こちらは、前の記事の続きです。
◎【無名、天地之始。 有名、万物之母。】
*It was from the Nameless that Heaven and Earth sprang;
The named is but the mother that rears the ten thousand
creatures, each after its kind.
(A.Waley adj. p.141)
*The nameless was the beginning of heaven and earth;
The named was the mother of the myriad creatures.
(D.C.Lau adj. p.5)
*Without a name, it is the beginning of heaven and earth;
with a name, it is the mother of all things.
(Kitamura adj. p.5)
・「無名」: この句は、「無名」で切って 「無名〔名無き〕は、天地の始めにして、有名〔名有る〕は、万物の母。」 と 「無」で切って 「“無”を天地の始めに名づけ、“有”を万物の母に名づく。」と読む2説があります。
前者は「道は常に名無し」《32章》、 後者は「天下の物は有より生じ、有は無より生ず」(§40章) 、とあるのが解釈の拠り所の一つとなっています。
解釈についても、
A.漢文法によくある「互略法」 :無名は“天地万物”の始め、有名は“天地万物”の母、と解するとわかりよいです。
B.「天地の始」と「万物の母」の対応と解釈すると、老子の“万物生成論”(後述)を良く示していると考えられます。即ち、次の序列です。
〈 道・「無名」 ➔ 気・「有」 ➔ 天地・「有名」 ➔ 「万物」 〉
※「始」と「母」(古音はミ)が押韻
『旧約聖書』(創世記)に書かれている‘元はじまり’を比べると、興味深いものがあります。まず、絶対的“神”があります。神は“有って有るもの”で名がありません。その“神”が、暗黒に光を与え、天と地を分かち“天”と“地”を名づけます。
○「太初(たいしょ)に言(ことば)あり、言は神と共にあり」 (『旧約聖書』・創世記)
→ 研 究 その2 《 キリスト教(ユダヤ教)の 神 》 参照のこと
(*安岡・前掲「老子と現代」 pp.101−102引用) ・・・ 〈 有名は一つの限定である 〉
「『無名は天地の始にして、有名は万物の母なり』。有名になるということは、つまりおっ母さんになって、色々なものを生んでゆくことであります。然し母になるということは一つの限定であるから、そこで処女〔おとめ〕は貴いのであります。ここから何にでもなれる。だから結婚は、或る意味に於て、惜しむべき限定であります。独りぼっちでおって、神経衰弱になっても困るけれども、物解りの悪い亭主と結婚するくらい悲惨なことはない。だから西洋でも未婚の婦人のことを single blessedness 神から祝福された一人というのであります。」
cf.“モラトリアム(人間)”の時代
無 = The Non−existenent /Not−being /Nothing /Complete wholes
有 = The existenent /Being /Something
*有無は、対峙・対立するものではなく一つの“環状”を成して境界はありません。
研 究 その1 ≪ 仏教の 「色」と「空〔くう〕」 ≫
【仏教】 = 「 色不異空(しきふいくう)。空不異色(くうふいしき)。 色即是空(しきそくぜくう)。空即是色(くうそくぜしき)。 受想行識(じゅそうぎょうしき)。亦復如是(やくぶにょぜ)。 」
(『(摩訶(まか))般若波羅密多心経(はんにゃはらみったしんぎょう)』・唐 三蔵法師玄奘(げんじょう) 訳)
※ 「色」は有、「空〔くう〕」は無。「色」は森羅万象〔しんらばんしょう/=万物: Everything〕のことです。「空〔くう〕」から数学の「0〔ゼロ〕」の概念がうまれます。そして、「色即是空 空即是色」とは、この「空」と「色」は“環状”で循環することを表現したものです。
般若心経 600巻も、(老子と同じく)“色・空”の 2文字から説き起こしたわけです。
研 究 その2 ≪ キリスト教(ユダヤ教)の 神 ≫
――― 「十戒〔じゅっかい〕: The Ten Commandmentes 」 の神
映画「十戒」に、モーゼが“神の(いる)山〔シナイ山〕”に登り、神をみるシーンがあります。この神は、キリスト教の元始の神、つまり(イエス・キリストではなく)ユダヤ教のヤーベ(ヤハウェ/エホバ)の神のことです。(by.『旧約聖書』・出エジプト記)
モーゼ:「私を遣わされた神の御名を聞かれたら、何と答えればよいでしょうか?」
神:「わたしは有って有るもの “ I am that I am.”。その私が遣わしたと言うがよい。」
そして、下山して(神の)「姿は?」と聞かれて、「形は持たれない、永遠の霊の光だ。」と答えます。
*ヤハウェ〔Yahweh〕: 「イスラエル人が崇拝した神。万物の崇拝者で、宇宙の統治者。 エホバ。ヤーウェ。上帝。天帝。」(by.『広辞苑』)
■2011年6月26日 真儒協会 定例講習 老子[12] より
(この続きは、次の記事に掲載させて頂きます。)
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