■ 孝経 ( 章 第15 ) 執筆中
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■ 論語 ( 孔子の弟子たち ―― 子 路 〔2〕 )
3) “知る”とは、どいうことか?
○ 「子曰く、由や、女〔なんじ/=汝〕に之を知るを誨〔おし〕えんか。之を知るを之を知ると為し、知らざるを知らずと為す、是れ知るなり。」 (為政・第2―17)
《 大 意 》
孔先生がおっしゃるには、「由よ、お前に(本当の意味での)知るということを教えようか。自分の知っていることは知っているとし、※知らないことは知らないとする。これが真に知るということの意味なのだ。」
※ “知らない” と自分の心にはっきりさせ、また他人に対してもっはっきりいう。(推測するに、子路は知ったかぶりをする傾向があったのではないでしょうか)
自らの無知(知らないということ)を知ってこそ、求めようとするのです。ギリシアの哲人ソクラテスは、「無知の知」を自らの哲学・思想の出発点としました。
○ 「野〔や〕なるかな由や。君子は其の知らざる所に於いて、蓋し闕如〔けつじょ〕す。」 (子路・第13−3)
《 大 意 》
何というがさつ者だ、由は。君子というものは、よく知らないことについては(しばらく除いておいて)黙っているものだ。(軽率・知ったかぶりの口はきいてはいけない。)
cf.“牛のケツ” → 禅僧、モウのしり = “物知り”
知と智 → 「知」は「矢」と「口」で人を傷つける。「智」は「日(太陽)」が加わる:渋柿も日にあてると甘柿に変わる。「智」は、“しる”と“さとる”
知と痴 → 知もこうじると病となる
◆ data:データ → information:インフォメーション〔情報〕 → intelligence:インテリジェンス〔精選情報〕 → knowledge:ナレッジ 知識 / → → 見識 → 胆識
◆ “無知の知”(ソクラテス) /“知は力なり”(F.ベーコン) /“大いなる愛は大いなる知識の娘である”(レオナルド・ダ・ビンチ)
4) 「無所取材」 ――― 「桴に乗って亡命でもしようか?」 と孔子
○ 「子曰く、道行われず。桴〔いかだ〕に乗りて海に浮ばん。我に従う者は、其れ由か。子路之を聞きて喜ぶ。子曰く、由や、勇を好むこと我に過ぎたり。材を取る所無し。」 (公治長・第5−7)
《 大 意 》
孔先生が、(嘆息して)おっしゃるには、「この国(中国)は乱れ、わしを用いる者もなく、わしのいう道が行われない。いっそ、筏〔いかだ〕に乗って海外に亡命したいものだ。その時、わしについてくるのは、まあ由(子路の名)くらいだろうね。」 子路は、(数多〔あまた〕の弟子の中で自分を挙げてくれたことに)感激し得意になりました。そこで孔先生は、「由(子路)や、お前が勇気のあることは、わし以上だが、※ (A)気が早いな、実はまだ筏を組む材料さえも、求めていないんだよ。 (B)どうもあまり素朴で、道具にならん、使い物にならんよ!」とおっしゃいました。
※ 乱世に処して、志 何ともならぬ孔子晩年の嘆息、心中のさびしさが現われている場面です。
A) は、一般的解説。「取」は用立てる。どこからも材木を調達できない、準備ができていない。
B) は、安岡正篤氏の解釈。「材」=才・人材。子路の才(勇敢さ)は役立てようがない、すぐに悲鳴をあげる(弱音を吐く)のはおまえじゃないか。(「論語読みの論語知らず」) /さて、その筏をどう仕立てるかとなると子路にはその手立てがない。 ―― 建設のない破壊はダメ、今日の日本にも小型の子路が多い。(「論語の人間像」)
C) は、私(高根)が思うに。A)とB)の意味両方をふくめたシャレかもしれないと思います。孔子の心の裡の寂しさと、気の早い(ゲンキンな)子路に対する戯れ言を含めてこの文言を捉えました。それにしても、筏の材料がないのと人材としての取りえがないをカケルとは、孔子も人がわるい。
5) ※“鬼神〔きしん〕”と子路 ――― 鬼神に対する孔子と子路の捉え方
※ 鬼神 = 神〔しん〕は天地の神々。神秘的なこと。特定の宗教の「神〔カミ〕」ではありません。古代中国に特定の神はありません。神の語源は『易経』だと思います。
鬼〔き〕は、人が死んで霊となったもの。死者の霊・魂〔たましい〕。ツノが生え虎の皮のパンツをはいた鬼〔オニ〕(艮=丑寅/うしとら:牛のツノと虎のパンツの発想か?)ではありません。
cf.「鬼門〔きもん〕」、「神出鬼没〔しんしゅつきぼつ〕」
○ 「民の義を務め、鬼神を敬して、これを遠ざく、知と謂うべし。」 (擁也・第6−22)
《 大 意 》
人としてなすべきことを行い、神霊(神仏)に対しては崇敬するが、狎〔な〕れ近づいて利得を求めなければ、知ということができよう。
cf.「敬遠」、宮本武蔵(敬って頼らず)
○ 「季路、鬼神に事〔つか〕えんことを問う。子曰く、未だ人に事うること能〔あた〕わず、焉〔いずく〕んぞ能く鬼〔き〕に事えん。曰く、敢えて死を問う。曰く、未だ生を知らず、焉んぞ死を知らん。」 (先進・第11−12)
《 大 意 》
季路(子路)が、鬼神(神霊)に仕える道を尋ねました。孔先生がおっしゃるには、「まだ、生きた人間にうまく仕えられ(愛敬を尽くせないのに)、どうして鬼神に仕えられようか。(まず人に仕える道を求めなさい)」 季路は重ねて「死とはどのようなものでしょうか?」。 孔先生は、「(生は始めで死は終わりである)まだ、生きるということがよくわからないのに、どうして死がわかろうか。(まず、生きることをわかろうと務めなさい)」とおっしゃいました。
○ 「子の疾〔やまい〕、病〔へい〕なり。子路、祷〔いの〕らんことを請う。子曰く、諸〔こ〕れ有りや。子路対〔こた〕えて曰く、之れ有り。※ 誄〔るい〕に曰く、爾〔なんじ〕を上下〔しょうか〕の神祇〔しんぎ〕に祷る。し曰く、丘の祈ること久し。」 (述而・第7−34)
※ 誄 = 「死を哀〔あわ〕れんで、その行を述べる辞〔ことば〕」(朱注)、日本では「しのびごと」
《 大 意 》
孔子の病気が、重かった時、子路が心配して、病気の回復を祈祷〔きとう〕したいと願い出ました。 孔子は、「何かそういった先例(道理)があるのか?」と尋ねました。 子路が答えて言うには、「ございます。古〔いにしえ〕の誄〔るい/しのびごと〕に“汝のために天地の神々に祈る”とあります。」 孔先生がおっしゃるには、「そうか、そういう意味の祈りなら、わしは久しく祈っていることになるよ。今更改めて、助けを求めて祈るまでもないよ。」
※ 祈りを事としない孔子は、子路のその至情に対して、祈るには及ばないよと告げたと思われます。 古代社会において、「呪術〔じゅじゅつ〕」は一般的でした。子路は 祈祷・祈祷師に重きをおいて、「神だのみ」的傾向が強かったのかも知れません。
( つづく )
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■ 本学 【司馬遷と『史記』 ― 3 】 執筆中
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■ 易経 ( 「十翼」 :序卦伝 (2) 執筆中 )
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