●吹田市立博物館・講演 『 むかしの中国に学ぶ /【全6講】 』

《 万博市民展 〜千里から上海へ〜 》 関連イベント    H.23.6.18


第5講 「 英語でABC論語カルタ 」 (その1)

       講師 : 真儒協会会長   高根 秀人年 (たかね ひでと)


 ── “グローバル時代”(国際化・ユビキタス社会)/
アメリカと中国とそして日本(GDP)/日の出づる処(ASIA)/
言葉は文化/英語教育の小学校必修化/“「英語」より『論語』” ──


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《 はじめに 》

21世紀初頭の現代は、 “国際化の時代”・“グローバル時代” と称されています。

グローバルな世界と申しますのは、
米国の、経済を中心とする影響力によるまとまりを意味する世界です。

政治的には米国の、言語文化的には英語(英米)のパワー(影響力・支配)が
覇〔は〕をとなえている時代といえましょう。

その弊害・課題は、顕〔あら〕わになりつつあります。

その「陽〔よう〕」の面を視〔み〕れば、文明的には“ナノ(テクノロジー)の時代”です。
コンピューター、インターネットで緊密に結ばれる
“ユビキタス社会” が到来しようとしています。

然るに反面において、「陰〔いん〕」の視点から近未来を展望してみると、
地球環境はますます荒廃しております。

また、とりわけ中国・日本において、
急速に少子(超)高齢社会が進展し大きな問題を孕〔はら〕んでいます。


《 現代中国のようす 》 

米・ソ 2大国の時代から、米国一人横綱の時代となりました。

そして、(公称)13億の人口を抱える中国が世界の舞台に急速に台頭してまいりました。

資本主義国顔負けの経済発展を推進し、軍備も増強しています。

中国は、わが国を抜いてGDP.世界第2位(2010)。
少なくとも、経済の視点からは、
“米 − 中 − 日” の3国は世界に大きな影響力を持つ国です。

「中国〔チュンクオ〕」 (中す国)は、 “文化大国” も標榜〔ひょうぼう〕しています。

実〔じつ〕が伴えばそれは結構なことではあります。

中国政府は5年ほど前に儒学を復活 「国教」化 しました。

2008.8.8.8 に“北京奥林匹克〔ペキンオリンピック〕”を開催し、
開会式で『論語』の冒頭を世界に向けてアピールしたことは記憶に新しいです。

国策として孔子と孫文の思想を広げようとしています。

世界各地に 「孔子学院」 を開設し、
中国語と中国文化を普及(大阪では2大学に開設)しています。

今・・・ 中国の子ども達は熱心に 『論語』 を学んでいます。
モノ(経済)のみならず“精神”も充実しつつあると言えましょう。

(ちなみに、私は趣味として、9カ国語で“一人カラオケ”を歌って楽しんでおります。
その9カ国語目が中国語です。
当世、“国際化の時代”に似つかわしく、
また高尚安価な趣味かナ?と自嘲〔じちょう〕しています。)


現代の中国語表記は (1)漢字 と (2)中国式ローマ字〔ピンイン〕 の2種があります

中国式ローマ字〔ピンイン〕も立派な中国語です。

英語の素養のある若人〔わこうど〕諸君には、
むしろピンインのほうがとっつき易いかも知れません。

そして、漢字はより多くの人々が書けるように積極的に簡略化が図られています。

“言葉は文化”です。

文化は水のように高き所から低き所へと流れてゆきます。

現代中国には、日米の言葉が急激・大量に入ってきています。

例えば、「カラオケ」・「ぱちんこ」・「ラーメン」 ・・・ などは
皆、日本の文化的産物であり日本語です。

そしてまた、言葉は“音”です。

漢字は本来表意文字であったのですが、
現代中国では表音文字化して(音を借りるだけで)受容吸収しています。

一例をあげてみましょう。 ──── 

「奥林匹克〔オリンピック〕」・「咖啡〔コーヒー〕」・「麦当労〔マクドナルド〕」・
「肯徳基〔ケンタッキー〕」・「拉面〔ラーメン〕」・
「卡拉OK〔カラオケ:英語の“OK”をそのまま借用しています〕」 等々。


補注) 

わが国でも、かつて“開国 〜 明治維新期”に、
英語を中心に欧米の言語が急速かつ大量に流入してまいりました。

先人の偉大なところは、それらの外国語をそのまま受け入れるのではなく、
対応する日本語の訳を造語したところです。

この受容吸収力が、日本人のDNAが持っている
“陶鋳力〔とうちゅうりょく〕”なのです。  ── 

一例をあげれば。
前島密〔ひそか〕造語による「郵便〔Post〕」、
福沢諭吉造語による「経済〔Economy:“経世済民”から〕」・
「演説〔Speech〕」などがよく知られていますね。



《 英語教育の小学校必修化 》

たまさか、昨日(2011.6.17)の朝日新聞・「天声人語」に、
今春から必修化されている小学校での英語教育について書かれていました。
( → 抜粋引用) 

その内容、善き哉〔かな〕見識と同感いたしております。

このままでは、日本人は“カタコト外国語(英語)”を話す国民にとどまらず、
生半可な母語(日本語)しか話せない“日系日本人(?)” を濫造してゆくことになりそうです。


─── 書けるが話せない、読めるが聞けない。

日本の英語教育の、今日にいたる宿痾〔しゅくあ〕だろう。

▼批判にさらされて、文科省は「英語が使える日本人」を育てる計画を進めてきた。
今春からは、小学5、6年で英語が必修になった。
コミュニケーション重視の一環と言う。
訳読と文法中心で育った世代には、どこか?〔うらや〕ましい。

▼英語なしにはグローバル経済の果実をもぎ取れないという声もきこえる。
様々な人々が一家言を持ちつつの教育の舵〔かじ〕切りだ。
その侃々諤々〔かんかんがくがく〕に口をはさませてもらえば、
英語重視が日本語軽視を誘わないよう、気をつけたい

▼第2、第3言語は道具だろう。
しかし「母語は道具ではなく、精神そのものである」と、
これは井上ひさしさんが言っていた。
英語習得もたしかな日本語力が前提との説に、異を言う人はいまい。

▼振りかえれば、日本人は自信喪失期に日本語を冷遇してきた。
敗戦後には表記のローマ字化さえ浮上した。
そして今、英語を公用語にする日本企業が登場している。
ダンゴラスで笑っていられた時代が羨ましい人も、多々おられようか。

(「天声人語」抜粋、2011.6.17)


《 “「英語」より『論語』” 》

“「英語」より 『論語』”。

だれが言ったか、ゴロもよく(エイ・ロン と韻〔いん〕をふんでいます)、
アメリカ(欧米)文化に追随して、
日本語と日本の伝統精神を忘れている現状からの脱却を端的に示しています・・・


※ この続きは、次の記事に掲載いたします。



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