(こちらは、前のブログ記事の続きです。)
《 2.日本の 陰陽相対〔相待〕思想 》
◆ 講義担当 : 汐満 未佐子
むかしの日本(倭〔わ〕と呼ばれていました)は、文字を持っていませんでした。
応神〔おうじん〕天皇 16年(西暦4世紀ごろ?)、
朝鮮(百済〔くだら〕)の王仁〔ワニ〕博士によって、
『論語』 10巻と 『千字文〔せんじもん〕』 1巻 がもたらされました。
つまり、むかしの中国の文字(= 漢字)の伝来は、
同時に、中国の儒学思想(= 易・陰陽論) の伝来でもあったのです。
それ以後、わが国の先人たちは、その優れた創造的受容・吸収力
(= 陶鋳力〔とうちゅうりょく〕) をもって、
中国の学術文化を採り入れ自分のものとしてゆきました。
とりわけ、わが国の平安時代には、
大帝国「唐」から熱心に学び、吸収いたしました。
この時代、「遣唐使」という留学生を直接 唐土〔もろこし〕に送ったこと、
漢文訓読法の普及、“ひらがな”・“カタカナ”の創案と普及は、よく知られていますね。
平安朝の当時、中国大陸の最新・最強の知識・学問を身に修めたスペシャリストを
「 陰陽師 〔おんみょうじ〕 」 と称しました。
“ 陰陽 〔いんよう〕 ” = 中国思想 。
中国思想の源・中心が、陰陽 (二元論 ・ 相対論) = 易学 だからでしょう。
“ 師 ” は、易64卦の一つで (【地水師】)
「戦」 ⇒ 戦の指導者 ・ 「先生」 の意です。
「 陰陽師 〔おんみょうじ〕 」 は、公的・国家的に
保護され権威づけられた人々でした。
当時の人々は、身分の上下を問わず皆、
不思議に思い解決せねばならないことを、
易の占いによって知ろうとしたのです。
「陰陽師」は、陰陽道をつかさどる役所である
「陰陽寮」に属して吉凶を占った人々です。
平安の時代は、何が何でも、何ごとにつけても
陰陽師を頼り依存した社会だったのです。
その陰陽師のカリスマが 「 安倍晴明 〔あべのせいめい〕 」 です。
やがて“伝説の人”になる、偉大な学者・易(占)道家・
シックスセンスの持ち主・思想的指導者 ・・・です。
【 陰陽師 ・ 安倍晴明 】
陰陽師のカリスマ 「安倍晴明」 (921−1005) は、
今からおよそ 1000年ほど前、平安時代中期のひとです。
生誕地には諸説があります。
大阪では阿倍野区にある「安倍晴明神社」が、
晴明の生誕地といわれています。
京都市上京区の住居跡にも「晴明神社」があります。
晴明は、少時から
天文道 = 月・太陽・星の動きを観測し「暦」を作る
陰陽道 = 天地のバランスの変化を察知し吉凶を占う
を学びました。
天変地異を天皇や貴族に報告し吉凶を判断したのです。
40歳を過ぎたころから、その占いや予言の能力が評判になりました。
とりわけ、時の権力者、関白 藤原 道長 の厚い信頼を得ました。
晴明の亡きあと、晴明の子孫は、陰陽道の本家
(土御門〔つちみかど〕家)として栄えました。
開祖晴明は、しだいに神格化され伝説の人となってまいりました。 ──
その伝説〔エピソード〕のいくつかを紹介しておきましょう。
【 エピソード 1.】
《 くずの葉の伝説 》 ・・・ 晴明のお母さんは信太〔しのだ〕の森の “きつね”!
むかしのある日、安倍 保名〔あべ やすな: 晴明の父〕は、
和泉〔いずみ〕の国の信太〔しのだ〕の森で、
狩人〔かりゅうど〕に追われていた一匹の “白狐” を助け
にがしてやりました。
それで保名は、狩人たちに暴行され負傷し倒れてしまいます。
ちょうどそこへ、“くずの葉”という女性が通りかかり、
保名を助けて傷が治るまで手厚く看護してくれました。
保名と“くずの葉”は、気ごころが通じて夫婦となりました。
やがて、二人の間に男の子が生まれ、“童子丸”と名づけました。
“童子丸”が五歳になった時、“くずの葉”は ふとしたことから
“しっぽ”をみせてしまいます。
自分が、保名に助けられた白狐であることが知られてしまったのです。
正体(本性〔ほんしょう〕)がバレたことを恥じた“くずの葉”は、
次の一首を残して信太〔しのだ〕の森に帰って行きました。
○ 「 恋しくば 訪〔たず〕ね来てみよ
和泉〔いずみ〕なる しのだの森の うらみくずの葉 」
絵 ── 略 ── (北信太駅に飾られた絵)
【 エピソード 2.】
《 ライバル道満とのバトル〔対決〕 》 ・・・ みかん16コが ねずみ16匹に!
芦屋 道満〔あしや どうまん〕という、
播磨〔はりま=兵庫県〕の国の陰陽師が上京してきて、
晴明に勝負を挑んできました。
二人は、天皇の御前で力比べの戦いをすることになりました。
それは、箱の中に隠されたものを言い当てるというものでした。※ 補注)
ところが実は、道満は、朝廷の役人を買収して、
中身が “みかん16コ” ということを打ち合わせていたのです。
勝負の当日、道満は、打ち合わせのとうり “みかん16コ” と答えました。
それに対して、晴明は “ねずみ16匹” と答えました。
役人たちは、晴明の不正解・負けを宣告し、箱のふたも開けませんでした。
さてそこで、道満が自慢げにふたをとると、
中から 16匹のねずみが飛び出して来たのでした。
─── 負けた道満は、晴明の弟子になったそうです。
※ 補注)
易の学修・遊戯〔あそび〕に、「 射覆 〔せきふ〕 」 というものがあります。
箱の中に隠されたものを(易をたてて)言い当てるものです。
ズバリ、“あてもの” そのものです。
インスピレーション〔霊感〕と 卦の解釈力(八卦の象意〔しょうい〕読解)を養います。
わが国、 “三大易聖” の一人
新井白蛾 〔あらいはくが: わが国 易学中興の祖、江戸期〕 は、
「射覆」 の名人として有名です。
ある種の、霊視・霊感、シックスセンス〔第六感〕の世界でもあります。
明治期、「千里眼〔せんりがん〕の女」といわれた、
御船千鶴子さん(映画・「リング」の“貞子”のお母さんのモデル)は、
よく知られていますね。
【 エピソード 3.】
《 式神をあやつる超能力 》 ・・・ カエルをペチャンコに!
安倍晴明は、 「式神 〔しきがみ/しきしん〕 」 ※ 補注) を使って
様々な超能力を示したと伝えられています。
晴明は、妻がその式神たちを気味悪がって恐れたので、
式神たちを、近くの 「一条戻り橋」 の下に住まわせました。
もっとも、一般ピープルには式神たちの姿は見えません。
さてある時、若い貴族(君達〔きんだち〕)が意地悪な質問を晴明にしました。
「あなたは、式神を使って何でもやらせるそうですが、
人を殺すことなども簡単にできるんでしょうね?」
晴明は、「命は大切なものです。殺すことはできても
生き返らせることは簡単ではありません。
無益な殺生〔せっしょう〕は罪になります。」と答えました。
その時、ちょうど庭先で、5・6匹のカエルが池に飛び込む音がしました。
それを聞いた若い貴族は、しつこく晴明に言いました。
「そこをなんとか ──。カエル一匹くらいならばかまわないでしょう。
殺して見せて下さい。」
晴明は、「罪なことをおっしゃいますね。
でもどうしても私を試そうというのならいたし方がありませんね。」 と言って、
晴明は、草の葉をつみとり、呪文をとなえてカエルの方に投げました。
葉はカエルの上にのるやいなや、カエルをペチャンコにつぶしてしまいました。
これを目〔ま〕の当たりにみた若い貴族は、顔色をなくして思わず震えあがりました。
── 晴明の屋敷には、門番がいません。
戸締りや警備は、式神たちが「一条戻り橋」の下からやって来て行ったそうです。
さまざまの不思議が晴明の周囲にはあったようです。
※ 補注) = 識神 : 陰陽師が使役〔しえき〕する下級の精霊や鬼神のことです。
(実態不明)
参考資料 ── 「陰陽師・安倍晴明」 ── 略
(漫画:岡野玲子『陰陽師』/小説:夢枕 莫〔ばく〕『陰陽師』 より抜粋)
*(配布資料:“陰陽師・安倍晴明” ダイジェストB4プリント2枚)
★化生〔けしょう〕の者・狐の子伝説/セーマン・ドーマン/
五行の相生・相剋〔そうしょう・そうこく〕の図/
“長篠〔ながしの〕合戦図屏風”に描かれている陰陽師/安倍清明神社/
漫画:岡野玲子『陰陽師』より抜粋
(太極マーク・五行・五芒星〔ごぼうせい〕作図法 ほか
(この続きは、次のブログ記事に掲載しております。)
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