儒灯

【温故知新】儒学の普及に力を注いでおります真儒協会 会長、高根秀人年の個人ブログです。 『論語』、『易経』を中心に、経書の言葉を活学して紹介して参ります。 私個人の自由随筆、研究発表などのほか、真儒協会が毎月行っております定例講習についても掲載しております。

定例講習

大難解・老子講  『老子道徳経』  ●宇宙論/道=無 その2

こちらは、前の記事の続きです。

コギト(我想う) 1

≪ 循環の理 (1)  「大曰逝、逝曰遠、遠曰反」 ≫

「遠曰反」は、老子の思想の特徴的な部分であり、私は、老子の面目躍如たるものを感じます。

25章は、道の始原(元)性にはじまり、めまぐるしく論旨が展開していて複雑・難です。

中でも、この文は難解です。が、私は興味深く感じるものがあります。

 

道は周〔あまね〕く行き渡っているので、その性質から「大」といってみました。

「大」〔Great〕は「小」に対する相対的概念ではなく、“絶対大”・“無限大”です。

「大」なるものの運動は「逝」〔ゆ〕き「遠」ざかります。

無限・永遠の拡がりを示し、その極〔きわみ〕に達すると、“循環の理”に由って根源〔もと〕に「反」(=返)るのです。

“矛盾を孕〔はら〕んだ統一”ですね。

 

“Great, it pass on in constant flow. Passing on, it becomes remote.
Having become remote, it returns.“ (Kitamura adj. p.87)

 

さて、このことを現代の科学的(宇宙物理学・天文学・・・)常識・成果で考えてみましょう。

地球は球体(丸い)であり、太陽(月は地球)を自転しながら公転しています。

一日・一年の巡り(周行)でまたもとに戻ります。

「春→夏→秋→冬→」という四季の移り変わりも、それが故のことですね。

遥かに「遠」くなり、やがて本源に立ち返〔「反」〕るのです。 注1)

これが、老子の思想の深淵・面目躍如たるところです。

 

例えば、もし悠遠〔ゆうえん〕にみることが出来る望遠鏡があれば、地球上では自分の後ろ姿が見えるのでしょう?

アインシュタインの(宇宙)論でも、「遠」〔無限∞〕に遠くが見える天体望遠鏡で宇宙のはてを見ると、自分の後ろ頭が見えるといいます。 注2)

137億年前のビッグ・バンに宇宙は始まり、以後拡大・膨張し続けているといわれていますが、膨らむ宇宙の結末は、空間も引き裂かれてバラバラになるのでしょうか?!

それとも行き着くところまで行けば縮み始めるのでしょうか?

 

易学においても、陰陽2原論の易理が、現代のコンピューターの2進法の原理(0と1、Off と On)と同一です。

また、易・64卦の理は、生物学の胚の誕生・“卵割〔らんかつ〕”のプロセス(単細胞の受精卵が、2・4・8・16・・・と分割され64分割をもって終了すること。それ以降は、桑実胚〔そうじつはい〕とよばれます。)と同じです。

 

想いますに、これら21世紀の現代科学の成果と2000年余前の老子の思想との不思議な一致は何でしょうか?

なぜ、老子は知り得たのでしょうか?

これは、(易学でもいえることですが)私は、聖人のシックスセンスによる、“覚智〔かくち〕”の世界の故だと想うのです

まことに、“至れる哲学(者)は科学的であり、至れる科学(者)は哲学的”ではありませんか。

 

注1)

「遠の極み(遠の大なるもの)は、反〔返〕る」は、まことに万般においての哲理・真理と想われます。

それは、円運動にしろ振り子(半円)運動にしろ、山谷の波運動にしろ(cf.易は 円の循環でもあり、陰極まれば陽・陽極まれば陰の山谷の波の循環でもあります)、「周行」であるからなのでしょう。

大いに「離」=遠くなれば、反る。

その循環の理により自然に復帰するものですが、それは、人間のイデオロギーや心理状態にも言えるのでしょうか?

老子は、人間だけは進んで反(=帰)ることを知らないと言っています。

私は、現代文明=易の【離】はまさにそのとうり、反ることを知らないでいると思い想います

 

注2)

cf.現在の宇宙科学で、ビッグ・バン以来(加速しながら)膨張し続けている宇宙の格好は球体をしており、その大きさは、(年齢を137億年として) 【 9.1 × 10 の78乗 立法メートル 】 と計算されています。

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*易: 易(の循環)は、「円」であり「波」である? 
(cf.光は粒であり波である:アインシュタイン)
 ・・・  算木の象は「6」、易卦は「64」の循環 


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コギト(我想う) 2

《 「四大説」の “4・四” 》

「道」の性質を「大」として、論旨は別方に転じて「四大説」が展開されています。

道・天・地・王がそれです。

老子のいう「王」は、道の体得者、無為にして化した三皇時代(堯・舜より前)の聖王でしょう。

(cf.“尚古思想”)

老子の理想的指導者像です。

「而王居其一」と強調しているところに、老子の政治思想の現実的立場がよく示されているといえます

 

老子の「四大説」では、言葉としては 5つあります。

が、意味するところは、「人」/「天・地」/「道」=「自然(おのずとそうである/道は自然のままに生まれる)」 と 3つに捉えるべきものでしょう。

そうして、「王(指導者・リーダー)」は「道(天・地を含む)」に従いかなうべきであると論理を展開してゆくわけです。

 

ところで、「四・4」という“数”に着目してみたいと思います。

東洋(儒学)では、「五行思想」【木・火・土・金・水】にもとづく“五”、易にいう   生数  “5”「五」を神秘的な霊数として重んじます

それに対し、“4”は西洋の源流思想の霊数です。

起源は、ギリシア哲学の「四元素説」【水・火・土・空気】です。

この「四元素」は、物質の4態: 固体・液体・気体・プラズマでもあります。

 (cf.プラズマ = 第4物質形態。宇宙の99.9%以上がプラズマ状態) 

西洋の「四元素説」 と東洋の「五行説」とは、遥〔はる〕かむかしからよき対照をなしているのです

 

なお、“4”は陰、“五”は陽の数です。

黄老と儒学は、コインの裏表のように中国二大源流思想を形成しています。

老子の思想を陰(ウラ)、儒学の思想を陽(オモテ)と考えることもできるかもしれません。

 

さて、インド(仏教)思想にも“四”がよく登場します。

「四苦」・「四諦〔したい〕」・「四法印」・・・ といった具合です。

「四大」についても、仏教では【水・火・土・風】を称します(ギリシア哲学の「四元素説」と同じですね)。

また、仏教で三宝〔さんぽう〕」 といえば「仏」・「法」・「僧」です。

聖徳太子の十七条憲法でも、「二に曰く、篤〔あつ〕く三宝を敬へ。三宝とは 仏〔ほとけ〕・法〔のり〕・僧〔ほうし〕なり。・・・ 」とありましたね。

この三宝も実は、『老子』・67章に登場するものです。

すなわち、「慈〔じ: 慈悲〕」・「倹〔けん: 倹約〕」・「後〔ご: 出しゃばって人の先頭とならない〕」の 3つがそれです。

→ 後述 ≪老子の三宝≫ 参照のこと

 

ちなみに、「老子化胡〔けこ〕説」というものがあります。

「胡」とは、釈迦(仏陀)のことです。

すなわち、消息を絶った老子が、その後インドに行き、釈迦を教えたとか釈迦そのものであるとかというものです。

それはともかくとしても、黄老思想と仏教とを眺めておりますと、老子の仏教への影響もまた深いものがあるかもしれません。


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大難解・老子講  『老子道徳経』  ●宇宙論/道=無 その1

『 老子道徳経 』  ※(本文各論)解説  

「道」に始まり 「不争」に終わる 5000 余語(字)

―― 一つとして固有名詞(人名・地名)なく、賁〔かざ〕ることなくエッセンスのみを、独り老子が静かに訥々〔ぼそぼそ〕と、そして時にシャープに語っています。

―― 形而上の極めて簡にして要の内容で、表現は“韻”を含んでまことに美しい文章だと想います。

○ 「李耳〔りじ〕は無為にして自〔おの〕ずから化す、清静〔せいせい〕にして自ずから正し。」

“李耳=老子は、ことさらな人為〔作為〕をすることなく自ずと人々を教化し、清らかで静かで自ずから人々を正しくしました。” ( 『史記』・「太史公自序」 )

老子の思想 


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『老 子』 (老子道徳経) 

≪ 上篇: 道 経 ≫
(体道・第1章) (養身・第2章) (安民・第3章) (無源・第4章) (虚用・第5章) (成象・第6章) (鞱光・第7章) (易性・第8章) (運夷・第9章) (能為・第10章) (無用・第11章) (検欲・第12章) (狷恥・第13章) (賛玄・第14章) (顕徳・第15章) (帰根・第16章) (淳風・第17章)(俗薄・第18章) (還淳・第19章) (異俗・第20章) (虚心・第21章) (益謙・第22章) (虚無・第23章) (苦恩・第24章) (象元・第25章) (重徳・第26章) (巧用・第27章) (反朴・第28章) (無為・第29章) (倹武・第30章) (偃武・第31章)  (聖徳・第32章) (弁徳・第33章)(任成・第34章) (任徳・第35章) (微明・第36章) (為政・第37章) /

≪ 下篇: 徳 経 ≫
(論徳・第38章) (法本・第39章) (去用・第40章) (同異・第41章) (道化・第42章) (徧用・第43章) (立戒・第44章) (洪徳・第45章) (倹欲・第46章) (鑑遠・第47章) (忘知・第48章) (任徳・第49章) (貴生・第50章) (養徳・第51章) (帰元・第52章) (益証・第53章) (修観・第54章) (玄符・第55章) (玄徳・第56章) (淳風・第57章) (順化・第58章) (守道・第59章) (居位・第60章) (謙徳・第61章) (為道・第62章) (恩始・第63章) (守微・第64章) (淳徳・第65章) (後己・第66章) (三宝・第67章) (配天・第68章) (玄用・第69章) (知難・第70章) (知病・第71章) (愛己・第72章) (任為・第73章) (制惑・第74章) (貪損・第75章) (戒強・第76章) (天道・第77章) (任信・第78章) (任契・第79章) (独立・第80章) (顕質・第81章)

 

コギト(我想う)

≪ Q. なぜ81章か? ≫

→ 後代の人々によって章立てがなされたのでしょう。

なぜ81章か、については特に記されていないようです。

80が一区切りで81からまた始まる(循環する)という古来の考え方があるのかもしれません。

例えば、姓名学での(画)数は、1から80で81はまた1にもどります(1に同じです)。

また、道教の一派で年齢の理想を160と考え、81を半寿と考えています。

「八十」と「一」を組み合わせると、半分の「半」という字になります。

“ 道教の一派になりますと、人間の全〔まった〕き寿というものを百六十としています、八十一を半寿という、八十と一を組み合わせると、半分の半という字になりますから。

八十にいたらずして死するを夭という。

ということは、我々はまだ死ねんわけで、死んだら夭折になってしまいます。” 

(安岡正篤・『易と健康 下 /養心養生をたのしむ』 所収の付録「貝原益〔損〕軒の『養生訓』」)

(cf.『易経』は、64卦の循環の体系です。
※ 1.【乾】→ 64.【未済】→ 1.【乾】→ … )

≪ 主要英文文献 ≫

・Arthur Waley ; The Way and its Power,A Study of the Tao Tē Ching 
and its Place in Chinese Thought. London 1934 / Routledge 2005

・D.C.Lau ; Tao Lao Tzu Tao tē ching. Penguin Books, 1963  

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【 25章 / 4章 】

(象元・第25章) 注1) 《 “元始〔もとはじまり〕”の理 ―― 「道」とは? 》

§.「 有物混成」 〔イオ・ウ・フヌ・チャン〕

注1) 「象元」のタイトルは、“万物の根源たる道に象〔かたど/=のっとる =したがう〕って生きていくべき”の意で、この章の内容をよく表しているといえます。

この章では、“元始〔もとはじまり〕”の理が述べられています。天地万物に先立つ根源的存在(=道)が説いてあり、老子の宇宙論の中で最も重要な章です。

私(盧)は、この「道」の始原性・「道」の偉大なる営み(万物造化のエネルギー)について語るのが、老子の思想学修の“はじめ”によろしいのではないかと思います。

○ 「有物混成、先天地生。寂兮寥兮独立不改、周行而不殆、可以為天下母。 |
吾不知其名、字之曰道。強為之名曰大。大曰逝、逝曰遠、遠曰反。 |
故道大、天大、地大、王亦大。域中有四大、而王居其一。
人法地、地法天、天法道、道法自然。」

■ 物有り混(渾)成し、天地に先〔さき〕んじて生ず。 寂〔せき〕たり寥〔りょう〕たり、独立して改〔あらた/かわ・らず〕まらず、周行して殆〔やす/とど・まらず/あやう・からず/おこた・らず/つか・れず〕まず、以て天下の母と為すべし。 |
吾れ其の名を知らず、之に字〔じ/あざな〕して道と曰〔い〕う。強〔し〕いて之が名を為して大と曰う。大なれば曰〔ここ/すなわ・ち〕に逝〔ゆ〕き、逝けば曰に遠く、遠ければ曰に反〔かえ〕る。|
故に道は大なり、天は大なり、地は大なり、王も亦〔ま〕た大なり。域中〔いきちゅう〕に四大〔しだい〕有り、而して王は其の一〔いつ〕に居る。*人は地に法〔のっと〕り、地は天に法り、天は道に法り、道は自然に法る。 |

 “ The ways of men are conditioned by those of earth.The ways of earth, by those of heaven.The ways of heaven  by those of Tao,
and the ways of Tao by the Self−so. 注)” 
注) The “ unconditioned ”; the“ what−is−so−itself ”.
(A.Waley adj. p.174)

 “ Man takes its law from the earth; the earth takes its law from 
the heaven; heaven takes its law from Tao; but the law of Tao is its spontaneity. ”  (Kitamura adj. p.88)


《 大 意 》

(定まったフォーム〔形態〕も名前もないけれども完〔まった〕き) “有るもの”があって、ミックスされて化成し、天地(開闢〔かいびゃく〕)より前に生じていました。

それは、寂として声なく、寥として形なく、(相対的にではなく)独り立って、(不易=不変にして)改まることなく、周〔あまね〕く万物の中に行き渡り、しかも息〔やす〕むことがありません(疲れることがありません/危なげがありません)。

ですから、それは、天地万物の慈母と称してよいのでしょう。

私は、その(混成したあるもの)真の名前を知りません。

(仮に)文字で現わして「道」をあててみました。

(が、どうも適当ではないようです。) 

無理に(こじつけて)名〔形容詞〕をつけて、「大」としてみました。

「大」は、はるかに「逝」〔い/=行〕ってしまう、
「逝」〔ゆ〕くは果てしなく遠ざかることですから「遠」とも現わせます。

遠ざかれば結局、(循環の理によって)また、本源へと「反」〔かえ/=返〕って来ますから「反」でも現わせます。

→ 道・大・逝・遠・反 のどれでも、また5文字全部をとって名前としてもよいのですが、いずれにせよイマイチで“有るもの”をピッタリと表示する文字はありません。)

 

「道」 ≒ 「」 → 「」 → 「 → 「反」 → 「」 ・・・

 

以上のように、「道」は「大」です。

そして、(大なるものは)天も大であり、地も大でありさらに「王」もまた大です。

世界中(=宇宙)の中に、大なるものすなわち「四大」があります。

「王」はその一つの地位を占めています。

(王は人ではありますが、その徳が天地自然と冥合〔めいごう〕した者が王であるからです。) 

(そして、次のように自分より偉大なものから規範をとりますので)
のあり方をお手本(=規範)とし、のあり方をお手本とし、のあり方をお手本とし、自然のあり方をお手本とするのです。

 

※ 【 四 大 】

 王(人) 〔従う〕 → 地 〔従う〕 → 天 〔従う〕 → 道 ⇒ 自然 〔おのずとしかり〕

 

・「有物混成」: 「物」=(あるもの)=“道”。混(渾)成=混合・入り混じりの意。混乱の意にみて“カオス”の状態に捉えるのは正しくないでしょう。

*There was something formlessly fashioned
That existed before heaven and earth. (A.Waley adj. p.174) 

*There is a thing confusedly formed
Born before heaven and earth. (D.C.Lau adj. p.30)

 

 参 考   ≪ 元始まり の“混沌”話 ≫

元始まりの話、天地未分化の“混沌”〔こんとん〕話は、多くの(歴史)神話・宗教・物語で語られています。

わが国では例えば、『古事記』には「くらげのように漂っている」と、『日本書紀』には「鶏卵の中身のようだ」と。

ある教派神道では、「どろ海で、“どじょう”が沢山いて“うを”と“み”がまじっていて・・・・・ 」といった具合です。

これらの“混沌”話 といったものは、有形のひとつのモノです。

老子のいう、無形の万物造化のエネルギーである「道」と同一視してはならないでしょう。

この章では、解かり易くするために“混成”という表現を用いたのでしょう。

・「寂兮寥兮」: 寂は無声、寥は無形。 14章に、之を視〔み〕れども見えず。/之を聴けども聞こえず。/之を搏〔とら〕うれども得ず。」と、道が超感覚的な存在であることが述べられています。

cf.  『中庸』    第16章にも、「鬼神の徳たる、其れ盛〔さかん〕なるかな。之を視〔み〕 れども見えず、之を聴けども聞こえず、物に体して遺〔のこ〕すべからず。」

《大意》 
天地宇宙の働き=造化 を「天」といい「鬼神」といいます。
この鬼神の徳と いうものは、実に盛大です。
しかし、形を持たないので肉眼で見ようとしても見えません。
声を持たないので、耳で聴こうとしても聞こえません。
けれども、その鬼神の徳(=はたらき)というものは、すべて自然に、万物の上に現れているのです。
宇宙の間に在るものはすべて、鬼神の徳によって生まれ、そのフオーム〔形体〕を得たのです。) 

*「鬼神」:神は天神(天〔あま〕つかみ)と地祗〔ちぎ〕(国つ神)をいいます。鬼〔き〕は、人の霊魂をいいます。

・「独立不改」: 絶対であるから独立、不改はその常道を改めないこと。

*Standing alone without changing. (Kitamura adj. p.85)

・「周行而不殆」: 「殆」はさまざまに訓読されています。
やす・まず/とど・まらず/あやう・からず。

道は万物に周〔あまね〕く行われ、息〔やす〕むことがないと解釈しておきました。
cf.易の“不易”・「自強不息」(【乾】大象)
この老子特有の“循環(復帰)の思想”は、16章にも述べられています。
「万物は並び作〔お〕こるも、吾は以て其の復〔かえ〕るを観る。」

・「天下母」: 帛書甲・乙本では「天地の母」とあります。=万物の母・母胎、天地の根。

・「大曰逝」: 「曰」〔えつ〕は、ここでは「而」〔じ〕や「則」〔そく〕と同じような用法・働きの言葉です。
≒すなわち。

・「道法自然」:  【自然】   ☆ 無為 = 自然 。

無為を別の面から説明したものです。「自然」は〔おのずからしかり〕で、“それ自身でそうであるもの”(他者によってそうなるのではなく、それ自身によってそうなること)の意。
A.ウェイリーの英訳 “the Self−soと 注釈 what−is−so−itself は参考になります。ほか、its spontaneity〔その自発性・自然さ〕。

*POINT: 5つの文字・言葉は、どれも「名」ですが、どれも適する文字・言葉ではありません。

 

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大難解・老子講 <黄老の学 あらまし> 老子物語り(伝説)

§.供 圈]兄卻語り(伝説) ―― “龍のごとき人”(司馬遷・『史記』) 》  

老子の人物像・伝記についての、信頼に足る最古の記述は、史記』・「老子伝」です。

『史記』は、前漢武帝の時代に司馬遷〔しばせん〕によって書かれた最古(第一号)の正史です。

私は、司馬遷の偉大な人生と相俟って、最高の史書といっても良いと思っています。

その偉大さは、『史記』には生き生きと“人間”が描かれており、歴史書であると同時に優れた文学書でもあるということにあります。

 

『史記』に描かれている老子の物語・伝記は、とてもファンタスティックなものです。

例えば、孔子が老子に教えを乞い、その人物の偉大さに「其れ猶〔なお〕、龍のごとし」と感嘆しているシーンです。

 

ところで、『史記』には、老子の人物(特定)そのものについて、“老耼・タン〔ろうたん〕”以外にも楚の隠者“老莱子〔ろうらいし〕”・周の太史(史官)である“儋・タン〔たん〕”と 3様の候補があげられています。

つまり、司馬遷の時代、既に、老子の人物像そのものが伝説化していたと考えられます

まことしやかな伝説が、広く一般化していたのでしよう。

―― 以下、老子の物語をまとめてみました。

 

老子は、楚〔そ〕の国、苦県〔こけん〕の匐拭未蕕いょう〕、曲仁里〔きょくじんり〕 注1) に、西周末年武丁朝庚辰〔こうしん〕の2月25日 卯の刻に生まれました。

姓は李〔り〕、名は耳〔じ〕、注2) 字〔あざな〕は伯陽、おくりな〔謚〕して耼・タン〔たん〕といいました。

 

守蔵室の史官(図書・公文書館の管理人)をしていました。

そこで、仕事のかたわら黙々と書籍を読んで智恵を深めてゆき“道”と“徳”を修めました。

老子の思想は、自らの才能を隠し無名であること(=自隠無名)をモットー(ポイント)としていました。

 

さてある時、当時既に、教育・道徳家として名声の高かった若き日の孔子が訪れます。
孔老会見」(孔子問礼です。 注3) 

老子は、郊外まで孔子を迎えに行き、孔子もまた車を降りて応え手土産(雁)を贈りました。

 

孔子は、洛陽にいく日か滞在して、老子から 「礼」をはじめいろいろ教わりました。

別れに際し、老子は次の苦言を贈って諭〔さと〕しました。 

曰く。

「あなたが(信奉し)話題にしようとしている古〔いにしえ〕の聖賢(=先王の道/古来の礼)は、死んでしまって骨も朽ち果ててしまい、ただその言葉だけが(虚しく)残っているだけです。
(形骸化した言葉をそのまま重視してはいけません。)/ 
それにあなたは、(君子・古来の礼を強調なさるが)君子などというものは、時(運)を得たら高位に昇り志を実現できますが、時(運)を得なければ地位を追われ流浪するような(栄枯盛衰きわまりない)ものなのです。
私は、商売の上手〔うま〕い商人は、(良い品を持っていても)店の奥にしまっておき店頭に並べてひけらかしたりしないものだ、と聞いていますヨ。
(同様に)君子は、立派に徳を積んでいても、謙遜して表面には現わさず、ちょっと見その顔は“愚(愚昧)”のように朴訥〔ぼくとつ〕に見えるものです。
(礼の本〔もと〕は謙虚にあるのです。)
 注4)/ 
とりわけあなたは、驕り〔俺が俺がという傲慢さ〕、欲望〔野心・貪欲さ〕、思い上がった〔居丈高な〕てらい・ゼスチュア、意欲が過ぎる邪心、(が多過ぎます。これら)をみんな捨て去りなさい。
これらはどれも、あなたの身ににとって何の益にもならない(有害な)ものなのです。
私があなたに言ってあげられることは、ただこれだけです。」
 と。 注5)

 

孔子は、感激して魯〔ろ〕の国に帰ります。

そしてその後、弟子たちに、よく老子をほめてしみじみと言いました。

曰く。

「(私にも)鳥が飛べるということはわかっているし、魚が泳げるということはわかっているし、獣が走れるということはわかっている。
走る者が相手なら網で捕えればいいし、泳ぐ者が相手なら綸〔いと=釣り糸〕で捕えればいいし、飛ぶ者が相手なら矰〔いぐるみ=ひもをつけた矢〕で捕えればいい。
が、相手が(霊獣の)龍で、(龍は)風雲に乗じて天空に昇り(時に飛翔し時に雲間に隠れるのであれば)私の理解を超えている。
(如何ともし難い/捕えようがない。) 
今、私は、老先生にお会いしたが、老子というのはまるで龍のようなお人だナァ!
(龍を除いて老子に比較すべきものはない/推し量り難く捕えようがない。)」 と。 注6)

 

やがて、(周の昭王の23年)老子は、周王室の衰退をみて隠退を決意します。

洛陽を去り、西のある関(関所のこと/函谷関・散関か?)にさしかかりました。

そこの関所には長官の“尹喜”がまっていました。 注7) 

(※ 後述伝では、尹喜は“紫の気が東からやってくる”〔紫気東来〕のを見て聖人がやって来ることを知り、老子をお迎えします。) 

尹喜は、「(老)先生は隠れておしまいになろうとされています。(このラストチャンスに)ぜひにもお願いいたします。私のために、何か書物を書き残してください。」 

とねんごろに頼みました。

そこで、老子は初めて上・下二篇の書を著しました。

それは、“道”と“徳”の意義をのべた 5000字余りのものでした。

 

老子は、その書を渡して関所を去り西方への旅を続けました。

しかし、行方〔ゆくえ〕はようとして知れず、どのようにして生涯を終えたかその後の消息を知る者はありませんでした。 注8)

 

―― 以上の老子物語のポイントを整理すると、 
1)老子の姓・出自を老耼・タンとすること 
2)孔老会見(孔子問礼) 
3)『老子』(著作)を著し関令尹喜に渡したこと、

です。

私は、これらは、すべてフィクション(実際そうであったことではない)であると思います

老子の人物の実在そのものが、疑問です。

さらに、儒家思想の対抗・批判として道家(老荘)思想が形成されてゆきますから、孔子と老子が会うことはありえません。

また更に、自隠無名がモットーの老子があえて世に著作を著すはずもありません。

 

注1)
「苦」は、苦しい苦〔にが〕い。
「辧未蕕ぁ諭廚枠乕翩臓◆峩平痢廚録里魘覆欧襪伐鬚擦泙垢里如△匹Δ皺誘の名称のようにも思えます。
(地名の特定はできていますが ・・・)

 

注2)
「耼・タン〔たん〕」とは、耳の長いという意味ですから耳の長い・大きい人だったのでしょう。
耳は目に対して、遺伝的なものを顕すといわれています。
ちなみに、私は幼少の頃、(耳が大きかったので)“福耳をしている”と他人〔ひと〕から褒められ、母がその意味を解説してくれたのを記憶しています。
私が、“大耳子〔だいじし〕”と聞いて思い起こします人物は。
『三国志』の仁徳のある英雄・劉備玄徳〔りゅうびげんとく〕。
10人の話を同時に聞くことができたといわれる聖徳太子(豊耳聡〔とよみみと〕/豊聡耳〔とよとみ〕/豊聡耳太子〔とよとみみひつぎのみこ〕)。
“経営の神様”といわれた君子型経営者、松下幸之助氏(現・パナソニック創業者)。

 

注3)
まず、「孔老会見(孔子問礼)」では、老子は孔子(BC.551−BC.479)の大先輩として記されています。
が、『史記』の老子の系図から逆算しますとBC.400年ころの人物ということになってしまいます。
これは、孔子の孫(孟子の師)の子思とほぼ同時代となります。

ちなみに、両者の年齢は、孔子35歳・老子88歳、(インドの釈迦は49歳)であったと記している本もあります。
次に、孔老会見で、どうして“礼”について老子に教えを乞うのでしょうか? 
孔子は、礼学の専門家ではありますが、老子はそうではないでしょうに。
これについて、楠山春樹氏は次のように説明しています。 
『礼記』・曾子問篇〔そうしもんへん〕に、「吾聞諸老耼・タン」(吾れ、諸〔これ〕を老耼・タンに聞く) と老耼・タンを孔子の師として説く文が 4ヶ条もあります
ここに唯一登場する老耼・タンなる葬儀を差配する人物を、老子の徒が“老耼・タン”にしたて、孔老会見のフィクションが唱えられたのであろう、と。
(楠山春樹・『老子入門』 p.23によります)

 

注4)
「良賈深蔵若虚、君子盛徳容貌若愚 : 良賈〔りょうこ〕は深く蔵して虚〔むな〕しきがごとく、君子は盛徳たりて、容貌〔ようぼう〕愚〔ぐ〕なるがごとし

 

注5)
安岡正篤先生は、若いころの孔子について、気性激しく覇気満々たるところがあった。
か、と想像して、この孔老会見での老子による批評を次のように述べておられます。

○「史記に伝へられてをります老子との会見の事実につきましては、いろいろ考証家によって議論もございますが、何にしても老子が評したと申します 『子の驕気〔きょうき〕と多欲と態色と淫志とを去れ』 ―― 驕気といふのは、俺が俺がといふような気分でありませう。多欲は野心的といふことであり、態色と申しますのは、今日で申しますとゼスチュアに当たりませう。淫志は何でも思ったことは是が非でもやってのけるといふ意欲的なことを申します。 ―― さういふ気分をみな去れ、といふ話だけをとりますと、確にこれは若き孔子を想像するのに味のある言葉であります。」 
(安岡正篤・『朝の論語』 P.7 引用)

 

注6)
龍は“陽”の化身ですが、三棲するといわれています。
地上にいたり、深淵に潜んだり、雲間に隠れたり、天空を飛翔したり、と捉えどころがないの意でしょうか。
あるいは、スケールが大きすぎて圧倒されて推し量れないの意でしょうか。
思い起こされますには、坂本竜馬が初めて西郷隆盛に会った時、その(西郷の)印象を問われた時の応えです。
「よくわからぬ、“タイコ”のようなお人だ。小さく叩けば小さく鳴るし、大きく叩けば大きく鳴る。」 
―― 西郷隆盛もたしかに、わが国幕末・維新期の“人龍”には違いありません。

cf.孔子が老子を評した(とされる『史記』・「老子・韓非列伝」の)この文言は歴史的に名高いものです。
原文(読み下し文)は、次のとうりです。

“孔子去り弟子〔ていし〕に謂いて曰く、「鳥は吾〔われ〕其の能〔よ〕く飛ぶを知り、魚〔うお〕は吾其の能く游〔およ〕ぐを知り、獣は吾其の能く走るを知る。
走る者には以て罔〔あみ=網〕を為すべく、游〔およ〕ぐ者には以て綸〔いと〕を為すべく、飛ぶ者には以て矰〔いぐるみ〕を為すべし。
龍に至りては、吾其の風雲に乗じて天に上るを知る能〔あたわ〕ず。
吾、今日〔こんにち〕老子を見るに、其れ猶〔なお〕龍のごとき」 と。”

 “ The birds ― I know they can fly; the fishes ― I know they can swim; the wild beasts ― I know they can run. 
The runner may be caught by a trap, the swimmer may be taken with a line, and the  flyer may be shot by an arrow.
But as for the dragon,I am unable to know how he rises on the winds and the clouds to the sky.
To−day I have seen Lao Tzu; he is like the dragon. ” 
(Gowen)

 

注7)
「関令尹喜」 ―― 
1)「関令(関所の長官)の尹喜」 と 
2)「関の令尹(楚語で長官の意)は喜んで」
と 2とおりに読めます。

 

注8)
「莫知其所終」(其の終うる所を知る莫〔な〕し) と結んでいます。
文学的で情緒があり良い表現です。
(蛇足ながら、)更に、尾ひれがついたものとして、後世の道教に「老子化胡〔けこ〕説」があります。
「胡」とは、釈迦(仏陀)のことです。すなわち、消息を絶った老子は、インドに行きます。
そして、インドで、釈迦を教えます(釈迦になります)。
それはともかくとして。
老子の思想が、仏教に多大の影響を与えているであろうことや共通点が見られることについて(ex.“四大”・“三宝”や“無”の思想と“空〔くう〕”の思想など)、後述することといたします。

 

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大難解・老子講 <黄老の学 あらまし> 「老子」紹介

黄老の学 あらまし

 

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横山大観 「老子」:画像省略)


中国の思想・文化の2大潮流 = 【学】 & 【黄/老荘】(道教)

 

中国の思想・文化の3大潮流 = 【学】 & 【黄/老荘】(道教) & 【教】

 

中国の思想・文化 = 【儒学】子・子・子 & 【黄老/老荘】 子・子・

 

日本の精神・文化 = 古神道(惟神道〔かんながらのみち〕) & 3教【

 

§.機 圈 嶇兄辧廖‐匆陝   

儒学と老荘(黄老・道家)思想は、東洋思想の二大潮流であり、その二面性・二属性を形成するものです。

国家・社会のレベルでも、個人のレベルでも、儒学的人間像と老荘的人間像の2面性・2属性があります。

また、そうあらなければなりません。

東洋の学問を深めつきつめてゆきますと、行きつくところのものが、“易”と“老子”です。 

―― ある種の憧憬〔あこがれ・しょうけい〕の学びの世界です。

東洋思想の泰斗・安岡正篤先生も、次のように表現されておられます。

 

「東洋の学問を学んでだんだん深くなって参りますと、どうしても易と老子を学びたくなる、と言うよりは学ばぬものがないと言うのが本当のようであります。

又そういう専門的な問題を別にしても、人生を自分から考えるようになった人々は、読めると読めないにかかわらず、易や老子に憧憬〔しょうけい〕を持つのであります。

大体易や老子というものは、若い人や初歩の人にはくいつき難いもので、どうしても世の中の苦労をなめて、世の中というものがそう簡単に割り切れるものではないということがしみじみと分かって、つまり首をひねって人生を考えるような年輩になって、はじめて学びたくなる

又学んで言いしれぬ楽しみを発見するのであります。」

(*安岡正篤・『活学としての東洋思想』所収「老子と現代」 p.88引用 )

 

『論語』・『易経』とともに、『老子』の影響力も実に深く広いものがあります。

『老子』もまた、言霊の宝庫なのです。

我々が、日常、身近に親しく使っている格言・文言で『老子』に由来するものは、ずいぶんとたくさんあります。

例えば、次のように枚挙にいとまがありません。 

  • 大器晩成〔大器成〕 (41章)
  • 和光同塵〔わこうどうじん〕 (4章・56章)
  • 無為自然 (7章)
  • 道は常に無為にして、而も為さざる無し (37章)
  • 柔弱謙下〔じゅうじゃく/にゅうじゃく けんか〕の徳 (76章)
  • 柔よく剛を制す (36章)
  • 三宝 (67章)
  • 恍惚〔こうこつ〕 (21章)
  • 天網恢恢〔てんもうかいかい〕、疏〔そ〕にして失わず〔漏らさず〕 (73章)
  • 千里の行〔こう/たび〕も、足下より始まる (64章)
  • 知足(たるをしる) / 知止(とどまるをしる) (33章・44章・46章)
  • 上善若水〔じょうぜんじゃくすい:上善は水のごとし〕 (8章)
  • 天は長く地は久し (7章)  cf.“天長節”・“地久節”の出典
  • 知る者は言わず、言う者は知らず (56章)
  • 大道廃〔すた〕れて、仁義あり / 国家昏(混)乱して忠臣有り (18章)
  • 禍〔わざわい〕は福の倚〔よ〕る所、福は禍の伏す所 (58章) cf.“塞翁馬”
  • 功成り名遂げて身退くは、天の道なり (9章)
  • 絶学無憂〔ぜつがくむゆう〕 (20章)
  • 小国寡民 (80章)
  • 信言は美ならず、美言は信ならず (81章)
  • 怨みに報いるに徳を以てす (63章) 
    cf.「直を以て怨みに報い、徳を以て徳に報ゆ」(『論語』) 

・・・ etc.

 

さて、(孔子とは対照的に)老子という人物は、実は、いたかどうかもはっきりしないのです。

が、少なくとも 『老子』(『老子道徳経』) と呼ばれている本を書いた人(人々?)は、いたわけです。

時代的には、儒家が活躍したのと(諸子百家の時代、春秋時代〔BC.770〜BC.403〕の末頃から)、同時代か少し後の時代と考えられます。

 

そして、近年この『老子』に、歴史的な新発見(サプライズ)があったのです

『老子』の現存する最古のテキスト=今本〔きんぽん〕『老子』というものは、8世紀初頭の石刻でした

ところが、1973年冬、湖南省長沙市馬王堆〔ばおうたい〕の漢墓で、帛〔はく:絹の布〕に書かれた 2種の『老子』が発見されました。

帛書老子”甲本(前漢BC.206年以前のもの)と乙本(BC.180年頃までに書写されたもの)です

 

さらに驚くことに、1993年冬、湖北省荊門市郭店の楚墓から、『老子』の竹簡〔ちくかん〕が出土しました。

この楚簡(竹簡)老子は、“帛書老子”よりさらに 1世紀ほど遡るBC.300年頃のものです。

 

こうして、『老子』のテキストは、一気に1000年以上も前にまで遡って、我々の目にするところとなりました。

これ等の研究により、老子研究の世界も、歴史学や訓詁〔くんこ〕学のそれのように、塗り替えられ新たになろうとしています。

 

新発見の具体的一例をあげれば、大器(ハ) 晩成(ス)があげられます。

国語(現代文、古典ともに)で、しばしば登場する文言です。

四字熟語としても、小学生・中学生のころからお馴染みのものですね。

“大きな器〔うつわ〕は夜できる”という珍訳が有名ですが、大きな器を作るのには時間がかかるという(それだけの)意です

そこから敷衍〔ふえん〕して、立派な人物は速成では出来上がらず、晩年に大成するという意味で用いられます。

即戦力が求められ、レトルト食品なみの速成(即製)人間を作りたがるご時世。

心したい箴言〔しんげん〕ではあります。

 

ところが、この「大器晩成」は「大器免成」が本来の意義であったのです

真に大いなる器(=人物)は完成しない、完成するようなものは真の大器ではないということです。

これこそ、老子の思想によく適うというものです。

( → 詳しくは、『老子』本文・解説にて後述。また、※盧ブログ【儒灯】・《「大器晩成」と「大器免成」》をご覧ください。)

 

―― 『論語』の中に、孔子の「温故而知新」(故〔ふる/古〕きを温〔あたた/たず・ねて〕めて新しきを知れば、以て師となるべし)の名言があります。

“帛書老子”・“楚簡(竹簡)老子”の新発見による研究成果も踏まえながら、20世紀初頭、平成の現代(日本)の“光”をあてながら、「老子」と“対話”してまいりたいと思います。

故〔ふる〕くて新しい「老子」を活学してまいりたいと思います

 

 

(石刻写真:省略)

 

 

〈 易県龍興観道徳経碑 〉 : 唐708年

 cf.「天網は恢々〔かいかい〕、疏〔そ〕にして漏らさず。」(73章)
    ※不漏 → 不失

 


※  参考   ≪ 黄老(老子)とは? 儒学と黄老 ≫

 

〈 黄老(老子)とは? 〉

「―― (老荘は) けばけばしい色彩はぬけてしまって、落ちついた、渋い味を持ってゐる。

世間の常識的な型を破って、しかもその破格の中に、いかなる常識人にも感得せられるあの大きな独自の型を創造してゐる。

その点世間の何人からも肯定される理性的 reasonable な洗練を特徴とする孔孟型と好い対象であって、しかも危なげのない本格的な点で両々共通なものがある

孔孟の教へと同様、老子の説を *「人君南面の術」 とする漢志の説も妥当である。」

(安岡・『老荘』思想 p.15引用)

cf. 君子南面ス。リーダー・指導者のあるべき姿ほどの意でしょう。相学(家相など)にも応用。

 

〈 孔孟と老荘 〉

「しかしながら孔孟に老荘のあることは、丁度人家に山水のあるやうなもので、これに依って里人は如何に清新な生活の力を與へられることであらう。

自然に返れといふことは、浅薄に解してはとんでもないことになるが、正しく解することさへできれば、文化をその頽廃から救って、人間を自由と永遠とに導く真理である。

拘泥〔こうでい〕し易く頽廃しがちな悩みを持つ人間が、孔孟を貴びつつ、老荘にあこがれて来たのは無理のないことである。」

  (安岡・『老荘』思想 pp.2−3 引用)

 

〈 正しい意味の形而上学 → 『中庸』 〉

「そういう意味で、われわれの人生、生活、現実というものに真剣に取り組むと、われわれの思想、感覚が非常に霊的になる

普段ぼんやりして気のつかぬことが、容易に気がつく。

超現実的な直覚、これが正しい意味に於ける形而上学というものであります。

こういう叡知〔えいち/=英知〕が老子には輝いているのです。」

(安岡・『活学としての東洋思想』所収・「老子と現代」 p.92引用)

 

≪ 儒学&黄老 (カラー)イメージスケール ≫ by.たかね

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大難解・老子講 《 プロローグ: はじめに 》

◆プロローグ :  はじめに 

§. 《 “諸子百家” の中の 儒家と道家(老荘) 》

皮肉なこと逆説的なことですが、洋の東西を問わず、科学技術も学術文化(思想)も戦争によって、急速かつ飛躍的に創造発展いたします

兵器の開発、富国強兵のためにです。

古代中国において、なんと 500年 以上にわたり戦乱の時代が続きます。

(BC.770 春秋時代 〜 BC.403 戦国時代 〜 BC.221 秦による全国統一)この間、“百家繚乱〔りょうらん〕”・“百家争鳴”などという言葉があるように、多くの学術文化が華やかに花開きました。

―― 諸子百家と総称いたします。

 

さて、世界の “3〔4〕大聖人” の一人、孔子(BC.551〔552〕〜BC.479)が中国に生まれたのはそんな戦乱の時代、春秋時代の終わりごろです。

インドでは、シャカ族の王子、ゴータマ・シッダールタ〔Gautama Siddhartha BC.463〜BC.383?/BC.563〜BC.483?〕が、苦行・修養の後、大悟しブッダ (仏陀 Buddha: 覚者)となり仏教の教えを説き始めた頃です。

仏教は、やがて中国に伝わり花開き、朝鮮・日本・・・とアジア全域に決定的な影響を与えていくことになります。

 

西洋は、と目を向けてみますと。

ローマ帝国による、地中海世界統一よりはるか昔のころ。

古代ギリシアのポリス〔都市国家〕がおこり、アテネを中心に古代民主制が華やかに盛期を迎え(BC.5世紀頃)ていました。

ここに、古代ギリシア哲学(= ヨーロッパ学術)の祖 ソクラテス〔Sokrates  BC.469頃〜BC.399〕が歴史の舞台に登場します。

「ソクラテスより賢い者はいない」との信託をうけ、自らは己の無知を自覚し(無知の知)哲学の出発点としました。

「善〔よ〕く生きること」を追求します。

“問答法〔ディアレクティケー〕”により語り、誤解され民衆裁判で死刑になります。

が、その思想哲学は弟子の プラトン〔Platon〕 → アリストテレス〔Aristoteles〕 へと受け継がれギリシア哲学として発展大成し、西洋思想の礎となっていきます。

 

なお、ちなみに、「日の出づる処の国」わが国は、まだ“倭〔わ〕”の国とも呼ばれず、邪馬台国よりはるか大昔、縄文の原始時代です。

 

以上 3人の聖人が、あたかも何らかの意思が働いたかのように、時をほぼ同じくして世界史上に登場します。

そして、500年ほど遅れて、紀元の頃、イエス・キリスト〔Jesus Christ BC.4頃〜AD.30頃 〕 が誕生し、(ユダヤ教に対して)世界宗教キリスト教の開祖となります。―― 4大聖人です。

 

では、中国・「諸子百家」に再び目を戻しましょう。

群雄割拠も7大国に淘汰されます(戦国の七雄)。

「秦」は、法家思想を取り入れ富国強兵策を推し進め、強力な軍事国家を創り上げます。

そして、政(後の始皇帝)が中国統一の偉業を達成します。

しかし、信じ難いことですが、この法家思想にもとづく秦は、わずか15年ほどで崩壊します。

 

法家思想の源は儒家思想といえますが、孔子は、平たく今時〔いま〕の言葉でいえば、(あくまで当時は)“負け組”だったのです。

後の漢代(武帝)に、国教(国の教え)となります。

儒学は、本質的に、平和・安泰の時代の思想だと思います。

 

そして、ここに聖人孔子と並称しても良いような哲人がいます(もし、実在するならですが)。

老子です。

老子は人物を特定することも、実際いたのかどうかも分かりません。

が、少なくとも、『老子』という本を著わし道家思想を唱えた人(人々?)がいたことは事実です。

老子を祖とする道家思想(老荘思想)は、以後、儒学と並ぶ中国(東洋) 2大潮流を形成していくこととなります。

 

「諸子百家」の思想・教えが、その時代背景からして実践的・実学的であったのに対して、道家思想(老荘思想)は、宇宙論(形而上学)を持つ唯一優れた特異なもの、哲学的に最も優れた思想であった、と私は感じています。

 

私は、「諸子百家」の幾数多〔いくあまた〕の哲人・学派の中で、その後世・歴史への影響力という点で、“孔子・儒家”と“老子・道家”が双璧といっても良いと思うのです

 

中国の思想・文化の2大潮流 = 【学】 & 【黄/老荘】(道教)

 

≪ 諸子百家(百家争鳴) ≫

 

戦争の時代に科学・学術文化は、大きく発展します。

古代中国、春秋戦国時代(BC.770〜BC.221)に、政治・経済・社会・文化あらゆる分野から思想家・学派が「百花繚乱〔りょうらん〕」のごとくに現れました。

これを諸子百家〔しょしひゃっか:子は先生、家は学派の意〕と総称します。

華やかに競い合うさまを百家争鳴ともいいます。

戦乱の世にあって “離〔り〕=文飾”の時代 のエポック〔画期〕となりました。

 

諸子百家は、『漢書〔かんじょ〕』・芸文志〔げいもんし〕によれば、儒家・道家・墨家・兵家・陰陽家・縦横家・名家・農家・雑家・小説家の十家に分類されています。

小説家を除いて 九流とし、それに法家を加えて 十流としています。

 

この中で、後世、現代に到るまで多大な影響を与え続け、東洋源流思想の2大潮流を形成するのが、儒家と道家です

 

【儒家】: 周王朝初期の社会を理想(尚古思想)、当時は用いられませんが後(漢代〜)中国の国教・正統的思想(「儒教」・「儒学」)となります。“修己治人の学”・“終身・斉家・治国・平天下の道”(指導者・リーダーの養成)を説きます。

cf.儒家にいう「道」は人倫のみち

子・『論語』・、―― 曽子・『孝経』、―― 子思・『中庸』 

子・『孟子〔もうじ〕』・仁義・性善説

子・『荀子』・性悪説 

( 後世の展開 ・・・→ 朱子≪朱子学≫、 王 陽明≪陽明学≫ )

 

【道家】: “黄老の学”・“老荘思想”として広まりました。儒家と対峙〔たいじ〕、儒家への批判的立場から形成されてゆきます。独自の宇宙論を持ち宇宙の原理である・「無為自然」を説きます。逆説の真理(論法)。

cf.道家にいう「道」は宇宙の根元(=無)/(仏教の「空〔くう〕」→ゼロの思想へ)

子・『老子』(『老子道徳経』): 道(上篇)と徳(下篇) /「有」と「無(=道)」/「無為にして為さざるなし」/「柔弱謙下〔じゅうじゃくけんか〕」/「道」を“水”と“赤子”で象〔かたど〕る/大器免(晩)成〔たいきめん(ばん)せい〕/和光同塵〔わこうどうじん〕/玄牝〔げんぴん〕の門/「小国寡民」

子・『荘子〔そうじ〕』: 「無用の用」/「逍遥遊〔しょうようゆう〕」/ 「包丁〔ほうてい〕」/「朝三暮四」/「渾沌〔こんとん〕の死」/「蝴蝶〔こちょう〕の夢」/「井の中の蛙〔かわず〕」/「邯鄲の歩 (ものまね)」/「泥の中の亀」/「蝸牛〔かぎゅう〕角上の争い」/「万物斉同」

子・『列子』: 「杞憂〔きゆう〕」/「愚公、山を移す」/「知音〔ちいん〕」(友人・知己)/「木鶏〔もっけい〕」 cf.横綱:双葉山

 

◎【墨家】: 兼愛・博愛(無差別愛)と倹約を説く、「非攻」(自衛のための戦闘的集団の結成)、「墨守」、 戦国期に儒家と双璧をなしましたが秦の統一とともに消えていきます。

 

◎【法家】: 礼や道徳ではなく、君主の法や刑罰によって国を統治しようとする、君主権の絶対と官僚制度の確立を説く。「信賞必罰」。
(古くは管仲〔かんちゅう〕に始まり晏嬰〔あんえい〕・)商鞅〔しょうおう〕・李斯〔りし〕 ・・・→ 秦に登用され秦による天下統一に寄与

*韓非・『韓非子』: 「濫吹〔らんすい〕」(実力がないのにその位にいることのたとえ)/「宋襄〔そうじょう〕の仁」(行きすぎた親切心)/「矛〔ほこ〕と盾〔たて〕」(矛盾:つじつまが合わないこと) /「守株〔しゅしゅ・くいぜを守る〕」(待ちぼうけ)

 

◎【兵家】: 兵法(用兵・戦略)を研究、孫子〔孫武/そんぶ〕、呉子〔呉起/ごき〕

*孫武の『孫子』 ・・・ 「彼を知り、己を知れば百戦殆〔あやう〕からず」、「百戦百勝は善の善なるものにあらず」  →  戦わずして勝つ、 「常山の蛇」、 “風林火山”  → 「その疾〔はや/と〕きことの如く、その徐〔しず〕かなることの如く、侵掠〔しんりゃく〕することの如く、動かざることの如く、知り難きこと陰の如く、動くこと雷霆〔らいてい〕の如し」 (cf.武田信玄の旗印)

 

◎【陰陽家】: 陰陽五行説(「陰陽」は光と影)・木火土金〔ごん〕水。*鄒衍〔すうえん〕  

cf.西洋「四元素説」

 

◎【縦横家】: 外交術、*蘇秦の「合従〔がっしょう/縦〕」策 と *張儀の「連衡〔れんこう/横〕」策。

 

◎【名家】: 論理学・詭弁、*公孫龍・「白馬非馬論」。*恵施(子)

 

◎【農家】: 重農主義、神農を本尊とする。*許行〔きょこう〕

 

◎【雑家】: その他学派

 

◎【小説家】: つまらぬ小話を説く。思想希薄。 

 

中国の思想・文化 = 【儒学】子・子・子 & 【黄老/老荘】 子・子・


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大難解・老子講 《 とびら 》

『大難解(やさしい)・老子(RAOTZU)講』
《 とびら 》

定例講習 第32回 老子[3]

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横山大観 *16): 「老君出関〔ろうくんしゅっかん〕」 (1910、三幅)

老耼〔ろうたん〕*1)、 を行く

眤次仝太郎

象〔ぞう〕のように耳の大きい老先生は *1)
水牛の上にまろくうずくまり、
時の歩みよりもひそかに  太虚の深さよりも物しずかに、
晴れ渡った秋の日ざしにとっぷり埋〔うも〕れて
どこまでもつづく陝〔せん〕の道を西へ行く*2)

凾谷関〔かんこくかん〕でかいた五千余言の事だけが *2)
老先生のちょっと気になる。

莽莽蕩蕩〔もうもうとうとう〕、
黄河の水が愚かのように東に流れる。*3)

 

老先生は鬚〔ひげ〕もじゃの四角な口を結び、
大きなおでこの下の小さな眼をあげる。

河岸のまばらな槐〔えんじゅ〕林が黄ばみ落ちる。

黄土の岩に秋の日はあたたかく、  人も通らず鳥も鳴かない。

風景は老先生の心を模倣し*4)
自然は老先生の形骸をよろこび迎える*4)

わしは堯舜〔ぎょうしゅん〕の教えを述べるに過ぎない*5)
坦坦〔たんたん〕たる道を示すに過ぎない。

天下の百姓〔ひゃくせい〕の隠れた生活を肯定〔こうてい〕し*6)
星宿その所に在〔あ〕るを説くに過ぎない。

世を厭〔いと〕うのでなくて、  世にもぐりこむのだ。

 

世は権勢のみで出来ていない。

綿綿幾千年の世の味わいは百姓の中に在る*7)

わしが逆な事ばかり言うと思うのは *8) 
立身出世教の徒に過ぎない。*9)

其の無に当たって器の用有るを悟〔さと〕る者が *10)
満天下に充溢〔じゅういつ〕する叡知〔えいち〕の世は来ないか。

為して争わぬ事の出来る世は来ないか。*11)

ああそれは遠い未来の文化の世だろう。

人の世の波瀾〔はらん〕は乗り切るのみだ。

黄河の水もまだ幾度か干戈〔かんか〕の影を映すがいい。

 

だが和光同塵も夢ではない。*12)

わしの遺〔のこ〕した五千余言よ人をあやまるな。

わしのただ言〔ごと〕よ奇筆とは間違えられるな。

わたしの教えよ妖教の因〔もと〕となるな*13)

わしはこの世にもぐりこんで死ぬ。

 

竜となって天に昇ったなどと人よ思うな*14)

白い小さな雲が南の方泰嶺〔たいれい〕に一つ浮かんで、
自然にわいたままじっとしている。

老先生は溶〔と〕けたようにそれを見ている。

(「道程〔どうてい〕」以後より)*15)

《 たかね下線部・注 解説 》  

*1) 老子は、姓は李〔り〕、名は〔じ〕、字〔あざな〕は伯陽、諡〔おくりな〕を耼〔たん〕。と、いわれています。が、私はおそらく「耼・タン」も字ではないかと思います。(というのは、その死が定かではないわけですから ・・・) 耼・タンとは、耳の長いという意味ですから、老子は耳が長く・大きい人だったのでしょう。

*2) 老子が乱世を遁〔のが〕れ、関(凾谷関あるいは散関)に至った時、関令の尹喜〔いいん〕に求められるままに書いたのが五千余言からなる『老子道徳経』です。その後老子は、その書を渡して関所を去り西方への旅を続けたといわれています。そして、その行方〔ゆくえ〕はようとして知れず、どこで没したかその後の消息を知る者はありませんでした。(by.司馬遷・『史記』) 陝〔せん〕は、陝西省。省都の西安は「長安」と称して、周王朝以来幾度も国都となりました。

*3) 老子は「水」(=川)を思想・処世術の象〔しょう〕=お手本 と考えました。また「無知・愚・愚昧」なあり方を説いています。悠游〔ゆうゆう〕たる黄河は、(賢しくではなく)愚かに流れなければなりません。この“愚の思想”は、非常に大切です。
孔子もまた、よく「愚」を解し、「愚」を高く評価していた人であったと考えられます。
「子曰く、寗武子〔ねいぶし〕、邦〔くに〕に道あれば則〔すなわ〕ち知、邦に道なければ則ち其の知や及ぶべく、其の愚及ぶべからず。」(『論語』・公冶長第5)
自分(=孔子)は、頭の良いところは真似ができるけれども、(彼の)その“バカさぶり(ばかっぷり)”には、とても及ぶべくもない、というおもしろい一節です。

cf.『戦争と平和』で知られるロシアの世界的文豪であり思想家の レフ・トルストイ (LN Tolstoi,1828〜1910)も老子を非常に高く評価しています。その晩年の民話的寓話〔ぐうわ〕作品イワンのばかは、老子の“愚の思想”・“愚の政治”をお話にしたものです。

cf.安岡正篤氏は、「愚」について次のように述べておられます。こういう“愚の思想”は、日本にもよく伝わっており、民間の口碑・伝説、その他格言などにも残っております。それらの中で最も普及しているもの(同時に“常識の誤解”しているもの)を2・3、折に触れて紹介されています。たとえば。

A)「馬鹿殿」: バカな殿様ではなく、“名君”のことをアイロニカルに表現したもの

B)「糠味噌女房」: 糠味噌〔ぬかみそ〕漬けの上手な女房は至れる女房。女房礼賛の話
※「糟糠〔そうこう〕の妻 堂より下さず」(『後漢書』・宋弘伝)

C)「女房と畳は新しいほど好い」: 畳は畳表〔タタミオモテ〕を裏返しし、更に畳表のみ取り替えるなどしてリフレッシュする。老子的“生活の芸術”です。今は亭主も同様にあれ!

*4) 「自然」・「無為自然」。老子は天地自然との一体を説きました。それはまた、(生命・生死の)“循環の理”でもあります。

*5) 老子も孔子と同様、善き古〔いにしえ〕をお手本としています。(=尚古思想)

cf.「子曰く、述べて作らず、信じて古を好む。」(『論語』・述而第7)

*6) 「百姓」は、〔ひゃくしょう〕ではなく〔ひゃくせい〕と読み、一般ピープルの意です。老子のユートピア思想は「小国寡民」(80章)であり、「静」か(26章)で穏やかな村落共同体での生活を善きこととするものです。

*7) “営々”とくりかえし営まれる(循環)社会・民衆中心の思想・自由の尊重 ・・・を感じます。

*8) 『老子』の中には、「逆説の真理/論理・論法」とでもいえる箴言〔しんげん〕・慣用句の類がたくさん登場しています。

*9) 儒学(儒家)を指しています。儒学は、現実的で、“修己治人の学”・“終身・斉家・治国・平天下の道”(指導者・リーダーの養成)を説きます。老荘は儒学への批判的立場です。

*10) 老子のいう「道」を体得した者の意でしょう。すなわち、「無の発見」・「空虚の効用」(11章):器物の働きは空虚あればこそ(仕事・心であればゆとり、空間設計であればアキ)のことです。

cf.安岡正篤氏の一番よく愛用された雅号が「瓠堂」〔こどう: 瓠=ひさご/出典『荘子』・逍遥遊篇〕です。

*11) 「不戦」・「不争」 の思想です。『老子』 5000余言は、「道」にはじまり「不争」に終わります。

*12) 「和光同塵」(其の光を和らげ、其の塵〔ちり〕に同ず):老子の道のあり方(4章)であり、聖人のあり方(56章)です。

*13) 老子(黄老)の思想は、儒学における易学同様最古にして本格的なものです。が、インド仏教が民衆に普及するにつれて、道家との交流が著しくなり“道家の仏教化”がおこります。道家は通俗道学となり、「道教」という特異の宗教となってまいります。そして、世紀末的な民衆のもとでは老子(黄老)は老荘となり、やがて頽廃的なものに堕落してゆきました。

cf.常格や平凡に飽いて、とかく奇を好み異を愛する人情からすれば、荘子ほどおもしろいものはない。まして現実のあらゆる不快不安に悩まされて、疲労倦怠に陥り、深刻な懐疑を抱いて、時代に嫌悪と自嘲さへ感ぜざるを得ぬような世紀末的な民衆になると、黄老は勢ひ老荘となり、その老荘も次第に頽廃的なものに堕落してゆくことは魏晉の例によっても明らかである。」  (安岡安岡正篤・『老荘思想』 p.16引用)

*14) 司馬遷の『史記』(「老子・韓非列伝」)に、いわゆる「老子物語(伝説)」が書かれています。―― それは、ある時、老子(老耼)のもとを(当時既に、教育・道徳家として名声の高かった)若き日の孔子が訪れ教えを乞います。孔老会見」(孔子問礼です。孔子は、貴重なアドバイスを受け感激して魯〔ろ〕の国に帰ります。そしてその後、弟子たちに、よく老子をほめてしみじみと言いました。 曰く。
「(私にも)鳥が飛べるということはわかっているし、魚が泳げるということはわかっているし、獣が走れるということはわかっている。走る者が相手なら網で捕えればいいし、泳ぐ者が相手なら綸〔いと=釣り糸〕で捕えればいいし、飛ぶ者が相手なら矰〔いぐるみ=ひもをつけた矢〕で捕えればいい。が、相手が(霊獣の)龍で、(龍は)風雲に乗じて天空に昇り(時に飛翔し時に雲間に隠れるのであれば)私の理解を超えている。(如何ともし難い/捕えようがない。)今、私は、老先生にお会いしたが、老子というのはまるで龍のようなお人だナァ!
(吾、今日〔こんにち〕老子を見るに、其れ猶〔なお〕龍のごときか。/“To-day I have 
seen Lao Tzu; he is like the dragon.(Gowen)” )
龍は“陽”の化身ですが、三棲するといわれています。地上にいたり、深淵に潜んだり、雲間に隠れたり、天空を飛翔したり、と捉えどころがないの意でしょうか。あるいは、スケールが大きすぎて圧倒されて推し量れないの意でしょうか。

*15) “道程”は、本来、みちのり・行程のことですが、もちろんここでの“道程”は道路のことではありません。  「ぼくの前に道はない  ぼくの後に道はできる  ――  」 (『道程』)

*16) 横山大観 : 1868−1958。老子像、荘子像(包丁〔ほうてい〕)、「被褐懐玉」〔ひかつかいぎょく: 『老子』第70章による〕、伝説の隠者・「寒山拾得」〔かんざんじっとく〕。「生々流転」〔せいせいるてん〕は、大観水墨画の集大成・畢生の大作です。―― 木々の葉の露が、雨が小さな流れをつくり川となり、川は川幅を増しながら大海に流れ注ぐ。さざ波から荒れ狂う波となり、昇天する飛龍は・・・(水蒸気は雲となり雨となり) という天地自然の偉大なる“水の循環です。まさに、老子の世界です。
そして、“龍”は「易学」の世界でもあります(【乾為天】)。「双龍争珠」・「龍蛟躍四溟」〔りゅうこうしめいにおどる〕などの名作があります。“龍”は東洋の精神と西洋の科学を象徴するものともいわれています。
「大観」の雅号(本名:秀麿)は、一説には法華経の「観世音菩薩普門品」の「広大智慧観」の2文字を採ったとされています。「観」のルーツを考えてみると、易卦に【風地観】があります。【観】は精神性をいう卦で、第3の目・心眼でみるという意です。ちなみに、松下幸之助氏のブレーンに“加藤大観”という名の僧侶がいたかと思います。
※(本稿、横山大観の作品・文章の引用は、別冊太陽142・『気魄の人 横山大観』・平凡社に統一いたしました)

 コギト(我想う) 

東洋において、芸術(家)と老荘思想(家)の間には密接な繋がりがあると思います。(詳しくは、安岡正篤・『老荘思想』/「学問・芸術・宗教」を参照ください)

○「老荘思想が前述のやうに本来多分に芸術的であるため、後世老荘家に芸術家が多い。また文人画家にして老荘を愛さぬ者はないといって過言であるまい。」

(安岡正篤・『老荘思想』 p.112引用)

わが国の芸術家では、私は、画家の*横山大観(老子画像・荘子画像をはじめ、童子を描いた「無我」、水の変態・循環を描いた畢生〔ひっせい〕の大作「生々流転」など)、と詩人・彫刻家の高村光太郎がすぐに思い浮かびます。

さて、老荘思想と芸術との密接不可分の関係は、私はまず、“右脳のはたらき”がかかわっているのではないかと考えています。

右脳は、感性・情緒を担当する脳であり芸術・創作活動と直結しています。

易(平行思考)や老荘という形而上学〔けいじじょうがく〕を思考する分野と重なっているのでしょう

それはまた、“覚〔さとる〕”・“覚知〔かくち〕”の世界を含んでもいるのでしょう。

今一つは、東洋の芸術の世界が、“自然”と一体・“無為自然”であり(西洋芸術は人間と自然が対峙しています)、老荘思想のそれと重なるからなのかも知れません。

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横山大観 : 「生々流転」


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