論語  ( 孔子の弟子たち ―― 子 貢 〔5〕 ) ※最終

2) 理想的指導者〔リーダー〕像 ・・・・ 政治・経済の要〔かなめ〕:“民 なくば立たず

○ 「子貢・政〔まつりごと/せい〕を問う。子曰く、食を足(ら)し、兵を足(ら)し、※民は之をにす。(民をしてこれをぜしむ。) 子貢曰く、必ず已〔や〕むを得ずして去らば(す・てば)、斯〔こ〕の三の者に於いて何をか先にせん、と。 曰く、兵を去らん、と。 子貢曰く、必ず已むを得ずして去らば、斯の二の者に於いて何をか先にせん、と。 曰く、食を去らん、と。古より皆 死有り、※民になく(ん)ば立たず、と。」    (顔淵・第12‐7)

【 子貢問政。 子曰、足食、足兵、※民信之矣。 | 子貢曰、必不得已而去、於斯三者何先。曰、去兵。 | 子貢曰、必不得已而去、於斯二者何先。曰、去食。自古皆有死。※民無信不立。 】

《 大 意 》
子貢が、政治(の要〔かなめ〕)についてお尋ねしました。孔先生がおっしゃいました。「食糧を充分にし、軍隊を充実させ、※A.人民に信(義)を重んずるようにさせることだ。( B.人民に為政者を信頼させるようにすることだ。)」と。
子貢が尋ねました。「どうしても、やむを得ずに切り捨てるとしたら、この三つの中でどれをさきに切り捨てますか。」 と。 先生はおっしゃいました。「軍隊を捨てよう。」 と。
子貢が(さらに重ねて)尋ねました。「また、どうしても、やむを得ずに切り捨てるとしたら、この二つのうちどちらをさきに切り捨てるべきでしょうか。」 と。 先生はおっしゃいました。「食を捨てよう。(食を捨てれば人は餓死することになるけれども)昔から、誰にも死というものはあるのだ。この人の世に信義・信頼というものがなければ、(そもそも)政治(=社会)は成り立たないヨ。」 と。

《 解 説 》
この問答、凡庸を超えて、子貢ならではの問いであり孔子ならではの答えといえましょう。これは、政治・経済の要〔かなめ〕を示した名言であり、儒学の理想的指導者〔リーダー〕のあるべき姿が示されているといえます。
“経済生活の安心”と“国防の安全”と“道義教育の完成”の3つは、当然に、古〔いにしえ〕も現代も変わらぬ普遍的な政〔まつりごと〕の要諦〔ようてい〕です。“安心”・“安全”の生活の文言は、政治家の公約・スローガンにもよく見かけますね。そして、この3つの要の優先順位を、孔子は 癸院嵜」(道義教育) 癸押嵜」(経済) 癸魁嵎次廖聞駛鼻法,箸靴燭里任。実に達見です。経済も国防も一〔いつ〕に「信」にかかっているということです。しかるに現代の日本は、癸欧痢嵜」(経済)の一辺倒で、癸海痢嵎次廖聞駛鼻砲和称亘楷蠅派埆縞、癸韻痢嵜」に至っては忘却され、3番目にもなってないがごとき有様です

「民信之矣」は、“民は之を信にす”と読めば「之」は民を受けて“人民に信(義)を重んずるようにさせることだ”と解せます。次に“民をしてこれを信ぜしむ”と読めば、「之」は為政者を指して“人民に為政者を信頼させるようにすることだ”と解せます。この「民信之矣」の上に「使」や「令」の使役の文字がある本もあります。(後述「民可使由之。不可使知之。」参照のこと) 私は、どちらも孔子の真意・深意を得たものと考えます

「民無信不立」: 「無」=「不」。∴「民不信不立」=「民不信則不立」

cf.中江藤樹(近江〔おうみ〕聖人) と “徳治主義” のエピソード
→ 中江藤樹が住む村の人々は、藤樹の教えに感化されてよく徳が行き渡っていました。ある時、藤樹の村に在住の馬子〔まご:現代のタクシードライバー〕が、大金を置き忘れたお客をはるばる探し出しお貨幣〔かね〕を届けました。そして、お礼のお貨幣を決して受け取ろうとはしませんでした。・・・
*現代の日本でも地方によっては、農産物などの“無人販売”が行われている地域があります。 都市部の路上(屋外)に無数ある“自動販売機”の存在も諸外国の人々は、(日本の治安・道徳の良さに)驚きます。

cf.「衣食足りて礼節を知る」 (『管子』)/「人はパンのみ生きるにあらず」(イエス・『聖書』)/ 孟子: 「父子の親・君臣の義・夫婦の別・長幼の序・朋友の」 / “五常”: 仁・義・礼・智・ /道徳的パワー: 「自ら反みて縮くんば、千万人と雖も吾往かん。」(『孟子』・公孫丑〔こうそんちゅう〕上の中の曾子の言葉)

次に、『論語』の権威でもあり東洋思想の泰斗〔たいと〕である故・安岡正篤先生の記述をピックアップしてみましょう。

≪ 民無信不立 ≫ 〔民に信なく(ん)ば立たず。〕 (顔淵・第12‐7)

「実に大識見であります。――(中略)―― 信とは良心に従つて変ぜぬことです。人と約して違はぬことです
そこで子貢がどうにもやむことを得ずして、この三者のうちどれかを犠牲にしなければならないとしたら、まづ何から去りませうかと申しますと、孔子は兵を去らう、すなはち軍備・武力これを犠牲にしよう。さうすると子貢はたたみかけて、もしどうにもならなくて、尚このいづれかを去らねばならないとすれば、『食を足らす』と『民は之を信にす』と、いづれを先にいたしますか。深刻ですね。普通ならば、信を棄てる外ないといふところでせう。孔子は『食を去る』、すなはち経済活動を犠牲にするほかない。人間といふものは昔から皆死ぬものだ。しかし死に代り、生き代つて、かうして続いてをる。しかしこの信が人間から無くなると、人間は存立することが出来ない。たとへ武力を去り、経済生活を犠牲にしても、最後まで失ふことのできないものは、信であると断言したのであります。」
安岡正篤述・『朝の論語』(明徳出版社) / 第13講「食と兵と信」参照 (pp.155 − 156)

≪ 民可使由之。不可使知之。 ≫
〔子曰く、民はこれに由〔よ〕らしむべし。これを知らしむべからず。〕
(泰伯・第8‐9)

「これは孔子が当時の政治家・為政者に対して与へられた教訓であります。民は之に由らしむべしといふこの「由る」は、民が信頼するといふ意味でありまして、その由らしむべしとは信頼せしめよといふ命令のべしであります。知らしむべからずとは、知るは知る・理解する意味であることは勿論、べからずとはむづかしい、できないという可能・不可能のべしであります。民衆といふものは、利己的で、目先のことしかわからぬから、為政者の遠大公正な政策の意味などを理解させることは非常にむづかしい。時には不可能な話である。結局は、民衆にも案外一面良心はあるのですから、何だか能く分らんけれども、あの人の言ふこと、あの方の行ふことだから、間違ひはなからう。自分は分らないが任せる ―― かういふふうに信頼させよ。といふことであります。
民主主義といっても、その要は結局民衆をして信頼させることであります。民衆が安んじて信頼することのできる政治家になることが何より大切です。」
安岡正篤述・前掲書/ 第14講「行政と民衆」参照 (pp.170−171)

「無信不立」は、政治家が好んで唱えられたり色紙に書いたりされますね(ex.三木武夫 元総理)。人の長たる(たらんとする)者、人の指導者〔リーダー〕たる(たらんとする)者に真の意味でしっかりと味わって頂きたいものです
畢竟〔ひっきょう〕するに、平成の現代日本国民にとって、最も忘却されているもの、(したがって)これから日本人に求められるものは、“信頼(信)”と“思いやり(仁・愛・恕)”です。それは、国家百年の大計である教育の分野においての道義教育のことに他なりません。そして、その道義教育教育の直接の担い手である教師において問題の課題は“〔けい〕”の欠如です。!
『論語』に君子は本〔もと〕を務〔つと〕む。本立ちて道生ず。〔有徳の君子(=指導者)は根本のことに努力し行うものです。すべては、根本が定まってこそ、自ずと進むべき道が開けるのです。〕(学而・第1−2) とあります。「信」と“思いやり”は、「本〔もと〕」であり「食」≒“経済”は枝葉です!

cf. ≪ TOPIX ≫ ‘12.12.16 :「民主惨敗、自民圧勝(衆院)」 /

’13.7.21 :「民主惨敗、自民圧勝(参院)」、ねじれ解消・自民1強体制・与党衆参で過半数 / 6年前’7.7.30 :「自民・歴史的大敗」(民主の歴史的大勝)

cf. ≪ 孔子伝・「恕の人」(DVD) ≫ ―― 信について

孔子:「500年前の殷の人々は、人が言うと書いて信の字を作った。これはつまり、話す言葉に信用があるということ。人は常に真実を話さねばならず、嘘はいけない。人と人の間で真実の言葉が語られなければ、互いを信用ができず、社会の秩序も保つことができない。」

顔回:「人にして信なくんば、其の可なるを知らず、大車輗〔げい〕なく、小車〔げつ〕なくんば、其れ何を以て之を行〔や〕らんや。車に譬〔たと〕えて言うと、どんな車でも重要な部品を欠いては走れません。人づき合いや祭りごとにおいても、言葉に信なくしては社会で認められないのです。」
cf.為政・第2−22 「子曰、人而無信、・・・・ 」

cf. ≪ 黄老&儒学の理想的指導者〔リーダー〕像 ≫
(たかね『大難解老子講』 pp.113−114 参照のこと)

老子は、儒学的政治指導者を第2位においています。が、現実の政治の世界では、第2位の仁・慈の政治指導者も理想的指導者〔リーダー〕像といえます。黄老的政治指導者は文字どうり、至上・太上のものとして考えればよいでしょう。
また、政治は実際、一人でやるわけではありません。総理大臣(総大将)の理想像を黄老的聖人とし、大臣・閣僚参謀のトップを儒家的聖人とみるのが善いのではないでしょうか。

≪ 指導者(為政者・君主) の 4 ランク ≫ (聖人 ≒ 君子 ≒ 指導者)

1位
(太上)
黄老的 聖人 : 無為自然 存在が知られているだけ
2位 儒学的 聖人 : 仁 慈 親しまれ誉められる
3位 (法家的 聖人) : 刑 罰 畏(恐)れられる
4位    * 侮りバカにされる

cf.*現代大衆社会のリーダー?

(子貢完)

(この続きは、次の記事に掲載させて頂きます。)

「儒学に学ぶ」ホームページはこちら
http://jugaku.net/


にほんブログ村 哲学・思想ブログ 儒教・儒学へ

にほんブログ村