● 真儒協会開設 5周年記念・特別講演
                                        
 「 器量人・子(し)貢(こう) と 経済人・ロビンソン=クルーソー
         ── 経済立国日本を“中(ちゅう)す〔Aufheben〕” 
                          1つの試論 ──  」 

                         
□ 講師 : 真儒協会会長・ 高根 秀人年
□ 日時 : 平成23(2011)年 4月 29日
□ 場所 : 吹田市文化会館(メイ・シアター)

photo_20110429


《 §.はじめに 》

 西洋世界と東洋世界を包含〔ほうがん〕し、グローバルな世界が現れたのは、
おおむね近代ルネサンス以降といえます。

その世界史を堂々とリードした両横綱は、イギリスとフランスでした。  補注1) 

第2次世界大戦を契機にヨーロッパはたそがれ、
アメリカとソビエトが英仏の両翼にとって代わりました。

そして、 21世紀の近未来はアメリカと中国の時代となるでしょう。


 わが国は、かつて、「経済大国」と称せられた時期もありました。
しかしながら、GDP世界第2位の地位を中国に明け渡し(2010年)、
内外ともに凋落〔ちょうらく〕の一途を辿りつつあります。

わが経済立国“日本”は、行方を見失い、窮し行き詰まっています。

更に、そのような表面的なことよりも深刻なのは、
人間の内面においても道義が廃〔すた〕れ、人心が荒〔すさ〕んでいることです。

今、中国では儒学を復活させ“国教”とし、
若者は熱心に『論語』を学んでいます。

それに比べてわが国の次の世代は、
(「後生 畏るべし」ではなく) “後世 恐るべし” の状態です。


 かつて、シュペングラー『沈みいくたそがれの国』を著し、
近代ヨーロッパ文明の消滅を予言してから久しいものがあります。  補注2) 

が、このままでは、聖徳太子が“日の出づる国(日の本)”と言霊〔ことだま〕した
わが日本は、滅びゆく“日の没する(たそがれの)国”に
なり下がってしまうのではないでしょうか


その打開・再生の方途〔みち〕は、“儒学ルネサンス”しかありません。

今回の講演は、その実現のための一つの指針となれば、と想っての試論です。


補注1)
大英帝国・イギリスは、(スペインに代わって)
「日の没することなき世界帝国」と呼ばれました。

実際、世界全土に植民地を持っていたので
イギリスの領土から太陽が沈むことはなかったのです。

世界に先駆けて“産業革命”を実現し(1760年代〜)、
「世界の工場」として繁栄いたしました。

イギリスは、第二次大戦(ドイツとの戦い)により、その政治的パワーを失いました。
しかしながら、現在、(アメリカ=米語も含めて) “英語”による世界支配を
実現しているとも言えます。

── 偉大な国・国民ではありませんか。

言葉は文化です。
英語により、イギリスの文化を全世界に影響づけているのです。

わが国でも、今年度(H.23)より、小学校から英語が導入されます。
日本語・日本文化をおざなりにしての、見識なき愚かな教育行政が続いています。
情けないことです。


補注2) 
ドイツの歴史哲学者 オスヴァルト・シュペングラー 〔Spengler 1880-1936 〕は、
その著“Der Untergang des Abendlandes”
〔『西洋の没落』 あるいは 『沈みいくたそがれの国』〕で、
資本主義社会の精神的破産と第一次大戦の体験から西洋文明の没落を予言し、
たいへんな反響を呼びました。

すなわち、近代ヨーロッパ文明は既に“たそがれ”の段階であり、
やがて沈みゆく太陽のように消滅すると予言したのです。




 歴史が物語っていますように、儒学は平和な時代・成熟した社会の教えです。
かつて、“日出づる処”アジア(中国〔清・明〕 − 朝鮮〔李朝〕 − 日本〔江戸〕) が、
儒学(朱子学)文化圏を築いて繁栄した時代がありました。

日本は明治以降、資本主義を発展させ
(農業国から)経済(工業)立国へと進化してまいりました。

私は、善き経済の発展と儒学の隆盛とは、相扶ける関係にあると結論しています。

経済と道徳(倫理)は、「はなはだ遠くて、はなはだ近い」 ものなのです。


 さて、儒家の開祖が孔子(BC.552〔551〕〜BC.479)です。
儒学の源流思想は、孔子とその一門にあります。
“孔門の十哲”の一人 子貢〔しこう〕 は、
3000人ともいわれる孔子の弟子の中で随一の才人・器量人です。

『論語』にも(子路とともに)最も多く登場します。

そして特筆すべきは、リッチ/ Rich!な存在です。
商才あり利財に優れ、社会的にも(実業家として)発展いたしました。


 一方、ロビンソン=クルーソー (D.デフォー、『ロビンソン漂流記』)は、
単なる児童冒険文学ではありません。

当時の経済的人間”の代表像として捉えることができます。

つまり、世界帝国・イギリス資本主義の青年時代の担い手
=「中流の(身分の)〔“middling station of life”〕人々」の
理想的人間像
と考えられるのです。  補注3) 


 今回の講演では、洋の東西、時代も場所も全く異なるこの両者に、
グローバルな現代の視点から光をあて、
“「合一」なるもの”を探ってみたいと思います。

例えば、理想的人間(像)/中庸・中徳/経済的合理主義/金儲け(利潤追求)
/時間の大切さ・・・etc. といったものなどです。


補注3)
“器量人”・“経済人”の現代日本語の一般的(通俗的)用い方を考えてみますと。
「器である」・「器が大きい」・「器量人だ」といった用い方は、
人に秀で優れたリーダー(指導者)であるという意味で使われているように思われます。

私のいう、大人〔たいじん〕の意のようなニュアンスです。

一部特殊な業界では、「貫目〔かんめ:身に備わる威厳・貫禄〕が足りない」(=器量不足)
などとも使うようです。

一方、“経済人”は、活躍しているビジネスマン、
実業界の中堅管理者層以上のリーダーに用いられているように思います。

本講演により、この2つの言葉・言霊のその有るべき姿を考えていただきたく思います。



─── 主要参考文献について ───

子貢とその儒学関連の記述・引用は、 
真儒協会・定例講習 「論語」・「本〔もと〕学」 レジュメを中心にまとめています。

D.デフォー、 ロビンソン=クルーソー については、
物語引用は、『ロビンソン・クルーソー』・デフォー著 佐山栄太郎訳・旺文社文庫によります。

“経済人・ロビンソン=クルーソー”については、
大塚久雄 「経済人・ロビンソン・クルーソウ」(『社会科学の方法』・岩波新書 所収)、
同氏関連著作によります。

ほか、M.ヴェーバー・『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の倫理』』・岩波文庫 
などを参照しています。




《 『論語』 と 子貢 について 》

 孔子門下を儒家思想・教学の本流から眺めれば、
顔回と曽子を最初に取り扱うのが良いかと思います。

が、『論語』を偉大な 社会・人生哲学の日常座右の書としてみる時、
子路と子貢とはその双璧といって良いと思います。

個性の鮮烈さ、パワー(影響力)において、
孔門 3.000人中で東西両横綱でしょう。

実際、『論語』に最も多く登場するのが子路と子貢です。

『史記』・「仲尼弟子〔ちゅうじていし〕列伝」においても
最も字数が多いのは子貢、そして子路の順です。 


 さて、子貢(BC.520〜BC.456)は字〔あざな〕。姓は端木、名は賜〔し〕。
衛〔えい〕の出身で裕福な商人の出とされています。

四科(十哲)では、宰与〔さいよ〕と共に「言語」に分類されています。

孔子との年齢差は、31歳。 親子ほどもの年齢差です。


 孔門随一の徳人が俊英・顔回なら、孔門随一の才人・器量人が子貢でしょう。

口達者でクールな切れ者。
そして特筆すべきは、商才あり利財に優れ、
社会的にも(実業家として)発展
いたしました。

清貧の門人の多い中、リッチ・Rich!な存在です。

孔子とその大学校(※史上初の私立大学校ともいえましょう)を、
強力にバックアップしたと思われます。

今でいう理事長的存在(?)であったのかも知れません。

そのような、社会的評価・認知度もあってでしょう、
“孔子以上(の人物)”と取り沙汰され、
その風評を子貢自身が打ち消す場面が幾度も『論語』に登場します。


 大器量人子貢  ・・・ “女〔なんじ〕は器なり”、君子とは? 君子


○ “子貢、問うて曰く、「賜〔し〕や 何如〔いかん〕。
  子曰く、「女〔なんじ〕は器なり。」 
  曰く、「何の器ぞや。」 
  曰く、「瑚レン〔これん〕なり。」” (公冶長第5−4)

《大意》
 子貢が、「賜(この私)は、いかなる人物でございましょうか。」とお尋ねしました。
孔先生は、「お前は、器物だ。」とおっしゃいました。
子貢は、「それでは、一体どのような器物でございましょうか。」と
(重ねて)お尋ねしました。
孔先生は、「瑚レンだね。」とおっしゃいました。

※ 何如(=何若・何奈)は、“いかん”と読み
  “どうなるか”・“どんなか(状態を表す)”の意。 
  如何(=若何・奈何)は、“いかん(せん)”と読み
  “どうしましょうか”の意。

※ 「女器也」「何器也」 : 孔子は、子貢の材は用に適する(有用)ものなので、
  “器〔うつわ〕”と言いました。
  器には、器物としての限界があります。
  「君子不器」を、おそらく子貢は知っていると思います。
  それで、少々不満で、「どのような器物でございましょうか?」と
  重ねてお尋ねしたわけでしょう。 
  ── 子貢、大才・大材なれど君子には及ばぬということです

※ 「瑚レン也」 : 瑚レン (夏代に瑚、殷代にレンといい、
  周代にはホキ〔ほき〕といいます)は、
  宗廟〔おたまや〕のお供えを盛る貴重で美しいもの。 
  ── 子貢は、君子には達していないが、
  器の中で最高に貴いものであろうかということです! 
  (孔子は、少々子貢に気を使ってタテテいるのかもしれませんね?)


○ “子曰く、「君子は器ならず。」 ”  (為政第2−12)

《大意》
 孔先生がおっしゃるには、
「君子は、器物のように用途が限定されて他に通用しないようなものではないよ。」

※ 君子は、一芸一能に止まらず、窮まることなく何事にも応じることができる人です。


○ “子貢、君子を問う。
  子曰く、「先〔ま〕ず其の言を行い、而〔しか〕して後にこれに従う。」 ”
  (為政第2−13)

《大意》
 子貢が、君子とはどのようなものかお尋ねしました。
孔先生がおっしゃるには、
「まず、言わんとすることを実行して、行ってから後にものを言うものである。」

※ 子貢は、言語の科で知られるように弁才の人です。
  時に、言行不一致、口達者のきらいがあるのを含んでたしなめた孔子の言葉でしょう。 
  「君子は、言に訥〔とつ〕にして、行に敏ならんと欲す。」 (里仁第4−24) 
  ともあります。

  “不言実行”・“雄弁は銀、沈黙は金”という古諺〔こげん〕がありますね。
  また、“黙養”という修行もあります。

  騒がしく口うるさいのを感じる時世です。口舌の徒多い時勢です。 
  ── 想いますに、男子はもの(口)静かなのが善いと思います。

◎ “君子は器〔き〕を身に蔵し、時を待ちて動く” (『易経』)

孔子は、君子は用途の決まった器物のようなものでなく、
  器物を使う人であると言っています。
  東洋思想にいう君子は、徳を修めた者で、小人は技芸を修めた者という意味です。

cf.「大器晩成」 (『老子』) : 
    大きな器は、作るのに時間がかかる → 大人物は速成できない

 * 「大器免成」 : 大いなる器は、完成しない → 大人物は到達点がない
  (『易経』・・・未済は、未完成。 64卦 最終の卦=人生に完成はない、 
   無終の道=循環・無始無終。
  「終始」 = 終りて始まる、という悠なる易学の循環の理。 )


(この続きは、次の記事をご覧下さい。)



※全体は以下のようなタイトル構成となっており、7回に分割してメルマガ配信いたしました。
  (後日、こちらのブログ【儒灯】にも掲載いたしました。)


●5月20日(金) その1 
                《 §.はじめに 》

                《 『論語』 と 子貢 について 》            

●5月23日(月) その2 
                《 D.デフォー と ロビンソン=クルーソー について 》 

                《 経済と道徳・倫理について 》

●5月25日(水) その3 
                《 子貢 と ロビンソン=クルーソー 》
                   1) 理想的人間(像)                

●5月27日(金) その4
                   2) 中庸・中徳                   

●5月30日(月) その5   
                   3) 経済的合理主義                 

●6月1日(水)  その6
                   4) 時間の大切さ                  

●6月3日(金)  その7
                   5) 金儲け(利潤追求)      

                《 結びにかえて 》



「儒学に学ぶ」ホームページはこちら
※定例講習、吹田市立博物館における講演(全6回)のご案内も掲載しております。
http://jugaku.net/

メールマガジンのご登録はこちら


にほんブログ村 哲学・思想ブログ 儒教・儒学へ

にほんブログ村