孝経  ( 広揚名章 第14 )  執筆中

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論語  ( 孔子の弟子たち ―― 曾 子 〔2〕 )

4) 夫子(孔子)「一貫〔いっかん/いつもってつらぬく・おこなう〕の道」

 ○ 子曰く、「参や、吾が道は一〔いつ〕以て之を貫く(或いはおこなう)」と。
   曽子曰く、「唯〔い〕」と。
   子出ず。門人問うて曰く、「何の謂いぞや」と。
   曽子曰く、「夫子の道は、忠恕のみ」と。
  (里仁・第4−15)

 《 大 意 》

 孔先生がおっしゃるには、
 「参や、わしの道は一〔いつ〕なるもので貫いておる(行っておる)。
 (その道がわかっておるか?)」 

 曽子はすぐに、「はい〔唯〕。(よく承知いたしております)」と答えました。

 他の門人たちが、(禅問答のようでさっぱりわからないので)
 「今のお話は、一体どういう意味なのですか。」と問いました。

 曽子は、「先生の説かれる道は ※“忠恕”
 ( ――思いやりといつくしみ・まごころと思いやり/造化の心、
 そのまま、限りなく進歩向上していくこと
 
 のほかにはありませんよ」と答えました。

 ※曽子は、敢えてと言わずに解り易く具体的に忠恕と表現したと考えられます。
 (→ 研究後述)

研究

 A.とは?

  ・思いやりといつくしみ (忠恕・愛・慈悲) / 
   「忠」【おのれ】は中する心、限りなく進歩向上する心 = 弁証法的進歩
   「恕」【人におよぼす】= 女の領域・女の世界 = 造化
  ・「一〔いつ〕なるもの」=「永遠なるもの」=「受け継がれるもの」
  ・“見えざるものを観、聞こえざるものを聴く”ことによって智〔さとる〕(覚智)

   cf.“女をば法〔のり〕のみくら〔御座〕といふぞげに
      釈迦も達磨もひょいひょいと出る”
      (一休和尚)  / ・神道 “産霊〔むすび〕”

 B.荻生徂徠〔おぎゅうそらい〕の理解

  ・荻生徂徠は、「吾道一以貫レ之」について、
   孔子が仁の実践によって天下を安んずる道を理想とし、
   仁をあらゆる徳の根本であると理解しています。
   そして、「忠恕」を仁を実践する手段であると考えています。
   以下の原典ご参照下さい。

 ○ 夫れ先王の道は、天下を安んずるの道なり。
天下を安んずるの道は仁に在り。
故に曰く、「一以て之を貫く」と。/
何を以て之を貫くと謂う。仁は一徳〔いっとく〕なり。
然れども亦〔また〕大徳なり。故に能〔よ〕く衆徳を貫くべし。
先王の道は多端なり。唯だ仁のみ以て之を貫くべし。
辟〔たと〕へば繦〔きょう〕の銭を貫くがごとく然り。
故に貫くと曰う。
一理や一心や誠〔せい〕やのごときは則ち一〔いつ〕なるのみ。
何ぞ必ずしも貫くと曰わん。/
故に曽子曰く、「忠恕のみ」と。忠恕は之を為す方なるが故なり。

(荻生徂徠・『弁道』)

 《 大 意 》

そもそも、古〔いにしえ〕の聖王の道は、
世の中を遍〔あまね〕く平安にするための道です。

世の中平安への道は、“仁”の実現・実践にあります。

ですから、孔先生は、
「わしの道は一〔いつ〕なるもので貫いておる」とおっしゃっているのです。

それでは、どうして“貫かれている”というのでしょうか。

“仁”は1つの徳ではありますが、
すべてのものに行きとどく大きな徳なのです。

だからこそ、他の多くの徳を貫くことが出来るのです。

古の聖王が説く道は、多岐にわたっています。

が、ただ“仁”だけは、それらすべてを貫くことが出来るのです。

例えば、“ゼニサシ”がいくつもの銭の穴を貫いて
1つにつなげられるようなものです

そこで、“貫かれている”というのです

一理・一心・誠などは、ただ徳の1つにすぎません。

ですから、必ずしもすべてのものを貫くとは言えないのです。

以上のことから曽子は、
「思いやりといつくしみのほかにはありませんよ」と言ったのです。

要するに、“思いやりといつくしみ”が
“仁(= 一つのもの)”を実践するための具体的手段であるからです

 

5) ※『孝経』 を著わす

○ 曽子疾〔やまい〕あり。
門弟子〔ていし〕を召して曰く、
予〔わ〕が足を啓〔ひら〕け、予が手を啓け。
詩に云わく、戦々兢々〔せんせんきょうきょう〕として、
深淵に臨むが如く、薄氷を履〔ふ〕無が如し、と。
而今〔いま〕よりして後、吾免るることを知るかな。小子。
 (泰伯・第8−3)

 《 大 意 》

曽子が病気にかかり危篤〔きとく〕状になった時、
弟子たちを集めて言いました。

「ふとん〔夜具〕を開いて、私の足を見てみなさい。
(では次に)私の手を見てみなさい。
身体のどこかに傷痕〔きずあと〕はないか。

『詩経』(小雅・小旻〔びん〕篇)の中に、
“深い淵〔ふち:谷の断崖〕にっ立って落ちるのを恐れるごとく、
薄い氷をふんで割れはしないかと恐れるように、
戦々として恐懼し兢々として戒慎する”とあるが、
(私は、父母からもらったこの身体を傷つけぬように大切に保ってきた。
大変だったぞ。)
こうして無傷で(親不孝せずに)あの世に行ける。

もう我が身を傷つけぬ責任から解放される。

やれやれだよ。お前たち。」

※ 『論語』は、曽子の弟子が主体になって作られたようです。(?)
『孝経』は、孔子が曽子に語るという形式で、
曽子の弟子がまとめたと思われます
。(ex.曽子曰く ・・・ )

cf.「詩云、戦々兢々・・・」
→ 「身体髪膚これを父母に受く、
  敢えて毀傷〔きしょう〕せざるは孝の始めなり。」

 

6) 「千万人と雖も吾れ往かん」 (『孟子』)

○ 「昔者〔むかし〕曽子、子襄に謂いて曰く、子、勇を好むか。
吾嘗〔か〕って大勇を夫子に聞けり。
自ら反〔かえり〕みて縮〔なお〕からずんば、
褐寛博〔かつかんぱく〕(=賤者)と雖も、吾惴〔おそ〕れざらんや。
自ら反みて縮くんば千万人と雖も吾往かん。」 

(『孟子』・公孫丑〔こうそんちゅう〕上)

 《 大 意 》 

昔、曽先生は、(弟子の)子襄に向かっておっしゃっている。

「お前は、勇を好むか。
私は、かつて孔先生から、大いなる勇というものにいついて聞いたことがある。

それは、自分でよく反省してみて正しくない場合には、
たとえ褐寛博のような(取るに足らない賤しい)者であっても、
恐れないことがあろうか(いや、ありはしない)。

しかし、自分でよく反省してみて正しい場合には、
たとえ相手が千万人であろうとも、恐れずにっ向かってゆくであろう、
ということなのだ。(これが、真の意味での大勇なのだぞ。)」

自反・・・自ら反〔かえり〕みて/反〔はん〕して
→ 反省してみて(「三省」)
「縮」 = 直、
「直」はまた「徳」の字(右側のつくり部)でもあります。

「千万人と雖も吾れ往かん」 の勇ましいのを孟子とカン違いしている人もいるようです。
原典のように、『孟子』〔もうじ〕の中の曽子の言葉です。
孟子が弟子の公孫丑との会話の中で、曽子の言葉を引用して自論を述べています。

 

7) 重き荷を負うて ・・・・

○ 曽子曰く、士は以て弘毅〔こうき〕ならざるべからず
任重くして道遠し。仁以て己〔おの〕が任となす。
亦重からずや。死してのち已〔や〕む。亦遠からずや。
(泰伯・第8−7)

 《 大 意 》 

曽子が言うには、「士(道を志す者)は、心が広く意志が強くなければならぬ。
なぜならその任務は重く、行くべき道は、はるかに遠い。

その任とは、最高の徳“仁”の道の体得と実践である。
何と荷が重いことではないか。

この仁という重荷を死ぬまで負っていくのである。
何とはるかに遠いことではないか。」

「士」= 「士」の字は、十人を一束にしてゆく力量のある指導者。
士を公務員・教養人・指導者(リーダー、エリート)と捉え、
そういった官僚・公務員の心構えを説いていると解してもよいでしょう。

弘毅 = 度量広く意志が強いこと /
不可以不 〜 
は、〜でなくてはならない。
二重否定を用いて肯定を強める慣用形。

※ 任が重いのは「仁」を実現させねばならないからで、
道が遠いのは死ぬまでその遂行が求められているからです。
志士仁人〔ししじんじん〕といわれ、人の任務の重大さを力説する文章です。

cf.★井上 毅〔こわし〕/犬養 毅〔いぬかい・つよし〕/
広田弘毅〔こうき〕
:極東軍事裁判でA級戦犯となり
文官中で一人死刑となりました

徳川家康家訓 : 「人の一生は重き荷を負うて遠き道を行くがごとし
急ぐべからず。不自由を常とおもえば不足なし。
心に望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。
堪忍は無事長久の基〔もとい〕。怒りを敵と思え。
勝つことばかりを知りて負くることを知らざれば害その身に至る。
己を責めて人を責むるな。及ばざるは過ぎたるに勝れり。」
(『東照君遺訓』)

 

8) 「託孤寄命章〔たくこきめいのしょう〕」

○ 曽子曰く、以て※六尺〔りくせき〕の孤を託すべく、
以て百里の命を寄すべく、大節に臨んで奪うべからず。
君子人〔じん〕か。君子人なり。 
(泰伯・第8−6)

 《 大 意 》 

曽子が言うには、
「15歳ほどの幼少の君(父を亡くした、みなし子)の将来を安心して頼める人、
一国の政〔まつりごと〕と運命を任せられる人、
国家の大事に臨んでも、節操・志節を失わない人、
こういう人こそ君子というべき人であろうか。確かに真の君子人であろうよ。」

※ 「六尺の孤= 2歳半を1尺といいます、
15歳の父を失った子。幼君。
曽子は、孔子の愛孫・子思を教育する。 / 「大節」 = 大変事

※ 「君子人與。君子人也。」 : 一度疑って後に決定 → 強め

cf.☆諸葛亮〔しょかつりょう〕孔明、
劉備の子(劉禅)を託される (出師の表)

☆加藤清正、秀吉の子(秀頼)を託される (家康との二条城での会見)

 

補説

親子2代の弟子 (顔回&曾子)

◇顔淵とその父・顔路: 顔路は、名を無繇〔むゆう〕といい、
孔子より 6歳少〔わか〕い。
孔子が始めて教えた時、学を受けています。
顔淵の死に際して、孔子の車を請い受け売って外棺〔そとかん〕を買おうとする話があります。

○「顔淵死す。顔路、子の車を請うて之が椁〔かく〕を為〔つく〕らんとす。」
(先進・第11−8)

◇曾子とその父・曾拭未修Δ擦〕: 曾燭蓮既にみたようになかなかの風流子です。
親子2代にわたる孔子に対する尊敬の念。
家庭の中で子に語る、家庭(父子)教育の大切さ。

(曾子完)

 

本学   【司馬遷と『史記』 ― 1 】  執筆中

 

易経   ( by 『易経』事始 Vol.2 ) & ( by 「十翼」 )

§.易の思想的基盤・背景 (東洋源流思想)  【 ―(5) 】

C. 陰陽相対〔相待〕論(陰陽二元論)・・・続き



続きは、次の記事(後編)をご覧下さい。




                                         

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