(こちらは、前のブログ記事の続きです。)


《 鴻雁の文学・歴史・生活上でのあやどり 》

「鴻雁」は、『易経』以外にも中国古典によく登場しています。

例えば、秦末・陳勝の「燕雀安知鴻鵠之志知哉」:「燕雀〔えんじゃく〕いずくんぞ鴻鵠〔こうこく〕の志を知らんや」

(『史記』・陳渉世家) 

「燕」はツバメ「雀」はスズメ、「鴻」は大鳥「鵠」はコウノトリ(あるいは鴻・鴻鵠で白鳥の意とも)。

小さな鳥は=小人物は、大きな鳥=大人物の心を知り得ないというたとえです。

また、前漢の蘇武の故事から手紙・消息のことを
「雁書〔がんしょ〕」・「雁信」・「雁帠〔はく〕」・「雁の便り」・「雁のふみ」・「雁の玉章〔たまづき〕」などといいます。

漢代・武帝の時代、漢の使節蘇武が匈奴に幽〔とら〕えられました。

バイカル湖あたりに囚われている消息を、雁の足に手紙を付けて運ばせ、
奇しくもこれを中国の皇帝が射落として知ったという故事です。
( ➡ “蘇武の節”として【水沢節】卦で詳説します。)

日本の古典の世界でも、「雁」は主要です。

『万葉集』“雁”が詠〔よ〕まれている数は、
“ほととぎす”についで第2位といわれています。

平安女流文学・清少納言の『枕草子』に、
「まいて雁など連ねたるが、いと小さく見ゆるは、いとをかし。」
(「春はあけぼの」)とあるのは、よく知られていますね。

もう一方の渡り鳥「燕」についても付言しておきますと。

「燕」も、古くから人間の生活に密接に関わり適応して生きてきております。

日本最古の物語・『竹取物語』に、「燕」が人家の軒下で営巣している光景が描写されています。

歴史の中にも、「雁」は古くは『古事記』に登場しています。

『古事記』・下巻、仁徳天皇の段で“雁の産卵の瑞祥〔ずいしょう〕”の話がそれです。

“聖帝”〔傑出した天皇〕には“瑞祥”が必要ということなのでしょう。

―― すなわち。天皇が日女〔ひめ〕島に行かれた時に、
渡り鳥の「鴈」〔雁の正字〕が茨〔し/いばら〕田の堤に卵を産んだという話を聞きました。

(春3月ころのこと、普通雁は日本では産卵しません。)

そこで、その珍しい話について、
長寿の大臣〔おおおみ〕・武内宿祢〔たけうちのすくね〕に
(御歌をもって)尋ねます。

「たまきはる 内の朝臣〔あそ〕 なこそは 世の長人〔ながひと〕 
そらみつ 大和〔やまと〕の国に 鴈卵生〔かりこむ〕と 聞くや 」

(武内宿祢、おまえは、ことのほか長生きしているから、
多くの珍奇なことも知っているだろう。
やまとの国に雁が産卵したということを聞いたことがあるか?
*「たまきはる」は「内〔うち〕」にかかる枕詞、
「そらみつ」は「大和/倭〔やまと〕」にかかる枕詞。)

武内宿祢の命〔みこと;皇后の祖父にあたるために敬称を用いています〕は、
自分は長生きはしていますが、雁が日本で卵を産むとは聞いたことがありませんと応〔こた〕えます。

「高光る 日の御子 うべしこそ 問ひたまへ 
まこそに 問ひたまへ あれこそは 世の長人
そらみつ 大和〔やまと〕の国に 鴈卵生〔かりこむ〕と いまだ聞かず」

(空高く光る、日の神の御子=仁徳天皇よ、ようこそお尋ねになりました。
まことによくぞお尋ねくださいました。 
私は確かに、この世で長生きはしていますが、
やまとの国に雁が産卵したということを聞いたことはございません。)

そして、そう申し上げた後で、琴をいただいて(琴似合わせて)、
言寿〔ことほ〕ぎの歌(片歌;五七七形式の歌)を歌います。

「なが御子や つびに知らむと 鴈は卵生〔こむ〕らし

(私の日の御子=天皇さま、いついつまでも長生きされて
この国を治められるであろうことを知らせようとして、
雁は卵を産んだのでしょう。)

雁の産卵という奇跡・瑞祥が、天皇の威勢・子孫繁栄を予言する祝い事として物語られているのでしょう。

また、『古事記』・中巻で、オウス=ヤマトタケルノミコト
〔倭建命/日本武尊〕
の霊魂が(渡り鳥の)白鳥となって
河内国に留まらずに飛び去ってしまうラストシーンは、
英雄に相応しくロマンチックで、
その心情が寓意に満ちていてとても興味深いものがあります。

「ここに、八尋(智)〔やひろしろちとり〕に化〔な〕りて、
天に翔〔かけ〕りて浜に向きて飛び行〔いでま〕しき。 
―― 中略 ―― 
かれ、その国より飛び翔〔かけ〕り行きて、
河内国〔かわちのくに〕の志幾〔しき〕に留まりましき。
かれ、そこに御陵〔みはか〕を作りて鎮まり坐〔いま〕さしめき。
すなはちその御陵〔みはか〕を号〔なづ〕けて、
白鳥〔しらとり〕の御陵〔みざざき〕”といふ。
しかるに、またそこよりさらに天に翔〔かけ〕りて飛び行〔いでま〕しき。」

(そこでヤマトタケルノミコトは、大きな白鳥に化身して、
大空に舞い上がり浜辺に向かって飛んでいらっしゃいました。
―― 中略 ―― 
さて、〔白鳥は〕その国から空高く飛んでいって、
河内国の志幾〔大阪府南東部、現柏原市/八尾市あたり〕にお留まりになりました。
それで、そこに御陵〔みはか〕を造って〔ヤマトタケルノミコトの御霊を〕お鎮め申し上げました。
そこで、その御陵〔みはか〕を名づけて
“白鳥〔しらとり〕の御陵〔みざざき〕”といいます。
ところが、〔白鳥は〕またそこ〔=志幾〕からさらに天空に舞い上がって飛んで行ってしまわれました。
〔 ―― そこから何処へ行ったのかは誰も知りません。〕)

私は、この(白鳥に化して飛ぶ)ラストシーンに、
【漸】卦の「鴻」が爻ごとに飛び進む姿、
そして上爻で大空に意のままに天翔る姿とのアナロジー〔類似〕を感じます

それはまた、『易経』でも『古事記』でも共に、
抒情性〔じょじょうせい〕に満ちたロマンチックな部分
でしょう。

敬愛する父・景行天皇の絶対的命令で、
遠征に次ぐ遠征をした行旅のヤマトタケルノミコトが、
“渡り鳥”に化し飛び回り続けるのは、まことに似つかわしい
ことと思います。

飛び去ってしまったのは、父・景行天皇への(ファザコン的ともいえる)想い、
故郷ヤマトへの望郷の念、逆賊平定への思いなどといった心情からなのでしょうか? 

加えて、「鴻雁」でなく「白鳥」に姿を変えたのは
例えばヤマトタケルノミコトが、昔女装して
クマソ〔熊曾〕兄弟を刺し殺したことから推察されるように
端正な容姿のイメージの人だったからなのでしょうか。

あるいは、英雄に相応〔ふさわ〕しく【陽】の色としての“白色”、
神聖(神道〔しんとう〕)の色としての“白色”からなのでしょうか

 

さらに、平安時代(後期)の“武士の神様”・八幡太郎こと
源義家〔みなもとのよしいえ:1039〜1106〕の雁(の乱れ)にまつわるエピソードも有名です。

―― すなわち。

“後三年の役〔ごさんねんのえき:1083〜1087〕”、
陸奥〔むつ〕の豪族清原氏一族との争いでのことです。

源義家の軍が、金沢の柵ふもとの野道を進んでいた時、
はるか彼方の空の雁の群れが沼地の上にくるといきなり列が乱れ、
雁たちが四方に飛び去っていきました。

先生の大江匡房〔おおえのまさふさ〕から教えられていた中国古典『孫子』
「雁の群列が乱れるのは、伏兵の兆〔きざ〕しなり。」

とあったのを思い出しました。

それで、伏兵を射殺し清原軍を打ち破ることができたのでした。

義家が『孫子』を学ぶようになったいきさつはといいますと。

若いころ、その時学者にすぎなかった大江匡房に
「義家殿は、なるほど大将の器じゃが、惜しむらくは兵法というものを知らぬ。」
と言われたことが契機でした。

年下の若い学者の言葉に腹を立てることなく、
弟子入りし、文の道を学び、文武両道の名将となったのです。

近代文学でも、森鴎外の『雁』〔がん〕、
井伏鱒二の『屋根の上のサワン(雁)』などよく知られているところです。

土井晩翠〔つちいばんすい〕作詞の「荒城の月」(作曲:瀧/滝廉太郎)にも、
七五調の名詩がありますね。

「秋陣営の霜の色 鳴きゆく雁の数見せて 植うる剣〔つるぎ〕に照り沿いし 昔の光今いずこ」

西洋の児童文学・童話作品でも、雁や燕はおなじみです。

『ニルスのふしぎな旅』では、悪童ニルスが雁の群れに付き従って、
家禽のガチョウ(モルテン)に乗って旅をします

『おやゆび姫』では冬に介抱してあげた燕〔ツバメ〕に乗って
遠い暖かい国へゆき花の天使の王子と結婚します

『幸福の王子』では、は、“幸福の王子”像の体を飾っている宝石や金箔を
王子に頼まれて貧し人々一人一人に届けます。

燕は渡りの時期を過ごしてしまい凍死してしまいます

神様の使いは、この世で最も尊いものとして、
王子の壊され燃え残った心臓とその燕の亡骸〔なきがら〕の2つを選びました。

次に、「雁」は、太古の昔から近代に至るまで、
日本人の日常生活全般に広く深く融合・浸透してまいりました。

まさに、言霊〔ことだま〕の宝庫ともいえましょう。

その文〔あや〕どり枚挙にいとまありませんが、少々羅列してみますと。

―― 家紋「雁金紋〔かりがねもん〕」、和菓子「落雁〔らくがん〕」、
高級茎茶「雁が音〔かりがね〕」、精進〔しょうじん〕料理での肉の代用品「雁擬〔がんもどき〕」、
「飛竜頭〔ひりゅうず・ひりょうず・ひりうす・ひろうす〕」、
手紙のこと「雁書〔がんしょ〕」、「雁首〔がんくび〕」、
「雁風呂〔がんぶろ〕」(「雁供養〔がんくよう〕」、「葉鶏頭」=「雁来紅〔けいとう〕」。

群れ飛ぶ雁の姿、順序・秩序から「雁序」〔兄弟のたとえ〕、
漢文の返り点「レ〔れ〕点=雁がね点」 etc. 

おもしろいもので「奴雁〔どがん〕」について付言しておきましょう。

「奴雁〔どがん〕」:「孤雁〔こがん〕」は連れのないただ一羽の雁です。
が、それに対して「奴雁」は、雁の群れの仲間が餌を食べている時、
一羽だけ周囲の様子をうかがっている雁のことです。

リーダー〔指導者〕・見張りでしょうか? 

例えば、「先見の明や責任感を持った奴雁となるように ・・・」といった具合に用います。

面白くも興味深い言葉です。

西欧思想の民主主義は、51%の多数を善しとしますが、
「真理はいつも少数(意見)の中にあり」といいますね。

易学の思想にも、少数中心主義があります

 


※ この続きは、次の記事に掲載いたします。


「儒学に学ぶ」ホームページはこちら
http://jugaku.net/

メールマガジンのご登録はこちら


にほんブログ村 哲学・思想ブログ 儒教・儒学へ

にほんブログ村