儒灯

【温故知新】儒学の普及に力を注いでおります真儒協会 会長、高根秀人年の個人ブログです。 『論語』、『易経』を中心に、経書の言葉を活学して紹介して参ります。 私個人の自由随筆、研究発表などのほか、真儒協会が毎月行っております定例講習についても掲載しております。

カルタ

むかしの中国から学ぶ 第5講 「英語でABC論語カルタ」 (その4)

(こちらは、前のブログ記事の続きです。)

【 今回の“ABC論語カルタ”の講演 】

今回の“ABC論語カルタ”の講演は、ア)のパターン
(英語を話せる英語指導者が用いるツール)
で試作中のもの
26パターンを紹介・解説いたしました。

参考までに、そのいくつかをご紹介しておきましょう。

ex.

 D    【delight】  (大いに)楽しむ/嬉しさ・楽しさ

The Master said, “ The wize delight in water, the humane delight in mountains. ”
【子曰、知者楽水、仁者楽山。】 (雍也第6−23)
「子曰く、知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ。」
(孔先生がおっしゃいました。「知者は、〔水が流れるように流動的で、変化に対応して窮するこ
とがないので〕水を楽しみ、仁者は、〔泰山のようにどっしりと、やすらかにゆったりとしているので〕山を楽しむのです。」)

ex.

 F   【friend】  友/学友〔がくゆう/がくとも〕 ・ 道友〔どうゆう/みちとも〕

The Master said, “ It is a pleasure, isn’t it? To have friends coming from far
away and talk to each other. ”

【(子曰)、有朋自遠方来、不亦楽乎。】 (学而第1−1)
「(子曰)、朋あり遠方より来〔きた〕る(朋遠方より来る有り)、亦〔ま〕た楽しからずや。」
(孔先生がおっしゃいました。「だれか友〔=学友/道友〕が、遠くからやってきて語り合う、何とも楽しいことだねェ。」)     
 cf.山県有朋〔やまがたありとも〕/*「不亦〜乎」: なんと〜ではないか。詠嘆を表します。

ex.

 R    【respect】   尊敬

The Master said, “Yan Pingzhong was skilled in his dealings with others.
Even after a long period , he treated his acquaintances with respect. ”

【子曰、晏平仲善興人交、久而(人)敬之。】 (公冶長第5−17)
「子曰く、晏平仲〔あんぺいちゅう〕は善〔よ〕く興人と交わり、(人)*久しくして之を敬す。」
(孔先生がおっしゃいました。「晏平仲は、立派に人と交際され、長い間交際しても慣れ過ぎることがなく、*友人たちに敬意をもって接した。〔友人たちは敬意をもって彼に接した。〕」)
cf.晏平仲:名は嬰〔えい〕・平はおくり名・仲は字〔あざな〕、斉〔せい〕の名宰相、『晏子春秋』/
「久敬〔きゅうけい〕」/(人)の字を加えて読むと他人〔ひと〕が晏子を敬ったの意になります → 
Yan Pingzhong’s acquaintances treated him with respect.

ex.

 T    【timely】  時宜〔じぎ〕を得た/時機をみて

The Master said, “ To learn something and timely practice it. ----― that’s
enjoyable, isn’t it?”

【子曰、学而時習之、不亦説乎。】 (学而第1−1)
「子曰く、学びて之を時習す、亦〔また〕説ばしからずや。」
(孔先生がおっしゃいました。「学んで、時機に応じておさらいをする、何とも楽しいことだねェ。」)
 cf.『論語』の冒頭・ “小論語” の一節/「時習」の深意→ sometimes / from time to time
や alwaysはダメ。 /*「不亦〜乎」: なんと〜ではないか。詠嘆を表します。

( 以 上 )


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むかしの中国から学ぶ 第5講 「英語でABC論語カルタ」 (その3)

(こちらは、前のブログ記事の続きです。)

《 ABC論語カルタ 》

◎英語・中国語(漢語)・日本語 の語学教育ツール / 
◎イラスト・絵画による美術・情操教育ツール / 
◎内容文言による徳育・基本的生活習慣形成のベース
(*儒学徳目の基本的キーワードで創られています)


 わが国は、21世紀・ “グローバルな時代” に在って、
また同時に少子(超)高齢社会が進展しております。

かかる時代情勢において、 “ABC論語カルタ” は、
古くも新しい優れた伝統的教育ツール〔手段・方法〕として、私が考案中のものです。

 親子(祖父母・孫)で、 び・しめ・べる 伝統的教育ツールで、
現代の荒〔すさ〕んだ“心の貧しい”・“家庭の(絆の)貧しい”時代にこそ
相応〔ふさわ〕しいものだと考えます。

「温故而知新」です。 ── その意義・特色を挙げてみますと。


【 意義・特色 】

1) 親子(祖父母・孫)で、び・しめ・べます。
   親子(祖父母・孫)の絆〔きずな〕を、
   親が子に自然に知識・教養を教えながら創ることが出来ます。
   家庭(教育)の再生です。
2) 高齢者世代(その子どもであった親世代)自身の教養・頭脳の活性化
   (=ボケ予防)が図れます。
3) 進展する超高齢社会での高齢者の果たすべき社会的役割は、
   (経済的に稼ぎ働くことではなく)蓄積した人生の文化遺産(=経験・教養)を
   孫の世代(=次の次の世代)に教えることではないでしょうか。
   「一〔いつ〕なるもの」は受け継がれるものに他なりません。
   そのために必要な、ノウハウ〔やり方〕・ツール〔具体的教材〕となります。
4) 家庭教育の場でのツールであると同時に、内容を深化・工夫することにより、
   学校(公)教育・私教育の場に導入できます。
   就中〔なかんずく〕、語学教育・徳育(加えて描画・イラストによる芸術・情操教育)を
   一体化して行うことができます。  補注)


補注)

小学校教育の現場に英語教育の必修化が実施されました(‘11.春〜)。
然しながら、そもそも、一体誰が、どれほどの素養のある教師が、
どのような方法で授業に携わっているのでしょうか? 
現実は、“つけやきば”で小手先末梢的なものです。
このままでは、母語(日本語)も英語も生半可な人間を濫造する教育となるだけです。
また、中国では儒学を国教化し、『論語』を児童教育に導入しています。
日本も、本来あるべき儒学教育を再生していくべきです。
が、それにしても、当面そのための“師”と“ツール”にこと欠くことは必至です。
儒学的教養を教えることのできる先生がいません。
その先生・指導者を育成する先生(=師の師)たる人も、ますます稀少です。


【 “ABC論語カルタ”の試作 】

●まず、【カードの枚数】: “いろはがるた”は、末尾に「京」の字が加えられ
 48文字(鎌倉時代)が、読み札と絵札の 48×2=96 枚で構成されています。
 “ABC論語カルタ”は、アルファベット26文字が、
 読み札と絵札の 26×2=52 枚で構成されるということになります。
 量的に少ないと考えるようならば、アルファベットを大文字・小文字それぞれ 
 26×2=52 枚 とし、全体を52×2=104枚で構成すれば、
 ホド善いボリュームになるかと思います。

●次に、【カードの構成形式】: “いろはがるた”は、
 “いろはにほへと ・・・(あいうえお ・・・)”が単語の頭〔かしら〕に
 つくように作られています。
 【い】 → 「ぬ〔犬〕も歩けば棒にあたる」 といった具合ですね。
 してみると、“ABC論語カルタ”の作り方には、2通りが考えられます。
 それは、次の2パターンです。
 ア) アルファベットABC(スペル)・・・を、英語の単語(キーワード)のスペルを中心に考える
 イ) アルファベットABC(発音)・・・を、日本語(=漢字・漢語)の発音を中心に考える

─── 具体的に例示してみましょう。
◆『論語』(儒学)のキーワード 「愛/愛する」 を用いるとしましょう。
 「愛」「仁」 ・ 「(慈)悲」 と同じ概念です。
 “人べん”に“二”で、人と人とのかかわり・ヒュ─マンリレーションズをさします。
 “思いやり”のことです。
 「仁」の語は、『論語』に100回以上登場いたします。
 「愛」は専らキリスト教で用いられています。
 したがって英語の “love”も最重要キーワードです。
 『論語』に該当文言を探してみますと次のものが非常にシンプルで明確です。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

《漢》 【樊遅問仁、子曰愛人。】 (顔淵12−22)
《日》 「樊遅仁を問う、子曰く、人を 愛す 。」
《英》
 Fan Che asked about humaneness.
    The Master said,“ It is to
 love  others. ”

《現代語訳》
(樊遅〔はんち〕が、“仁〔じん〕”とはどのようなものですかとお尋ねしましたところ、
孔先生は「人を愛することだョ。」 とおっしゃいました。)

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

ア)のパターンですと、 「愛/愛する」= love  は “l・o・v・e”のスペルですから
 アルファベットの 【 L 】 の分類となります。
 英語・語学教育の中に、『論語』を取り入れるというニュアンスです。
 英語を話せる英語指導者が用いるツールとしてよいでしょう。

イ)のパターンですと、アルファベットの音を日本語(カタカナ)表記します。
 「愛/愛する」=アイ〔ai〕= I (アイ)〔ai〕ですから、
 アルファベットの 【 I 】 の分類となります。
 こちらは、日本人には用いやすいと思います。
 英語の初心者・入門者向きです。
 指導者(=読み手)に英語の素養があまりない場合によいでしょう。
 日本語(漢文)・『論語』をベースにしながら英語も学べるといったニュアンスです。


★ ア) と イ)、その目的と対象と水準〔レベル〕に応じて、
  2 とおりを作り組み合わせて用いるのもよいと思います。


【 今回の“ABC論語カルタ”の講演 】

今回の“ABC論語カルタ”の講演は、ア)のパターン
(英語を話せる英語指導者が用いるツール)
で試作中のもの
26パターンを紹介・解説いたしました。

参考までに、そのいくつかをご紹介しておきましょう・・・



※ この続きは、次の記事に掲載いたします。


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むかしの中国から学ぶ 第5講 「英語でABC論語カルタ」 (その2)

(こちらは、前のブログ記事の続きです。)

《 “「英語」より『論語』” 》

“「英語」より 『論語』”。

だれが言ったか、ゴロもよく(エイ・ロン と韻〔いん〕をふんでいます)、
アメリカ(欧米)文化に追随して、
日本語と日本の伝統精神を忘れている現状からの脱却を端的に示しています。


「太初〔たいしょ〕に言〔ことば〕があった。言は神と共にあった。言は神であった。」 と、
『聖書(ヨハネによる福音書)』にあります。

言葉は文化です。

文化は、“POWER”です。

21世紀・ “国際化の時代”・“グローバル時代” において、
わが国は、まず 母語=日本語 をしっかりと善く身につけさせるべきです。

その上で、国際語としての【英語】を、
そして最も多くの人が話している【中国語】を修得すべきです。

(尤〔もっと〕も、中国が経済力や軍事力のみならず、
世界をリードするに相応〔ふさわ〕しい“文化大国”に成長するならばですが。)


そして、何より忘れてはならないことが(現実にはすっかり忘れているようですが)、
話す中身、教養・人徳(品格)が肝腎〔かんじん〕です。

いくら英語をペラペラと流暢〔りゅうちょう〕に話せても、
その話している中身が浅薄であり、
教養・仁徳(品格)に欠けるものではダメです。

それこそ、日本人の恥を世界に吹聴〔ふいちょう〕し、
曝〔さら〕しているようなものです。

それならば、むしろ母語でしっかりと表現するほうがマシというものです。


わが国は、明治以来の欧米に対する言語・文化的コンプレックスを
いい加減払拭〔ふっしょく〕して、
日本語・日本伝統精神の本来あるべき姿に帰る時です。

明治期の英語で知られる啓蒙〔けいもう〕的教養人、── 
例えば、福沢諭吉(慶應義塾大学創設者)にしろ
夏目漱石(作家になるまでは東大の英語の先生)にしろ、
皆、漢学・日本語の偉大な教養人でもあったのです。

外国語としての英語の受容も、
ベースにあるものは日本語・東洋文化でなければなりません。


ところで、大概〔たいがい〕、末学〔まつがく〕の「知」のご人 というものは、
得てしてその「知」が“曇り”・“障壁”となって、
単純明白な真理すら見えにくくなるものです。

病だれの「痴」(*バカ者の意)となりがちです。

今、何が“本〔もと〕”で何が“末〔すえ/まつ〕”なのかを見失っているのです。


先述のように、当世の中国では、“文化大国”を標榜〔ひょうぼう〕し、
(英語でなく)中国語〔=漢語〕と中国文化(儒教文化)を世界に広めようとしています。

国内では儒学を“国教化”し、若者に『論語』を学ばせています。

孔子は、再び聖人に奉られてきているということです。


かつて、 「日の出づる処(ASIA)」 (by.聖徳太子) であったわが国は、
今や 「沈みいくたそがれの国」 (by.オスヴァルト・シュペングラー)となりつつあります。

“心貧しき”わが国が、忘れかけている徳性・道徳性を取り戻すためにも、
儒学を中心とする伝統精神の象徴としての 『論語』 を再生・復権することが急務なのです。


《 いろは がるた 》

●「犬も歩けば棒にあたる」/「論〔ろん〕より証拠」/「花より団子〔だんご〕」 
(江戸がるた)

■「一寸〔いっすん〕先は闇〔やみ〕」/「論語読みの論語知らず」/「針〔はり〕の穴から天のぞく」 
(上方がるた)


「いろはがるた」は、わが国江戸期(後期・化政文化)の優れた教育における、
そのツール(手段・方法)の一つです。

和歌のカードである「(小倉)百人一首」なども、
より古い歴史を持つ同様のツールといえましょう。


そもそも「いろはにほへと・・・・」(=いろは歌)そのものが、
他の言語には類をみない日本言語文化の傑作です。

仮名文字(ひらがな&カタカナ)は、
平安時代に中国伝来の漢字を簡略化(ひらがな)したり
一部を取って(カタカナ)発案されました。

これで、容易に日本語を文字で表記することが可能になりました。

とりわけ、漢字に対する“ルビ(ふりがな)”は、何とも偉大な工夫です

そして、「あいうえお・・・」 47の仮名を1字も余さずすべて用いて 
“いろは歌”という素晴らしい作品を創り出しました。

これは、七五調で曲節〔きょくせつ〕をつけて歌われました。  補注) 


なお、 「かるた」 〔carta/歌留多・骨牌〕の言葉は、
かつて世界史をリードした強国ポルトガルの語です。


西洋のカード(トランプなど)が、専〔もっぱ〕らゲーム・娯楽であるのに対して、
「いろはがるた」は、文化教養と娯楽を渾然〔こんぜん〕一体に兼ね備えた
優れものといえましょう。

西洋のカードとは、似ていて否なるものといえましょう。


殊〔こと〕に、内容文言において、
“ことわざ”・“慣用句”・“格言”・・・ などと称されるものが
用いられていることが重要です。

これらの短いフレーズは、本来は深遠な思想や人生(処世)哲学を、
一般庶民にきわめてわかり易くかみ砕いて表現したものです。

そして、それらを家庭教育・初等教育の場において
日本中に普及させたことは偉大です。

見事としか言いようがありません。

日本文化の英智を改めて想います。


補注)

「いろはにほへと ちりぬるを わかよたれそ つねならむ 
うゐ〔イ〕のおくやま けふこえて あさきゆめみし ゑ〔エ〕ひもせす」

「いろは匂いへ〔エ〕ど 散りぬるを 我が世誰ぞ 常ならむ〔ン〕 
有為〔ウイ〕の奥山 今日越えて 浅き夢見じ 酔ひ〔エイ〕もせず」

*「いろは歌」の元は仏教の『涅槃経〔ねはんぎょう〕』にある、
次の四句と言われています。

「 諸行無常〔しょぎょうむじょう〕/是生滅法〔ぜしょうめっぽう〕/
生滅滅已〔しょうめつめつい〕/寂滅為楽〔じゃくめついらく〕 」


《 ABC論語カルタ 》

◎英語・中国語(漢語)・日本語 の語学教育ツール / 
◎イラスト・絵画による美術・情操教育ツール / 
◎内容文言による徳育・基本的生活習慣形成のベース
(*儒学徳目の基本的キーワードで創られています)


 わが国は、21世紀・ “グローバルな時代” に在って、
また同時に少子(超)高齢社会が進展しております。

かかる時代情勢において、 “ABC論語カルタ” は、
古くも新しい優れた伝統的教育ツール〔手段・方法〕として、私が考案中のものです・・・


※ この続きは、次の記事に掲載いたします。


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