前の記事(前編)の続きです。
■ 易経 ( by 『易経』事始 Vol.2 ) & ( by 「十翼」 )
§.易の思想的基盤・背景 (東洋源流思想) 【 ―(5) 】
C. 陰陽相対〔相待〕論(陰陽二元論)・・・続き
● 食品
- 魚一般〔 〕と トビ魚( ) *相対論的思考
- 鮭( )、蟹( )、鮟鱇〔アンコウ〕( ) *伏陽・伏陰の思考
- バナナ〔 〕、パパイヤ〔 〕、パイナップル〔 〕
cf.消化酵素 ―― ダイコン(土大根、つちおおね):アミラーゼ、プチアリン(デンプン分解酵素) /パイナップル:パパイン(タンパク質分解酵素)
- 春の茄子〔なす〕( )と 秋の茄子〔 〕
cf.「秋茄子は嫁に食わすな」
- 日本酒( )、ワイン〔 〕、ウメボシ〔 〕
cf.「うめぼし弁当・茶ずけ」=中和
- ごはん(米・コメ)( )と パン( )
cf.「パンを食べると ・・・ 」・「コメウを食べると・・・ 」=パンもコメも同じデンプン
- 鍋料理( )と サシミ・すし〔 〕 *寒暖・温度感による思考
● その他
- 奇数( )と 偶数〔 〕、
ex. 九( )と六〔 〕 :(整数・生数・成数)
- 天照大御神〔あまてらすおおみかみ=太陽神女神・伊勢神宮〕( )と 月読命〔つくよみのみこと〕〔 〕
- “おみくじ”の大吉( )―― 中吉(「中」) ―― 小吉〔 〕
- タテ〔経糸〕〔 〕と ヨコ〔緯糸〕( )
※動くかどうか・どちらが重要化か
- 和琴《ヨコ弦》と 竪琴《ハープ、タテ弦》
cf.琴=臥龍の形・龍舌・竜頭・龍甲
※ 研究 ――― 【家相】
- 「鬼門〔きもん〕」〔 〕と 日当たりや風通しの良い南方位や東方位( )
- 「表(おもて/男)鬼門」〔 〕と 「裏(うら/女)鬼門」〔 〕=どちらも陰
- 「バリアフリー〔障壁除去〕空間・住宅」(段差をなくす、カドをなくす、暗部をなくす)
――― 結局は「陰」の部分を「陽」にすること?!
※ 参考 “たましい”を古代中国では「魂」〔こん〕と「魄」〔ぱく〕に分けて考えた
- 「魂」:人の精神をつかさどる陽の生気
- 「魄」:人の肉体をつかさどる陰の生気
―――― 人が死ぬと魂は離れて天上にのぼり、魄は地上にとどまる
cf.( 『離魂記』 陳元祐 )
※ 考察 ――― 「をかし」 と 「あはれ」
陽=「をかし」: 風情がある、興味がある、美しい(明るい感動、客観的・理性的)
『枕草子』(清 少納言)は 、“をかしの文学”
陰=「あはれ」:しみじみとした趣がある、(深い感動、感情移入、主観的・感情的)
『源氏物語』(紫 式部)は、“あはれの文学” (by.本居宣長)
§.「十翼」 : 雑 卦 伝 【 ― (2) 】
♪♪♪♪♪♪♪♪♪
♪( あお字下線字が韻 )♪
《 1.乾は剛、坤は柔。/ 2.比は楽しみ、師は憂う。/ 3.臨・観の義は、或いは与え、或いは求む。/ 4.屯は見〔あら〕われて(而も)、その居を失わず。蒙は雑にして著わる。/ 5.震は起こるなり。艮は止まるなり。/ 6.損益は盛衰の始めなり。/ 7.大畜は時なり。无妄は災いなり。/ 8.萃は聚〔あつ〕まりて、升は来らざるなり。/ 9.謙は軽くして、豫は怠るなり。/ 10.噬嗑〔ゼイコウ〕は食〔くら〕う。賁は色无〔な〕きなり。/ 11.兌は見われて、巽は伏〔ふく・ふ〕するなり。/ 12.随は故〔こと〕无きなり。蟲は則ち飭〔ととの〕うるなり。/
13.剥は爛〔らん・ただるる〕なり。復は反〔かえ・もど〕るなり。/ 14.晋は晝〔ひる〕なり。明夷は誅〔やぶ・そこな(わ)・ちゅう(する)〕るるなり。/ 15.井は通じて、困は相遇〔あいあ〕うなり。// ♪♪♪
16.咸は速やかなるなり。恒は久しきなり。/ 17.渙は離るるなり。節は止まるなり。/ 18.解は緩なり。蹇は難〔むずかし〕きなり。/ 19.睽〔ケイ〕は外なり。家人は内なり。/ 20.否・泰は其類を反するなり。/ 21.大壮は則ち止まり、遯は則ち退くなり。/ 22.大有は衆〔おお〕きなり。同人は親しむなり。/
23.革は故〔ふる〕きを去るなり。鼎は新しきを取るなり。/ 24.小過は過ぐるなり。中孚は信なり。/ 25.豊は故〔こ・こと・ふるき〕多きなり。親寡〔すくな〕きは旅なり。/ 26.離は上りて、坎は下るなり。/ 27.小畜は寡きなり。履は処〔お〕らざるなり。/ 28.需は進まざるなり。訟は親しまざるなり。/
(※ この章、錯簡と見て改める : 宋の蔡淵、元の呉澄、明の何楷 )
29.大過は顚〔くつが〕えるなり。頤は養うこと正しきなり。/ 30.既済は定まるなり。未済は男〔だん〕の窮まるなり。/ 31.帰妹は女〔じょ〕の終りなり。漸は女帰〔とつ〕ぐに男を待ちて行くなり。/ 32.姤〔コウ〕は遇〔あ〕うなり。柔、剛に遇うなり。 夬は決なり。剛、柔を決するなり。 君子の道長じ、小人の道憂うるなり。 》 ♪♪
大意・解説・研究
1.乾は剛、坤は柔。
【対卦】 “陽・陰は、古くは“剛・柔”という表現でした。
- 乾は純陽(老陽)で卦徳は剛、坤は純陰で卦徳は柔順です。
2.比は楽しみ、師は憂う。
【反卦】 陽爻の位地が異なっているので、楽と憂に分かれます。
- 比は比〔した〕しむの意ですから楽しみであり、師は師役〔しえき=いくさ、戦争〕の意ですから憂いを伴います。
3.臨・観の義は、或いは与え、或いは求む。
【反卦】
- 臨〔のぞむ〕は、上から下への俯瞰・鳥瞰〔ふかん・ちょうかん:見下ろすこと〕であり、それを「あたえている」と解しています。
- 観は逆に、人が下から上へ仰ぎみる仰瞰〔ぎょうかん〕であり、それを「もとめている」と解しています。
*徴税・収税とその社会配分・活用。「福祉国家」・「大きな政府」。
4.屯は見〔あら〕われて(而も)、その居を失わず。蒙は雑にして著わる。
【反卦】 ▲ 2陽4陰の卦
- 屯は、
1)下卦の震あるいは初爻の陽が動き始めます(胎動・蠢動)。それで見(現)れます。しかし、前方(上卦)に坎険があるので行きません。(進む時期をまっているのです)。それで、居処を失わないのです。
2)初爻は、正位を得ているので、その居を失わないのです。
3)「候〔きみ〕を建つるに利あり」(初爻辞)で君子が世に出ようとする時期だから、見われるといいます。しかし、その初爻は、どっしりとして動かず貞〔ただ〕しきに居るからその安んずる居処を失わないのです。
- 蒙は、
1)坎の中爻(2爻)の陽が、2つの陰の中に陥り雑〔まじ/交〕わって暗い。それが、上に艮が著〔あらわ/現〕れて蒙〔くら〕きが明らかになるの意。
2)蒙卦の2陽(2爻・上爻)は、共に陰位にあり、陰陽が雑です。これは、「物相雑はる。故に文と曰ふ」(「繋辞下伝」第10章−2)とあるように、文明。ゆえに、著〔あき〕らかの意。
3) 蒙は、啓蒙の意。始は蒙〔くら〕く稚拙で志定まらず、雑といいます。やがて、智の光で照らされるから著らかの意。
4)「雑」の字を、「稚」の誤りとします。上爻の陽は、上卦艮の“少年”にして幼きもの。上にあるから著れるの意。
5.震は起こるなり。艮は止まるなり。
【反卦】
- 震は、1陽が下に(初爻・はじめ)に起って伸びようとしている象(草木が伸びようとしている時)。動くの意です。
- 艮は、1陽が上に(上爻・おわり)に止まっている象。ストップ〔止まる〕の意。
*天道は、東方に起り(スタート・日の出)、東北に止まり(ストップ)ます。
6.損益は盛衰の始めなり。
【反卦】 ものごとの盛衰を示しています。
cf.でっぱり(艮山)とひっこみ(兌沢)
- 損(よき投資)は、やがて極まって益を産みます。益もピークを過ぎれば損となります。株価・景気の変動も、また然りでこの循環ですね。
- 艮は、1陽が上に(上爻・おわり)に止まっている象。ストップ〔止まる〕の意。
*下の人からみた場合を基準に述べています(民衆中心)。ですが、とどのつまり、上に立つ人が益しても下の人は益となりません。 会社も社員が豊かで力を持ちます(社員教育)。「労働力商品の再生産」(マルクス経済学)。民が富み豊かになって国もさかえます。
7.大畜は時なり。无妄は災いなり。
【反卦】
- 大畜は、下卦陽(乾)の剛健はこれを止めること容易ではありません。が、然るべき時に止めなければなりません。そうすることで幸福が実現します。時が“肝腎要”であるので「時」と示しています。
*「T.P.O 」が大切。「時中〔じちゅう〕」(君子、時に中す 『中庸』)
- 无妄は、天真爛漫(私心なく誠実)の意ですが、天罰覿面〔てきめん〕の意でもあります。无妄は、道に適い・いつわりがないのに、思いもよらぬ災禍があることを教えています。ーー 偶然のいたずらありや?
*現代〔いま〕の日本、何時冤罪になるやら、(自分は注意していても)何時交通事故に遭うやらわかったものではありません。
8.萃は聚〔あつ〕まりて、升は来らざるなり。
【反卦】
- 萃は、(自分のところに)人やモノが大いに聚〔あつ〕まります。
- 升は(昇るに同じで)、上に升り進んで、もとのところには戻ってこないの意です。
*「升は来らざるなり」 :人間の出世・進化、科学技術の進歩などもそうありたいものですが・・・。退歩、忘却、“未来に向かって足早に後ずさりしているような現代”です。
9.謙は軽くして、豫は怠るなり。
【反卦】
- 謙は、人にへりくだる、自分の身を軽い卑しいものとみなす態度です。大なる才能・財産を持った人は、頭(“稔ほど頭を垂れる稲穂かな!”)を低くし謙遜にの意。
*身軽の良否 → “軽がるしい行動”の日本語訳はいかがなものでしょうか?
頭を下げる/腰が低い → “腰が軽い・尻軽い”はダメ!cf.宴席での“おしゃく” → 出世し(てい)たら頭を下げ、お酌して回る。偉くもないのにお酌して回るのは “へつらい”ではないでしょうか。
cf.「小公女セイラ」(TV.放映 '9〜'10)
- 予は、景気がよく、悦びの極の意。 → 驕〔おご〕り怠けてしまう傾向にあります、注意しなさい!(上爻は予を極め「予〔よろこび〕に昏冥する」の象)
10.噬嗑〔ゼイコウ〕は食〔くら〕う。賁は色无〔な〕きなり。
【反卦】
- 噬嗑は、開いた口の象です。口中の食物噛み砕いて咀嚼〔そしゃく〕、食すの意。食養生の意。
- 賁は、身を飾る。それは、“白賁〔はくひ:白でかざる〕”を最上とします。つまり、無色・白・素をもって賁〔かざ〕るのです。文化の原則は知識・教養で身を飾ることです。
*配色・色彩調和において、「白」(と「黒」)はどの色とも調和します。
※ 注)朱子は、この2つは対にならないと指摘しています。 『周易折中』では、食は空腹を満たせば充分であり(美食を求めない)、衣服は無色・白地で充分(華美を求めない)で、対になるといいます。発想、おもしろいですね。 また、項安世(『玩辞』)は、食べるはモノが消えること、色が滅ぶは色无〔な〕し(=白)で相対する、と説いています。
11.兌は見われて、巽は伏〔ふく・ふ〕するなり。
【反卦】 1陰が上(外)か下(内)かの違い。
- 兌の三画卦は、1陰が2陽の上に乗っかって現(=見)れています。人事にとれば、兌(悦)びは、顔面〔おもて〕に出ます。
- 巽の三画卦は、逆に、1陰が2陽を承〔う〕けて下にあり、下から伏入する象です。人事にとれば、巽=謙遜 で小さくへりくだるの意です。
- 以上、大成卦においても同様の意です。
12.随は故〔こと〕无きなり。蟲は則ち飭〔ととの〕うるなり。
【反卦】 ▲
- 随は、
1)自ら「事〔こと〕」をなさずに、(時・事・人)に随〔したが〕う。
2)動き〔震〕・悦ぶ〔兌〕のは、時の宜しきに随うので、一定の「事」にかかわらない/定見(一定の見識)がない。
3)故=古旧・古いもの、随ってゆく時は古いもの(=古い自分、身につけているもの)を捨てなければ(新しいものが入らない)ことを教えています。
- 蟲は、
1)自ら進んで「事〔こと〕」を飭正〔きょくせい:整え治める、=整理〕するのです。
2)事があり、それを修めないと壊れて救いようのない事態になるのです。
*「事〔こと〕」 →虫が喰い破って破綻を生じる →それをうまく飭〔ととの〕える
13.剥は爛〔らん・ただるる〕なり。復は反〔かえ・もど〕るなり。
【反卦】 1陽5陰卦のペア
- 剥は、唯一の陽(上爻)が、爛熟の極みにあり、今まさに剥がれ落ちようとしている象意。
- 復は、逆に、1陽が下(初爻)に戻り返ってきて、再生・復活〔ルネサンス〕する象意。
14.晋は晝〔ひる〕なり。明夷は誅〔やぶ・そこな(わ)・ちゅう(する)〕るるなり。
【反卦】 cf.高根流 日の4【5】卦 (升・晋・賁・明夷・【大有】)
太陽の位置が異なる: 晋は太陽が東より中天に上っていくことを示し、明夷は太陽が西に下がって没していくことを示します。
- 晋は、地(坤)上の太陽(離)にて、太陽が地を照らしている象。地上(真上)の太陽なので昼。
- 明夷は、地中の太陽。地(坤)中の太陽(離)にて、正しきものが 傷つけられ やぶられる。夜の象。正論の通らぬ時代。“暗黒時代” 。“君子の道閉ざされ、小人はびこる”。
※ 今の時代 = 徳のない時代、蒙〔くら〕い時代 (高根)
15.井は通じて、困は相遇〔あいあ〕うなり。 // ♪♪
【反卦】 ▲ “通じる”かどうか?
- 井は、井戸のこんこんと湧き出る水のように、
1)広く万事が通ずる(事がスムースにはこびうまくゆく)の意。
2)(尽きない水により)万物・万人を養って極まりないから、通じるの意。
3)井戸は水が、(地下水の)水脈・水路を“通って湧き出る。〔高根〕
- 困は、兌の下の坎で(池・ダムの水なし)水漏れ、涸渇〔こかつ〕状態となり通じないの意。
「困は相遭う」とは、剛と柔=陽と陰 とが思いもよらず出合って、(陰が)相手(陽)を蔽〔おお〕ってしまいゆきずまって困窮するということです。 ・・・ 下卦・坎の 川=陽卦が、上卦の兌=陰卦に蔽われ塞がれて沢になっています。2爻の陽は、その上の2つの陰爻におおわれている。(坎の 3爻は、4爻と遭い塞がれて通じない。)
16.咸は速やかなるなり。恒は久しきなり。 // ♪♪
【反卦】 cf.愛情 4卦 (咸・恒・漸・帰妹)
- 咸は、咸(感)じ応じあうこと、時間的に瞬時・刹那、速やかの意。
- 恒は、長く(恒久・永久)不変の意です。
*『易経』本文は、咸卦(と恒卦)・31番目(32番目)から「下経」となります。雑卦伝でも、咸卦(と恒卦)は31番目(32番目)です。一つの区切りとして意識したものでしょうか。
17.渙は離るるなり。節は止まるなり。
【反卦】
- 渙は、水上の風の象で、渙散・飛び散る・離れ散ずるの意。
- 節は、沢が水の流れを防いで水が止まっている(=ダム)の象。竹のふし。節度と節操を保って、止まるの意。
18.解は緩なり。蹇は難〔むずかし〕きなり。
【反卦】
- 解は、
1)問題が解決・氷解し、緩〔ゆる〕むの意。
2)動いて(外卦・震)、険難(内卦・坎)から脱出できているので、緩やかな時勢であるとの意。
- 蹇は、寒さで足止めストップの象。艱難にあって行き難〔なや〕むの意。時勢は、急難です。
19.睽〔ケイ〕は外なり。家人は内なり。
【反卦】
- 睽は、そねむ、水と火の象。家族が、背反して外を向いている、心は外(心外)、外に出ていく、の意。
- 家人は、風と火。内(家の中)にあって、相親しみ心和して、よく治まっているの意。
20.否・泰は其類を反するなり。
【反卦】(兼・【対卦】) 3陰3陽のペアの代表、陰陽の相反。
- 否と泰は、共に3陰3陽ですが、内外・表裏卦に位置を異にしています。従って、陰陽・天地・男女・彼我・過去未来 ・・・ すべてが、全く別のグループ〔類=陰陽〕・反対の関係にある、との意です。
- 否は、「大往き小来たる」(卦辞)で、大(陽)が外に行き、小(陰)が内に来る。陰陽交流せず、八方塞がり、男女和合せずの意。
- 泰は、「小往き大来たる」(卦辞)で、陽(天)は上り陰(地)は下がる。天地交流し、男女和合する。安泰・泰平。
21.大壮は則ち止まり、遯は則ち退くなり。
【反卦】
- 大壮は、陽(=大)の勢い壮んな猪突猛進(1〜4爻の4陽)を戒めて、止まることを教えています。
- 遯は陽が衰え始めた(初・2爻)ので、君子は引退・隠棲して時節を待つことを教えています。
*人あるべき姿を言っていると思います。〜すべきだ、〜であるべきだ、(命令)ということです。
22.大有は衆〔おお〕きなり。同人は親しむなり。
【反卦】 1陰5陽のペアですが、1陰の位置が異なります。
- 大有は、
1)陰が5爻の君位にあり天下万民(衆民)の心服を得ている象。
2)大〔おお〕いに有〔たも〕つで所有するものが大ですから衆(多)いといえます。
- 同人は、
1)陰柔が2爻の下位にあるので、友人仲間と親み合う象です。
2)同人=人と和合するですから、親しむといえます。
23.革は故〔ふる〕きを去るなり。鼎は新しきを取るなり。
【反卦】 「革・鼎」の両卦、破壊と建設をもって本来の革命は成就するのです。
- 革は、「革命」(命〔めい〕が革〔あらた〕まる)の革で、古(故)きを去って改革すること、破壊することです。
- 鼎は、生ものを煮て新しい料理を作る、新しいものを取り入れて創造すること、建設することです。
24.小過は過ぐるなり。中孚は信なり。
【対卦】 上と下をひっくり返しても、相手からみても同じ(賓卦)。そこから、意味も小過は、やりすぎても物事を正そうとすること、中孚は、誠実であれば相手に通ずること、と考えることができます。
- 小過は、すこしく(行き)過ぎていること。 4陰が上下卦の外にあり(2陽4陰)陰が陽に過ぎるの象、過度の意。
- 中孚は、孚〔まこと・孚誠〕の意です。 2陰が内のあり信を虚〔むな〕しくする象(大離・空虚の象)。
25.豊は故〔こ・こと・ふるき〕多きなり。親寡〔すくな〕きは旅なり。
【反卦】 ▲
- 1)漢語で「故人」=旧友 です(死んだ人ではありません)。故は故〔ふる〕意友人。人生、運勢景気の盛んなる時は、親せき・知人友人・他人までもが集まってきます。運勢景気の低落する時は、寄ってきた人達も去って行き、少なくなってくるものです。 ―― *今昔、哀しい人の世の常ですね。
- 2)豊は、豊大であって勢い盛んですから、自ずと多事〔コト多し〕になります。
反対に、(昔時の)旅は、孤独で親しみ合う人が少ないのです。(旅に出るとなると親しむ人も少なくなります。)
※注) 「旅」卦だけ卦名を下にしてあるのは、押韻の関係です。
26.離は上りて、坎は下るなり。
【反卦】
- 三画卦・離は、離火です。火の性は、上へ炎上・燃え上がります。坎は、坎水です。水の性は、潤下、流水低きに下るの意です。これらは、重卦の離為火・坎為水にも同様です。
27.小畜は寡きなり。履は処〔お〕らざるなり。
【反卦】 1陰5陽卦のペア。陰爻の位置悪く、[大有―同人]のようにはよくありません。
- 小畜は、
1)小(4爻の1つの陰)が多くの陽(5つの陰)を畜〔やしな〕おうとするのに力が足りないので寡とするの意。
2)勢い弱く随ってくる人が少ないの意。
3)4爻位を得て、下の3陽を止めようとしますが、陰柔にして力寡なく及ばないの意。
- 履は3爻の1陰が位を得ず、5陽の間にあって安心して処〔お/居〕ることができない、(居処)落ち着かぬ意。
28.需は進まざるなり。訟は親しまざるなり。
【反卦】
- 需は時のよろしきを得ておらず、求め需〔ま〕ちて進みません。
1)“密雲すれども雨降らず”で進みません。
2)下卦 の剛健をもって進もうとしますが、前方に坎の陥険があって進めません。
- 訟は、
1)“天水違行の形”、行き違って親しまぬ意。
2)訴訟・争いの意で、和やかならず親しみません。
29.大過は顛〔くつが〕えるなり。頤は養うこと正しきなり。
【対卦】
- 大過は、“棟木〔むなぎ〕たわむ”、棟(2・3・4・5爻)が陽で強すぎて支える柱や梁(初爻・上爻)が陰で弱い象、顛倒のおそれありの意。
- 頤は、開けた口の象(下爻下顎、上爻上顎、歯2〜5爻)。食養生の象。自身の心身を養い、家族・社員を養い、郷土・国家を養うことは人の正しい道です。
30.既済は定まるなり。未済は男〔だん〕の窮まるなり。
【反卦】 (【対卦】) ▲ 3陰3陽 の正位・不正位
- 既済は、
1)すべてが、完成・成就したの意。それで安定している。
2)3陰3陽 の 6つの爻すべてが正位を得ているから安定している。
- 未済は、
1)未完成、いまだことが成就しないの意。つまり、男の道=君子の道
がいまだ定まっていないの意。2)3陰3陽 の 6つの爻すべてが不正位。3つの陽爻(男)が位を得ていないので、男の身の行き詰まりです。 3陰爻が、それぞれ陽爻の下にあって陽爻を承〔う〕けています。女(陰)が行き詰まることはないので、男(陽)の行き詰まりといえます。
3)全爻、不正位に加えて、2爻が坎険の中から出られないので、「男の窮する」の意。
31.帰妹は女〔じょ〕の終りなり。漸は女帰〔とつ〕ぐに男を待ちて行くなり。
【反卦】 結婚・女の終わりと始め?
- 帰妹は、嫁ぐことです。女は男の家に嫁ぎ、一生自分の落ち着く場所を得ることになるのですから、女の道は完成しおわるのです。
* 現代では、結婚・嫁ぎをもって女性の終わり(終着点)と考えてはいけないと思います。“シンデレラ”は、結婚式で ジ・エンド ではなく“それからのシンデレラ”があるのです。1つの終わりは、同時にまた1つの新たなる始まりです。娘(独身)時代が終わるだけで、それは妻(夫婦)の時代・母の時代・家庭持ちの社会人の始まりでもあります。女性の道の完成ではなく、新たなる始まりなのです。(高根)
- 漸は、今風にいえば正式・古風な見合い結婚のようなものです。女子が嫁ぐには、礼(婚儀式)の備があり、それを漸次進めて男子のリクエスト〔親迎の礼〕を待って行くことです。これは、結婚(妻・婦)の道の始めです。
* 今は、男女平等ですから、婚儀において男女どちらが主導でもよいわけですが ・・・ ? (高根)
※ この「帰妹・漸」の捉え方として、現今は、帰妹は自由恋愛による結婚、漸は見合い・半見合による結婚と考えてもよいと思います。(高根)
32.姤〔コウ〕は遇〔あ〕うなり。柔、剛に遇うなり。 夬は決なり。剛、柔を決するなり。 君子の道長じ、小人の道憂うるなり。 ♪♪
【反卦】
- 姤〔コウ〕は、思いがけずして出合うの意です。1陰=柔 が始めて初爻に生じて、5陽=剛 に出合うのです。多淫・淫奔の意でもあります。
- 夬は、逆に 5陽(剛)が伸長して、上爻の陰(柔)を決去、押し決〔き〕る、引き破ってしまう卦象です。
- ですから、陰が陽に出合う姤卦は、小人の喜びを表し君子をその地位から遠ざけます。が、夬卦では、君子が小人を引き裂いて、君子の道がますます長じて(盛んになり)小人の道は憂え衰えてゆくことを説いています。
――― そして、夬卦の1陰が決去され尽くしますと、最初の純陽の乾卦に戻ります。人類の歴史は行き詰まることなく、再び始まります。「終始」 = 終りて始まる、という悠なる易学の循環の理がここに示されているのです。
( 完 )
「儒学に学ぶ」ホームページはこちら → http://jugaku.net/