儒灯

【温故知新】儒学の普及に力を注いでおります真儒協会 会長、高根秀人年の個人ブログです。 『論語』、『易経』を中心に、経書の言葉を活学して紹介して参ります。 私個人の自由随筆、研究発表などのほか、真儒協会が毎月行っております定例講習についても掲載しております。

文献渉猟

F.バーネット女史著・『小公子』/『小公女』  (第4回)

※この記事は、F.バーネット女史著・『小公子』/『小公女』(第3回) の続きです。

F.バーネット女史著・『小公子』/『小公女』  (第4回)

(cf.関連ブログ【儒灯】 (儒学随想) 「“パンをもらった少年”に想う」 )
 → http://blog.livedoor.jp/jugaku_net/archives/50716102.html


─── ジェントルマン〔gentleman:紳士〕&レディ〔lady:淑女〕への志向/
理想的母親像・婦人(夫人)像/静的(静止)社会イギリスと動的社会アメリカ/
大英帝国(イギリス)とフランスの文化的POWER/大英博物館・ケンブリッジ大学/
“中庸〔≒balance〕”・“徳”/仁愛〔思いやり〕/徳の感化・風化/
「高い席にいる者は貨幣〔かね〕を出せ!安い席にいる者は拍手を送れ!」/
“孔子学院”/ケッ矩〔けっく〕の道/「教」の 2義 etc.─── 


≪ 抜粋引用: 『小公子 セディ』・吉野壯兒 訳、角川文庫 /
『小公女』・伊藤 整 訳、新潮文庫 / ほか参照: 『小公子』・脇 明子 訳、岩波文庫 など ≫ 


(3) 母国イギリスの栄光と“文化的パワー” について 

F.バーネット作品の特色の一つとして、
イギリスとアメリカが物語りの舞台背景となっていることが指摘されます。

先述のように、それは専〔もっぱ〕ら、女史の生い立ちによるものでしょう。

とりわけ、母国イギリスの古き善きものへの愛情、ひとかたならぬものを感じます。

そして、それは、時代を経て、現代という視点からみると
多分にエキゾチックな世界史的時代背景であり、
現代的意味での魅力が加わっているともいえます。

ところで、後にアメリカで活躍し、 『武士道』 を英文で出版し
大反響を呼び起こすことになる新渡戸稲造〔にとべいなぞう〕は、
東大〔東京帝国大学〕の面接で志を問われた時
「われ、太平洋の架け橋とならん」 と、語ったそうです。

F.バーネット女史は、文学活動を通じて
(当時の)英米の橋渡しを果たした偉大な母親・文学者であったといえましょう。

いま、平成の御世〔みよ〕の日本は、グローバルな世界状勢の中に在って、
とりわけ“日本とアメリカ”・“日本と中国”との交流関係が問われています。

日本は、国内的に“ものさし”(=基準、cf.ケッ矩〔けっく〕の道 → ※研究 参照のこと) 
を見失い、対外的にも、“コンパス”を失くしています。

今、日本(と日本人)のアイデンティティー 
〔identity:自己同一性=日本・日本人とは何か〕が問いかけられています。


 コギト(我想う)   《 イギリス文化の偉大さに想う 》

“日の没することなき世界帝国” といわれ、名実ともに繁栄した大英帝国。

しかしながら、ヨーロッパ諸国どうしが争い(直接には 英VS独 )第2次世界大戦後、
ドイツの歴史哲学者オスヴァルト・シュペングラー 〔 Spengler 1880-1936 が、
その著 『西洋の没落』(あるいは『沈みいくたそがれの国』)
〔“Der Untergang des Abendlandes”〕で
予言したとおり、
西洋文明は没落いたしました。

大英帝国は、“たそがれ”、沈みゆく太陽のようになってしまいました。

現在、【EU】となりヨーロッパは、全体として世界の中に
政治・経済的影響力〔パワー〕を保っている有様です。

現在は、唯一・大国アメリカが世界をリードしています。

アメリカは、イギリスの“親戚”にはちがいありません。

そして、近未来は、米・中 2大国が世界をリードしていくと予測されます。

しかしながら、視点・角度を変えて観ますと。
世界で最も広く話されている言語・公用語は“英語”です

最も美しいといわれている言語は“フランス語”、
最も多く話されている言語は“中国語”です。

例えば、オリンピック競技大会で 国名・「日本」を紹介する時も 
≪ ジャパン〔Japan:英〕 → ジャポン〔Japon:仏〕 → 
ニッポン〔Nippon:日〕 ≫ と、アナウンスされますね。

言語の面では、英・仏が依然としてリードしているのです。

言葉は文化です。

そして、文化は“Power”の一部でもあります。

“英語”という言葉により、賢くも、依然としてイギリスの
“日の没することなき”世界支配は続いていると言えなくもないでしょう。
 *補注)

現代、イギリス文化のパワー・偉大さについて、1・2の例をあげてみましょう。

その政治力・文化力パワーを背景に、イギリスの“大英博物館”、
フランスの“ルーブル博物館”
は、世界有数の博物館といえます。

大英博物館は、(『小公女』・セーラが入学した学校があり
物語の直接の舞台でもある)ロンドンにあり、
現在、年間600万人が訪れているといわれています。

1753年に設立され、イギリスの発展と共に収集品を増やし、
約800万点収蔵しているといわれています。

展示室の収蔵品は僅かに1%に過ぎず、99%は収蔵庫にあります。

ヨーロッパ古典文化の源ギリシア、オリエント文化の源エジプトの
貴重な遺産が多く収蔵されていることでも知られています。

わが国との関連を見てみますと。

800万点の収蔵品のうち、約3万点が日本関係で、
そのうち日本ギャラリーに展示されているのは約300点です。

明治期の日本から、大学の代わりに“大英博物館に留学”した若者も多数います。

例えば、大英博物館に育まれた著名人の一人として、
民族学者の南方熊楠〔みなみかたくまくす〕がいます。

彼は1892(M.25)年、25歳の時渡英し大英博物館の図書館に学んでいます

またイギリスは、学術において、 “世界一優秀な大学・ケンブリッジ” をもっています。

ケンブリッジ大学の創設は古く、1209年(わが国の鎌倉時代:1192〜)です。

ケンブリッジの建築物の群は、イギリスの“伝統と格式”を象〔かたど〕っています。

現在、世界中から各国の超エリート・秀才が集まっています。

114の図書館を持ち、その蔵書量は1200万冊以上といわれ、
ほぼイギリスの出版物のすべてが所蔵されています。

“知”のケンブリッジ大学は、世界史レベルの偉人・賢人を数多〔あまた〕輩出しています。
“万有引力” 発見のニユートンをはじめ、クロムウェル、・・・・ ホーキンズ博士 etc. 

また、“DNAの(2重らせん)構造の解明”をはじめとする業績により、
61人という世界最多のノーベル賞受賞者を育てています。


*補注)

GDP.世界第1位のアメリカは“英語”
GDP.世界第2位(2010〜)の中国は“漢語(中国語)”です。

わが国の子ども達は、昨年春(2011)から小学校5・6年で英語が必修となりました。

中国は、人口約13億(わが国の10倍以上)以上ですから、
世界で最も多く話されている言語は“漢語(中国語)”ということになります。 

6年ほど前に儒学を復活「国教」化し、
2008.8.8.8 北京奥林匹克〔ペキンオリンピック〕を開催、
開会式で『論語』の冒頭を世界にアピールいたしました。

今、中国の子ども達は熱心に『論語』を学んでいます。
モノ(経済)のみならず“精神”も充実しつつあるといえます。

“中する国”中国は、文化政策にも非常に力を入れており、
中国政府がバックアップする“孔子学院” (中国語教育機関)を世界各地に設け、
中国語と文化の普及に尽力しています。

例えば、 “孔子学院”は、アフリカでも7年前に開校され、
現在(2012.7)約20ヶ国30校に迫っています。

私の身近、大阪でも2つの大学が設置しています。


◆ 結びに

子どもを胎〔たい〕し産み、乳幼児期に育てるのは母親です。

児童期(≒少年少女期)も、母親の影響力とその役割は大なるものがあります。

畢竟〔ひっきょう:結局〕するところ、
“きだて”・基本的生活習慣を“教え效〔なら〕いのっとらせる”ものは、
親・家庭の責任・義務です。

(親自身で及ばぬ)子どものための才徳育成のための教育環境 ── 
例えば、善い“本”やモノを提供してやるとか、
師や学びのための場を選んでやるといった ── を整えてやることが、
親の義務・使命です。

それが、善き親に他ならないのです。


 研 究  ── 《 篭襦未韻辰〕の道/「教」の 2義 》

“子どもは、親の背中を見て育つ”という古諺〔こげん〕があります。

子どもというものは、すべからく、親の(価値)判断の仕方を
“基準・ものさし”として行動するのです。

これを、 『大学』では、 「篭襦未韻辰:=基準・定規〕の道」 といいます。

ですから、親たるものは子どもの規範(=お手本)となる「篭襪瞭察を備えねばなりません。

これが、 「一〔いつ〕なるもの」・“善き受け継がれるもの(文化的DNA)”に他なりません。

私は、教育者という仕事がら、親と同様に教師もまた然りであると、強く想っております。

『中庸』にありますように、 “教”は“おしえる”と同時に“效〔なら〕う” ことです。

すなわち単に口先で教えるばかりでなく実践をともなう ── 
良きお手本となり、人のならいのっとるところとなる、という意味なのです。

私共の日本という国は、 “拝金主義” が蔓延〔まんえん〕し、
その弊害はなはだしきこと久しいものがあります。

けれども、これから、お貨幣〔かね〕が価値を失う時がやってきます
(金融資本主義の限界)。

お貨幣〔かね〕が価値を失った時、
頼れるもの・善くその変化に対応できるものは何でしょうか? 

それは、 “信頼”・“人と人の絆〔きずな〕”・“他人への思いやり” です。

これらが、古の表現をすれば “仁(徳・直なこころ)”です。

これこそ、日本人が本来持っている “「一〔いつ〕」なるもの”・
“ミーム〔文化的遺伝子/DNA”の要〔かなめ〕
です

私たちは、忘却しているそれを取り戻さなければなりません。


( 以 上 )


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F.バーネット女史著・『小公子』/『小公女』  (第3回)

※この記事は、F.バーネット女史著・『小公子』/『小公女』(第2回) の続きです。


F.バーネット女史著・『小公子』/『小公女』  (第3回)

(cf.関連ブログ【儒灯】 (儒学随想) 「“パンをもらった少年”に想う」 )
 → http://blog.livedoor.jp/jugaku_net/archives/50716102.html


─── ジェントルマン〔gentleman:紳士〕&レディ〔lady:淑女〕への志向/
理想的母親像・婦人(夫人)像/静的(静止)社会イギリスと動的社会アメリカ/
大英帝国(イギリス)とフランスの文化的POWER/大英博物館・ケンブリッジ大学/
“中庸〔≒balance〕”・“徳”/仁愛〔思いやり〕/徳の感化・風化/
「高い席にいる者は貨幣〔かね〕を出せ!安い席にいる者は拍手を送れ!」/
“孔子学院”/篭襦未韻辰〕の道/「教」の 2義 etc.─── 


≪ 抜粋引用: 『小公子 セディ』・吉野壯兒 訳、角川文庫 /
『小公女』・伊藤 整 訳、新潮文庫 / ほか参照: 『小公子』・脇 明子 訳、岩波文庫 など ≫ 



(2) 描かれている理想的人間と “徳の感化/風化” について 

イギリスの古き善き理想的人間像(=指導者像)としての、
ジェントルマン〔紳士〕とレディ〔淑女〕が描かれています。

貴族の子女、“公子/公女”〔Little prince / Little princessです。

そして、先述のように、F.バーネット女史は同時に、
その愛息子〔まなむすこ〕・愛娘〔まなむすめ〕を育〔はぐく〕む“理想的母親像” を描いています。

それは、善く児童を育む理想的な“家庭の教育者像”でもあります。


以下、『小公子』 の本文から“徳育”に関する部分を抜粋引用しておきますと。 ―――

“真っ四角〔スクウェア〕”というのは “真〔ま〕っ正直”という意味なのだが、
伯爵はこのアメリカ英語を知らなかった。

【セドリック】:
「『それはね、ディックがだれもだまさないことだと思います
とセドリックは大きな声で答えた。
『そして、自分より体の小さい子どもをぶったりしないことだし、
お客さんの靴をよくみがいて、できるだけぴかぴかに光らせることです

ディックは本職の靴みがきですからね。』」

「(老伯爵が)自分がわれ知らず心をひかれているものは、
わが身にこれまでまったく備わっていなかった美点にほかならないということを、
おそらく認めないわけにはいかなかっただろう ―― 
つまり、率直で誠実な、思いやりのある性質、
人を愛し信頼して、決して悪く考えることのできない心、といった美点である
。」

【エロル夫人】:
『あの子は父親のような人間 ―― いつも勇気を失わず、
正しくて、誠実な人間になってもらいたいと切〔せつ〕に願っているのでございます
。』

「それは結局、ほんとうにとても簡単なことだったのだ ―― 
この少年が親切な優しい心の持ち主である母親の身近で育ち、
いつも人に親切を尽くすことと他人のために心を配ることを教えられたからにすぎなかった。
これはごく些細〔ささい〕なことかもしれないが、何よりも大切なことなのだ。

セドリックは伯爵だのといったものについては、何一つとして知らなかった。
豪勢なもの、華麗なものなどについても、まるで無知だった。
だが、セドリックは素直で、やさしかったから、いつも愛らしい少年だった。
こういう心を持っていることは、君主に生まれついたようなものなのである
。」
 ―― etc.


次に、更に一層重要な点は、その“徳”が “自ずと”(=自然に:
“the Self−so”/“what−is−so−itself”) 感化して、
周〔まわ〕りの人々を善く変えてゆく、本来の姿に立ち返らせてゆく、ということです。

『小公子』・セドリックも、『小公女』・セーラも、自分では全く気付かず、
意図することなく、ごく自然に周りの人々を感化してゆきます。

母親のエロル夫人も同様です。

東洋思想にいう “無為にして化す”(『老子』)、“化し成す” (『易経』)です。

“感化=徳化”、大きな領域でいえば “風化”です。


―― かかる、良き“核”となる人間=児童の育成は、
国家社会においても人間教育においても極めて重要です。

肝腎要〔かんじんかなめ〕です。  *補注1)

『小公子』のセドリック は、アメリカでのディックやホッブスさんといった親友に始まり、
この物語のもう一人の主役「気性の激しい/気むずかしい」老伯爵、 
頑迷・固陋〔がんめい・ころう〕の難物を徳化してゆきます。

さらには、領地のすべての人々を感化し、風〔ふう〕をなし化してゆきます

そのプロセスが、この物語の真骨頂〔しんこっちょう〕でもあり、
“楽しい” ところでもありましょう。

『小公女』のセーラ は、学校での友人一人一人に始まり、
社会(人)の代表でもあるかのごときパン屋のおかみさんを覚醒・感化してゆきます。

エピソード的に、この物語の後半〜ラストに盛り込まれている話とその影響は、
核心的で私には最も契機〔けいき/モメント:かなめとなる重要なもの〕に想われます。

それは、セーラがパン屋前の通りの下水で拾った4ペンス銀貨で甘パンを6つ入手します。

自分自身限界に近いひもじさにもかかわらず、
店先にいた乞食の少女(アンナ)にその5つまで与えるというエピソードです。

そして、その“行ない(行為・実践)”が、
パン屋のおかみさんと更に乞食の少女(アンナ)を変えてゆき(=覚醒・感化)、
“化育”・“化成”いたします。


以下、『小公女』 の本文から抜粋引用しておきますと。 ―――

「『この子だって人間だわ ―― そしてこの子は、わたしよりもお腹をすかしている。』 

その子ども ―― このひとりの人間 ―― はサアラを見つめ、
そこを通るサアラに道をあけてやるために、からだをうごかした。」

『公女さまというものは位〔くらい〕から追われて貧乏になっていても 
―― いつだって ―― 自分よりももっと貧しい人間を見ると ―― 
その人たちに、ものを分けてやるのだわ。

「(乞食の少女〔アンナ〕は)そしてサアラが見えなくなるまで、
食べかけた甘パンにそれ以上ひとくちも口をつけなかった。

「おかみさんは、もうずっと遠くなったサアラのみすぼらしいすがたを見おくり、
いつものおちついた気もちが、なんとなく不安で乱れるように思った。

そして、おかみさんは自分で言った。

あんなに早く行ってしまわなければ、あの子に(甘パンを)十二もやったのにねえ。』」

【パン屋のおかみさん】:
『それからね、どこへ行ってもパンをもらえない日はここへ来て、そう言うんだよ。
あの女の子のために、わたしはきっと、おまえにパンをあげるからね。』

【パン屋のおかみさん】:
「あの雨のふっていた日に、あんなにぬれて寒そうなあなたが、
ひもじいようすをしていながら、まるで公女さまのように
あの甘パンをほどこしてしまったのを見てからは
あの日から後わたしも、何度もパンのほどこしをしてまいりましたの
。」

【パン屋のおかみさん】:
『(乞食の少女〔アンナ〕が)そしてだんだん、
きちんとした気だてのいい子になってきましたわ
。』

「その少女ははずかしそうにしていたが、顔だちは愛らしく、
もう野育〔のそだ〕ちのようなところはなくって、
荒々しい眼つきも失せてしまっていた
。」

【ラストの文言】:
「『そしてわたし、今度あることを考えましたの。
きっとブラウン夫人は、子どもたちにパンをやるやくめを
あなたにさせてくださると思うわ。
あなたもひもじいってのは、どんなにかよく知っているから、
喜んでそのしごとをしてくれるでしょうね。』 

『はい、お嬢さま』とその少女が言った。

その子はほとんど口をきかなかったが、
サアラは自分の気もちはよく通じたように思った

その子はじっと立ったままサアラがインドの紳士といっしょに店から出て、
馬車に乗ってかけ去るのを、いつまでもながめていた。」 ―― etc.


加えて、人間のみならず動物にも影響を与えている点が指摘できます。

『小公子』では、人にめったに慣れない大型犬の「ドゥーガル」が
セドリックにすぐに馴〔な〕つき、
老伯爵が初対面でセドリックに好意的な関心を示すきっかけとなります。

『小公女』では、臆病なネズミの「メルチセデック」が
セーラの大の仲良しになります。

迷い込んだ(“インドの紳士”のペットである)サルもセーラに馴つき、
ハッピーエンドのきっかけとなります。

“愛玩動物〔ペット〕は飼い主に似る”といいます。

動物は正直です。

純粋に本能的に、人間の“徳(仁)”の影響を受けます。

そして、(私は人間はすべからく情〔じょう〕の人であらねばならないと思っておりますが、)
児童の情操教育にとって、
身近な動物は、思いやりの対象として直截〔ちょくせつ〕で重要です

以上のように、この 『小公子』/『小公女』 のペア作品は、
児童の教育と文学の両面において非常に深い価値を持つものです。

“読み楽しむ”うちに自然と徳性が涵養〔かんよう〕されるとともに、
豊かな文学性を堪能することができる
といえましょう。

善き児童期を過ごせず、あるいは忘却して
徳性が身につけられていない現今〔いま〕の大人〔おとな〕にとっても、
“読み楽しむ”べき名作です。

さて、“一燈照隅〔いっとうしょうぐう〕”という言葉があります。

暗い隅〔すみ〕を照らすように、
蒙〔くら〕いこころを啓〔てら/ひら・く〕して(=啓蒙)、
身近な一人一人を善く感化できれば世の中全体が明るく善く整ってまいります。

教育者であれば“教化”、政治家・官吏であれば“風化”の言葉が適切でしょうか。
(cf.“風〔ふう〕をなすものは吏と師”)

“徳化”=“徳の感化”という東洋風の言葉を、今風〔いまふう〕に用いれば、
“博愛・平等の精神”ということになりましょう。

“博愛”は、キリスト教の“愛”の思想がベースにある表現でしょう。

東洋思想にいう、儒学の“仁”、仏教にいう“(慈)悲”、と同じものです。

“平等”については、動的社会アメリカと静的社会イギリス
そして日本とではその内容がずいぶん異なっています。

(【陽】の)動的社会アメリカと(【陰】の)静的社会イギリスの対比は、
『小公子』の末文、ホッブスさんの言葉によく現れています。;

「年が若くて、活動的な連中には、アメリカも相当にいい国だ ―― だが、欠点もある。
ご先祖様〔アーント・シスター〕なんて一人もいないし、伯爵だってまったくなしだものな!」

アメリカは、自由主義の先鋭国です。

現代アメリカでいう自由とは“機会〔チャンス〕の平等”を指しています。

一方、イギリスと現代の日本でいう自由とは
“実質的平等の保障”
 を指していると考えられます。

これらのことを想うにつけても、私が座右の箴言〔しんげん〕ともしている
ヨーロッパの古諺〔こげん〕が思い起こされます。

“高い席にいるものは貨幣〔かね〕を出せ!安い席にいるものは拍手を送れ!” 、がそれです。

ちなみに、『小公女』 でネズミの“メルチセデック”の章で、
「バスチーユの囚人たちはよくねずみと仲よしになったものよ
わたしもおまえと仲よしになろうかな。」 というおもしろい記述があります。

フランス革命(1789.7.14)は、パリ市内にあるバスティーユを襲撃して火ぶたが切られます。

バスティーユ〔仏語で“牢獄”の意〕は、
政治犯の牢獄で多量の武器があると信じられていたので、
その襲撃・解放がフランス革命のシンボル〔象徴〕となったのです。

フランス革命は自由・平等・博愛を標榜〔ひょうぼう〕しました。 

この一節は、フランスびいきの著者が、あえて盛り込んだものでしょう。 *補注2)


補注1)

良き“核”となる人間、
すなわち国家社会を担う優れたエリート・指導者の資質について明言しているのです。; 

「セドリックは素直で、やさしかったから、いつも愛らしい少年だった。
こういう心を持っていることは、君主に生まれついたようなものなのである。」

今の日本の教育(家庭・学校・社会の教育全般)には、
この“核”〔かく〕となるリーダー〔指導者〕の育成が欠如しています。

儒学(孔子の思想)のキーワードの「仁」〔じん〕は、“おもいやり”の意です。

その「仁」は、同時に種子〔たね〕の“核”〔さね〕の意味でもあります。

欠くべからざる、最も貴重・重要なものの意です。

cf.中華料理のデザートに、白いゼリー状の“杏仁豆腐〔あんにんどうふ〕”がありますね。
   これは、杏〔あんず〕の種子(=仁)から作ります。


補注2)

フランス国旗の色=トリコロールは、自由・平等・博愛を象徴しているといわれています。
縦じまのデザインは、囚人(服) → 束縛からの解放の象徴、ともいわれています。

バスティーユ襲撃の7月14日は、後、フランス共和国の建国記念日〔パリ祭〕になっています。

余事ながら、バスティーユ襲撃の当日にいた囚人は、
実際には狂人を含め2・3名であったといいます!)


(3) 母国イギリスの栄光と“文化的パワー” について 

F.バーネット作品の特色の一つとして、
イギリスとアメリカが物語りの舞台背景となっていることが指摘されます。

先述のように、それは専〔もっぱ〕ら、女史の生い立ちによるものでしょう。

とりわけ、母国イギリスの古き善きものへの愛情、ひとかたならぬものを感じます。

そして、それは、時代を経て、現代という視点からみると
多分にエキゾチックな世界史的時代背景であり、
現代的意味での魅力が加わっているともいえます。

ところで、後にアメリカで活躍し、『武士道』 を英文で出版し
大反響を呼び起こすことになる新渡戸稲造〔にとべいなぞう〕は、
東大〔東京帝国大学〕の面接で志を問われた時・・・


※ この続きは、次の記事に掲載いたします。


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F.バーネット女史著・『小公子』/『小公女』  (第2回)

※この記事は、F.バーネット女史著・『小公子』/『小公女』(第1回) の続きです。


F.バーネット女史著・『小公子』/『小公女』  (第2回)

(cf.関連ブログ【儒灯】 (儒学随想) 「“パンをもらった少年”に想う」 )
 → http://blog.livedoor.jp/jugaku_net/archives/50716102.html


─── ジェントルマン〔gentleman:紳士〕&レディ〔lady:淑女〕への志向/
理想的母親像・婦人(夫人)像/静的(静止)社会イギリスと動的社会アメリカ/
大英帝国(イギリス)とフランスの文化的POWER/大英博物館・ケンブリッジ大学/
“中庸〔≒balance〕”・“徳”/仁愛〔思いやり〕/徳の感化・風化/
「高い席にいる者は貨幣〔かね〕を出せ!安い席にいる者は拍手を送れ!」/
“孔子学院”/篭襦未韻辰〕の道/「教」の 2義 etc.─── 


≪ 抜粋引用: 『小公子 セディ』・吉野壯兒 訳、角川文庫 /
『小公女』・伊藤 整 訳、新潮文庫 / ほか参照: 『小公子』・脇 明子 訳、岩波文庫 など ≫ 


◆ 『小公子』

『小公子』 は、古き良(善)きイギリス、健全なる大英帝国の精神と、
イギリスが植民して後の独立したての国アメリカ合衆国の2国が舞台背景です。

(本国)イギリスと(かつての植民地)アメリカとを結び付けている作品と捉えることもできます。

世界史的にみてイギリスは、“貴族”という特異な指導者(リーダー)の存在する
伝統的な“静的(静止)社会”
です。

一方アメリカは、自由・平等・博愛と征服・攻撃の気に満ちた“動的社会”、
そして多様な要素が複合した“モザイク文化”の国です。


『論語』に、「文質彬彬〔ひんぴん/ひんひん〕として然る後に君子なり」
(擁也第6‐18) とあります。

東洋(中国)の理想的人間としての“君子〔くんし〕”像です。

野性的な逞〔たくま〕しさ“質”と 洗練された知的なもの“文”とを兼ね備えた、
理想的指導者像です。

つまり、誠実さと文化的要素(=【離】/美・文飾・明智)の調和した人です。

そして、“君子”は何より、
“徳”が“才”より勝〔まさ〕っていることがその必須条件です

“君子”は、東洋思想において、
理想的人間像・理想的リーダー〔指導者・為政者〕像として、
要〔かなめ/モメント〕の概念だと思います。

私は、この東洋における古〔いにしえ〕の“君子”が、
英国における “ジェントルマン〔gentleman:紳士〕”に相当すると想います

(日本では“武士〔ぶし/もののふ〕”像といったところでしょうか。) 

世界史をリードした、伝統あるイギリス(やフランス)には、
やはりさすがに、“中庸〔≒balance〕”・“徳”の精神が根付いており
その点、極端から極端への歴史である(当時の)新興ドイツなどとは
大いに異なっていたと考えられます。 

(※ 詳しくは、拙講資料:「『グリム童話』と儒学 
   ── 現代日本を“中す”一つの試論 ── 」の《はじめに》 を参照のこと )
http://blog.livedoor.jp/jugaku_net/archives/50983879.html


---------------------------------------
「 ドイツ国民の歴史は、極端の歴史である。
そこには中庸さ(moderation)が欠如している

そして、ほぼ一千年の間、ドイツ民族は尋常さ(normality)ということのみを経験していなかった

  ・・・中略・・・  

地政的にドイツ中央部の国民は、その精神構造のうちに、
とりわけ政治的思考のなかに、中庸を得た生き方を見出したことはなかった。

われわれは、ドイツ史のなかに、フランスやイギリスにおいて顕著である
中庸(a Juste milien)と常識の二つの特質
をもとめるのであるが、
それは虚しい結果の終るのである。

ドイツ史においては激しい振動のみが普通のことなのである。」

(A・J・P・ティラー、『ドイツ史研究』)
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『小公子』 には、その将来の“ジェントルマン”を目指し
志向する少年像・家庭教育像が描かれているのです


◆ 『小公女』 

『小公女』 は、古き善きイギリスの “淑女・貴婦人”〔レディ:Lady〕 像、
女性の理想像への志向を表した作品といえます

日本の古語でいう “なまめかしさ”(=優雅さ)でしょうか。

舞台背景としては、植民地インド(ボンベイ)と本国イギリス(ロンドン)、
それにフランス(/フランス語)が処々に出てまいります。

かつて(米・ソが台頭する前)、世界史をリードした両横綱の国、
“英・仏” 2国が描かれていると思われます。

セーラのすてきな母は、フランス人であり、
セーラが授業で流暢〔りゅうちょう〕にフランス語で語り、
(フランス語のできない)ミンチン先生をはじめとして皆を圧倒するシーンが、
こと細かに描かれています。

以下、≪フランス語の授業≫のシーンから抜粋引用しておきますと。 ───


「ほんとうを言えば、サアラはフランス語をしゃべれないときがあったなどと思えないのであった。
赤ん坊のときから父はよくサアラにフランス語で話をしてくれた。
サアラの母はフランス人であったのだ。
クルウ大尉はなくなった妻の国語を愛していたので、
サアラはたえずフランス語を耳にし、なれてしまったのであった
。」


「サアラは自分はフランス語を ── 本で ── 正確に習ったのではないこと、
ただ父やその他の人たちがいつもフランス語で自分に話していた、
それで、英語を読んだり書いたりできると同じように
フランス語も読み書きできるようになったこと

サアラが生まれたときに死んでしまった
なつかしいお母さまはフランス人であったこと、・・・・ 」


「デュファルジュ先生は非常に楽しいことにであったような顔で、ほおえみはじめた。
先生は、サアラが美しい子どもっぽい声で、
はきはきとかわいらしく自分の国のことばで話すのを聞いていると、
まるで自分の故郷フランスにいるような気もちになるのであった

冬のこういう曇った霧の濃い日など、
先生は、自分の国が遠いところにあるような気もちがしていたのであった。
サアラの話が終わると、デュファルジュ先生は、
いとおしむような眼つきでサアラの手から本をとった。
そしてミンチン先生に言った。
『先生、この生徒にはあまり教えることはありませんね。
この子どもはフランス語を習ったのでなくって、まるでフランス人ですよ。
みごとなアクセントです
。』」 ── etc.


言葉は文化(力)です。

世界一美しいといわれるフランス語、
その“フランス語を話す人がフランス人である”と考えているフランス。

私は、(イギリス人である)F.バーネットの、
フランス語とフランスに対する友情と敬意が表されていると、強く感じます



◆ 我想う ── 読後私感

『小公子』 に続く作品が『小公女』 です。

F.バーネット女史のこの両作品は、
“少年・少女”・“陽・陰/【艮・兌〔ごん・だ〕】”ペア〔対:つい〕の作品といえましょう。

児童文学として非常に深いもの、
“受け継がれる(べき)もの”(「一〔いつ〕」なるもの・善きDNA)を持っており、
自然に徳性が涵養〔かんよう〕されるものであるとともに、
“文学”の名を冠するに相応〔ふさわ〕しい “美(=芸術性)”を兼ね備えていると思います。


以下、この両作品を通しての私感を、いささか整理して記してみたいと思います。


(1) 物語りの “はじめ” の設定と “おわり” について

“家庭環境”という視点でみてみますと。 『小公子』 では、母子家庭(一人っ子)です
父は、イギリスの軍人セドリック・エロル大尉、伯爵家三人兄弟の末っ子です。

この父が病死したところから、物語が始まります。

父方の祖父が、ドリンコート伯爵。

この老伯爵は、広大な領地を持ち莫大な財産と勢力を保有しています。
が、頑固で気むずかしく、貴族の旧態然とした悪い面を備えています。

老伯爵は、孫であるセドリックを唯一人のわが子のように愛し、
セドリックもこの祖父を父の代わりとして“敬し愛し” ます。

そして、母(エロル夫人)を迎え入れ三人が ドリンコート城で幸せに暮らす、
というハッピーエンドで結ばれています。


一方、『小公女』 のほうは、(物語の当初から)父子家庭です
母はフランス人で、セーラが生まれた時に死んでしまいました。

やがて、ロンドンの寄宿舎つき私立学校へ入ります。

そして、急に父がダイヤモンド鉱山の事業に失敗し亡くなります。
セーラは、7歳にして全くの孤児という立場になります。

エンディングは、父親の共同経営者であって友人の“インドの紳士”が現れて、
父の財産と名声をセーラに相続させるというものです。

そして、おそらくこのインドの紳士は、セーラの父親代わりとなるのでしょう。


『小公子』・セドリックは、莫大〔ばくだい〕な 財産・権威権力・伝統 ・・・ を引き継ぎます。

また、『小公女』・セーラは、インドのダイヤモンド鉱山による膨大な富(と名声)を相続します。

どちらも物質的に Rich!〔豊か=金持ち〕 になる夢物語です

その意味で、人々の、憧憬〔あこがれ/しょうけい〕として、
“受け継がれるもの”・“「一〔いつ〕」なるもの”です。

が、それは、枝葉・末梢〔まっしょう〕的なものにすぎず、
本〔もと〕は、徳性、紳士・淑女〔Ladies and Gentlemen〕 への志向という、
理想像への善き DNA(=文化的遺伝子ミーム)の
不変・“受け継がれるもの”を物語にしたかったに違いありません


(2) 描かれている理想的人間と “徳の感化/風化” について

イギリスの古き善き理想的人間像(=指導者像)としての、
ジェントルマン〔紳士〕とレディ〔淑女〕が描かれています。

貴族の子女、“公子/公女”〔Little prince / Little princess〕です。

そして、先述のように、F.バーネット女史は同時に、
その愛息子〔まなむすこ〕・愛娘〔まなむすめ〕を育〔はぐく〕む“理想的母親像” を描いています。

それは、善く児童を育む理想的な“家庭の教育者像”でもあります。


以下、『小公子』 の本文から“徳育”に関する部分を抜粋引用しておきますと。・・・


※ この続きは、次の記事に掲載いたします。


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F.バーネット女史著・『小公子』/『小公女』  (第1回)

F.バーネット女史著・『小公子』/『小公女』  (第1回)

(cf.関連ブログ【儒灯】 (儒学随想) 「“パンをもらった少年”に想う」 )
 → http://blog.livedoor.jp/jugaku_net/archives/50716102.html


─── ジェントルマン〔gentleman:紳士〕&レディ〔lady:淑女〕への志向/
理想的母親像・婦人(夫人)像/静的(静止)社会イギリスと動的社会アメリカ/
大英帝国(イギリス)とフランスの文化的POWER/大英博物館・ケンブリッジ大学/
“中庸〔≒balance〕”・“徳”/仁愛〔思いやり〕/徳の感化・風化/
「高い席にいる者は貨幣〔かね〕を出せ!安い席にいる者は拍手を送れ!」/
“孔子学院”/篭襦未韻辰〕の道/「教」の 2義 etc.─── 


≪ 抜粋引用: 『小公子 セディ』・吉野壯兒 訳、角川文庫 /
『小公女』・伊藤 整 訳、新潮文庫 / ほか参照: 『小公子』・脇 明子 訳、岩波文庫 など ≫ 


《§.はじめに 》

幼少年期、純朴で夭〔わか〕い精神(頭脳)のころの読書というものは、
長じても鮮明に憶えているものです。

私の場合も、今から半世紀近くも前の、それも一度しか読んでいない
(子供のころは、本は一度しか読まず次の本に移ったものです。
一度であらまし理解できたのでしょうね?)
本なのに、そのあらすじや主人公の名前・イメージや場面などが、
あたかも自分の体験であるかのように心に刻まれています。

小学生の中学年のころでしょうか。
母が、豊かではない財布を工面して、毎月一冊ずつ発刊配本される
“少年少女世界の名作文学”(全50巻)を買ってくれました。

魅せられるように、文字をたどり、さし絵を楽しみに想像をふくらませたものです。

その第一回配本(?)であったかのようにも思いますが、
アメリカ編・バーネット女史( Frances Hodgson Burnett 1849−1924)の
『小公子』( Little Lord Fauntleroy ):セドリック少年の物話、
『小公女』( A little princess ):セーラ=クルーの物語
をよく、好んで憶えています。

私は、最初に読んだ『小公子』のほうが印象強いのですが、
今時の若者、少年・少女には、TVアニメーションやドラマの影響でしょうか、
“小公女セーラ”のほうがよく知られているようですね。

今、青年諸君に物語るために、改めて(原文で)読み直してみましたところ、
何とも、青少年に戻ったような不思議な“気”につつまれました。

ここで想いましたのは。
1)確かに、この両作品は名作であるナァ、と感銘を新たにいたしました。
2)『小公子』/『小公女』のタイトル〔本の表題〕に代表される、
  日本語訳〔やく〕は名訳であるナァ、と感心いたしました。
  まさに、“言い得て妙〔みょう〕”です。
3)前の時代(世紀)の英・仏、そして英・米といった国の
  世界史的・文化的魅力への感動も、生々〔せいせい〕たるものがありました。


F.バーネット女史・『小公子』/『小公女』 

◆ F.バーネット女史 

フランシス・ホジソン・バーネット(Frances Hodgson Burnett 1849‐1924は、
イギリス生まれのアメリカの女流作家です。

19世紀は、アメリカに女流児童文学作品が数多く輩出された時代でした。  *補注1) 

女史のプロフィールを 『オックスフォード児童文学必携:
“The Oxford Companion To Children‘s Literature.Oxford Univ.Press,1984”』

にもとずいて紹介しておきましょう。

F. バーネット女史は、1849年、イギリスのマンチェスターに生まれました
(ホジソンは旧姓です)。

女史が3歳の時に父が亡くなり、一家は、1865年、
母・兄妹(各々2人)と共に伯父さんを頼ってアメリカへ移住します。

生活は苦しく、家計を助けるために刺繍〔ししゅう〕・音楽教師・養鶏など
さまざまなことをしたといいます。

やがて、もともと書くことが好きだったので小説を書くようになります。

15歳の時、野ブドウを摘〔つ〕んで紙代と郵送料を作り、
雑誌社に作品を投稿したというエピソードは有名です。

1870年に母を亡くし、雑誌への投稿が掲載されたのを契機に精力的に小説を書き始め、
本格的に作家への道を歩み出します。

F. バーネット作品の特色の一つである、イギリスとアメリカという舞台背景は、
女史のこのような生い立ちによるものと推測されます。

そして、幼少期に去った、故国イギリスへの愛情は生涯持ち続けます。

記録によれば、女史は生涯に 33回も大西洋を渡っています。

1873年、S.M.バーネットと結婚し、
ライオネルとヴィヴィアンの2人の息子をもうけます。

1898年に離婚します。

長男の誕生を機に、子ども向けの本を書くようになり、
次男ヴィヴィアンをモデルにして書いたといわれる 『小公子』 が
『セント・ニコラス』 誌に連載され(1885.11〜)、
翌年10月の完結と同時に単行本として刊行されます。

英・米両国で大ヒットとなります。劇化、上演もされ大評判となります。

当時のエピソードとして、
男の子にレースの襟〔えり〕のついた黒ビロードの服を着せ長髪をカールさせる
“セドリック・スタイル” が流行したと伝えられています。  *補注2)

 また、物語のなかでセドリックが母親に呼びかける
“dearest:〔ディアレスト〕” という言葉が盛んに用いられたといいます。

ちなみに、『小公子』・セドリックのモデルとなった次男ヴィヴィアンは、
その著書 『ザ・ロマンティック・レディー』(1927) で母親バーネット像を描いています。

F.バーネットは、その後 『小公女』(1905)・『秘密の花園』(1911)・
『消えた王子』(1915)・ など多くの作品を執筆しました。

『小公女』 は、最初主人公の名をとって 『セーラ・クルー』 と題されて発表されました。

大反響の中、読者からの手紙のリクエストで、
気高〔けだか〕いこころを失わないセーラに相応〔ふさわ〕しい 
“リットル・プリンセス〔Little Princess〕”に変えられた、
というエピソードが伝わっています。

晩年はアメリカのロングアイランドで詩を作って生涯を終えます。
あとひと月で喜寿(77歳)の誕生日を迎える時であったといいます。

さて、私には、セドリックの母親・エロル夫人、セーラの亡き(フランス人の)母は、
バーネット女史自身を投影した “理想的母親像・婦人(夫人)像”であるかのように思われるのです。

東洋的に表現すれば、“仁・愛(=忠恕〔ちゅうじょ〕/慈悲)の母”の具体的存在です。

おもいやりといつくしみに満ちた、賢くもすてきな若き“お母さん”です。

そのお母さんが、物語った作品のように思われて、
何かしら暖かい光に包まれているような感じを受けます。

F.バーネット女史の名声を確立した 『小公子』 は、
英・米のみならずその他の国でも、非常な好評を博しました。

善く優れたものは、普遍的ですね。

わが国では、明治の半ばごろ、若松賤子〔しずこ〕女史によって訳されました。

原題名“Little Lord Fauntleroy”“Lord”は、
イギリスの公・侯・伯・子・男爵につける尊称です。

「公子」は、“公達〔きんだち〕”・“貴公子”の意ですから
“貴族の子” くらいの意味です。

私は、学生時代、サン・テグジュペリ
“Le Petit Prince”〔ル・プチ・プランス=「小さな王子様」/The Little Prince(英)〕を、
内藤 濯〔あろう〕氏が “星の王子様” と訳した
ことに感銘を受けました。

この若松女史の “小公子” の訳も、まさに簡にして妙です。

若松女史は、フェリス女学校を卒業して後、
病気がちの体を励まして、弱冠22歳〜24歳にかけて翻訳したといいます。

当時、まだ珍しかった言文一致体の翻訳文です。

この翻訳の業績、実に素晴らしいものと感じます。

女史は、31歳で夭折〔ようせつ〕し、
その翌年、訳書 『小公子』 が単行本として初刊されます。 


補注1)

19世紀の作品として、『クルミわりとネズミの王さま』・『不思議の国のアリス』・
『トム・ソーヤーの冒険』・『ハイジ』・『宝島』 など特別に魅力を持った物語があげられます。


補注2)

蛇足ながら、かつてのわが国の乗用車の名前にも“セドリック”があったように記憶しています。


◆ 『小公子』

『小公子』 は、古き良(善)きイギリス、健全なる大英帝国の精神と、
イギリスが植民して後の独立したての国アメリカ合衆国の2国が舞台背景です。

(本国)イギリスと(かつての植民地)アメリカとを結び付けている作品と捉えることもできます。

世界史的にみてイギリスは、“貴族”という特異な指導者(リーダー)の存在する
伝統的な “静的(静止)社会” です。

一方アメリカは、自由・平等・博愛と征服・攻撃の気に満ちた “動的社会”
そして多様な要素が複合した“モザイク文化”の国です。・・・


※ この続きは、次の記事に掲載いたします。


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「感動」 を国木田独歩に想う

「感動」 を国木田独歩に想う
  ――― 感動と芸術・ロダンと国木田独歩・「喫驚〔びっくり〕したい」・
         「咸」卦・大衆社会・『孤独な群衆』・“我”・『忘れ得ぬ人々』 ―――
 

《 驚き・感動 ・・・ ロダンと国木田独歩 》

「大切なことは、感動し、愛し、希望し、生きることである。」
       (『ロダンの言葉』・内藤 濯〔あろう〕訳/同名書・高村光太郎訳)

高校時代、偶然に学校図書館で見つけた『ロダンの言葉』。
その名訳と共に、感動をもって読みました。

そして、この一文は私にとって、今に至るまで箴言〔しんげん〕・座右銘〔ざうめい/ざゆうめい〕としていて、若人に贈る言葉にもよく書いています。

 “近代彫刻の父”フランスのロダン( Auguste Rodin : 1840-1917 )は、
また、「芸術は、感情に他ならない。」 とも言っています。

フランス、バルビゾンの画家ミレー ( J.F.Millet : 1814-1875 )は、
「他人を感動させようとするなら、まず自分が感動しなければ、
いかに巧みな作品でも、決して生命はない。」と言っています。

芸術は「美」の追求であり、「美]は人間の「徳」が形をとって創造されたものです。
その創造・造化の過程での原動力が感動でしょう。

芸術そして文化とは、その 感動 = 美= 徳 を創作者(芸術家)と鑑賞者が共有することです。
感性的な感動を共有するのです。

 『易経』・下経は、テーマが自然的・抽象的な上経から、
人間的・社会的なものに移り現実具体的でより易らしくなると言えます。

その下経の最初が、「沢山咸〔たくさんかん〕」卦(第31)です。

」は、心をつけた「」に同じです
感じて応〔こた〕える感応・感動の卦です。

「咸」は、具体的に恋愛や芸術において捉えるとわかり易いかと思います。
これあるが故に、人生も文(彩/章)〔あや〕どられるというものです。

まことに、天に日月・星々あり、地に草木・花々あり、人に咸あり・愛ありです。
尊い文化の源泉でしょう。

 そもそも人間は、とく「情」の人・文の人であらねばなりません。

「月がとってもきれいだったので、(あなたのことを)想い出して電話してみたの」 
という女性がいたそうです。

こういう人が、「咸」の人・良き女性〔ひと〕だと思います。

 (吉田)兼好法師も、月・露・アロマ〔匂い・香り〕・・・の味わいを深く愛し、
古き世の(平安朝)“なまめかしき”〔優雅な・優美な〕女性像を追慕
いたしております。

『徒然草』の中で、良き対をなしている、
「雪の朝」と「月の夜(有明月・早暁)」の女性の物語を紹介しておきましょう。


○ 【雪のおもしろう降りたりし朝〔あした〕】 (第31段)

雪が趣深く降った朝に、ある人(女性と思われる)に手紙を送るに際して、
雪のことについては何も触れませんでした。
そうすると、
「今朝の雪を見ての感想(または、いかがご覧ですかとのあいさつ)が一言もないとは。
そんな粗野・無〔ぶ〕風流なお方のおっしゃることは、どうして受け入れることができましょうか。
それにつけても、がっかりさせられる(情けない)お心の浅さです。」との返事がありました。
これは何とも、おもしろいことでした。

○ 【九月二十日〔ながつきはつか〕のころ】 (第32段)

ある人(高貴な身分の男性)の誘いで、夜明けまで月見をして歩き楽しんだことがありました。
そして、ある人の愛人宅へ同行しました。(※ 兼好は、宅の外で待っていました。)
その愛人は、アロマテラピーを楽しみ、世を避けて静かに住んでいるような優雅な人のようでした。
(入って行かれた)ある人を送ったその愛人は、すぐには戸を閉めて奥へ入ってしまわず、
妻戸を少し押しあけて月を見ている様子です。
彼氏の後を見送りながらしみじみとした情趣を味わっているのでしょう。
これがもし、彼氏を送り出して、すぐに戸を閉めて中に入ってしまったとしたら、
さぞがっかりさせられたことでしょう。
(※ 兼好は、ある人が宅からでてきた後も、しばらくのぞき見しているわけです。)

 ――― 『徒然草』は、このあたりにしておくとして。


 ところで、明治時代の後半期(日清戦争〜日露戦争)、自然主義文学者の国木田独歩をご存じでしょうか。

独歩は、尋常ではない、唯一不思議な“願望”を持っていました。
それは、恋愛・金・名誉・出世・理想社会の実現などといった一般ピープルの持つようではない望みです。

 ―― それは結局、「喫驚〔びっくり〕したい」という望みです
(彼は、その著『牛肉と馬鈴薯〔ばれいしょ/じゃがいも〕』の中で、主人公に叫ばせているのです。)

 少年時代に読んだ、ロシアの童話でしたか、
“ゾクッ(ぞ〜)としたい”ことを求めて旅する男の話があったように記憶しています。
それが、子供心に不思議と印象に残っています。

この「喫驚したい」という望みというのは、文学者(芸術家)としての新鮮な“感動”をさすのでしょう。
創造の源泉・原動力の問題でしょう。

実際、独歩は、驚けない・はっきり目が醒めないことに悩んでおります。
私自身、芸術家・文筆家としての立場で、この独歩の悩みや望みはよくわかります。
今時の、「スランプ」や「モチベーションの低下」、などと関連づけるとよいかと思います。

 よき人間性を失ってしまいそうな時。
主体的にはっきりと目を醒まし、よく驚く=感動する ということが最も尊いことではないでしょうか。

東洋思想の泰斗・安岡正篤先生は、その著『百朝集』の第1・「我」の中で次のように述べられています。

 「人間は段々驚かなくなる、即ち純真熱烈に感じなくなる。麻痺してくる。
善にも、又悪にも、何ともなくなって来てをる。
夫婦親子兄弟が殺傷する世の中を二十世紀人は案外平然として暮らしてをる。
・・・・ 中略 ・・・・ 
人類が何千年もかかって漸く造りあげて来た文明が恐ろしい破滅に瀕してをるのに、
文明人がそれを驚かない、恐れない。
そもそも人間が驚かうにも、驚くその自我といいふものを恐ろしく喪失してをるのである。」
 ( ※注:原書のまま旧仮名づかいで表記しています。)

 社会全体に視野を拡げてみますと、今、感動を失った「大衆社会」が足早に、愚かに進展いたしております。

アメリカの社会学者リースマン( David Riesman : 1909-2002 )は、その著 『孤独な群衆』 の中で、(現代アメリカ人の社会的性格を)周り・他人の動きに左右され易く、画一化した行動様式・生活意識を持っているという特徴を 「他人指向型」性格と呼びました

そして、大衆社会の中で自由ではあるけれども個性と主体性を失い、
無力感と不安の中で、何のつながりもなく孤立しながら群れ集まって生きる現代人を
「孤独な群衆」と呼んでいるのです

私流に表現すれば、“個が空虚〔むな〕しく闊歩〔かっぽ〕する社会”といったところでしょうか。

 我国においても、マス・メディアに軽々と操られ、
周囲に迎合する「他人指向型」の「大衆社会」が進展し、
その弊害が顕著になってまいりました。

大衆化・国際化・高度情報化が進展する世界の時勢の中で、
日本人のアイデンティティ〔 identity :自我同一性・自己同一性/日本人とは何か?何が日本人か?〕が問われています

古代ギリシアの哲人 ソクラテスは、デルフォイのアポロン神殿に刻まれた「なんじ自身を知れ」の言葉を、真の知を得るための出発点(「無知の知」)としました。 

“Who am I ?” 自分の名を知らぬ者はないでしょうが、
“What am I ?” 「我」が何であるか、何者であるかは分かっているでしょうか?!

 

《 国木田独歩・『忘れ得ぬ人々』に想う 》

 それでは、しばし、『易経』片手に国木田独歩の世界を散策してみることとしましょう!

独歩の作品としては、『武蔵野』をはじめ、『源叔父〔おじ〕』・『忘れ得ぬ人々』
『牛肉とジャガイモ馬鈴薯』・『運命論者』 などが良く知られています。

今回は、短編『忘れ得ぬ人々』に表現されている作者の人間認識や人生観といったものを中心に「観」てみたいと思います。

◆◇◆―――――――――――――――――――――――――――◆◇◆

 『忘れ得ぬ人々』は、1898年(明治31年)国木田独歩28歳の年に、
『今の武蔵野』(『武蔵野』)・『河霧』・『鹿狩』等と共に発表されました。

 この作品は、溝口〔みぞのくち〕という宿場の亀屋という旅人〔はたごや〕宿に、
一人の男が泊まりに来るところから始まります。

語り口調で書かれた巧みな情景描写、
宿の主人と泊まり客との臨場感に満ちた描写がなされています。

この客は、大津弁二郎という無名の文学者で、
その「忘れ得ぬ人々」と書かれた原稿らしきものの内容を同宿の話相手、秋山に語るという設定です。

 「忘れ得ぬ人々」として、三人が語られます。

第一は「淋しい島かげの小さな磯を漁っているこの人」、
第二は馬子唄をうたっている「屈強な壮漢〔わかもの〕」、
第三は琵琶をひき謡〔うた〕う「琵琶僧」です。

その後二年を経て、「忘れ得ぬ人々」の最後に書き加えてあったのは
「亀屋の主人〔あるじ〕であり、「秋山」ではなかったと結ばれているのです。

 さて、大津が原稿の劈頭〔へきとう〕第一に書いてあるのは、
「忘れ得ぬ人は必ずしも忘れて叶〔かの〕うまじき人にあらず」という文言でした。

つまり、親・子・朋友知己・教師先輩といった
忘れてはいけない、忘れるはずではない(義務・当然)人に対して、
「恩愛の契りもなければ義理もない、ほんの赤の他人であって、
本来をいうと忘れてしまったところで人情も義理をも欠かないで、
しかもついに忘れてしまうことのできない人」です。

忘れられない理由は「憶〔おも〕い起すから」であり、
「生の孤立を感じて堪えがたいほどの哀情を催おして来る」時、
「これらの人々を見た時の周囲の光景の裡〔うち〕に立つこれらの人々」が心に浮かんでくるのです。

自他一体感をもって「懐かしくって、忍ばれて来る」というのです。

 忘れられない人々として、大津が秋山に語った意味は、
それが大津(=独歩自身)の人間認識に他ならないからでしょう。

以下において、『忘れ得ぬ人々』から汲み取ることの出来る人間、というものを考察してみましょう。
 
 まず第1に、自然と人間との関係において、“自然の中の人間という認識”があげられます。

 人間中心の西洋の思想・文芸に対し、東洋(日本)には伝統的に自然中心、
自然に帰一する、自然の中の人間という考え方があります。

独歩は、これらの作品をワーズワースの影響の下に書いていると言われています。
湖畔詩人の一人ワーズワースは、詩語を排し、汎神論的な自然観照をうたったイギリスの詩人です。

確かに独歩と共通するものが多いと考えられます。
文学者として自然を描き、その自然の中の人間を描いています。

独歩自身その経歴を見てみますと、
田舎の自然は好みますが人間はつくづく嫌っており、
東京に好んで住むことになるのです。

独歩の志向は、人間関係や人間社会の煩わしさにはなく、
自然とその自然に一体化した存在としての人間にあると思われます。

 この作品を読んで、まず特徴的なことは、その独特の自然描写です。
分量的にも、例えば第2の忘れ得ぬ人である馬子〔まご〕が登場する部分が18行ほどの記述であるのに対して、その話の舞台である九州旅行での自然描写は実に77行ほどにもなっています。

その自然描写の延長、帰一するものとしての人物の描写なのです。
 
ところで、東洋の水墨画は自然中心で、人物は「点景」として小さく自然と一体化した姿で描かれます。
私には、この作品の情景はまさに、一幅〔いっぷく〕の(彩色された)水墨画のように感じられるのです。

 船上からみえる漁人、通りすがりにみえる馬子、散策中みえる店先に立つ琵琶僧、
すべてが恰〔あた〕も点景のような人物です。

それらの人物の個人的なことや空想は、何も語られていません。
ありのままに、人物は自然に近づけられ一体化しています。

大津(=独歩)は、それら風景の中の人物に感動し、
その点景人物に作者自身が投影されているのではないでしょうか。

 そしてその水墨画は、絵画的で色彩の章〔あや〕なすものなのです。
一例に九州旅行の風景描写の中で色を拾ってみると。

 《 阿蘇山の白煙・霜・水蒸気が凝って白・雪・枯草白く・
赤きあるいは黒き・赤く・夕陽〔せきよう/2回〕・白煙濛々・麦畑・
斜陽・夕闇・夕暮・竈〔かまど〕の火・(明白〔はっきり〕)・蒼味がかった水・
真白・月の光・灰色・碧瑠璃〔へきるり〕 》など。

 このように、日本を象徴する色、白をベースに色が彩〔あや〕なしています
ちなみに、易に「白賁(はくひ/白く賁〔かざ〕る)」を理想とするとあります。

白は(素人〔しろうと〕と使うように)素〔しろ〕であり、
賁らぬ素〔そ〕のままの人間のあり方を示しているのです。

 第2に、“(自然を)我・自我を中心に捉えている点”があげられます。
先に自然について述べましたが、その自然は作者の私心に訴えるものです。

風景の美は、独歩(大津)の目と心を通しての“心象風景”の美といっても良いでしょう。

 大津は独歩自身がモデルであり、忘れ得ぬ人々も自身の投影、
自分がそこにいても良い人々なのでしょう。

具体的に登場する三人、原稿にある他の人々、鉱夫・青年漁夫・船子、
そして「亀屋の主人〔あるじ〕」です。
従って、すべて(独歩と同じく)です。
そして、(独歩と)心の交流のない人々なのです。

 第3に、“平凡・無名の人間”です。
1907年、二葉亭四迷が『平凡』を発表します。

『忘れ得ぬ人々』に登場する人々も平凡であり、一般的・ありきたりです。
そして忘れ得ぬ三人の人々は、仕事をしている姿(自然の中での人間の営みの日常)がありのままに描かれています。

また、大津・秋山以外に人名は登場しません。
この両名にしても、最初は、「七番目の客」・「六番の客」として登場するのです。

共に名刺には“肩書き”がなく、無名の文学者と無名の画家なのです。
更に、後年、秋山は忘れ得ぬ人々の中に入っていないのです。

 無名の自然(場所)に無名の人、―― そこに人間の本質・素〔そ〕・真実を見い出しているのではないでしょうか。

 第4に“五感(官)に忠実な認識”。
五感に占める情報量は、(心理学実験値で)視覚 87%、聴覚7%、
嗅覚3.5%、触覚1・5%、味覚1% 
とも言われています。

作者が意図しているかどうかはともかく、
この感覚の重要度の順に忘れ得ぬ人々が想起語られています。

 第1番目の漁人の場面では視覚描写。
第2番目の馬子の場面では、荷車の音・馬子唄・俗謡など聴覚描写が加わります。

第3番の琵琶僧の部分では、更に「腥〔なまぐさ〕い臭がーー鼻を打つ。」など、
嗅覚描写が加わっています。

人間の内面の“自然”にも忠実ということでしょうか

 第5に、まことに私見ではありますが、この作品から受けるイメージとして、
易卦「火山旅」の人生観が連想されるので一言付言いたします。

「旅」卦は、行かねばならぬ旅、孤独な旅人の意です。
親和薄く、文学美術への志向です。
作品の冒頭「旅人宿〔はたごや〕」、「燈火〔あかり〕」の登場や
末部「独り夜更〔よふ〕けて燈〔ともしび〕に  ーー 」などからの連想からかも知れません。

心淋しく、妻女外に行く意があります。
独歩の当時の境遇は、“信子”失踪があり、
こういった人生の辛味が作品に込められていることも推測できるでしょう。

 結びに、“感動・驚き重視の人生観”とでもいえそうなものについて述べてみたいと思います。

大津、秋山は、無名ながら多感な青年です。
忘れ得ぬ人々は、大津(=独歩)が感動した人々に他ならないのです。

 独歩がこの三年後に書く 『牛肉と馬鈴薯〔じゃがいも〕』 の主人公に
喫驚〔びっくりしたい〕」という唯一不思議な願いを叫ばしているのは有名です。

独歩自身、驚けない、はっきり目が醒めないといたく悩んでいます。
人間は段々驚かなくなり、純真熱烈に感じなくなります。

人間が人間たることを失ってしまいやすい時に、主体的に目を醒まし、
よく驚くということが、人間の一番尊いことでありましょう

独歩は、そのような人間像を志向していたのではないかとも、この作品を読み味わうにつけ感じた所です。
 
                                                                                     以 上 


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安岡正篤著・『易と人生哲学』 

安岡正篤著・『易と人生哲学』 (致知出版社)
 ――― 「縁尋機妙」/易の三義・六義/命・数/易は陰陽・中の学/五行思想/
運命・宿命・立命/真易と俗易/「易に通ずるものは占わず」 etc. ―――
 
《 はじめに ・・・ 「縁尋機妙」な出合い 》

縁尋機妙」※注) という至言があります。本との出合いも、また「機妙」です。
それは、間接的に(古の)大人・賢人・碩学との出合いでもあるからです。

「機妙」は、人にせよ本にせよ、それあること、それを感ずることがある事自体、
けだし人生の幸といって良いのではないでしょうか。

私のこの本の内表紙裏に、次のように自書してあります。
“易学を修め、斯道をもって世に尽くさんと志している自分にとって、
この本との出合いは意義深いものであった。
「五十にして天命を知る」で、まさに天の啓示のごとくであった。 ―― 平成十五年 夏しるす ”

私の“50歳”の年。
ちょうど「人生50年」の節目であり、敬愛する父が早世した齢でもありました。
何より、自分のこれからの人生に深思し、惑い憂慮していた時期でした。

易学については、当時で既に20年ほど独学自修いたしておりました。
偶々〔たまたま〕、易学関連の書籍目録の中に、(当時は)この一冊だけ安岡正篤氏の本がありました。

何とはなしに、不思議と「易」を冠するタイトル名に魅かれて手に入れました。
これが、私の“安岡本”との出合い、そして儒学・東洋思想との深刻な発火となりました。

※注) 「縁尋機妙」:良い縁が更に良い縁を尋ねて発展していくことは、
何とも人智を超えて神妙なものがある ということ。
聞説〔きくならく〕、安岡先生はよく「縁」というものを大切に、と言われていたそうです。

そして、何とはなしに読み進むうちに、 
「キョ伯玉 行年五十にして四十九年の非を知り、六十にして六十化す。」 
(『淮南子〔えなんじ〕』) についての箇所がありました。

実をいうと、“独学の盲点”でもあるかのように、この文言はその時初めて知りました。

私は、50の歳に奇〔く〕しくも、この言葉・この本に出合ったわけです。
今にして思えば、この出合いは、私の後年の人生を方向・決定づけました。
まさに、天の恵み・導き・啓示(さし示し)です。

この貴重・機妙な出合いにより、徒労とも思い込みそうであった
自分の“人生(半生)のリセット”・“洗心(心のクリーニング)”を果たしました。

カッコよくいえば、己〔おの〕が人生を「中した」(アウフヘーベン/止揚・揚棄)のだと考えています。

「五十」(歳)は、孔子の「知命」、キョ伯玉の「知非」でありました。※注) 
また、孔子は、
○「五十もって易を学べば、またもって大過なかるべし。」(P.26引用) / (『論語』・述而第7)
と述べています。

私にとりましては、人生の「節」〔水沢節の卦/節目・契機〕となりました。
そして、易学=儒学=東洋源流思想の修養と啓蒙普及をライフワークとしようと思い想うにいたるのです。

そうして、60にして60「化成」すべく (その間の時間的短さは密度・内容で補って)奮励し、
人生の“つじつま”(バランスシート)を合わせたいと考え願っています。

※ 注) 人生50年(寿命)の時代から、平均年齢50歳の時代となってまいりました。
実際には、孔子やキョ伯玉の時代の50歳は、現代の70〜80歳(後期高齢者?)
にも相当するであろうことは心しておかねばなりません。


《 安岡正篤氏の易に関する本 》

 安岡正篤氏(M.31〔1898〕−S.58〔1983〕)は、陽明学の権威・
歴代総理の指南役・終戦の詔勅を書かれた・「平成」の元号命名に与〔あずか〕られた、
等々で世に知られます。

しかし、私は、その思想の学際性・深さ、その懐〔ふところ〕の広さから、
昭和を代表する東洋思想の泰斗〔たいと〕(研究と人間の育成に従事)と、
漠〔ばく〕たる表現で紹介するほうが当を得ているように思っています。

安岡先生の、非常に多くの著作・講録全体からすれば、直接易に関する印刷物は限られます。

現在(‘09)までのところ、以下のものが主だったものかと思います。
 → →
1) 『易学入門』 (明徳出版社) S.35(‘60).11.10    
2) 『易学のしおり』 (関西師友協会) H.6(‘96).6.20
3) 『易と人生哲学』 (致知出版社) S.63(‘88).9.30
4) 『易とは何か ―― 易と健康・上 ―― 』 
     (株式会社 ディー・シー・エス出版局) H.13(‘01).1.20
5) 『養心養生を楽しむ ―― 易と健康・下 ―― 』 
     (株式会社 ディー・シー・エス出版局) H.13(‘01).3.20                      
6) 『易経講座』 (致知出版社) H.20(‘08).4.29


1)『易学入門』は、安岡先生が、手ずから執筆されたものです。
“入門”のタイトルとは、うらはらに、格調高く専門性が強いものです。
まったくの初学者からは、難解とも言われているようです。
(講義テープを聴くと)ご自身も、「入門といってもいろいろだ。一の鳥居もあれば二の鳥居もあってだね・・・」 などと笑いながら応えられていたようです。※注1) 
易を本格的に学ぶには、座右の書として手元に置いておきたい名著です。

※注1) 余事ながら、先だって生徒を引率して、奈良・春日大社・東大寺(共に世界遺産登録)に行ってまいりました。 檜・原板16枚を張り立って円柱としている「一の鳥居」(1063、平安)から大社前の「二の鳥居」をくぐってゆきながら、ちょうどこの言葉が思い出されました。
安岡先生は“鳥居を持ち出して、うまいこと表現したものだナ”と私〔ひそか〕に想ったところです。

※注2) 本書については、私 高根が関西師友協会・「篤教講座」(H.20.6.15)で研究発表いたしました。

2)『易学のしおり』 は、安岡先生の易経講義(第1回、S.33.3〜)の謄写印刷(ガリ版)講録をワープロ編集したものです。安岡先生60歳の頃の講義です
『易学入門』が著わされる直前(2年前)の講義資料で、改めて読み返すにつけても、時代を超えて貴重な講録冊子だと思います。
冒頭の項目を少し紹介しておくと。

「第1講・1序論: 
イ.易学の独習は困難である  
ロ.西洋に於て盛んに研究されている  
ハ.易は東洋に於ける教学の源泉である  
ニ.易を学ぶについての心構え  
ホ.天とはマクロコスミィックの世界からミクロコスミィックの世界に及ぶ無限のものである ・・・ etc.」

3)『易と人生哲学』以下は、講録本です。
安岡先生が、初心者・一般者を対象に講義・講演されたものを、後年(没後)、関係諸氏のご尽力で本に整えられて世に出されたものです。
語り口調で、内容も簡にして明、非常にわかり易いものです。
概して、思想・哲学(形而上学)といったものは、その道を極めた碩学・大家が語ると、非常にシンプルで解り易いものです。
「易の三義」の「易簡〔いかん=簡易:真理はシンプルなものであること〕」 です。
その実、大した内容でもないのに、やたら難解な語句を弄〔もてあそ〕び、結局何をいっているのかわからない、ということは世の中にままあります。
これらの本(講義)は、私の知る限り、最も易簡な易の手ほどき本です。
3)『易と人生哲学』は、S.63に第1刷発行され、私が入手した時(H.15)には既に16刷を重ねています。
近畿日本鉄道株式会社の懇請により、S.41以来14年間にわたり同社幹部社員に講義されたもののうち、「易と人生哲学」のテーマでS.52.5〜S.54.1までの間に講じられた10講です。

※注2) 本書については、私の門下生:嬉納禄子〔きなさちこ〕女史が真儒協会定例講習(H.19.12.23)で研究発表いたしました。 《レジュメ後述》

4)『易とは何か ―― 易と健康・上 ―― 』 は、安岡先生が毎夏臨講された日光の田母沢〔たもざわ〕会館での「政経・易学」(S.50.8)と
S.52.9〜54.7の間の全国師友協会の照心講座「易経活学」をベースとして、「易の哲学」(S.41.5〜9)・「不如会〔ふじょかい〕」 易経(S.50.10〜11,51.3〜6)の講話の中から適宜抄出してまとめられたものです。
( 同書 P.278参照 )

 ※注) 本書については、私 高根が関西師友協会・「篤教講座」(H.17.4.17)で研究発表(64卦要約題句の概観)いたしました。

5)『養心養生を楽しむ ―― 易と健康・下 ―― 』 は、日光の田母沢会館における 4回の連続講座の筆録です。
4日間にわたり「心を養う」・「徳を養う」・「身を養う」・「生を養う」のテーマについて詳説されたものです。
<付>として、「貝原益軒の養生訓」講議が加えられています。

 ※注) 本書については、嬉納禄子 女史が関西師友協会・「篤教講座」(H.18.10.15)で研究発表、真儒協会定例講習(H.19.8.26)ほかでも発表・講演いたしました。

6)『易経講座』 は、伊與田覺先生がまとめられた、前掲 易経講義・「易学のしおり」が、知致出版社各位のご尽力により装いも新たに刊行されたものです。

ご子息正泰氏のまえがき、伊與田先生の手による脚注や「懐想五十年」の寄稿、発行人 藤尾秀昭氏のあとがきも加わり、名文文飾、立派に甦って世に出たばかりです。

 

《 『易と人生哲学』 の魅力 》
 
さて、この本は、不思議な本です。不思議な魅力を持っています。
煌〔きら〕めく宝石が、びっしりと詰め込まれている宝石箱を芒たる光の中でで覗くような感じです。

初学一般者対象の講録の本書は、平易な言葉で簡にして明に表現され、活字も大きく分量も多くありません。にも拘らず、何度も何度も繰り返し読んでも、また歳月を経て読み返しても、そのたびに新鮮に感じられます。

今、私自身、一通りは易を修得したかナ と思って(一応)専門家の立場で、
(この執筆のため)読み返すにつけても、新たな意味あいや感動があります。

表紙は、変わらぬ馴染んだものなのに、中身の文言は熟成されたワインのように芳香を発しています。
深長重厚な魅力を感じ、改めて驚いています。

このような感じの本で連想するのは、『論語』です
『論語』も、繰り返し読むにつけても、古くて新鮮な魅力が甦ります

「言霊〔ことだま〕」ということばがありますが、一言に要せば、“神〔しん〕なる魂が入っている”、
“赤心〔せきしん〕なる血が通っている”
という感があります。

―― 運命観(運命・宿命・立命)/陰陽相対(待)の理法/命・数・中/五行思想/
易の三義・六義/仁・愛・(慈)悲/干支の真義/易理と64卦それぞれの契機〔モメント〕/
真易と俗易/八観・六験・学問修養の九段階 ・・・・まさに言霊の宝庫です。

そして、その不思議な魅力は、著者 安岡正篤先生の人間的魅力の投影ということでもありましょう。

「無名で有力であれ」とおっしゃられていた安岡先生の人柄が偲ばれます。

加えますに、私なりに少々この不思議な魅力の理由を考えてみました。

1) 内容の重厚・豊饒〔ほうじょう〕さ : 安岡先生の“学際性”が加味されながら、易・東洋源流思想の本〔もと〕・要〔かなめ〕が豊富に咀嚼〔そしゃく〕整理されて、易簡(簡明シンプル)に盛り込まれている点。

2) (著者の)講師・教師としての優秀さ : 一般的でない難解な形而上学の概念をわかり易〔やす〕く噛み砕いて、“翻訳・意訳”するように易〔やさ〕しく、親が子に教え諭すように講じられている点。

3) 易学・易思想の至れるもの : 私のいう“易の二重性〔二属性〕”(辞〔じ:文言〕と象〔しょう/かたち:表象・象意〕、易本文と十翼〔じゅうよく〕、右脳思考と左脳思考)が、悟られた境地で円通自在に描かれている点。そうして、東洋2000年〜3000年来の英知が現代の光をあてられて活学されている点。

などです。

これらは、易の深奥に到達した人、(宗教的にいえば)悟りの境地にある人ならではのもの。
余人(他の本)のなかなか及ばぬ処といえましょう。


《 真易・俗易 / 「易に通ずるものは占わず」 》

儒学・儒者に真儒」と「俗儒」の語があります。※注) 
安岡先生は、易にも真易」と「俗易」があることを明示されています。

この両者を明確に峻別して提言している点が、本書の優れた内容的特徴になっていると思われます。
「俗易」とは、“アテもの”として“大衆化”した通俗的な易(占)を指しています。

※注)中江藤樹の文献にみられた言葉です。私の“真儒協会”命名の1つの契機〔モメント〕にもなっています。

畢竟〔ひっきょう〕するに、「真易」は、一言 、「易に通ずるものは占わず」 と言えます。 

「占う必要がないという見識になって初めて易学をやったといえるのであります。
これは易学をやる者の忘れてはならないひとつの根本問題です。
易学をやるということは、占を学ぶのではなく、占う必要のない知恵を得る、
思索、決断力を養うということであります。」 (P.209引用)

「易に通ずるものは占わず」は、本来 荀子〔じゅんし〕の言葉です。
その深意を現代の光に照らしてまとめると、 
第1 に俗易(アテもの)ではない、真易であること。 
第2 にいつまでも占っているようでは進歩がないではないかということ
ここに易学の、学の学たるゆえんがあるのだ、と安岡先生は強調されているのだと思います。 

私があえて 第3 に加えれば、易に通じてもいないのに占わない(占えない)のもまた困りものです。

私の言葉で真易・深意をまとめてみますと。―― 易学は、俗易“アテもの”占に堕し、
迷妄にして、人間思想・人生哲学を失ったものでは困ります。
また、いつまでも(易)占に頼り続けたのでは進歩がありません。

逆に、易占の象〔しょう〕・変化の要素がなければ、易学は“易”のないただの“学”にすぎません。

易(占/筮〔ぜ〕)と(人間)学とが、中庸・中和し、
その二重性・融合の中に易学(『易経』)の“奇(跡の)書”たるゆえんがあるのだと、私は思っております


《 結びにかえて ―― 易なかりせば・・・ 》

易学思想は東洋の英知、五経の筆頭『易経』は東洋の“奇(跡の)書”。
東洋のバイブル『論語』と共に儒学遺産の双璧と、私は思っております。

今時の日本人は、己が持っている貴重なものに気が付かないで、
むしろ他所〔よそ〕=外国で正当に評価され尊ばれています。
情けなきことではあります。

「昔から、東洋哲学をやる人が結局どこへいくかと申しますとほとんど易経に到達いたします。
従って易経に首を突っ込むと一生ものだというぐらい学問の中では面白い、
面白いといっては語弊がありますが、小にしてはわれわれの人生から、
大にしては国家、人類の運命まで考えることができるたいへんな学問であります。」 (P.81引用)

易を修めると“窮する(行き詰まる)”ということがありません。
“易に通ずる者は占わずして窮せず”(高根)です。

私が思いますに、『易経』の辞(言葉・文)は、苦しい(大凶)時もあきらめずに頑張って途を開け、
と励ましとその方途を示してくれます。

また、良い(大吉)時も調子に乗らず自らを慎んで、
大人〔たいじん:立派な人〕に相談して事を運べと戒めています。

陰極まれば陽、陽極まれば陰の循環変化・立命の理を説いてくれます。

安岡先生は、「易を学ばなければ、自分自身どうなっていたか分からないことを折にふれて感ずることがある。」 と述懐しておられたそうです。

私も、立場や程度の差こそあれ、同じ感をもっております。
その易と後半生への確かな“元〔もとはじまり〕”となった契機がこの本との出合いです。

大いなる変化・変転は、かくさりげなく訪れるものかな、と追憶〔おも〕っているところです。

そして、私も精進・修養を重ね、「化成」して、易・人生をかく語り、講じ、著わしたいものと思っているところです。
 

《 『易と人生哲学』を読んで 》

この本の、具体的内容概観・紹介につきましては、
第6回 真儒協会定例講習 (H.19.12.23 )での、私の門下生:嬉納禄子〔きなさちこ〕女史の研究発表があります。
そのレジュメを転載併記しておきますので、ご参考ください。

――――    ――――――-    ―――--

【 『易と人生哲学』を読んで ――― 嬉納禄子 】

東洋思想家としてご高名な安岡正篤先生が、昭和52年5月から昭和54年1月までの間に、
近畿日本鉄道株式会社の幹部社員に対して 講演されたものです。

晩年の安岡先生が、一般の方、易を始めて学ぶ人のために、
わかりやすく 易と人生哲学の本質を見事に講じられています。

『淮南子〔えなんじ〕』という書物に、「キョ伯玉、行年五十にして、四十九の非を知る。」と書いています。

この本は、春秋戦国時代から漢代にかけての話をまとめた百科全書のような本です。
この中に登場する、キョ伯玉〔きょはくぎょく〕という人は 孔子がたいへん尊敬していた衛〔えい〕の国の賢大夫です。

その名言が これです。
その意味は、今までの四十九年の人生が間違っていたと認識して、
五十歳で人生を“リセット”したということです。なかなか出来ないことです。

そして、「六十にして、六十化す。」と続きます。
つまり、今までの人生が全部駄目だったと認めたうえで、
そこから 自己改造して進歩向上させていくことが出来るものなのです。

そのためには、「易」の根本義を正しく理解していなければならないのです。
「易」とは、「立命」の学問です。 
「五十もって易を学べば、またもって大過なかるべし」 と『論語』にあります。

しかし、これは孔子の時代の年齢ですので、現代の平均寿命 八十歳を超えていることを基準にすれば、七十歳〜八十歳に相当する年齢になると思います。

中年以降、それまでの人生経験を活かして、本当の意味での勉強が出来ます。
それで、ますます勉強をするようになります。

そのようにして始めて、大した過ちのない人生が送れるのではないでしょうか。
これは、たいへん味わい深い言葉だと思います。

易学とは、運命に関する宿命観(変えられない・あきらめ)を打破して、
常に 新たに立命(自分で主体的に自分の運命を創造していく)してゆくことです。

「しかし本来は、あくまでも立命 ―― 自分で自分の運命を創造していくということが本筋なので、
真の易学は、宿命の学問ではなく立命の学問であります。」

次に、“易の三義”である 「変易」・「不易」・「簡易」 について述べられています。

変易とは、変化・変わるもの。
不易とは、変わらないもの ―― 例えば人間のあるべき姿、仁・義の徳です。 
簡易〔かんえき〕とは、シンプルということ 
―― 例えば 郵便局の「簡易〔かんい〕」保険は、医師の診断なしで 自己申告で簡単に入れます。

さて、『易経』は、「乾為天」から「火水未済」まで 64の卦で構成されています。

第一番目の卦である「乾為天」には、大象〔たいしょう〕伝に 「天行健なり、君子自強息〔や〕まず」 と書いてあります。

これは、天のあるべき姿は剛健で、君子 = 立派な人は 自ら努力して休むことがないという意味です。

最後 64番目の「火水未済」は、
 「既済と全く反対であります。無終でありますから、これで無限に循環するわけであります。」 

このように、易経 64卦の各卦について、簡明にわかりやすくポイントを概説しておられます。

そして、安岡先生は、本来の学問としての「易学」と 通俗的な意味での「占易」とを、
明確に区別されています。

「易といえば占うものだと考えておるのは、それはまだ易学を知っておらぬからでありまして、
本当に易学を知れば、占うということはいらなくなります。
自分で判断して自分で決定ができます。
そういう意味で申しますと、易学というものは占う必要のなくなる学問であるということになります。
本当の学問と通俗のいわゆる常識というものとは非常に違うものであります。」

このことは、命学・卜学〔ぼくがく〕・相学・心理鑑定と「易学」の全般を秩序立てて学んでいる私にとって非常に感銘を受けました。
目からウロコが落ちた感じです。

結局これは、「易に通ずるものは占わず」 という言葉に要約されます。
私も 易学鑑定のイベントや街占〔がいせん〕の体験がありますので、なおさら重く受け止めているところです。

易学は、「」と「」と「」の学問です。
中論」とは、陰と陽の異質なものを 統合(止揚・中す 〔アウフヘーベン〕)して新しいものを生み出すことです。

例えば、会社(陰・正)と労働組合(陽・反)は、相対立する立場です。
両者が正しく交渉・「折衷〔せっちゅう〕」して、統一・統合をはかれば(止揚・中す)、
つまり 不況の中でもその会社や社員の進歩・発展(合)が実現するのです。

易の学問を修めてゆけば、窮することなく、占う必要もなくなるのです。 
―― これが、安岡先生のお立場です。

最後に、安岡先生が 次のように述べられていることについて申し上げます。
「 易は永遠の真理であり人間の最も貴重な実践哲学といってもよろしい。
ところが大変難しい。手ほどきが大事であります。
その手ほどきも、変な手ほどきをされると浮かばれない。正しい手ほどきがいる。」

私自身のことを 振り返ってみますと。
“たかね易学鑑定研究所”で、四柱推命・気学・各種相学を一通り学び、
いよいよ易学(易経)の学習を始めたころ、
師匠であります高根秀人年先生(現・真儒協会会長)からこの本を読むように薦められ、
感銘をもって読みました。

私は、高根先生から 易学の良い「手ほどき」を受けました。
また、この本を始めとする著書を通して、間接的に安岡先生の「手ほどき」を受けることが出来たと思っています。

良い先生、良い本に恵まれて、最初難解・不安であった「易経」も 今ではおもしろみを感じるまでになりました。
―― 私の易学との出合い・入門は、非常にラッキーでした。

『易と人生哲学』は、このように思い出深い愛読書です。
今に至るまで数年間、何度も何度も くり返し読んでいます。
まるで『論語』のように読むたびに、新たに考えさせられることが多くあります。

易の本質である中論は、自らの変化発展の理論です。
私は、運のなさや 能力のなさのせいにしてあきらめることなく、
自強不息〔じきょうふそく〕」 でしっかりと 「立命」してゆきたいと 改めて思っております。
 
                                            以 上 


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