F.バーネット女史著・『小公子』/『小公女』  (第1回)

(cf.関連ブログ【儒灯】 (儒学随想) 「“パンをもらった少年”に想う」 )
 → http://blog.livedoor.jp/jugaku_net/archives/50716102.html


─── ジェントルマン〔gentleman:紳士〕&レディ〔lady:淑女〕への志向/
理想的母親像・婦人(夫人)像/静的(静止)社会イギリスと動的社会アメリカ/
大英帝国(イギリス)とフランスの文化的POWER/大英博物館・ケンブリッジ大学/
“中庸〔≒balance〕”・“徳”/仁愛〔思いやり〕/徳の感化・風化/
「高い席にいる者は貨幣〔かね〕を出せ!安い席にいる者は拍手を送れ!」/
“孔子学院”/篭襦未韻辰〕の道/「教」の 2義 etc.─── 


≪ 抜粋引用: 『小公子 セディ』・吉野壯兒 訳、角川文庫 /
『小公女』・伊藤 整 訳、新潮文庫 / ほか参照: 『小公子』・脇 明子 訳、岩波文庫 など ≫ 


《§.はじめに 》

幼少年期、純朴で夭〔わか〕い精神(頭脳)のころの読書というものは、
長じても鮮明に憶えているものです。

私の場合も、今から半世紀近くも前の、それも一度しか読んでいない
(子供のころは、本は一度しか読まず次の本に移ったものです。
一度であらまし理解できたのでしょうね?)
本なのに、そのあらすじや主人公の名前・イメージや場面などが、
あたかも自分の体験であるかのように心に刻まれています。

小学生の中学年のころでしょうか。
母が、豊かではない財布を工面して、毎月一冊ずつ発刊配本される
“少年少女世界の名作文学”(全50巻)を買ってくれました。

魅せられるように、文字をたどり、さし絵を楽しみに想像をふくらませたものです。

その第一回配本(?)であったかのようにも思いますが、
アメリカ編・バーネット女史( Frances Hodgson Burnett 1849−1924)の
『小公子』( Little Lord Fauntleroy ):セドリック少年の物話、
『小公女』( A little princess ):セーラ=クルーの物語
をよく、好んで憶えています。

私は、最初に読んだ『小公子』のほうが印象強いのですが、
今時の若者、少年・少女には、TVアニメーションやドラマの影響でしょうか、
“小公女セーラ”のほうがよく知られているようですね。

今、青年諸君に物語るために、改めて(原文で)読み直してみましたところ、
何とも、青少年に戻ったような不思議な“気”につつまれました。

ここで想いましたのは。
1)確かに、この両作品は名作であるナァ、と感銘を新たにいたしました。
2)『小公子』/『小公女』のタイトル〔本の表題〕に代表される、
  日本語訳〔やく〕は名訳であるナァ、と感心いたしました。
  まさに、“言い得て妙〔みょう〕”です。
3)前の時代(世紀)の英・仏、そして英・米といった国の
  世界史的・文化的魅力への感動も、生々〔せいせい〕たるものがありました。


F.バーネット女史・『小公子』/『小公女』 

◆ F.バーネット女史 

フランシス・ホジソン・バーネット(Frances Hodgson Burnett 1849‐1924は、
イギリス生まれのアメリカの女流作家です。

19世紀は、アメリカに女流児童文学作品が数多く輩出された時代でした。  *補注1) 

女史のプロフィールを 『オックスフォード児童文学必携:
“The Oxford Companion To Children‘s Literature.Oxford Univ.Press,1984”』

にもとずいて紹介しておきましょう。

F. バーネット女史は、1849年、イギリスのマンチェスターに生まれました
(ホジソンは旧姓です)。

女史が3歳の時に父が亡くなり、一家は、1865年、
母・兄妹(各々2人)と共に伯父さんを頼ってアメリカへ移住します。

生活は苦しく、家計を助けるために刺繍〔ししゅう〕・音楽教師・養鶏など
さまざまなことをしたといいます。

やがて、もともと書くことが好きだったので小説を書くようになります。

15歳の時、野ブドウを摘〔つ〕んで紙代と郵送料を作り、
雑誌社に作品を投稿したというエピソードは有名です。

1870年に母を亡くし、雑誌への投稿が掲載されたのを契機に精力的に小説を書き始め、
本格的に作家への道を歩み出します。

F. バーネット作品の特色の一つである、イギリスとアメリカという舞台背景は、
女史のこのような生い立ちによるものと推測されます。

そして、幼少期に去った、故国イギリスへの愛情は生涯持ち続けます。

記録によれば、女史は生涯に 33回も大西洋を渡っています。

1873年、S.M.バーネットと結婚し、
ライオネルとヴィヴィアンの2人の息子をもうけます。

1898年に離婚します。

長男の誕生を機に、子ども向けの本を書くようになり、
次男ヴィヴィアンをモデルにして書いたといわれる 『小公子』 が
『セント・ニコラス』 誌に連載され(1885.11〜)、
翌年10月の完結と同時に単行本として刊行されます。

英・米両国で大ヒットとなります。劇化、上演もされ大評判となります。

当時のエピソードとして、
男の子にレースの襟〔えり〕のついた黒ビロードの服を着せ長髪をカールさせる
“セドリック・スタイル” が流行したと伝えられています。  *補注2)

 また、物語のなかでセドリックが母親に呼びかける
“dearest:〔ディアレスト〕” という言葉が盛んに用いられたといいます。

ちなみに、『小公子』・セドリックのモデルとなった次男ヴィヴィアンは、
その著書 『ザ・ロマンティック・レディー』(1927) で母親バーネット像を描いています。

F.バーネットは、その後 『小公女』(1905)・『秘密の花園』(1911)・
『消えた王子』(1915)・ など多くの作品を執筆しました。

『小公女』 は、最初主人公の名をとって 『セーラ・クルー』 と題されて発表されました。

大反響の中、読者からの手紙のリクエストで、
気高〔けだか〕いこころを失わないセーラに相応〔ふさわ〕しい 
“リットル・プリンセス〔Little Princess〕”に変えられた、
というエピソードが伝わっています。

晩年はアメリカのロングアイランドで詩を作って生涯を終えます。
あとひと月で喜寿(77歳)の誕生日を迎える時であったといいます。

さて、私には、セドリックの母親・エロル夫人、セーラの亡き(フランス人の)母は、
バーネット女史自身を投影した “理想的母親像・婦人(夫人)像”であるかのように思われるのです。

東洋的に表現すれば、“仁・愛(=忠恕〔ちゅうじょ〕/慈悲)の母”の具体的存在です。

おもいやりといつくしみに満ちた、賢くもすてきな若き“お母さん”です。

そのお母さんが、物語った作品のように思われて、
何かしら暖かい光に包まれているような感じを受けます。

F.バーネット女史の名声を確立した 『小公子』 は、
英・米のみならずその他の国でも、非常な好評を博しました。

善く優れたものは、普遍的ですね。

わが国では、明治の半ばごろ、若松賤子〔しずこ〕女史によって訳されました。

原題名“Little Lord Fauntleroy”“Lord”は、
イギリスの公・侯・伯・子・男爵につける尊称です。

「公子」は、“公達〔きんだち〕”・“貴公子”の意ですから
“貴族の子” くらいの意味です。

私は、学生時代、サン・テグジュペリ
“Le Petit Prince”〔ル・プチ・プランス=「小さな王子様」/The Little Prince(英)〕を、
内藤 濯〔あろう〕氏が “星の王子様” と訳した
ことに感銘を受けました。

この若松女史の “小公子” の訳も、まさに簡にして妙です。

若松女史は、フェリス女学校を卒業して後、
病気がちの体を励まして、弱冠22歳〜24歳にかけて翻訳したといいます。

当時、まだ珍しかった言文一致体の翻訳文です。

この翻訳の業績、実に素晴らしいものと感じます。

女史は、31歳で夭折〔ようせつ〕し、
その翌年、訳書 『小公子』 が単行本として初刊されます。 


補注1)

19世紀の作品として、『クルミわりとネズミの王さま』・『不思議の国のアリス』・
『トム・ソーヤーの冒険』・『ハイジ』・『宝島』 など特別に魅力を持った物語があげられます。


補注2)

蛇足ながら、かつてのわが国の乗用車の名前にも“セドリック”があったように記憶しています。


◆ 『小公子』

『小公子』 は、古き良(善)きイギリス、健全なる大英帝国の精神と、
イギリスが植民して後の独立したての国アメリカ合衆国の2国が舞台背景です。

(本国)イギリスと(かつての植民地)アメリカとを結び付けている作品と捉えることもできます。

世界史的にみてイギリスは、“貴族”という特異な指導者(リーダー)の存在する
伝統的な “静的(静止)社会” です。

一方アメリカは、自由・平等・博愛と征服・攻撃の気に満ちた “動的社会”
そして多様な要素が複合した“モザイク文化”の国です。・・・


※ この続きは、次の記事に掲載いたします。


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