(こちらは、前のブログ記事の続きです。)

《 “「英語」より『論語』” 》

“「英語」より 『論語』”。

だれが言ったか、ゴロもよく(エイ・ロン と韻〔いん〕をふんでいます)、
アメリカ(欧米)文化に追随して、
日本語と日本の伝統精神を忘れている現状からの脱却を端的に示しています。


「太初〔たいしょ〕に言〔ことば〕があった。言は神と共にあった。言は神であった。」 と、
『聖書(ヨハネによる福音書)』にあります。

言葉は文化です。

文化は、“POWER”です。

21世紀・ “国際化の時代”・“グローバル時代” において、
わが国は、まず 母語=日本語 をしっかりと善く身につけさせるべきです。

その上で、国際語としての【英語】を、
そして最も多くの人が話している【中国語】を修得すべきです。

(尤〔もっと〕も、中国が経済力や軍事力のみならず、
世界をリードするに相応〔ふさわ〕しい“文化大国”に成長するならばですが。)


そして、何より忘れてはならないことが(現実にはすっかり忘れているようですが)、
話す中身、教養・人徳(品格)が肝腎〔かんじん〕です。

いくら英語をペラペラと流暢〔りゅうちょう〕に話せても、
その話している中身が浅薄であり、
教養・仁徳(品格)に欠けるものではダメです。

それこそ、日本人の恥を世界に吹聴〔ふいちょう〕し、
曝〔さら〕しているようなものです。

それならば、むしろ母語でしっかりと表現するほうがマシというものです。


わが国は、明治以来の欧米に対する言語・文化的コンプレックスを
いい加減払拭〔ふっしょく〕して、
日本語・日本伝統精神の本来あるべき姿に帰る時です。

明治期の英語で知られる啓蒙〔けいもう〕的教養人、── 
例えば、福沢諭吉(慶應義塾大学創設者)にしろ
夏目漱石(作家になるまでは東大の英語の先生)にしろ、
皆、漢学・日本語の偉大な教養人でもあったのです。

外国語としての英語の受容も、
ベースにあるものは日本語・東洋文化でなければなりません。


ところで、大概〔たいがい〕、末学〔まつがく〕の「知」のご人 というものは、
得てしてその「知」が“曇り”・“障壁”となって、
単純明白な真理すら見えにくくなるものです。

病だれの「痴」(*バカ者の意)となりがちです。

今、何が“本〔もと〕”で何が“末〔すえ/まつ〕”なのかを見失っているのです。


先述のように、当世の中国では、“文化大国”を標榜〔ひょうぼう〕し、
(英語でなく)中国語〔=漢語〕と中国文化(儒教文化)を世界に広めようとしています。

国内では儒学を“国教化”し、若者に『論語』を学ばせています。

孔子は、再び聖人に奉られてきているということです。


かつて、 「日の出づる処(ASIA)」 (by.聖徳太子) であったわが国は、
今や 「沈みいくたそがれの国」 (by.オスヴァルト・シュペングラー)となりつつあります。

“心貧しき”わが国が、忘れかけている徳性・道徳性を取り戻すためにも、
儒学を中心とする伝統精神の象徴としての 『論語』 を再生・復権することが急務なのです。


《 いろは がるた 》

●「犬も歩けば棒にあたる」/「論〔ろん〕より証拠」/「花より団子〔だんご〕」 
(江戸がるた)

■「一寸〔いっすん〕先は闇〔やみ〕」/「論語読みの論語知らず」/「針〔はり〕の穴から天のぞく」 
(上方がるた)


「いろはがるた」は、わが国江戸期(後期・化政文化)の優れた教育における、
そのツール(手段・方法)の一つです。

和歌のカードである「(小倉)百人一首」なども、
より古い歴史を持つ同様のツールといえましょう。


そもそも「いろはにほへと・・・・」(=いろは歌)そのものが、
他の言語には類をみない日本言語文化の傑作です。

仮名文字(ひらがな&カタカナ)は、
平安時代に中国伝来の漢字を簡略化(ひらがな)したり
一部を取って(カタカナ)発案されました。

これで、容易に日本語を文字で表記することが可能になりました。

とりわけ、漢字に対する“ルビ(ふりがな)”は、何とも偉大な工夫です

そして、「あいうえお・・・」 47の仮名を1字も余さずすべて用いて 
“いろは歌”という素晴らしい作品を創り出しました。

これは、七五調で曲節〔きょくせつ〕をつけて歌われました。  補注) 


なお、 「かるた」 〔carta/歌留多・骨牌〕の言葉は、
かつて世界史をリードした強国ポルトガルの語です。


西洋のカード(トランプなど)が、専〔もっぱ〕らゲーム・娯楽であるのに対して、
「いろはがるた」は、文化教養と娯楽を渾然〔こんぜん〕一体に兼ね備えた
優れものといえましょう。

西洋のカードとは、似ていて否なるものといえましょう。


殊〔こと〕に、内容文言において、
“ことわざ”・“慣用句”・“格言”・・・ などと称されるものが
用いられていることが重要です。

これらの短いフレーズは、本来は深遠な思想や人生(処世)哲学を、
一般庶民にきわめてわかり易くかみ砕いて表現したものです。

そして、それらを家庭教育・初等教育の場において
日本中に普及させたことは偉大です。

見事としか言いようがありません。

日本文化の英智を改めて想います。


補注)

「いろはにほへと ちりぬるを わかよたれそ つねならむ 
うゐ〔イ〕のおくやま けふこえて あさきゆめみし ゑ〔エ〕ひもせす」

「いろは匂いへ〔エ〕ど 散りぬるを 我が世誰ぞ 常ならむ〔ン〕 
有為〔ウイ〕の奥山 今日越えて 浅き夢見じ 酔ひ〔エイ〕もせず」

*「いろは歌」の元は仏教の『涅槃経〔ねはんぎょう〕』にある、
次の四句と言われています。

「 諸行無常〔しょぎょうむじょう〕/是生滅法〔ぜしょうめっぽう〕/
生滅滅已〔しょうめつめつい〕/寂滅為楽〔じゃくめついらく〕 」


《 ABC論語カルタ 》

◎英語・中国語(漢語)・日本語 の語学教育ツール / 
◎イラスト・絵画による美術・情操教育ツール / 
◎内容文言による徳育・基本的生活習慣形成のベース
(*儒学徳目の基本的キーワードで創られています)


 わが国は、21世紀・ “グローバルな時代” に在って、
また同時に少子(超)高齢社会が進展しております。

かかる時代情勢において、 “ABC論語カルタ” は、
古くも新しい優れた伝統的教育ツール〔手段・方法〕として、私が考案中のものです・・・


※ この続きは、次の記事に掲載いたします。


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