、次の記事(元号(年号) と 経書(四書五経) その2)をご覧下さい。

(・・・昭和・大正・明治 “明治維新” /慶応〜大化/「貞観」と太宗/経書/“日出づる処”の国)



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