論語  ( 孔子の弟子たち ―― 宰予 〔さいよ〕 〔1〕 )

§.はじめに (・・・ 宰我と子貢)

宰予〔さいよ:BC.552−BC.458〕、字は子我、通称宰我。言語には宰我・子貢とあり、子貢と共に四科十哲の一人で、弁舌をもって知られています。孔子との年齢差29歳。子貢が孔子と年齢差31歳ですから、宰予と子貢はほぼ同年齢ということです。

『論語』の中に表われている宰予は、子貢とは対照的に悪い面ばかりが描かれ孔子と対立して(叱責を受けて)います。宰予は、孔門の賢く真面目な優等生的多くの弟子の中にあって、“異端児”・“劣等生”・“不肖の弟子”…といった印象を与えています。が、しかし、“十哲”にあげられ、孔子との対立が敢えて記されていることからも(逆に)端倪〔たんげい〕すべからぬ才人・器量人であったと考えられます。孔子も、“ソリ”・“ウマ”はあわなくも、一目おいていたのではないでしょうか。

cf. ≪ 孔子伝・「恕の人」(DVD)※ ≪ 孔子伝・「恕の人」(DVD) ≫

宰我:「先生の道は太陽や月と同じです。誰も見過ごせません。しかし、日が陰り月が欠けるように、先生の道にもまだ何か足りないところがあるのではないですか?」

孔子:「大道を天下に行い広めていくのは天命だ。季節が廻るのも天命、万物が育つのも天命、誤りなどあろうか!」

宰我:「天に誤ちがないなら、人が誤っているのです。もしかすると、先生のお考えにはかたよりがあるのでは?」

宰我:「もし先生に間違いがないのなら、諸侯に間違いがあるのです。」

孔子:「人よく道をひろむ、道人をひろむに非ず。生まれつき道を知る者、学んで知る者、苦しんで学ぶ者、学ばぬ者がいる。生まれつき知る者は賢人だ。私は、賢人でなく学んで知った。苦しんで知る者には教えるべきだが、苦しみを避け学ばぬなら望みはない。諸侯の皆が皆学ばぬということはあるまい。」

( つづく )

 

老子  【4】

黄老の学 あらまし

§.機 圈 嶇兄辧廖‐匆陝   

儒学と老荘(黄老・道家)思想は、東洋思想の二大潮流であり、その二面性・二属性を形成するものです。

国家・社会のレベルでも、個人のレベルでも、儒学的人間像と老荘的人間像の2面性・2属性があります。

また、そうあらなければなりません。

東洋の学問を深めつきつめてゆきますと、行きつくところのものが、“易”と“老子”です。 

―― ある種の憧憬〔あこがれ・しょうけい〕の学びの世界です。

東洋思想の泰斗・安岡正篤先生も、次のように表現されておられます。

 

「東洋の学問を学んでだんだん深くなって参りますと、どうしても易と老子を学びたくなる、と言うよりは学ばぬものがないと言うのが本当のようであります。

又そういう専門的な問題を別にしても、人生を自分から考えるようになった人々は、読めると読めないにかかわらず、易や老子に憧憬〔しょうけい〕を持つのであります。

大体易や老子というものは、若い人や初歩の人にはくいつき難いもので、どうしても世の中の苦労をなめて、世の中というものがそう簡単に割り切れるものではないということがしみじみと分かって、つまり首をひねって人生を考えるような年輩になって、はじめて学びたくなる

又学んで言いしれぬ楽しみを発見するのであります。」

(*安岡正篤・『活学としての東洋思想』所収「老子と現代」 p.88引用 )

 

『論語』・『易経』とともに、『老子』の影響力も実に深く広いものがあります。

『老子』もまた、言霊の宝庫なのです。

我々が、日常、身近に親しく使っている格言・文言で『老子』に由来するものは、ずいぶんとたくさんあります。

例えば、次のように枚挙にいとまがありません。 

  • 大器晩成〔大器成〕 (41章)
  • 和光同塵〔わこうどうじん〕 (4章・56章)
  • 無為自然 (7章)
  • 道は常に無為にして、而も為さざる無し (37章)
  • 柔弱謙下〔じゅうじゃく/にゅうじゃく けんか〕の徳 (76章)
  • 柔よく剛を制す (36章)
  • 三宝 (67章)
  • 恍惚〔こうこつ〕 (21章)
  • 天網恢恢〔てんもうかいかい〕、疏〔そ〕にして失わず〔漏らさず〕 (73章)
  • 千里の行〔こう/たび〕も、足下より始まる (64章)
  • 知足(たるをしる) / 知止(とどまるをしる) (33章・44章・46章)
  • 上善若水〔じょうぜんじゃくすい:上善は水のごとし〕 (8章)
  • 天は長く地は久し (7章)  cf.“天長節”・“地久節”の出典
  • 知る者は言わず、言う者は知らず (56章)
  • 大道廃〔すた〕れて、仁義あり / 国家昏(混)乱して忠臣有り (18章)
  • 禍〔わざわい〕は福の倚〔よ〕る所、福は禍の伏す所 (58章) cf.“塞翁馬”
  • 功成り名遂げて身退くは、天の道なり (9章)
  • 絶学無憂〔ぜつがくむゆう〕 (20章)
  • 小国寡民 (80章)
  • 信言は美ならず、美言は信ならず (81章)
  • 怨みに報いるに徳を以てす (63章) 
    cf.「直を以て怨みに報い、徳を以て徳に報ゆ」(『論語』) 

・・・ etc.

 

さて、(孔子とは対照的に)老子という人物は、実は、いたかどうかもはっきりしないのです。

が、少なくとも 『老子』(『老子道徳経』) と呼ばれている本を書いた人(人々?)は、いたわけです。

時代的には、儒家が活躍したのと(諸子百家の時代、春秋時代〔BC.770〜BC.403〕の末頃から)、同時代か少し後の時代と考えられます。

 

そして、近年この『老子』に、歴史的な新発見(サプライズ)があったのです

『老子』の現存する最古のテキスト=今本〔きんぽん〕『老子』というものは、8世紀初頭の石刻でした

ところが、1973年冬、湖南省長沙市馬王堆〔ばおうたい〕の漢墓で、帛〔はく:絹の布〕に書かれた 2種の『老子』が発見されました。

帛書老子”甲本(前漢BC.206年以前のもの)と乙本(BC.180年頃までに書写されたもの)です

 

さらに驚くことに、1993年冬、湖北省荊門市郭店の楚墓から、『老子』の竹簡〔ちくかん〕が出土しました。

この楚簡(竹簡)老子は、“帛書老子”よりさらに 1世紀ほど遡るBC.300年頃のものです。

 

こうして、『老子』のテキストは、一気に1000年以上も前にまで遡って、我々の目にするところとなりました。

これ等の研究により、老子研究の世界も、歴史学や訓詁〔くんこ〕学のそれのように、塗り替えられ新たになろうとしています。

 

新発見の具体的一例をあげれば、大器(ハ) 晩成(ス)があげられます。

国語(現代文、古典ともに)で、しばしば登場する文言です。

四字熟語としても、小学生・中学生のころからお馴染みのものですね。

“大きな器〔うつわ〕は夜できる”という珍訳が有名ですが、大きな器を作るのには時間がかかるという(それだけの)意です

そこから敷衍〔ふえん〕して、立派な人物は速成では出来上がらず、晩年に大成するという意味で用いられます。

即戦力が求められ、レトルト食品なみの速成(即製)人間を作りたがるご時世。

心したい箴言〔しんげん〕ではあります。

 

ところが、この「大器晩成」は「大器免成」が本来の意義であったのです

真に大いなる器(=人物)は完成しない、完成するようなものは真の大器ではないということです。

これこそ、老子の思想によく適うというものです。

( → 詳しくは、『老子』本文・解説にて後述。また、※盧ブログ【儒灯】・《「大器晩成」と「大器免成」》をご覧ください。)

 

―― 『論語』の中に、孔子の「温故而知新」(故〔ふる/古〕きを温〔あたた/たず・ねて〕めて新しきを知れば、以て師となるべし)の名言があります。

“帛書老子”・“楚簡(竹簡)老子”の新発見による研究成果も踏まえながら、20世紀初頭、平成の現代(日本)の“光”をあてながら、「老子」と“対話”してまいりたいと思います。

故〔ふる〕くて新しい「老子」を活学してまいりたいと思います

 

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〈 易県龍興観道徳経碑 〉 : 唐708年

 cf.「天網は恢々〔かいかい〕、疏〔そ〕にして漏らさず。」(73章)
    ※不漏 → 不失

 


※  研究   ≪ 黄老(老子)とは? 儒学と黄老 ≫

 

〈 黄老(老子)とは? 〉

「―― (老荘は) けばけばしい色彩はぬけてしまって、落ちついた、渋い味を持ってゐる。

世間の常識的な型を破って、しかもその破格の中に、いかなる常識人にも感得せられるあの大きな独自の型を創造してゐる。

その点世間の何人からも肯定される理性的 reasonable な洗練を特徴とする孔孟型と好い対象であって、しかも危なげのない本格的な点で両々共通なものがある

孔孟の教へと同様、老子の説を *「人君南面の術」 とする漢志の説も妥当である。」

(安岡・『老荘』思想 p.15引用)

cf. 君子南面ス。リーダー・指導者のあるべき姿ほどの意でしょう。相学(家相など)にも応用。

 

〈 孔孟と老荘 〉

「しかしながら孔孟に老荘のあることは、丁度人家に山水のあるやうなもので、これに依って里人は如何に清新な生活の力を與へられることであらう。

自然に返れといふことは、浅薄に解してはとんでもないことになるが、正しく解することさへできれば、文化をその頽廃から救って、人間を自由と永遠とに導く真理である。

拘泥〔こうでい〕し易く頽廃しがちな悩みを持つ人間が、孔孟を貴びつつ、老荘にあこがれて来たのは無理のないことである。」

  (安岡・『老荘』思想 pp.2−3 引用)

 

〈 正しい意味の形而上学 → 『中庸』 〉

「そういう意味で、われわれの人生、生活、現実というものに真剣に取り組むと、われわれの思想、感覚が非常に霊的になる

普段ぼんやりして気のつかぬことが、容易に気がつく。

超現実的な直覚、これが正しい意味に於ける形而上学というものであります。

こういう叡知〔えいち/=英知〕が老子には輝いているのです。」

(安岡・『活学としての東洋思想』所収・「老子と現代」 p.92引用)

 

★ 参 考 : ≪ 儒学&黄老 (カラー)イメージスケール ≫ by.たかね

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中国の思想・文化の2大潮流 = 【学】 & 【黄/老荘】(道教)

 

中国の思想・文化の3大潮流 = 【学】 & 【黄/老荘】(道教) & 【教】

 

中国の思想・文化 = 【儒学】子・子・子 & 【黄老/老荘】 子・子・

 

日本の精神・文化 = 古神道(惟神道〔かんながらのみち〕) & 3教【

( つづく )

 

本学  【 漢文講読 ―― 『春秋左氏伝』 】

*漢文講読の第2回目は、『春秋左氏伝』 〔しゅんじゅう さしでん〕から、「病入 膏肓 〔やまいこうこうにいる〕」を取り上げました。

§.はじめに

“五経”の一つ『春秋』(魯の年代記、BC.722〜BC.481の12代242年間)は、孔子が整理・編集したとされる歴史書です。これに、左丘明が詳しく解説を施して、成立しました。“伝”とは、経書〔けいしょ〕の注解の意です。人物・場面の描写に優れ、その簡潔な表現は、後世の文章家達から模範と仰がれています。

今回は、“病膏肓〔やまいこうこう〕に入る”、の故事でよく知られている部分を採りあげました。「巫」・「夢」・「運命」といった事柄を考察するのに良いと思います。

(なお、本時講義には、多久引一・『多久漢文講義の実況中継』 を多く参照・引用いたしました。)

 

『春秋左氏伝』 ・ 「 病入2 膏肓 」 (病膏肓に入る)

《 漢 文 》   ――  略  ――

《 書き下し文 》 (現代かなづかいによる)

晋の景公、大辧未燭い譴ぁ揚韻鯣錙未劼蕁佑て地に及び、膺〔むね〕を搏〔う〕ちて踊り、大門と寝門〔しんもん〕を壞〔やぶ〕りて入〔い〕る。公懼〔おそ〕れて室〔へや〕に入れば、また戸を壞るを夢みる。|

公覺〔さ〕めて巫〔ふ〕を召す注1) 巫の言夢のごとし。公曰く、「何如〔いかん〕」 と。曰く、「新を食らわざらん」 と。公疾病〔やまいへい〕 なり。醫を秦に求む。秦伯〔しんぱく〕、醫の緩〔かん〕をして之を為〔おさ〕めしむ(※之を為〔おさ〕めしめんとす)。 |

未だ至らず。公の夢に疾〔やまい〕 二豎子〔じゅし〕となり、曰く、「彼は良醫なり。」懼〔おそ〕らくは我を傷つけん。注2) 焉〔いずく〕にかを逃れん」 と。その一〔いつ〕曰く、「肓〔こう〕の上、膏〔こう〕の下に居らば、我を若何〔いかん〕せん」 と。 |

醫至る。曰く、「疾為〔しつ・おさ〕むべからざるなり。」肓の上、膏の下に在り。之を攻むるも可ならず、之に達せんとするも及ばず、薬も至らず、為むべからざるなり」 と。

公曰く、「良醫なり」 と。厚く*が礼を為して*を帰す。 |

六月丙午〔ひのえ うま/へいご〕、晋公麥〔ばく〕を欲す。甸人〔でんじん〕をして之を献ぜしむ。饋〔き〕人之を為〔おさ〕む。巫を召し、示してを殺す注3) ※将〔まさ〕に 食はんとし、張す。厠〔かわや〕にゆき、陥〔おちい〕りて卒〔しゅっ〕す

 

《 現代語訳・解説研究 》

晋の景公は、次のような夢をみました。大きな妖怪(オバケ)が、髪をざんばらにし、―― その髪の毛は地面にまで届いていました ―― 胸を叩いて踊り、大門と寝門(宮中の門の名前)とを壊して宮殿内に入ってきました。景公は怖くて自分の部屋に(逃げ)入ったのですけれども、(その妖怪は、)部屋の戸を壊して入ってきました。(という夢です) |

景公は目が覚めて、巫〔みこ〕を召し出しました。注1) 巫の言う内容は景公の夢のとうりでした。景公は尋ねました、「(わしのみた夢は)どうだろうか?(どんな意味・暗示なのだろうか)」 と。巫が申し上げますには、「(陛下は、)新麦を食べることはできないでしょう」 と。景公の病はひどくなりました。それで、医師を秦国に求めました。秦伯(秦の伯爵)は、医師の“緩〔かん〕”に命じて、之(=景公の病気)を治療させようとしました。| 

(緩が景公のところに)まだ、到着しなかった(時のことです)。 景公の夢の中に、病気が2人の子ども(の妖怪)となって出てきて、言いますに、「彼は名医です。おそらく、私たちを傷つけるでしょう。注2) どこへ逃げたものだろう。」 その中〔うち〕の一人が言いました。「肓(=横隔膜)の上、膏(=心臓)の下にいたならば、(医者の緩は)私たちをどうしましょうか。(たぶん、どうにもできないでしょうよ)」 |

医師(の緩)が、到着しました。(よくよく診察した結果、) 緩が言いますには、「(陛下の)病は治療することができません。(と申しますのも)病因が、肓(=横隔膜)の上、膏(=心臓)の下にあるからです。病巣を攻めようにもできません。鍼〔はり〕治療をしようとしても(危険な部位なので)到達できません。漢方薬も通じません。ですから、治療の施しようがないのです。」 と。景公がおっしゃるには、「あなたは、名医でいらっしゃる。」 と。手厚くその医師(=緩)にお礼をして、その医師(=緩)を国に帰しました。 (*」=医師・緩) |

六月丙午の日〔旧暦の 6月7日、今の暦で 7月10日から14・15日ごろ〕、晋公は、新麦を食べようとしました。(農場の)役人に命じて麦を献上させました。料理人が食事の調理をしました。(晋公は、)巫を呼び寄せて、(麦飯)を示して、巫を殺しました。注3) 晋公は、麦飯を食べようとして、腹が張り(便意をもよおし)ました。厠(=便所・トイレ)に行って、(糞便の中に)落ちて亡くなりました(糞死?)。

・「壞大門寝門」:
「大門と寝門とを壞りて」(並列の公式)
Aト 与〔と〕2 B1 (AとBと)、「与」=「及」

・「不食新矣」:
新麦を食べることはできない → 新麦を食べる(時節の)前に、景公は死ぬという予言。新しい麦は、初夏の穫り入れです。

・「焉逃」:
「之」は、漢文でよく用います。語調で、特に意味はありません。

・「何如」 と 「若我何」: 
何(若・奈)如は、“いかん”とよみ、疑問、「どんな〜か」
若(如・奈)何は、“いかんセン”とよみ、手段・方法・処置、「どうするか」・「どのようにするか」
目的語【我】は、若何の間に入れます。目的語には、・・・ヲ、若何のあとには ・・・センをつけます。

cf.「 力抜レ山兮気蓋レ世  時不レ利兮騅不レ逝
騅不レ逝兮可2奈何1  虞兮虞兮奈レ若何 」(『史記』・「四面楚歌」)
*〔虞や虞や若〔なんじ〕を奈何〔いかん〕せんと

・「将食、張。」:
「食べる」は、古文では「食らふ」。「将食」は、“まさに食〔くら〕はんと”。「将食、」は、“まさに食〔くら〕はんと”。
【「。」句点 → 「す」は終止形の「す」】
【「、」読点 → 「す」は連用形の「し」】
*サ行変格活用・ ―― 【せ//す/する/すれ/せよ】

・「陥而卒」:
「陥〔おちい〕り」は、“陥り、しこうして”の “て”が上にあがり、語調で「陥りて」になりました。「卒〔しゅっ〕す」は、貴人の死の場合の用います。
ちなみに、当時の厠(便所・トイレ)は、プールのように(糞尿が)蓄えられたものでした!

 

注1) 「巫」: みこ・かんなぎ医師

  • “神と人との感応を媒介する者。神に仕えて人の吉凶を予言する者” (広辞苑)
  • 最初は男女ともに巫〔みこ〕、後には女性を巫、男性を覡〔げき〕といいます。「巫覡〔ふげき/ぶげき〕」。
  • 「巫」の字は。上の横棒があの世、下の横棒はこの世。中間は、*榊〔さかき〕や数珠を持って踊るような形です。あの世から、霊魂を降ろす(神降ろし)スペシャリストです。

    cf.*わが国、神道〔しんとう〕(=神社)では榊〔さかき〕、仏教(=寺)では樒〔しきみ・しきび/梻〕。
    *巫女のことを、(ダンサーが役割の中心との視点から?)神楽女〔かぐらめ〕とよんでいる神社もあります。

  • 日本では、「巫」は女性のみ。なぜかは不明です。(女神)天照大御神〔あまてらすおおみかみ〕や邪馬台国の女王・卑弥呼〔ひみこ〕が有名ですね。

    「倭国乱れ、相攻伐すること暦年、乃〔すなわ〕ち共に一女子を立てて王と為す。名を卑弥呼と曰う。*鬼道を事とし、能〔よ〕く衆を惑わす。」
    (『三国志』・「魏志倭人伝」)

    *鬼道=呪術〔じゅじゅつ〕、鬼道を事とし→ 呪術師〔じゅじゅつし〕/シャーマン

注2) 余事ながら、私は、現代の“病占”の卦の解釈の考え方を連想しました。というのも、この病気(二豎子)が傷つけば、病人(景公)の病気が治るということです。つまり、(病人ではなく)病気そのものを主体として、得卦の判断をするという考え方です。

注3) 「召巫、示而殺。」の「之」は、「巫」のことです。新麦飯を示して、新麦を食べる(時節の)前に、景公は死ぬという予言が外れたではないか。デタラメ・けしからんことを言いおって! とばかりに殺したということです。
古代(農耕)社会において、「巫」(シャーマン)は、その特殊能力(占・呪術)による神秘性・カリスマ性から、絶大な権威と権力を有していたと考えられます。中国の伏犧〔ふつぎ・ふつき・ふくぎ/包儀・ほうぎ〕やわが国(邪馬台国)の卑弥呼〔ひみこ〕然りです。しかし、その“占・呪術”は、命がけの真剣なものであったと想像されます。万が一にも、外せば権威は失墜し、ここに書かれているように、その地位ばかりか生命もなかったことでしょう。安易な(アテモノ的)俗易者とは、大いに異なる所以〔ゆえん〕です。

( 完 )

 

易経  執筆中 )

 


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