謹賀丙申年 〔謹んで丙申年を賀します〕
――― 丙・申・二黒土性/今年の漢字「安」/【火天大有】・【天山遯】卦/
「猿も木から落ちる」/「猿を決め込む」→「見ざる」・「聞かざる」・「言わざる」/
“反省する猿”/「天よりこれを祐く」/「順天休命」/
“上り坂”・“下り坂”・“ま坂” ―――
《 はじめに ・・・ 干支について 》
明けて平成28年(2016)。
新年を皆様と迎えますこと、大慶でございます。
歳重ねの想いを新たに、例年のように干支〔えと/かんし〕から始めて、
いささか本年の観想といったものを述べてみたいと思います。
今年の干支〔えと/かんし〕は、
(俗にいうサルではなく)「丙・申〔ひのえ・さる/へい・しん〕です。
干支は、十干〔じっかん〕(天干)と十二支(地支)です。
かつてはこの、10 と 12 の組み合わせで、60干支〔かんし〕の暦を作っていました。
そして、本来十二支は、動物とは専門的には直接関係ありません。
が、動物のイメージ・連想は、人口に膾炙〔かいしゃ〕しています。
干支を「今年のエトは、サルで ・・・ 」とメディアが薄々軽々と報じているところです。
また、干支は旧暦(太陰太陽暦:我国で明治維新期まで用いられました)ですから、
年始は2月4日(立春)からで、
2月3日(節分)までは、まだ「乙・未〔きのと・ひつじ〕」です。
これらのことを確認しておきまして、
これから本年の干支「丙・申」年にまつわるお話をしてまいりましょう。
《 今年(‘15)の漢字 「安」 》
昨年・平成27(2015)年の世相をあらわす文字(「今年の漢字」)は「安」でした。
(一昨年は「税」、その前は「輪」。)
“安”保関連法や“安”倍内閣(アベノミクス)からの「安」でしょうか。
私は連想いたしますに、“安心”・“安全”の「安」です。
ただし、“安心”・“安全”がないという意味で、です。
わが国の経済格差の拡がりは、ますます顕著になってきております。
経済的に“安心”して穏やかに暮らすことができない
(これからの)“超高齢社会”です。
また、近隣諸国からの侵害・テロといった国家レベルから
食の安全と言った日常生活レベルでの“安全”が脅かされています。
年が明けて(2016)早々から、廃棄処分食品(“カツ”など)の
小売店頭での流通が、メディアを賑わせ国民を驚かせました。
貨幣〔かね〕のために売り、“安い”が故に買うという、
“倫理”や“義”が忘れられた世相です。
かくして、“安〔やす〕らか”でない人心!です。
《 丙・申 & 二黒土性 の深意 》
さて、今年の干支「丙・申」には、どのような深意があり、
どのように方向づけるとよいのでしょうか。
「丙〔ひのえ〕」は、(五行)「火」の“陽〔よう〕”。
「炳」の字をあてはめ、“盛ん”・“あきらか”・“強い”といった意味です。
昨年の“干支”「乙・未」は、
困難にあい伸びようとしても苦しむさまを暗示していました。
が、今年は一昨年・昨年の陽気が一段とはっきり発展するということです。
「丙」の上の“一”は伸びる“陽気”を表し、
下の部分は“かこい”に“入”と書いてあります。
陽気が囲いの中に入る、つまりモノは盛んになり続けるということはなく
必ず衰える兆しを含んでいるということです。
しかるにまた、衰えるということは再び盛んになるという未来を含んでいます。
人間というものは“老いる”ということを多く嘆きます。
決してそうではないのです。
老いたら老いたで、楽しみもあれば力もあるのです。
生命・創造の働きは無限の循環なのです。
「丙」の文字は、よくこのことを表しているのです。
“超高齢社会”の進展している我が国の現状で、味わいたいものですね。
以上の理〔ことわり〕は、私が想いますに、
“陰極まれば陽・陽極まれば陰”、良い時も戒め・悪い時も励ます、という
易学・『易経』の世界そのものです。
「申〔さる〕」は、“〜申し上げます”の“申〔もう〕す”と同じ文字です。
“申す”は、自分をへりくだって言う語(=謙譲〔けんじょう〕語)です。
もともとは、光る稲妻を描いた甲骨文字とも言われています。
(円満字次郎氏)
「申」は、“イ〔にんべん〕”をつけた“伸〔しん〕”、
“伸〔の〕びる”の字に同じです。
“のびる”という意味で、善悪両方の意味において
いろいろな新しい勢力・動きが伸びてくることをあらわしています。
以上のように「丙」も「申」も共に、あきらか・盛ん・伸びるの意味です。
強い生命力と活力を含んで、諸事、成長発展する年であるといえましょう。
※(以上の干支の解説については、安岡正篤氏干支学を中心にまとめました。
『干支新話(安岡正篤先生講録)』・関西師友協会刊。pp.65―66、p.98、参照。)
また次に、九性(星)気学で今年は「二黒〔じこく〕土性」にあたります。
陰陽五行思想で“陽”の「八白〔はっぱく〕土性」に対して“陰”の土性です。
易学的には【坤〔こん〕☷/地】、
人間でいえば母、母なる大地・田畑の土、「根〔コン〕」です。
従って、地味・大地・農業・忠実・生み作り出すなどの
多くの現象を表すと考えられます。
そこで、今年の時勢を推し測ってみますと。
エネルギーの蓄積、腰を低くして苦労に耐え忍ぶ、
内容充実の目立たない年ということがいえましょう。
《 歴史的に「丙・申」年を振り返る 》
歴史的に、前回の「丙・申」年つまり60年前は、
昭和31年(1956/八白土性)にあたります。
この前年は、昨年度お話しいたしましたように、
敗戦から10年を経て「もはや戦後ではない」(経済白書、1955/s.30)
といわれるほどに戦後の復興が進みました。
経済界は、“神武景気”(記紀の神武天皇建国以来の好況期の意: s.29.11〜s.32.6)
といわれるほどの活況を示します。
日本経済の“高度成長期”は、一般にはこの昭和30年(1955)から
昭和48年(1773)の第一次オイルショックまでを指します。
日本は、自由主義経済世界で第2位の経済大国となります。
しかしながら、急激な経済成長は“公害”や“交通事故の激増”をはじめ
外部不経済現象の顕在化をもたらし、
生活関連の社会資本の整備は後回しになってしまったのです。
《 申 → 猿 あれこれ 》
十二支・「申年」は、一般に「猿〔さる〕年」と言われ、
動物の「猿〔Monkey/Ape〕」に擬〔なぞら〕えられます。
「猿」にちなむ言葉や言い回しについて、あれこれ述べてみましょう。
「猿」は、生物学的に我々「ヒト」と祖先を同じくする動物ですので、
獣の中では最も知恵が優〔まさ〕っています。
昔時〔むかし〕、大ヒットしたショッキングなSF.映画・「猿の惑星」は、
「猿」が人間にとって代わって地球を支配する話で、実に感慨深いものでした。
また、深層心理学的には“子ども”を表します。
人間に近い・似ているからでしょうか。
そして言葉としての慣用的な使い方としては、
「猿芝居」・「猿知恵」・「猿まね」・・・といった具合で、
あまり良い使い方がないように感じます。
「猿も木から落ちる」という慣用句はよく用いられます。
「弘法〔こうぼう〕も筆の誤り」と同じで、
その道に長じた者〔ベテラン〕も時には失敗することがあるということです。
しかし、失敗してしまった時には、“モノは考えよう”で、
「猿」にしろ「弘法」にしろその実力は前提として認められている訳ですから、
落ち込みすぎずに前向きに考えて次をがんばることが大切でしょう。
また、この慣用句を捩〔もじ〕って、
“猿は木から落ちても猿のままだが、政治家は落選するとただの人となる”
との名言を残した代議士もいます。
政治・選挙の関係者の間では、重みのある言葉です。
「猿」の“音(=サル/エン)”だけをとって、良い意味で使われてもいます。
“サル=去る”で災いや病が去ること/“まサル=勝る・魔が去る”/
“エン=縁”で縁結び、といった具合です。
「猿を決め込む」 → 「見ざる」・「聞かざる」・「言わざる」も
現代的意味で考えさせられるものがあります。
手で目を隠し、耳を覆い、口を押さえたトリオ猿の絵や人形は今でもよく見かけます。
ちなみに、先だってこれらの3匹の猿が描かれた色紙で
バック〔背景〕に“桃”(の実)が3つ描かれたものを見かけました。
“桃”は、(中国伝来の思想で)霊力のある樹と考えられていました。
“縁起物”といった意味あいで描き添えられていたのでしょう。
この3つの姿勢の処世哲学は、本来、消極的保身・姿勢・悟りの戒めであると思われます。
私が想いますに。
“見過ぎ”・“聞き過ぎ”・“言い過ぎ”の
姦〔かしま〕しき「過(陽)」の現代日本においては、
“省み省いて”目指すべきものではないかと思います。
これは、“老子”の境地、「無為自然」・「静」の世界に通ずるのではないでしょうか?
面白いところで、“反省する猿”というのがありました。
「吾、日に吾が身を三省す」、という『論語』の曾子の言葉はよく知られていますね。
“省〔かえり〕み”、“省〔はぶ〕く”ことは極めて重要なことです。
尤〔もっと〕も、真に“反省”できるのは人間だけでしょう。
猿は、反省のポーズを(芸として)取ることができるというだけのことだと思います。
なお、中国古典・文化と関連して、漢詩の中によく“「猿」の声”が登場します。
盛唐の2大巨星、李・杜〔り・と〕の詩から少々ご紹介してみましょう。
(『唐詩選』新書漢文大系6・明治書院 参照)
○早〔つと〕に白帝城を発す 李 白〔り はく〕
朝〔あした〕に辞す白帝彩雲の間 /
千里の江陵一日〔いちじつ〕にして還〔かえ〕る
両岸の猿声啼〔な〕いて住〔や〕まざるに(住〔とど〕まらず) /
軽舟已〔すで〕に過〔す〕ぐ万重〔ばんちょう〕の山
★韻: 「間」・「還」・「山」
――“詩仙”・李白の七言絶句の傑作です。
詩全体に力強さとスピード感がみなぎり、
「猿声」の悲哀とのマッチングがとても魅力的です。
○登 高 〔とう こう〕 杜 甫〔と ほ〕
風急に天高くして猿嘯〔えんしょう〕哀し /
渚清く沙〔すな〕白くして鳥飛び廻〔めぐ〕る
無辺の落木は蕭蕭〔しょうしょう〕として下り /
不尽の長江は滾滾〔こんこん〕として来る
万里悲秋常に客〔かく〕と作〔な〕り /
百年多病独〔ひと〕り台に登る
艱難〔かんなん〕苦〔はなは〕だ恨む繁霜〔はんそう〕の鬢〔びん〕 /
潦倒〔ろうとう〕新たに停〔とど〕む濁酒〔だくしゅ〕の杯
★韻: 「哀」・「廻」・「来」・「台」・「杯」
――“詩聖”・杜甫の七言律詩の代表傑作で、
古今七言律詩のナンバーワンとも賞されます。
この詩は全てが対句(全対格)で構成され、
かつ全句がそれぞれ三層に切れているという、
優〔すぐ〕れて特異なものです。
首聨〔しゅれん:1句と2句〕を観てみますと、
対句となっており「猿嘯哀」と「鳥飛廻」がペアになっています。
「哀〔アイ〕」と「廻〔カイ〕」とは、韻を踏んでいます。
このように漢詩の世界では、「猿声」を哀(=悲)しみをつのらせる動物の声として捉え、
それゆえにこそ“詩になる”ということです。
“猿の鳴(=啼)き声”が「哀しい」という感覚が、
我々日本人にはよくわからないのではないでしょうか。
我々が聞き知っている日本の「猿=Monkey」と
漢詩に詠われている中国の「猿=Ape」とは、
そもそも種類が異なり鳴き声が違うのです。
《 干支の易学的観想 / 【火天大有】&【天山遯】卦 》
次に(やや専門的になりますが)、十干・十二支の干支を
易の64卦にあてはめて(相当させて)解釈・検討してみたいと思います・・・。
※ この続きは、次の記事に掲載いたします。
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