(こちらは、前のブログ記事の続きです。)

《 §2.白 white = 素 について 》

「素」“そ”は、それを 「絵事」=色彩 として捉えれば、
「素」“しろ”と発音されます。

「黒:Black」に対する「白:White」です。

この色彩としての“白・黒”の概念については、
次の3つの場合を考えることができると思います。


(1)“White:白色”の意 :

白い地〔じ〕や紙の上に文字や絵をかく〔書く・画く〕場合です。

この色彩学上の「白:White」は、
すべての色を反射したもの(反射率100%、吸収率 0%)です。

すべての色は“三原色”から構成されます。

「色光(加法混色)の三原色」
(=黄みの赤【R:アール】・紫みの青【B:ビー】・緑【G:ジー】)
を重ねますと白色光となります。


逆にすべての色を吸収すると(反射率0%、吸収率 100%)、
「黒:Black」になります。

「絵の具・色料(減法混色)の三原色」
(赤紫【M:マゼンタ】・紫みの青【C:シアン】・黄【Y:イエロ−】)
をすべて合わせると(理論上は)黒色になります。

宇宙空間に存在するという“ブラックホール”は、
あらゆるものを吸収(光さえも吸収)している空間なので
“暗黒”空間であるということのようです。


ちなみに、この色料(絵の具)の三原色 + 白・黒 の5色が、
東洋(五行〔ごぎょう〕)思想にいう「五色〔ごしき〕」であり、
西洋色彩学にいうヨハネス・イッテンのペンタード(五原色)です。 ⇒ 参考資料 1)

image_20141001_1



(2)“何もない”の意 :

白を何もないの意で用いる場合があります。
「素」を“す”と発音する場合はそれでしょう。

“白紙に戻す”といえば、何もない「素〔もと=元〕」の状態に戻すことです。

関西で「素〔す〕うどん」といいますのは、
何もトッピングしていない“かけうどん”のことです。

関東で“酢入りうどん”と勘違いしている人もいたとか(笑)。

“うどん”は白色ですが、その意ではないと思います。

“素〔す〕肌”や“す〔素?〕っぴん”も、白い肌ではなく、
化粧していないありのまま(=天然・自然)の肌・顔のことでしょう。

“素足〔すあし〕”も、履〔は〕き物を履いていない裸足〔はだし〕のことでしょう。


「素=す」について加えれば、
例えば、スイカなどの野菜で、中に空洞ができている状態を
“ス〔素?〕が入〔い〕っている”などと表現しています。

“レンコン〔蓮根〕”は“蓮〔はす〕”の地下茎(ハスノネ)です。

“蓮”は仏教でも尊ばれている植物で、“はちす”ともいいます(古称)。
“レンコン〔蓮根〕”に8つほど穴(=ス)が空〔あ〕いているからではないでしょうか?


本来ある日本語の用法かどうかは定かではありませんが、
“素〔す〕の自分”・“素〔す〕になれる”とか
“人間、素〔す〕が大事”とか使うのを聞いたこともあります。

この場合の「素〔す〕」は「素〔もと〕」・「本〔もと〕」に近く、
偏見や先入観のない状態を指しているのでしょう。


また、白は易の八卦で示すと【離☲】と考えられます。

が、同時に【離☲】が持つ空〔くう〕・虚・中身がないの意であるとも考えられましょう。

“無”・“空〔くう〕” (ex.“空〔くう〕白”・“空〔から〕手”・“空〔から〕約束”)は、
黄老の思想・仏教の思想に重なってまいります。


(3)“透明なものがある”の意 :

さらに特殊な場合が考えられます。

何も無いといっても、宇宙空間のような真空ではなく、
地球上には“空気”があります。

例えば、遠くの山が青みがかかって見えるのは、
空気の層があるからです。

すなわち、空気の色は青色だからです。

従って逆に言えば、青色を少しずつ山の本来の色に混ぜて、
さらに輪郭をボカして描けば遠くの山々が表現できるというものです。

(cf.レオナルド・ダ・ヴィンチ: 色彩遠近法・空気遠近法・スフマート〔ぼかし〕)


また、“透明人間”ではないですが、
“透明なものがある”という場合があります。

例えば、ガラスやビニールなどは、白色ではなく何も無いのでもなく、
透明なものが存在するのです。

バリアーのような物理的エネルギー層も、
目に見えなくても存在しています。


自然科学で、宇宙や生命の誕生について
“無から有を生じた”といっても、
その “無”は“Nothing”〔何もない〕ということではなく、
「素〔もと〕」はあってのこと
でしょう。

形而上学(思想・哲学)で、黄老思想の“道=無”から有を生じるのも、
仏教思想の“空〔くう〕”から有を生じるのも、
“Nothing”からということではないのです。


cf.≪宇宙の誕生≫ 
「暗黒空間(時代)」/水素・ヘリウム・暗黒物質/「ファーストスター」 
(太陽の100万倍・青白〜白)/宇宙の膨張は加速度的・「暗黒エネルギー」の存在 
(高根・『大難解老子講』 pp.46〜49 参照のこと)


さて、この色彩学の白・黒の概念を“人間学”に擬〔なぞら〕えれば、
白=「素」・黒=「玄」と表現されます。

例えば、“素人〔しろうと〕”・“玄人〔くろうと〕”という対応語がありますね。

私が想いますに、それは結論的に要せば、
「白:White」=儒学の「素〔そ〕」・「黒:Black」=黄老の「玄〔げん〕」
ということです。

そして、それを易学的に表象すれば、
「白:White」=【離〔り〕☲】・「黒:Black」=【坎〔かん〕☵】
です。


儒学の「素〔そ〕」は、「明〔めい〕」です。

儒学は「明徳〔明という徳〕」を重視します。

例えば、『大学』の書き出しは
「大学の道は明徳を明らかにするに在り」(明明徳 とあります。

一方、黄老(老荘)のほうは「玄徳」を重視します。

明と玄(=暗)は、陽と陰と捉えることもできましょう。

この両者は、二様・相対峙〔あいたいじ〕するようなものではなく、
表裏一体です。

(深層)心理学的に“氷山”で図示してみますと、
次のようなものだと考えられます。 ⇒ 参考資料 2)


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☆儒学の「素」〔そ/しろ=白〕/【離☲】 と 黄老の「玄」〔げん/くろ=黒〕/【坎☵】


─── “「白と黒」は色の本質であり、「素〔そ〕と玄」は人間の本質であり、
      【離】と【坎】は万物の源 である” ───
 (by たかね)



《 §3.白 賁 〔はくひ〕 について 》

儒学の源流思想(形而上学)は、『易経』になります。

その重要性は“五経”〔ごきょう〕の筆頭に位置づけられていたことからもわかります・・・



※ この続きは、次の記事に掲載いたします。


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