こちらは、前の記事の続きです。

コギト(我想う) 1

≪ 循環の理 (1)  「大曰逝、逝曰遠、遠曰反」 ≫

「遠曰反」は、老子の思想の特徴的な部分であり、私は、老子の面目躍如たるものを感じます。

25章は、道の始原(元)性にはじまり、めまぐるしく論旨が展開していて複雑・難です。

中でも、この文は難解です。が、私は興味深く感じるものがあります。

 

道は周〔あまね〕く行き渡っているので、その性質から「大」といってみました。

「大」〔Great〕は「小」に対する相対的概念ではなく、“絶対大”・“無限大”です。

「大」なるものの運動は「逝」〔ゆ〕き「遠」ざかります。

無限・永遠の拡がりを示し、その極〔きわみ〕に達すると、“循環の理”に由って根源〔もと〕に「反」(=返)るのです。

“矛盾を孕〔はら〕んだ統一”ですね。

 

“Great, it pass on in constant flow. Passing on, it becomes remote.
Having become remote, it returns.“ (Kitamura adj. p.87)

 

さて、このことを現代の科学的(宇宙物理学・天文学・・・)常識・成果で考えてみましょう。

地球は球体(丸い)であり、太陽(月は地球)を自転しながら公転しています。

一日・一年の巡り(周行)でまたもとに戻ります。

「春→夏→秋→冬→」という四季の移り変わりも、それが故のことですね。

遥かに「遠」くなり、やがて本源に立ち返〔「反」〕るのです。 注1)

これが、老子の思想の深淵・面目躍如たるところです。

 

例えば、もし悠遠〔ゆうえん〕にみることが出来る望遠鏡があれば、地球上では自分の後ろ姿が見えるのでしょう?

アインシュタインの(宇宙)論でも、「遠」〔無限∞〕に遠くが見える天体望遠鏡で宇宙のはてを見ると、自分の後ろ頭が見えるといいます。 注2)

137億年前のビッグ・バンに宇宙は始まり、以後拡大・膨張し続けているといわれていますが、膨らむ宇宙の結末は、空間も引き裂かれてバラバラになるのでしょうか?!

それとも行き着くところまで行けば縮み始めるのでしょうか?

 

易学においても、陰陽2原論の易理が、現代のコンピューターの2進法の原理(0と1、Off と On)と同一です。

また、易・64卦の理は、生物学の胚の誕生・“卵割〔らんかつ〕”のプロセス(単細胞の受精卵が、2・4・8・16・・・と分割され64分割をもって終了すること。それ以降は、桑実胚〔そうじつはい〕とよばれます。)と同じです。

 

想いますに、これら21世紀の現代科学の成果と2000年余前の老子の思想との不思議な一致は何でしょうか?

なぜ、老子は知り得たのでしょうか?

これは、(易学でもいえることですが)私は、聖人のシックスセンスによる、“覚智〔かくち〕”の世界の故だと想うのです

まことに、“至れる哲学(者)は科学的であり、至れる科学(者)は哲学的”ではありませんか。

 

注1)

「遠の極み(遠の大なるもの)は、反〔返〕る」は、まことに万般においての哲理・真理と想われます。

それは、円運動にしろ振り子(半円)運動にしろ、山谷の波運動にしろ(cf.易は 円の循環でもあり、陰極まれば陽・陽極まれば陰の山谷の波の循環でもあります)、「周行」であるからなのでしょう。

大いに「離」=遠くなれば、反る。

その循環の理により自然に復帰するものですが、それは、人間のイデオロギーや心理状態にも言えるのでしょうか?

老子は、人間だけは進んで反(=帰)ることを知らないと言っています。

私は、現代文明=易の【離】はまさにそのとうり、反ることを知らないでいると思い想います

 

注2)

cf.現在の宇宙科学で、ビッグ・バン以来(加速しながら)膨張し続けている宇宙の格好は球体をしており、その大きさは、(年齢を137億年として) 【 9.1 × 10 の78乗 立法メートル 】 と計算されています。

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*易: 易(の循環)は、「円」であり「波」である? 
(cf.光は粒であり波である:アインシュタイン)
 ・・・  算木の象は「6」、易卦は「64」の循環 


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コギト(我想う) 2

《 「四大説」の “4・四” 》

「道」の性質を「大」として、論旨は別方に転じて「四大説」が展開されています。

道・天・地・王がそれです。

老子のいう「王」は、道の体得者、無為にして化した三皇時代(堯・舜より前)の聖王でしょう。

(cf.“尚古思想”)

老子の理想的指導者像です。

「而王居其一」と強調しているところに、老子の政治思想の現実的立場がよく示されているといえます

 

老子の「四大説」では、言葉としては 5つあります。

が、意味するところは、「人」/「天・地」/「道」=「自然(おのずとそうである/道は自然のままに生まれる)」 と 3つに捉えるべきものでしょう。

そうして、「王(指導者・リーダー)」は「道(天・地を含む)」に従いかなうべきであると論理を展開してゆくわけです。

 

ところで、「四・4」という“数”に着目してみたいと思います。

東洋(儒学)では、「五行思想」【木・火・土・金・水】にもとづく“五”、易にいう   生数  “5”「五」を神秘的な霊数として重んじます

それに対し、“4”は西洋の源流思想の霊数です。

起源は、ギリシア哲学の「四元素説」【水・火・土・空気】です。

この「四元素」は、物質の4態: 固体・液体・気体・プラズマでもあります。

 (cf.プラズマ = 第4物質形態。宇宙の99.9%以上がプラズマ状態) 

西洋の「四元素説」 と東洋の「五行説」とは、遥〔はる〕かむかしからよき対照をなしているのです

 

なお、“4”は陰、“五”は陽の数です。

黄老と儒学は、コインの裏表のように中国二大源流思想を形成しています。

老子の思想を陰(ウラ)、儒学の思想を陽(オモテ)と考えることもできるかもしれません。

 

さて、インド(仏教)思想にも“四”がよく登場します。

「四苦」・「四諦〔したい〕」・「四法印」・・・ といった具合です。

「四大」についても、仏教では【水・火・土・風】を称します(ギリシア哲学の「四元素説」と同じですね)。

また、仏教で三宝〔さんぽう〕」 といえば「仏」・「法」・「僧」です。

聖徳太子の十七条憲法でも、「二に曰く、篤〔あつ〕く三宝を敬へ。三宝とは 仏〔ほとけ〕・法〔のり〕・僧〔ほうし〕なり。・・・ 」とありましたね。

この三宝も実は、『老子』・67章に登場するものです。

すなわち、「慈〔じ: 慈悲〕」・「倹〔けん: 倹約〕」・「後〔ご: 出しゃばって人の先頭とならない〕」の 3つがそれです。

→ 後述 ≪老子の三宝≫ 参照のこと

 

ちなみに、「老子化胡〔けこ〕説」というものがあります。

「胡」とは、釈迦(仏陀)のことです。

すなわち、消息を絶った老子が、その後インドに行き、釈迦を教えたとか釈迦そのものであるとかというものです。

それはともかくとしても、黄老思想と仏教とを眺めておりますと、老子の仏教への影響もまた深いものがあるかもしれません。


→この続きは、次の記事をご覧ください。

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