こちらは、前の記事の続きです。
コギト(我想う)
《 ユートピア=理想郷(社会・国家)について 》
『老子・第80章』は、老子の描く、有名なユートピア〔理想郷〕論です。ユートピアの姿は、洋の東西にかかわらず描かれてまいりました。思い起こしますと、幼少の頃、手塚治虫氏の漫画でみたどこか秘境の地にあるという「シャングリラ」。青年の頃読んだ、トマス・モアの 『ユートピア』。注1)
K.マルクスが『資本論』で(科学的に)予測展開しようとした“社会主義社会”への思想も、一世を風靡〔ふうび〕しました。
東洋では、ユートピアを「桃源郷」と言ったりもします。これは、六朝〔りくちょう〕時代の有名な田 園詩人・陶潜〔とうせん/=陶淵明〕の作品「桃花源の記」 注2) に由来しています。その話のルーツが他ならぬ、この老子の理想郷像にあるといわれています。
注1) 「羊が人間を喰う」の文言で有名です。当時・資本制社会発生期のイギリスの“エンクロージャー”(囲い込み)運動が背景になっています。そのことは、D.デフォーの『ロビンソン・クルーソー漂流記』にも書かれています。
注2) 「桃花源の記(並びに詩)」: 陶潜の晩年56、7歳の頃に書かれたと推測されています。老子の「小国寡民」に想いを馳せながら当時の民間説話に取材しながら、彼自身の理想を託して作品にしあげたものでしょう。
《あらまし》 ―― 晋の太元年間のこと。武陵に住む一人の漁師が、谷川に沿って行くうちに道に迷い、桃の花の咲き乱れる林に出逢いました。漁師は、さらにその先をみきわめようとして進んで行きますと、山の洞穴がありました。その洞穴をくぐり抜けてみると、そこはかつて秦〔しん〕の時代に戦乱を避けてやって来た人たちの子孫が、長く世間と隔絶して平和な生活を営む別天地でした。長官は、住民たちから温かくもてなされました。数日楽しい時を過ごして、武陵に帰り、郡の長官にそのことを報告しました。長官は、その漁師に道案内をさせ、部下をつかわしてその村里を調べさせようとしましたが、ついに捜し出すことはできませんでした。その後、桃源郷への道を尋ねる人はなくなってしまいました。
→ 後述 原典研究 参照のこと
これら東西のユートピア思想を比較して考えてみますと。 ―― 安岡正篤氏も度々指摘されておりますように ―― 概して、西洋のユートピア像が“未来志向”であるのに対して、東洋のそれは善き“過去への回帰志向”であるといえます。
この“尚古〔しょうこ〕思想”は、儒学・黄老に共通しています。すなわち、儒学の開祖・孔子とその思想を発展させた孟子は、「文王〔ぶんのう〕」・「周公旦〔しゅうこうたん〕」といった聖王の時代・周王朝の善き社会を理想とし、その復活を唱えたのです。老子においても、堯〔ぎょう〕・舜〔しゅん〕さらに伝説の時代である太古の聖王の善き時代を想起しているのです。
さて、老子が 「小国(邦)寡民」で描いたユートピアは、古き善き村落共同体の社会像です。春秋・戦国の時代(BC.770〜BC.403〜BC.221)、2000余もあったといわれている諸郡は、しだいに戦争で淘汰〔とうた〕統合されてまいります。戦国時代には“戦国の七雄”と呼ばれる7大国に統合されてゆきます。そして、BC.221年には秦の政(始皇帝)が他の6国を滅ぼして中国を統一します。政治的には、そういった大国家統合(超統一専制国家)へのプロセスをとりますが、依然として多くの村落共同体が常に存在していたと考えられます。この古き善き村落共同体への回帰が、老子のユートピア論の原点なっていると思います。加えて、(先述の「テンニースのゲマインシャフト〔共同社会〕と孟子の思想」で紹介いたしましたように) 孟子もその“利益社会(=ゲゼルシャフト)”を(周代の)封建社会の崩壊した社会において捉え、老子と同じような結論に至っております。
次にここで目を一転させて、老子がユートピアに想いを巡らしていたであろう頃の、ヨーロッパ世界に目を転じてみましょう。古代ギリシアの時代です。古代ギリシアは、古代西洋(ヨーロッパ)文明・文化の源であり、民主主義が発達し、オリンピックの発祥の地であり、そして東方専制国家(ペルシア)を打ち破った“強国”です。
古代ギリシアでは、「ポリス」とよばれる政治的・経済的に自立した都市国家が成立していました。中国・周代の善き時代(およそBC.1100〜BC.770)には、村落共同体があり、ギリシアではポリスが発生していたと考えられます。
“ギリシア”というのは地域的・民族的な総称です。“ギリシア”には、1000以上ものポリスが存在していたとされています。ポリスは小平野を単位とする国家です。その規模については、哲人アリストテレスは、中心部である丘〔アクロポリス〕に立って一望のもとに視野におさまる範囲が最良と述べています。人口、自由民が 1万を超えるポリスは稀でした。最盛期のアテネ(BC.5世紀ごろ)でも自由民が 4万人程であったといわれています。(cf.奴隷は全人口の3分の1程度)ポリス成立時には貴族政〔aristocracy〕が確立され、その後アテネなどでは民主政が発展しました。アテネ・スパルタ・テーベ ・・・ といった強力なポリスが、全ポリスをリードしました。ギリシア世界では、“調和の美”・“自由”が重んじれれました。そして、西洋古典文化の源流となったのです。
―― 老子の「小国寡民」のユートピア国家に重なるところ大といえないでしょうか?
結びにかえて、21世紀の現在の世界で、「小国寡民」に想いを馳せてみましょう。私には、次の二つの国家が想起されます。
一つは、“永世中立国スイス”です。スイスは、自国を国民皆兵で守っています。国民は、非常時に備え(3日分の食料を蓄え)家の中に銃火器を蔵〔かく〕し持って有事に備えています。それにより、現実的中立・平和を実現して今に至っています。
いま一つは、“世界で一番幸せな国・ブータン”です。敬虔〔けいけん〕な仏教徒である若き国王(ワンチュク国王、31歳)が統治しています。わが国の江戸時代同様、“鎖国政策”をとっています。経済的には決して豊かとはいえぬ小国ですが、経済(GNP)よりも「国民総幸福量〔GNH:Gross Nationale Happiness〕」 注3) を重視しています。実に、国民の9割が「幸せ」を感じているといいます。“ストレス”にあたる言葉そのものがありません。“心の貧しさ”がいわれて久しいわが国で、一体何割の人々が「幸せ」を感じているでしょうか? “ストレス”を感じていない都会人がどの位いるでしょうか?
わが国の未来社会の有り様・あるべき姿を具体的に模索する時、スイスは空虚な理想主義的平和(中立)主義・安全防衛を省みる上で、ブータンは人間・国民の真の“幸せとは何か”ということを省みる上で、貴重な示唆を与えてくれていると考えます。
注3) “経済的(モノ)豊かさ”よりも“幸せと感じる” 国を目指す。“モノ”の豊かさは必ずしも幸せ感をもたらさない。(“モノ”の豊かさも“満足感”という主観的なもの ex.10万円の生活・食べ物/20万円の生活・食べ物/30万円の生活・食べ物 ・・・ )
幸福を感じると、モノ(経済的)豊かさも感じることも UP!→ 老子の「知足」・「安分知足」に通じると思います。
朝日新聞:「ブータン国王夫妻 国会へ/衆参議員 議場埋める」 引用
■2014年12月28日 真儒協会 定例講習 老子[48] より
(この続きは、次の記事に掲載させて頂きます。)
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