(こちらは、前のブログ記事の続きです。)

《 §5.「素以為絢」/「繪事後素」 を考える 》

先に見て参りました、孔子と子夏との禅問答のようなこの一節は、
多くの人は、あまり関心を示さずに見過ごしている部分ではないかと思います。

しかるに、この部分は、私が 『論語』 に親しんで、
専門的な意味で最初に最も深く心惹かれた問答の箇所です。


というのも、私は、若かりし頃は、ひたすら美術の道を歩み
「美」の世界を追求しておりましたので、
子夏の人間像・想いと似ているところがあり本能的に惹かれたのだと思います。


美術(絵画) =    =    (が形をもったもの)

私は、人間の然〔しか〕あるべき(=道徳的・倫理的) 善き生き方と申しますものは、
別言すれば、美しい生き方ということだ、と考えるのです。

そして、その生き方は、東洋(儒学)思想でいえばということになるのです。


さて、絵画(の美)と人間の善美(な生き方)の関係ですが、
一般的に次のA・B 2つの解釈があると考えられます。

どちらも要〔かなめ〕で、重要なものです。


A.素(白)地・生地 〔ベース: base〕  

古代中国の絵を考えてみますと、“紙”  補注1) 
が発明される以前、中国では文字・絵をかくモノ(素材)として、
“絹布”が用いられていました。

絵を描く白い絹布を“素絹〔そけん〕”といいます。

この素絹がなければ表現のしようがありません。

つまり、書や絵画という美術を表現するベース=生地〔きじ〕が“素絹”です

これから、素地・素質・本質という意味になって行くのです


朱子(朱熹)の注(新注)では、「絵事は、素より後にす」と解していて、
絵画のプロセスに擬〔なぞら〕えて、この意味で人間というものを捉えています。

『論語』の他の部分にも、立派な人間には、
ベース=根本 が重要であることが述べられています。すなわち。

○ 「君子は本〔もと〕を務む。本立ちて道生ず。」 (学而・第1)

 君子は根本のことに力を注ぐものです。
  万事、根本がしっかり定まってはじめてその先の道も開けるというものです。


美術で、モチーフの「本〔もと〕」を通常色彩を用いず単色で描写することを
“デッサン〔dessin 仏〕”(“クロッキー〔croquis 仏〕”)といい
描〔そびょう〕”と訳しています

私は、興味深いことと想っています。


(肉)体に関するスポーツの世界でも、その競技の技能〔テクニック〕の習得の前に、
“体を作る”といった基礎的体力・運動能力の養成が必要です。
(ex.ランニング・素振り・しこ・・・) 

精神に関する学術の修養でも、
“灑掃〔さいそう/洒掃〕”という“そうじ”をすることによって
学ぶための精神的肉体的準備態勢(受け入れ態勢)を整えます。

「灑」・「洒」は「シ」〔サンズイ〕がついているように
水を注いで塵・埃を払うことで、東洋思想らしいですね。

私が易学的に想いを馳せてみますと、
「水」は易八卦の象〔しょう・かたち〕で【坎〔かん〕☵】です。

【坤/地☷】の肉体に内在する精神・こころです。

その“陽”の精神・こころが、“陰”の肉体の中を一本貫いています。

“一貫”するものですね。

精神・心に一本通る“徳”であり、(永遠に)“受け継がれるもの”
(cf.DNA、ミーム〔文化的遺伝子〕)である、と
想います。

── それはともかく。


そうしますと、孔子の「素より後にす」の応答に対する、子夏の「礼は後か」
「“礼”〔広く文化・道徳的な規範〕は、まごころ〔忠信〕という
ベース・地塗りが出来てから行われるものですね。」 /

cf.「礼儀作法というものはまず忠信という心の地塗りをしたのちに
   行わるべきものでございますか。」
   (宇野哲人・『論語新訳』講談社学術文庫) のように解することとなります。


さて、本文に「絵の事」とありますので、美術を中心に具体例を挙げて考察してみましょう。

●〈メイク・化粧〉 

“色白美人”とか“色の白いのは七難隠す”といわれ、
肌の白いこと自体が美人とされています。

『グリム童話』の「白雪〔しらゆき〕姫」も、正しくは「雪白姫」です。

雪のように肌の白い子が生まれましたので、「雪白〔ゆきじろ〕」と名づけたのです。

“白粉”と書いて“おしろい”と読みます。

ちなみに、俗に化粧することを“カベ塗り”とか“化ける”と言いますね。

現代一般女性のメイクも、ファンデーション(下地)を塗って肌の地を整えてから
目や口のパーツ〔部分〕の装飾に入って行きますね。

伝統的化粧(品)として“ドーラン〔Dohran 独〕”があります。

現代でも、芸者さんや歌舞伎役者さん俳優さんなどのメイクに用いられています。

“ドーラン”と称される油性の練り白粉で顔(首・肩)中を真っ白に塗ってから、
目や口や頬の部分に彩色(?)を施して行きます。

その白化粧そのものが(殊に舞台など遠目で)艶〔あで〕やかでもあります


●〈日本画〉

“白い和紙”に“ドウサ”〔陶砂/礬水・礬石・礬沙〕を表面に引いて(=塗って)
下地調整して後に彩色を開始します。

“ドウサ”は膠〔にかわ〕に明礬〔みょうばん〕を混ぜてつくるもので、
墨や絵の具が滲〔にじ〕み散るのを防ぎ滲み具合がよくなります。


●〈油絵〉

油絵は、15世紀以降(ルネサンス期)西洋画の主要技法となりました。

ファン=アイク兄弟は油を用いて絵を描く技法を研究し、
写実表現を完成させたといわれています(北欧ルネサンス)。

イタリア・ルネサンスの大天才レオナルド・ダ・ビンチは、
油絵の先駆者〔せんくしゃ〕でもあり、
「モナ・リザ」・「聖アンナと聖母子」をはじめ偉大な傑作を残しています。

油絵は、はじめは、板の上に油絵の具で描かれました。

レオナルドの制作途中の作品を観てみますと、
板の上にモノクローム(黄土色)で地塗りをし、
その上に茶系色で下絵を描き、それから彩色しています。

近代になって、油絵を描くのに専ら用いられて一般化しているものが
“キャンバス: canvas 仏/カンバス・画布〕”です。 補注2) 

“キャンバス(カンバス)”は、麻布に白い石膏状の塗料を塗ったものを、
木枠に鋲〔びょう〕でピーンと張ったものです

その表面の凹凸の按配〔あんばい〕で絵の具の“ノリ”が良く、
適当な描画下地であり、また適度な弾力性(クッション)がある優れものです。

この白い“キャンバス(カンバス)”の上に、
さらに油絵の具の単色で地塗りして、
それが乾いてから下絵を描き始める作家もいます。

私も、従来から、レオナルドのやり方に倣〔なら〕って
“キャンバス(カンバス)”にモノクロームで下塗りした後、
下絵を描いてから始めています。

まさに、「絵の事は、素より後〔のち〕にす」ですね。


●〈フレスコ画〉

西洋の壁画に古くから用いられている伝統的技法です。

“フレスコ〔fresco 伊〕”は、“生乾きの”の意で、
西洋の壁画に用いられる技法です。

漆喰〔しっくい:石膏・石灰・セメント・砂など/=白土〕を塗って、
乾ききらないうちに水彩絵の具で描きます。

石灰の層の中に絵の具が滲みこんで乾くため非常に堅牢です。

が、塗った漆喰が乾燥するまでに描画彩色を終えなければなりませんから、
当面描ける分だけの小面積に漆喰を塗ります。

その、部分作業の積み重ねです。

また、漆喰が乾燥して後の彩色もできません。

したがって、画家に、全体に対する小部分を描き完成させながら
統一された全体を完成させるという、高い技量が求められます。

レオナルドと並び称されるイタリア・ルネサンスの大天才、
ミケランジェロ・ブオナルローティは“フレスコ画”の名手です。

ミケランジェロの「システィーナ礼拝堂 天井画・壁画」は、
人類が有する最高のフレスコ画といえるでしょう。


●〈博多人形〉

人形作品においても、有名な“博多人形”の制作過程に興味深いものがあります。

“博多人形”は、焼き物の素材で、
白色をベース〔基調〕にした伝統的手書き彩色(絵付け)工芸品です。

そのプロセスは、まず、人形の原型から大量に焼き物(陶磁器)で人形を作ります。

焼き上がった人形は、無釉〔むゆう:うわぐすりをかけていない〕ですので
土器色〔かわらけいろ〕一色の状態です。

それらに、コンプレッサー(機械製吹きつけ機)で“胡粉”塗料(東洋の白色絵の具) 補注3)
を万遍なく吹きかけ、全体真っ白な人形ができます。

よく乾燥させ、その上に人形職人さんたちが、一品ずつ一筆一筆、
着物の柄や髪・貌〔かたち〕を面相筆で彩色してゆくというものです。

博多人形師(師匠)は、最後の仕上げとして“目”を画き“銘〔めい〕”を入れます。

昔時〔むかし〕、色の白い(手?)女性を褒〔ほ〕めて
「まるで博多人形みたい!」と相手が言うCM.があったかに記憶しています。

先述のように(肌の)色白は女性への美称、褒め言葉です

女性を形取った博多人形には、
とりわけ“白の彩〔あや/章〕”を感じさせるものが多くあります

「絢〔あや:なんとも艶やか〕」が実感されます


●〈現代建築塗装など〉

現代建築の塗装においても、通常、
下地調整後 下塗り → 中塗り → 上塗り(仕上げ)といったプロセスをとります。

金属素材の場合、錆〔さび〕止めの塗装を加えますし、
コンクリート素材の場合“シーラー”と呼ばれる白い乳液状のものを事前に塗布します。

塗装仕上げに対して“タイル貼〔ば〕り(外装)仕上げ”は、
建築仕上げで高級・高価なものです。

美的で芸術性・デザイン性が高く、建築物を人間に擬〔なぞら〕えると
外面が美しく賁〔かざ〕られた“文化人”のような気がします。

このタイル貼りの施工・仕上がりの善し悪しは、
ひとえにタイル貼り下地としてのモルタル(セメント+水+砂)下地の
出来の如何〔いかん〕にかかってい
るのです。

善き人間の形成・完成も「素」=ベースが大事である、
ということを連想して感じるところです。


補注1)
“紙”: 紙は後漢〔ごかん〕の蔡倫〔さいりん〕が発明したとされてきましたが、
前漢〔ぜんかん〕遺跡から古紙が発見されたことから、今では漢代初期の発明と考えられています。
この偉大な東洋の4大発明の一つ“製紙法”は、
戦争という東西交流の偶然(751. タラスの戦い)から西洋世界に伝播します。
紙が伝わるまでの西洋社会では、専ら“羊皮紙 〔parchment 英〕”が用いられていました。


補注2)
“キャンバス”: 麻または木綿の布地に、膠〔にかわ〕またはガゼインなどを塗り、
更に亜麻仁油・亜鉛華・密陀僧〔みつだそう〕などをまぜて塗ったもの。
油絵を描くのに用いる。  (『広辞苑』)


補注3)
“胡粉”: 日本画に用いる白色の顔料。
古く奈良時代には塩基性炭酸鉛即ち鉛白をいい、鎌倉時代まで用いた。
室町時代以後、貝殻を焼いて製した炭酸カルシウムの粉末が白色顔料として多く用いられ、
これを胡粉と呼ぶようになった。
胡粉絵”:地に胡粉を塗り、その上に、墨・丹・緑・青・黄土を用いて描いた絵。
(『広辞苑』)


B.仕上げ(プロセスの)白 〔フィニッシュワーク: finish〕

以上の解釈に対し、もう一つの解釈の立場があります。

「繪事後素」の前に子夏が孔子に質問した『詩経』の文言は「素以為です。

「(その白い素肌の)上にうっすらと白粉〔おしろい〕のお化粧を刷〔は〕いて、
何とも艶〔あで〕やか」 

つまり、 「素」はベースとしての「白」であると同時に
仕上げの艶やかに煌〔きら〕めく「白」でもありましょう。
・・・



※ この続きは、次の記事に掲載いたします。


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