こちらは、前の記事の続きです。

 【故常無欲以観其妙、常有欲以観其徼。】

*Truly, ‘Only he that rids himself forever of desire can see the 
Secret Essences’;
He that has never rid himself of desire can see only the Outcomes.
(A.Waley  adj. p.141)

*Hence always rid yourself of desires in order to observe its 
secrets;
But always allow yourself to have desires in order to observe its  manifestations.
(D.C.Lau adj. p.6)

*Only one who is eternally free from earthly passions can apprehend 
its spiritual essence; he who is ever clogged by passions can see no 
more than its outer form.
(Kitamura adj. p.6)

 

・「故」: 『老子』には、「故に」・「是を以て」という、上節をうけて次の clouse を導く接続詞が多用されています。「故に」は、“ゆえに”と“まことに”(「固に」同じ)の2つの意味があります。

・「妙」: Deep mystery /玄妙不可思議の理。深淵でわかりにくいもの。 「妙」と「玄」とは関連しています。(後述)   ex. 「玄妙」・「幽玄」 ・・・

・「徼」: Outer form /帰結や端〔はし〕・境界の意。形態・輪郭と解してもよいでしょう。形のないものは、外郭・境界がありませんから(「大方無隅」)。「后廚亮攣で、明白の意。「微妙な始源」に対する「末端の現象」。

※「妙」と「徼」が押韻しています。押韻の関係から、本来「名」か「形」であったものを「徼」にしたのかも知れません。

「 ―― 徼の字は、古来文字学者、老子学者によって色々と説のある問題の文字でありますが、結論を言えば、これは微の文字が置き換えられたと見るのが正しいようであります。」

(*安岡・前掲「老子と現代」 pp.102−103引用) 

・「欲」: desire/欲求の意でしょうが、「将」のように軽く未来の希望を示した語と考えられます。

 

 

 ◎【此両者同出而異名。同謂之玄。玄之又玄、 衆妙之門。

★☆ 第3段は、解説的に書き入れられたように感じます。したがって、この第4段は第2段に直接つながるように思われます。そして、末句の「玄之又玄、衆妙之門」8字が最重要 pointです。

*These two things issued from the same mould, but nevertheless 
are different in name.
This ‘same mould’ we can but call the Mystery,
Or rather the ‘Darker than any Mystery’,
The Doorway whence issued all Secret Essences.
(A.Waley  adj. p.141)

*These two are the same 
But diverge in name as they issue forth.
Bing the same they are called mysteries,
Mystery upon mystery − 
The gateway of the manifold secrets.
(D.C.Lau adj. p.6)

*As development takes place, it receives the different names. ――― 
But in their origin are one and the same.
(Kitamura adj. p.7)

 

・「此両者」: 「始」と「母」と、または「有」と「無」と。 /The spiritual and the material.
( ほか、「道」と「名」/「無名」と「有名」/「無欲」と「有欲」/「妙」と「徼」 )
「始〔はじめ〕にあれば始、終〔おわり〕にあれば母という」(王弼)

・「同出而異名」: 同じものから生まれ出て、例えば、首を「無・始」といい尾を「有・母」と称するようなものと思えば良いでしょう。“火のない所に煙は立たず”といいますが、薪に火がつきその火と煙の関係になぞらえるのも面白いと想います。

・「玄之又玄」: 「玄」は、見れども見えず聴けども聞こえずの“元気”。五感を超えた、霊妙にして神秘的なさまです。造化の神秘的エネルギー(暗黒エネルギー)老子の思想における特異なキーワードの一つです

「玄」のつく語は、暗く幽〔かす〕かで捉えどころのない「道」を暗示す言葉として多用されています。

ex.「玄徳」・「玄牝」・「玄同」・「玄通」・「玄覧」 ・・・ etc.

また、「玄」と「妙」は関連しています。 ex.「微妙にして玄通」 《15章》

妙 = 眇 ≒ 玄

玄は「無」、仏教の「空〔くう〕」です「空」と「無」は、「同出而異名」です

私は、黄老の「玄」〔げん/くろ=黒〕 と 儒学の「素」〔そ/しろ=白〕とが、(対照的に)良くその思想の本質を一文字で現わしていると考えています。

そして、「玄之又玄」は、玄の奥にまだ深奥があることの詩的表現です。

A mystery ―― the mystery of misteries.

★「衆妙之門」: 宇宙・造化の偉大なる作用の出口。(§6章) 「玄牝の門=女性生殖器」・「天地の根=生殖器」も同意です。生(産)み出すものであり、儒学・易学の「中〔ちゅう〕」であり神道の「産霊〔むすび〕」に通ずるものであると考えます

This identity of apparent opposites I call the profound,
the great deep, the open door of bewilderment.

♪「玄」と「門」が押韻しています。

cf.運命学にも、「鬼門〔きもん〕」=「起門〔きもん〕」=「生門〔きもん〕」という語・考え方があります。

★ 宇宙造化の門 : 衆妙之門 = 玄牝の門【女性生殖器】 = 天地の根【生殖器】
/ ≒「中」(易学) ・「産霊〔むすび〕」(神道)


(この続きは、次の記事に掲載させて頂きます。)


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