こちらは、前の記事の続きです。

◆◇ 次に以下、『老子』のなかで、「損・益」について述べられているものを拾ってみますと。

( §42章 )

○ 「故物或損之而益、或益之損。

■ 故に物は或いは之を損して益し、或いは之を益して損す

《 大意 》

まことに、ものごとは、(※『易経』の【損・益】の卦に教えているように) それを損する(減らす)ことによってかえって益する(益す・増やす)ことがあり、(逆に)それを益する(益す・増やす)ことによってかえって損する(減らす)ことがあるものなのです。

 

( §77章 )

○ 「天之道、其猶張弓与。高者抑之、下者挙之、有余者損之、不足者補之。 |
*天之道、損有余而補不足。人之道則不然、損不足以奉有余。」

■ 天の道は、其れ猶〔な〕お弓を張るがごときか。高き者は之を抑〔おさ〕え、下〔ひく〕き者は之を挙げ、余り有る者は之を損じ、足らざる者は之を補う。 |
*天の道は、余り有るを損じて、而〔しか〕して足らざるを補う。人の道は則ち然らず、足らざるを損じて、以て余り有るに奉ず。」

《 大意 》

天の道(自然なあり方)は、あたかも弓に弦〔つる〕を張るようなものでしょう。上の端(高い上弭〔うわはず/末弭:うらはず〕)は下にひっぱり、下の端(下の下弭〔もとはず/本弭:もとはず〕)は上に持ち上げます。余り過ぎたら減らし、足らなければ継ぎ足し補います。(それでこそ、立派に調整ができるのです。) |
天の道は、このように、余り過ぎたものを減らして足りないものを(=ホドよく、中和させる)補うのです。(しかしながら)人の道(=やり方)は、そうではありません。足りない方をさらに減らして取り上げ、それを有り余っている者にさし上げる(たてまつる)ということなのです。 補注)※

*“It is the way of heaven to take from those who have too much, 
and give to those who have too little.But the way of man is not so.”    (Kitamura adj. p.252)

*この章は、共産主義(中国)にも資本主義にも利用されてきました。ここに老子の思想のスケールの大きさが感じられます。そして、所詮小さな“主義”を振り回すのみで、不平等を好み、
人の道は則ち然らず」で現在に到っています。

補注) 現代的に例えてみますと。貧しい人からの収奪(搾取?)・税金の徴収。金持ちに「金」が集まる→金が金を生む(利子や地代)。“持てる者と持てない者と”の格差の広がり。(東京大学合格者の8割は金持ち・・・ )
社会的「衡平: “累進課税”の制度。社会保障諸政策(生活保護、児童・子ども手当、高校授業料無償化、国立大学授業料低所得家庭への無償化 etc.)

★  盗夸  

◆ 「盗〔とう〕の夸〔おご〕り(盗夸〔とうか〕)、道に非ざるかな」(53章) “盗人〔ぬすっと〕のぜいたく(盗人のリーダー〔親分〕)” 、みちを踏み外すことはなはだしいものです。

 

( §81章 )

○ 「聖人不積。既以為人、己愈有。既以与人、己愈多。」

■ 聖人は積まず。既(ことごと・尽/すで・に)く以て人の為〔た〕めにして、己〔おのれ〕は愈々〔いよいよ〕有り。既く以て人に与えて、己は愈々多し。

《 大意 》

 聖人は、モノを蓄〔た〕め込んだりしません(/心に知を積め込まず空虚〔から〕です)。何もかも他人〔ひと〕のために出し尽くしながら、それでいてかえって自分がますます持つ(充実する)ことになります。何もかもすべて、他人に与えていながら、それでいてかえって自分はますます(心が/精神的にも物質的にも)豊かです。(*“ ―― he is richer still.”)

平成日本の(経済的)格差社会社会的“中庸”の実現/福祉国家・社会の実現

「高い席にいるものは、貨幣〔かね〕を出せ!安い席にいるものは、拍手を送れ!」

( ヨーロッパの古諺 )

(この続きは、次の記事に掲載させて頂きます。)


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