儒灯

【温故知新】儒学の普及に力を注いでおります真儒協会 会長、高根秀人年の個人ブログです。 『論語』、『易経』を中心に、経書の言葉を活学して紹介して参ります。 私個人の自由随筆、研究発表などのほか、真儒協会が毎月行っております定例講習についても掲載しております。

高根 講演録

第83回 定例講習 特別講義  その6

(こちらは、前のブログ記事の続きです。)

 《 『易経』の中の植物 》 

 【 水雷屯 ☵☳ 】 
  ―― “草の芽”
 (卦辞の意から) / 「天造草昧〔そうまい〕」 (彖辞)

○ 「屯〔ちゅん〕は元〔おお〕いに亨〔とお〕る。貞しきに利ろし。
   往くところあるに用うるなかれ。侯〔こう・きみ〕を建つるに利ろし。」
 (卦辞)

○ 「屯は剛柔はじめて交わりて難生じ、険中に動くなり。
   大いに亨〔とお〕りて貞なるは、雷雨の動き満盈〔まんえい〕すればなり。
   天造草昧〔そうまい〕 、よろしく侯を建つべくしていまだ寧〔やす〕からず。」
 (彖辞)


屯〔ちゅん〕の字は、「一」と「屮」〔サ〕からなります。

地上「一」に雪が積もり、草の芽「屮」が雪の厚く積った下から
必死になって出ようとしているのです。

その雪の重みに耐えかねて“草の芽”が曲っている形です。


上卦の坎は、坎険・水・川・寒・暗。

下卦の震は、動く・進む・伸びる・若芽・蕾〔つぼみ〕。

草木の若芽が伸びようとして、寒気で伸び艱〔なや〕んでいる象〔しょう・かたち〕です。

つまり、この卦は創生の悩み、生みの苦しみの意味です


「天造草昧〔そうまい〕」とは彖辞〔たんじ:本文の解説〕にあることばです。

(草が生い茂っているように)天の時運がまだ明らかでない、
これから開かれようとする時であるの意です。 

=「天下草創」・「草創多難の時期」・「暗黒の時代」。


参考資料              ≪盧:「『易経』64卦奥義・要説版」 p.7引用≫

3.屯 【水雷ちゅん】  は、なやみ、くるしむ

4難卦〔坎水・蹇・困・屯〕、「屯難」


創造・生みの苦しみ、「駐屯」・「屯〔たむろ〕」、滞り行きづまる、
  入門は吉、赤ん坊をそっと(育てる)・幼児教育 
   ・・・ ※ 父母(乾坤)の間に震(巽)の長子が生まれた時 

  ・「天造草昧〔そうまい〕」 (彖辞) 
   ・・・ (草が生い茂っているように)天の時運がまだ明らかでない
      〔これから開かれようとする時〕 =天下草創・暗黒の時代

  ・「屯とは盈〔み〕つるなり。屯とは物の始めて生ずるなり。」(序卦伝) 

    ex. “明治維新”〔幕末から明治政府設立までの動乱・混乱期〕

  上卦の坎は、坎険・水・川・寒・暗。下卦の震は、動・進む・伸びる・若芽・蕾〔つぼみ〕。

  1) 進もうとして前に川がある象
  2) 草木の若芽が伸びようとして、寒気で伸び艱〔なや〕んでいる象
  3) 水=雲 と 雷=雨で雷鳴、雷鳴り雲雨を起こさんとする象。



11 【 地天泰 ☷☰ 】 
  
――  「茅」〔ちがや〕
 (初九爻辞)(象伝) 

○ 「茅〔ちがや〕を抜くに茹〔じょ〕たり
   その彙〔たぐい〕以〔とも〕にす。征〔ゆ〕きて吉なり。」
 (初九爻辞)

○ 「茅〔ちがや〕を抜く、征〔ゆ〕きて吉なりとは、志〔こころざし〕外にあればなり。」 
   (初九象伝)


茅〔ちがや・ち/しげちがや〕はイネ科の多年草。

高さ約60僂如原野に現在でもよく目にすることが出来るものです。

地下茎が横に走って群落を作っています。

そのため茅は、1本を引き抜くとあたりの茅もまとまり連なって、
一緒に抜けてきます
。 注)


「茹〔じょ〕」は草の根が連なること、「彙〔たぐい〕」は仲間のことです。

現代でも、“語彙〔ごい/ボキャブラリー〕”という熟語がありますね。


初九は“陽”をもって陽位に居り、正しい“健”の徳をもった君子の一人です。

正位にして六四(大臣)と応じています。

立派な人が一人登用されると志を同じくした仲間も登用されるということです。

「征〔ゆ〕きて吉なり」とは、志すものが自分一身のことではなく、
外に向かって(外卦)進む、天下国家のために力を尽くそうとするものであるからです。


このことを例えて言ってみましょう。

国を良くしようと思う、志ある立派な人物がいるとします。

彼の周りに集まる同じ志を持った人達と力を合わせ、前進しようとしています。

初九と六四(大臣)と応爻していることから、
この有志の人物の気持ちが六四(大臣)に通じて、登用されます。

そうすると、茅が抜かれるように下卦【乾☰】の二爻三爻も
(五爻・上爻と応じていますので)一緒に登用されます。

つまり(下卦の)三陽が共に上昇してゆくのです。


注)

茅・白茅〔ちがや・ち/しげちがや〕;
  イネ科の多年草。原野に普通。高さ約60僉
  地下茎が横走して群落をつくる。
  春、葉より先に、柔らかい銀毛のある花穂をつける。
  穂を「つばな」「ちばな」といい、強壮薬とし、
  また古くは成熟した穂で火口〔ほくち〕を作った。
  茎葉は屋根などを葺くのに用いた。

(『広辞苑』)

 チガヤ カット : 略 


No. 12 【 天地否 ☰☷ 】 
  
―― 「茅」〔ちがや〕
 (初六爻辞/象伝)/桑〔くわ〕 (九五爻辞) 

○ 「※茅〔ちがや〕を抜くに茹〔じょ〕たり。その彙〔たぐい〕と以〔とも〕にす
   貞なれば吉にして亨る。」
 (初六爻辞)

○ 「茅[ちがや]を抜く、征〔ゆ〕きて吉なりとは、志君にあればなり。」 
   (初六象伝)

○ 「否を休〔や〕む。大人は吉なり。それ亡びなんそれ亡びなん、
   とて苞桑〔ほうそう〕に繋〔かか/つな・ぐ〕る。」
 (九五爻辞) 


※部、【泰】卦の初九と同文で「茅」が登場しています。

【泰】卦との違いは陰陽が逆であることです。

二爻・三爻についても同様です。


初六は陰を以て陽位に居るので位は正しくなく、
才能・道徳の乏しい小人と見なすことができます。

また、【天地否☰☷】の初爻であるので、
天と地の塞がりという悪い状態が深くは進んでいない、ということでもあります。

つまり、悪に深くは染まっていないのです。

九四の“大臣”と応じています。

大臣に誠実に応えて正しい道を守るなら、
その志すところは亨通〔きょうつう〕します。

初六が用いられる時は、他の仲間である下卦【坤☷】の六二・六三の陰爻も
(五爻・上爻と応じていますので)一緒に進むことになります。  


五爻は陽爻で尊位に正位しており、才能・道徳に優れた人物です。

このような大人にしてはじめて、否塞した状態を抜け出し、
一時的にも平穏な状態にすることができるのです。

この爻は、上卦【乾☰】の中爻で塞〔ふさ〕がっている状況は峠を越えているといえます。


さて、五爻には「苞桑〔ほうそう〕」が登場しています。

「桑」は、クワ科の落葉高木、クワ科の総称です。

ヤマグワおよびその栽培品種が最も普通ですが、
中国産の“魯桑〔ろそう〕”も栽培されています。

養蚕〔ようさん〕に葉を刈り取って用いられることでもよく知られていますね。

さて、「苞桑」の解釈については相対照する説があります。


まず「苞」には、
桑の木の“根もと”(=根に近い幹の部分)と解する立場
  (「正義」/高田・後藤『易経』上p.166ほか)と 
桑の木々が“叢〔むら〕がり生える”と解する立場
  (「程伝」/今井・『新釈漢文大系・易経/上』 p.337ほか)
があります。


『易経』で「苞」が登場するのは、ここ一例だけです。

が、ほぼ同時代の『詩経』には「苞桑」・「苞棘〔きょく〕(いばら)」など
多く登場しています。 注1) 

いずれも△琉嫐で用いられています。

△領場では、「桑」の木は深くしっかりと地中に根を張って
群がって生えて一株のようになっています。

それで、どんな大風にも倒れることなく堅牢そのものです。

そんな“むらがり茂る” 堅牢な「桑」の木に繋〔つな〕がれていれば、
安全・安心というものです。

また、,痢蛤もと”〔根元/根本〕は、
“根の部分”と“付け根の部分”の意とがありますが、
根(あるいは根が集まり節くれだったコブ状になったもの)ではなく
根に近い幹の部分(=付け根)に繋ぐと解するのが自然でしょう。

尤〔もっと〕も、“根”でも“付け根”でも“木の元”でも
さしたる違いではありません。

要は、,砲擦茘△砲擦茵
“ガッツリ”(がっちり)とした「桑」の木に繋ぎとめるように、
しっかりと行動せよということです。


以上は、一般的な解釈です。 注2) 

この A.「苞桑」を安全堅固なるものの寓意と見る立場に対して、
B.群生している桑(したがって小木)を柔弱不安なるものの寓意
と見る立場があります。


この B.の立場からすれば、こんな「苞桑」に繋がれているのは、
まことに心許〔こころもと〕ない、頼りない限りだということになります。

この危険極まりない状況を、自ら戒め恐れ慎むことで、
一身も国家社会も平穏が実現するというものです。

○ 「叢生する桑樹を頼りにするに過ぎない状態」 
    (安岡・『易経入門』 p.109)

○ 「一説には包桑を松や杉に比べて弱い枝木の危険なものとしている」
    (鹿島・『易経精義』 p.156)


この A.B.の対照的な解釈は古くからあり、
後世の文章でも両方の意味で引用され使われてきています
。 注3)


九五爻辞: 「否を休〔や〕む。大人は吉なり。
それ亡びなんそれ亡びなん、とて苞桑〔ほうそう〕に繋〔かか/つな・ぐ〕る。」 
は、
例えていえば、国の政治・経済が行きづまり状態に陥った時に、
五爻の大人によってその行きづまり状態を立て直すことができるようなものです。

しかしながら、天下の閉塞〔へいそく: 行きづまり状態〕は、
ちよっと休止している小康状態であるにすぎません。

「苞桑」が、A.B.どちらにしても、油断大敵です。

“亡びるかも知れないゾ、亡びるかも知れないゾ”と思って、
常に自ら戒め、自から省み、恐れ慎むことが大切なのです。


要するに、「治にいて乱を忘れず」で、
いつでも万一の時の用意を怠らないことをおしえているのです。

この「治にいて乱を忘れず」の出典は、実に、ここにあるのです。

○ 「君子はにしてを忘れず、にしてを忘れず、にいてを忘れず
  ここを以て身安くして国家保つべきなり。」
 (『易経』・繋辞下伝)


注1)
「苞桑〔そう=くわ〕」/「苞棘〔きょく=いばら〕」/「苞櫟〔き=くぬぎ〕」/
「苞棣〔てい=庭梅〕」/「苞稂〔ろう=いぬあわ〕」/
「苞蕭〔しょう=よもぎ〕」/「苞蓍〔し=めどぎぐさ〕」/
「苞栩〔く=くぬぎ〕」/「苞杞〔き=枸杞/くこ〕」 etc.
(今井・『新釈漢文大系・易経/上』 p.337)


注2)
鄭玄・王弼・孔穎達・程子・朱子 etc. (今井・ 同上書 p.337)


注3)
盧秀人年先生の、この「苞桑」に関する見解をご紹介しておきますと。

「私は、古代中国の『易経』の象〔しょう/かたち〕として登場する動(植)物の“たとえ話”と
古代ギリシアの『イソップ寓話〔ぐうわ〕』の動物譚〔たん:=物語〕には、
とてもアナロジー〔類似〕を感じます。
謎に包まれた“哲人”である作者の手になる『イソップ寓話』は、
動物に擬〔なぞ〕らえられた生き方の知恵であり、
世界中で現在に至るまで普遍的に愛読され続けています。」


私が、この「苞桑」=“剛強な桑の(大)木”で思い起こしましたのは、
『イソップ寓話』の「樫〔かし〕と葦〔あし〕」の物語です。

日本中・世界中でよく知られているお話ですね。

“剛強な樫の大木〔The Great Oak〕 ”は、
実際には“オリ−ブ〔Olive〕の大木”でしょう
(*『イソップ寓話』は古代ギリシアの作品ですので)が、
大風で吹き倒されてしまいます。

一方、“しなやかで柔弱な葦〔Reed〕 ”は何事もなくやり過ごせました。

「おごるものは常にはずかしめられ、おとなしく謙譲なものはかえって強くなる。
あらゆる美徳の根本は従順と謙譲です。」という教訓です。

『易経』は、“陰陽の思想”と“中〔ちゅう〕”の思想
肝腎要〔かんじんかなめ〕のものです。

“陰・陽”相対(待)論は、いつも“陽”が良くて“陰”が良くない、
というわけではありません。

否、むしろ“陰”の徳のほうが勝〔まさ〕っている場合も多いのです。

この『易経』の“陰陽の思想”を充分に学んでいたと考えられる老子は、
その思想に“陰”の徳をはっきりと打ち出しています。

すなわち、柔弱・しなやかな強さです。

老子「水」を、最高の徳を持つものとして、
己〔おの〕が思想の象〔しょう/かたち〕としました

上善若水〔じょうぜんじゃくすい:上善は水の若し〕」(第8章)と、
水を無為自然、最高の徳(≒道)の象としているのです。
(“不争の徳”/“不争謙下”) 

第78章にも「天下に水より柔弱〔じゅうじゃく〕なるは莫〔な〕し。
而〔しか〕も堅強を攻むる者、之に能〔よ〕く勝〔まさ〕るなし。」とあり(“柔弱の徳”)、
第66章にも「江海の能く百谷〔ひゃっこく〕の王たる所以〔ゆえん〕の者は、
其の善く之に下〔くだ〕るを以て、故に能く百谷の王たり。」とあります。

さて、“陰”・柔弱なるものが勝れているという考えは、
『易経』の物語と『イソップ寓話』に共通していると思います。

が、この「苞桑」に関する記述について言えば、
“陰”のしなやかで柔弱な強さという考えはないように感じられます

それは五爻が“陽”・剛であることと、
爻辞: 「其亡其亡、繋于苞桑。」の全体からみたニュアンスからです。

してみると、“桑”という樹木を剛強とみるか柔弱とみるかで
意味はまったく対照的なものとなってしまいます。

私が考えますに、そもそも剛強なものとして登場ささせるなら、
『易経』が書かれた時代、中国には“桑”でなくても
多くの相応〔ふさわ〕しい樹木があったでしょう。

また、この卦の“象〔しょう〕”としての“桑”も思いつきません。

先述の『イソップ寓話』のお話での、
“樫〔かし〕の大木の原型と思われる“オリーブ”の木も、
一般的には大きい丈夫な木ではないようです。

それでも、樹齢何百年を経た偉容な大樹もあります。

“桑”も然りで、(“ヤマグワ”と分類される一般的なクワは)
元来大きく丈夫な木ではないようです。

叢〔むら〕がっても所詮〔しょせん〕さしたることはないでしょう。

尤〔もっと〕も、桑の大木もあったようです。

文学的書物の中に“桑の大木が登場しています。

例えば、『三国志』(吉川英治)の冒頭部分に、
まだ無名の青年・劉備玄徳(後の蜀の皇帝)の生家の前に桑の巨木があり、
ある老人が「あの樹は、霊木じゃ。此家から必ず貴人が生まれる。」
と予言する箇所があります。
( → *参考資料参照のこと) 

中国産の“魯桑〔ろそう〕”といわれるものは、現在(2015)の我が国でも、
12メートル(樹齢80年)の大樹が紹介されています。

畢竟〔ひっきょう〕するに、「苞桑」・“桑”の木の剛・柔がどちらにせよ、
「其亡其亡、繋于苞桑。」の爻辞の意図するところは明らかです。

それは、『易経』・繋辞下伝に解説されている「治にいて乱を忘れず」で、
いつでも万一の時の用意を怠るなという戒めです。

5爻の陽剛が2爻と“応じている=繋がっている”と考えられなくもありません。

ところで、平和な時こそ危ういものが孕〔はら〕まれているという思想は、
老子によくまとめられています。

老子の運命論は、禍福吉凶に対する循環の理法・運命論です。

それは、“禍福吉凶の循環理法”とでも称されるものです。

つまり、禍福がただ変化し予測し難いのではなく、
禍の中に福の種(因〔もと〕)・兆しがあり、
福の中に禍の種(因〔もと〕)が蔵〔かく〕されているということです。

(「禍福倚伏〔かふくいふく〕」:「禍〔か/わざわい〕は福の倚〔よ〕る所、
福は禍の伏〔かく〕るる所」/『老子』・第58章)


“備えあれば憂(患)〔うれ〕いなし”という慣用句がありますが、
この「治にいて乱を忘れず」の5爻辞の寓意・戒めは、古くて新しいものです。

現今〔いま〕の“平和ボケ”している日本が、心せねばならないことではないでしょうか。」


≪*参考資料: 吉川英治・『三国志』/「桃園の巻・桑の家」p.33、p.43より≫

「『ああ、わが家が見える』

劉備は、驢の上から手をかざした。

春〔うすず〕く陽〔ひ〕のなかに黒くぽつんと見える一つの屋根と、
そして遠方から見ると、まるで大きな車蓋〔しゃがい〕のように見える桑の木

劉備の生まれた家なのである。

   − 略 − 

彼の心を知るか、驢も足を早めて、
やがて懐〔なつか〕しい桑の大樹の下まで辿〔たど〕り着いた。/

この桑の大木は、何百年を経たものか、村の古老でも知る者はない。

沓〔くつ〕や蓆〔むしろ〕を製〔つく〕る劉備の家 ―― と訊けば、
あああの桑の樹の家さと指さすほど、それは村の何処からでも見えた。

古老が云うには、
楼桑村〔ろうそうそん〕という地名も、この桑の木が茂る時は、
まるで緑の楼台のように見えるから、この樹から起った村の名かもしれない

とのことであった。 

   
  ―― 中略 ――


『帰ろうと思って、ここまできたら偉〔えら〕い物を見たよわしは』

『なんですか』

『お宅の桑の樹さ』

『ああ、あれですか』

『今まで、何千人、いや何万人となく、村を通る人々が、
あの樹を見たろうが、誰もなんとも云った者はいないかね』

『べつに』

『そうかなあ』

『珍しい樹だ、桑でこんな大木はないとは、誰もみな云いますが』

『じゃあ、わしが告げよう。あの樹は霊木じゃ。
此家から必ず貴人が生まれる。
重々〔ちょうちょう〕、車蓋〔しゃがい〕のような枝が皆、
そう云ってわしへ囁〔ささや〕いた

・・・・・ 遠くない、この春。
桑の葉が青々とつく頃になると、いい友達が訪ねて来るよ。
蛟竜〔こうりゅう〕が雲を獲たように、
それから此家〔ここ〕の主〔あるじ〕はおそろしく身上が変って来る』

『お爺さんは、易者かね』」

cf. ◎「否泰は其類を反するなり。」 (雑卦伝) :
    【泰】の“外柔内剛”と【否】の“内柔外剛”、先々(近未来)と裏卦(過去)の対応関係


 クワ(桑) カット/写真 : 略 

 桑 【群生・根・切り株】 写真 : 略 

 魯桑〔ろそう〕 写真 : 略 

 オリーブ 写真 : 略 



癸隠 【 天火同人 ☰☲ 】 
  ―― 「野」 (卦辞)(彖辞)/「莽」〔くさむら〕 (九三爻辞・象伝)
 
○「人と同じうするににおいてす。亨る。大川を渉るに利ろし。
  君子の貞に利ろし。」
 (卦辞)

○「同人は柔、位を得、中を得て、乾に応ずるを同人と曰〔い〕う。
  同人に曰く、人と同じうするににおいてす。亨る。
  大川を渉るに利ろしとは、乾の行なり。
  文明にして以て健、中正にして応ず、君子の正なり。
  ただ君子のみ能く天下の志を通ずることを為す。」
 (彖辞)

○「戎〔つわもの〕を〔くさむら〕に伏せ、その高陵〔こうりょう〕に升る。
  三歳まで興らず。」
 (九三爻辞)

○「戎〔つわもの〕を〔くさむら〕に伏すとは敵 剛なればなり。
  三歳まで興らず、いずくんぞ行かん。」
 (九三象伝) 


【天火同人☰☲】 の「同人」とは、人と志を同じくすることです。
(cf.“同志社”・“同人誌”) 

象は、上卦【乾☰】天空と下卦【離☲】太陽とが一体化(=同人)しています

また、◆擺☰】の剛健な行動と【離☲】の文明的な明知は一体化すべきものです。


【同人】は1陰5陽の卦で、5陽が1陰(主爻)に親しもうとしています。

1陰は 2爻の陰位に位し、下卦の中爻を得て中正。

そして、5爻の陽位には陽爻が位し中正。

2爻と5爻は、正しく応じています。

また、2爻は、初爻と3爻のそれぞれに比してもいます。


卦辞: 「同人、においてす」(「同人于野」)「野」は、
広々として広い意味で広大で公平無私、公明正大な心をたとえていると考えられます

広く同士を天下にもとめて、おおいに文明を発揚する象です。


九三の象伝には「戎をに伏すとは敵 剛なればなり」とあります。

九三は陽爻を以って陽位にありますが中庸の徳を欠いています。

下卦【離☲】の極にあるので燃える火の最も激しい面をもっています。

(炎〔ほのお〕は外側が激しく燃えており、中は空虚〔うつろ〕=ガス状です。)


九三と六二は比していますが、六二は九五の君子と親しんで(正応)
九三には親しもうとしません(不比)。

それで九三は、嫉〔ねた〕み武力を持って六二を我がものにしようとしているのです。

九三は武装した兵を「莽」〔くさむら=草むら: 草木が繁茂して暗い場所〕
に潜〔ひそ〕ませ、高い丘に登って探察します。

隙があれば六二を奪おうとします。

しかしながら、(六二と応じている)九五は、
【乾☰】の主爻で位高く勢い盛んであるため、
九三は何年経っても(=「三歳」)兵を興すことができません。

目的を達することが出来ないのです。


cf. ≪ 倭建命〔やまとたけるのみこと〕と草薙剣〔くさなぎのつるぎ〕 ≫

『古事記』・『日本書紀』によれば、倭建命は相模〔さがみの〕国に到った時、その国の造〔みやつこ〕たちに謀られ、野原におびき出され火攻めに合います。三爻は倭建命、二爻は連添う(同人)=弟橘比売命〔おとたちばなひめのみこと〕でしょう。この火攻めに対して、倭建命は、“向かい火”の戦略と神剣・草薙剣(天叢雲剣〔あめのむらくものつるぎ〕)のパワーで焼き退けます。そして、その国の造たちを切り滅ぼし焼きます。 ➝ (焼遺〔やきつ〕の地名の由来とされています。)


16 【 雷地豫 ☳☷ 】 
  ―― “新芽・若木” (卦象から)

○「豫は、侯〔きみ〕を建〔た〕て師〔いくさ〕を行〔や〕るに利ろし。」 (卦辞)


下卦【坤☷】を以て地とし、上卦【震☳】を以て雷とします。 

1)地上に雷が鳴っている象です。“春雷”、地の上に振るい動かす形。春です。

また、 

2)震を、春の芽・若木・蕾〔つぼみ〕とし、地上に新芽が萌え出ている象。春です。

(※ 【雷地豫☷】は、【地雷復☷の雷と地が交替したものです。
【復】は地中に震の芽があり、それが地上に出たものが【豫】と考えられます。)


卦辞の意味は次のようなものです。

冬の大地に春到来し、ものごとのスタートの時です。

人間界では、天下の平定・そのための戦を始める時期です。

この時には、豫〔あらかじ〕め周到な準備とそれに従う衆〔おお〕くの民が必要です。

―― 象で表現しますと。 

3)5陰が1陽(4爻)に随う象です。1陽は、震の主爻で前進する君子です。
  【復】で最下位(初爻)にあったものが、地上に躍り出て衆陰を統率しています。
  時節到来して震が力を振るう象です。


cf.豫の3義 ・・・ (1)あらかじめ  (2)遊び楽しむ  (3)怠る


◆“冬来りなば春遠からじ”(シェリー) は、まだ冬 
  ・・→ 【豫】は“春”の到来、もうしっかり春。 /
 【地雷復】は春が来た、今は“春”。


( 以上 )

第83回 定例講習 特別講義  その5

(こちらは、前のブログ記事の続きです。)

●平成27(2015).4.26 真儒協会第83回定例講習:特別講義 

『 易 と 植 物 PART 2 』 

講義:真儒協会副会長 嬉納禄子(きなさちこ)/ 監修:真儒協会長 盧秀人年(ひでと)


《 はじめに 》 

『易経』の始源〔ルーツ〕は易筮〔えきぜ〕です。

この易筮自体、動物・植物と非常に関連深いものがあります。

といいますのも、易筮には太古“亀の甲”が用いられました。

古来中国では“馬は陽”、“牛は陰”というように
動物を陰陽に分類して捉えました。

が、“亀”は、例外的に陰陽両有の動物とされています。

“四霊”のひとつ“霊亀〔れいき〕”の思想や
“四神”“玄武〔げんぶ/亀と蛇が合体した神獣〕”の思想を生んでいます。

古代中国では“亀”の持つ霊力にあやかって、
その甲羅を熱し亀裂の具合で未来の吉凶を“卜占〔ぼくせん〕”しました。

“亀卜〔きぼく〕”です。

これは政治そのものにも用いられたものです。

中国最古の文字とされている“甲骨文字”は、
(亀の甲や獣の肩胛骨〔けんこうこつ〕に)その占の結果を記〔しる〕したものです。


さて、最重要な事柄は亀甲で占いましたが、亀甲は数の限られた貴重なものですから、
一般の立筮〔りつぜ〕には“蓍〔し/めどはぎ〕” 注1) 
という棒状の植物が用いられました。

(算木に象〔かたど〕られる)陰陽の形は、
その棒状(=陽)とそれを折った形状(=陰)がルーツであるとも考えられています。

この“めどはぎ”の茎50本を用いて占いに用いたものが“蓍〔めどぎ〕”で、
後世、類似の品である“竹”に変わり、
“筮竹〔ぜいちく〕”となって現代に至っています。
 注2)


「亀卜の簡易化が要求されると同時に、農耕本位の社会生活関係もあって、
周代にはいると占ひに蓍〔し〕といふ草の茎が用いられるやうになった。
この草は長寿なもので、百年にして一本に百茎を生ずるといはれる(本草綱目)。
和名めど,或はめどはぎは、菊科に属し、山野に育つ多年生の植物で、
茎は細長くて高さ 60−90センチに達する(牧野博士・日本植物図鑑)。
日本ではこれをかの蓍〔し〕になぞらえへ、筮に用ひた。
蓍は後に竹で代用されることになり、これを策〔さく〕といふ。
今の筮竹〔ぜいちく〕である。
」 
(安岡正篤・『易経入門』 p.54 引用 ※旧字は新字に改めています。)


次に立筮した結果を陰陽の組み合わせで
象〔しょう・かたち〕に顕〔あらわ〕すものが“算木〔さんぎ〕”です。 注3) 

算木の上物〔じょうもの〕は、“黒檀〔こくたん〕”で出来ています。

“黒檀”は、木材の中で最も黒く、堅く、重い 注4) もので、
打つとキーンと金属的な音がします。

西洋でも古くから(ex.『グリム童話』にも)黒く美しいものの“たとえ”として、よく登場します。


このように易筮発生の太初〔はじめ〕から、
易は天然の動物、植物と密接なつながりを持っています。

そして、『易経』の中には、動物に次いで興味深い植物たちが登場しています。

それは『易経』が物語る内容を、よりわかりやすく理解させるための
“たとえ”・“寓意〔ぐうい〕”として登場させているのでしょう

『易経』が書かれたころの当時は、皆おなじみの個性豊かな植物だったに違いありません。

今から3500〜4000年(?)以前の古代中国と現代との、時間と空間を超えて、
『易経』に登場する植物についての研究・考察を試みたいと思います。


―― 本講義は、盧先生のご指導のもと、
『易経』にみられる“象〔しょう/かたち〕”としての植物を読み解くことに、
ささやかなアプローチを試みたものです。


注1) 
山野に自生するマメ科の多年草で、その茎を占いに用いました。(『漢語林』)

注2) 
私共、盧先生の流派では専〔もっぱ〕ら筮竹を用いて立筮しますが、
当世は“八面賽〔サイ〕”での立筮が(特に関西では)一般的になっています。
この“八卦”の文字を記した“八面賽”の素材も本来は“象牙〔ぞうげ〕”で出来ています。

注3) 
数学は昔、“算術”・“算数”と称していました。
興味深いことに、その“算”は、この“算木”の“算”です。
つまり、数学のルーツは易学であったということですね。

注4) 
“黒檀”は、比重1.0を超えており、従って水に沈む木です。
“黒檀”以外の素材では、「紫檀〔したん〕」や「桜」が用いられています。


《 『易経』(本文中心)に登場する植物たち 一覧 》

“草の芽”/「天造草昧」 〔そうまい〕

【屯】 の卦意から /彖辞

「茅」 〔ちがや〕

【泰】初爻/象伝・ 【否】初爻/象伝

「包桑」 〔ほうそう〕

【否】5爻

「野」 ・ 「莽」 〔くさむら]

【同人】卦辞/彖辞 ・ 3爻 /象伝

“新芽・若木”

【豫】の卦象から

「棟木」 [むなぎ]

【大過】卦辞/彖辞

「白茅」 〔はくぼう〕

【大過】初六 /象伝

「枯楊」 〔こよう〕・「稊」 〔ひこばえ〕・「華」

【大過】2爻・ 5爻

「叢棘」 [そうきょく]

【坎】初爻

「百穀草木」

【離】彖辞

「莧陸」 [けんりく]
*やまごほう〳*ぬめりひゆ

【夬】5爻

「杞柳」 [かわやなぎ]*おうち

【姤】5爻

「蒺藜」 [しつれい]*とげいばら/
「葛藟」 [かつるい] *つる草

【困】3爻・上爻

「蔀」 [しとみ]

【豊】2爻、4爻,6爻

“竹”

【節】の卦意から


≪ 主要参考文献 ≫

●『易経六十四卦解説奥義』 盧秀人年
●『易経入門』 安岡正篤 (明徳出版社)
●『新釈漢文大系・易経 上・中・下』 今井宇三郎 (明治書院)
●『易経精義』 鹿島秀峰 (神宮館)
●『易経』 公田連太郎 (明徳出版社)
●『中国古典選 易 』 本田済 (朝日新聞社)
●『易経講座 上・下』 本田済 (斯文会)
●『易経 上・下』 高田真治・後藤其巳 (岩波書店)
●『牧野・日本植物図鑑』 牧野富太郎 (北隆館)


※ この続きは、次の記事に掲載いたします。


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第83回 定例講習 特別講義  その4

(こちらは、前のブログ記事の続きです。)

§6.【山火賁 ☶

○ 晩年  《病》 / 沈む太陽 ( − ) / 人生のたそがれ

【賁】は、(季節のめぐりでいえば)秋のかざり。
樹木も紅葉して一番の輝き

cf.「秋は夕暮れ。夕日のさして山の端〔は〕いと近うなりたるに、
   烏〔からす〕の寝どころへ行くとて、
   三〔み〕つ四〔よ〕つ、二つ三〔み〕つなど飛び急ぐさへあはれなり。/ 
   まいて、雁〔かり〕などの連ねたるが、いと小さく見ゆるはいとをかし。」
   (『枕草子』)

*「をかし」:理知的に感じる情趣や、視覚・聴覚などで
       客観的に興味深く捉〔とら〕えた美を表します。

 「あはれ」:「ああ、はれ」と心からの感嘆の声が語源です。
       しみじみと心に深く感じる風情〔ふぜい:情緒や美〕を表します。

《夕日の象 考》 ―― 
   「夕焼けこやけで日が暮れて・・・」 (中村雨紅) 
   「夕日」
(葛原しげる)

《高齢者 考》  ―― 
   「唄をわすれた金絲鳥〔かなりや〕は/後の山に棄てましょか/
   いえいえそれはなりませぬ ・・・」 (西条八十)

♪♯♭
 夕日のががやきに想う → 晩年を賁〔がざ〕る=かがやかす 


「夕日」の歌詞は、葛原しげる が作詞をした当初は「きんきんきらきら」でした。
小学校2年生の長女に「ぎんぎんぎらぎら」でしょうと言われて
変更したというエピソードが伝わっています。

“かがやく美しさ”か“強い生命力”がイメージされるかの差かナ、と思ったりします。

どちらにせよ、私には、“人生のたそがれ(晩年)を賁〔がざ〕る”ことと
沈み行く夕日の輝き・煌〔きら〕めきが重なります。


♪ ≪ 「 夕日 」 ≫ ♭   
          詩:葛原しげる  作曲:室崎琴月

ぎんぎんぎらぎら 夕日が沈む
ぎんぎんぎらぎら 日が沈む
まっかっかっか  空の雲
みんなのお顔も  まっかっか
ぎんぎんぎらぎら 日が沈む


♪♯♭
 超高齢社会と「かなりや」の歌詞 に想う 

作詞をした西條八十〔やそ〕が、日々の生活に追われ、
株取引に明け暮れる自分自身を責めて作ったという裏話が伝わっています。

“歌を忘れたカナリヤ”は、自分自身の投影〔とうえい〕ということです。

「いえいえ、それはかわいそう」というのは、奥さんの口癖だったそうです。

―― それはそれとして、私にはこの「かなりや」の歌詞の文言が、
進展する現代超高齢社会への警鐘〔けいしょう〕の言霊〔ことだま〕に想われてなりません。

“歌を忘れたカナリヤ”は“老いて活力と徳を失った高齢者”です。

歌を忘れたカナリヤ = 高齢者、在宅介護のあり方を考えさせられます。

現在、介護保険制度の問題、社会保険庁のズサンさ、
後期高齢者「冷遇」などが問われています。

日本の、少子高齢社会は着実に進展し続けています。


● 少子高齢社会の進展/ユニバーサルデザイン、バリアフリー/
  QOL/高齢者とそのボランティア活動/精神世界の重要さ/
  「高い席にいる人は金を出せ、安い席にいる人は拍手をおくれ」
  経済的基盤に支えられた福祉・文化国家の必要性


≪ 「かなりや」(「歌を忘れたカナリヤ」) ≫ ♭ ( 1918・大正7 )

       詩:西條八十〔やそ〕  作曲:成田為三
          *「ヤ」は「ア」とも表記します。原詩は「ヤ」。

 ★ 参考 ―ー “ かなりや ” 

  「 歌(唄)を忘れた 金絲雀〔かなりや〕は
        後〔うしろ〕の山に棄〔す/捨〕てましょか

    いえいえそれはそれはかわいそう

    歌を忘れた 金絲雀〔かなりや〕は
        背戸の小藪〔こやぶ〕に埋〔い〕けましょうか( 埋めましょうか )

    いえいえそれも(は)なりませぬ

    歌を忘れた 金絲雀〔かなりや〕は
        柳の鞭で ぶちましょか

    いえいえそれはかわいそう

    歌を忘れた 金絲雀〔かなりや〕は
        象牙の船に 銀の櫂〔かい〕

    月夜の海に 浮かべれば   忘れた歌をおもいだす 」


★参考資料  ≪◎ブログ【儒灯】 「盧先生・還暦祝の会」: 2014.11.23. より≫

次に、私の好きな卦の一つであります【山火賁〔さんかひ〕 ☶☲】の卦についてお話したいと思います。

【山火賁】は、“かざる・あや”、知識・教養で身を賁〔かざ〕るという意味です。

象〔しょう・かたち〕をみてみますと、山【艮☶】の下に火=太陽【離☲】ある象ですから、
山に沈まんとする太陽(夕陽・夕映え・有終の美・衰退の美・)の卦意です。

人生〔ライフステージ〕でいえば晩年、晩年の煌めきの卦ですね


ところで、シャレではありませんが、朝日新聞の調査で
“朝日”と“夕日”とではどちらが好きですか? というのがありました。

易卦で“朝日”はさしずめ【地風升〔ちふうしょう〕 ☷☴】、
“夕日”は【山火賁 ☶☲】でしょう。

皆様はどちらがお好きですか? 

調査結果は、“朝日”が30%、“夕日”が70%というものでした。

沈み行く“夕陽(太陽)”の最後の煌〔きら〕めきは、
何にもまして荘厳で美しく感じられます。

夕暮れ時を“たそがれ〔黄昏〕”(時)といいます。

私は、遙〔はる〕かな若い頃から、何かの本で用いられていた“神々のたそがれ” 補注) 
という言葉が、何とはなしにですが好きでした。

“人生のたそがれ”“賢者のたそがれ”を、何とも美しくイメージしているのです。

わが国では、超高齢社会が進展しておりますが、
この晩年・“人生のたそがれ”を【山火賁】卦=夕陽の美しさに重ねて、
輝いたものにしたいと切に願っております。

“美”とは“徳”が象〔かた〕どられたものです。

現代は、道義が廃〔すた〕れて、急速に後退〔あとずさ〕りしているような時勢です。


人生の終〔しま〕いを、晩節を、美しく賁〔かざ〕りたいものです。


補注)

R.ワグナーの楽劇四部作「ニーベルングの指輪」:ジークフリート/
神々のたそがれ/ラグナロフ



★参考資料  ≪盧:「『易経』64卦奥義・要説版」 pp.22‐23引用≫

No.22. 賁 【山火ひ】  は、かざる・あや。 

高根流 高齢社会の卦
盧流 日の7(8)卦 〔(離火)・升・晋・豊・大有・旅・賁・明夷〕

● “文化の原則” は、知識・教養で身をかざること、本当のかざりは躾〔しつけ〕、
   晩年・夕日・有終の美、衰退の美・“モミジの紅葉”・・・もみじ狩り(=愛でる)、
   “賁臨”、やぶれる・失敗する / 人生のたそがれ

   cf. 「火」と「石のカケラ」から文化・文明はスタートした。(by. 高根) 

   ・ 「天文を観て以て時変を察し、人文を観て以て天下を化成す。」(彖伝)
    文明(離)の宜〔よろ〕しきに止まる(艮)のが人文
      人文を観察して天下の人々を教化育成すべき

   ・上爻辞: 「白く賁る。」“白賁・・・美の極致、あや・かざりの究極は「白」・“素”
        (1)すべての光を反射する 
        (2)なにもない(染まっていない・白紙・素)
   ※ インテリアC、カラーC、福祉住環境C・・・の卦/高齢社会の卦 (by.高根)

■ 上卦 艮山の下に下卦離。 
   1)離の美を止めている象。 
       →  文明(離)の宜〔よろ〕しきに止まる(艮)のが人文。・・・・
   2)山下に火ある象。山に沈む太陽(夕陽・夕映え・晩年にきらめき)。
   3)下卦離は、1陰を2陽でおおい隠し、上卦艮は2陰を1陽がおおっている象。
     共に表面を飾っている。
   4)“門内美を競うの象”(白蛾)・・・外卦艮を門とし、内卦離を美・競うの意。
     離火は、上り艮はストップで争い競うの意。
   5)“明 遠きに及ばずの意”(白蛾)・・・艮山の下に離の太陽、斜陽の象。

○ 大象伝 ;
「山下に火あるは賁なり。君子以て庶政を明らかにし、あえて獄を折〔さだ〕むることなし。」

(上卦艮山の下に離火がある象が賁です。君子は、〔離火の徳にのっとって〕もろもろの政〔まつ〕り事を美しく明らかなものとし、また〔艮山の徳にのっとって〕、あえて軽々しく裁判をし断を下し処罰するようなことはしないのです。)

   cf.安政の大獄(1858−59):井伊直弼/吉田松陰・橋本佐内ら死刑
      蛮社〔ばんしゃ〕の獄(1839):洋学者弾圧事件/
                         渡辺崋山・高野長英ら処罰(自刃)

   ≪孔子と易筮≫: 
    「孔子嘗て自ら筮す。其の卦賁を得。愀然〔しゅうぜん〕として不平の状有り。・・・」 

    (『孔子家語』)



§7.【地火明夷 ☷

○ 死・衰・絶と胎 《死・墓・絶》《胎》 / 暗黒時代
  /人生の終焉〔しゅうえん〕と“一〔いつ〕なるもの”
  =“受け継がれるもの”(DNA、ミーム) 
 

※平成の現代日本が向かっているところ【明夷】/
 啓蒙 の必要;“蒙”は“くらい”、“くらきをてらす(ひらく)” ・・・ 
 かつては“あたまがくらい” ので“理性(知性)”の光でてらす、
 今は “心がくらい”ので“徳”の光でてらす


★参考資料  ≪盧:「『易経』64卦奥義・要説版」 pp.34‐35引用≫

No.36.明夷 【地火めいい】 は、明るいもののやぶれること

遊魂八卦、
盧流 日の7(8)卦 〔(離火)・升・晋・豊・大有・旅・賁・明夷〕

● 地中の太陽、“君子の道 閉ざされ、小人はびこる”、夕暮れ、夜の卦

  cf. “天の盤戸〔いわと〕開き”、ヨーロッパ中世の“暗黒時代” 
           ―― ルネサンスで復活、「地雷復」の卦

  ※ 今の時代 = 徳のない時代、蒙〔くら〕い時代  (盧)


■ 地(坤)中の太陽(離)にて、正しきものが 傷つけられ やぶられる。夜の象。
 正論の通らぬ時代。“暗黒時代” 。


○ 大象伝;
「明の地中に入るは明夷なり。君子以て衆に莅〔のぞ〕み、晦〔くら〕きを用いて(しかも)明らかなり。」

(離明が地中に入っています。この象にのっとって、君子は 衆民に臨むにあたり、あまり細かいことに立ち入らず、聡明さを隠しておき 衆民を親しませます。それでいて、内には 明徳・明察を失わないようにするのです。)

  ※ 晦〔くら〕い処にいて、明るい方をみれば、すべてが はっきり見えます。
    自分自身は、目だたぬようにしましょう。

  cf.馬鹿殿 (馬鹿になれる殿 = 名君)、
    班超(―― 細かいことは言わぬ。 “虎穴にいらずんば虎子を得ず”)



( 以上 )


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第83回 定例講習 特別講義  その3

(こちらは、前のブログ記事の続きです。)

§2.【火地晋 ☷】 

○ 青年 《長生》/地上進み行く太陽 (10代後半〜)  
  晋=進む / 人生の上り坂


★参考資料  ≪盧:「『易経』64卦奥義・要説版」 p.34引用≫

No.35.晋 【火地しん】 は、すすむ

三吉卦、遊魂八卦、
盧流 日の7(8)卦 〔(離火)・升・晋・豊・大有・旅・賁・明夷〕

● 地上(真上)の太陽、中年壮年、昼、晋(すすむ)・進め(5爻)、 
  4爻 大ネズミ登場(鼫鼠;〔せきそ〕、 384爻のうち最悪人の意)


cf. 人名 ・・・ 安倍晋三 (元・現)総理・安倍晋太郎 父子、 高杉晋作

■ 地(坤)上の太陽(離)にて、太陽が地を照らしている象。
  臣下が、大明・明徳の天子(君主)に 付き従う象意。


○ 大象伝;
「明 地上に出づるは晋なり。君子以て自ら明徳を昭〔あきら〕かにす。」
(離明の太陽が、昇り進んで 地上を照らしています。この象のように、君子は、自らが持っている明徳を輝かせるよう努めるのです。)

cf. 「大学の道は 明徳らかにするにあり」 (『大学』)



§3.【雷火豊 ☳】  

○ 壮年 《冠帯・建禄》 /豊大な太陽 (30代半〜40代後半)
  /人生の盛り


★参考資料  ≪◎ブログ【儒灯】 「謹賀甲午年」: 2014.3. より ≫

昨年の干支、癸・巳は【水火既済】卦でした。

今年の「甲・午」は【雷火豊☳☲】卦、先天卦は【火天大有☲☰】となります。

【雷火豊】卦は、中天に輝く太陽、豊大に富むの意です。

先天卦の【火天大有】も太陽が天上に輝く象〔しょう・かたち〕で、
“大いに有〔たも〕つ”・豊かで盛運の意です。  ※(→資料参照のこと

【豊】卦大象伝には、「君子以て獄を折〔さだ〕め、刑を致す。」
(君子は、まず下卦の明徳・明知をもって〔訴訟の〕正邪曲直を正し裁定し、
上卦震の行動をもって罪有る者には刑罰を執行するのです。)とあります。

【大有】大象伝には、「順天休命」;
「君子以て悪を遏〔とど〕め善を揚げて、天の休〔おお〕いなる命に順う。」
(君子は、悪に対しては刑罰をもってこれを防ぎ止め、
善に対してこれを称〔たた〕え揚げ賞し登用するのです。

このようにして、 天の真に善にして美しい命に順うようにつとめるのです。
〔為政の道ばかりでなく、修身の道もまた然りです。〕)


私、想いますに、平成の今わが国は、真の“豊かさ”とは何か?
“豊かな社会”とは何か?
 を省みる必要があります。

まず、一般にいわれている“経済的豊かさ”についても、
ほんとうに豊かな社会といえるのか疑問です。

例えば、(900兆円を超す)借金大国、少子(超)高齢社会の進展、
少子なのに父の収入だけでは生活できない、
ワーキングプアー・ニート・フリーターの増大、
(年間3万人を超す)自殺者、(経済的)格差社会 ・・・ etc. 

そして、何よりも“心の貧しい国”〔マリア・テレサ〕です。

例えば、拝金主義・利益至上主義・利己主義の蔓延、
道徳の忘却、思いやり(=“仁”・“恕”・“愛”・“慈悲”)のなさ、
いじめの日常化、親子・家庭関係の崩壊、教育の形骸・貧困化 ・・・ etc.  
─── こころ・精神の“豊かさ”の再生が確かに望まれています。


英語の“RICH/リッチ”にも、
(1) たんに“貨幣〔かね〕持ち”という意味と 
(2) “(精神的・智的)豊かさ”の二つの意味がありましたね。

(“POOR/プアー”にも同様に、(1)たんに“貨幣〔かね〕がない”という意味と 
 (2)“(精神的・智的)貧しさ”の二つの意味があります。)


易象〔えきしょう〕の【離・火☲】
(【雷火豊☳☲】卦の【離・火☲】、【火天大有☲☰】卦の【離・火☲】)も、
明知・文化文明であると同時に
中身が(“陰”で)空虚・虚偽・見かけ倒しの二つの意味があります。

心しておきたいことだと想います。



★参考資料  ≪盧:「『易経』64卦奥義・要説版」 p.46引用≫

No.55. 豊 【雷火ほう】 は、

盧流 日の7(8)卦 〔(離火)・升・晋・豊・大有・旅・賁・明夷〕

豊大に富む、人生のまっさかり
※ 「豐」の字義 : 豆の字は 神前に供物を捧げる器具、
  上部は 山に木がたくさん茂っている象で、山のようにお供えを盛っている形です

■ 卦象は下卦離火・上卦震雷。
1)雷がとどろき、稲妻が光る象。 (音と光で豊大の極)
2)十分に出来た女性(離の中女)が
  立派に出来上がった男性(震の長男)に寄り添った象。
3)卦徳では、離は文(明徳・明知)、震は武(活動・行動)にて
  “文武両道”・盛大。

○ 大象伝 ;
「雷電みな至るは豊なり。君子以て獄を折〔さだ〕め、刑を致す。」

(雷鳴と電光が共に至るのが豊の卦象です。このように、君子は、まず下卦の明徳・明知をもって〔訴訟の〕正邪曲直を正し裁定し、上卦震の行動をもって罪有る者には刑罰を執行するのです。)
 



§4.【火天大有☰】

○ 中年 《帝王》 /沖(冲)天の太陽 (50代半〜60代前半)
  /人生のまっ盛り


★参考資料  ≪盧:「『易経』64卦奥義・要説版」 p.15引用≫

No.14. 大有 【火天たいゆう】  は、大いに有〔たも〕つ

3大上爻  〔大有・大畜・漸〕、帰魂8卦
盧流 日の7(8)卦 〔(離火)・升・晋・豊・大有・旅・賁・明夷〕

● 中天の太陽、天佑あり、順天休命 (大象) /人生のまっ盛り
易は、陰を小 陽を大とする。大有は、陽を有つ意(=盛大)。
(大いに有つと、大いなるものを有つの意)

・ 2爻 : 「大車以て載〔の〕す。」・・・
      A)ロールスロイスに財宝を山と積むようにーー。
      B)重荷を積んでゆくようにすればーー。 「積中不敗」(象伝)
       cf. 「人の一生は、重荷を負うて遠き道を行くが如し。・・・ 」(徳川家康)

・ 上爻:「天よりこれを祐く。」・・・天の配剤、384爻中の最良

■ 下卦 乾天の上に、上卦 離火(=太陽)。

1) 日、天上に輝く象。
2) 1陰 5陽卦 :5爻の1陰の天子は、大有の主爻。
  また、離の主爻。陽位に陰爻あるは柔和な徳。
  離の明徳と中庸の徳を兼備し、正応・正比。
  他の 5陽の剛健な賢臣たちが随従している象。
  心を1つに集めている象。

 離の中爻の陰は、離の主爻であり中徳を持つ。
  なぞらえれば、離=炎 の中心は、虚にして暗く燃えていない、陰です

○ 大象伝 ;
「火の天上に在るは大有なり。君子以て悪を遏〔とど〕め善を揚げて、
天の休〔おお〕いなる命に順う。」

(離火が、乾天の上にあるのが大有です。離の明知・明徳と乾の断行です。この象にのっとって、君子は、悪に対しては 刑罰をもってこれを防ぎ止め、善に対してこれを称〔たた〕え揚げ賞し登用するのです。このようにして、 天の真に善にして美しい命に順うようにつとめるのです。〔為政の道ばかりでなく、修身の道もまた然りです。〕)



§5.【火山旅 ☶】  

○ (初)老年  《衰》  /移りゆく太陽 (60代後半〜)
  / 覚(悟)りへの道程・“うつろう精神のともしび”(盧)


No.56. 旅 【火山りょ】 は、旅立ち

盧流 日の7(8)卦 〔(離火)・升・晋・豊・大有・旅・賁・明夷〕

● 修行の旅、行かねばならぬ旅、孤独な旅人  ※「旅」=進む道の意
  芸術・学術・医術など精神的のことは吉

cf.  杜甫、松尾芭蕉〔ばしょう〕・『奥の細道』、 留学 ・・・・ 空海ら(遣唐使節)
   坂本竜馬 :“人の言うにまかせよ、我行く道は我のみぞ知る”

■ 下卦 艮山で上卦 離火。 
1)山上の火が燃え移って一ヶ所に止まらぬ象。
2)山をめぐって太陽が移り進む象。
3)豊が幽居の象であるのに対して、旅は郷里を離れた外遊の象。
4)下卦艮から上卦離に向かうから、朝から日のある中〔うち〕に旅行する象。
5)止まって(艮)明に麗く(離)から、日暮れになれば、灯火・明らかな館に宿泊する象。
  だから、「小しく亨〔とお〕り、貞なれば吉。」(卦辞)

○ 大象伝 ;
「山上に日あるは旅なり。君子以て明らかに慎んで刑を用いて獄を留めず。」

(艮山の上に離火があり、燃え移り久しくは留まらないのが旅の卦象です。また、離の明知・明察と艮の断行を意味しています。これにのっとって、君子は、刑罰には明察をもって 慎重の上にも慎重を期し、裁くべきは裁き 訴訟を留めておくようなことはせず、断行するのです。)

cf.(2009現在) 死刑判決確定後の再審請求により(DNA鑑定などで)、無罪(冤罪)となる場合が問題となっています。また、長い期間の審議・裁判も問題です。(高根)



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第83回 定例講習 特別講義  その2

(こちらは、前のブログ記事の続きです。)

“日の易卦”  ―― ライフステージ・《十二運》

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【地風升 ☷☴】  

○ 誕生(幼少年)/昇る太陽  
  《養
〔よう〕

升=昇る/「階〔きざはし〕に昇る」/日の出/
(天照大神〔アマテラスオオミカミ〕)天の岩戸開き/
明/「明明徳」/白・素/ファーストスター
cf.ヘミングウェイ『日はまた昇る』、
   “朝の来ない(日の昇らない)夜はない”


【火地晋 ☷】  

○ 青年/地上進み行く太陽 (10代後半〜)  
  《長生
〔ちょうせい〕   

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晋=進む/地上の太陽/
善きも悪しきも、ともに進むの意なので注意


【雷火豊 ☶】  

○ 壮年/豊大な太陽 (30代半〜40代後半)  
  《冠帯
〔かんたい〕・建禄〔けんろく〕》 

人生の真っ盛り/“犬にも盛んなる時あり”


【火天大有☰】  

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○ 中年/沖(冲)天の太陽 (50代)  
  《帝王
〔ていおう〕》 


【火山旅 ☶】  

○ (初)老年/移りゆく太陽 (60代)  
  《衰
〔すい〕》 

山々を移りゆく太陽(/移りゆく陽ざし)


【山火賁 ☶】  

○ 晩年/ 沈む太陽 (60代後半〜)  
  《病
〔びょう〕 

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“超高齢社会”とその進展(日本、中国も)

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【地火明夷 ☷】  

○ 死絶と胎/暗黒時代  
  《死〔し〕・墓
〔ぼ〕・絶〔ぜつ〕》《胎〔たい〕
 
暗黒時代・地球のウラ(の太陽)/
(天照大神〔アマテラスオオミカミ〕)天の岩戸がくれ/
終始・始まり/“循環の理”/黒・玄/
西洋;“暗黒時代”から “ルネサンス”へ(死んでから再生・復活)




§1.【地風升 ☷☴】  

○ 誕生(幼少年) 《養》 /昇る太陽  ※ 升=昇る

♪♯♭
 “日の出”の“元の気”に想う   ≪ 「朝だ元気で」 ≫ 

朝こそすべて、夜型人間 朝早起き 「早起きは三文の得」
教育の職場も残業でダラダラと遅くなっていますが、“朝早く”にすべきです。
  のぼる=昇る・登る・上る

♪ ≪ 「朝だ元気だ」 ≫ ♭  詩:八十島 稔 / 作曲:飯田 信夫

【戦後改訂版】                     
朝だ朝だよ  朝日がのぼる
空にまっかな  日がのぼる
みんな元気で  元気で起きよ
朝はこころも  からりと晴れる
あなたもわたしも  君らも僕も
ひとり残らず  起きよ朝だ


【戦前の原曲】
朝だ朝だよ  朝日がのぼる
燃ゆる大空  がのぼる
みんな元気で  元気で起〔た〕てよ
朝はこころ  きりりとしめて
あなたもも  君等も僕も
ひとり残らず  そら起て朝だ


cf.「春はあけぼの*。やうやう白くなりゆく、
   山ぎは少しあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。」
   (『枕草子』)

→ *部に「いとをかし」が省略されているとして
  「春は明け方がすばらしい」と訳すのが一般的です。


★参考資料  ≪盧:「『易経』64卦奥義・要説版」 p.40引用≫

癸苅供ァ‐ 【地風しょう】 は、のぼる  

3吉卦 (晋・昇・漸)、
盧流 日の7(8)卦 〔(離火)・升・晋・豊・大有・旅・賁・明夷〕

高根流 “日の卦”

順を追って昇り進む、昇天、先祖を祭って開運、「南征して吉」 (卦辞)
  5爻辞 「貞しければ吉なり。階〔きざはし〕に昇る。」(女性 “玉の輿”)

下卦 巽風で、上卦 坤地 
1)巽風はまた木、木が地中から生長・大きくなる象。向上発展。
2)また、地中の巽木は 木の根であり芽です。3・4・5爻に震があり、
  その芽が 震の伸長発展の気をもって 上に昇り進む〔生長していく〕象。
3)卦徳、下卦巽は謙遜、上卦坤は柔順。
  謙遜に柔和して正道に従って高位に昇る(出世する)ことが出来ます。

・2爻と3爻、中庸の徳あり、正位正応

○ 大象伝 ;
「地中に木を生ずるは升なり。君子以て徳に順〔したが〕い、小を積みて以て高大なり。」

(坤地の中に巽木が生じて生長発展して大きく上昇していく象。このように、君子は、〔木が時に従い、天に従って生長することを悟り〕自ら慎んで、徳を修め徳に従うことに心がけ、小さな善事・小さな才徳を積み重ねて高大なものに到達するように努めるのです。)


※ この続きは、次の記事に掲載いたします。


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第83回 定例講習 特別講義  その1

《 あらまし 》

平成27年(2015)春、4月。

年度当初の真儒協会・定例講習(第83回)が、
恒例どおり“特別講義”の形式で行われました。

本年、「乙・未〔きのと・ひつじ/おつ・いつ、び・み〕 は、
私(盧)にとりまして、“還暦”を経てふた回り目の暦の初年度です。

“(運)命学”にいう “運気最高潮の大運〔たいうん:10年運〕”を生きている自負、
歳重〔としがさ〕ねの想いも新たに、気力充実の講義をいたしました。


“特別講義”は、会長の私(盧)が 1.「“日の易卦”に人生を想う」
副会長の嬉納禄子〔きなさちこ〕女史が 2.「易と植物(Part供法廖
のテーマで、講義をいたしました。

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cover_01

また、“ティーブレイク”を利用して、
恒例の“「干支色紙」の授与”を行いました。

今年の十二支の「未」を「羊」の文字で
私(盧)が、藤原行成〔ゆきなり〕の風〔ふう〕で書いたものです。

受講生全員に好みの色紙を選んでもらい、
その場で筆〔ふで〕記名し授与いたしました。

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熱心に学ばれた二名の方には、記念の額装書色紙の贈呈も行いました。

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―― 善き年度始めの講習でした。

“特別講義” レジュメは以下のとおりです。



◎真儒協会第83回定例講習:特別講義

平成27(2015).4.26 

「 “日の易卦”に人生を想う 」

―― 【離 ☲】=日・太陽/
    “日の易卦”=(【升】)・【晋】・【豊】・【大有】・【旅】・【賁】・【明夷】/
    少子化・♪「朝だ元気だ」/超高齢社会・♪「 夕日 」♪「かなりや」/ ―― 

真儒協会会長: 盧 秀人年

《 はじめに 》  

月(陰)が沈み太陽(陽)が昇る、太陽(陽)が沈み月(陰)が昇る。

これは、なんと日常的にして壮大な、自然の陰陽の交代と循環なのでしょう! 

新しい視点として、
この自然界(太陽)の“時の推移・廻り”を象〔しょう/かたち〕とする易卦と
現代の“人生の段階〔ライフステージ〕”を重ねて想いを馳〔は〕せてみたいと思います。


64卦で【離 を含む卦は、
上卦で 8卦( 14【大有】・38【睽】・30【離火】・21【噬嗑】・50【鼎】・64【未済】・56【旅】・35【晋】 )、
下卦で 8卦( 13【同人】・49【革】・30【離火】・55【豊】・37【家人】・63【既済】・22【賁】・36【明夷】 ) です。

30【離火】は、重卦〔じゅうか〕ですのでダブっています。

それらの中で、太陽の運行と人生の段階〔ライフステージ/ライフサイクル〕
を結びつけて“日の易卦”といたしました

すなわち、【晋】・【豊】・【大有】・【旅】・【賁】・【明夷】 がそれです。

これらに、“日が昇る(日の出)”の意味で、
人生行路のスタートとしての【地風升】を加えました。

(※【離火】は“太陽=日”そのものです)

→ 【升】 → 【晋】 → 【豊】 → 【大有】 → 【旅】 → 【賁】 → 【明夷】 →


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《 【離為火】=太陽/日》

【離火 ☲】

たかね研究 : 「美しい国 日本」(安倍晋三 政権)・・人の徳と「離」の文化
      cf. 「美」・・・美〔よ〕い(美子〔よしこ〕)/【離火】も
          太陽の動き(変遷)を若干描いてはいる


★参考資料  ≪盧:「『易経』64卦奥義・要説版」 pp.29‐30引用≫

癸械亜ァ[ゲ弌 擇螳戮】  は、麗〔り〕。

8重〔じゅん〕卦、重離

● 火また火、つき離れる、太陽、聡明・美、九紫火性、“日はまた昇る”
     ・・・日の昇らぬ明日はない
   ※ 火は何かに“ついて”初めて炎上する(cf.発火の3要素:モノ・酸素・温度)
    人も何に(正しき)に、誰につき従うかが大切
       ex.秀吉→ 今川義元から織田信長へと離れついた
   ・ 「日月は天に麗〔つ〕き、百穀草木は土に麗く。重明以て正に麗けば、
     すなわち天下を化成す。」
 (太陽・月は天につき、あらゆる穀物草木は
     土についています。離卦は、火であり明であり重離・重明です。
     君臣共に明智をもって、正しいものにつくことによって、天下のあらゆるものが
     化育され生長するのです。〔天下万民も教化・育成されるのです。〕)
   cf.“人の心の火の用心” (真瀬中州) / “一灯照隅。万灯照国”
     (安岡正篤・関西師友協会) / 文化・文明の源は「火」と「石のかけら」 (高根)
 ※ 2つの徳性(安岡氏):(1)明暗、心を明るく (2)清潔、浄不浄 
                    ・・・ 心に(の)太陽を!離の徳?(高根)

■ 火また火、重離、重明。
   1) (坎水と逆に)2爻と5爻が陰(柔順中正)。
     炎の中心は暗い(温度も低い、燃えていないガス状態) 
      ―ー 心を空しくして明を継ぐ。
     2爻の美徳 ---- 陰位に陰爻で正しく中庸の徳あり、「柔、中正に麗く」(彖伝)
   2) “雉 網中に罹〔かか〕るの象”(白蛾)
       ・・・内卦の離を雉とし外卦の離は網とする。雉も網も離の象。

○ 大象伝 ;
「明 両〔ふた〕たび作〔おこ〕るは離なり。大人以て明を継ぎ、四方を照らす。」

(“日はまた昇る”で、太陽は明日も昇る。上・下卦共に聡明・明らかな象です。徳のある大人・君子は、この象にのっとって、先人代々の明徳を継承しその明徳を日々新たにして、四方を(徳の光で)明るく照らす万民の光となるのです。)

   「明」を継ぐに「明」をもってするの美   cf. 「明明徳」

 ( 補 )
  ・ 「元始、女性は実に太陽であった。真正の人であった。今、女性は月である。
    他に依って生き、他の光によって輝く、
    病人のやうな蒼〔あお〕白い顔の月である。 ・・・・・」 
     (平塚らいてう、『青鞜』発刊の辞 1911.)
  ・ 「文明とは人の身を安楽にして心を高尚するをいうなり。」 (『文明論之概略』)
  ・ 「文明とは正義のひろく行われることである。
    豪壮な邸宅、衣服の華美、概観の壮麗ではない。」 (『代表的日本人』)


★参考資料  ≪盧:「『易経』64卦奥義・要説版」 pp.30‐31引用≫

 研究 :   と  /  と  / 一白 と 九紫

《 水と火 》
1) 五行思想では相剋の関係“水剋火”(水で火を消す)。
  その場合、火のパワーが強すぎると(「焼け石に水」で)水で消えない。
  あるいは水が蒸発してしまい“剋”が逆転する。 
    (・・・ 命学・九星気学・四柱推命など)
2) 易の中論だと、水と火(正・テーゼと反・アンチテーゼの異質・対立するもの)を、
  統一・止揚して(アウフヘーベン・中す)、新たなるもの(合・ジンテーゼ)を生み出す。
   〔ヘーゲル弁証法〕
  ex. 水と火で、ごはん・料理ができる。男と女で、子供がうまれる。


《 坎と離 》

・ 坎=水は智恵、離=火は聡明  / ・ 坎離は陰陽逆=中男と中女
・ 坎は耳(の穴)・鼻(の穴)・肛門・性器、離は目=視覚・明らか(離火は両眼)
cf. 「渾沌〔こんとん〕の死」(『荘子』) ・・人には7穴(体は9穴)ある。
   渾沌は“のっぺらぼう”。1日に1つずつ穴をあけてやったところ、7日で死んだ。
    ――無為自然の本性は、人知を加えると死んでしまう。

【考察】 アマテラスオオミ神は、イザナギの命(男神)の左目(左は陽)から生まれた
     太陽神(陽・離・中女)。 ・・・「
     そのスサノオの命は、イザナギの命の鼻(の穴)から生まれた。・「
   cf. 鼻の外形は盛り上がっているので =艮=山の象 / 
      (フルへッヘンヘンド=うずたかい=鼻、『蘭学事始』)
   ※ 邪馬台国の女王は「卑弥呼」、そのが政治を代行した。
      この史実(『三国志』魏志倭人伝)と我国の『古事記』の話とを
      併せて考えてみたい。


《 一白水性と九紫火性 》
・ 気学宿命星「一白水性」 : 命式干支(四柱・日干支)に「壬」・「癸」、「子」・「亥」 
    のある人。  動く人多し。 “転石、苔を生ぜず。” / 
    「駅馬」 ・・・移動性は大吉 / 家相6帖と6帖の通し間を嫌う ・・・
    6=坎、6・6→「坎為水」
・ 気学宿命星「九紫火性」 : 命式干支に「丙」・「丁」、「午」・「巳」のある人。
    美的な世界(芸能・美術・デザイン・キレイ系・・・)の人
    新しい時代の資格としては、インテリアC・カラーC・福祉住環境C ・・・。/
     “離れつく”は、「T・P・O (時・所・場合)が大切。
※ ちなみに、私(高根)は、本命星 一白・月命星 九紫で水・火の二面性を持っています。


※ この続きは、次の記事に掲載いたします。


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