■ 論語 ( 孔子の弟子たち ―― 子夏 〔2〕 )
《 §2.「素以為絢」/「繪事後素」 》
○ “子夏問いて曰く、「『巧笑倩〔こうしょう せん〕たり、美目盼ハン〔びもく はん/へん〕たり、素〔そ〕以て絢〔あや〕を為す。』 ※注) とは何の謂いぞや。」 | 子曰く、「絵事〔かいじ/絵の事〕は、 A:素より後〔のち〕にす(後る) 」 B:素を後〔のち〕にす。」と。 | 曰く、「礼は後か」 | 子曰く、「予〔われ/よ〕を起こすものは、商なり。 (※予を起こすものなり。商や・・・ ) 始めて与〔とも〕に詩を言うべきのみ。」と。” (八佾・第3−8)
【 子夏問曰、巧笑倩兮、美目盼兮、素以為絢兮、何謂也。| 子曰、繪事後素。 |
曰、禮後乎。 | 子曰、起予者商也。始可與言詩已矣。(※子曰、起予者。商也始可與言詩已矣。) 】
《大意》
子夏が、「『にっこり〔莞爾〕と笑うと口元が可愛らしく(エクボが出て愛嬌があり)、目(元)はパッチリと(黒い瞳が白に対照して)いかにも美しく、(その白い素肌の)上にうっすらと白粉〔おしろい〕のお化粧を刷〔は〕いて、何とも艶〔あで〕やか』※注) という詩がありますが、これはどういう意味のことを言っているのでしょうか。」 と質問しました。 |
孔先生がおっしゃるのには、「絵画で言えば、 A:白(の胡粉〔ごふん〕)で地塗りしてその上に彩色するようなものだ。」 B:彩色して一番最後に白色の絵具(胡粉〔ごふん〕)で仕上げるようなものだ。」 と。 |
(子夏が質問して言うには) 「A:礼(儀作法)は、まごころ〔忠信〕というベース・地塗りが出来てから行われるものですね。」 B:(まごころをもとにして) 礼(儀作法)が人の修養・仕上げにあたるものなのですね。」 |
孔先生がおっしゃるのには、「わしの思いつかなかったことを言って(啓発して)くれる者は商(子夏の名)だね。 (※わしの思いつかなかったことを言って(啓発して)くれたものだね。商よ、お前でこそ、共に ・・・ ) 商のような(古典を活学できる)人にして、はじめて共に詩を語ることができるというものだね〜。」 と。
《解説》
子夏のこの時の年齢はさだかではありませんが、(孔子との年齢差を考えるにつけても)おそらく若々しい青年だったでしょう。純情内気な子夏が、生真面目〔きまじめ〕に(艶〔つや〕っぽいことについての)とぼけた質問をして、それに対して覚人達人の孔子が ポン とよくわからぬ応〔こた〕えをしています。その応えに、賢く類推し凛〔りん〕として思考を閃〔ひらめ〕かせています。「禮後乎」とわずか三字で表現したところに“打てば響く”がごとき子夏のシャープな覚りが感じられます。その賢い弟子に対して「起予者」と三字で応じた孔子も流石〔さすが〕なるものがあります。
―― この問答の深意は、読者のみなさんには、“禅問答”のようで、トン とよくわからないものでしょう。このあたりが又、『論語』の得も言われぬ妙味たるゆえんかもしれません。
※注) 『詩経』の詩について、上2句は衛風・碩人篇にありますが、下1句は見当たりません。
「笑〔え〕まい可愛いや口もとえくぼ、目もと美しぱっちりと、白さで美しさをしあげたよ。」
(金谷治・『論語』 p.56 参照引用)
参考資料
「人形〔にんぎょう〕」 1911(M.44)年 5月
文部省唱歌/作詞作曲ともに不詳/ 『尋常小学校唱歌・第一学年用』
1. わたしの人形はよい人形。
目は ぱっちりと いろじろで、
小さい口もと 愛らしい。
わたしの人形はよい人形。
2. わたしの人形はよい人形。
歌を うたえば ねんねして、
ひとりでおいても 泣きません。
わたしの人形はよい人形。
※ 1970年代、替え歌 CMソング(関西地区限定) 『モリシゲ人形のうた』
1. わたしの人形は モリシゲで
お顔がよくて 可愛くて
五人囃子に 内裏さま
たのしいみんなの ひな祭り
――― 2.3.4.5.
最後に
目は ぱっちりと いろじろで、
小さい口もと 愛らしい。
わたしの人形は よい人形。
( つづく )
■ 老子 【7】
コギト(我想う) 1
≪ 循環の理 (1) 「大曰逝、逝曰遠、遠曰反」 ≫
「遠曰反」は、老子の思想の特徴的な部分であり、私は、老子の面目躍如たるものを感じます。
25章は、道の始原(元)性にはじまり、めまぐるしく論旨が展開していて複雑・難です。
中でも、この文は難解です。が、私は興味深く感じるものがあります。
道は周〔あまね〕く行き渡っているので、その性質から「大」といってみました。
「大」〔Great〕は「小」に対する相対的概念ではなく、“絶対大”・“無限大”です。
「大」なるものの運動は「逝」〔ゆ〕き「遠」ざかります。
無限・永遠の拡がりを示し、その極〔きわみ〕に達すると、“循環の理”に由って根源〔もと〕に「反」(=返)るのです。
“矛盾を孕〔はら〕んだ統一”ですね。
“Great, it pass on in constant flow. Passing on, it becomes remote.
Having become remote, it returns.“ (Kitamura adj. p.87)
さて、このことを現代の科学的(宇宙物理学・天文学・・・)常識・成果で考えてみましょう。
地球は球体(丸い)であり、太陽(月は地球)を自転しながら公転しています。
一日・一年の巡り(周行)でまたもとに戻ります。
「春→夏→秋→冬→」という四季の移り変わりも、それが故のことですね。
遥かに「遠」くなり、やがて本源に立ち返〔「反」〕るのです。 注1)
これが、老子の思想の深淵・面目躍如たるところです。
例えば、もし悠遠〔ゆうえん〕にみることが出来る望遠鏡があれば、地球上では自分の後ろ姿が見えるのでしょう?
アインシュタインの(宇宙)論でも、「遠」〔無限∞〕に遠くが見える天体望遠鏡で宇宙のはてを見ると、自分の後ろ頭が見えるといいます。 注2)
137億年前のビッグ・バンに宇宙は始まり、以後拡大・膨張し続けているといわれていますが、膨らむ宇宙の結末は、空間も引き裂かれてバラバラになるのでしょうか?!
それとも行き着くところまで行けば縮み始めるのでしょうか?
易学においても、陰陽2原論の易理が、現代のコンピューターの2進法の原理(0と1、Off と On)と同一です。
また、易・64卦の理は、生物学の胚の誕生・“卵割〔らんかつ〕”のプロセス(単細胞の受精卵が、2・4・8・16・・・と分割され64分割をもって終了すること。それ以降は、桑実胚〔そうじつはい〕とよばれます。)と同じです。
想いますに、これら21世紀の現代科学の成果と2000年余前の老子の思想との不思議な一致は何でしょうか?
なぜ、老子は知り得たのでしょうか?
これは、(易学でもいえることですが)私は、聖人のシックスセンスによる、“覚智〔かくち〕”の世界の故だと想うのです。
まことに、“至れる哲学(者)は科学的であり、至れる科学(者)は哲学的”ではありませんか。
注1)
「遠の極み(遠の大なるもの)は、反〔返〕る」は、まことに万般においての哲理・真理と想われます。
それは、円運動にしろ振り子(半円)運動にしろ、山谷の波運動にしろ(cf.易は 円の循環でもあり、陰極まれば陽・陽極まれば陰の山谷の波の循環でもあります)、「周行」であるからなのでしょう。
大いに「離」=遠くなれば、反る。
その循環の理により自然に復帰するものですが、それは、人間のイデオロギーや心理状態にも言えるのでしょうか?
老子は、人間だけは進んで反(=帰)ることを知らないと言っています。
私は、現代文明=易の【離】はまさにそのとうり、反ることを知らないでいると思い想います。
注2)
cf.現在の宇宙科学で、ビッグ・バン以来(加速しながら)膨張し続けている宇宙の格好は球体をしており、その大きさは、(年齢を137億年として) 【 9.1 × 10 の78乗 立法メートル 】 と計算されています。


*易: 易(の循環)は、「円」であり「波」である?
(cf.光は粒であり波である:アインシュタイン)
・・・ 算木の象は「6」、易卦は「64」の循環

コギト(我想う) 2
《 「四大説」の “4・四” 》
「道」の性質を「大」として、論旨は別方に転じて「四大説」が展開されています。
道・天・地・王がそれです。
老子のいう「王」は、道の体得者、無為にして化した三皇時代(堯・舜より前)の聖王でしょう。
(cf.“尚古思想”)
老子の理想的指導者像です。
「而王居其一」と強調しているところに、老子の政治思想の現実的立場がよく示されているといえます。
老子の「四大説」では、言葉としては 5つあります。
が、意味するところは、「人」/「天・地」/「道」=「自然(おのずとそうである/道は自然のままに生まれる)」 と 3つに捉えるべきものでしょう。
そうして、「王(指導者・リーダー)」は「道(天・地を含む)」に従いかなうべきであると論理を展開してゆくわけです。
ところで、「四・4」という“数”に着目してみたいと思います。
東洋(儒学)では、「五行思想」【木・火・土・金・水】にもとづく“五”、易にいう 生数 “5”と「五」を神秘的な霊数として重んじます。
それに対し、“4”は西洋の源流思想の霊数です。
起源は、ギリシア哲学の「四元素説」【水・火・土・空気】です。
この「四元素」は、物質の4態: 固体・液体・気体・プラズマでもあります。
(cf.プラズマ = 第4物質形態。宇宙の99.9%以上がプラズマ状態)
西洋の「四元素説」 と東洋の「五行説」とは、遥〔はる〕かむかしからよき対照をなしているのです。
なお、“4”は陰、“五”は陽の数です。
黄老と儒学は、コインの裏表のように中国二大源流思想を形成しています。
老子の思想を陰(ウラ)、儒学の思想を陽(オモテ)と考えることもできるかもしれません。
さて、インド(仏教)思想にも“四”がよく登場します。
「四苦」・「四諦〔したい〕」・「四法印」・・・ といった具合です。
「四大」についても、仏教では【水・火・土・風】を称します(ギリシア哲学の「四元素説」と同じですね)。
また、仏教で「三宝〔さんぽう〕」 といえば「仏」・「法」・「僧」です。
聖徳太子の十七条憲法でも、「二に曰く、篤〔あつ〕く三宝を敬へ。三宝とは 仏〔ほとけ〕・法〔のり〕・僧〔ほうし〕なり。・・・ 」とありましたね。
この「三宝」も実は、『老子』・67章に登場するものです。
すなわち、「慈〔じ: 慈悲〕」・「倹〔けん: 倹約〕」・「後〔ご: 出しゃばって人の先頭とならない〕」の 3つがそれです。
→ 後述 ≪老子の三宝≫ 参照のこと
ちなみに、「老子化胡〔けこ〕説」というものがあります。
「胡」とは、釈迦(仏陀)のことです。
すなわち、消息を絶った老子が、その後インドに行き、釈迦を教えたとか釈迦そのものであるとかというものです。
それはともかくとしても、黄老思想と仏教とを眺めておりますと、老子の仏教への影響もまた深いものがあるかもしれません。
( つづく )
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