儒灯

【温故知新】儒学の普及に力を注いでおります真儒協会 会長、高根秀人年の個人ブログです。 『論語』、『易経』を中心に、経書の言葉を活学して紹介して参ります。 私個人の自由随筆、研究発表などのほか、真儒協会が毎月行っております定例講習についても掲載しております。

謹賀甲午年  その1

謹賀甲午年 〔謹んで甲午年を賀します〕 その1

───  甲・午・四緑木性/「輪」・「おもてなし」/“仁”・“核〔さね〕”/
「赤兎(馬)」と「騅〔すい〕」/「馬のはなむけ」・「馬が合う」/
【雷火豊】・【火天大有】卦
  ───


《 はじめに ・・・ 干支について 》

明けて平成26年(2014)。 
新年を皆様と迎えますこと、大慶でございます。


今年の干支〔えと/かんし〕は、(俗にいうウマではなく)
「甲・午〔きのえ・うま/こう・ご〕です。

干支は、十干〔じっかん〕(天干)と十二支(地支)です。

かつてはこの、10 と 12 の組み合わせで、
60干支〔かんし〕の暦を作っていました。

「丙・午〔ひのえ・うま/へい・ご〕」と発音が似ているので、
たまに勘違いをしている人を見かけます。

(丙・午年生まれの女性は、じゃじゃ馬だとの
広く知られている俗説・妄説と関連しての勘違いでしょう。)


そして、本来十二支は、動物とは専門的には直接関係ありません。
が、動物のイメージ・連想は、人口に膾炙〔かいしゃ〕しています。


干支を「今年のエトは、ウマで ・・・ 」とメディアが薄々軽々と報じているところです。

また、干支は旧暦(太陰太陽暦:我国で明治維新期まで用いられました)ですから、
年始は 2月4日(立春)からで、
2月3日(節分)までは、まだ「癸・巳〔みずのと・み/き・し〕」です。

これらのことを確認しておきまして、
これから干支「癸・巳」年のお話をして、私の年頭所感としたいと思います。


《 「輪」 と 「おもてなし」 》

昨年・平成25年の世相をあらわす文字(「今年の漢字」)は「輪」でした。

(一昨年は「金」、その前は「絆」。) 

── 2020年の“東京五輪”の開催決定や相次ぐ自然災害への支援の輪からの連想です。

この「輪」の文字が世相をあらわす文字として思った(当てた)人も多かったことでしょう。

「今年の漢字」に応募された語の半数以上の多数による決定であったわけですから、
“一般ピープル並みの連想をするならば当たる”、という理屈です。

翌日の朝日新聞“天声人語”でも、
「輪」が“東京五輪”と“人のつながり”という連想から述べられていました。 注1)


しかるに、私は多数の連想からは離れて居るようで、「輪」から連想するものは、第一感『論語』でした。

というのも、『論語』は『輪語』ともいいます

人口に膾炙〔かいしゃ/=普及〕している『論語』の書名の由来は、
多くの弟子たちが(孔子の言葉を)論じてピックアップしたことによる名称といわれています。

この『論語』の別称が『輪語』で、弟子たちが“輪”になって論じたからの意からでしょう。

(cf.他に『倫語〔りんご〕』・『円珠経〔えんじゅきょう〕』ともいわれています) 

私は、『論語』=『輪語』の(精神の)見直し、これからの再生の必要性を連想し想ったのでした。


そして、この『論語』の中に、100回以上も登場する
(『論語』=孔子の思想)キーワードが「仁〔じん〕」です。

「仁」とは“人が二人”と書きます。

人と人の間に生じる自然な親愛の情、相手を思いやることです。

「仁」=“恕〔じょ/ゆる・す〕”であり、
キリスト教の “愛”であり、仏教の“(慈)悲”に相当いたします。


また、“核〔さね〕”の意でもあります。

植物の種でいえば“胚〔はい〕”にあたります。

中華料理のスイーツの“杏仁豆腐〔あんにんどうふ〕”は、
杏〔あんず〕の種子からつくりますね。 注2) 

動物でいえば“卵〔らん〕”にあたります。 
── つまり、始原出発点であり、
(人として)欠くべからざる最も重要なものの意ということです。 注3) 


私なりに易学的に考えてみますと、“核〔さね〕”は“陽”であり生成発展です。

そして、「仁」の象〔しょう〕は【坎〔かん: 水】です。

【坤〔こん: 地】の肉体(陰)に貫き通る(“一貫するもの”)一本の陽、
すなわち“善き精神”であり“まこと”であるのです

老子もその思想を“水”【坎〔かん: 〕】に象っています。


ところで、“東京五輪”招致のプレゼンテーションの中で、
流行語大賞の候補にもなった(滝川クリステルさんの)
「お・も・て・な・し」という語がありました。

日本語の“おもてなし”とは、
相手に対するまごころ・おもいやりの念(=仁)に他なりません
。 注4)


前回の“北京オリンピック”(2008.8.8.8.)を中国が開催するにあたり、
従来の共産国の方針を(表面的にはですが)大転換して、
儒学・孔子を生んだ国であることを世界にアピールしました。

開会式で「有朋自遠方来、不亦楽乎。」
(朋〔とも〕あり、遠方より来たる、亦〔また〕楽しからずや。)と
論語の冒頭を高らかに唱〔うた〕ったのは、記憶に新しいことですね。

わが国は、まず“東京オリンピック”に浮かれて
東日本大震災の復興や福島第一原発事故の善処・展望を
等閑〔なおざり〕にしないことが大切です。

そうして、わが国も“東京オリンピック”に向けて、
忘れている日本儒学の古き善き伝統を復活させるべく、
“輪語”・“おもてなし(=仁)”に想いを向けるべきです。


注1)“日本漢字能力検定協会は「今年の漢字」を「輪」と発表した。
   毎年、公募をして一番多く寄せられた字が選ばれる。
   「おかえり、五輪」 「ようこそ、五輪」の思いを込めた人が多かったのだろう。
   ▽人のつながりを「輪」に例えることもある。・・・ ”
   (2013.12.13.朝日新聞・天声人語)


注2) 現代の学生諸君が、「仁」=「核〔さね〕」を
   どのような若者表現で理解しているのか、参考までに述べてみますと; 

○ 「仁」とは、── 人の自然な心情で、愛・慈悲と同じことで、
  それが人間の核になっている/真心〔まごころ〕のことで、
  心の真ん中=核 を意味する/(人間の)核である心にあるもの/
  人間にとっての核であり、変わることなき中心の核/
  核のように続いてゆくもの(≒DNA・永遠・連続・一貫するもの)/
  思いやりを大切にしてブレない核で貫かれているもの/
  いろいろなものの核、人と人との間にできる核/
  思いやり、それは人格の核となる/
  核(胚や卵黄)のようにこれから成長していきなさいということ/
  核(胚や卵黄)は栄養分(種の白い部分や卵の白味)があって育ちます。
  (それが人間にとって学ぶということでしょうか?) etc.


注3)トピックス“卵〔らん〕”・「万能細胞」について:

   ES細胞(2007年・ノーベル賞・Mエバンス博士・英)に続き、
   昨年i PS細胞(2012年・ノーベル賞・山中伸弥 京大教授)、
   今年2014年STAP細胞(小保方晴子 理研ユニットリーダー)。


注4)“寒い季節こそ人の情けは身にしみる。
   流行語になった「おもてなし」の最たるものは、
   能で知られる「鉢木〔はちのき〕」だろう。・・・”
   (2014.2.7.朝日新聞・天声人語)

   旅の僧〔北条(最明寺)時頼〕が、雪道に悩んだ時、
   貧家の主人〔佐野源左衛門常世〕が、暖をとる薪が底をつくと
   愛蔵の梅・松・桜の鉢の木を焚〔た〕いてもてなした話です。

   ちなみに『三国志(演義)』では、似たスチュエーションで、
   山中にさまよっていた劉備玄徳をもてなすのに
   、主人が自分の愛妻を殺してその肉を供するという“大陸的なもてなし”の話が登場します。

   (※われわれにはショッキングな話ですが、原書では美談として扱われているのです。)


《 甲・午 & 四緑木性 の深意 》


 さて、今年の干支「甲・午」には、どのような深意があり、
どのように方向づけるとよいのでしょうか。・・・


※ この続きは、次の記事に掲載いたします。


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天皇のお名前と「仁」

天皇のお名前と「仁」
    ─── 仁 / 愛 /〜子〔し/こ〕/ミーム/忠恕/
          明仁(H.)・裕仁(S.)・嘉仁(T.)・睦仁(M.) ───


《 はじめに 》

 幼少のみぎり、親父が知人と軽く談話していたのを聴くでもなく聞いていて、
その内容を何故かいまだに鮮明に覚えています。

それは、“(当時の昭和)天皇陛下のお名前は何というか”という内容です。

“天皇(陛下)”というのは、会社でいえば“社長”・“会長”などと同じで身分や地位の呼称です。
個人の名前ではありません。

 「そりゃ、キンジョウ陛下だろう。」と、その知人の人が言っていました。
“キンジョウ(コンジョウ)”は、“今上”ですから、今(当代)の天皇といっているだけですから
名前ではありません。

昭和天皇は“ヒロヒト”(陛下)というのだと、父が言っていました。

今、天皇のお名前を知らない若者が多いですが、親は子供にしっかりと教えられているでしょうか?
 (日本史上)最近の、天皇のお名前が言えますでしょうか。(敬称略)

・平成 ── 明〔あきひと〕    ・昭和 ── 裕〔ひろひと〕 
・大正 ── 嘉〔よしひと〕    ・明治 ── 睦〔むつひと〕 
・・・と申されます。

※ 明治以来、「一世一元の制」により天皇一代を一年号と定められています。



《 仁 とは 》

 お気付きのように、天皇のお名前には「仁」の一字が用いられています。

つまり、皇子〔みこ〕(天皇のお子様としてお生まれになった男子)には、
「○・仁」のように命名するわけです。

その出典は、元号(年号)と同じく儒学の経書からが多いです。

 平成天皇のお名前は、「明〔あきひと〕」。お子様の、「徳〔なるひと〕」さまは 
『中庸』から、「文〔ふみひと〕」さまは 『論語』から採られています。
(意図したのかどうか存じませんが)

今上天皇と皇太子と、父子で「明徳となります。
明徳は、大人〔たいじん〕の学 『大学』の三綱領の筆頭です。
「大学の道は明徳を明らかにするにあり。」です。

 秋篠宮〔あきしのみや〕(妃:紀子さま)家のご長男(親王)は、
「悠〔ひさひと〕」さま(‘06.9.6 生)。

「悠」を、“はるか”と読む名前も身近に 3・4人知っています。
“悠游〔ゆうゆう/悠悠〕”は私の好きな言葉・文字ですが、
悠久・悠然の悠で、ゆったり・長い・久しいの意です。 

 「仁」は、一般ピープルにも、永く広く浸透・普及しています。
歴史上の人物名などでご存知かと思います。

現在でも、お知り合いに何人かは「仁」のつく人や屋号などがあると思います。
男女の別を問わず、よく用いられていますね。
「仁」のつく名前の羅列は省略するとしまして ── 。

 TV.番組は、その時代時代の世相を反映しているという側面を持っています。
例えば、昨年度(‘09)私が楽しく見せて頂いたものを 2つ紹介しておきたいと思います。

「仁」が、主人公の名・兼ドラマタイトルに用いられているものです。

 1つは、「特命係長・只野 仁〔ただの ひとし〕」(高橋克典・主演)。
表向き、昼間の顔は、サエない平係長ですが、
社長の特命を受けて会社の平安無事を守るために超人的な活躍をする、
というコミカルな娯楽番組です。“ただの人”のシャレでしょうか。

 今1つは、「JIN − 仁 −」です。
幕末の江戸へいきなりタイムスリップした脳外科医・“南方 仁〔みなみかた じん〕”
(大沢たかお・主演)が主人公です。

その近代医術で、人々を救ったり幕末の英傑たちと交流するものです。
やがて、江戸に“仁友堂”を開院して結びとなります。

緒方洪庵〔おがたこうあん: 医師、適塾をつくる〕も登場しまして、
私には“医は仁術なり”のことばが連想されました。

 現在の「仁」ということば(文字)は、その意味内容の深意・重大性を離れて形骸化し、
大衆社会の弊害を背景に、知名度の理由だけで形式的に用いられているのでしょう。

さて、「」は、儒学(孔子)の考える理想的人間(君子)の徳目の中心です。
『論語』の中に、100回以上も登場します。

「仁」の字は、人が二人で対等・平等・人間相互のコミュニケーション
(親しみや人を思いやる愛情)をあらわしています。
また、種子の中の胚芽の部分で、なくてはならない一番大切なものです。

「果物の核〔さね〕を仁というが、この宇宙・人生を通じて、万物と共に生成化育していく。
その造化の徳が仁である。
この仁が発して、いろいろの枝や葉、花、実となるというふうに発展していくその根本が仁であり、
その仁から出る瑞瑞〔みずみず〕しい鮮やかな成果が文である。
だから文は文化・教養といってもよい。
 ・・・ 」
(安岡正篤・「人生の五計」引用)

 ところで、知るということについて、「学知」と「覚知/智」という語があります。
「学知」とは通常の一般的な読み書きで理解するものです。
「覚知/智」は、心の底・“腹の底からドンとわかる(智:さとる)”というものです。

「仁」のような形而上学的(抽象的・哲学的)概念は、覚知・覚智の世界で、
心眼・心耳にて、形なき形を観、声なき声を聴き、天から(天の働きを)自得しなければなりません。

東洋でいう悟りです

 悟りは、自得・体得するものですから、他者にことばで説明・伝達することは出来ません。
それで、孔子は『論語』の中で、弟子の能力・個性に応じて、さまざまな表現で「仁」を定義・説明し、
語っているわけです。

西洋でも、『(新約)聖書』を読むと、イエスさまが同様にさまざまな具体的表現で、
「(キリスト教の)愛」を語っているのがわかります。 

 このように、「仁」(・「愛」)というものを真に知るには覚知・覚智しなければなりません。

さりとて、人に教え示すのを業としていますと、一応は言葉・文字表現で説明して、
ある程度の理解をしてもらわなければなりません。 

── 例えば、次のとうりです。

 「仁」は、具体的には、まごころと思いやり(忠恕〔ちゅうじょ〕、
加えて孝悌〔こうてい〕)
を意味します。
人類愛・ヒューマニズム〔人間中心主義〕の思想そのものです。

結局のところ、儒学の「仁」、キリスト教の「愛」、仏教の「(慈)悲」は、
本質においてはみな同じと思われます


 人間にとりまして「仁」は、「一貫」する根源的で重大な本〔もと〕です
にもかかわらず、当世、忘却・放擲〔ほうてき〕されて、まさに“仁義なき時代”です。

何百年の後、日本の未来(があるとすればですが)から現在を眺める時、
さぞかし現状を愚蔑軽蔑の念をもって語られることと思います。



《 仁 と 愛 》

皇太子(妃:雅子さま)のご長女(皇孫内親王)は、御名を「子〔あいこ〕」さま、
称号を「宮〔としのみや〕」さまと命名されました。
(‘01.12.1 生) 出典は『孟子』です。

○「孟子曰く、君子の人に異なる所以〔ゆえん〕は、
  その心を存〔そん/かえり=省・みる〕する(心に存す)を以てなり。
  君子は仁を以て心を存し、礼を以て心を存す。 |
  仁者は人をし、礼ある者は人をす。人を愛する者は人恒〔つね〕に之を愛し、
  人を敬する者は人恒〔つね〕に之を敬す。・・・ 」     (『孟子』・離婁章句下)

《大意》
 孟子がおっしゃるには、「有徳の君子が、一般ピープルと異なっているところは、
よくその本心を存して失わないということに(その心をたえず反省していることに)あるのだ。
君子は、いつも仁と礼の徳を修めて、本心を失わないようにする。(その心を反省する。)
そもそも、仁者というものはよく人を“”するし、礼ある者はよく人を(尊)“”するものである。
人を愛するものは、他人〔ひと〕もまた常にその人を愛するし、
人を(尊)敬する者は、他人もまた常にその人を(尊)敬するものである。 ・・・ 」と。


 当時、皇室の中に男性のお子さまがいらっしゃいませんでした(悠さまがお生まれになる5年前)。 
天皇になることを前提とする“仁”はつけにくく、“愛”にしたのではないでしょうか?
(現・皇室典範で天皇は男性と定められています → 変更すればよいわけではありますが) 

というのも、先述のように“仁”と “愛”は同じだからです。

『論語』にも、 「樊遅〔はんち〕 仁を問う。子曰く、人を愛す。」(顔淵第12) と
仁が人を愛すことであることが述べられています

 そして、「敬〔けい/つつしむ〕」。
母(陰)の“愛”に対して“敬”は父(陽)です。

敬愛そろって、人倫のよろしきが保てるのです。
『孝経』 の「天子章・第2」に、次のような記述があります。


○“子曰く、「親をする者は敢えて人を悪〔にく〕まず、
  親をする者は、敢えて人を慢〔あなど〕らず。|
  愛敬〔あいけい〕 親に事〔つか〕うるに尽くして、徳教百姓〔ひゃくせい〕※ に加わり、
  四海に刑〔のっと〕る(刑〔けい・のり〕す)。蓋し〔けだ〕し、天子の孝なり。 ・・・ ”

《大意》    
孔先生がおっしゃるには、「親を愛する者は、どんな場合も敢えて他人〔ひと〕を憎むようなことはない。
また、親を(尊)敬する者は、どんな場合も敢えて他人を侮る(バカにする)ようなことはない。
“愛”と“(尊)敬”の心が、親に事えるに際して発揮され尽くされれば、
徳による教え・教化が遍く万民(国民全体)に行き渡り、
四方蛮族の国々にまでもお手本としてマネるようになる。
これがまあ、天子たるものの孝というものだろうね。 ・・・・ 」と。


 “敬愛”の名称は、今でも、幼・小・中・高・大の学校関係をはじめ一般団体でも広く用いられています。



《 子〔し/こ〕の字 》

 本来、中国では、上につく“子〔し〕”は、男子の美称・尊称です。
日本では、“お富さん”・“お寅ばあさん”のように名前の上に“お”をつけて丁寧・尊敬を表わしますね。

 下につく“子〔し〕”は、成人男子の尊称で、〜先生・〜様の意です。

例えば、“孔子”は(孔が姓で)、孔先生の意です。
ですから、“孔子先生”や“孔子様”という用いかたは“先生様”と同じく重複で丁寧に過ぎます。

『論語』の「子曰く ・・・」は、「孔子曰く ・・・」を略したものです。
また、子は非常な尊敬を表わしますので、『論語』で子がつくのは“曽子〔そうし〕”ほかほんの数名です。

 従って、極めて敬意を表して“子”が上下につく場合もあります。 

 ── 例えば。

○「子程子〔していし〕曰く、不偏、之を中と謂〔い〕い、不易之を庸と謂う。 
   ── 中略 ── 
  子思〔しし〕其の久しうして差〔たが〕わんことを恐る。故に之を書に筆して、以て孟子に授く。」 

有名な『中庸』・序の冒頭です。“子程子”がそれです。
なお、“子思”は孔子の孫の名で『中庸』の著者です。
尊称する時は子思子となります。

“孟子”は孟が姓です。ついでに、『論語』の人気者・孔子の高弟“子路〔しろ〕”は字〔あざな〕です。

ちなみに、日本でも漢学の教養のある人は、“〜子”と称して敬意を表しています。
例えば、俳人 正岡子規の“子規”は名前(ペンネーム)ですが。
子規の親友 夏目漱石は、そのデビュー作品 『吾輩ハ猫デアル』 の中に
次のように子規を敬意を表して登場させています。

「僕の俳句における造詣と云ったら、子規子も舌を捲いて驚いた位のものさ」。

一方日本では、下につく子は“こ”と読んで、専ら女性の名前に使われます。

本来、〜様 という敬称で、身分の高い女性に付きました(一般の人々には付きませんでした)。

ちなみに、私の母の名は“秀子”で、
その母の一字と父の“義人〔よしと〕”の一字をもらって“秀人〔ひでと〕”と名付けられています
(それに“年”をつけ字し、易号として用いています)。
私の4人の姉・妹は、みな “○○子”です。

子供の命名には、流行〔はやり〕があって、
今は “〜子” は流行らないようでぐっと数は少ないようです。
しかしいずれまた、流行るかも知れません。

私が頼まれて命名したもので、良い出来だったと思っているものの一つに
“夏子〔なつね〕” があります。
夏生まれの女児でした。「子〔ね〕年生まれ」であったことと、“なつこ”と読んでも良いので、
将来成人するころには “〜子” が流行るかも知れないと遠き慮〔おもんばか〕りしての命名でした。



《 結びに 》

 (中国)大陸では、孔子の血脈が受け継がれ、
今時、79代直裔孔孫 孔垂長先生がご活躍と聞いています。

お子さまの、第80代直裔孔孫 孔佑仁さまが、H.18年1月1日にご誕生されておいです。

 我国では、天皇の血統が脈々と受け継がれ、
(神武天皇に始まる初期の代のころは、歴史的実証に疑問がのこるにせよ) 
今上陛下で、125代を数えるとされています。

一番古い皇室(※エチオピア皇室は数年前に追放されています)として世界が注目しています。

その永い歴史の間に、血統が絶えるかもしれないとの危機も幾度かありましたが、
途絶えることなく今日に至っているのは、奇跡的なことといえましょう。

日本の天皇を“世界遺産”に、との声もあるそうです。
実〔まこと〕に偉大、世界に誇れることではあります。

 応神天皇16年、我国に『論語』10巻と『千字文』1巻が伝来した(漢字・儒学の伝来)とされています。

この時以来の、我国の皇室と、天皇の御名に「仁」を冠することに象徴される〔シンボライズ〕
儒学との緊密な結びつきは、現在に至るまで連綿脈々と生きています。
※ 注) この皇室と儒学との結びつきの理由は、どのように考えればよいのでしょうか?

 その考えられる理由の第一は。 
当時、日本の王〔おおきみ〕・元首としての天皇が治世上、
先進唐土〔もろこし〕の儒学という優れた学術文化・治政思想を摂り入れた。
それを強力に普及するべく先頭に立った、という視点が考えられます。

 今一つは、本来アジアの聖なる思想・教学は、至れるもの同じであった。
中国儒家思想(理想像)と日本の天皇の思想(理想像)は
元々似かよっていたから(皇室に「仁」の心がすでにあって)、
自然に速やかに一体化・融合したという視点
です。

 外来文化というものは、固有の文化(神道など)とトラブル〔拒否反応〕を示すものです。
仏教、キリスト教 ・・・然りです。

例を想うに、医学面でも、異なるものが体内に取り込まれる(臓器移植など)と
トラブル〔拒否反応〕を示します。
が、近親者のものなどでDNA〔遺伝子〕が類似しているものなら自然と同化・一体化します。

「仁」の心=儒学の教えは、水が大地に沁〔し〕み込むように日本で吸収され一体化いたしました。

 私は、アジア民族のミーム〔文化的遺伝子:ここでは思想的遺伝子の意〕に想いを馳せて、
後者の視点に魅力を感じています。

そして、私共の祖先が持っていた、外来文化に対する類〔たぐい〕稀な優れた
“陶鋳力〔とうちゅうりょく: 受容・吸収力〕”が相俟っていたことも付言しておきたいと思います。


※ 注) 最近の事例として、皇太子さま50歳をお迎えになる前の記者会見。

《皇太子さまは、天皇陛下も50歳の誕生日会見で触れた
孔子の ※「忠恕〔ちゅうじょ〕」という言葉を引用。
『忠恕』と『天命を知る』という教えに基づいて、他人への思いやりの心を持ちながら、
世の中のため、人のためにできることをやっていきたいと改めて思っております」》 
(朝日新聞 ‘10.2.23) 

と述べられています。


※ 忠恕 ・・・ まごころと思いやり。曽子が、孔子“一貫の道”=仁 を具体的に表現したものです。(『論語』・里仁第4)


【*本稿、尊いお名前について多数ふれております。
記載ミスがありましたら、また敬称の省略など、お赦しいただきますよう。】


以 上 


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