※この記事は、器量人・子貢 と 経済人・ロビンソン=クルーソー (その4) の続きです。


3) 経済的合理主義  :

 ロビンソン=クルーソーは、いったいどのような人間類型として
描かれているのでしょうか? 

―― それは、経済的・合理的に行動する人間です。

例えば、小麦を食べてしまわずに蒔いて増やします。
※ 山羊〔やぎ〕を捕らえ“囲い込み地”の牧場で繁殖させます。
経済的生活実現のための“再生産”ですね。

このような、先々を見越した実践的合理主義です。

子貢は、名ばかりで実体のない毎月の祭事に供える、
生きた羊の出費(浪費)をめぐって孔子と対立します。

今時でいえば、“事業仕分け”すべきムダ・浪費の筆頭項目といったところでしょうか。


【 山羊〔やぎ〕 と 羊 】

○ 「爾〔なんじ〕はその羊を愛〔お〕しむ。我はその礼を愛しむ。」 (八イツ・ハツイツ第3)
 
(経済的)実益と(精神的)文化のどちらに重点をおくか、
という儒学(孔孟思想)での見解の相違です。

私は、社会科学的思考と人文科学的思考との並立・相異でもあるかと感じています。


※ 「羊が人間を喰う」(トマス・モア): 
  土地をすべての基盤におこうと努め続けたフランスに対して (注1)、
  イギリスでは、土地は利潤の手段にすぎませんでした。

  従って、資本主義は、イギリスにおいて典型的進展を示すことになります。

  “enclosure”〔エンクロジャー〕(注2)は、
  共同利用・共有財産的性格にクサビを打ち込み、私有財産に転化させました。

  人々は、土地という共通の基盤を失ってしまい、
  “1つの国民”は複数の国民になってしまったのです。(注3)


注1) 当時の農業(中心主義)国フランスの思想に学び、
    これからの我国の「農業」を再考する時だと思います。

注2) 「囲い込み運動」(第2次) ―― 「羊が人間を喰う」(トマス・モア):
    毛織物工業の原料羊毛生産のため、農民を土地から追い出して、
    土地を囲い込み羊を飼育しました。

注3) 現代日本は、格差社会が進展しています。
    共通のモノサシ(社会的基準・規範)も失い、個々バラバラです。

 



(この続きは、次の記事をご覧下さい。)



※全体は以下のようなタイトル構成となっており、7回に分割してメルマガ配信いたしました。
  (後日、こちらのブログ【儒灯】にも掲載いたしました。)


●5月20日(金) その1 
                《 §.はじめに 》

                《 『論語』 と 子貢 について 》            

●5月23日(月) その2 
                《 D.デフォー と ロビンソン=クルーソー について 》 

                《 経済と道徳・倫理について 》

●5月25日(水) その3 
                《 子貢 と ロビンソン=クルーソー 》
                   1) 理想的人間(像)                

●5月27日(金) その4
                   2) 中庸・中徳                   

●5月30日(月) その5   
                   3) 経済的合理主義                 

●6月1日(水)  その6
                   4) 時間の大切さ                  

●6月3日(金)  その7
                   5) 金儲け(利潤追求)      

                《 結びにかえて 》



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