老子の“現実的平和主義” に想う (第1回)
──── 『老子』・「不争」/「兵は不祥の器」/「戦いに勝つも、喪礼を以て之に処り」
/永世中立国スイス/老子とシュヴァイツァー&トルストイ/安岡正篤・「シュヴァイ
ツァーと老子」/佐藤栄作&ケネディ大統領会談/儒学(孔子)の平和主義 ────
《 はじめに 》
学生時代に鑑〔み〕た「ウオータールー」という映画。
エルバ島から脱出した怪物ナポレオン(1世・ボナパルト、Napoleon Bonaparte,1769〜1821) が力を盛り返し、やがてウオータールー(ワーテルロー)でイギリス・プロイセン・オランダ連合軍と激突。
大激戦の末、連合軍が、当時ヨーロッパ最強であったフランス陸軍を破り
ナポレオンを完全に失脚させます。
そのラストシーンを、今でも鮮烈な印象で記憶しています。
イギリス軍司令官ウェリントン(Wellington,1769〜1852)が、
数多〔あまた〕の屍〔しかばね〕累々たる戦場を見回って、
沈鬱〔ちんうつ〕な面持〔おもも〕ちで
「敗者の次に惨たるものは勝者である ・・・ 」 とつぶやくのです。
衆〔おお〕くの人命が失われる戦争に勝者の喜びなどないということ、
(勝者・敗者)どちらも惨〔さん〕であるということでしょう。
私は戦後生まれですので、直接の戦争体験はありません。
けれども、老子の平和主義や反戦思想を研究・考察するにつけ、
まずもってこの映画シーンの記憶が蘇ってまいります。
《 老子の平和主義/反戦思想 》
『老子(老子道徳経)』 は、 “道” (【第1章】)に始まり “不争” (【第81章】)に終わっています。
『老子』・【第31章】 (と【第30章】)を中心に説かれている、
老子の現実味のある(生半可道徳でない)平和主義思想、
流動性のある(融通のきく)反戦主義に想いますに。 (→原典資料参照)
まず、「武器(=兵器)というものは、不吉な(殺人の)道具」と明言し、
その発現(=使用)としての戦争を否定しています。
戦争を忌むべき凶事として、葬儀の礼(作法)に準ずることが述べられています。
ズバリ軍事を直截〔ちょくせつ〕説いているので、
兵(法)家の文章の紛れ込みと考えるムキもあります。
が、主旨はまったく老子の思想に反するものではありません。
そもそも、(戦国の当時にあって)兵(法)家の戦争思想そのものが、
ただ単に戦〔いくさ〕に勝つことを説くものではなく、
戦いの哲学・人間学を説くものなのです。例えば ──。
兵書 『三略』 :
「夫れ兵は、不祥の器、天道これを悪〔にく〕む。
已むを得ずしてこれを用うるは、是れ天道なり」 とあります。
有名な孫武の『孫子』 にも、
「百戦百勝は善の善なるものにあらず」/
「戦わずして人の兵を屈するは、善の善なるものなり」 (謀攻編1)と、
戦わずして勝つことが明言されております。
それにもかかわらず、
「やむを得ず武器を用いる場合(=戦争をする場合)」を想定しています。
老子の反戦思想の複雑・デリケートな側面です。
当時、数百年来続いている“戦国時代”であることを鑑〔かんが〕みれば、
いたし方のない想定でしょう。
私は、むしろこれこそが活きた反戦思想に想われます。
他が攻めてきた場合にはこれに応じて立つべし ──
これは儒学の思想も同じだと思います。
現在の世界で、想起されます事例が “永世中立国スイス” です。
自国は、国民自身で守っています。
国民皆兵ですね。
国民は、非常時に備え(3日分の食料を蓄え)
家の中に銃火器を蔵〔かく〕し持っています。
以前、こんなエピソードを聞いたことがあります。
スイス留学していた日本の若者たちが、
スイスの友人宅を訪れた時、
その友人がベッドの下から銃を取り出し見せてくれました。
日本の若者たちは驚きました。
それに対して、スイスの若者は
「それじゃ、君達の国では敵が攻めてきた時どのようにして守るのか?」 と聞かれて
誰も何とも返答できなかったそうです。
次に、やむを得ず武器を用いる場合には、
「恬淡と用いるのが第一です。戦いに勝っても(勝利を)賛美しないことです。」
と主張しています。
そして戦後処理についても、
「戦いに勝っても、葬礼〔葬儀の礼〕の方法(きまりごと)によって、これ(=戦後)を処理するのです」
と主張しています。
つまり、戦勝者は喪に服するのと同じ心がけでこれに臨めということです。
なんと偉大なる精神、偉大なる人道主義の顕れではありませんか。
他、 「兵を以て天下に強くせず」 (武力によって天下に強さを示すことはない)
/ 「敢〔あ〕えて以て強きを取らず」 (強さを示すようなことはしない)
(【第30章】)なども同様の主張です。
《 原典資料 》 (高根・「大難解〔やさしい〕老子講」抜粋引用)
(偃武・第31章) 注1)
《 老子の平和主義 ── 「戦勝以喪礼処之」 》
§.「夫 佳 兵」〔フ・チャ・ピン〕
注1)
「偃武〔えんぶ〕」とは、“武事(=戦争)”を偃〔や〕める”という意味です。
ここでは、老子の実際的平和主義が説かれています。
当時(春秋戦国時代)にあっては、“危言”(タブー)といえましょう。
おしなべて、宗教家や哲学者は、絶対的戦争反対・無抵抗主義を唱えています。
が、老子は、現実的に自衛のためのやむをえない武力行使は是認しています。
「直〔ちょく〕を以て怨みに報い、徳を以て徳に報ゆ。」
(憲問第14−36) と孔子が『論語』で述べている、
現実味のある“中庸”の精神も根本において同一であるといえましょう。
○「夫(佳)兵者、不祥之器。
物或悪之。故有道者不処。
(是以)君子居則貴左、用兵則貴右。|
兵者、不祥之器、非君子之器。
不得已而之用、 恬淡 為上。
勝而不美。而美之者、是楽殺人。
夫楽殺人者、則不可以得志於天下矣。 |
吉事尚左、凶事尚右。
偏将軍居左、上将軍居右。
言以喪礼処之。
*殺人之衆、以悲哀泣之、戦勝、以喪礼処之。」
■ 夫〔そ〕れ(佳)兵は、不祥〔ふしょう〕の器〔き〕なり。
物或〔つね/あるい・は〕に之を悪〔にく〕む。
故に有道者は処〔お〕らず。
(是れを以て)君子は居るには(居りては/居らば)則〔すなわ〕ち左を貴び、
兵を用うる(とき)には則ち右を貴ぶ。
兵は不祥の器にして、君子の器に非ず。
已〔や〕むを得ずして之を用うるも、 恬淡 〔てんたん〕を上と為す。
勝ちて美とせず。
而〔も/しか・るに〕し之を美とする者は、是れ人を殺すを楽しむなり。
夫れ人を殺すを楽しむ者は、則ち志を天下に得べからず。 |
吉事には左を尚〔たっと〕び、凶事には右を尚ぶ。
偏将軍は左に居〔お〕り、上将軍は右に居〔お〕り。 *補注)
喪礼を以て之れに処〔しょ〕するを言う。
*人を殺すことの衆〔おお〕ければ、
悲哀を以て之に泣〔のぞ〕み(/之に泣き)、
戦いに勝つも、喪礼を以て之に 処り。 *補注)
補注)
「居り・処り」は、ラ行変格活用の終止形ですから、
“処る”ではなく“処り”として文を切ります。
cf.
〔 ら/り/り/る/れ/れ 〕、ラ変の動詞 → あり・居り・侍〔はべ〕り・在〔いま〕すがり
*A host that has slain men is received with grief and mourning;
he that has conquered in battle is received with rites of mourning.
(A.Waley adj. p.181)
*When great numbers of people are killed,
one should weep over them with sorrow.
When victorious in war,
one should observe the rites of mourning.
(D.C.Lau adj. p.36)
《 大意 》
そもそも、武器(=兵器)というものは、
(たとえ優れた=精巧にして美麗なものであっても)
不吉な(殺人の)道具です。
人は(誰もが)、それを怖れ嫌うでしょう。
ですから、“道”を身につけた者は、
武器を用いる(=戦争をする)立場にはたちません。
君子〔くんし〕は、ふだん(家にいる時には)左を貴〔とうと〕びますが、
戦時(戦場にいる時)には、(反対に)右を貴びます。
武器というものは、不吉な道具であり、君子が用いる道具ではありません。
(然しながら、世は平和な時ばかりではなく、
戦争ともなれば「不祥」などと言っていられません。ですからもし、)
やむを得ず用いる場合(=戦争をする場合)には、
恬淡〔てんたん:=あっさりと執着せずに〕と用いるのが第一です。
戦いに勝っても(勝利を)賛美しないことです。
(決して立派なことではないのです。)
しかるに、(勝利して賛美する者があるなら)
それは人を殺すことを楽しむ(残忍な)人です。
そもそも、人を殺すことを楽しむような者は、
自分の志を天下にかなえることなどできはしません。
(ですから、一般に、)慶び事には左を尚びますが、
凶事では右を尚びます。
軍隊では、副将軍が左に位置を占め、
上将軍が右に位置を占めています。
つまり、(これは軍隊というものが人を殺すものですから)
葬儀の決まりごとに倣〔なら〕っているということなのです。
したがって、戦争は多くの人を殺〔あや〕めるので、
心からの*悲哀の気持ちで戦〔いくさ〕に臨み
(/=戦争で人を殺〔あや〕めることが多い時には、*悲哀の心をこめて泣き)、
戦いに勝っても、葬礼〔葬儀の礼〕の方法(きまりごと)によって、
これ(=戦後)を処理するのです。
《 老子とシュヴァイツァー&トルストイ 》
“アフリカの聖者“と呼ばれたアルバート・シュヴァイツァー (Albert Schweitzer,1875〜1965)は、フランスの神学者・哲学者・医師・音楽家。
30歳の時、赤道アフリカ地方の黒人窮状を知り、
その医療奉仕に一生をささげようと志しました。
再び大学の学生となり医学を修め、
アフリカのコンゴのランバレネ(現ガボン共和国)に病院を建て、
90歳の生涯を閉じるまで黒人の医療救済とキリスト教伝道に生涯をささげました。
1952年・ノーベル平和賞を受賞、
1957年・原水爆実験禁止をアピールしました。・・・
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