(こちらは、前のブログ記事の続きです。)
《 『易経』の中の植物 》
癸 【 水雷屯 ☵☳ 】
―― “草の芽” (卦辞の意から) / 「天造草昧〔そうまい〕」 (彖辞)
○ 「屯〔ちゅん〕は元〔おお〕いに亨〔とお〕る。貞しきに利ろし。
往くところあるに用うるなかれ。侯〔こう・きみ〕を建つるに利ろし。」 (卦辞)
○ 「屯は剛柔はじめて交わりて難生じ、険中に動くなり。
大いに亨〔とお〕りて貞なるは、雷雨の動き満盈〔まんえい〕すればなり。
天造草昧〔そうまい〕 、よろしく侯を建つべくしていまだ寧〔やす〕からず。」 (彖辞)
屯〔ちゅん〕の字は、「一」と「屮」〔サ〕からなります。
地上「一」に雪が積もり、草の芽「屮」が雪の厚く積った下から
必死になって出ようとしているのです。
その雪の重みに耐えかねて“草の芽”が曲っている形です。
上卦の坎は、坎険・水・川・寒・暗。
下卦の震は、動く・進む・伸びる・若芽・蕾〔つぼみ〕。
草木の若芽が伸びようとして、寒気で伸び艱〔なや〕んでいる象〔しょう・かたち〕です。
つまり、この卦は創生の悩み、生みの苦しみの意味です。
「天造草昧〔そうまい〕」とは彖辞〔たんじ:本文の解説〕にあることばです。
(草が生い茂っているように)天の時運がまだ明らかでない、
これから開かれようとする時であるの意です。
=「天下草創」・「草創多難の時期」・「暗黒の時代」。
参考資料 ≪盧:「『易経』64卦奥義・要説版」 p.7引用≫
3.屯 【水雷ちゅん】 は、なやみ、くるしむ。
4難卦〔坎水・蹇・困・屯〕、「屯難」
● 創造・生みの苦しみ、「駐屯」・「屯〔たむろ〕」、滞り行きづまる、
入門は吉、赤ん坊をそっと(育てる)・幼児教育
・・・ ※ 父母(乾坤)の間に震(巽)の長子が生まれた時
・「天造草昧〔そうまい〕」 (彖辞)
・・・ (草が生い茂っているように)天の時運がまだ明らかでない
〔これから開かれようとする時〕 =天下草創・暗黒の時代
・「屯とは盈〔み〕つるなり。屯とは物の始めて生ずるなり。」(序卦伝)
ex. “明治維新”〔幕末から明治政府設立までの動乱・混乱期〕
上卦の坎は、坎険・水・川・寒・暗。下卦の震は、動・進む・伸びる・若芽・蕾〔つぼみ〕。
1) 進もうとして前に川がある象
2) 草木の若芽が伸びようとして、寒気で伸び艱〔なや〕んでいる象
3) 水=雲 と 雷=雨で雷鳴、雷鳴り雲雨を起こさんとする象。
11 【 地天泰 ☷☰ 】
―― 「茅」〔ちがや〕 (初九爻辞)(象伝)
○ 「茅〔ちがや〕を抜くに茹〔じょ〕たり。
その彙〔たぐい〕以〔とも〕にす。征〔ゆ〕きて吉なり。」 (初九爻辞)
○ 「茅〔ちがや〕を抜く、征〔ゆ〕きて吉なりとは、志〔こころざし〕外にあればなり。」
(初九象伝)
茅〔ちがや・ち/しげちがや〕はイネ科の多年草。
高さ約60僂如原野に現在でもよく目にすることが出来るものです。
地下茎が横に走って群落を作っています。
そのため茅は、1本を引き抜くとあたりの茅もまとまり連なって、
一緒に抜けてきます。 注)
「茹〔じょ〕」は草の根が連なること、「彙〔たぐい〕」は仲間のことです。
現代でも、“語彙〔ごい/ボキャブラリー〕”という熟語がありますね。
初九は“陽”をもって陽位に居り、正しい“健”の徳をもった君子の一人です。
正位にして六四(大臣)と応じています。
立派な人が一人登用されると志を同じくした仲間も登用されるということです。
「征〔ゆ〕きて吉なり」とは、志すものが自分一身のことではなく、
外に向かって(外卦)進む、天下国家のために力を尽くそうとするものであるからです。
このことを例えて言ってみましょう。
国を良くしようと思う、志ある立派な人物がいるとします。
彼の周りに集まる同じ志を持った人達と力を合わせ、前進しようとしています。
初九と六四(大臣)と応爻していることから、
この有志の人物の気持ちが六四(大臣)に通じて、登用されます。
そうすると、茅が抜かれるように下卦【乾☰】の二爻三爻も
(五爻・上爻と応じていますので)一緒に登用されます。
つまり(下卦の)三陽が共に上昇してゆくのです。
注)
茅・白茅〔ちがや・ち/しげちがや〕;
イネ科の多年草。原野に普通。高さ約60僉
地下茎が横走して群落をつくる。
春、葉より先に、柔らかい銀毛のある花穂をつける。
穂を「つばな」「ちばな」といい、強壮薬とし、
また古くは成熟した穂で火口〔ほくち〕を作った。
茎葉は屋根などを葺くのに用いた。
(『広辞苑』)
チガヤ カット : 略
No. 12 【 天地否 ☰☷ 】
―― 「茅」〔ちがや〕 (初六爻辞/象伝)/桑〔くわ〕 (九五爻辞)
○ 「※茅〔ちがや〕を抜くに茹〔じょ〕たり。その彙〔たぐい〕と以〔とも〕にす。
貞なれば吉にして亨る。」 (初六爻辞)
○ 「茅[ちがや]を抜く、征〔ゆ〕きて吉なりとは、志君にあればなり。」
(初六象伝)
○ 「否を休〔や〕む。大人は吉なり。それ亡びなんそれ亡びなん、
とて苞桑〔ほうそう〕に繋〔かか/つな・ぐ〕る。」 (九五爻辞)
※部、【泰】卦の初九と同文で「茅」が登場しています。
【泰】卦との違いは陰陽が逆であることです。
二爻・三爻についても同様です。
初六は陰を以て陽位に居るので位は正しくなく、
才能・道徳の乏しい小人と見なすことができます。
また、【天地否☰☷】の初爻であるので、
天と地の塞がりという悪い状態が深くは進んでいない、ということでもあります。
つまり、悪に深くは染まっていないのです。
九四の“大臣”と応じています。
大臣に誠実に応えて正しい道を守るなら、
その志すところは亨通〔きょうつう〕します。
初六が用いられる時は、他の仲間である下卦【坤☷】の六二・六三の陰爻も
(五爻・上爻と応じていますので)一緒に進むことになります。
五爻は陽爻で尊位に正位しており、才能・道徳に優れた人物です。
このような大人にしてはじめて、否塞した状態を抜け出し、
一時的にも平穏な状態にすることができるのです。
この爻は、上卦【乾☰】の中爻で塞〔ふさ〕がっている状況は峠を越えているといえます。
さて、五爻には「苞桑〔ほうそう〕」が登場しています。
「桑」は、クワ科の落葉高木、クワ科の総称です。
ヤマグワおよびその栽培品種が最も普通ですが、
中国産の“魯桑〔ろそう〕”も栽培されています。
養蚕〔ようさん〕に葉を刈り取って用いられることでもよく知られていますね。
さて、「苞桑」の解釈については相対照する説があります。
まず「苞」には、
桑の木の“根もと”(=根に近い幹の部分)と解する立場
(「正義」/高田・後藤『易経』上p.166ほか)と
桑の木々が“叢〔むら〕がり生える”と解する立場
(「程伝」/今井・『新釈漢文大系・易経/上』 p.337ほか)
があります。
『易経』で「苞」が登場するのは、ここ一例だけです。
が、ほぼ同時代の『詩経』には「苞桑」・「苞棘〔きょく〕(いばら)」など
多く登場しています。 注1)
いずれも△琉嫐で用いられています。
△領場では、「桑」の木は深くしっかりと地中に根を張って
群がって生えて一株のようになっています。
それで、どんな大風にも倒れることなく堅牢そのものです。
そんな“むらがり茂る” 堅牢な「桑」の木に繋〔つな〕がれていれば、
安全・安心というものです。
また、,痢蛤もと”〔根元/根本〕は、
“根の部分”と“付け根の部分”の意とがありますが、
根(あるいは根が集まり節くれだったコブ状になったもの)ではなく
根に近い幹の部分(=付け根)に繋ぐと解するのが自然でしょう。
尤〔もっと〕も、“根”でも“付け根”でも“木の元”でも
さしたる違いではありません。
要は、,砲擦茘△砲擦茵
“ガッツリ”(がっちり)とした「桑」の木に繋ぎとめるように、
しっかりと行動せよということです。
以上は、一般的な解釈です。 注2)
この A.「苞桑」を安全堅固なるものの寓意と見る立場に対して、
B.群生している桑(したがって小木)を柔弱不安なるものの寓意
と見る立場があります。
この B.の立場からすれば、こんな「苞桑」に繋がれているのは、
まことに心許〔こころもと〕ない、頼りない限りだということになります。
この危険極まりない状況を、自ら戒め恐れ慎むことで、
一身も国家社会も平穏が実現するというものです。
○ 「叢生する桑樹を頼りにするに過ぎない状態」
(安岡・『易経入門』 p.109)
○ 「一説には包桑を松や杉に比べて弱い枝木の危険なものとしている」
(鹿島・『易経精義』 p.156)
この A.B.の対照的な解釈は古くからあり、
後世の文章でも両方の意味で引用され使われてきています。 注3)
九五爻辞: 「否を休〔や〕む。大人は吉なり。
それ亡びなんそれ亡びなん、とて苞桑〔ほうそう〕に繋〔かか/つな・ぐ〕る。」 は、
例えていえば、国の政治・経済が行きづまり状態に陥った時に、
五爻の大人によってその行きづまり状態を立て直すことができるようなものです。
しかしながら、天下の閉塞〔へいそく: 行きづまり状態〕は、
ちよっと休止している小康状態であるにすぎません。
「苞桑」が、A.B.どちらにしても、油断大敵です。
“亡びるかも知れないゾ、亡びるかも知れないゾ”と思って、
常に自ら戒め、自から省み、恐れ慎むことが大切なのです。
要するに、「治にいて乱を忘れず」で、
いつでも万一の時の用意を怠らないことをおしえているのです。
この「治にいて乱を忘れず」の出典は、実に、ここにあるのです。
○ 「君子は安にして危を忘れず、存にして亡を忘れず、治にいて乱を忘れず。
ここを以て身安くして国家保つべきなり。」 (『易経』・繋辞下伝)
注1)
「苞桑〔そう=くわ〕」/「苞棘〔きょく=いばら〕」/「苞櫟〔き=くぬぎ〕」/
「苞棣〔てい=庭梅〕」/「苞稂〔ろう=いぬあわ〕」/
「苞蕭〔しょう=よもぎ〕」/「苞蓍〔し=めどぎぐさ〕」/
「苞栩〔く=くぬぎ〕」/「苞杞〔き=枸杞/くこ〕」 etc.
(今井・『新釈漢文大系・易経/上』 p.337)
注2)
鄭玄・王弼・孔穎達・程子・朱子 etc. (今井・ 同上書 p.337)
注3)
盧秀人年先生の、この「苞桑」に関する見解をご紹介しておきますと。
「私は、古代中国の『易経』の象〔しょう/かたち〕として登場する動(植)物の“たとえ話”と
古代ギリシアの『イソップ寓話〔ぐうわ〕』の動物譚〔たん:=物語〕には、
とてもアナロジー〔類似〕を感じます。
謎に包まれた“哲人”である作者の手になる『イソップ寓話』は、
動物に擬〔なぞ〕らえられた生き方の知恵であり、
世界中で現在に至るまで普遍的に愛読され続けています。」
私が、この「苞桑」=“剛強な桑の(大)木”で思い起こしましたのは、
『イソップ寓話』の「樫〔かし〕と葦〔あし〕」の物語です。
日本中・世界中でよく知られているお話ですね。
“剛強な樫の大木〔The Great Oak〕 ”は、
実際には“オリ−ブ〔Olive〕の大木”でしょう
(*『イソップ寓話』は古代ギリシアの作品ですので)が、
大風で吹き倒されてしまいます。
一方、“しなやかで柔弱な葦〔Reed〕 ”は何事もなくやり過ごせました。
「おごるものは常にはずかしめられ、おとなしく謙譲なものはかえって強くなる。
あらゆる美徳の根本は従順と謙譲です。」という教訓です。
『易経』は、“陰陽の思想”と“中〔ちゅう〕”の思想が
肝腎要〔かんじんかなめ〕のものです。
“陰・陽”相対(待)論は、いつも“陽”が良くて“陰”が良くない、
というわけではありません。
否、むしろ“陰”の徳のほうが勝〔まさ〕っている場合も多いのです。
この『易経』の“陰陽の思想”を充分に学んでいたと考えられる老子は、
その思想に“陰”の徳をはっきりと打ち出しています。
すなわち、柔弱・しなやかな強さです。
老子は「水」を、最高の徳を持つものとして、
己〔おの〕が思想の象〔しょう/かたち〕としました。
「上善若水〔じょうぜんじゃくすい:上善は水の若し〕」(第8章)と、
水を無為自然、最高の徳(≒道)の象としているのです。
(“不争の徳”/“不争謙下”)
第78章にも「天下に水より柔弱〔じゅうじゃく〕なるは莫〔な〕し。
而〔しか〕も堅強を攻むる者、之に能〔よ〕く勝〔まさ〕るなし。」とあり(“柔弱の徳”)、
第66章にも「江海の能く百谷〔ひゃっこく〕の王たる所以〔ゆえん〕の者は、
其の善く之に下〔くだ〕るを以て、故に能く百谷の王たり。」とあります。
さて、“陰”・柔弱なるものが勝れているという考えは、
『易経』の物語と『イソップ寓話』に共通していると思います。
が、この「苞桑」に関する記述について言えば、
“陰”のしなやかで柔弱な強さという考えはないように感じられます。
それは五爻が“陽”・剛であることと、
爻辞: 「其亡其亡、繋于苞桑。」の全体からみたニュアンスからです。
してみると、“桑”という樹木を剛強とみるか柔弱とみるかで
意味はまったく対照的なものとなってしまいます。
私が考えますに、そもそも剛強なものとして登場ささせるなら、
『易経』が書かれた時代、中国には“桑”でなくても
多くの相応〔ふさわ〕しい樹木があったでしょう。
また、この卦の“象〔しょう〕”としての“桑”も思いつきません。
先述の『イソップ寓話』のお話での、
“樫〔かし〕の大木”の原型と思われる“オリーブ”の木も、
一般的には大きい丈夫な木ではないようです。
それでも、樹齢何百年を経た偉容な大樹もあります。
“桑”も然りで、(“ヤマグワ”と分類される一般的なクワは)
元来大きく丈夫な木ではないようです。
叢〔むら〕がっても所詮〔しょせん〕さしたることはないでしょう。
尤〔もっと〕も、桑の大木もあったようです。
文学的書物の中に“桑の大木”が登場しています。
例えば、『三国志』(吉川英治)の冒頭部分に、
まだ無名の青年・劉備玄徳(後の蜀の皇帝)の生家の前に桑の巨木があり、
ある老人が「あの樹は、霊木じゃ。此家から必ず貴人が生まれる。」
と予言する箇所があります。
( → *参考資料参照のこと)
中国産の“魯桑〔ろそう〕”といわれるものは、現在(2015)の我が国でも、
12メートル(樹齢80年)の大樹が紹介されています。
畢竟〔ひっきょう〕するに、「苞桑」・“桑”の木の剛・柔がどちらにせよ、
「其亡其亡、繋于苞桑。」の爻辞の意図するところは明らかです。
それは、『易経』・繋辞下伝に解説されている「治にいて乱を忘れず」で、
いつでも万一の時の用意を怠るなという戒めです。
5爻の陽剛が2爻と“応じている=繋がっている”と考えられなくもありません。
ところで、平和な時こそ危ういものが孕〔はら〕まれているという思想は、
老子によくまとめられています。
老子の運命論は、禍福吉凶に対する循環の理法・運命論です。
それは、“禍福吉凶の循環理法”とでも称されるものです。
つまり、禍福がただ変化し予測し難いのではなく、
禍の中に福の種(因〔もと〕)・兆しがあり、
福の中に禍の種(因〔もと〕)が蔵〔かく〕されているということです。
(「禍福倚伏〔かふくいふく〕」:「禍〔か/わざわい〕は福の倚〔よ〕る所、
福は禍の伏〔かく〕るる所」/『老子』・第58章)
“備えあれば憂(患)〔うれ〕いなし”という慣用句がありますが、
この「治にいて乱を忘れず」の5爻辞の寓意・戒めは、古くて新しいものです。
現今〔いま〕の“平和ボケ”している日本が、心せねばならないことではないでしょうか。」
≪*参考資料: 吉川英治・『三国志』/「桃園の巻・桑の家」p.33、p.43より≫
「『ああ、わが家が見える』
劉備は、驢の上から手をかざした。
春〔うすず〕く陽〔ひ〕のなかに黒くぽつんと見える一つの屋根と、
そして遠方から見ると、まるで大きな車蓋〔しゃがい〕のように見える桑の木。
劉備の生まれた家なのである。
− 略 −
彼の心を知るか、驢も足を早めて、
やがて懐〔なつか〕しい桑の大樹の下まで辿〔たど〕り着いた。/
この桑の大木は、何百年を経たものか、村の古老でも知る者はない。
沓〔くつ〕や蓆〔むしろ〕を製〔つく〕る劉備の家 ―― と訊けば、
あああの桑の樹の家さと指さすほど、それは村の何処からでも見えた。
古老が云うには、
『楼桑村〔ろうそうそん〕という地名も、この桑の木が茂る時は、
まるで緑の楼台のように見えるから、この樹から起った村の名かもしれない』
とのことであった。
―― 中略 ――
『帰ろうと思って、ここまできたら偉〔えら〕い物を見たよわしは』
『なんですか』
『お宅の桑の樹さ』
『ああ、あれですか』
『今まで、何千人、いや何万人となく、村を通る人々が、
あの樹を見たろうが、誰もなんとも云った者はいないかね』
『べつに』
『そうかなあ』
『珍しい樹だ、桑でこんな大木はないとは、誰もみな云いますが』
『じゃあ、わしが告げよう。あの樹は霊木じゃ。
此家から必ず貴人が生まれる。
重々〔ちょうちょう〕、車蓋〔しゃがい〕のような枝が皆、
そう云ってわしへ囁〔ささや〕いた。
・・・・・ 遠くない、この春。
桑の葉が青々とつく頃になると、いい友達が訪ねて来るよ。
蛟竜〔こうりゅう〕が雲を獲たように、
それから此家〔ここ〕の主〔あるじ〕はおそろしく身上が変って来る』
『お爺さんは、易者かね』」
cf. ◎「否泰は其類を反するなり。」 (雑卦伝) :
【泰】の“外柔内剛”と【否】の“内柔外剛”、先々(近未来)と裏卦(過去)の対応関係
クワ(桑) カット/写真 : 略
桑 【群生・根・切り株】 写真 : 略
魯桑〔ろそう〕 写真 : 略
オリーブ 写真 : 略
癸隠 【 天火同人 ☰☲ 】
―― 「野」 (卦辞)(彖辞)/「莽」〔くさむら〕 (九三爻辞・象伝)
○「人と同じうするに野においてす。亨る。大川を渉るに利ろし。
君子の貞に利ろし。」 (卦辞)
○「同人は柔、位を得、中を得て、乾に応ずるを同人と曰〔い〕う。
同人に曰く、人と同じうするに野においてす。亨る。
大川を渉るに利ろしとは、乾の行なり。
文明にして以て健、中正にして応ず、君子の正なり。
ただ君子のみ能く天下の志を通ずることを為す。」 (彖辞)
○「戎〔つわもの〕を莽〔くさむら〕に伏せ、その高陵〔こうりょう〕に升る。
三歳まで興らず。」 (九三爻辞)
○「戎〔つわもの〕を莽〔くさむら〕に伏すとは敵 剛なればなり。
三歳まで興らず、いずくんぞ行かん。」 (九三象伝)
【天火同人☰☲】 の「同人」とは、人と志を同じくすることです。
(cf.“同志社”・“同人誌”)
象は、上卦【乾☰】天空と下卦【離☲】太陽とが一体化(=同人)しています。
また、◆擺☰】の剛健な行動と【離☲】の文明的な明知は一体化すべきものです。
【同人】は1陰5陽の卦で、5陽が1陰(主爻)に親しもうとしています。
1陰は 2爻の陰位に位し、下卦の中爻を得て中正。
そして、5爻の陽位には陽爻が位し中正。
2爻と5爻は、正しく応じています。
また、2爻は、初爻と3爻のそれぞれに比してもいます。
卦辞: 「同人、野においてす」(「同人于野」)の「野」は、
広々として広い意味で広大で公平無私、公明正大な心をたとえていると考えられます。
広く同士を天下にもとめて、おおいに文明を発揚する象です。
九三の象伝には「戎を莽に伏すとは敵 剛なればなり」とあります。
九三は陽爻を以って陽位にありますが中庸の徳を欠いています。
下卦【離☲】の極にあるので燃える火の最も激しい面をもっています。
(炎〔ほのお〕は外側が激しく燃えており、中は空虚〔うつろ〕=ガス状です。)
九三と六二は比していますが、六二は九五の君子と親しんで(正応)
九三には親しもうとしません(不比)。
それで九三は、嫉〔ねた〕み武力を持って六二を我がものにしようとしているのです。
九三は武装した兵を「莽」〔くさむら=草むら: 草木が繁茂して暗い場所〕
に潜〔ひそ〕ませ、高い丘に登って探察します。
隙があれば六二を奪おうとします。
しかしながら、(六二と応じている)九五は、
【乾☰】の主爻で位高く勢い盛んであるため、
九三は何年経っても(=「三歳」)兵を興すことができません。
目的を達することが出来ないのです。
cf. ≪ 倭建命〔やまとたけるのみこと〕と草薙剣〔くさなぎのつるぎ〕 ≫
『古事記』・『日本書紀』によれば、倭建命は相模〔さがみの〕国に到った時、その国の造〔みやつこ〕たちに謀られ、野原におびき出され火攻めに合います。三爻は倭建命、二爻は連添う(同人)=弟橘比売命〔おとたちばなひめのみこと〕でしょう。この火攻めに対して、倭建命は、“向かい火”の戦略と神剣・草薙剣(天叢雲剣〔あめのむらくものつるぎ〕)のパワーで焼き退けます。そして、その国の造たちを切り滅ぼし焼きます。 ➝ (焼遺〔やきつ〕の地名の由来とされています。)
16 【 雷地豫 ☳☷ 】
―― “新芽・若木” (卦象から)
○「豫は、侯〔きみ〕を建〔た〕て師〔いくさ〕を行〔や〕るに利ろし。」 (卦辞)
下卦【坤☷】を以て地とし、上卦【震☳】を以て雷とします。
1)地上に雷が鳴っている象です。“春雷”、地の上に振るい動かす形。春です。
また、
2)震を、春の芽・若木・蕾〔つぼみ〕とし、地上に新芽が萌え出ている象。春です。
(※ 【雷地豫☳☷】は、【地雷復☷☳】の雷と地が交替したものです。
【復】は地中に震の芽があり、それが地上に出たものが【豫】と考えられます。)
卦辞の意味は次のようなものです。
冬の大地に春到来し、ものごとのスタートの時です。
人間界では、天下の平定・そのための戦を始める時期です。
この時には、豫〔あらかじ〕め周到な準備とそれに従う衆〔おお〕くの民が必要です。
―― 象で表現しますと。
3)5陰が1陽(4爻)に随う象です。1陽は、震の主爻で前進する君子です。
【復】で最下位(初爻)にあったものが、地上に躍り出て衆陰を統率しています。
時節到来して震が力を振るう象です。
cf.豫の3義 ・・・ (1)あらかじめ (2)遊び楽しむ (3)怠る
◆“冬来りなば春遠からじ”(シェリー) は、まだ冬
・・→ 【豫】は“春”の到来、もうしっかり春。 /
【地雷復】は春が来た、今は“春”。
( 以上 )