こちらは、前の記事の続きです。
《 スポーツ と 戦い 》
今夏(’12.8)、ロンドン五輪が開催されました。連日連夜、メダル・メダル・・・、記録・記録・・・、とマス・メディアが煽る〔あお〕り、選手も民衆も勝つことばかりに過度にこだわり、メダルや記録に血眼〔ちまなこ〕になっています。オリンピック競技大会を「平和の祭典」と表現していたマス・メディアがありました。が、私には今のそれは、“享楽・見せ物の祭典”・“戦いの祭典”のように思われてなりません。そもそも、「(オリンピックは勝ち負けではなく)参加することに意義がある」との名言が語られたのは、104年前の“ロンドン大会”ではなかったでしょうか。
民主主義・哲人政治もオリンピック(オリンピア)競技大会も、ルーツは古代ギリシアです。これら古代ギリシアの偉大な文化遺産を受け継いだ世界は、頽廃〔たいはい〕を遂げていると言わざるを得ません。現在(2012年)ギリシアは、国家自体が経済的に破綻しようとしています。―― 私は、古代ローマ帝国末期の民衆が、「パンと見せ物」に酔い毒されていたことを、また思い起こしてしまいました。
ヨーロッパには、“凱旋門”〔がいせんもん〕という建築物の文化遺産が多く残されています。それは同時に、武力による征服と征服の歴史を物語るものでもありました。古代ローマ帝国の時代より、“凱旋”軍はさぞ賛美され華やかに迎えられたことでしょう。
わが国の、ロンドン五輪メダリスト“凱旋パレード”も銀座で行われました(’12.8.20)。膨大な人々が集い迎えました。それは一興で良いとしても、メダルを取れなかった多くの選手は一顧だにされず、否、恥辱、肩身の狭い有様です。健闘を労〔ねぎら〕われることもないように見受けられます。現代企業の“成果主義”と同じで、結果の良し悪しがすべてなのです。
私は、スポーツもスポーツマンシップも好きではありません。当世のそれが、勝つことしか眼中になく、“敬”〔けい/=うやまい・つつしむ〕の精神も欠如しているからです。大人〔おとな〕の実社会では極度に勝つことのみが価値づけられ、子どもの教育現場では徒競争で皆が手をつないでゴールしたり、劇で出場者全員が桃太郎やシンデレラ(主役)という奇妙キテレツなる“何でも同じ主義”が跋扈〔ばっこ〕しています。わが国は、まったく“過陽”にして“中庸”(=バランス)を欠いてしまっている病的精神情況にあります。
孔子の教え(儒学)も、勝つことのみを善しとはしていません。そもそも、儒学の徳目の柱が“譲〔じょう/ゆずる〕”ということです。例えば、『論語』の中に「礼射(弓の礼)」についての記述があります。
○ 「子曰く、射は皮を主とせず。力の科〔しな〕を同じくせざる為なり。古〔いにしえ〕の道なり。」(八佾3−16)
■ 孔先生がおっしゃるには、「礼射(弓の礼)では、皮(=的〔まと〕)を射貫〔いぬ〕くことを第一としない。それは、個々人の能力には強弱(=ランク)があり同じではないからだ。これは古(周が盛んであったころ、徳を尊び力を尊ばなかった時代)に行われた道なのだヨ。」(それが、今や弱肉強食の武力中心となり、礼射でも、力ばかりを尊んで皮(=的)を射貫くことを主とするようになってしまった。)
儒学は、平和主義の教えであり、歴史的にも平和な時代に「国教」として採用されてまいりました。至れるもの、2大源流思想の儒学と黄老(孔子と老子)は、“平和”の視点からもぴったりと、その主旨を同じくしているといえましょう。
ところで、私は、日本の“武道”はその精神において、儒学の教えに通ずるものがあると感じています。それは、精神の修養、徳性の涵養〔かんよう〕を目的とするものであり、相手に対する“敬”といったものです。“敬”は、“うやまい・つつしむ”ことで、人間を人間たらしめている根本的徳性です。“敬”を知ることから進歩・向上があるのです。敬し敬うことを日本語で「参〔まい〕る」といいます。武道で用いる「参った(参りました)」はここからきています。剣道(時代劇など)で、構えて向かい合っただけで「参りました」という場合をよく目にしますね。相手を敬う、相手に感服すればこそ「参った」であり、勝ち負けをいうなら「(コン)チクショウ」・「クソッ」ということになります。
また、国際競技で日本の選手の活躍を、マス・メディアが安易に讃美して「サムライが云々〔うんぬん〕 ―― 」と報じています。“サムライ〔侍〕”=武士(もののふ)は、日本における伝統的・理想的人間像です。中国の“君子〔くんし〕”、英国の“ジェントルマン〔紳士〕”に相当するでしょう。それは、“敬”に根ざしているものです(*「参る」から側〔そば〕に近づき親しみたい=「侍〔はべ〕る」・「侍〔じ〕する」)。ですから、“サムライ〔侍〕”は、当世のスポーツマンとは違うと思います。“勝てば官軍、勝てばサムライ〔侍〕”では、まことに浅薄ではありませんか。
さて、武道であった“柔道”は、東京オリンピックの時初めて五輪競技となりました。スポーツの「ジュウドウ:JUDO」となりました。その時の、名選手(金メダリスト)がオランダのアントン・ヘーシンクです。(76歳で2010年にご逝去。)そして、神永昭夫選手(故人)は日本の柔道が偉大であった時代の尊敬すべき柔道家であったと思います。偉大な柔道家お二人の戦いに関する記事があります。
―― (アントン・ヘーシンクさんの)▼「神永昭夫選手(故人)との無差別級決勝は、あの場面無しに語れない。勝利を決めた瞬間、興奮したオランダの関係者が畳に駆け上がるのを、厳しく手で制止した。自身には笑顔もガッツポーズもない。敗者への敬意と挙措に、多くの日本人はこの柔道家が「本物」だと知った▼その強さは際立っていた。勝てる者はいないと言われた。白羽の矢が立ったのが神永選手である。 「誰かがやらなければならない大役」だったと、非壮とも言える記述が公式報告書に残る▼そしてノーサイドの高貴が、この勝負にはあった。一方が「神永さんは敵ではなく仲間なのです」と言えば、一方は「私のとるべき道は良き敗者たること。心からヘーシンクを祝福しました」。素朴さの中で五輪は光っていた▼「日本に生まれた柔道が世界に広まり、オランダで花咲かせたことを祝福し・・・・」と当時の小欄は書いている。 「柔道からJUDO]への貢献は末永く続いた。思えばまたとない人物に、あのとき日本は敗れたのであろう。
(朝日新聞・「天声人語」抜粋、2010.8.30)
現代。国際的大会の舞台で、勝ってメダルの決まった日本の選手が、両手を挙げて飛び上がって喜びを現わし、負けた選手は床に崩れ落ちているという場面をよく目にします。また、かつて「ヤワラチャン」と愛称され国民的英雄となった女子柔道・金メダリストは、今、なぜか国会議員になっています。
次に、日本の国技になっている“相撲”について一言いたしておきますと。相撲には源流思想(易学)がよく取り入れられ、その影響が色濃く残っています。具体的には、「陰陽」・「五行〔ごぎょう〕」・「易の八卦〔はっか/はっけ〕」などの思想です。例えば、相撲場は、□・四角の土俵(=陰/=地)に ○・丸(円)い俵(=陽/=天) から出来ています。その土俵の中で、東方〔ひがしがた〕(=陽) と 西方〔にしがた〕(=陰)の力士が戦います(「天地人和」)。そして、行司〔ぎょうじ〕のかけ声は、「ハッケヨイ!」(=八卦良い!) です。
相撲は、勝負を争うものではありますが、「心・技・体」といって、精神性が重視される世界です。現在の相撲界は、不祥事の連続で「心」の部分が忘れられ、すっかり堕落しきっている状況です。心ある人の誰もが、周知のとおりのことです。
過去の相撲界の尊敬すべき国民的ヒーローは、何といっても大横綱・双葉山です。今年、生誕100年にあたります。“木鶏〔もっけい/ 出典:『荘子』・『列子』〕”たらんと精進し、右目が不自由というハンディキャップを克服して、不滅の69連勝を記録いたしました。(双葉山については、後日、「“木鶏”と双葉山」のテーマで取り上げたいと思っています。)
勝負の世界が過度となって、勝つことのみに偏しているのは、相撲でも顕著です。その一例として、かつて、強さ(勝ち星)だけはピカ一 の外国人(モンゴル出身)の横綱が想起されます。相撲は、俵から出せば勝負は決しています。それ以上は攻撃しません。敗者が土俵の下に落ちている場合は、土俵に戻るのをいたわり、(土俵上の勝者が)手を差し伸べます。しかるに、その強い横綱は、これでもかと言わんばかりに(豪快に?)、相手を土俵下にたたき落とし勝ちを誇っていました。言動においても、何かと横綱としてのマナーや品格を欠くことが取り沙汰されていました。それでも、勝ち星が重なり優勝すると批判的な声はなくなり、むしろ讃美の調子に変わります。
そもそも、悲しいかな、その外国人横綱には武道・“敬”の精神が教えられていないのでしょう。知らないのは、無理からぬことかも知れません。“勝てば善し”のスポーツの感覚、勝ち負けの感覚しかないのでしょう。 ―― 武道・“敬”の精神を日本人選手は忘れ、外国人選手は知らないということでしょうか。
最後に、私の尊敬する野球選手、王貞治選手(後に監督)について述べておきたいと思います。まずもって、108歳の天寿で亡くなられた(2010)謙虚な“偉人の母”様に敬意を表します。私の好きな言葉の一つに「家貧しくして孝子出ず」があります。王さんの“孝行”を想います。
世界のホームラン王(868本)としての王選手は、その人知れぬ努力、その成果は無論偉大です。が、その精神(仁徳)において、私は一層尊敬します。その最たる事例が次のものです。
ホームランを打つと、普通、満面の笑顔で両手を挙げてウイニングポーズをとってグラウンドを回ります。しかるに、王選手は、(ある時から)勝ち誇る様子微塵〔みじん〕もなく黙々淡々とグラウンドを回り続けました。老子の「恬淡〔てんたん〕」として、ですね。それはなぜでしょう? それは、自分がホームランを打ったということは、相手のピッチャーはホームランを打たれたということです。自分のチームの勝利は、相手のチームの敗北ということです。勝者が敗者を慮〔おもんばか〕ってのことです。 ―― 老子の平和主義・不争、易卦の【地山謙】〔ちざんけん: 謙虚・謙遜、“稔るほど頭〔こうべ〕をたれる稲穂かな”〕そのものではありませんか。この一事をもっても、【謙】徳のあるゆかしい大選手だと尊敬の念を深くするものです。
《 結びにかえて 》
“兆”〔きざし〕を読む。国家・社会の近未来は後生(=子ども達)の有様〔ありよう〕に窺〔うかが〕い知ることができます。
―― 日曜の電車(大阪)内の一場景。サッカー少年とおぼしき、スポーツウェアー姿の小学生8・9名とその先生(監督)らしき大人〔おとな〕を見かけました。両側の座席を占拠して、元気に(うるさく?)しゃべっていました。引率の大人も坐ってそ知らぬ態〔てい〕です。周りには、(私も含めて)立っている大人・老人がたくさんいました。よくある場景ですね。 ―― どこかおかしいスポーツマンシップではないでしょうか? “本”〔もと〕が忘れられてはいないでしょうか?
わが国は、“心の貧しさ”が顕〔あらわ〕となり、“心の時代”が唱えられてすでに久しいものがあります。徳の【蒙】〔くら〕い時代となりました。このままでは、君子の道閉ざされ【明夷】〔めいい〕の暗黒時代となってしまいます。
“戦い”と“勝つことへの偏執”が、現代版の“見せ物”であるスポーツの世界をも支配しているということです。この現実を、老子や孔子といった聖人たちは、なんと言うでしょうか? その延長線上にあるものは何か、過去の歴史を眺めてみれば解かります。現今〔いま〕の、“本〔もと〕”を欠いた平和主義を標榜〔ひょうぼう〕しているわが国の有様は、私には、“理想の平和な社会に向かって、足早に後ずさりしている”ように想えてなりません。
研究
≪ シュヴァイツァー と 老子 ≫
―― 安岡・『知命と立命』より抜粋引用
アルバート・シュヴァイツァーは、黒人の医療救済に生涯をささげ、ノーベル平和賞を受賞いたしました。偉大なる博愛主義者シュヴァイツァーの、「老子」戦争論(非戦・不戦)に関する興味深いエピソードがあります。
それは、ヨーロッパでの第2次世界大戦が終わった時、アフリカのコンゴのランバレネ(現ガボン共和国)の病院にいたシュヴァイツァーは、その日の夜、仏訳の『老子』をひも解いて、静かにその31章 を頑味したといいます。(山室三良・中国古典新書 『老子』)
安岡正篤氏が、このことについて述べられておられます。また、J.F.ケネディ大統領の興味深いエピソードを併せて述べられておられます。引用させていただきご紹介いたします。
「 シュヴァイツァー と 老子 」
安岡 正篤・(『知命と立命』より)
アルバート・シュヴァイツァー(1875 〜 1965、フランスの医療伝道家・哲学者・神学者)は元来ドイツの人である。ドイツとフランスとの間、というよりは国境にあるシュトラスブール市の出身である。このシュトラスブールはいかにもヨーロッパの町の歴史を物語る特殊な経歴を持った都市である。ある時はドイツ領になり、ある時はフランス領になる。私がドイツからフランスへ自動車旅行をして、第一次大戦の古跡を回ったことがあるが、その時にこのシュトラスブールに寄って歓待されたことがある。その時にこのシュトラスブール市の歴史を研究している郷土史家が、「わが町は国籍を変えること六十何回・・・」と言っていた。それくらい争奪が激しかった所だ。今は第一次大戦にドイツが負けたものだから、それ以来フランス領になっている。そこでシュヴァイツァーもフランス人になっているけれども、人種はドイツ人である。非常に偉い人で、今日アフリカのコンゴのランバレネ(現ガボン共和国)というところに病院を建てて、原住民の診療に従事しながら、現代文明の批判とその救済とに心魂を傾けた著述をしている。
この人の逸話の中に、第二次世界大戦が終わって、ドイツが降伏し、これによってヨーロッパの戦争が終わったという報道を聞いた時にシュヴァイツァーは祈りを捧げている。この祈りの言葉は聖書ではなく、東洋の『老子』の中の言葉を挙げて祈ったということは有名な話になっております。
これは『老子』の中に「戦い勝ちたる者は喪に服するの礼を以ってこれに処さねばならない 〈戦勝者則以喪礼処之〉とある。「戦に勝った者は死者に対する喪に服する気持ちで戦後の処理に臨まなければならない」ということで、実にこれは偉大な思想である。徹底した人道思想である。よほどこの言葉にシュヴァイツァーは感動していたとみえて、戦いが終わった、ドイツが降伏したという報道を聞くと、彼はこの言葉を挙げて祈っている。
佐藤(元)総理(佐藤栄作。明治34〜昭和50)がまだ総理になる前、アメリカに遊んでケネディ大統領に会われた時に、その前に私が会っていろいろ話をしたことがある。その時の雑談の中にケネディ大統領に会ったら、今度の戦争についても、たとえ逆に日本が勝っていたとしても、その場合、日本の少なくも天皇は敗戦国に対してこういう心持ちをもって対されたであろうと、この老子の言葉を引用してケネディに聞かせるがよいと、私はその訳文まで知らせておいた。
ケネディ大統領は非常に忙しいので、佐藤さんに二十分とか三十分とかいう約束をして会見をしたそうです。談たまたま予定どおり終戦のことになって、東洋にはこういう哲学があるといって、彼が老子のこの言葉を言ったら、ケネディは急に態度を改めたそうです。非常に敬虔〔けいけん〕な顔になって感動したらしい。「そういうことがありますか」と言ってそれを繰り返し、それから真剣に話を始めて、約束の時間をはるかに過ぎて長時間語り合ったということを、帰って来られるとすぐに私に報告があった。
政治家もこういう教養がなければならない。やはり哲学というものが必要である。補注)
《個人と集団》
そのシュヴァイツァーがこういうことを言っている。
「しかし一つのことは明瞭である。集団が個人の上に、個人が集団の上に作用するよりも強い作用を及ぼす時には、下降、堕落が生じることである」
ここに個人と集団とがある。個人が集団に与える影響よりも、集団が個人に与える影響のほうが強いという場合には、どうしても堕落するというのです。
「なんとなれば、その場合は、その上に一切がかかるところの個人の偉大さ、精神的および倫理的価値性が必然に侵害せられるからである」
先述のように、人類一切の進歩とか文明・文化というものは、これは人が人の内面生活に返る ―― 自分が自分に返る ―― という、したがってどうしても個人個人の心を通じて初めて発達するのである。言い換えれば、個人の偉大さというものの上に、社会の、あるいは人類の一切がかかっているのである。
科学的に言っても、いかに偉大なる発明発見というものも、これは集団で、大衆でできたためしはない。常に偉大なるある個人の研究、ある人の創造、発明発見にかかる。大衆となると「その上に一切がかかるところの個人の偉大さ、精神的および倫理的価値性が必然に侵害せられる」。大衆になると破壊されてしまう。
――― 以下 略 ―――
補注) 西洋文明の源、民主政治の源は、古代ギリシアです。古代ギリシアの理想的指導者(為政者)像は、(例えばプラトンによれば)当時の最高の学問=“哲学”を修めた人です。“哲人”です。更に“調和の美”を求めましたので、この哲人は同時に、肉体も鍛えられており(≒鉄人?)、更に芸術にも造詣〔ぞうけい〕の深いことが求められました。
■2014年10月26日 真儒協会 定例講習 老子[46] より
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